どうしてこうなったのか? 彼らの出会いは偶然といえば偶然だった。一二千志が選んだ侵入ルートにたまたま古城蒔也がいただけ。一片の気配もなく地下通路におりたった千志の視線のさきで、蒔也は床に座りこんで居眠りをしていた。 どうしてこうなったのか? 彼らの出会いは必然といえば必然だった。二人にインヤンガイでの事件解決を依頼したのはそれぞれべつの世界司書だったが、同一の犯罪組織の犯行だとまでは予言していなかった。 どうしてこうなったのか? 蒔也はおっくうそうに立ちあがると、にやついた口元とは裏腹に全身から殺気をみなぎらせた。千志もまた半身にかまえ、『自身の影が蒔也にむかって伸びるよう』照明を背にした。このとき、お互いの頭上にそれぞれの所属世界をあらわすナンバーがないこと――つまりは相手がロストナンバーであることに、彼らは気づいている。 ならば、どうしてこうなってしまったのか? さきに仕掛けたのは蒔也だった。パーカーのすそに差し入れられた右手がつぎに姿をあらわしたとき、真っ黒な銃口が千志の命をねらっていた。 身をかくす場所もないせまい通路で、襲いくる銃弾をかわすため、千志は素早く上半身をしずめた。銃声とともに頭頂を熱い塊がかすめる。 千志の黒い瞳が野獣の閃きをともした。じゅうぶんに曲がった膝のバネをいっきに解放して突進する。命のやりとりにおいて勝利をつかむには、逃げの姿勢ではなく攻めの姿勢が必要であることを彼は知っている。 千志の行動を予期できなかった自分にたいして蒔也は舌打ちせざるをえない。もう一度狙いをさだめる時間的余裕などなく、『左手で迎撃する』しかなかった。殴りかかってきた拳を、左手で横合いからつかみにかかる。 千志は脳のかたすみをかすかな違和感に揺さぶられ、とっさにパンチをひっこめた。今なら『自分の影は敵の足元にあった』が、違和感の正体をつかみかねて間合いをはなすことにした。蒔也の脇をすりぬける。 位置を逆転させて再度むかいあう千志と蒔也。 「てめぇ、なんで俺の邪魔をする?」 訊いたのは千志だ。 「用心棒だからにきまってんだろ」 蒔也は即答する。 「俺はここをつぶせって依頼されたんだけどよ。てめぇはまさかここを守れって依頼されてきてんのか?」 『ここ』とはこの地下をねぐらとする犯罪組織のことだ。 「いやいや俺も、ここをぶっ壊せってご機嫌な依頼でインヤンガイくんだりまでやってきたクチだぜ」 ただでさえ険しい千志の眉間に、さらにシワが寄る。 「だったら、邪魔すんじゃねぇ。俺は行くぜ」 障害であった蒔也はもうすり抜けた。あとは、きびすを返して奥へとすすむだけだ。ただそれだけのこと。 走り出そうとした足元に弾痕と硝煙。障害が追いすがってきた。 「まだ、邪魔をするってのか?」 「俺は『壊せる』ならどんな仕事でもやるぜ」 蒔也は心底楽しそうに笑っていた。生来の『壊し屋』である彼にとって、破壊こそがすべて。組織にしろ千志にしろ、眼前の破壊対象にのみ興味をそそられる。 蒔也の笑みがわずかに崩れた。叩きつけられた敵意があまりにまっすぐだったからだ。 「てめぇは自分の快楽に他人を巻きこむのかよ」 千志はその場にとどまることを選択した。任務を遂行することより売られたケンカを買うことを優先させたのだ。その理由はあまりにも明らかな正義感だ。 蒔也は高揚感と後悔とを胸のうちで半々にまぜて、ため息としてそとへ漏らした。千志を全力で破壊できるのは嬉しいのだが―― 「とんだ石頭とでくわしちまったな」 めんどくさくもある。 どうしてこうなったのか? この二人はなるべくしてこうなったのかもしれない。 二人はまだ手のうちを見せていない。外見から判断はつきづらいが、もしツーリストであれば特殊能力のひとつも持っていておかしくないし、トラベルギアを使用してもいない。手が出しにくい状況だ。 蒔也は考えていた。この距離ならトラベルギアで蜂の巣にできる。さきほどのように銃弾をよけることなど不可能だ。だが、相手が銃弾そのものを無効化できる能力やトラベルギアを所持していたら? 千志は考えていた。銃器が得意なのだとしたら能力で防御できる。しかし、トラベルギアを打ち込むためには接近しなければならない。そのチャンスは一度きりか? そして、まだるっこしいのが苦手なのは蒔也のほうだった。 「めんどくせぇ! 一気にぶっ壊して――」 一触即発の凜とした空気。 しかし、言い終わるまえに複数の足音が二人の耳にとどいていた。ついでに男たちの怒鳴り声が、ぴりぴりとした雰囲気のあいだに割ってはいる。 「いたぞ!」 「侵入者だ!」 「逃がすな!」 どうやら組織の連中がさわぎを聞きつけたらしい。もしくはどこかに監視カメラが設置されていたのかもしれない。どちらにしろ用心棒である蒔也が報せたのではなかった。むしろ非情に残念そうに「ハァ? 邪魔かよ! こっからが良いトコだろうが」と毒づいている。 今の状況を『良いトコ』と表現する蒔也の不謹慎さにふたたび腹がたったものの、千志には蒔也を相手どる余裕がなくなっていた。侵入は完全に失敗だ。長い通路の前後から組織の配下たちがぞくぞくとわいて出ていた。これでは逃げるに逃げられない。 ギリと歯ぎしりする千志を、蒔也は心の中で天秤にかけた。どちらがより美味しい破壊対象かを考える。結果は火を見るよりも明らかだった。 「おい、助けてやるから、おとなしくしとけよ」 「あぁ?」 「助けてやるっつってんだ。いいからおとなしくしとけ!」 蒔也はつかつかと歩み寄ると、有無を言わさず千志の腕をうしろにひねるフリをした。 格闘術のプロである千志がこうもやすやすと捕まってしまったのは、ひとえに優れた観察眼のせいだったかもしれない。蒔也に敵意を認められなかったのだ。 「なにを――」 遅まきながら抵抗しようかと思ったときには、すでに男たちに囲まれていた。 「おい、てめぇら。こいつは俺がとっつかまえたから、もう大丈夫だ。ご苦労だったな。さっさと帰っていいぜ」 蒔也がひらひらと手を振ってみせる。 配下たちが困ったように顔を見合わせた。通例、侵入者は彼らが監禁室に連れて行くことになっている。 「俺がつかまえたから大丈夫っつってんだよ」 ぞわりと鳥肌がたった。インヤンガイでも荒事に慣れた者たちがいっせいに血の気をうしなう。このツンツン髪の男が用心棒になりたいと、いきなりアジトにあらわれたときに目にした実力が、骨身にまで染みていたからだ。 しぶしぶといった様子で退散する配下たちにもう一度手を振り、蒔也はにっと笑った。もちろんその満面の笑みは千志にむけられたものだ。 千志は……憮然とするしかない。 「なぁ、ありがとうは?」 蒔也の口からとびだした言葉に、千志は目を剥いた。 「言ったとおり助けてやっただろ? あ・り・が・と・う、は?」 千志は蒔也の手をふりはらって歩き出した。唇は真一文字に引き結んだままだ。それは、この男にだけは礼などしたくないという気持ちと、自身のモラルのはざまで葛藤しているあらわれだった。 「あれれ? 正義漢ぶってるわりには礼も言えねぇのかよ?」 いっぽう蒔也は完全に楽しんでいた。後ろからつきまとい、しつこく礼を催促する。 「てめぇは……本当にムカつくヤツだな」 ようやく腹の底からそれだけをしぼりだす。 「お。いいねぇ、その眼。感謝する気がねぇんなら、さっさとさっきの続きをやろうぜ」 「そんなに俺を『壊し』たいのかよ?」 「今は飼い主様がいねぇんだ。『壊せる』仕事を探すのも大変なんだぜ?」 飼い主とは雇い主のことだ。 「今は『ここ』のボスに雇われてるだろうが?」 「潜入するために雇われたフリをしてるだけだろ」 だったら最初から用心棒だと言い張って邪魔をしなければよかっただろう。千志はそう言い返そうとして、やめた。蒔也の笑みを見ればわかる。彼は自分をただ単にからかっているのだ。 「なら自分で犬小屋でも建てて『壊し』とけ!」 吐き捨ててから、千志は足を速めた。これ以上蒔也に関わりたくなかったのだが、案の定、彼もまた追いつけるように走り出した。目的が同じなのだから仕方がないと、必死に自分に言い聞かせる千志だった。 千志の目的地は金庫室だった。そこに大量の新型麻薬とその製法が保管されており、すべてを焼き払うことによって被害を食い止めようという算段だ。 蒔也はあいかわらず千志の行動にちくいちチャチャを入れつつ背後にぴったりついてきている。 千志の忍耐も限界に達しようとしたころ、ようやく金庫室にたどりついた。あと数分遅ければ、二人は二度目の戦闘に突入していたかもしれない。 「あそこに突入すんのか?」 ただついてきただけの蒔也にはいまいち目的がはっきりしていない。あっけらかんと訊ねる。 「金庫室だ。新型麻薬とその製法が保管してある」 「なんだ、もう終わりかよ」 なにが終わりなのか問いただしたかったが、もちろんやめておく。会話すればするほどイライラが募ることを、千志はこの十数分でじゅうぶんに学んでいた。 通路の角からのぞいてみると、さすがに金庫室の入口は手堅く守りをかためてあった。扉はどこよりも頑丈そうだったし、屈強な守衛が二人、銃を手に立っている。おそらくどこかに監視装置もあることだろう。もしかしたらなにかしらのトラップが仕掛けてあるかもしれない。侵入者である千志は蒔也が捕獲したことになっているが、いっこうに監禁室に現れない彼らにそろそろ不信感を抱いてもいるだろう。 「さて、どう攻めるか……」 検討を始めた千志のよこを、蒔也がするりとすり抜ける。 「一気にぶっ壊してやるぜ!」 彼の両手にはそれぞれサブマシンガンが出現している。グリップ同士がほそいチェーンでつながった双子のような銃。それが蒔也のトラベルギアだ。 守衛たちは反応する間もなく『破壊』される。扉も壁もおかまいなしに蜂の巣だ。あまりの銃声にいつ警報が鳴りはじめたのかもわからない。 「あンの単純バカがっ!」 ついに堪忍袋の緒が切れた。今度は千志が、マガジンを交換する蒔也のよこをすり抜ける。もはや原型をとどめていない扉を蹴破って金庫室に入った。 それほど広くない室内に、男たちが五人、いや六人。正面の壁にはいかにも金庫といった巨大な鉄の塊がはめこまれている。 いくら攻撃力の高いトラベルギアとはいえ、壁越しではそれほど殺傷力を発揮できない。予想どおり部屋内にはたくさんの守衛が生き残り、体勢を立て直そうとしていた。 「させねぇよ!」 千志の拳にもトラベルギアが装着されている。黒光りするガントレットは腕力を高めてくれる。彼の体捌きとあわされば無敵の強さを発揮する。 一撃必倒。次々と守衛たちを吹き飛ばしていく。その動きは並の人間では目で追うのがやっとで、発砲すらさせないまますべての守衛を昏倒させた。 「へぇ、やるじゃねぇか」 お気楽な口笛とともに蒔也が悠々と入ってきた。 「だいたいてめぇが――」 詰め寄ろうとした千志の視界に、あらたな敵が映った。蒔也の背後には警報を聞きつけた組織の人間たちが大挙して押し寄せていた。数え切れないほどに。 実のところ千志には組織を真正面からひとりで叩きつぶす自信があった。ただ効率を重視したために秘密裏に侵入したのだ。だから警報まではある意味想定のうちであり、誤算があったとすれば純粋に『兵数』の問題だった。事前に調査していた数よりかなり多い。 もしかしたら組織のボスはどこかから不穏な情報を入手し、ある程度襲撃に備えていたのかもしれない。用心棒として蒔也を雇ったこともその一環だったと考えられる。 突破して脱出するだけなら――しかしそれでは目的は達成されない。新型麻薬を消滅させなければ。能力を使って組織の兵士たちを倒しつつ、同時に金庫を破壊する。できるだろうか。 「『破壊』?!」 千志は脳裏にうかんだ考えを瞬時にふりはらった。まさかこのいけ好かない『壊し屋』の手を借りるなどありえない。ありえないはず、だ。 蒔也は大量にわいて出た破壊対象たちに興味をそそられている。わくわくと胸を躍らせているのがひと目で見てとれた。このまま黙っていれば、先ほどのように暴走するだろう。 千志は感情を理性で必死におさえこんだ。 「てめぇは身勝手で、いつもふざけてやがって、なんにも考えてねぇ」 千志が鋭く蒔也を睨みつける。 「あン? 今からさっきの続きをやるのか?」 「いいから俺の話を最後まで聞け」 蒔也の軽いペースに、千志は乗りもせず揺らぎもしなかった。これにはさすがの壊し屋も動揺してかるくのけぞってしまった。 「このまま放っておいたら、てめぇはまた暴走するだろう……だから、俺が雇ってやる」 蒔也が盛大に眉をひそめる。 「意味がわかんねぇって顔だな。俺がおまえの飼い主になってやるって言ってんだ。わかったら、ワンとでもなんでも吠えやがれ」 ひそめた眉が一気にはねあがった。 「おまえが……俺の!?」 「まずは手はじめてにひと仕事してもらうぜ。俺があいつらを食い止めてるあいだに、新型麻薬と製法ごと金庫をぶち壊しやがれ!」 言い残して、千志は組織の配下の群れにつっこんでいった。 「……おまえが、俺の? ハハハ、そいつぁ傑作だぜ! おもしれぇ!」 蒔也もまた千志に背をむけて金庫に走った。 憮然としたままの千志とにやついた蒔也と、表情は対照的だったが、動きは二人とも迅速かつ的確だった。 千志は部屋の照明が『自身の影をじゅうぶんに伸ばしている』ことを確認し、両手のひらを前方へとかざした。 「千々に裂けろ!」 『影』から無数の黒い刃が生まれ、ななめに飛んでは、通路に溜まっていた敵たちを斬り裂く。まるで蝙蝠の一群が闇から光を目指して飛ぶよう。 ちらりと背後に気をやった蒔也は、あのとき千志が奇妙な位置どりをしていたのは『影をこちらに伸ばすため』だったのかと納得していた。あのときとは、最初に千志と対峙したときのことだ。 「こっちも派手にいくぜぇ!」 蒔也が巨大な金庫の扉に『右手のひらを当てた』。ただ触れただけであるのに、彼が身を引くと同時に扉が爆発する。爆風と炎が舐めるように金庫の奥へとながれていき、中身を――麻薬とその製法とを――消し去っていく。 ちらりと背後に気をやった千志は、あのとき蒔也がこちらの拳を『左手でつかもうとした』のは、この能力があったからかと納得していた。あのときとは、最初に蒔也と対峙したときのことだ。 このとき千志は影をあやつりながら。 蒔也は爆炎をあやつりながら。 あのときあのまま闘っていれば倒れたのは自分のほうだったかもしれない、という想いを互いに抱いていた。それは二人がはじめて共有した想いだったのだが、当然ながらそのことをお互いが知ることはなかった。 インヤンガイの辛気くさい路地を並んで歩きながら、千志と蒔也は仕事を終えたあとのけだるい高揚感に身をまかせていた。こういうときは街の喧騒もなぜか心地よい歌声に聞こえる。 犯罪組織は彼らの手で半壊した。これでお互いの依頼を果たしたことになるだろう。新型麻薬が市場に出回ることは、もうない。 任務が終了したというのに、二人はいっしょに歩いている。なぜかそのことを不思議に思わない。 「おい」 呼びかけたのは千志。 「あン?」 応えたのは蒔也。 「てめぇを放置するのはやっぱり危険だ。あらためて俺が飼い主になってやるよ。今度からは俺が指示した仕事をやれ」 千志の命令に、蒔也がくつくつと笑う。 「そうだなぁ。時給千円三食昼寝付きで手ぇ打ってやるよ」 「『壊し屋』ってのは案外やすっぽいんだな」 「なっ! これは特別価格ってやつだ! それよりおまえ、助けてやった礼をまだ聞いてねぇぞ!」 「はぁ? 俺は飼い主様だぜ。なんで飼い犬に礼なんぞ言わなきゃならねぇ?」 ぐっと言葉につまる蒔也に、今度は千志がにやりと笑いかえす番だ。蒔也は低くうなったまま歯ぎしりしている。ひたすらにからかっていた相手からやり返されるのはおもしろくない。 「あ、あんときはまだ雇われちゃいなかったんだ! べつの話だろうが!」 なんとかして立場を逆転させようと言いつのる蒔也を無視して、千志はさっさと家路を急ぐ。 「あ! なんだそのにやにや笑いは! ちょ、待て! 納得いかねぇ!」 蒔也はその背中に必死に追いすがる。 今後この二人の関係がどうなっていくのか、それはだれにもわからない。出会ったのは偶然であり必然。そして、この二人はきっとなるべくしてこうなったのだった。
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