オープニング

 ブルーインブルーでしばらく過ごすと、潮の匂いや海鳥の声にはすぐに慣れてしまう。意識の表層にはとどまらなくなったそれらに再び気づくのは、ふと気持ちをゆるめた瞬間だ。
 希望の階(きざはし)・ジャンクヘヴン――。ブルーインブルーの海上都市群の盟主であるこの都市を、旅人が訪れるのはたいていなんらかの冒険依頼にもとづいてのことだ。だから意外と、落ち着いてこの街を歩いてみたものは少ないのかもしれない。
 だから帰還の列車を待つまでの間、あるいは護衛する船の支度が整うまでの間、すこしだけジャンクヘヴンを歩いて見よう。
 明るい日差しの下、密集した建物のあいだには洗濯物が翻り、活気ある人々の生活を見ることができる。
 市場では新鮮な海産物が取引され、ふと路地を曲がれば、荒くれ船乗り御用達の酒場や賭場もある。
 ブルーインブルーに、人間が生活できる土地は少ない。だからこそ、海上都市には実に濃密な人生が凝縮している。ジャンクヘヴンの街を歩けば、それに気づくことができるだろう。

●ご案内
このソロシナリオでは「ジャンクヘヴンを観光する場面」が描写されます。あなたは冒険旅行の合間などにすこしだけ時間を見つけてジャンクヘヴンを歩いてみることにしました。一体、どんなものに出会えるでしょうか?

このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、
・あなたが見つけたいもの(「美味しい魚が食べられるお店」など)
・それを見つけるための方法
・目的のものを見つけた場合の反応や行動
などを書くようにして下さい。

「見つけたいものが存在しない」か、「見つけるための方法が不適切」と判断されると、残念ながら目的を果たせないこともありますが、あらかじめご了承下さい。また、もしかすると、目的のものとは別に思わぬものに出くわすこともあるかもしれません。

品目ソロシナリオ 管理番号1456
クリエイター阿瀬 春(wxft9376)
クリエイターコメント こんにちは。
 ジャンクヘブンでふらふらのんびり、お散歩、してみませんか。
 市場で鮮魚を探すのも、路地裏の隠れ家的お店を探すのも、異世界で少しの間迷子になってみるのも、青い空の下でなら、きっと楽しいはずです。

 ご参加、お待ちしております。

参加者
セルヒ・フィルテイラー(cwzt1957)ツーリスト 女 31歳 教師

ノベル

 澄んだ翠玉の色した眼が、どこまでも青い海を映して輝く。暖かな潮風に鮮やかな紅の髪が揺れる。先の尖った耳が上機嫌な鼻歌に合わせるようにぴこぴこ動く。片腕に掛けているのは、両腕で抱えるほどの大きなバスケット。
 中身は焼きたてパンに燻製肉と香草を挟んだもの、魚や海老のすり身の揚げ物、燻製卵に天日干しの烏賊に貝、絞りたて果汁の瓶詰め。市場で選りすぐったお惣菜がめいっぱい詰まっている。
 セルヒ・フィルテイラーは、穏かな波の寄せる桟橋を軽い足取りで歩く。時折跳ね上がる波飛沫を小さく跳ねて避けてみたり、うっかり避け損ねて服の裾をしょっぱくしてしまったり。歩みが乱れる度に、セルヒはくすくすと少女のような笑みを零す。
 海辺の住宅街に沿って渡された長い桟橋の半ばで、ふと気付いたように瞬く。取り繕うようにこほんと咳払いをする。弾む足取りを何とか抑えて、落ち着きのある大人の女性らしく淑やかに歩いてみる。けれど高く跳ね上がった波飛沫を頬に浴びてしまえば、慎ましく澄ました頬はあっと言う間に笑み崩れてしまう。
(――海!)
 桟橋のすぐ下に、海がある。透明な海水の白砂の底、銀色の鱗を眩しい陽に煌かせ、小魚の群が泳ぐ。
 岩肌にしがみつくような家の白壁のすぐ下にも海。窓辺に座った恰幅のいい女が真剣な眼差しで窓の外へと釣り糸を垂らしている。
 セルヒが投げる視線の先にも、海。どこまでも広がって、緩やかななだらかな水平線のその先で青空と溶け合う海。白い波と陽の光揺れる海を、白い帆を何枚も掲げた帆船が幾隻も渡っていく。刷毛で描いたような筋雲の傍を、白い海鳥が鳴き声響かせながら飛んでいく。
 セルヒの居た世界では、海は遥かな未開の地だった。ブルーインブルーの人々のような遠洋航海技術を持ち合わせていなかった。それでも造船技術は向上しており、人々はいつかは冒険の海へと旅立つその日を間近に感じてはいたが――
(ここの航海術を私の世界へ持って帰れたら大騒ぎでしょうね)
 元の世界で教職に在ったセルヒはついそう思ってしまう。
 鮮やかで明るい海は、心を浮き立たせもしてくれたけれど、同時に小さな漣ももたらしてしまう。――自分が三十年以上生きてきた故郷から不意に放り出され、挙句世界さえ違えて迷子になってしまったことに対する、寂しさと不安。
(大人になっても、迷子の不安と寂しさって変わらないのね)
 元の世界を見つける確固とした方法は見つけられていない。セルヒに出来るのは、図書館に納められた報告書を読み漁り、あちこちの異世界を旅し、自身の世界の手掛りをただひたすらに探すことだけ。
 小さな小さな、溜息を零す。世界図書館のみんなが嫌いなわけじゃない。色んな世界を巡るのだって、あちこちの遺跡を冒険して回っていたあの頃のようにわくわくする。
(それでも、……)
「お客さんかいー?」
 海の彼方へと投げた視線を戻せずにいたセルヒを、明るい声が引き戻す。声の方へと顔を向ければ、窓辺から釣り糸を垂れていた女が手を振っている。
「あっ、はい!」
 女の居る窓の脇の扉には、近くに寄らなければ分からないほどに小さく簡易的な、酒屋を示す看板。
「こんな見つけにくい所によく来たねえ」
「市場で、ここが穴場だと人に聞いて」
 酒屋の女将と言葉を交わしながら、セルヒは桟橋を渡り切る。女将は窓を離れ、扉を開けてセルヒを迎え入れる。

 片手でよいしょと提げたバスケットには、セルヒ一人では食べきれないほどのお惣菜とジュース、もう片手には穴場の酒屋のとっておきの地酒。
 海沿いに設けられた、入り組んだ線路にも見える桟橋の群を渡って、幾つかの路地を抜けて、セルヒは小さな港に辿り着く。
 石を積んだ港からは何本もの桟橋が海へと延びる。桟橋の端に何隻も泊まる小さな帆船は、沖合いの巨大な白鳥のような帆船に向かう艀だろうか。魚や酒や水の入った樽が満載の台車を曳いて、巨大な木箱を二人がかりで抱えて、真っ黒に焼けた男達が港を忙しげに行き交う。
「さて、と」
 働く海の男の達の邪魔にならないよう、港の端の端に陣取る。敷布を広げ、バスケットの中身を広げ、沖合いの帆船と港の小舟がよく見える位置を定めて腰を下ろす。
(船を愛でる会と洒落込みましょうか)
 くすり、唇に笑みが浮かぶ。吹き寄せる風を掴むように両腕を伸ばす。身体を伸ばす。胸に潮風を満たして、深呼吸。
「酒盛りかい」
 釣竿とバケツを提げたご隠居風の老人が通りがかりざま、塩辛声で笑いかける。
「ね、食事に付き合うついでに」
 セルヒは頷き、自分の隣へ老人を招こうとする。
「船のこと、海のこと、色々な話を聞かせて?」
 元船乗りらしい老人は、人懐っこい旅人に対し、照れたように陽に焼けた禿頭をつるりと撫でた。はいよと頷き、案外逞しい脛を曲げてセルヒの傍らに腰を下ろす。セルヒがカップに注いだ地酒を差し出すと、
「こりゃ良い酒だな」
 心底嬉しげに皺だらけの顔を綻ばせた。そうしてふと、酒の礼に何を話して聞かせようか、難しい顔で頭を掻く。
「話、言うてもなあ」
「航海技術とか造船技術とか」
「爺にゃ最近の航海技術は分からん」
 渋い顔で手をぱたぱたと振る。顎に手をやって考えて、造船技術なら、と港の反対側の一際大きな倉庫を指差す。
「あそこに腕の良いのが居る。後で案内してやろう」
「ほんと?」
 眼を輝かせるセルヒに、老人は孫にするように眼を細めて頷いた。セルヒは続けざまに問いかける。
「三百六十度海ばっかりで寂しくないの?」
 老人は首を横に振る。ひょいと指を伸ばし、青空を指し示す。
「雲も、星も、海も。爺になっても見飽きんよ」
 大分眼は弱ったが、と酒を啜る。おっと、と慌てたように酒瓶を手に取り、セルヒのカップに酒を注ぐ。
「海の上で迷って帰る港を見失ったらどうするの?」
「太陽を仰ぐ。星を読む。嵐に行き会えば波を切る。精度の良い羅針盤もあるにはあるが、貧乏漁師には高うての」
「海の男の心構えは?」
 わくわくとセルヒが尋ねる言葉に、老人は不意に照れた。頭の先まで赤くする。
「……笑うなよ」
「笑わないわ」
 老人の真剣さに、セルヒは真摯に頷く。
「どうしようもないときは婆さんの名を波に叫ぶ」
 呟くように言って、老人は照れた。誤魔化すように酒を煽る。セルヒは柔らかく微笑んで老人のカップに酒を注ぐ。惣菜を差し出す。老人は惣菜を美味そうにつまみ、また酒を口に含む。良い呑みっぷりにつられ、セルヒもついつい杯を重ねる。
 海の香り含んだ風が、火照った頬を撫でて過ぎる。セルヒは風の行方を追って空を仰ぐ。
(ま、そうよね)
 静かに胸に澱んでいた寂しさと不安を、瞳に笑みを浮かべて追い払う。
(帰りたいって喚いてもどうしようもないし)
 とりあえずは、とカップを干す。酒精が喉を甘く焼き、胸を温める。ほんのり赤く染まった頬に笑み浮かべれば、すかさず酔っ払い爺さんが新しい酒をセルヒのカップに注ぐ。ついでに自分のカップにもお代り一杯。
「今日の出会いに」
 セルヒが掲げたカップに、老人がカップを合わせる。
 初めて出会った者同士、顔を見合わせる。少しの後、セルヒがくすりと笑う。老人が声を上げて笑いだす。
「カンパーイっ!」


クリエイターコメント お待たせいたしました。
 ジャンクヘブンの、小さな港での一幕、お届けにあがりました。
 なんだか、一緒に海辺の街を散歩させて頂けました気持ちです。
 海と船を眺めながらお酒を呑むのは、とても楽しそうです。

 セルヒ・フィルテイラーさま
 こういうと叱られそうですが、とても可愛らしい女性で、先生なのだろうなあと思いながら描かせて頂きました。好奇心や知識欲で、眼がきらきらされてそうです。
 ……船を愛でる会、心底混ざってみたいです。

 少しでも、お楽しみ頂けましたら幸いです。
 またいつか、お会い出来ますこと、楽しみにしております。
公開日時2011-10-15(土) 08:50

 

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