ヒトの世界で生活するということを知るために、どこかの世界で長期滞在してみよう――そう、話がまとまっていた。 だが長期滞在するならば、帰属先として考える世界に近い雰囲気の世界のほうがいい、世界によっては大きく風習や生活様式が異なるのだから。そうアドバイスされてニワトコが選んだのは、夢幻の宮の出身世界である夢浮橋であった。 自己犠牲的な決定ではなく、ほかと比べて選びとった形となる。 一緒ならばどの世界でもいいと夢幻の宮は言ってくれたけれど、やはり彼女の故郷で暮らしてみたい、そう思ったのだ。「そうでございますか……」 それを告げると夢幻の宮はホッとしたような、けれども複雑そうな表情で微笑んだ。「霞子さん、やっぱり心配……?」 ニワトコが問えば、ふるふると首を振る彼女。天冠の飾りがしゃらしゃらと揺れた。「いえ、どうすればヒトの世界を感じていただけるかと考えておりまして」 滞在場所は帝がロストナンバーたちのために用意してくれた花橘殿を利用すればいい。だが問題は仕事だ。いきなり官位をもらって出仕をしてみるというわけにもいかないし、童殿上となるにはニワトコは少し年をとり過ぎている。「ニワトコ様は、どんなお仕事をなさりたいですか?」「うーん……夢浮橋にどんな仕事があるのかわからないから難しいよ……」 ニワトコの言い分も尤もである。夢幻の宮は少しばかり考えて、そして選択肢を用意することにした。 一つ目は、諸事情で元服を行なっていないとして、童殿上するという選択。これはのちのち位を得て宮中で働くことになる場合、体験しておいたほうがいいだろう。 二つ目は、植物と触れ合う仕事をするという選択。端的にいえば庭師として宮廷や宮家などの庭を整える職に当たること。 三つ目は、香術師見習いとなること。夢幻の宮や他の香術師に術を習い、ともに戦うことになる。修行は簡単ではない。けれども職と地位を同時に得られる方法である。 四つめは、常に今上帝の庇護下で過ごすこと。職につかず、今上帝からの庇護で自由に暮らすということ。こちらは受けるストレスが少ないと思われるが、帝の代替わりに際しては庇護が続けられるかどうかわからないというリスクもあった。「直ぐに最終結論を出す必要はありませぬ。この生活自体『お試し』なのですから、気軽にお考えくださいませ」 気軽に、と夢幻の宮は言うが、どれも一長一短ありそうで、夢浮橋で長期の滞在をしたことのないニワトコにとっては期待と不安の入り混じるものだった。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ニワトコ(cauv4259)夢幻の宮(cbwh3581)=========
夢浮橋での長期滞在は、ゆるりと過ぎていった。 「初めてのことばかりだから、すこしずつ学んでいけるといいな」 そう言ってニワトコが選んだのは、庭師と香術師の体験だった。 まずは日常生活にも慣れなくてはならないため、花橘殿の庭を手入れしてくれている庭師の老人、源蔵に教えを請う事になった。ニワトコは用意された動きやすい和風の衣服に着替えた。 「よろしくおねがいします」 丁寧に頭を下げると、源蔵は酷く恐縮してニワトコに頭を上げさせる。 「宮様のお客様に仕事を教えるなんて恐れ多い……だが頼まれたからには本気で教えますよ、いいですね?」 「もちろんだよ」 まずは花橘殿の植物の状態検分から。源蔵についていくニワトコを夢幻の宮は少し不安そうな目で見ていたが、大丈夫だよという気持ちを込めて手を振れば彼女も優しく振り返してくれた。まるでそれは「いってきます」「いってらっしゃい」の挨拶のようで、なんだかこそばゆい。 「源蔵さん、この庭の植物たちは愛情込めて世話をしてもらって喜んでいるよ」 まずはざっと庭を回って、木の種類や花の種類を教えてもらった。そのついでに源蔵は慣れた手つきで雑草を引っこ抜いていく。 「そう言われると嬉ししいねぇ」 「でも、一箇所だけ植物のいない場所があったよね。あそこは?」 「ああ……」 眉尻を下げた源蔵の表情が少し険しくなる。 「あそこは何をしても植物が育たないんですよ。元々は今の帝がご幼少のみぎり、ここを訪れになった時に花を植えられたのですが」 戦が始まる気配を見せた頃から、植物が育たなくなったという。 「ぼくが診てもいいかな?」 「何度土を入れ替えても、肥料を入れ替えても駄目な場所だからねぇ……」 そう言っても源蔵はニワトコを止めはしなかった。あの一画に花が咲けば、庭としての調和も今よりよいものになると思う。それ以前に、植物が育たない原因というのが気にかかった。 そっと土に手を触れる。最近は手入れを諦めていたのだろう、土は硬くなってしまって雨で養分が流れでてしまっているようだったが、問題は養分ではない気がした。勿論、太陽の光が足りないわけではない。太陽はしゃがみこんでいるニワトコをじりじりと照らしていた。 「なんだかぴりっとした……」 それは本能的な危険信号のように感じた。ニワトコは慌てて土から手を離す。長く触れていてはいけない気がしたのだ。 ああ、なんだろう、この、粘着くような気配は。 (こんなんじゃ、ここに植物は育たないよ……) くらり、目眩がした。それでも伝えないとという思いが勝って、ニワトコはなんとか源蔵の元へ戻った。 「おや、顔色が……」 「源蔵さん、あの場所の問題は養分じゃないみたい……急いで、夢幻の宮さんに、見せたほうが……」 「ニワトコさん!?」 まるで邪気に酔ったように気分が悪い。視点が段々定まらなくなる――ニワトコはそのままその場に座り込み、意識を失った。 *-*-* 「女五の宮が男を連れて滞在している?」 報告を受けた今上帝は眉を動かし、面白そうな笑みを浮かべた。 「庭師の体験をしていたら、庭で邪気にあてられ倒れたと? ふむ……『あれ』は子供の頃に作ったものだから、植物くらいにしか効果がなかったはずだが……その男、よほど敏感なのか」 面白いな、いつここへ連れてくるかな――呟いて今上帝は笑った。 *-*-* ニワトコが目覚めたのは意外と早かった。あの後夢幻の宮があの一画を調べた所、本当に微弱ではあるが邪気を発する陶器でできたプレートを見つけたという。通常庭師達が掘り返す位置より深く埋められていたそれは、だいぶ旧いものだということだった。そこにかけられた微弱な呪が植物を枯らし、成長を妨げていたのだという。 「ニワトコ様は植物としての部分で呪の影響をお受けになられましたが、人型であるからして、大事にならずに済んだのでございましょう」 寝台の上で上半身を起こしたニワトコを、夢幻の宮は悲しそうな瞳で見つめていた。この世界にはこのような危険もある。それは人間とて同じであるが、危険に触れさせてしまったことを気に病んでいるのだろう。 「ごめんね、お仕事放り出して。源蔵さんにもあやまらないと」 彼女の気持ちがわかるからこそ少しずつヒトの世界に、この世界に慣れていかなくてはならないそう思うニワトコだった。 「ニワトコ様、ありがとうございます!」 夢幻の宮の制止を振りきって再び庭に降りたニワトコの姿を見るなり源蔵は、相好を崩した。 「これであの場所でも植物が育てられる!」 「あの、ぼくは、なんにも……」 「いや、誰も気づかなかった異変に気がついてくれたんだ、お手柄お手柄!」 バンバンと背中を叩かれて驚いたが、喜んでもらえるのは素直に嬉しい。 「あのね、あの場所、今は養分が不足しているから、肥料を混ぜて土を柔らかくした方がいいかも……」 「おや、どこかで園芸でもなさってたんですか? なんなら、あの場所になにか植えてみます?」 「え、いいの?」 「その代わり、土を耕すところからですよ?」 「うん!」 源蔵としてもいきなり他の貴族の家に連れて行く訳にはいかないと思ったのだろう。だが、ニワトコは一生懸命に働いた。一画を任せられたことが嬉しくて、朝から日が沈むまで土を入れ替えたり肥料を混ぜたり耕したり。時折桶の中の水を分けてもらったり。光合成は主に仕事をしながらした。 「ヒトってとっても働くんだね」 最初は感心したようにそう言い、夕餉の時間もうつらうつらと船をこぐことがあった。けれども日数を重ねるごとにヒトとしての生活のペースにも段々と慣れてきて。一画の外観を整え、種を蒔く頃には時折様子を見に来る源蔵の敬語が抜けるほど溶け込んでいた。 *-*-* 「やっぱり教えてはいただけませんか?」 「うん、秘密だよ。でも咲いたら霞子さんに一番に見せてあげたいな」 種植えを終えた夜。 並べた御帳台に横になりながら眠りに落ちるまでの間語り合うのが日課になっていた。布団を並べて敷くより距離はあるけれど、0世界では得られなかったこんな時間がいつまでも続けばいいのに、そう思う。 (帰ったら、一人で寝るのが寂しくなりそうだなぁ) 横を向けば大事な相手がいて。寛いだ姿を見せてくれている。明日はどんな日か、何をしようか。そんな他愛のないことを考え、言葉を交わし合う幸せ。 (ああ、ひと所で一緒に暮らすってこういうことなんだ……) 定住の毎日は同じ事の繰り返しだと思った。けれどもそんなことなくて。一日一日は自分次第でどんな色にも変わるものなのだ、今身を持ってそれを体験している。 「明日からは香術師体験でございますね」 「うん」 夢幻の宮の仕事ということで興味を持った香術師。体験してみれば、彼女のことをもっと理解できるかもしれないと思う。 「わくわくするけど少し心配、かな」 未知の職業だけあって、不安を拭い去ることは出来なかった。 翌朝、ニワトコに用意されたのは狩衣と指貫。着つけてもらえばサイズがぴったりで、花橘殿でロストナンバー達に貸し出しているうちの一着ではないことがわかった。 「霞子さん、これ」 「はい。わたくしが染めて、縫わせて頂きましたニワトコ様専用の狩衣でございます」 「霞子さんが作ったの!?」 どうやらニワトコが庭師の仕事に精を出している間、夢幻の宮は染物と裁縫を行なっていたらしい。 「この世界では、夫の着物を上手く染め上げ、そして上手く縫い上げることが妻としての仕事にございます」 (妻、って……) 夢幻の宮は一般的な意味で言ったのだろうが、ニワトコの心は少しばかり跳ねた。 (そうか、一緒に暮らすってこういうことなんだ) 噛み締めると自然、笑みが浮かんできた。、 *-*-* 「はじめましてっ……」 「ようこそ。君が女五の宮の大切な方……で合っているかな?」 「はいっ」 緊張からだろうか、思わず即答してしまってから中務卿宮がくすくすと笑っていることに気がついた。隣の夢幻の宮は恥ずかしそうに扇で顔を隠している。 香術師の職業体験というのは簡単にできるものではないらしい。それもそのはず、国にとって重要な職業であるからだ。なので今回は夢幻の宮の同母の兄である中務卿宮の協力を得て、彼女の仕事の手伝いをすることになった。 (兄妹……かぁ) 状況の確認や説明をしている二人を見て、ニワトコは不思議な感覚を覚えた。自分にはそうした存在がない。けれども兄妹は似ていて、時折喧嘩はしても互いを思いやるものだというような一般知識は持ち合わせていた。 加齢の止まった夢幻の宮とは違い、歳をとった中務卿宮だがよく見ると、目元がよく似ている。そしてゆったりとおおらかに自分を受け入れてくれたところが似ている、そんな感想を抱いた。 「一番上の露姫が最近寝つけていないようでね。女房達も困り果てているらしい。よろしく頼むよ」 「かしこまりました」 案内を女房に頼んで自分の室へと去っていく中務卿宮の後ろ姿を見て、ニワトコは以前の報告書を思い出して口を開いた。 「ねえ夢幻の宮さん、露姫って確か」 「……ええ」 身分違いの恋に悩んでいる、その姫である。 「さすがに悩みの根本的解決はわたくし達にはできませんけれど、身体を休ませて差し上げることはできますから」 「そうだね。眠らないと、病気になっちゃうものね」 ふたりは香道具を手に、露姫のいる対へと向かった。 *-*-* 「楽になさってください」 夢幻の宮が塗籠に設置された御帳台に横になっている露姫へと声をかけている。ニワトコは夢幻の宮の指示通りに御帳台を囲んで香炉をいくつも設置した。今は炭に香を乗せるタイミングの指示を待っている。 (身分違い、かぁ) ヒトは随分と面倒だ。種族が同じでも、身分とやらで縛られている。植物ならば、同じ種類なら誰とでも恋ができるというのに。 (もしも、もしもぼくがここに帰属したら、ぼくたちの身分の差はどうなるんだろう) ふと、思い至ってしまう。 夢幻の宮はこの国の帝と血を同じくする、身分の高い姫の一人である。たとえ本人がその身分を捨てると宣言しても、流れる血までは変えられない。 反対にニワトコは、姿形こそ人間だが、ヒトでもなければ身分も持ち合わせていなくて。 「女五の宮様、私、眠りたくないのです……夢のなかが幸せすぎて、目覚めた時に訪れる絶望に耐えられそうになくて……」 告げる露姫は酷く苦しそうだ。夢幻の宮はそんな彼女を安心させるように身体をぽんぽんと叩いてやっている。 「大丈夫でございまする。夢をみることのないよう、深く深くお眠りいただけまする。目覚めた時には、身体の辛さは癒えておりましょう」 夢幻の宮がニワトコを見て頷いた。ニワトコは預かった小さな壺から練香を取り出し、ひとつひとつ慎重に香炉へと入れていく。 「――」 夢幻の宮が呪文を唱えている。眠りたくない、とごねていた露姫はもう瞳を閉じていた。 「術で先に眠って頂きました。先ほど焚いていただいた香りがじきに室内に充満し、彼女をより深い眠りに導いてくれるでしょう」 「ねえ夢幻の宮さん」 「はい」 立ち上がって塗籠から出ようとした彼女を、ニワトコは引き止めた。そして消え入るような声で問う。 「彼女に思いを遂げさせてあげることはできないのかな?」 「――難しゅうございましょう、わたくし達だけでは」 夢幻の宮は悲しそうに表情を崩し、呟きに答えた。 *-*-* その後、中務卿宮邸の結界調査や精神を落ち着かせる香の処方などを行うのを手伝ったが、ニワトコの頭からは身分のこと、露姫のことが離れなかった。 (せいいっぱいお願いすれば……ううん、それで解決するならもっと早くやっているよね) 「ニワトコ様、参りましょう?」 「うん」 屋敷を辞する時、ニワトコは今一度屋敷を振り返って。 (いまのぼくじゃなにも出来ないのかな……ううん、ヒトの世界に慣れるのが先決だけど) 「身分差、かぁ……」 ぽつり、呟く。夢幻の宮は勿論身分の差など気にはしないだろう。それはわかっている。だからといってニワトコも気にしないでいいというのは違う気がした。 (ヒトって難しい……大変だなぁ) 気がつくと、小さく息をついていた。 「お疲れですか?」 彼女が気を使って声をかけてくれたから。 「うん、すこしだけ」 小さく笑って答えた。 【了】
このライターへメールを送る