あなたも、あのお店――『Midnight Blue』を目指しているのですか? 星の瞬くチェンバーの一角。メインストリートから一本奥に入った、ほら、あそこ。 様々な種族のお客様がいらっしゃるので、料理の幅広さには自信があるそうですよ。外装にも使われている濃い青は、人の深層心理に働き掛ける色なのだとか。思わず本音が零れてしまう方がいらっしゃるのも、その辺りが影響しているのでしょうか? さあ、着きました。それでは、わたくしが扉をお開け致しましょう。 カランカラン「いらっしゃいませ」 マスター、いつもの。「かしこまりました」●『Bar Midnight Blue』にて 今日も今日とて、カウンターを挟んで向かい合ったエリザベス・アーシュラとバーテンが何やら話している。エリザベスの視線は、観葉植物にしては独特な容姿を持つ植物に注がれていた。しかも、その枝葉には色とりどりの紙片がぶら下がっているのだ。「マスター、あれは何ですか?」「いつか言おうと思っていたのですが、私はただのバーテンです。――あれはですね、『七夕』という壱番世界の風習なんだそうです。『短冊』と呼ばれる紙に願い事を書いて笹に結ぶと、夜空に浮かぶ星が叶えてくれるそうですよ?」「いわゆる『あしながおじさん』的な組織でもあるのでしょうか?」 真面目な顔で考えるエリザベスに、バーテンは声を立てて笑うと、「まさか。そういう迷信というか、イベントにつきものの験担ぎという奴ですよ。私達も夜の商売ですからね。あやかってお客様に楽しんで貰おうと、笹を用意してみたんです」 ちょっとした遊び心というわけだ。季節感に乏しい0世界なだけに、変化を求める傾向が強いのかもしれない。「オリジナルカクテルも作ったんですよ。夏の風物詩とされる天の川、別名『ミルキーウェイ』です」 そっと指差す先を見れば、客の一人が牛乳のように真っ白なカクテルを飲んでいた。二人の視線に気がつき、その客は微笑みながらグラスを掲げてみせる。「残念ながらカクテルはお出しできませんが、願い事はどなたでも歓迎ですよ。エリザベスさんも一つどうです?」「そうですね。それでは――」 エリザベスは席を立つと、笹の設置された店の出入り口に向かった。傍に小さなテーブルが据えられており、細長い紙とペンが添えられている。 サラサラと筆を走らせると、彼女は『こより』を使ってそれを笹に結びつけ、満足げに胸の前で腕を組んだ。 気になったバーテンがカウンターから出て短冊の文字を確認すると、『焼肉定食』天然なのか、それとも一流のボケなのか。反応に困るのであった。
●解放のア・ヴォートゥル・サンテ 『覚醒』とやらを経て、世界から放り出されて―― 元の世界に戻ろうと頑張ってる奴もいるみたいだが、俺はむしろ今の立場を喜んでるクチでね。俺の故郷に比べりゃ、ここは天国だ。犯罪も少ないし人権だって保障されてるワケだからな。 不満があるとしたら、そうだな……独り酒が増えたって事くらいか。 この作られた夜に漂う空気は確かに夏のものなのに、吹きつけた風が肌寒く感じられるのは、暖を求める生物の本能を刺激する為なのだろうか。 くわえた煙草の火を守るようにトレンチコートの襟を立てた男はふと夜空を見上げると、煙草を一旦口から離して紫煙を吐き出した。 (やっぱいいもんだな、夜の街は) 黒城 旱は視線を下に戻し、居並ぶ店の構えを眺めながらしみじみと実感する。人生には潤いが必要だ。そしてそれは往々にして、命を繋ぐ為に不可欠というわけではない。この煙草のように、逆の場合すらある。 それでも求めずにはいられないのだ。そこに理由なんて存在しない。心の赴くままに生きずして、何の為の人生か。 彼の目に留まったのは、一軒のバー。控え目なネオン管の下に、青一色の外壁が映える。店名は……? (『Midnight Blue』――か) 真夜中の青。夜を愛し、闇に生きる自分にはおあつらえ向きだ。 (手酌にも飽きたしな) 色々と理由をつけてはいるが、要は美味い酒が飲みたいだけである。欲望に素直な自分に拍手を送りつつ、彼は扉をくぐった。 カランカラン 「いらっしゃいませ」 ドアベルの軽妙な音色と共に、身体を丁寧に折り曲げたバーテンが出迎える。 黙々と演奏を続けるジャズバンドの姿を視界の端に収めながら、旱はカウンターのスツールへと腰を落ち着けた。羽織っていたトレンチコートは無造作に背もたれへと引っ掛けておく。 さて、何を頼もうかと思案したところで、バーテンの背後にある棚に飾られたワインボトルが目に入った。折角外で飲むのだし、珍しい酒を探してみるのも悪くない。 「マスター、ロマネ・コンティは置いてあるか? あのバカ高ぇワインのことさ」 「年代をご指定でなければ、何本か御座いますよ」 バーテンは心得たもので、通常のメニューとは別にされた高級ワインのリストを差し出してくる。 カウンター越しに受け取りながら、旱は口の端に皮肉な笑みを浮かべた。 「そいつはいい。元の世界じゃ、上層部がそのワインを独占していてな。俺達平民はどれだけ稼いでも、一杯だって飲む事は出来なかったのさ。――けど、ここじゃナレッジキューブさえあれば飲む事が出来る。そうだろ?」 「はい。それは勿論そうですが……」 グラスに水を注ぎながら、バーテンは穏やかな笑みを浮かべる。 「貴重な一本です。それなりにお値段は張りますよ?」 「お、おう。門前払いされないだけ上等ってところだぜ」 さらりと放たれた一言に、旱は胸を張って答えながらも、頭の片隅で財布の中身を数え始めるのだった。 「カード払いが利かないってのも考えものだな……」 「いつ、元の世界に戻られるか分かりませんからね。うちではいつでもニコニコ現金払いでお願い致します」 ワイングラスの半分程を満たす赤い液体をしげしげと眺め、旱はほう、と溜め息をついた。 「これであの値段なのか……」 具体的な数字を口にすると心が折れてしまいそうな気がして、喉の奥で唸り声を上げる。 「何しろ、『飲むより語られる事の方が多いワイン』ですからね。今夜は存分に味わって下さい」 「そうさせて貰うよ」 苦笑混じりにグラスを手にしたその時、彼は何者かの視線を感じて振り向いた。 (ふ~ん……) 数人分の席を置いてスツールに腰掛けていたのは、ワインレッドのドレスに身を包んだ妙齢の女性であった。蠱惑的なプロポーションを隠しもせず、身じろぎする度に揺れる豊かな黒髪が色香を漂わせる。 気だるげにグラスを傾ける横顔はこちらに全く興味が無さそうだった――が、旱は確信をもって近づいていった。 「お嬢さん、独りかい?」 「お嬢さんって歳でもないんだけどね」 ふっ、と目尻を下げるのと同時に、薔薇の香りが漂う。流石に銘柄までは分からなかったが、視線を感じたのは気のせいではなかったらしい。 「貴方こそ、七夕の夜に独り?」 「あぁ、そういやそんなイベントもあったな」 忙しなく日常を送っていると、どうにも季節感が無くていけない。女性の誕生日ならいくらでも覚えておけるのだが。 「折角ですし、お二人もどうですか?」 二人の目の前に、バーテンが短冊を差し出した。 白紙の表面を見下ろし、そのまま隣の顔へと首を持ち上げ。視線を絡ませた二人は同時に笑みを浮かべると、それぞれの手にペンを握った。 「願い事なんて久し振りね」 「何て書くんだい?」 ひょい、と手元をのぞき込むと、相手は手入れの行き届いた白い指で覆い隠してしまった。 「いけない人。野暮な男は嫌われるわよ?」 少女のような悪戯っぽい表情に目を奪われる。女というのは不思議な生き物だ。一輪の可憐な花であり、輝く宝石であり、気まぐれな猫であり、時に魔性を秘める。目の前の彼女は果たして、自分にとって天使か悪魔か? 「貴方こそ、何を願うのかしら?」 「女が男に聞くのは野暮じゃないのか?」 「当たり前じゃない。それは女の特権よ」 当然と言わんばかりの物言いに、やれやれと頭を掻くしかなかった。しばし虚空を見上げて考えに耽り、ペンを走らせる。 「えぇと……『ターミナルに骨を埋めたい』……?」 「さっきもマスターと話してたけど、今の生活を気に入ってるんでね」 意外そうな相手に笑顔を向け、思い出したように付け足す。 「『結婚出来ますように』……か」 その一文を見た女は、何とも言えない表情で薄く笑った。 「人生の伴侶まで見つけられれば、言う事は無いんだけどな」 再び二人の視線が交錯する。 「愛があれば大丈夫。そう思える事はとても素敵だけれども……愛って何なのかしらね」 「……実際難しいよな」 グラスを弄びながら、二人して遠い目をする。 何の前置きも無く、旱は口を開いた。 「確かめてみるか?」 彼女は妖艶に笑い、 「あら、それは素敵なお誘いね。でも、大事な誰かの代わりは嫌よ? たとえ一夜限りの火遊びだとしても、その時だけは私だけを愛してくれないと」 心の内を見透かされたようで、思わず鼓動が跳ね上がる。これだから女は怖い――そして心惹かれる。 表面上は平静を装いながら、駆け引きを楽しむように彼は言葉を紡ぐ。 「一夜限りなんて勿体無い。末永くお付き合いしたいぜ」 「それは貴方次第じゃないかしら」 お互いの胸の内を探るような、微妙な距離感。その感触を心地良く思いながら、旱はグラスを掲げる。バーテンに指で合図すると、女の元にも同じものが運ばれた。この際、値段には目をつぶろう。 「それじゃ、世界からの解放と俺達の出逢いに――」 「ア・ヴォートゥル・サンテ(乾杯)」 ワインの国として名高いかの地のドメーヌに敬意を表してか、女は流暢な異国の言葉でグラスを合わせる。 薄明かりに揺らめく影が重なり、二人の夜が始まった。 ●宿命と意志の二律背反性症候群(アンチノミー・シンドローム) 俺の役目は世界に災厄をもたらす事だと、アイツは言った。 周りのヤツラは、俺を悪魔の使者だと指差して恐れ、罵り、刃を向けてくる。 けど。 だけど。 俺は笑顔を見るのが好きなんだ。 泣いているヤツを見ると胸がキュッとなる。 これは変な事なのか? 俺が間違っているのか? 俺は――一体ナンだ? 店の出入り口をくぐったその異形は、脇に飾られた笹に目を留めると、短冊の結ばれたその枝葉をゆっくりと見上げた。 しっとりと湿り気を帯びて黒光りする花がひくひくと蠢く。 「何だぁ、こりゃ?」 大きく開いた口元では、鋭い牙が照明を反射して光を放っていた。 「七夕ですよ。壱番世界の風習ですので、お客様が御存じないのも当然かもしれません」 声に反応して振り向いた異形――ベルゼ・フェアグリッドに、バーテンは改めて「いらっしゃいませ」と頭を垂れた。 「タナバタァ? 知らねぇな。何だそれ?」 特徴的な翼と尻尾を揺らしながらカウンターへと座った彼に、バーテンは簡単にその内容を説明した。 興味深そうに何度も頷いていたベルゼは、猫目石を思わせる切れ長の瞳を輝かせると、 「アマノガワなら知ってるぞ。真夜中になると星が光って川みてェに見えるってヤツだよな!」 記憶の中の美しい光景を思い出しているのか、うっとりと想いを馳せる。 「見たい、見たいぞ、どこに行けば見れるんだ?!」 「このチェンバーの季節は壱番世界に合わせてありますから、外に出れば――あ」 バーテンが言い終わる前に、彼は一目散に先程入ってきたばかりの道を駆け戻っていた。 「まだ注文を聞いていないのですが……」 そう呟いている間にも三度ドアが開いて、すっかり見慣れた姿が現れた。その足取りは先程とは打って変わって、何故かとぼとぼと頼りない。 「少ししか見えなかった……」 「まあ、派手な看板を出している店も多いですしね」 こんな街中ならば星すら見えないのが普通なのだが、自然の多い世界の出身者にしてみれば、都合良く作られた夜空でも寂しいものなのかもしれない。 「それではせめて、味覚だけでも『天の川』を堪能して頂きましょうか。今夜は特別なカクテルがあるんですよ」 メニューを差し出し、バーテンはシェイカーの準備を始めるのだった。 ジンベースにパルフェ・タムールとパイナップルジュースを合わせ、生クリームやシロップでたっぷりと甘みを強くする。シェイクしてクラッシュドアイスを敷き詰めたグラスに注げば、一夜限定のオリジナルカクテル『ミルキーウェイ』の完成だ。 「こいつは美味いな!」 このカクテルをベルゼはいたく気に入ってくれたようだ。ご機嫌そうに目を細め、爪の生えた指でグラスを傷つけないよう注意しながら、束の間の涼に舌鼓を打っている。 「いい果汁を使ってるな!」 「ご明察で。今日は特別質の良いパイナップルを入れて貰ったんですよ。――噂をすれば」 バーテンが声を掛けて手招きしている方向を見れば、そこには腰の曲がった老婆が一人、店に入ってきたところだった。彼女はすぐにこちらに気がつくと、周囲の客に挨拶をしながら近寄ってくる。 「あらあら、どうしたの?」 「こちらのお客様が、花子さんのパイナップルがとても美味しいと仰って下さいまして」 「それは嬉しい事を言ってくれるわね」 キョトンとしているベルゼに、バーテンは「こちらは鈴木 花子さんです。農園をやっておられまして、当店でも野菜や果物を仕入れさせて貰っています」と紹介した。 「おまえがこのパイナップル作ったのか!? 凄ぇな!」 「あんまり褒めちぎられると恥ずかしいけれども。そうね、ありがとう」 苦労してベルゼの隣に座った花子はそう言って笑みをたたえた。次いで「わたしにはサラダを貰えるかしら?」と告げ、キッチンへと注文が通されている間に、懐から何やらごそごそと取り出している。 「追加の発注を届けに来ただけだったんだけど、七夕なんてやってるから思わずお邪魔させて貰っちゃったわ。何を書こうかしらねぇ」 カウンターの上に広げられた短冊を、ベルゼは興味津々といった様子でのぞき込んでいる。 「タナバタっつーのは、願い事をソレに書いてアレに引っ掛けりゃいいのか?」 「えぇ、そうよ」 笹を指差しながらの言葉に頷く花子。 「あなたもどうかしら?」 待ってましたとばかりに荷物をまさぐるベルゼ。 「願いはわかんねェけど、やりたいことならいっぱいあるぞ!!」 取り出したるは、古めかしい意匠の万年筆。 「かわいーメイドさんとお茶したりとか、でっかい魔物倒したりとか!」 早速短冊を取ってきて、鼻歌交じりに筆を走らせる。 「遺跡探検とかもいいなっ、それに旨いモンいっぱい食いたい!」 ぐりぐりと書き込む彼の様子を、花子は微笑みながら見つめていた。 「ふふっ、お願い事を叶える方も大変ね」 「あ、旨いモンで思い出した! 確かハナコばーちゃんとこで果樹園やってんだよな! なんか手伝ったらリンゴいっぱいくれるかな? アップルパイにしたら旨そうだ!」 思わず涎を垂らす彼を見て、花子は声を立てて笑い声を上げていた。 「それはあなたの頑張り次第ね。そんなに好きなら、林檎の季節にいらっしゃいな。――えぇと……お名前は?」 尋ねられてようやく短冊から顔を上げた相手は、牙の生えた口許を大きく開いて快活が笑顔を浮かべて見せた。 「ベルゼだ! ベルゼ・フェアグリッド!」 「ベルゼちゃんね。これも何かの縁だし、宜しく」 「ヨロシクだ! ――よーっし、頑張るぞー!」 アルコールが回ったのか、頬をほんのり朱に染めて、「キシシシッ」と獣じみた笑い声を漏らす。 びっしりと埋め尽くすように細かい文字でいくつもの願い事が書かれた短冊を見下ろして、二人は笑い顔を見合わせた。 おもむろに、ベルゼが自分の短冊を裏返しにした。 「あと……」 トーンの落ちた声で、ポツリと零す。 「『怖がられませんように』……かなァ?」 記した文字は彼の心の内を示すかのように、どこか弱々しく不安定なものだった。 突然の変化に花子が戸惑っていると、彼は耳を垂れ下げながら顔を彼女の方へ向けてきた。 「メイドさんもハナコばーちゃんも、俺みてェな『災禍』……怖がっちまうよなァ、ぐすっ」 「えぇと……わたしはぬいぐるみみたいで可愛いと思うけど……?」 ある意味失礼な感想だったが、それも彼の耳には入っていないようで。 「俺だって、クアールだってホントは『災禍』になんかなりたくなかった、けどあの世界の俺達はそうなっちまった」 鼻を鳴らしながら「狭い本の中に閉じ込められるのも嫌だけど、いっぱいの人から怖がられるのはもっと嫌なんだよ」と続ける彼に、バーテンも困った顔で苦笑いを浮かべるだけだ。酔っているようなので、好きなだけ吐露して貰うというのが無難な対応なのだろうが―― 「そうねぇ……わたしには難しい事は分からないけれども」 サラダをつまんでいた箸を丁寧に目の前に置くと、花子は言葉を選びながら訥々(とつとつ)と語り始める。 「わたしは商人の家に生まれ、あの人の元に嫁いで農家になった。婿養子に来て貰って商家を続ける事も、あるいは勉強して別の職業に就く事もできたのにね」 無論、それには困難が伴うだろう。それぞれの事情や時代といった壁が立ち塞がる。 「でもね、選んだのはわたし自身なの。それは選択であり、他の道を潰す事だわ」 穏やかな表情を崩さない彼女の顔を、ベルゼは放心したようにぼーっと眺めている。 「だから結局大事なのは、自分の納得がいくかどうかじゃないかしら? 後悔はいつだって、誰にだって存在する。でも、それで今を生きる事を諦めちゃ駄目」 もちろんこれは、幸せな今があるからこそ言える事かもしれないけど――そうベルゼを振り向いた花子の目が真ん丸に見開かれた。 「眠られてしまわれたようですね」 そこにはバーテンの言葉通り、カウンターに突っ伏して穏やかな吐息を漏らすベルゼの姿があった。 「あらあら。偉そうにべらべらと喋っちゃって、恥ずかしいわね」 顔を赤くしながらも、花子は穏やかな眼差しで、眠っているベルゼを見守り続けた。 ●何故だか、私は祈ってみた 笹の葉を揺らす短冊からそっと手を放し、エリザベス・アーシュラは背後を振り返った。 「短冊の一つ一つに込められたドラマに、全私が涙しました」 「つまり、いつもの聞き耳を立てていたんですね?」 カウンターの中では、バーテンがグラスを磨きながら呆れ返った表情を浮かべる。 「やめられないとまらない♪ で御座います」 「少しは遠慮して下さい」 バーテンは渋い顔でたしなめるものの、当の本人はどこ吹く風で。 「それで、この願い事はいつ叶うのでしょうか?」 さも当たり前のように尋ねられて、苦笑いを浮かべる。 「ですから、あくまで験担ぎですよ。私は願い事をする事自体に意味があるのではないかと考えていますが」 そう告げられたエリザベスは、茫洋とした視線を彷徨わせたかと思うと、突然その場に膝を折って両手の指を組み合わせた。 そのまま瞳を閉じ、一分は過ぎただろうか? 「……一体何を?」 立ち上がった彼女に、バーテンは不思議そうに尋ねる。 こちらを見返す瞳は、やはり真意を探れない不可思議な色をたたえていて。 「祈りを捧げていました」 「祈り?」 「はい。信じる神はおりませんが、これらの願いが叶えば良いと思いまして」 祈るという行動に出た理由は、実は本人にもよく分かっていなかった。言うなれば、心がそう命じたから、だろうか。 「変でしょうか?」 「いえ。大変結構な事だと思いますよ」 (了)
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