ヴォロスのとある地方に「神託の都メイム」と呼ばれる町がある。 乾燥した砂まじりの風が吹く平野に開けた石造りの都市は、複雑に入り組んだ迷路のような街路からなる。 メイムはそれなりに大きな町だが、奇妙に静かだ。 それもそのはず、メイムを訪れた旅人は、この町で眠って過ごすのである――。 メイムには、ヴォロス各地から人々が訪れる。かれらを迎え入れるのはメイムに数多ある「夢見の館」。石造りの建物の中、屋内にたくさん天幕が設置されているという不思議な場所だ。天幕の中にはやわらかな敷物が敷かれ、安眠作用のある香が焚かれている。 そして旅人は天幕の中で眠りにつく。……そのときに見た夢は、メイムの竜刻が見せた「本人の未来を暗示する夢」だという。メイムが「神託の都」と呼ばれるゆえんだ。 いかに竜刻の力といえど、うつつに見る夢が真実、未来を示すものかは誰にもわからないこと。 しかし、だからこそ、人はメイムに訪れるのかもしれない。それはヴォロスの住人だけでなく、異世界の旅人たちでさえ。●ご案内このソロシナリオは、参加PCさんが「神託の都メイム」で見た「夢の内容」が描写されます。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・見た夢はどんなものか・夢の中での行動や反応・目覚めたあとの感想などを書くとよいでしょう。夢の内容について、担当ライターにおまかせすることも可能です。
郊外のボロアパートには母が待っている。 扉を開ければ部屋全体が軋むような安普請だが、安らげる寝床であることに違いはない。 「ただいま」 「あー、疲れた」 「お帰りなさい、ふたりとも。ごはん、出来てるわよ」 条件は悪くとも、働けるのはありがたいことだ。 泥にまみれて汗を流せば、少なくとも、その日の糧は得られる。糧は、母が温かい食事にしてくれる。腹をあたためて、熱い風呂に首まで沈めれば、疲労がゆっくりと溶けていく。 異能者どもが、とあちこちで囁かれる陰口は気にならない。 それよりも耳を傾けるべき言葉があるからだ。 「しかし千志、お前、もうすっかり一人前の男だな。そろそろ俺はお前に追い抜かれそうだ」 「何言ってんだよ父さん、そりゃまあ成人はとっくの昔にしてるけど、まだあんたには勝てねぇよ俺は」 妙に年を食ったような父の発言に呆れつつ、自分は父親に認めてもらえる程度には成長したのかと面映ゆい気持ちになる。自分を愛し護り育んでくれた両親を、ようやくこの手で支えられるようになってきたのか、と。 「千志もそろそろお嫁さんをもらう年ごろよね。料理上手な可愛い娘さんが来てくれたらいいわねぇ」 「気が早ぇよ、母さんは」 ありとあらゆる局面において差別され続ける異能者たちにとっては、結婚することすら容易ではない。何より、彼はまだ、今のままでいいと感じているのだ。精いっぱい働いて、両親を幸せにしたい、少しでも楽な暮らしをさせてやりたいと思っている。 「俺は、まず、あんたたちに幸せになってもらいたいんだ。そのためには、コツコツやるしかねぇだろう」 この世界の在りかた、理を変えるなどという大それたことは彼には出来ない。 それでも願いがあり、想いがあるからこそ、彼は日々を、貧しくともつつましく、懸命に生きるのだ。その一日一日に意味があるのだと信じて。 「……お前は本当にいい男に育ったな。俺はお前が誇らしいよ」 父が彼の頭を、少年のころよくやったようにがしがしとかき混ぜ、 「母さん、千志が息子で本当によかったって、最近よく思うのよ」 母は晴れやかに笑って彼の背を撫でた。 「うわ、ちょ、やめろガキ扱いは……!」 抗議しつつ、彼の眼は笑っている。 愛する家族がいて、一生懸命生きている充足感があって、他に何が必要だろうかと、心の底から思っている。 (ああ……そうか) 一二 千志は、それを、なにかまぶしいものを見る眼で見つめていた。 (あれは、ふたりが死ななかった『今』の俺、か……) 事故に巻き込まれた両親は、異能者ゆえの差別によっていくつもの病院で拒否されて死んだ。命にかかわる事故で、小さな病院がどうにか受け入れてくれた時には手遅れだったのだ。 (父さん母さんが生きていたら、あんなふうに育っていたのか、俺は) 今の千志がまとう鋭さは、係累をなくし放り込まれた先の孤児院でかたちづくられたものだ。それゆえに、千志の前で父母とじゃれ合う彼は穏やかで、世の中の理不尽すらおおらかに受け入れているように見えた。 (……) ひどく、心惹かれる光景だった。 求めて願って欲してやまなかった世界がそこにはあった。 ああして満たされていれば、きっと自分の手は血塗れにはならなかっただろう、と。 父と母ともうひとりの自分に向けて手を伸ばす。 一度だけでいい、触れたい、と強く願った。 ――が。 手が届く前に、すべてが掻き消える。 神託の都メイムが見せる夢は、暗闇一色のなにもない世界に変化していた。 「なんだ……?」 千志がいぶかしさに眉をひそめるのと、 ひとごろし。 政府の犬。 自分勝手な、薄汚れた猟犬。 人殺し。 ひとごろし。 お前が穿った身体が痛い、痛い、今でも痛いんだ。 痛い、苦しい、怖い、痛い、憎い、憎い憎い。 代わりに、どこか聞き覚えのある声が、怨嗟をともなって響いたのは同時だった。 「てめぇらは……」 血まみれの、もはや命なきものとひと目で判る、おどろおどろしい亡者たちが千志の身体に群がっている。すさまじい憎悪をはらんだ声が、千志をなじりその業を断罪する声が、脳みそを揺さぶる。 ひとごろし! 違うんだ、と、言いたかった。叫びたかった。 我が身の安寧のための行いではなかったと。 最後には、同胞殺しの罪人として彼らから裁かれることになろうとも、彼は、異能者たちを救いたかった。そのためには、どうしても資金が必要だったのだ。――命を奪われた彼らにとって、そんなものは何の言い訳にも慰めにもならなかっただろうが。 そして、 ――信じてたのに。 お前のこと、家族だって……友達だって、仲間だって。 それなのに……こんな。 まるで断罪のごとく殷々と響くのは、 裏切り者! 彼が殺してしまった、異能者の親友だった。 「違うんだ、元!」 千志は今度こそ絶叫した。 それは悲鳴のようでもあった。 いっそう騒がしくなる罵倒に耐え切れず、耳を押さえて逃げようとしたが、声はどこまでも追いかけてきて千志の意識を打ち据えたし、何より、亡者たちの手は彼を捕らえたまま離してくれない。 裏切り者! 雷鳴のようなそれに、全身を打ちのめされる。 苦い絶望の暗闇の中へと、意識が沈んだ。 * * * 「――……ッ!」 絶叫の水脈を引きながら飛び起きる。 そこが神託の都メイムの、天蓋のひとつだということはすぐに判ったが、それは些細な情報に過ぎず、よって千志の救いにはなり得なかった。呼吸は荒く、嫌な汗で全身はぐっしょり濡れていて、頭の中は激しく脈打つ心臓の音でうるさいほどだ。 「ゆめ……夢?」 かすれた声でつぶやき、千志は頭を抱えた。 必死で食いしばったが、歯はカチカチと鳴る。 怖いというより、ただ、寒かった。 人殺し。裏切り者。 今も、幼馴染の、親友の声が脳裏にこだましている。 「違う……そうじゃなかったんだ」 多くの同胞を犠牲にしてでも得たかった。異能者たちの、幸いという名の未来を。それを構築することで贖罪に変えようと思っていた。 しかし、世界を超え、故郷を見失ってしまった今、それを叶えるすべはない。 積み上げてきた同胞の死をどうすればいいのか。どうすれば償えるのか、それすら判らないのに、ただ過去を無意味にしたくなくて自分の信じた正義を曲げられずにいる。 (裏切り者。もう一生救われない、可哀想な、千志) 親友が、優しく千志をなじる。 ――誰も、千志を裁いてはくれない。 賞金稼ぎは、政府が設定した公的なものだからだ。 千志が犯した罪を誰も責めることは出来ず、――ゆえに、彼は赦されることがない。償うことも贖うことも出来ず、背負い続けるしかないのだ。 「俺も、あいつらと同じだ」 千志に群がり離さない亡者たちと同じく、彼にはもう何もない。 いっそ誰かが自分を捕まえて処刑してくれたなら、どれほど救われるだろうか。それすら罪深くおこがましいのかもしれないと知っていて、願わずにいられない。 「俺には、未来なんて、ない、のか……」 頭を抱えたまま、震える声でつぶやく。 ――言葉は、虚しく天井に当たって、消えた。
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