窓の外はどこまでもつづく虚無の空間「ディラックの空」。 ロストレイルは今日も幾多の世界群の間を走行している。 世界司書が指ししめす予言にもとづき、今日はヴォロス、明日はブルーインブルー……。大勢のコンダクターが暮らす壱番世界には定期便も運行される。冒険旅行の依頼がなくとも、私費で旅するものもいるようだ。「本日は、ロストレイルにご乗車いただき、ありがとうございます」 車内販売のワゴンが通路を行く。 乗り合わせた乗客たちは、しばしの旅の時間を、思い思いの方法で過ごしているようだった。●ご案内このソロシナリオでは「ロストレイル車中の場面」が描写されます。便宜上、0世界のシナリオとなっていますが、舞台はディラックの空を走行中のロストレイル車内です。冒険旅行の行き帰りなど、走行中のロストレイル内のワンシーンをお楽しみ下さい。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・ロストレイル車内でどんなふうに過ごすかなどを書いて下さい。どこへ行く途中・行った帰りなのか、考えてみるのもいいかもしれません。!注意!このソロシナリオでは、ディラックの落とし子に遭遇するなど、ロストレイルの走行に支障をきたすような特殊な事件は起こりません。
ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノは、相棒と呼ぶべき馴染んだ小脇差を握り込む。 チリチリと神経を刺激する《気配》を探りながら、呼吸を整え、真っ直ぐに正面を見据えた。 勝負は、一瞬。 上昇する心拍数を収めるように、クッと息を詰めて、 「覚悟ぉ――っ!」 がごっ。 「!?」 振り上げた手の先で、いやに場違いな音がした。 「は、れ?」 次いで、微妙な手の感触。 自分のよく知る景色、けれど先程まで自分がいた場所とはまるで違う景色が目の前にある。 「な、なんじゃ……あやつはどこ、に?」 広がる荒野の代わりに等間隔でボックス席が並ぶレトロな内装が展開され、襲いかかってきた盗賊の代わりに見回りに来ていた車掌が床に転がっていた。 そして、その成り行きを無言のままに見つめる人々の視線。 痛いほどの沈黙と注目。 ここはロストレイル。 ジュリエッタは今、眠りの世界からようやくの帰還を果たした。 「なんと! すまぬ! だ、大丈夫かの!?」 だが彼(?)は悲鳴らしいものひとつあげず、むくりと無言で起き上がる。 「運行には支障はありません」 「いや、そうではなく、そなたの状態なのじゃが」 「支障ありません」 「いや、しかしだな」 「どうしたんですか?」 噛み合わないやりとりに、ワゴン販売の巡回中だったらしいマナが目をしばたいて声を掛けて来てくれた。 「おお、マナさん」 実は…と切りだすジュリエッタの事の顛末に、彼女はふわりと微笑んだ。 「今回の依頼は随分と大変だったのでしょう? 仕方ないですよ」 「しかし、いくら寝ぼけていたとはいえ、いや、むしろ寝ぼけての所業であらばこそ言葉だけの詫びではわたくしの気が済まんのじゃ」 はたと妙案を思い付く。 「そうじゃ、ここはひとつ、食堂で働いて返すというのはどうじゃろう?」 「そんな、お客様にそのようなことをしていただくわけにはいきません」 「なに、本職には到底かなわんじゃろうが、これでも料理は得意なほうじゃからのう。手伝うことで多少なりとも罪滅ぼしができようというもの」 特に本日のロストレイル車内はいつにもまして乗車人数が多い。おそらく食堂車もなかなかも混雑ぶりを示しているはずだ。 「分かりました。では少々お待ちいただけますか?」 かくして、16歳の少女はセーラーファッションから白いコック服へ着替え、乗客でありながらキッチンスタッフへと華麗なる転身を遂げた。 列車内は非常に凝っており、ゴシックテイストな装飾が目を引く。 食堂車も例外ではなく、通路を挟んで左右に並ぶテーブルには純白のクロスが掛けられ、セピア色の壁にはユリを模したランプが穏やかな光を天井に向けて放っている。 「さあ、こちらですよ」 「ほほう、ここなのじゃな」 そんな光景につい見とれつつ、ジュリエッタは、マナに案内されるままに奥に設置された厨房へと足を踏み入れた。 そこは、漠然と想像していたよりもずっと本格的な設備だった。 しかも皆が皆洗練された動きをしており、せわしない割には耳障りな騒音がない。 「ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノと申す。ターミナルに着くまでの間、共に働かせていただくのでよろしく頼み申す」 その挨拶に、スタッフ達はそれぞれに顔を上げてにっこりと笑い、 「それじゃさっそく頼もうかな」 さらりと仕事の指示を与えてきた。 「了解した。この冷蔵庫から取り出せばよいのだな」 業務用として設えた銀色のいやに大きな冷蔵庫は、確実にジュリエッタの一人や二人は軽々としまい込めそうだ。 「ここの三段目じゃ、な――っ!?」 思わず、冷蔵庫の扉をぴしゃりと閉じる。 中で、うじゅる…と何かが蠢いていた。 銀色の大きなボウルの中で、何か軟体動物的な触手がいくつもうごうごしていた。 「……な、なんだったんじゃ、アレは」 全身に立った鳥肌はそう簡単に消えてくれそうもなかったが、これしきのことで根をあげるなど言語道断だ。 「いざ、参る!」 勇気を振り絞り、乙女の恐怖心をねじ伏せて、果敢にも再び冷蔵庫のドアを開放。 ひと抱えはあるボウルの中身を極力見ないようにして、ソースを作るコックの傍にゴトリと重々しくソレを置いた。 「お、お待たせなのじゃ!」 「ありがと」 彼は慣れた手つきでボウルの中の物体を素手で鷲掴み、まな板の上に置く。 鮮やかな包丁捌きはきっと見物だろうが、直視するだけの勇気を振り絞るより先に別のところから声が掛かる。 「おーい、こっちの鍋、ちょっと見てて」 「了解した!」 大きな寸胴に刺さる大きな銀色のおたまを選手交代で握りしめ、中を覗き、 「……うっ」 そっこう後悔した。 真紫の液体に浸かったエビと言えなくもないがエビではあり得ない十個の眼を持つソレが幾体も鍋から一斉にこちらを見つめている。 その他にも、皮むきだと言われてギチギチと動く深海魚らしきものを渡され、水洗いを頼まれれば巨大水クラゲを与えられ。 まともな食材を扱う気がないのか、自身が持つ常識の範囲内で収まるオーダーが入らないだけなのか、厨房は見てはならない食材のオンパレードだった。 だが、やると決めたからにはやり遂げる。 飛び込むいくつもの指示をこなすべく気合いを入れ直し、ジュリエッタはひたすら視覚の暴力的生物相手に奮闘し続けた。 それでも若干気が遠くなりかけた頃、ふと、甘やかな香りが鼻先をくすぐった。 「あ」 「やあ、こっちを頼むよ」 呼ばれた先は、デザート部門だった。 星型になった白いフルーツや丸くくり抜かれた透明感のある赤や黄色の果肉が、ガラスの器の中でシロップと一緒にゆるゆるとかき混ぜられている。 これまで見てきたどの料理よりも色鮮やかで可愛らしい。 「ここに、コレをちぎって入れて」 「わたがし?」 「モフトピアのある浮島で取れる綿菓子ならぬ雲菓子、パチパチサンダーだよ」 「ぱちぱちさんだ?」 「おしい。さんだじゃなくてサンダー。入れたら名前の由来が分かるよ」 「う、うむ」 言われるままに、雲菓子をもふもふと指先でちぎってガラスの中に落としていく。 途端。 「なんと!?」 勢いよく火花が散った。 「はい、そのまんま新鮮なうちに運んでね」 「うむ!」 こんなにも可愛らしい料理を頼むのは一体どんな客なのだろうとドキドキしながら食堂へと運びに出たのだが。 そこで待っていたのが厳つい外見の岩男だというのもまたお約束のひとつなのかもしれない。 そうして、片づけを含むすべての作業がひと段落する頃、スピーカーを通して車掌の抑揚のない声がもう間もなくターミナルに到着する旨を伝えてきた。 ほっと息をつくと、料理長から声が掛かる。 「お疲れ様。はい、手ぇ出して」 「え」 言われるままに出した掌に、個装されている小鳥型のマドレーヌが載せられた。 「受け取るわけにはいかぬ。これはそもそもがわたくしのしでかした不始末の」 「でも頑張ったんだから、まかない料理のおすそ分けってことで受け取って」 優しいその言葉に、ジンと胸が熱くなる。 礼を言って、深々と頭を下げて、車掌とマナにももう一度声を掛けてから、 「なかなか貴重な経験ができたのう」 心地よい疲労と満足感をも抱いて、ジュリエッタはロストレイルを降り、帰路につく。 その夜。 もらったマドレーヌを食べた途端、ジュリエッタの背中に小さな羽が生え、おかげでちょっとした天使騒動が起こることになるのだが、ソレはまた別のお話。 END
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