土曜日の麗らかな昼下がり。のんびり穏やかな空気に欠伸を噛み殺し、小竹卓也は片肘を突いてぼんやりと行き交う人の波を眺めていた。 今彼がいるのは、トラベラーズカフェ。駅舎の二階に位置するそこの、出入り口に程近いテーブル席にセクタンのメーゼだけを連れてお茶に来ていた。 注文を済ませ、ぼんやりと待つ間に階下のプラットフォームから発車を知らせるベルが聞こえてくる。乗り込む人と見送る人の小さな会話は聞き取れるほど大きくなく、確かなざわめきとしては聞こえてくるが小竹の心には響かない。 ふあ、と小さく欠伸を洩らす。膝に乗ってくたりと伸びているメーゼの頭から背中にかけて、ふわっとした感触を楽しむようにして撫でる。知らず頬が緩み、暑苦しそうに尻尾をぽすんと当てて抗議されるが気にしない。その尻尾さえ捕まえてふかふかと長い毛足を楽しんでいると、うっかり自分が何をしにここに来たのかさえ忘れそうになるが。 ふと鼻先を掠めた醤油が焦げたみたいな匂いに惹かれ、小竹は目を輝かせて振り返った。 嬉しい事に、トラベラーズカフェは和菓子洋菓子何でもござれと取り揃えられている。今日彼が頼んだのはみたらし団子で、ウェイトレスが声をかける前に気づくほど美味しそうな香りが漂ってくる。 白い団子に軽く焦げ目がつく程度に炙り、あまじょっぱい砂糖醤油の餡に潜らせ。とろりとした琥珀色のたれを纏った団子は、こちらも鼻腔をくすぐる焙じ茶と一緒に運ばれてきた。 ふはあっと喜びのあまり奇声を発した小竹は、メーゼを撫でる手をようやく止めて団子を受け取った。途端、メーゼが小竹の膝から逃げて頭の上まで避難してきた。ここならもふられないと知って寛ぐメーゼを落とさないように気をつけつつ、小竹は満面の笑みを浮かべて団子を一本取り上げた。 「いっただきまーす」 たれが零れてしまわない内にと急いで口に運び、広がる控えめな甘さと香ばしさに目を細める。メーゼがぷらぷらと揺する尻尾を時折首の後ろに感じながら、団子の美味さを堪能した後にお茶を啜る。 何この幸せ生活と噛み締めている小竹は、ふと目の前を通りかかった人物から凄まじい引力を感じて視線で追いかけた。 カフェに入ってくる様子はなく、偶々前を通りかかっただけだろう。腕にロボットフォームのセクタンを引っ付け、現像してきたばかりなのか、写真の出来を確かめるように何枚か捲りながら歩いている。何の変哲もない、ただの人。 知り合いか知り合いでないかの別程度にしか興味がないはずの、獣人でも竜人でもない人型様にここまで引っ張られる理由なんて、一つ。手にしている写真が小竹好みのもっふりふっさり、それ以外にない(断言)。 「というわけでそこ行くお方、その写真を見せてほしいんですがっていうか見せてくれやがれー!」 モフ関係が絡むと言語中枢がおかしくなるのは小竹の仕様だ、気にしてはいけない。けれどカフェに誰がいるかなんて欠片も気にせず歩いていたハーミットにとっては、思わず身体を竦めるくらいびっくりな心臓に悪い出来事だった。 咄嗟に声がしたほうへと顔を巡らせたハーミットは、発言者が誰かと探すまでもなく突進としか表現できない勢いで小竹が詰め寄ってくるのを見つけた。逃げるべきかどうか、大分本気で考えたのは一瞬。獲物を見つけたような目で追いかけてくる小竹を早い内にまければいいが、何かの間違いで延々追ってこられたら? ぶるっと身震いするくらい、それは心から避けたい想像だった。万が一にもそんな姿を知り合いの誰かに発見され、事ある事に持ち出されるくらいならここで片を付けたほうがいいに決まっている。とりあえず写真と叫んで向かってくるのだから、それを出せば止まるだろうと踏んで手元の写真から無造作に一枚を選んで突き出した。 仰向けにお腹を出して寝そべり、手足をきゅっと丸め。尻尾──何故か通常の携帯ではなく、竜のそれに似て鱗まであるが気にしてはいけない──までたらんと力の抜けた熟睡体勢なのは、黒い毛並みの子猫。ぺ、と僅かに舌を出し、すぴすぴと気持ちよさそうに寝ている様は可愛いの一語に尽きた。 写真はいい。その瞬間だけを切り取り、都合の悪い事実には全て知らん顔をしてくれる。しかもこの角度なら、黒い角もよく見えない。 ハーミットにぶつかる手前、突き出した写真の三センチ手前で見事にぴたっと止まった小竹はそこに写る凶悪に可愛らしい姿を見て、っひゃー! と歓声を上げた。 「すげぇ凄い可愛い黒猫しかも子猫様の正義……!」 やっぱり自分のもっふセンサーに狂いはなかった! とよく分からない事を言いながら、小竹は写真にまで頬擦りしそうに盛り上がっている。 くれぐれも言うが、写真だ。現物がそこにいるわけではない。けれどそんな都合の悪い事実は無視したように、小竹は頭からメーゼを振り落としそうなくらい夢中になって愛でている──写真を。 世の中には色んな嗜好の人がいる、と知らず遠い目をして考えたハーミットは、とりあえず振り落とされないよう彼の頭に器用にしがみついているメーゼだけを哀れんで、正気に戻ってもらえないかと期待して声をかける。 「……猫、好きなの?」 「猫と言わず犬と言わず龍と言わず爬虫類と言わずっ!」 最近ではロボだって許容範囲ですがと写真に抱きつきそうなまま真顔で答えた小竹に、へぇと返す以外に何が言えただろう。 一先ずぴたりと止まった小竹の頭からずるりと滑り、ぽてりと肩の上に座るように落ちてきたメーゼを小竹が写真を持っていないほうの手で軽く押さえた。そのままわしゃわしゃと荒っぽく撫でているが、無意識にも近いのだろう、視線は写真に固定されている。 「あー、いいなぁ。子猫。黒子猫っ。くしゃふわだろうなあっ! ああああああっ、撫で回したい撫で繰り回したいいっそ食べたいって言うか食べられたい……!」 だって猫だよどうする猫だぜ! と一人で盛り上がりテンション突き抜けマックスらしい小竹に、関わるんじゃなかったかなとちらりと後悔しながらハーミットがそっと溜め息をついていると。猫なのだー! と大分低い位置から、目がきらきらと輝いているのが分かるほど弾んだ声が聞こえた。 「ひゃー、龍な方だ」 声を聞きつけて顔を巡らせた小竹がぱぁっと笑みを広げた先には、ガン・ミーがその細くくねくねした身体を精一杯伸ばして写真を覗き込んでいた。 みかんどらごんのガン・ミーは、別にカフェに用事があってここに来たわけではない。ハーミットと同じくここを通りかかっただけだが、随分しょぼんとしてうねうね進んでいたのには理由がある。何しろ駅舎の前で見かけた猫に嬉々として近寄るなり、ふしゃーっ! と牙を向いて即座に逃げ出されてしまったのだ。 ガン・ミーは動くたび、ふわりと柑橘系の爽やかな香りがする。人にとっては好ましくても生憎と猫には苦手極まりなく逃げて当然ではあるのだが、悲しい事にガン・ミーは猫が大好きだった。どうして逃げられるのか分からないと、しょんぼり落ち込みながら彷徨っているところに猫云々と聞きつけて足を向けた。 現物の猫には無残にも逃げられてしまったが、愛らしい寝姿を晒している写真に惹かれて声をかけると他にも色んな姿の猫の写真を持ったハーミットが、ガン・ミーを見て何度か目を瞬かせた。 「蜜柑……?」 蜜柑が浮いてると不思議そうな呟きに、身体を丸めて首だけ伸ばしていたガン・ミーはえっへんと胸を張った──どこが胸か分かり辛いなどと突っ込んでは以下略──。 「我はみかんどらごんの、ガン・ミーなのだー」 「ほわふあああっ、早速ですがもふらせて頂いてもよろしいか!?」 是非そのオレンジなお身体をと、手をわきゃわきゃと動かしながら小竹が詰め寄るとガン・ミーは首を傾げるようにして嫌なのだーとつれなく断り、ハーミットが持っている写真に擦り寄った。 「可愛い子猫なのだー。猫は大好きなのだー」 誰の猫なのだー? と期待したように尋ねるガン・ミーに、何故か小竹もきらっきらした目でハーミットを見る。 ハーミットは自分が手にしている写真の猫を眺め、何だかそっくりな様で期待に満ちているらしい小竹とガン・ミーに目を戻した。 「触りたい?」 「勿論オフコース当然でもふもふさせて頂きたく存じますれば……っ」 一も二もなく食いついてくる小竹と、こくこくと何度も大きく頷くガン・ミー。そこに、それならあたしも! とシャニア・ライズンが挙手しながら参加してきた。 シャニアがそこを通りかかったのは、趣味の一つである写真撮影の途中休憩の為だった。いい被写体はないかなーと探して歩き、プラットフォームで許可を取りながら撮影していたが少し疲れてカフェに移動しようとしていたのだ。 カフェに向かって歩きながらも、上で誰かが騒いでいるのは聞こえてきた。大半がよく分からない叫びだったが猫だの写真だのの単語に惹かれて様子を窺っていると、どうやら子猫もふり会が開かれそうな気配にすかさず参加表明していた。 「子猫ちゃんと触れ合えると聞いてっ!」 参加資格が問われる? とそこに集う面々を見回して尋ねると、誰でも歓迎するわよとハーミットが笑顔で答えた。 「おおっ、今度は竜人な方……!」 きらーんと獲物を見るような目で見てきた小竹に、竜人は珍しい? と冷やかすように語尾を上げるとそうではなく! と目一杯頭を振られた。 「龍な方も竜人な方も毛皮があったりなかったりでドラケモは正義みたいな幸せの宝庫かと!」 というわけで触ってもいいですかと詰め寄ってくる小竹に、所構わずやめなさいねとハーミットがびしっと彼の頭にチョップを入れて止めた。 「セクハラに勤しむようなら、子猫に会わせるのはやめにするけど?」 「しませんそんなセクハラ反対もふり万歳!!」 もふもふの為なら何でもしましょうと直立不動になる小竹に、ハーミットはよろしいとばかりに大きく頷いた。 「それじゃあ、明日は日曜日だし。子猫を撫でたいなら拠点に集合ね。お茶とか用意して待ってるわ」 マフ・タークスは山猫様だ。黒い角が二本あり、尻尾は普通の猫のようではなく鱗を持った龍のようなそれだが、基本は山猫様だ。立派な毛皮が自慢で、尻尾の鱗ともども手入れを欠かした事はない。たまにちょっぴり度を越した悪戯をかましたりする事もあるが、それも含めて気紛れがチャームポイントの山猫様だ。 普段は二足歩行の上、人語も操る山猫ベースの獣人様なのだが、日曜だけはただの子猫と化していた。特に何か問題があるわけではない、定休と定めて自ら魔力を切ればクールでかっこいいいつもの俺様が保たれず子猫になってしまうだけの話だ。 子猫になっている間、マフの意識は眠っているも同然になる。子猫らしいちみっさい身体でよちよちと歩き、子猫らしくふみゃあと鳴いて食べて寝る。月曜になって元に戻った時、子猫でいる間の記憶はない。だから常であれば悪態をつくような相手にも甘えて喉を鳴らしているなんて、彼は知らない。 今日もまた日曜日、マフは魔力を切って子猫の状態でうにゃうにゃと一人遊びに興じていた。部屋にある狗尾草が風に揺れるたび、目をきらきらさせてじゃれついている。猫パンチをお見舞いしたり、飛びついてみたり。うにゃっ、うにゃっと楽しそうな掛け声をかけつつ心行くまで格闘していると、不意に部屋の扉がノックされた。 ささっと素早い身のこなしで物陰に隠れた子猫マフは、入るわよーと声をかけて入ってきたハーミットを見つけてうにゃあんと声を上げた。気づいてしゃがんだハーミットが、おいでと出した手に躊躇いなく擦り寄って行く。 子猫マフにとって、ハーミットは気を許した相手だ。出された手に自分から身体を押しつけるようにして懐くと、じゃあちょっと出かけようかと抱き上げられた。 「うなあ?」 「うん、今日はお客様がいらっしゃるからね」 愛想良くするのよと柔らかな声で言いつけられ、子猫マフはにゃあ、と短く答える。いい子ねと頭を撫でてくれる手に目を瞑り、ころころと喉を鳴らしながらハーミットに運ばれるまま庭園に向かった。 まだ客の姿は見当たらず、広い庭園には丸テーブルとお茶のセットが用意されているだけで他に人影はなかった。ハーミットは短い芝生の上に子猫マフを下ろし、ちょっと待っててねと声をかけて残る準備に取り掛かった。 ぽかぽかと暖かい陽射しの下に連れてこられた子猫マフは、くあ、と大きな欠伸をした。心地よい風が髭を揺らし、目を閉じて芝生の上に寝そべるとさやさやと風の渡る音に耳をちょっとだけ動かす。このまま眠ってしまえばいいのだろうかとうとうとし始めた時、こんにちはーと騒々しい声が子猫マフの耳を打った。 「いらっしゃい」 「来て早々であれですが子猫もふっていいですか!?」 待ちきれないといった様子で持参した和菓子屋の箱をハーミットに押しつけながら尋ねた小竹は、きょろきょろと庭園を見回して子猫マフを見つけた。黒猫様発見ー! と叫んで飛び掛ってくる小竹にびくっと身体を竦めた子猫マフは、けれど逃げる暇も与えられずに捕まってひたすらもふられる。 「うわもーすげぇ可愛い小さいもふすぎてどうしようにふわっふわなんだけど!」 完全に我を失った様子でまだ何かしら分からない事を並べながらも、小竹の手は子猫マフを押し潰さない絶妙の力加減でわしゃわしゃと撫で回してくる。何が起きたんだーっと子猫マフが戸惑っているというのに、ハーミットは小竹から受け取った包みを解いて美味しそうな水無月ねと声を弾ませていて助けてくれる気配はない。 「紅茶にしようと思ってたんだけど、日本茶のほうがいいかしら」 「やっぱり今の時期は水無月かと思いまして!」 「そうね。じゃあ、紅茶は後にしましょう。スコーンもまだ焼いてないし」 じゃあ緑茶の用意をとハーミットが屋敷に向かいかけた時、こんにちはーお邪魔するのだーと声をかけながらシャニアとガン・ミーが訪ねてきた。 「子猫に会いに来たのだー!」 猫猫子猫と嬉しそうにしたガン・ミーは、小竹に撫で回されている子猫マフを見つけると早速嬉しそうに近寄って行った。いつものようにまた牙を向かれるのではないか、逃げ出されるのではないかと少し距離を取って様子を見ていると、小竹がもふらないんですかいと子猫マフを両手で抱き上げてガン・ミーに近づけた。 子猫マフはガン・ミーと顔を付き合わせ、ふんふんと鼻を鳴らすようにして嗅いだ。怯えられるのも覚悟していたガン・ミーはぺろっと鼻先を舐められ、逃げないのだーと嬉しそうに身体を震わせた。 小竹はガン・ミーの様子にふと口許を緩め、子猫マフを芝生に下ろした。舐めて渋い顔はしているが逃げる様子もない子猫マフに喜んだガン・ミーが、珍しいのだーと子猫に頭を寄せているのをしばらくは静かに眺めていたが、五分もしない内にもう我慢できないっと拳を作って身を乗り出させた。 「猫ごとまふってもいいですかっていうかいいよねいいはずだ!」 「、うー、……猫に免じてちょっとだけならいいのだー」 「ひゃっほう!!」 お許し出ましたー! と歓喜の悲鳴を上げて子猫マフとガン・ミーをもふり始めた小竹を遠く眺めていたシャニアは、楽しそうよねと呑気に笑うハーミットにそうだこれをと白い箱を手渡した。 「もうお菓子はあるみたいだけど、ケーキよ。あたしが焼いたから口に合わないかもしれないけど、よかったらご家族とどうぞ」 「ありがとう、でも気を使ってくれなくてよかったのよ。後で紅茶を出す予定だから、その時に頂いてもいいかしら?」 「勿論、食べてもらえたら嬉しいわ」 ところでこれは何てお菓子? と水無月を指して尋ねたシャニアは、撮ってもいいかしらとカメラを構えている。 「勿論、それは構わないけど。子猫を撫でるのに参加しなくていいの?」 「一度に押しかけても、子猫ちゃんにも可哀想だしね。勿論、それを目的にお邪魔したんだから撫でさせてもらうまで帰る気はないけど、あなたとお話しするのも楽しいわ」 後は写真も撮らせてくれたら嬉しいんだけどとにこりとするシャニアに、ハーミットはお好きなだけどうぞと笑顔で返す。 「とりあえず、紅茶までケーキは片付けておくわね。日本茶も淹れてくるから、それまでに撮影は終わらせておいて」 戻ったら食べられるようにねと悪戯っぽく続けたハーミットに、シャニアも声にして笑いながらそうするわと指を立てた。 「あーどうしよう何この幸せな休日」 テーブルの上で丸まっているガン・ミーを遠慮なく撫で回しながら小竹がしみじみと噛み締める斜め前では、シャニアがようやく子猫マフを思う存分可愛がっている。 何だろうこの光景、とハーミットは思わず心中に呟いたが、あまり気にしない事にしてシャニアから差し入れられたケーキを切って取り分ける。 「これは、シャニアさんの手作りだそうよ」 お礼は彼女にねと言い添えながら取り分けたケーキを配ると、小竹は寧ろガン・ミーを首に巻きたいくらいの勢いでもふりながらもありがとうございますとシャニアに笑顔を向けた。 「お口に合えば嬉しいわ。……あの、そろそろその子、ぐったりしてる気がするんだけど」 大丈夫かしらと、いくらかでろんとしている気がするオレンジの身体を不安げに見てシャニアが言うと、ようやく小竹もはっとして手を離した。 「うわあぁあぁっ、ごめんすみません自分ドラケモナーとしてメーター振り切れたら加減が利かなくて!」 大丈夫ですか生きてますかとかくかくと揺らしつつ小竹が心配すると、彼の手からずるりとテーブルに避難したガン・ミーは浮かぶ気力もないのか蛇のようにずりずりとテーブルの上を這って子猫マフのほうへと移動して行く。 「暑苦しいのだー。構われるより、我も猫を構いたいのだー」 珍しく逃げない猫なのだーと子猫マフの側まで来て顔を持ち上げたガン・ミーに、子猫マフはちょっとだけ心配そうにして鼻先を舐めた。おかげでガン・ミーは嬉しそうに身体をくねらせ、子猫マフに擦り寄っている。 折角の夢の競演なのにーと嘆きつつもケーキに手をつけた小竹は、うまっとシャニアに視線を変えた。 「これ、自分で作ったんですかい」 「そう。気に入ってもらえた?」 「大分本気でかなり! 竜人の方が作ったケーキってだけでも有難いのにそれを上回る美味さ!」 「うん、美味しい」 さっきの水無月も美味しかったけど、とケーキを食べながら満足そうにしているハーミットに、シャニアは嬉しそうによかったと息を吐いた。小竹はじーっとそのシャニアを見ていたが、その鱗に触ってもいいですかと身を乗り出させた。 「折角竜人な方がいらっしゃるのに顔も埋められないなんて耐え難すぎるっ」 「だからそこ、セクハラ!」 「セクハラって言うけどだってでもそこに鱗があるのにかーっ」 竜人な方なんだぞ鱗なんだぞと何故か逆切れしてテーブルを叩き、熱く主張する小竹にシャニアはまぁいいけどと苦笑した。 「ガン・ミーくんだって耐えたんだしねぇ」 ちょっとだけよと笑いながら手を出したシャニアに、小竹は喜んで飛びついている。 丸テーブルの上には食べかけのケーキと、少し冷めかけてもまだ香る紅茶。柔らかな陽射しの庭園で過ごす、穏やかな休日。 字面だけ見れば、優雅なティータイムのはずなのに。 ハーミットは紅茶の入ったカップを持ち上げ、ちらりと右手に視線をやった。 さっきまで小竹に撫で回されてくったりしていたはずのガン・ミーは、子猫マフにじゃれつかれてくすぐったいのだーと嬉しそうな声を上げている。ぱっと見、蜜柑にじゃれている黒い子猫といった珍しい姿はまだ微笑ましい。けれど。 ちらり、反対側に視線を向けると小竹は懲りも飽きもせずシャニアの腕に頬擦りして幸せそうにしているし、シャニアはどこか呆れた風でもあったが諦めたように苦笑して紅茶を啜っている。 何だろうこの光景、と二度目の感想はやっぱり心中に留めたけれど、さっきより不審が強いのは否めない。 とりあえず見なかった振りをしようと再びケーキに手をつけると、子猫マフを可愛がっているのか可愛がられているのかよく分からない状態になっているガン・ミーが、そういえばと顔を向けてきた。 「この猫、何て名前なのだー?」 「あ、そういえば聞くのを忘れてましたね」 もういいでしょうとシャニアに顔を押しやられた小竹も今思い出したとばかりに目を瞬かせるので、ハーミットは子猫マフに視線を変えた。 うにゃあん、と可愛らしい声を上げて、ちょいちょいとガン・ミーの揺れる尻尾を構っている子猫マフは、元に戻ると何も覚えていない。あれがこれで、これがあれだよ、と真実を詳らかにするのも何となく興醒めの気がする。 人間、知らなくていい事はあるものだ。 「マル」 「マル? へぇ、マルちゃんね」 マルちゃんと呼びかけて手を出したシャニアの指先に鼻を近づけ、ふんふんと匂いを嗅いでいる子猫マフの尻尾が揺れる。シャニアに押し戻されてからせっせとケーキを片付けて暇になったらしい小竹は、珍しい尻尾だよなぁと手を伸ばして子猫マフの背中を撫でる。 「黒い角まであって、龍好き獣好きとしては堪らん特徴だけど!」 言いながら小竹の手が尻尾に届くと、うなあっ! とマル──子猫マフが吼えた。 柑橘系の匂いには耐えられる、毛皮を無造作にもっふもふと撫で回されるのも我慢できる。喉を鳴らすくらい喜んでいるのではないかの突っ込みは不要だ、需要と供給が一致しているなら問題はない、だからそれはいい。けれど尻尾や角に触られるのは断固として拒否する! とでも言いたげに、ふみゃーっと不愉快そうな声を上げた子猫マフは、小竹の手から逃れてハーミットの元に逃げ寄ってきた。 うにゃあみゃあ、とまるで不服を訴えるように並べた子猫マフは、ハーミットの膝にちょんと飛び乗り、そこから地面へと飛び降りた。椅子の足にしばらくじゃれ、ハーミットの足に擦り寄ってきた子猫マフは左足の上を寝床と定めたのかそこでころんと丸くなり、大きな欠伸をした。 うなあ、とお休みを告げるように小さく短く鳴いた子猫マフは、ハーミットの足の甲を枕にするような形ですやすやと眠り始めた。 「残念、ちょっと構いすぎたみたいね」 「寝てしまったのだー」 「寝る姿さえ愛らしいって言うかもういっそ持って帰ってもいいですか、ガン・ミーさんごと寧ろシャニアさんまで!!」 眠る子猫マフを起こさないようにと小声を努めながらも小竹がテーブルに手を突いて身を乗り出しながらの問いかけに、 「遠慮しとくわ」 「嫌なのだー」 「マルは持ち出し不可だからね」 つらっと三人から否定だけが返り、がっくりと項垂れて突っ伏す姿に密かに笑みを交わす。 今回は子猫マフの他にも突撃もふり隊の目当てとなる存在が複数いたおかげで、庭園に足を踏み入れてからこっち、のびのびした様子で芝生の上を駆け回っていたメーゼがぴょこぴょこと跳ねているのがテーブルから大分離れた場所に窺える。自分にはお前しかいないよーと救いを求めるように小竹が向けた視線にも気づかないように、ふさふさの尻尾がはしゃいだように揺れている。 まだもう少し、日曜日は終わらない。 子猫マフが起き出す頃には再びくしゅくしゅに撫で回されたり、ドラケモナーのよく分からない悲鳴じみた声が響き渡ったりするのかもしれないが、それまではお菓子と紅茶のお代わりをどうぞ。
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