赤の王討伐のトレインウォーといえば、まだ誰の記憶にも新しいはずだ。 その舞台となった場所のひとつ、東京スカイツリーにはヘンリーの身体に宿ったディラックと、そして念願を果たしたダイアナがいた。 ダイアナとリチャードの過ごしたイギリスの別邸で、ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノとジョヴァンニ・コルレオーネはダイアナの残した日記から、彼女の心に触れた。 愛する心。 寂しい心。 孤独な心。 そして赤の王の決戦にて、ジュリエッタは雷の力でダイアナにとどめを刺した。それはディラックがダイアナが思うほど彼女に心を向けていないという事実を見せないようにするための、慈悲となったのかもしれない。 それでも……ジュリエッタの心には未だその出来事が引っかかっていた。「……、……」 ターミナルに設置されたベンチのひとつ。なにか考えこむかのようにそこに腰を掛け、遠くを見つめているジュリエッタ。 一人になると考えてしまうは、やはりあの瞬間のこと。 肝心の時にはいつも外れる雷が、あの時はまっすぐにダイアナを打った。 ジュリエッタが人を殺めたのはこれが初めてだ。 今まで魔物や海魔退治なら平気だった。 ワームに侵された一番世界の住民は、対峙しても殺すことは出来なかった。(ダイアナ殿……) 壱番世界はジュリエッタの出身世界である。大事な人達もたくさんいる。その壱番世界を守るためにもやむを得ないと覚悟はできていたつもりでも、ダイアナのあの切ない心の中を知っている身としては複雑で……。 どうにもやるせなさが募る。 本当にああするしか方法はなかったのか? 自分でなく、他人がとどめを刺したならそれでよかったと思っているのか? 自分に問うても分からない。むしろ混乱するだけだ。 能力も今まで以上に不安定になり、気分もふさぎ込みがちになってしまった。 今日もみかねたジョヴァンニが声をかけて連れだしてくれたというのに、こうして物思いに沈んでしまっている。(わたくしはどうしたいのじゃ……どうすればよかったのじゃ……) *-*-*「ジュリエッタ嬢……」 飲み物を買いに行き、両手に持って戻ってきたジョヴァンニは、ぼうっとしている彼女を見て、心痛めずにはいられなかった。外に連れ出してみたが、彼女は言葉少なで、思いつめているようでかつての明朗快活な彼女の姿は見られていない。 ダイアナに関しては自分が「引導を渡す」と宣言して実行したものの、結果としては孫娘と同年代のジュリエッタに手を汚させてしまったのだ。これが心痛めずにいられるだろうか。(ジュリエッタ嬢には休息が必要じゃな……)「ジュリエッタ嬢」「……、……」 ベンチに戻ってきたジョヴァンニは、オレンジジュースの入ったタンブラーを手渡す。ジョヴァンニが飲み物を買ってきた店は、可愛いタンブラーも売っていて、タンブラーを購入すればそれに飲み物を入れてくれるといった気の利いた店だった。可愛いタンブラーにジュリエッタは喜んでくれるかと思ったのだが、彼女は小さな声で礼を言ってタンブラーを受けとっただけだった。「のう、考えたのじゃが」「?」「わしの別邸にて静養してはどうじゃ?」「別邸……北イタリアの、あの別邸かの?」 ベンチに隣に腰を掛けて優しい声でジョヴァンニが告げると、ジュリエッタはゆっくり顔を動かしてジョヴァンニを見た。「ああ、そうじゃ。ピエモンテ州の別荘じゃ。ゴールデンウィークを利用して静養してはどうじゃ?」 心の整理をつけるためにも、そしてロストナンバーとしての心の成長を促す意味でも、静養は必要だと感じる。それが故郷に近いイタリアであればなおのこと。そして、事情を共有できる相手がいればこそ。「招待してくれるのかのう?」「もちろんじゃ、ジュリエッタ嬢」 弱々しく告げた彼女だったが、少しばかり表情が明るくなった気がする。 こうして二人は北イタリア、ピエモンテ州の別邸へと旅立つのだった。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ(cppx6659)ジョヴァンニ・コルレオーネ(ctnc6517)=========
今が盛りとばかりに咲き誇る薔薇は、見ているだけで手塩にかけられたことがわかる。持ち前の美しさを余すことなく披露してくれていた。 「少し薔薇園を歩こうか」 ジョヴァンニ・コルレオーネはすっと腕を差し出し、ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノをエスコートする構えだ。ジュリエッタもその意図を察し、そっとジョヴァンニの腕に手を添えた。ゆっくりと、咲き誇る薔薇にうずもれるように歩いて行く二人。 「ここは城一番の自慢での。亡き妻が最も愛した場所じゃ」 「奥方殿が愛したのもわかる。そしてジョヴァンニ殿が奥方殿を愛しているのも、この薔薇園を見ればわかる」 ジュリエッタは薔薇の甘い香りを胸いっぱいに吸い込んでほんのりと笑顔を浮かべる。無理をして浮かべているのではない、自然と浮かんだ笑顔。だがそれはいつもの明朗快活な彼女の笑顔とは少し異なっているようにジョヴァンニには見えた。 「きっと卿の奥方殿はこの薔薇園がよく似合う方じゃったのだろうのう。わたくしに似合う薔薇はどれじゃろう?」 「ジュリエッタ嬢にはやはりこの、白い薔薇が似合うじゃろう。陽の光をも跳ね返す、己を持った薔薇じゃな」 ジョヴァンニの言葉にジュリエッタはすこしばかり困惑の表情を見せた。普段の彼女ならばこのタイミングでは見せない表情だ。ジョヴァンニはそれに気がついたが、気づかないふりをして穏やかな表情を浮かべ続ける。 「……今のわたくしには」 ジュリエッタが何かを言おうとして口をつぐんだ。ジョヴァンニはその言葉の続きを追求することはせずに足を止め、瞳を前方の薔薇に固定したまま口を開いた。 「さて、君に告白せねばならんことがある」 「?」 突然のジョヴァンニの言葉に、ジュリエッタは下がりかけていた視線を上げて。それでもジョヴァンニとの視線は合わない。身長差のためもあるが、彼が意図して視線を薔薇に固定しているからであろう。 「儂は人殺しじゃ」 「……!?」 突然ジョヴァンニの口から飛び出てきた言葉が刺激的すぎて、それまでジュリエッタを包んでいた薔薇の香りが吹き飛んだ気さえした。 「これまで家業に触れた事はなかったが、伯爵家の当主として会社を営む裏で様々な悪事に手を染めてきた」 「……」 なぜジョヴァンニは今になってこのようなことを自分に話すのだろう――ジュリエッタは一瞬、戸惑った。だがすぐに答えを導き出し、心を落ち着かせた。彼が今話すのは、ジュリエッタのためにほかならないだろうから。 「直接間接を問わず、殺人の経験も無数にある。この身は呪われ、この手は血に汚れておる」 思い出すのは積み重ねた時間。長い長い過去。その間に経験した、無数の罪。 「若い時分は慚愧の念で眠れぬ夜もあった。正直、今も」 ジョヴァンニは言葉を切った。この話を聞いたジュリエッタが自分を恐れ、組んだ手を離しても仕方がないと思っていた。だが、彼女のぬくもりはまだジョヴァンニの腕に触れていて、離れぬ素振りすら見せない。そのことに思った以上に安心している自分に気がついて、ジョヴァンニは苦笑ともつかぬ笑みを口元に浮かべた。 「だが……儂は己の人生を悔いてはおらん。妻と子と孫、信頼おける部下に恵まれた人生を誇りこそすれ恥じてはおらん」 凛と言い放つジョヴァンニはどこか晴れやかに見えた。恐らくその境地に達するまでは様々な懊悩があったことだろう。彼はそれらを乗り越え、今、その境地に達しているのだ。人生経験の差、過ごしてきた時間の差と言われてしまえばそれまでだが、今のジュリエッタにはジョヴァンニが眩しく映る。 「生涯清く正しくを貫くのは聖人の在り方。侵され穢され、その度に清濁併せのむしたたかさと図太さを獲得し生き抜いてこそ神ならぬ人の在り方じゃ」 年を重ね、経験を重ねた者だからこその重みのある言葉に、ジュリエッタの、絞ったように硬くなった心はほぐされていくような気さえした。そんな彼女の顔を覗きこみ、ジョヴァンニは名を呼ぶ。 「ジュリエッタ、君はまだ若い」 優しい声が、優しい瞳が薔薇の香りの代わりにジュリエッタを包み込んでいく。 「悔いるのは結構。大いに悩みたまえ」 ぱっと目の前が開ける思いだった。 悔いてばかりではいけないと思っていた。悩んでばかりではいけないと思っていた。早く結論付けなければいけないと思っていた。けれどもそうではないと、悔いても悩んでも良いと言われてなんだかジュリエッタはホッとした。心を追い立てていた魔物が、一瞬にして遠ざけられたようだった。 「ジョヴァンニ卿……」 「おっと、足が止まっていたな。もう少し歩こうか?」 「そうじゃの……もう少しこの美しい薔薇達を見て回りたいのじゃ」 ともすれば安堵の涙を零してしまいそうなジュリエッタの気分を変え、涙をこぼさせないようにするべく、ジョヴァンニは話題を変えて腕に添えられているジュリエッタの手を引いた。 *-*-* ジョヴァンニの配慮は行き届いていて、トマトを使った料理が多めという心尽くしの夕食を頂いたジュリエッタは、いつもこの城に訪れる時に使わせてもらっている客室でベッドに仰向けになっていた。 間接照明の優しい明かりに照らされて、静かにふかふかのベッドに身体を沈めているとやはり考えてしまうのはダイアナにとどめをさしたあの時のこと。今でも鮮明に思い出せる。 本当にこれでよかったのか、ああするしか方法はなかったのか。これまで何度同じ事を考えただろうか、答えなどでないというのに。 (ああ、やはり駄目じゃ――) 両手で目元を覆うようにして、大きく息をつく。心落ち着けようとしても脳内をめぐるのは同じ事ばかり。 (これではせっかく誘ってくれたジョヴァンニ卿に申し訳ない……) 耳を澄ませば静かな『夜の音』が聞こえる。月の光降りそそぐ穏やかな音が聞こえる。 (夜空、か……) ジュリエッタはゆったりと身体を起こし、ベッドサイドから窓を見やった。だがそこからではよく夜空が見えなかったので、窓辺へと歩み寄った。窓を押し開けて、身体を乗り出してみれば奇しくも満天の星空。 「これは……! もったいないのじゃ!」 憂鬱な気分が星たちによって少しばかり吹き飛んで。ジュリエッタは急いで窓を閉めて部屋を出た。そしてジョヴァンニの私室へと向かおうとして豪奢な絨毯の上を滑らせていた足を、ふと途中で止める。 「そうじゃ!」 ぽん、と手を合わせた彼女は、踵を返した。向かうのは階下の厨房。今の時間はもう誰も居ないだろうか。もしかしたら片づけや仕込みでまだ誰か居るかもしれない。それを願ってジュリエッタは急いだ。 コンコンッ。 部屋の扉をノックする音でジョヴァンニは物思いから戻ってきた。あの、孫娘と同じ年頃の少女の苦しみをどうすれば和らげてやれるか、どうすれば年長者として導いてやれるのか、そう考えていた。 「おるぞ。誰じゃ?」 「夜分遅く申し訳ない。ジュリエッタなのじゃ」 「ジュリエッタ?」 何かあったのだろうか。何かあれば何時でも訪ねて良い、そう言っておいた手前、少しばかりジョヴァンニに緊張が走る。ロッキングチェから腰を上げ、ジョヴァンニはドアノブを握った。 「何かあったのかな?」 寝間着姿のジョヴァンニかいつもの様に優しく扉を開けると、同じく寝巻き姿のジュリエッタはホッとした表情を見せた。そんな彼女の手には、バスケットが下げられていた。寝間着姿には似つかわしくないが……。 「こんな格好で城内を出歩いた無作法を許されよ。星があまりにも綺麗だったゆえ、ジョヴァンニ卿と見たいと思ったのじゃ」 「おやおや、この老いぼれを夜空の下のデートに誘ってくれるのか」 ジョヴァンニのその言葉が咎めるものではないと判断し、ジュリエッタはいたずらっぽい笑みを浮かべながらバスケットを持ち上げた。布巾のかかったバスケットから覗いているのは、どうやらワインのボトルとジュースのボトルのようだった。 「先に厨房に寄ってきたのじゃ。少しばかり無理を言ってしもうたが……ワインにトマトジュース、チーズにクラッカー、昼間に焼いた焼き菓子の残りをもらってきたのじゃ。これで夜空の下で乾杯したいと思うてのう」 「そんな素敵な提案に乗らぬ手はあるまい。では、城の屋上へとご案内しよう」 ジョヴァンニはジュリエッタの手からひょいとバスケットを受け取り、反対の腕を差し出す。ジュリエッタは嬉しそうにその腕に自らの腕を絡めた。 *-*-* 重い扉を開けて出た屋上には、心地の良い夜風が満ちていて、ジュリエッタは思わずジョヴァンニの腕から腕を外して屋上の真ん中へと躍り出た。 「いい空気じゃ。それに星が――今にも降ってきそうじゃ」 そんな彼女の様子を目を細めながら近づいたジョヴァンニは、そっとスカーフを取り出して、ジュリエッタが座ろうとしている場所にさり気なく敷いた。その心遣いに気がついたジュリエッタは礼を言い、腰を下ろす。ジョヴァンニもその隣にゆっくりと腰を下ろした。 「なるほど、この空は見ておかねば損という気持ちもわかる」 「じゃろう?」 ジュリエッタはバスケットからワイングラスをふたつ取り出し、片方にワインを注ぐ。ジョヴァンニがもう片方にトマトジュースを注いでくれている間に、おつまみにかけてあった布巾を取った。 グラスを交換し、そして――乾杯。 一口口に含み、嚥下し、そして息をつく。ジュリエッタは長く美しい脚をぴんと伸ばして座り、そのまま夜空を仰いだ。 「薔薇とはまた違う、天空がもたらす美しさ。絶景じゃのう……」 床に置いたグラスがカタリ、小さな音を立てた。ジュリエッタは後ろ手で身体を支えるようにして上体を少し傾ける。その方が夜空がよく見えた。 「ダイアナ殿も嫁いだ際にはこのように景色を眺めておったかもしれぬ。己の身を嘆きながら」 「……」 「そう、我が身を嘆くのなら。ディラックに懸想するぐらいなら。わたくしのように小説でも書いてみれば良かったのじゃ。すべてを己の理想通りに生きれるものなどおらぬ。両親を失なった我が身を持って知っておる」 「ジュリエッタ……」 トマトジュースで酔ってしまったのか、否、勢いづいたのだろうジュリエッタは、思いを夜空にぶつけるかのように次々と言葉を並べていく。 「今彼女には腹立たしい気持ちすら感じるのじゃ……いや、自分自身にもじゃな。それすら哀しい。ダイアナ殿にも彼女の孤独を分かってやれなかったリチャード殿達もディラックも、そして彼女の嘆きを知りながら手を下したわたくし自身にも!」 がばっと上半身を前のめりに戻したジュリエッタは、じっと、隣に座しているジョヴァンニを見据えた。そしてすがるような瞳で問いかける。 「卿、わたくしは正しかったのじゃろうか?」 「……」 ジョヴァンニはそんな彼女の瞳を真正面から受け止め、そして言葉を紡いでいく。 「同情はせんよ。儂らはいわば共犯。同じ罪と罰を負うておる」 ジュリエッタの瞳が揺れた。それでもジョヴァンニは言葉を止めない。 「人はいずれ選択せねばならん。何を切り捨て何を掴みとるか、自分の意志で決断せねばならん」 優しいふりをした尖った言葉がジュリエッタに突き刺さる。だがその言葉は、攻撃する一方ではない。刺さった傷口から、何かをジュリエッタに伝えようとしている。 「愛する家族を守る為なら、どこまでも堕ちる覚悟がある。この身が地獄の業火に炙られるのは承知の上」 ジュリエッタ、と今一度名を呼ばれ、彼女はびくっと肩を震わせた。何を言われるのだろうか、身体が硬くなる。 「君の守りたいモノはなんじゃ。その信念は揺るぎないか」 「……」 「能うならばもう少しふてぶてしく、打たれ強くなりたまえ。人殺しに慣れろという意味ではない……」 ジョヴァンニは視線を外し、そしてゆっくりと立ち上がって城壁へと近寄る。ジュリエッタもそれを追った。 城壁の向こう、視線を下げるとそこには昼間歩いた薔薇園が見える。 「今日、この夜空と薔薇園が美しいまま在るのは君を初めとするロストナンバーが尽力したからじゃ。赤の王とダイアナが野放しであれば無事ではすまなんだ」 「ジョヴァンニ卿……」 ぽろり、ジュリエッタの緑の瞳から涙がこぼれ落ちた。それはぽろりぽろりと止めどなく溢れ続け、ジュリエッタの視界を曇らせていく。 そっと、ジョヴァンニの手が差し出されて、何かが髪へと差し込まれた。それはバスケットに色を添えるために入っていた薔薇の花。白い薔薇の花は夜空に、そしてジュリエッタの髪によく映えた。 「あの時君が守ったモノは、斯くも美しく咲き誇っておる」 「ジョヴァンニ卿っ……!」 その一言でジュリエッタの涙腺が決壊した。次々に溢れ来る暖かくも透明な涙に、心からこみ上げてくる思いに、ジュリエッタ一人では耐えられそうになかった。思わず、ジョヴァンニの胸へと飛び込む。 「わあぁぁぁぁぁぁぁぁ……」 もはや言葉にならなくて、ジュリエッタは泣き叫んだ。これまで溜め込んでいたすべてが涙と鳴き声とともに流れ出ていくようで、息を次ぐたびに胸の奥がきゅっとなってそして、絞られたようだった心がほぐされていく。 「あぁぁぁぁぁぁぁぁ……」 ジュリエッタは夜空に自分の鳴き声が響き渡るのにも構わず、泣き続けた。簡単には、泣き止めそうになかった。ジョヴァンニはそっと、子どもや孫娘にするように優しく彼女の背中に腕を回した。そしてゆっくりと背中をさすって。 彼女が泣き止むまで、彼女が満足するまでそうしているつもりだった。 *-*-* どれくらい経っただろうか。ジュリエッタの泣き声がしゃくりあげるだけに変わり、そして、やがて止んだ。 「大丈夫かね、ジュリエッタ」 胸の中のジュリエッタに問いかけると、顔を上げた彼女は意外にも、スッキリとした表情をしていた。泣きはらした瞳は少しばかり色を変えていたが、表情だけ見れば以前の彼女に戻ったようにも見えた。 「ジョヴァンニ卿……みっともないところを見せてしもうたのう」 「なぁに、儂とジュリエッタの仲じゃ。気にすることはない」 少しばかり出たように笑うジュリエッタに、ジョヴァンニも安心したように息をついた。 「あの日記を元にしてダイアナ殿をモチーフにした小説を書いてみようと思うのじゃ」 「ほぅ」 「檻に閉じ込められ、不運で哀れな姫君が友を得、真実の愛を得る物語を。罪滅ぼしではないが、せめて空想の世界で彼女を幸せにしてやりたいと思ってのう」 それは、ダイアナが得られなかった人生をモチーフとしたお話。もしかしたら、一歩踏み出していれば、彼女が過ごせていたのかもしれない人生。 せめて物語の中だけでも、彼女が幸せを得られますように――強い思いがそれを創りだす。 「きっと素敵な物語になるじゃろう。のう、ジュリエッタ」 「?」 「完成したら、儂にも読ませてくれるか?」 「勿論なのじゃ! ジョヴァンニ卿には一番に読んでいただきたいのじゃ。共犯者として」 じゃろう? ジュリエッタは首をかしげてジョヴァンニを見る。 「そうじゃな」 視線を合わせて、二人は微笑んだ。 ジュリエッタは自分なりの結論を出すことが出来たのだ。彼女にいつもの、イタリアの太陽のような笑顔が戻るのも、すぐのことだろう。 その笑顔をこれからも見守って行きたい、ジョヴァンニは心からそう思ったのだった。 【了】
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