「……!」 シャハル王国へ入った途端、クローディア・シェルが目を見開いたのをコージー・ヘルツォークは見逃さなかった。「クローディアに一度、シャハル王国の景色を見せたかったんだ」 そこは一年中花の咲き乱れる国。豊かな緑の国。その景色を見て少しでも彼女の心が上を向けば、そう思っていた。「……すてき」 だから彼女が蚊の鳴くような声で漏らした感想に、飛び上がるほどうれしくなった。「コージーは、この国に何度も来ているの?」「ああ。地図を辿って何度か。だから案内するよ!」 馬車の揺れに紛れるように、クローディアは小さく頷いた。表情が少しばかり緩んだように見えたのを、コージーは見逃さない。 半分しかない地図を広げて、指をさす。「地図のここ、カローヴって街には近くに『星喰の丘』って呼ばれる場所と『白の平原』って呼ばれる場所があるんだ。 カローヴというその街にはシャハル王国特有の、花を使った花食(かしょく)を扱う料理店や、木材や枝、木の実を使った工芸店が多い。 他には『星喰の丘』と呼ばれる丘があり、そこは夜、花畑に星が降る様が見られるという。チューリップのような、逆釣鐘型とでもいえばいいのか、上を向いた花が降ってくる星を食べているように見えることからそう呼ばれるようになったらしい。星が降るのはこの時期は3日に一度ほどで、翌朝星を食べた花にたまる朝露は美容によく、良い化粧水となるという。他には飲み物に一滴垂らして飲めば、体の内部からも美を助けてくれるという。 朝露は街の者が採取して販売しているが、一区画だけ観光客が自由に採れるように開放しているという。 もう一つ、『白の平原』と呼ばれる場所があり、そこはまるで毛足の長い白い絨毯を広げたようだという。 その平原を構成しているのは綿毛である。タンポポのそれによく似た綿毛はそれ自体が花であるらしい。ふっと吹けば風に乗って飛んでいくが、平原に分け入ったくらいでは飛ばないという。どういう基準で反応しているかはわかっていないらしいが、その性質ゆえに花束やアレンジメントののアクセントに使われたりと重宝されているとか。 観光客がこの平原で、この花『ラヴァン』を吹いて飛ばして楽しんでいる姿がよく見られるという。「こっちはシャヴィットという街。シャハル王国を建国したとされている、伝説の女王ユララリア様を大々的に祀っていて、ユララリア様にまつわる品物とかをたくさん売っている」 それは絵姿だったり、童話だったり、ユララリア様のピンクの髪の祝福を受けたとされる枝垂れ桜に似たニシェックの大木があったりする。ユララリア様を祀る大聖堂もあり、そこで祀られているユララリア様の大きな絵姿と同じ格好をして絵を描いてもらうというのも人気だ。「ニシェックの樹の下でキスをすると幸せになれるって言い伝えがあるらしい」「きっ……!?」 コージーの言葉にクローディアは顔を赤らめて言葉に詰まったが、コードーの方はなぜ彼女がそんな反応を示したのかわからない。「だから、カップル客が多いんだよな……まあ、冷やかされるのを承知でカップル客は来ているみたいだけど」 街なかの大木だもんなーとコージーは以前見た光景を思い出して。クローディアはあくまでも観光地の説明をしているコージーを横目で見て、つまらなそうなホッとしたような顔をしたのだった。「あとはやっぱり王都ネスかな。王都というだけあってなんでもあるし、特別な庭園もある。いつも全部の庭園に入れるってわけじゃないみたいだけど」 王都にはたくさんの店がある。期間限定で旅商人に店舗を貸す施設などあるらしく、国中から色々なものが集まっているようだ。 それにくわえてやはり見どころは王城を囲むように四方に位置する庭園。 リンデン(菩提樹)の庭園、薔薇の庭園、夢見草(ゆめみぐさ)の庭園、蒼の庭園――期間によって一般公開されていない場所もあるが、その庭園は素晴らしいのだという。コージーはまだどの庭園にも入ったことはなかった。「クローディアはどこに行きたい?」「……全部素敵で選べないわ。コージーが選んで」「そうだなー……」 揺れる馬車の上で、ふたりは地図を覗いて旅程を考えるのだった。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>コージー・ヘルツォーク(cwmx5477)クローディア・シェル (cpmx1453)=========
最初に二人が訪れたのはカローヴの街だった。到着したのが夕方だったため、まずは『花食』を行なっているレストランで腹ごしらえをした後、二人は『星喰の丘』へと向かった。食事が終わる頃には丁度陽も落ちきっていて、丘に到着する頃には星が降り始めていた。 他の観光客を避けるようにして花畑の前へ立った二人。 「どうかな?」 コージー・ヘルツォークはそっと、隣に立つクローディア・シェルに尋ねる。先ほどのレストランでもそうだったが、彼女が楽しんでいるかが常に気になって、彼女が喜べばコージーも嬉しかった。 「……素敵ね。こんな光景、初めてよ。本当に……花が星を食べてしまっているみたい」 釘付けになったように、瞬きも忘れてその光景を見つめている彼女の横顔。うっとりと風景を見つめている彼女の顔は、今までに見たことがないもので。 (0世界じゃ、きっと見られなかっただろうなぁ) 連れてきてよかった、そう思うも少しだけ胸に引っかかる。それは彼女をうっとりとさせているのが自分ではなく(間接的には連れてきた自分なのだろうが)この風景だということ。 (……? なんでこんな事思うんだろ) その理由はまだ、コージー自身にもわからなかった。自然の風景に嫉妬するなんて。頭を振ってその思いを振り切ると、コージーはさり気なくクローディアの手をとった。 「!?」 彼女は驚いた顔をしてコージーを見たけれど、コージーにとってはその動作に他意はなく。 「クローディア、こっち。こっちの野原だと寝転んで星を見れる」 ただ、彼女とはぐれずに彼女を連れて行きたいから伸ばした手。それに気がついた彼女が少しがっかりした様子にコージーは気づかない。 「ここだよ、ここ。前に来た時に見つけたんだ」 星喰を見に来た観光客は、夜空が花畑に繋がっている光景を見たがるから、花畑とは繋がっていないけれども星空はよく見える場所というのはここでは空いている場所だった。今も、そこにはコージーとクローディアしかいない。数十メートル離れたところには星喰を眺める人達が多くいるのになんだか不思議な感じがした。 夜空を見上げて見れば、先程よりも空が近く感じる。コージーはどさっと腰を下ろし、草の香りのする褥に仰向けになった。クローディアは少し戸惑ったように立ち尽くしてから一つ頷き、スカートの裾を気にしながらコージーの頭がある近くにそっと座り込んだ。 頭の後ろで腕を組んで寝転がっているコージーから見ると、彼女の横顔がよく見える。 「0世界には夜がないだろ?」 「ええ」 「明るい昼も好きだけれど、静かな夜も好きだ」 「そうね……私も好きよ」 なんとなくこぼされた彼女の言葉に胸が跳ねた。なぜだろう。 「夜空の天幕がでっかくて、包まれているようで、安心するんだ」 「……安心……」 「これだけ降ると、本当にひとつくらい掴めそうだな」 思わず両手を伸ばし、星をつかもうとするコージー。そんな彼がおかしかったのか、彼と星空を見比べてクローディアはふっと笑みを零した。そして自分も少しだけ、手を伸ばしてみる。 「そんなんじゃ届かないよ? もっと、精一杯手を伸ばさなきゃ」 「こ、こう……?」 おずおずと手を伸ばすクローディアの姿がなんだか可愛い。きっとこんなことしたことがなかったのだろう。少し照れながら、彼女は手を伸ばしている。 「おれの故郷はヴォロスに雰囲気が近いんだ。故郷でも子供の頃、星がよく見える日に星に手を伸ばしたっけ」 「……変わらないのね、あなたは」 「あ、今、子供っぽいって思った?」 がばり、起き上がったコージーに、クローディアはゆるりと首を振って。花のような色をした彼女の髪が星の光を受けてキラリ、光った。 「違うわ、少し……羨ましくて」 「ん?」 「私は……変わってしまうから」 長い睫毛を伏せてしまったクローディア。コージーはそんな彼女も綺麗だなんて思ったけれど、きっと彼女は覚醒前や旅団にいた頃を思い出してしまっている、それはしっかりと分かった。 「クローディア。変わらないことが大切な場合もあるけれど、変わることのほうがずっと大変で、大切なことだとおれは思うよ」 「……」 「クローディアは何が怖いんだ?」 「……え」 直感で発せられたコージーの言葉に、クローディアは目を見開いて彼を見つめ返した。まるで、心の奥を見透かされて驚いている、そんな表情だ。 「変わるのが怖い? クローディアは二度生まれ変わっているんだから、変わるのは当然で、恐れることなんてないよ」 「二度……」 「一度目は覚醒した時だろ? 国家機密から世界樹旅団のクローディアに生まれ変わった。二度目は世界図書館に加わった時。ここでやっと、クローディアはただのクローディアになったんだろ?」 指折り数えて微笑むコージー。 「今のクローディアにこうでなければいけない、なんていう人はいないさ。だから、今までしたことのないこともたくさんできるし、したことのない顔もいっぱいできる。生まれ変わったんだから、変わるのは当たり前だろ?」 「……当たり前、そうね」 ポロッ……クローディアの紫の瞳から涙が落ちた。それは星のようにキラキラしていて。思わずコージーは掌でそれを受け止めた。 「だからさ、もっといろんな顔を見せてくれよ。泣き顔もいいけど、笑顔だったらもっといいな。たくさん笑って、たくさん喜んで、たくさん嬉しくなって。おれは、クローディアのそんな顔が見たい」 彼女が瞳を一瞬閉じると、ポロポロと大粒の星がこぼれ落ちた。星に手が届いた――笑んで言えば、彼女は泣きながら笑った。 *-*-* カローヴを発って数日馬車に揺られて、次に辿り着いたのは王都ネスだった。カローヴでリュックいっぱいに仕入れたはずの食料が途中で尽きてしまい、キャラバンに食料を分けてもらう代わりにコージーは力仕事をした。クローディアは何をして良いのか戸惑った様子だったが、子供の一人が彼女の持ち物の本に目を留めた所で彼女の仕事は決まった。子供達に自分の作った話を語って聴かせる役。勿論、危険のない話だ。 最初はぽつりぽつりだった話し方が段々と流暢になっていくとともに、子供達は話に引きこまれていく。コージーは話よりもこそばゆそうに子どもと触れ合う彼女の姿が新鮮で、仕事も忘れて見入ってしまった程だった。 (連れてきてよかった) 彼女に今までにない経験を、表情をさせられている、それが嬉しい。 「王都というだけあって……広いわね」 「はぐれると大変だな」 そう言って自然に彼女の手に手を伸ばしてみて、コージーは今までとは何かが違うことに気がついた。 (……! 柔らかい、温かい) クローディアはいつもはめていた白い手袋をしていなかった。手を握って初めて気が付き、なんだか動悸が激しくなる。手袋越しでも温もりは伝わってきたが、素肌はもっと暖かくて、すべすべしていて、そして柔らかかった。 「コージー?」 「あ、ごめんっ! 行こう。なにか旅の記念になりそうなものがあるといいけど」 彼女の手を引くコージーは、なんだか顔まで熱くなっている事に気がついた。 (一体おれはどうしたんだ……?) 「……ジー、コージー!」 「! あ、ごめん、何?」 「……もう少しだけ、ゆっくり歩いて欲しいの」 どうやらぐるぐる考えている間にいつもの歩調に成ってしまっていたらしく、足の長さが違うものだから彼女は小走りになっていた。 「ごめん!」 「ううん、いいの。そんなに急いでどうかしたのかしら?」 彼女はコージーの様子が変わった理由に気がついていないらしく、心配そうな瞳を向けてくる。だがまさか本当のことなど言えるはずもなく。ぐるり、今いる場所の確認も兼ねて辺りを見回すと、そこはアクセサリを売っている界隈だった。 「ぁ、ああ、クローディアに似合いそうなものがたくさんあるなぁと思って」 「……似合う、かしら」 同じようにあたりを見回して、顔を赤らめたクローディアが可愛い。コージーの頭からは自分の分の記念品なんてすっぽり抜けてしまって。ああでもないこうでもないと言いながら熱心に露台やショーウィンドウを見つめていた。 「よし、これください! つけていきます」 「まいどありっ!」 「あ、お金……」 財布を出そうとした彼女をコージーはすっと押しとどめる。 「記念としてプレゼントさせてくれな」 そしてすっと彼女の胸元につけたのは、フリルのような翅を持った蝶を模したブローチ。鮮やかな色合がとても綺麗。 「素敵……」 彼女がもっとブローチを見ようと下を向いたから、ブローチを付ける手に彼女の吐息がかかった。はっとしてコージーは手を引く。そっと吐息がかった箇所に触れてみれば、ほんのり熱を帯びていた。 「じゃあ、私からも……」 「え?」 差し出された紙包みを開けてみれば、そこから出てきたのは青い花が描かれた陶器のカフェオレボウル。いつ買ったのかと尋ねれば、さっきコージーが熱心にアクセサリを見ていた時だという。 「ありがとうな」 思わぬプレゼントに嬉しさ募らせるコージー。何の幸運か、ボウルを包んでいた包み紙の裏に探していた地図が描かれていたことに気がつくのは、もう少し先のお話。 *-*-* また数日かけて辿り着いたシャヴィットで、クローディアはユララリアに扮して絵を描いてもらった。コージーはその間、飽きもせずにずーっと彼女を見つめていた。 (本物の女神様みたいだ) 天井のステンドグラスから注ぐ光が、彼女をより一層神聖なものたらしめていた。 そのまま連れ出したい――その思いからダメ元で尋ねたら、クローディアがあまりにもユララリアに似ているから、特別に衣装は貸してくれるという。その言葉に甘え、コージーはエスコートするように彼女をニシェックの樹へと連れて行った。道中彼女の姿を見た人々が声を上げていたが、このような状態に慣れているのだろうクローディアは動揺もせずにしっかりと歩いていた。 「末永くお幸せにー!」 樹の下でキスをするカップルたちを祝福していると、いつの間にか人々の視線に取り囲まれていることに気がついた。 「にーちゃん達はキスしないの?」 「きっ……!?」 小さな子供のその指摘にクローディアが初めて動揺を見せた。それを見た見物客達が、面白そうに囃し立てる。 キース、キース!! 「そ、そんなことっ……でき」 「クローディア、こっち向いて」 「え?」 顔を真赤にして抗議しようとしていた彼女の頬に軽く、触れるだけのキス。 暫くの間彼女は何が起こったのかわからないようだったが、観客の歓声とブーイング(頬だったから)を聞いて今起こったことを悟って、更に真っ赤になる。 「なっ……なっ……」 「クローディアが可愛かったから」 少しだけ悪戯っぽく笑って言い訳。、 「っ……」 口元を抑えたクローディアを見て、コージーはなんだか答えが見つかった気分だった。ここ数日間時間を共にすることで、沢山の表情をみたことでわかったことがあった。 (おれは、クローディアが好きなんだ) 一人でこの国を旅している間も彼女に見せたいな、好きそうだな、と思い起こすことが多くて。彼女はいつの間にか、コージーの心にいて。 コージーは騒ぎを見物に来ていた花売りの少女から花を一輪買い求め、そしてクローディアの前に跪いた。そして、花を差し出す。それはまるで、初めて出会ったあの時の再現のようだった。 「これはおれの気持ち」 初めて会った時の再現だと気がついたのだろう、クローディアは少し唇を噛み、そして花を受け取る。 「いつか、はっきりと言葉で教えてほしいわ」 そう言って笑った彼女は、今までに見たどの彼女よりも美しくて、そして身近だった。 (ああ、いつの間にかじゃなくて、最初から心にいたのかもしれない――) 観客達の歓声の中、コージーは眩しそうに目を細めた。 *-*-* このやり取りが、後々この街で『ユララリア様の再臨と女神様の求婚者』と呼ばれて新しい街の名物になるのは、また別のお話。 【了】
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