それはのどかな昼下がり。といってもターミナルの空には変化がないから、だいたい時間として昼下がりあたりだ。 メアリベルはとある施設を訪れていた。 その名は「追憶Lab.」。ツーリストのウルリヒ・グラーニンが所長を務める研究所である。「ごきげんようミスタ。今日はお茶しにきたの」「歓迎しますよ、レディ。ああ、ですが困りましたね。飲み物はインスタントしか置いていないのです」「構わないわ」 そして白いタイル張りの床を歩いて通されたのは、所長室というプレートの下げられた部屋だった。 書類の乗った机と椅子、ソファーセットに本棚という一般的に部屋だったが、あまり使っていないのだろうか。否、ソファだけは使っているようで、白衣が掛けられていた。もしかしたらこのソファで仮眠でもとっているのかもしれない。 ウルリヒはさっと白衣を取り去ると、メアリベルにソファを進める。メアリベルはちょこんと腰を掛け、その隣にミスタ・ハンプも腰を掛ける。「確かこのへんに……ああ、賞味期限は大丈夫のようです」 机の引き出しからウルリヒが、取り出した箱のホコリを払う。少し不安になる仕草だが消費期限が大丈夫なら平気だろう。「紅茶と珈琲を1つずつ」 机の上の受話器をとって誰かに告げると、ウルリヒは箱ともう一つ缶を持ってソファに座った。そして蓋を開ける。 箱には煎餅の詰め合わせが、缶にはクッキーの詰め合わせが入っていた。賞味期限さえ平気なら、美味しそうな品である。「綺麗なお皿とかあればよかったんですけどね、あいにくここは研究所ですので」「メアリは気にしないわ」 研究所だと知って訪れたのだから、豪華なティーセットなどはなから期待していない。メアリベルがクッキーの袋に手を伸ばした時、ノックの音がして助手らしき女性が飲み物を運んできた。 インスタントの珈琲と紅茶が湯気を上げて二人の前に置かれる。 不思議な不思議なお茶会の始まり。「ミスタは何故この仕事をしてるの? ヒトガタ遣いというけれど、元の世界でも同じ仕事をしてたの?」「ええ。元の世界でも同じ仕事をしていましたね。別の仕事もしていましたけれど……戦の多い世界だったもので、傷病兵やホームシックにかかった兵士にヒトガタを使って会いたい人に会わせてあげるのが主でした」 ウルリヒの言葉を聞いて、メアリは少し考えるように黙りこむ。クッキーを口に咥えてパキッと割って、咀嚼して飲み込んだ。「ホント言うとね、メアリ、誰かに会いたいって気持ちがわからないの。何故ヒトがそう望んで、よく似たニセモノを求めるのかわからないの。ミスタとお話できればそれがわかるんじゃないかって……そう思って、来たの」「そうですね、あなたと同じようにおっしゃる方も多いですよ。私が提供するのはあくまで偽物。偽物は偽物の域を出ませんから。けれどそれでもやはり欲してしまう心をヒトというのは持っているのだと思います」「思い出ってそんなに大事? 忘れられたくなければ殺しちゃえばいいのに。そうしたら永遠にメアリのもの」「極論ですね」 クス……ウルリヒは口元に笑みを浮かべてメアリの言葉の続きを待った。「ねえ。メアリ、ミスタの事が知りたいな」 メアリベルは忘却の唄。 彼女の愛は殺すこと。「せっかく来てくださったのですからね、昔話でもなんでもお答えできることでしたら。なにからお話しましょうか?」 そうしてメアリベルとウルリヒの問答が始まる……。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>メアリベル(ctbv7210)ウルリヒ・グラーニン(cnap1669)=========
インスタントの珈琲と紅茶に引き出しの奥にしまわれていた煎餅とクッキー。急遽設えられたお茶会は、ソファに腰を掛けたメアリベルの質問で始まっていた。彼女の座っているソファの斜向かい、机を背にして置かれた一人がけのソファに腰を掛けたウルリヒ・グラーニンは、穏やかな表情を浮かべていた。 「ミスタはなんでヒトガタのデータを集めてるの?」 「研究のためですよ」 「やっぱり、無料奉仕じゃなくて実験の一環なんでしょ」 「そうとも言えますが……」 「淡白そうに見えて、胸に秘めた野望でもあるのかしら?」 メアリベルの、穏やかではあるが切り込むような質問を受けても、ウルリヒは表情を崩そうとはしない。 「あなたはどう思われますか?」 「ミスタ、質問に質問で返すのはマナー違反だわ」 「おっと……それは失礼」 彼としてはこの質問に答えてくれる気はないらしい。掴みどころのないやり取りで、話をそらされてしまったような気がする。メアリベルは足をぷらぷらさせて、話題を変える。 「メアリは口伝に上らず忘れ去られた唄。だから故郷を懐かしんだり、家族と引き離されて哀しむロストナンバーの気持ちがわからない」 「……ふむ」 メアリベルはいつの間にかここにいた。だから、本人にすらわからないことも多い。 「でもね サビシイに近い気持ちならなんとなくわかる」 メアリベルは悲しい歌を口ずさむように言葉を連ねていく。 「誰もメアリを唄ってくれない。 皆がメアリを忘れてしまう。 それはきっと、サビシイ事」 「そうですね。忘れる方は忘れてしまえば自分の中では全て無かったことになってしまう。けれども忘れられる方は、身を引きちぎられるような悲しみを伴うものです」 「ねぇ、ミスタは忘れられたことはある? 身を引きちぎられるような思いをしたことはあるの?」 幼子特有の無邪気さと残酷さを併せ持ったようなメアリベルの問い。ウルリヒは表情を変えることなく、「ありますね」と穏やかに答えた。 「親に、友人に、恩師に、恋人に、同僚に――」 「そんなにたくさん?」 「先に逝かれてしまうというのも『忘れられてしまう』うちに入ると思いませんか?」 「だったらメアリは、たくさん『忘れさせて』しまったのかもしれないわ」 メアリベルはクッキーに手を伸ばし、うさぎの形をしたそれの頭を咥えるとパキッ……首から折って咀嚼する。 「ミスタがヒトガタを使うなら 誰に会いたいと念じる?」 「私、ですか?」 「家族、恋人、友人――愛する人はいたの?」 「私は、戦災孤児なのですよ」 メアリベルの質問に、ウルリヒは相変わらず表情を変えずに答えた。続けるのは彼の生い立ち。 「戦の多い時代に生まれたもので、幼い頃両親を亡くし、国に引き取られました。私のいた世界は魔法を使える者と使えない者に分かれていまして、私は魔法を使える側の人間でした。使えた魔法もその国では珍しい部類に入るものでしたから、国の待遇も良い方でした。運が良かったのですよ」 「じゃあミスタはなんでヒトガタ使いになったの? その魔法さえ使えれば、生活の保証はしてもらえるのでしょう? そう聞こえたわ」 「そのとおりですね」 ウルリヒは足を組んで膝の上に手を乗せ、メアリベルの言葉を肯定する。その仕草は非情に優雅なものに見えた。 「けれども、言われるがままに魔法を行使し続ける事が嫌だったのですよ。もう少し自分の持てる能力と技術を高めたかったとか、人の役に立ちたかったとか言えば聞こえがいいですが」 「……が?」 「ただ単に、自分の野望を実現させたかっただけかもしれません」 「その野望は、教えて貰えないのよね?」 メアリベルの言葉に、ウルリヒはごまかすように笑顔を浮かべた。 「ですがなにもかも秘密というのは失礼ですからね。これはお答え致しましょう。私がヒトガタを使うなら、会いたい人はおりますよ。人の記憶を操るごとに自分の心を狂わせていった、脆い心の少女に会いたいと思います」 「それはミスタの恋人?」 遠い目をしたウルリヒに、メアリベルがポツリと零した。ウルリヒは少しばかり間をおいて、口を開く。 「よき友人ではありましたが、恋人かと聞かれると返答に困りますね。彼女は誰からも好かれ、誰からも愛されていましたから」 「ミスタの片思いだったの?」 「……そうかもしれませんね?」 歯に衣着せぬ問いかけに、ウルリヒはいたずらっぽく笑ってみせた。 *-*-* メアリベルはぬるくなった紅茶を口に含み、ゆっくり飲み下す。インスタントでもそこそこ美味しい紅茶だった。煎餅の詰め合わせの中から、小さな煎餅が詰まった小袋を選び出して開ける。一つ口に放り込めば、醤油の香ばしい香りが口内を満たした。 「ミスタ」 「はい」 煎餅を嚥下してから、メアリベルは再びウルリヒに視線をやった。珈琲を飲んでいた彼はカップから顔を上げる。 「ミスタの一番大切な記憶は何? メアリは今、一番をさがしてるの。ずうっとかくれんぼしてるメアリのお歌が見つかれば、それがきっと一番になるわ」 「一番大切な記憶ですか……難しい質問ですね」 カップを置いてウルリヒは、考えるように表情を変えた。 「……ヒトガタを使って会いたいと思うほどならば彼女との記憶が一番なのかもしれませんが、ぱっと出てこないということは今の私には一番はないのでしょう」 「メアリと同じ?」 「そうですね。けれどもメアリベルさんの一番は、きっといつか見つかると思いますよ」 「ほんと?」 「ええ」 言い募るメアリベルを微笑ましそうに見つめ、ウルリヒは再び膝のあたりに手を置いた。 「ミスタが言うなら信じるわ! メアリ、頑張ってメアリのお歌を探すわ! だからミスタ」 「?」 「メアリが頑張れるように、ミスタの翼を見せて。メアリ、ミスタの翼が見たい」 「ああ……わたしの翼などで良いのですか?」 くす、と笑ってウルリヒ。彼はゆっくりと立ち上がり、メアリに背を向ける。 メアリベルがワクワクして白衣の背を見つめていると、だんだんとその背が光を帯びた水色に輝きだして。 ふわっ。 いっきにその輝きは広がって、メアリベルの目を刺激する。思わず瞳を閉じても、瞼の裏にまで水色の輝きが染みこんでくる。 ばさっ……。 翼の羽ばたく音が聞こえて、光が収まったのも確認して。メアリベルはゆっくりと瞳を開いた。すると、目の前には硝子のような薄水色の羽根が展開されていて。 「わ……」 意図せずして声が漏れた。 光の粒を結晶化させたようなその美しい翼は、メアリベルの視線よりも若干高い位置に広げられている。 「きらきらしててとっても綺麗。青く冷たく透き通った……まるでクリスタル」 思わず立ち上がったメアリベルは、ふらふらとウルリヒへと近づいて。すると翼を見上げる形になったメアリベルの眼前に、きらきらと水色の光がこぼれ落ちてきた。 「触ってもいい?」 壊しはしないから安心して、そう付け加えると、翼がメアリベルに近づいてきた。 「どうぞ」 ウルリヒがしゃがんで、メアリベルの手が届く位置に翼が来るように調整してくれたのだ。メアリベルはそっと、小さな手を伸ばした。 ふわりというよりもすべすべとした肌触りの羽根。もこもこというよりもつるつるとした感触。温かいというよりもひんやりと感じるそれは、不思議な翼だった。メアリベルが呟いたように、まるでクリスタルのようで。 「この翼は普通の鳥さんとかの翼と違うのね」 「そうですね。私の魔力が源ですから、私の体質も影響しているのかもしれません」 「ミスタの世界では、みんな羽根を持っているの?」 「魔法を使える者は多かれ少なかれ翼を持っていますね。形や大きさは、その人の魔力や体質に左右されますが」 「たぶんだけど、メアリはね」 メアリベルが言葉を切ったので、ウルリヒはそっと振り返った。 「他のどの人の翼よりもミスタの翼が一番好きだと思うわ」 「それは……ありがとうございます……!?」 可愛い賛辞にウルリヒは笑ってみせた――が、次の瞬間その表情は固まった。 自分の頭より低い位置にあるウルリヒの顔をじっと見つめ、メアリベルはその顎に小さな手をかけたのだ。まるで青年が、少女にキスを落とす直前のように。 はらり……ウルリヒの左頬を隠していた前髪が横へと落ちる。顔にフィットするタイプの銀色の仮面が、より顕になって見えた。 「ねえ ミスタの仮面の下はどんなお顔? なんで隠してるの? 何か理由があるのかしら」 「あまり人にお見せするものではないからですよ」 目を細めて歌うように見つめてくるメアリベル。ウルリヒはいつもの穏やかな表情に戻りながらも、少し緊張しているようでもあった。 撥ね付けることはいくらでも出来るはずだ。彼が立ち上がってしまえば、メアリベルの身長では顔まで手が届かないのだから。だが、ウルリヒはそうしなかった。 「お願い、メアリにだけ、こっそり見せて頂戴」 「……」 「ただがダメなら、メアリが髪を結んでるリボンをあげるわ」 しゅるり、メアリベルは片手で器用にベルベットのリボンをほどいて、ウルリヒに差し出した。 「お気に入りだけど、また捜せばいいもの」 にこり、笑んでメアリベルがリボンを差し出すと、ウルリヒは困ったように眦を下げた。 「見世物ではないので、対価云々の話ではないのですが……」 「ミスタのお顔がフツウと違っても気にしない。だってメアリもフツウじゃないもの。仲間ができて嬉しいわ! それにそっちの方が楽しいし」 くるり、ウルリヒの顎から手を離して、メアリベルはスカートの裾を翻して楽しそうに笑う。その小さな心臓は、ワクワク感で張り詰めていた。 「メアリが思うに、フツウって最大公約数の事なのよ」 「……仕方がありませんね」 明るくせがむメアリベルに、ウルリヒは根負けしたとばかりにため息を付いて。ベルベットのリボンを受け取って器用に自分の手首へと結んだ。とりあえずなくさないための処置だろう。 「約束してくれますか? 仮面の下に見たものは誰にも話さないと」 「ゆびきりげんまん。誰にも言わないわ。二人の秘密ね」 「ゆびきりげんまんです」 小さな指に小指を絡めて、約束。期待に満たされた瞳がウルリヒを襲っている。 ゆっくりと、彼は仮面に手を伸ばし、そしてゆっくりと、銀の覆いを外した。 「わぁっ……」 その下から現れたのは、まるで水晶の塊だった。仮面で覆っていた部分が全て、水晶化しているのだ。瞳だけが、他よりも濃い水晶になっている。 「気味悪くはないですか?」 「全然っ。すごく綺麗よ」 「けれども『普通』と違いますからね。隠しておかねば恐れる人もいるのです」 ウルリヒは若干寂しそうに呟き、顔の右側だけで笑ってみせた。 「これもミスタの魔力が関係しているの?」 「そうと言われていましたね。私はいささか、魔力が強すぎて、しかも量が多すぎるようなのです」 莫大な魔力を抑え込めずにいたら、だんだんと身体を魔力が侵食し始めたということだろうか。何れにしても『普通』ではない。 「ミスタはメアリのお仲間ね」 「そうですね。これは秘密ですよ?」 「わかってるわ、この秘密、お墓まで持って行くわ」 「約束ですからね」 外した時より慎重に、ウルリヒは仮面をはめていく。水晶化した部分が外に現れていないとを確認して、彼は立ち上がった。 「お茶会の続きをしませんか? 新しい紅茶を持ってこさせましょう」 「お願いするわ。メアリ、まだクッキー全種類食べていないのよ」 メアリベルはミスタ・ハンプの隣に再び腰を掛けて、クッキーへと手を伸ばす。それを微笑ましく見つめながら、ウルリヒは机の上の受話器を手にとって告げた。 ――紅茶二つ。 「せっかくだから、おそろいにしてみようと思いましてね」 そう言って、彼はメアリベルが手にしているのと同じクッキーを手に取って微笑んでみせた。 「素敵だわ!」 程なくして湯気を上げたティーカップが二客届く。 お茶会はまだまだ続くようだった。 【了】
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