シーアールシーゼロがターミナルに戻り、ふと顔を上げた先に知った姿を見つけた。何度か依頼を受けたこともある、到底やる気があるようには見えない世界司書だ。 あ、と思わず小さく声にするとどうやって逃げようか算段していたらしい司書は、複雑そうに眉根を寄せたが知らん顔もできなかったらしい。ふいとすぐに視線は外れたが、こんにちはと頭を下げられるので、ゼロもこんにちはなのですと元気よく挨拶する。 「どこかからお帰りですか」 「はいなのです。樹海の踏破を目指してきたのです!」 ゼロが素直に答えると、司書は何度か瞬きをした。 「それはまた……剛毅なことを」 お疲れ様でしたと労ってくれる司書に、ありがとうなのですと笑顔になる。 「それで、果てには何かありましたか」 話もそこそこに切り上げていくだろうと思っていた司書の思わぬ問いかけに、ゼロの目がぱっと輝く。 「司書さんも興味があるのです?」 「興味、ほどでは、」 「司書さんが珍しくやる気を出されたのを、挫くわけにはいかないのです! ゼロがお手伝いするのですー!」 「は!? やる気なんて面倒なものを生やした覚えは、」 「遠慮することはないのです、ゼロと司書さんの仲なのです! 実際に見てみるといいと思うのです、樹海の果てまでランデブーなのですー!」 今にも逃げ出さんと反転した司書の服の裾を捕まえ、ゼロはにっこりする。そのままさっきまで探索していた樹海に合わせたサイズへと巨大化し、司書を捕まえたまま再び樹海に踏み込んでいく。 「っや、めてください、まだ仕事が山積みで……!」 「大丈夫なのですー。司書さんがやる気を出せば、山積した仕事なんてちょちょいのちょいなのですー」 よければゼロもお手伝いするのですと請け負うと、彼女の掌に腰掛けた司書は深い溜め息をついて諦めたらしい。 「手伝いは結構です、……皆さんお忙しいでしょうしね」 「そうなのです? ゼロはそんなにお忙しくないのです」 だから大丈夫なのですと頷くゼロに、司書はそうですかと納得したような、興味がないような相槌を打つ。ゼロはゆっくりと樹海を進みながら、どこともなくぼんやりと眺めている司書に首を傾げた。 「司書さんは、トツカさんというのです?」 「……はぁ。そうらしいですね」 「らしいですとは、どういうことなのです?」 「そういう記号で登録してあるのは知っていますが、自分の名前だという認識が薄いので。呼ばれても返事をしない無礼者とよく言われますので、ただ司書と呼んでもらったので結構ですよ」 「それではたくさん司書さんがいるところでは、分からなくなるのです」 「そんな時に目立つ動きをするつもりもないので、役立たずの司書とでも呼んで頂ければ結構です」 どこまでもやる気のない発言だったが、それでもそんなところにはいない、と断言してしまわれないことが嬉しい。よかったのですーと、へにゃっと頬を緩めて大きく頷いた。 「司書さんが望まれるなら、ゼロは司書さんとお呼びするのですー」 「……はぁ。お願いします」 「司書さんの趣味を聞いてもいいのです? ゼロの職業はまどろむことで、趣味はお昼寝なのですー」 「──趣味を聞く流れでしたか、今」 確か樹海の果てを見に行っているのではないか、と司書が胡乱げな顔をするが、せっかくの機会なので色々聞きたいのですと胸を張る。はぁ、と溜め息とも相槌ともつかない声を出した司書は、特にありませんねぇと独り言めいて呟いた。 「趣味はないのです? それではあの着ぐるみ状態は、ライフワークなのです!」 「っ、イベントの度に好き好んで着ている馬鹿どもと一緒にしないでもらえませんか! 精々紙風船だらけになったり、南瓜を被らされたくらいしかありません!」 それだけあれば十分だ。の突っ込みを入れたくなる主張をする司書に、ゼロはそうなのです? と首を傾げる。 「着ぐるみ零号さんは、司書さんだと思っていたのですー。そうしたらゼロとお揃いなのです」 「そんな不名誉な称号は、慎んであなたに進呈致します」 「おおっ、なのですっ。それではゼロも晴れて着ぐるみ部隊に入隊なのですー!」 嬉しそうに声を弾ませたゼロに、司書は息を吐きながら頭を振った。 「その発言は、ここだけに留めておかれることをお勧めします」 「? やっぱり司書さんも零号は譲れないのです?」 それでは戦って勝ち取るのが筋なのですと燃え上がるゼロに、そうではなくてと疲れたように突っ込まれる。 「どこぞの店主に聞かれると、ひどい害を被りますよ」 「店主さんならきっと、ゼロにも似合うサイズでばっちり作り上げてくれるのです」 一度お願いしてみるのですと意気込むゼロに、もはや何も言うまいとばかりに司書は緩く首を振った。どんな着ぐるみがいいだろうかと一瞬そちらに気を取られかけたゼロは、けれどすぐにはっとして司書を見下ろす。 「司書さんは、好きな食べ物はあるのです?」 「……さっきからその、話題に困った時に定番の、お見合い自己紹介的な質問はどうにかなりませんか……」 話すことがないなら黙っていて頂いて結構ですよと痛そうに額を押さえた司書に、ゼロは聞いたことがあるのですと張り切って司書を乗せているのとは反対の手を上げた。 「後は若い二人に任せて、セッティッング好きの世話焼きさんは退席するのですー」 あれ、でもこの場合はゼロがいなくなると司書さんが一人なのです、と首を傾げたゼロは、危うく手を打って司書を叩き潰すところだった。殺す気ですかーっの悲鳴でどうにか思い留まり──勿論、ゼロの性質上ぱちんと潰したところで彼は無傷のはずだが──、店主さんを連れてくるのです? と提案するとこれ以上ないほど青褪められた。 「せっかく新たな人身御供のおかげでここのところ平和に過ごしていますのに、この平穏をぶち壊さないでくださいっっ」 「成る程ー、なのです。三角関係が拗れてジェラシーの炎がめらめらなのです。殺人も辞さないどろどろ修羅場の昼ドラなのですー」 「今の流れで何をどうやったらその結論に!?」 恐ろしいことを言わないでくださいと本気で死にそうな顔色で主張され、違ったのです? と首を捻る。 「ゼロはまだまだ精進中なので、色々間違うのです。ごめんなさいなのです」 「学ぶのはとてもよいことだと思いますが、どこかの店主のように間違った方向にぶっちぎるのは如何なものかと思います……」 「あのイベントは、色々勉強になるのですー」 「その時点で人生の選択を誤りまくっていることに、そろそろ気づいてください!」 全身全霊で突っ込む司書に、ゼロは頭に留め置くのですと生真面目に頷く。やるかやらないかで言えば後者の気はするが、それは言わずともいいところだろう。 司書は何だかぐったりした様子でゼロの指に凭れかかり、まだまだ先の見えない樹海へとぼんやりと目を向けた。 「そこからは、何が見えるです?」 「……何、でしょうねぇ」 木々の連なりだとか、樹海が続いているだけだとか、予想していた答えを裏切った司書はけれど逸れ以上を発せず曖昧に濁してしまう。やる気がないだけでなく正体不明な司書を改めて見下ろし、ゼロはぽつりと問いかけた。 「そういえば、誰も司書さんのことを詳しく知らないみたいなのです」 どうしてなのですと首を傾げると、司書は前を見たまま目を細めたような気がした。 「ロストメモリーになる理由は様々です。誰かの選択に口を出す気はありませんが、──自分の話に限定するならば、あれは自らを捨てるという行為です」 名前も趣味も好きな物さえ捨て去ったんですよと、司書はどこか皮肉に呟いた。 「残念ながら、一度捨てた自分をもう一度知りたいとは思えません。誰かにそれを話したいとも思いませんので」 知らない人だらけでしょうねぇと独り言めいて小さく答えた司書は、けれどゼロが口を開く前に一度大きく息を吸い込んでゆっくりと吐いた。 「それでも結局多くの人と関わる世界司書という仕事に就いていますし、今もここにいます。──あなたから逃げる手段も、いくらでもあったでしょうにね」 因果なものですと呟いた司書に、それは当然なのですとゼロは大きく頷いた。 「ゼロはずっと、独りだったのです。一人の間は知らなかったのです、人がどれだけ優しいのか、怖いのか……。でも、もうゼロも司書さんも知っているのです。知ってしまったら、もう独りには戻れないのです!」 ここは特にそういうところなのですと我が事のように誇らしく断言すると、沈黙する司書にふふと笑う。 「ゼロも他の人も、司書さんの姿を見つけたら突撃すると決まっているのです!」 「──それは、拒否権は発動できないんですか」 諦めたように、苦笑するように力なく尋ねられ、できないのですと断言する。は、と息を吐くように笑った司書が黙り込むのでしばらくそのまま歩を進めていると、唐突に司書が口を開いた。 「あなたはこの先、どうなさるおつもりですか」 ぽつりと、聞こえなくてもいいと思っているような小さな尋ね。けれどここにはゼロと司書の二人しかなく、ゆっくりした足取りで歩くゼロの足音も邪魔にはならない。確かに聞こえたそれに、ゼロは司書が眺めている物を確かめるように目線を追いかけて、少し言葉に迷った。 「ゼロは世界群全ての階層を上げ、モフトピアのような楽園にする手段を見つけたいのです」 掌に載せて運ぶ司書と、ゼロが見ている物はひょっとしたら異なるのかもしれない。ただしっかりと前方を見つめて断言したゼロに、司書は反芻するような間の後にゆっくりと口を開いた。 「それは……、ひどく大変な目標ですね」 無理なのではないかと、言下に含めているのが分かる。それでも口にはされないことに微笑み、可能性は無限大なのですと胸を張る。 「ワールズエンドステーションからならば、世界群の法則や構造を知ることができるかもしれないと思うのです」 それが例えば儚い望みなのだとしても、諦めるという選択肢はゼロにはない。見上げてくる司書の視線は感じながらも、前だけを見据えて続ける。 「世界群の中にその手段が見つからないならば、チャイ=ブレに頼らず旅を続ける方法を見つけて世界群の外にそれを求めたいのです」 きっとどこかにはあるはずなのですと反対の手をぐっと握り締めると、司書はゼロから顔を逸らすようにして視線を変えた。それから少しだけ言葉を探し、強いですねぇとどこか羨ましそうに一人ごちる。 気にかかってゼロが顔を向けると見上げてきて、目は合わせないまま苦く笑った。 「やれと言われれば、まず間違いなく逃げます。でもあなたは……いつか、──きっといつか。やってのけるような気がします」 その日が楽しみなような、怖いような。複雑な気分ですと顔を戻す司書に、ゼロは嬉しく口許を緩めた。 「まずはワールズエンドステーションの探求で、何がしかの手がかりが見つかると思うのです」 楽しみなのですと張り切ったゼロは、ふと思いついて尋ねる。 「もし司書さんも自由に旅ができるようになったら、司書さんはどこに行ってみたいのです?」 忘れると決めてなくした故郷か、それとも新たな可能性を秘める別天地か。 どこかわくわくと答えを待つと、司書はどこにも行きませんよとさらりと答えた。 「出かけるのは面倒なので嫌いです。一度逃げて今の自分があるなら尚更……もう逃げたいとも思いません」 だから多分どこに行けるようになってもここにいますよと、卑下した様子もなくただの事実とばかりに淡々と答えた司書にゼロは何度か目を瞬かせ、口の端を持ち上げた。 「それではゼロがどれだけ遠く遠く目指しても、帰ってきたら司書さんは必ずここにいてくれるのです」 それなら心置きなくどこまでも旅立っていけるのですと喜ぶと、司書は軽く呆れたような顔をして仕方なさそうに笑った。 「挫けることを知らない人ですね」 「はいなのです! いつかきっと全世界群モフトピア計画を実行して、楽園の真ん中でゼロは心行くまでまどろむのです」 今はまだ遠い、夢。未来と呼ぶには遠すぎても、確かな目標として目の前にある。 司書は言葉を返さないが、否定もしない。話す間もずっと歩を進め続けていたゼロは目的としていた歩数に達したと気づき、足を止めた。司書を乗せた手を自分の目線まで持ち上げて、見えるのです? と問いかける。 「これがゼロの見つけた、樹海の果て、なのですー」 まだまだ延々と、どこまでも広く続いていく樹海の真ん中。果てと呼ぶには語弊があるが、果てしなく続いていくことを納得した場所、だ。 息を呑んだまま黙っていた司書は、やがてそうとそうと、自分の吐く息が何かを壊さないようにと気遣ったみたいにそうと息を吐いた。 「涯てがないですねぇ……」 普通に考えれば、樹海の話だ。けれどそれはまるでゼロが話したこれからの話のようでもあるし、まだまだ続いていく互いの命を示しているようにも聞こえた。 ゼロは司書と同じ視点で同じく遠くを眺めながら、果てなどないのですとどこか誇らしく胸を張るようにして答えた。
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