マスカダイン・F・羽空は、こんこん、と鍛冶屋のドアを左手で叩く。 右手は、左胸ポケットにそっと触れている。 「はいはーい」 中からのんびりした声がし、ドアが開く。そこには、七代・ヨソギが立っている。 「ピエロさんじゃないですかぁ」 ヨソギは笑い、中へと促す。羽空は、にこっと笑い、ヨソギの誘いを受けた。 「いきなりどうしたんですかぁ?」 こぽこぽとお茶を入れつつ、ヨソギが尋ねる。羽空は「実は」と言いながら、左胸ポケットから懐中時計を取り出し、机上に置く。 「ああ、ボクが屋台で出した、懐中時計じゃないですか」 「うん、パヴロくん」 羽空は、優しい目を向ける。 手にすっぽり入る、鋼の懐中時計だ。毎日のゼンマイ巻きは欠かせない。 「綺麗に使ってくれているんですねぇ」 「もちろん。ほら、ちゃんとロケットペンダントもつけてるよ」 懐中時計につけてる、はと丸型のロケットペンダントが、きらりと金色に光る。これも、ヨソギが作ってくれたものだ。 「じゃあ、今日はオーバーホールですか?」 「ううん。あ、いや、それもなんだけど。お願いがあるのね」 羽空はそう言いながら、じっとヨソギを見つめる。 「ボク、自分でパヴロくんのお世話ができるようになりたいんだ」 羽空の言葉を聞き、ヨソギは「あれ?」と不思議そうに首を傾げる。 「ボク、いつでもメンテナンスしますよぉ?」 「そうじゃなくてね、自分でやりたいのね。ボクが、どの世界に行ったとしても」 あ、とヨソギは気付く。そういう意味か、と。 「それとね、おさかなさんの腕は、精巧なカラクリ細工も得意じゃない?」 「そこは自信がありますねぇ」 「ボク、手品の道具を、自分で作れるようになりたいのね!」 羽空は、目をキラキラさせながら言う。 今までは、店で購入したり、他の人から借りたりして手品をしてきた。だが、ヨソギに技術を習えば、自分の手で作り出すことも可能だ。 「ボク、自分の手で道具を生み出せるようになりたいのね」 「なるほどですぅ」 こくこく、とヨソギは頷く。続けて、ずず、と自らが入れた茶を啜る。 「ピエロさんの気持ちは分かりました。だけど」 こと、とヨソギは茶の入っている湯飲みを机に置き、一息ついてから言葉を続ける。 「ボクが持っている技術は、ボクの一族が何百年もかけて、磨いて作り上げてきたものです」 「そうなんだ」 「さらに、種族の体格や特性があって、初めて本領を発揮できるものなのですぅ。教えるとしても、何十年も時間がかかります」 ヨソギの言葉に、羽空は「そっか」とだけ答える。それでも、諦めている表情ではない。何かしらの方法を探るような目をしている。 ゆるぎない、とヨソギは小さく微笑む。羽空の意思に、揺るぎなどは感じられない、と。 「基礎だけは」 「え」 「鍛冶師の基礎だけは、頑張れば教える事ができると思いますぅ」 ヨソギの言葉に、羽空の目が輝く。 「基礎さえ身についていれば、パヴロ君の修理くらいなら、こなせると思いますぅ」 「そう……そう、なのね。うん。基礎、大事なのね」 「もちろんですぅ。基礎さえあれば、そこから先はピエロさん一人の力で、技を磨いていくことも出来るでしょう」 「ボク一人の力で?」 「はい。新しく物を作ることも、きっとできるようになりますよぉ」 ぱあ、と羽空の顔がほころんだ。ヨソギもつられて笑う。 「ボク、頑張るのね。だから、教えて欲しいのね」 「了解しましたぁ。でも……ボク、きびしーくいきますからねぇ?」 「うん、分かってるのね」 「本来は、数年かけて身につけるものですからねぇ?」 「それも、分かってるのね。そっか、ボクの力で」 くすくすと羽空は笑う。これからの事を考えた時、不透明に見えた部分が少しだけ明るくなったのだ。 「じゃあ、それを飲んだら始めますよぉ」 ヨソギはそう言いながら、すっかり湯気がなくなったお茶を指す。羽空は「あ」と言いながら、湯飲みをあおる。 「出して貰ったのを、すっかり忘れてたのね」 「それだけ、気持ちが張り詰めていたんですよぉ」 「うん、そうなのね」 ほう、と息を漏らしながら羽空は言う。ヨソギの入れてくれた茶は、冷めても心を落ち着けるには十分であった。 「鍛冶師の基礎は、まず道具を確認するところから始めますよぉ。本当は、ピエロさんが自分の手に合ったものを使うのがいいのですけど、時間がかかりすぎるのですぅ」 「おさかなさんの道具は、トラベルギアも兼ねてるんだっけ?」 「それもありますよぉ。だけど、そうじゃないものも沢山在るんですぅ」 「やっぱり、自分が使う道具を探すのって、難しいのかな?」 「そうですねぇ。ボクの場合は、作っちゃうんだよねぇ」 「ああ、そっか。おさかなさんは、何でも作れるんだよね」 うらやましそうに、羽空は言う。ヨソギの鍛冶場に揃っている道具達は、どれもヨソギのためにヨソギによってあつらえた物たちだ。 しかしそれらが揃っているのは、ヨソギが鍛冶師としての基礎を踏まえ、技能をふるえるからに他ならない。 それを、自分も出来たら。 羽空は思わず、ぎゅっとパヴロくんを握り締める。 「慌てる必要はないのですぅ」 ヨソギの言葉に、はっとしたように羽空は握り締めた手を緩める。 「ボクだって、最初から道具を作れたわけではないのですぅ。基礎を身につけ、道具を色々試して。失敗して。たくさん努力して。いろんなことを経て、ようやく今に至るのですよぉ」 にこにこ、とヨソギは言う。 「ボクにも、できるよね?」 「当たり前じゃないですかぁ。勿論、ボクがあげられるのは、無垢の技術の原石ですけれど」 「無垢の、技術の、原石」 噛み締めるように、羽空はヨソギの言葉を繰り返す。 「どんな宝石だって、原石が無ければ何者にもならないのですぅ。そして、そこから磨くのは磨く人次第ですよぉ」 「ボクが、磨く」 「はい。磨いて形にするのは、ピエロさん自信ですよぉ」 真っ直ぐに、羽空はヨソギを見つめた。鍛冶場にやってきたときよりも明確に、意思と光を携えて。 「改めて、おさかなさん。ボクに、鍛冶師の基礎を教えて欲しいのね」 「分かりました。じゃあ、始めましょうかぁ」 湯飲みが空になっているのを確認し、ヨソギは立ち上がる。続けて、羽空も。 「パヴロくん。ボクが、お世話をするからね」 愛しそうに、羽空はパヴロくんの丸みを帯びた縁をなぞる。そうして、すっぽりといつもの左胸ポケットに収めた。 今日は、ヨソギにオーバーホールを頼むことになるだろう。まだ羽空には、その技術を持ちえていないから。 しかし、見て学ぶことは出来るはずだ。こうしてヨソギの元で教えて貰うということは、ヨソギが行う一つ一つの作業でさえ、学びに直結するのだから。 (パヴロくんが、もし、壊れてたとしても) 想像なんてしたくない。ちゃんとメンテナンスを欠かしていない上、パヴロくん自体が壊れるはずが無いと思っている部分もある。 だが、それでも、万が一ということがあるかもしれない。 その時、まだヨソギにこうして会えるなら良い。または、別に腕の良い鍛冶師に出会えているなら良い。 しかし、そのどちらの可能性も無かったとしたならば。 (パヴロくんを壊れたままにしておけるはずが無いのね。パヴロくんだって、自分の仕事をしたいはずだし) 可能性の有無を考える前に、自らが修繕できることが一番だ。こうして頼むオーバーホールだって、自分で出来ればより一層良い。 パヴロくんは、友達や、弟や、相棒のような存在へとなっているのだから。 (手品の道具だって、作りたいしね) 「ピエロさん、左から並んでいる道具を、説明しますねぇ」 「うん。お願いするのね」 「道具は、自分の手の代わりともいえますぅ。だからこそ、大事に、そして的確に使わなければ意味がないのですよぉ」 ヨソギはそう言ってから、道具の説明を始める。 一つ一つ、見たことはあるが用途が分かっていなかったり、名前すら知らなかったり、といったものが並んでいる。 そして、想像以上に量が多い。 「覚えられるかな?」 「覚えるんですよぉ」 少しだけ不安そうに言う羽空に、ヨソギはにっこりと答える。思わず羽空は「それもそうだね」と吹きだす。 「まだ、始まったばかりだもんね」 「そうですよぉ」 羽空とヨソギは、顔を見合わせて笑った。 「メモを取っても、いいかな?」 「それはいいですけど、どうせなら使いながら覚えてほしいですねぇ」 ヨソギはそう言いながら、道具の中からいくつか手に取る。 「一気に覚える必要はないのですぅ。少しずつ、だけど着実に覚えてください。知識はあって困るものじゃないですけど、それだけじゃ道具を使うことにはならないですから」 「道具は、手の代わりになるから?」 「その通りですぅ。間違えたら、びしっといきますからねぇ」 にやり、と少しだけ意地悪そうな顔で、ヨソギは微笑む。 「望むところなのね」 「その意気ですぅ」 ぱちぱちと火の粉が弾かれる部屋の中で、ヨソギと羽空は笑いあう。 これから、鍛冶師の基礎をヨソギにみっちりと教えて貰うことになるだろう。どれだけかかるかも分からないし、どれだけ教えて貰えるかもまだ分からない。 それでも、一歩前へと進んだのは確かだ。 (ボク、頑張るよ) きゅ、と左胸ポケットを握り締め、羽空はパヴロくんへと囁く。 「さあ、次々いきますよぉ!」 ヨソギはどこか嬉しそうにそう言い、道具の説明を始めるのだった。 <未来への一歩を踏みしめ・了>
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