ある日の午後、吉備 サクラとジューンは次に行く依頼のことで話し合っていた。今回は二人でではなく、以前ジューンが仲間達と共に保護した菖蒲(あやめ)という12歳の少女も連れて行くつもりだった。「シャハル王国は駄目ですか? 比較的安全そうですし、私は王都の服飾に興味があります」「シャハルは菖蒲さんが保護された場所なので、より悲しい気持ちにさせてしまうかもしれません。子供を連れて行くと仮定するなら、それなりに安全な世界でないと困ります」 シャハル王国とはヴォロスにある国の一つで、菖蒲が保護されたのはこの国の街の一つであった。「私はヴォロスや陰陽街が好きですけれど、それじゃどちらも駄目ですね。ジューンさんはどうですか」「私はカンダータやラエリタム、マホロバとの親和性が高いですが、子どもを連れてとなると、積極的にお勧めはできません」 確かに二人が上げた世界は比較的危険と出会う可能性が高めのように思えた。となると、いよいよ候補が限られてくる。「でも私、行くなら服飾の勉強もしたいです……そうだっ! 夢浮橋はどうですか! 十二単とかすごいですよね!? 女の子なら絶対喜ぶと思います!」「あの世界も多少危険がありますが……1人でしたら護衛可能かと」「方違えがまた使えるか分かりませんけど、気候が良くなってきたんですもん、お祭りだってあるかもしれません! じゃ是非菖蒲ちゃんを誘って行ってみましょう!」 多少の暴霊や式なら1人でなんとかなりますが、サクラ様の護衛までは難しいと思います、ジューンは懸命にもその言葉を飲み込んで、喜んで支度をしているサクラをそっと見やった。 *-*-* 早速とばかりに二人は行動に移った。向かう先は司書室ではなく、商店街である。目指すは香房【夢現鏡】。夢浮橋の出身者でもある夢幻の宮に、色々話を聞いてみようと思ったのだ。「というわけなんです」「気をつけるべきことやこの時期のお祭りなど、情報があればよりスムーズに旅が行えると思い、参りました」 サクラとジューンを出迎えた夢幻の宮は二人を店の中の椅子に座らせて、それならば、と微笑みながら口を開いた。「滞在先は、先日帝より賜った屋敷をお使いいただけます。花橘殿といいまして、立地もよく……高級住宅街とでも言えば通りが良いでしょうか」 花橘殿には常駐の、帝の遣わした家人や女房がいるらしく、突然の訪れにも快く対応してくれるはずだと夢幻の宮は言い、さらさらと一枚の手紙をしたためて二人に手渡した。「お三方のことをよろしくお願いしますとしたためておきましたので、女房頭の和泉にお渡しください」 花橘殿にはどんなロストナンバーが訪れてもいいように、様々な和服が用意されているという。「軽くファッションショーが出来そうです!」 そのラインナップを軽く聞いただけで、サクラの瞳が輝いた。「お祭りですが、花菖蒲(はなしょうぶ)祭りが開かれている頃だと思います。丁度、紫上様がその調査をしていただける人材を探しておりましたので、調度良いかと」「花菖蒲祭り、ですか」 菖蒲(しょうぶ)ににた葉をしていて花を咲かせるから花菖蒲。アヤメ科なのであやめとは似ているが違う植物らしい。 色も紫系等にとどまらず、白、ピンク、紫、青、黄など多数あるだけでなく、絞りなどの模様も入れると多岐にわたる。 花菖蒲祭りでは、それら花菖蒲を販売する屋台や、花菖蒲を柄に取り入れた着物や反物などが売られている。花菖蒲を模したアクセサリー類もあるようだ。他、高価ではあるが、枯れない花菖蒲(いわゆるプリザーブドフラワーらしい)も売られているらしい。一部文明が壱番世界の現代に近いというのは本当のようだ。 また、花菖蒲畑を歩いて、その色鮮やかさを見て回ることもできるという。「同時に、いわゆる菖蒲湯に使う菖蒲も売っていますから、買って帰って菖蒲湯に入るというのも良いのではないでしょうか」「え、お風呂あるんですか?」「はい」 サクラの問いに夢幻の宮は笑んで答える。お湯は炊屋で沸かさなければならないが、檜造りの大きめな浴槽があるらしい。「菖蒲さん、喜んでくださるといいのですが」 ジューンは口元をほころばせて、菖蒲の喜ぶ顔を想像する。 夢幻の宮に「外に出る時は十二単ではなく別の和服になさってくださいね」と一応の注意を受け、二人は菖蒲が住んでいるというアパートへと向かうのだった。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ジューン(cbhx5705)吉備 サクラ(cnxm1610)=========
まるで古典の世界に入り込んだようで、吉備 サクラは興奮せずにはいられなかった。 花橘殿はまるで源氏物語に出てくる六條院のお屋敷のようで、広く、素敵だ。 事前に連絡が行っていたのだろう、女房頭の和泉に案内された部屋には、この世界で着られている様々な女性用の衣装が並べられていた。 「きゃー! 平安時代の衣装を扱っている博物館みたいなところで見たことはありましたけれど、実際に着用されている場所で見るのとはやっぱり違います! 振袖や留袖まであるんですね、素敵です! 和泉さんの装束も素敵ですあとでスケッチさせてください!」 「……吉備様」 12歳である菖蒲以上にテンションが上がっているサクラ。並べられている装束の間をあっちこっちと移動しては物色している。それをたしなめるように和泉が声を漏らした。 「あっ……ごめんなさい。菖蒲ちゃんも一緒に見ましょう!」 「うん!」 ジューンの隣で自分も衣装をよく見たいとウズウズしていた様子の菖蒲は声を掛けられて嬉しそうにサクラへと駆け寄る。いつサクラに今回の本当の目的――菖蒲を楽しませること――を思い出させようかと思っていたジューンは、ほっと息をついた。 「いっぱいあるね。どれを選んだらいいのかな?」 「お付きの人の衣装を女房装束と言うのかと思ったんですけど、それだと十二単になっちゃうんですね。旅行用の装束と言うことなので、壺装束で虫の垂れ衣で良いんじゃないかと思いますが、こちらの人に教えていただくのが間違いないと思います」 装束と装束の間を歩きながら菖蒲に問われて、サクラは近くにあった市女笠を被ってみせた。 「ジューンさんはどう思います?」 「私もこちらの常識に詳しくないので、女房頭の和泉様に全てお見立てしていただこうかと。菖蒲さんもそれで宜しいですか。着たい装束があったら早めに仰った方が良いですよ?」 装束の向こうで背筋をピンと伸ばしたまま待機しているジューンが優しく告げると、菖蒲は立てかけられている十二単へと視線をむけた。 「やっぱりこの、十二単っていうのが着てみたいな……でも、外を動きまわるにはあまり向かなそう」 「ならば帰ってきたら着ればいいですよ! って私が勝手に決めるわけにはいきませんね。和泉さん、どうでしょう?」 おずおずと綺麗な重ねに手を伸ばして触れた菖蒲。その表情は嬉しそうだがどこか残念そうで。そんな彼女を喜ばせてあげたいと出されたサクラの提案は、和泉に簡単に許可された。 「勿論、お望みでしたら。お帰りいただいたあともご使用いただけるように、こちらの装束は出しておきましょう」 「「ありがとうございます!」」 サクラと菖蒲がとても嬉しそうに笑うものだから、和泉もそこまで喜んでくださるのなら、と世話のしがいがあると思ったようだった。ジューンはそんなほのぼのとした様子を見てほほ笑みを浮かべる。 「壺装束にもいろいろな色と柄があるようですから、好きなものを選ぶといいですよ。菖蒲さんはどれにしますか? 菖蒲さんの髪は綺麗な紫色ですから、この薄い桃色の袿がいいかもしれません」 「わぁ、素敵! ジューンさんがお勧めしてくれるんだったらこれにしちゃおうかな」 「私はこの薄紫にしようかなと思ってます。ちょっとお姉さんっぽく見えますか?」 「お二人ともお似合いです」 菖蒲に薄桃色の袿をあててあげながら、自らに薄紫の袿を当てるサクラを見て褒め言葉を口にしたジューン。そんな彼女を見て、和泉が口を開いた。 「ジューン様は何色の袿をお召しなりますか?」 「私は……」 ジューンが見せた少しの逡巡。その意味を和泉は知らないし、話しても多分理解してもらえぬだろう。察したサクラがさっと二人の間に入った。 「ジューンさんのギア、メイド服ですよね? 基本的な装束を和泉さんに教えて貰ったら、私がジューンさんに幻覚を被せるのはどうでしょう? それなら動きも妨げられないし防御力も落ちないと思います」 「サクラ様、お願い出来ますか?」 「勿論です!」 ジューンは濃い紫に銀糸で控えめに模様の入った袿を選んだ。彼女の桃色の髪がよく映える。 「和泉さん、着付けお願いします!」 「かしこまりました。こちらの几帳の後ろへどうぞ」 サクラが着つけてもらっている間、ジューンと菖蒲は他の女房が用意してくれたお茶とお菓子で一服。綺麗な色をした落雁にはお茶がよく合う。 和泉はサクラの着衣が珍しいだろうに、それでもやはりしっかりとした女房である、彼女が脱いでいるのをジロジロ見ることなどせずに、几帳の外で声がかかるのを待っていた。 「和泉さん、終わりました」 サクラの声を受けて失礼致しますと几帳の中に入った和泉は手早く彼女に着付けを始めた。 まずは白小袖、その次に緋袴をつける。単、袿の順に重ねていけばよい。袿を紐でたくしあげて首から下げる懸守をつければ完成である。さすがに本職の女房は手早かった。 次に呼ばれたのは菖蒲。サクラは他人の着付けも見ていたいということで同席することにした。菖蒲は拒まなかったが少し恥ずかしいようで、やや膨らんだ胸元を両手で隠すようにしていた。それがまた可愛く思えてサクラも和泉も笑みが溢れる。 「ジューンさん、似合う?」 几帳から飛び出してきた菖蒲を受け止めたジューンは、着替えを終えた彼女を見てふっと目を細めた。まだ市女笠こそつけてはいないが、可愛らしいその格好はこの世界に溶け込んでいる様に思えた。 「ええ、とてもお似合いです」 「ふふ、嬉しいな!」 「次はジューンさんですね。私、一人で着つけてみたいので、和泉さんは菖蒲ちゃんの相手をお願いしてもいいですか?」 几帳から顔を出したサクラがジューンを手招く。何かわからないことがありましたらお声をお掛けくださいね、そう言って和泉は几帳の内から出た。入れ替わりにジューンが几帳の内に入る。 「じゃあ、幻覚をかぶせますね」 囁くくらいの小さな声でサクラが告げ、ジューンはそれに頷いた。サクラは着物の下につけたままの鍵型のネックレスであるトラベルギアに触れ、目を閉じて念じる。すると――ジューンの姿が変わった。メイド服だったジューンは一瞬で、濃い紫色の壺装束へと変わったのだ。 「ありがとうございます、サクラ様」 怪しまれるとまずいので、本物の衣装はそっと几帳の向こうに押しやって。わざと衣擦れの音を立ててしばしの間過ごしてから、二人は几帳の向こうへと出た。 「お似合いでございます」 和泉はサクラと菖蒲にかけたように同じ言葉をかけてくれた。どうやら幻覚だということはバレていないらしい。二人は顔を見合わせて内心ほっと息をついて。 「市女笠と草履も用意してございますから、いつでもご出発いただけますよ」 「菖蒲ちゃんが牛車に乗ったお姫様で、私とジューンさんはお付きで外を歩く、でしょうか? 小八葉の女車で……とか、想像するだけでワクワクします!」 「サクラ様、水を差すようで大変申し訳無いのですが」 和泉から市女笠を受け取ってかぶりつつ、サクラがウキウキ興奮していく。ジューンは菖蒲に笠をかぶせてあげながら、冷静に口を開いた。 「お祭りを回るのでしたら徒(かち)でないと。牛車は邪魔になってしまいます」 「そうですね。貴族の方がたくさん見にいらっしゃる大きなお祭りでしたら、牛車もたくさん出ますが……」 和泉も申し訳なさそうに告げる。彼女も三人は徒で出かけるものと思っていたのだろう。 「確かに徒の方が小回り利きますその通りです。でも牛車のお出かけ、自分が乗らないにしても凄く興味があったんです……残念」 「だったら、今度来た時は牛車ででかければいいよ! ね?」 「菖蒲ちゃん……!」 子供ながら気を使った慰めの言葉をもらい、感動してサクラは菖蒲をきゅっと抱きしめた。 *-*-* 「本件を特記事項α2-10、同行者の警護に該当すると認定。リミッター限定解除、優先コードC2、保安部提出記録収集開始」 屋敷の門でジューンは自らの機能を起動させていく。 「生体サーチ及び構造物サーチ常時起動。これで何かある前に対応できますから、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ、菖蒲さん」 「う、うん……」 楽しみにしていたとはいえやはり知らない世界にでるというのは緊張するのだろう。門を出た途端黙りこんで固まってしまった菖蒲に、ジューンが優しく声をかけた。 「今日もゆりりんはクラゲタンですから。水中の救助活動できます任せて下さい!」 サクラの肩に乗ったゆりりんが触手を振って任せて、と言いたげだ。 「うん……あの」 「なんですか? なんでも言ってくださいね」 「そうですよ! 遠慮なんていらないです!」 口ごもった菖蒲の顔を覗き込むようにして、ジューンもサクラも彼女の顔色をうかがう。すると、ちょっぴり頬を染めた菖蒲は消え入りそうな声で呟いた。 「はぐれたくないから……手、繋いでもいいかな?」 「勿論です」 「勿論ですとも!」 そっと差し出された二つの手に、表情を輝かせた菖蒲が自分の手を伸ばす。その暖かさに安心しているのは菖蒲だけではなかった。 事前に教えてもらった道順通りに歩いて行く。菖蒲でだけでなくサクラも物珍しげに視線を動かしているからして、ジューンが道順に二人を誘導していく。さすがににサクラは外ではデジカメとスケッチブックを出すのを堪えた。花橘殿に帰ったら、記憶に焼き付けたものを思うままに描いていくつもりだ。 しばらく歩いて菖蒲が一休みしたくなった頃――と言っても彼女自身は自分から疲れたとは言わなかったが、ジューンがその様子に気がついた――前方に屋台や露店と人混みが見えてきた。祭の行われている界隈に到着したのだ。虫の垂れ絹を退けるようにして見入っている菖蒲とサクラの瞳はキラキラキラと輝いていた。ジューンが仕入れた情報によれば良家の女性は虫の垂れ絹をはだけて素顔を見せたりはしないらしいが、さすがにこの場でお小言を言うのは無粋だと判断した。その代わりにはぐれないように注意してくださいね、と告げるにとどめた。 祭の入り口では氷室から取り出した天然氷を削って氷蜜をかけるかき氷や、井戸水で冷やした野菜や果物、飲み物などが売られていた。歩き疲れた客向けの屋台なのだろう。 「行きましょう!」 サクラが菖蒲の手を引く。 「ジューンさんも!」 菖蒲が振り向いて、反対の手でジューンを引いた。 期待で胸を膨らませながら、三人は祭の人混みへと入っていった。 *-*-* 祭りの雰囲気とはなんと鮮やかな色をしているのだろう。その色はサクラにもジューンにも菖蒲にも伝染する。 「「わ、わ、わぁぁぁぁぁっ!!」」 思わずサクラも菖蒲と一緒になって、歓声を上げてしまった。 色とりどりの花菖蒲を売るお店、反物や装束、装飾品を売るお店、食べ物を売るお店……目移りしてしまう。 「菖蒲ちゃん、気に入ったアクセサリーがあったら買って帰りましょう? それに菖蒲湯用の菖蒲もたくさん買って帰らないと。菖蒲ちゃんはどれがいいと思います?」 「あ、でも……私、この世界のお金……」 サクラに笑顔を向けられた菖蒲の表情が曇る。だがそれを聞いたサクラとジューンは菖蒲を安心させるように囁いた。 「大丈夫ですよ、菖蒲さん。ナレッジキューブを変成させてこちらの世界で換金を行なっておきましたから」 「お金の心配はしないでください! 私はバイトもしてますし、依頼にも行ってますし!」 「……いいの?」 泣きそうにしぼんでいた菖蒲の表情がゆっくりと戻っていく。 「はい。お誘いした以上、私達が菖蒲さんの保護者ですから。欲しいものがあったら買って行きましょう。ただし、『旅人の約束』に反しない量だけになりますが」 「今回のお祭りを楽しんで、報告書にまとめて提出すれば菖蒲ちゃんも報酬がもらえますよ!」 「そっか……じゃあ、今度はその報酬で私が二人にプレゼントするからね!」 その気遣いが嬉しくて、気にしなくていいんですよと言いつつも楽しみにしていますと答えてしまう。 保護した時よりも、0世界にいる時よりも菖蒲の表情はくるくる変わって、明るくなっているように思えた。ジューンとサクラは顔を見合わせて、連れてきてよかった、と頷く。 「二人共、あのお店見てもいい?」 菖蒲が視線を向けたのは装飾品の屋台。やはり女の子だから、可愛くて綺麗な装飾品には興味が有るのだろう。 「行きましょう!」 三人は人混みをすり抜けるようにして目的の屋台へと向かう。その辺りは装飾品の屋台が集まっているようで、女性客が多く、その間にプレゼントを選ぶ男性客が点在していた。 飾り紐に花菖蒲の布造花をつけたものや、いわゆるコサージュなどを始めとして、花菖蒲の絵のついた漆塗りの櫛、漆器、べっ甲に花菖蒲の飾りをつけた髪留め、花菖蒲柄の扇子、団扇、幅広リボン、ガラス細工の花菖蒲をつけた簪など見ているだけで楽しい。 「いっぱい有り過ぎて迷っちゃう!」 「好きなだけ迷ってください」 迷った後に自分で決めるのも大事なこと。ジューンはああでもないこうでもないと商品を物色しているサクラと菖蒲を見て頷いた。そして二人が選んでいる最中に視線を他の店へと走らせる。辺りに何があるかチェックしておくのも重要だ。 (あれは) ジューンが目を留めたのは反物の露店。露台には花菖蒲柄の反物がいろいろな色揃っていて。ジューンは二人に気づかれないようにそっとその場を離れる。勿論サーチは続けているから何かあったらすぐに駆けつけられる。 「この反物、いただけますか?」 ジューンが買い求めたのは紫色と黄色の花菖蒲の柄が入った桃色の反物。それは大人にはちょっと甘すぎるが、少女にはぴったりのものだった。 菖蒲湯用の菖蒲はかさばるので最後に買うことにして、戦利品の入った風呂敷包みを持って三人は花菖蒲畑へと向かった。 ジューンは緋穂とツギメ、エーリヒと自分の家の双子のために枯れない花菖蒲を購入。サクラも誰かのためなのか自分のためなのか、たくさんの枯れない花菖蒲を購入していた。菖蒲は迷いに迷って花菖蒲柄のリボンと櫛、鏡を買ってもらって嬉しそうだ。もっと買ってもいいといったのだが、やはり少し遠慮したようで。その慎みがあるところが可愛いと思ったりもした。 「ずいぶん色んな色があるんですね……素敵」 「すごい……こんなにいろいろな色の花が同じ場所に咲いているなんて!」 「ええ、とても素敵です」 花菖蒲畑は白、ピンク、紫、青、黄など多数あるだけでなく、絞りなどの変わり種も入れると本当に多種多様だった。畑の中を歩くこともできるようだったが、それよりもお腹が空いたと菖蒲がこぼしたものだから、外から見るにとどめた。だが、外から見ただけでもとてもとても綺麗で、心あらわれる光景だった。 三人は菖蒲湯用の菖蒲を買い込んで、最初に見かけたかき氷屋へと着ていた。間に合わせの座席がいくつかある。 「あ、あそこ三人分空いてます!」 サクラがささっと走って座席をとりに行ってくれたおかげで、三人とも無事に座ることができる。ジューンが三人分のかき氷を持って来て、菖蒲を真ん中にして横に並んで座る。 「いただきまーす!」 「「いただきます」」 木の匙でさくっと掬って口に入れれば、天然の氷はさらっと口の中で溶けて。植物からとったまろやかな氷蜜とともに喉を潤していく。 「おいしい!」 「おいしいです!」 人混みに揉まれて少し疲れた顔から笑顔になった菖蒲を見て、ほっとする二人。 「どうでしたか、花菖蒲祭りは。何か気に入った物はありましたか」 「私の名前に似た花、こんなに色々合って素敵で……全部気に入ったよ! 連れてきてくれてありがとう」 ジューンの問いに、彼女とサクラを交互に見つめて礼を言う菖蒲。長めの髪がさらっと揺れた。 「菖蒲さんの笑顔が見られてよかったです。またお誘いしても良いですか」 「本当? また誘ってくれるの? 嬉しい!」 「「勿論です」」 ジューンとサクラ、二人の声がハモって、思わず三人は吹き出した。 「帰ったら一緒にお風呂に入りましょう、菖蒲ちゃん。菖蒲湯ですよ」 「うん。ジューンさんは?」 「是非菖蒲様とサクラ様で楽しんできてください。私が入ったら湯殿に穴が開いてしまいます」 実体重263kgであるジューン。さすがに湯殿に穴を開ける訳にはいかない。 「えー……じゃあ、足湯はどう? 大きな盥に菖蒲湯を入れるの。それなら一緒に入れるでしょう?」 菖蒲はどうしても三人一緒で楽しみたい様子。そんな彼女の様子に心打たれたのか、ジューンは嬉しそうに笑顔をこぼした。 「それならば。ありがとうございます、菖蒲さん」 「じゃあ、決まりね!」 「決まりですね!」 氷が溶けた後に残った甘い汁を飲み干して、お椀を返却。 帰途についても菖蒲は二人の手をしっかり握っていた。 もちろん二人も、それを離すことはなかった。 【了】
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