1.南方戦線 あちこちから火の手が上がっている。 聞こえてくる悲鳴、絶叫は、誰のものだろうか。 耳をつんざく爆音に、うまくものを考えられない。 恐怖と絶望はいや増して、正常な判断力を奪ってゆく。 敵と味方、シンプルな二極に分かれて戦って、けれど結局、死んでゆくのは同じ人間だった。喪われてゆくのは、同じ、命だった。 それは、どこまでもどこまでも伸びてゆく罪の道、そして、矛盾の道だ。 護りたくて殺した誰かにも護りたいものがあった。 帰りたくて殺した誰かにも帰りたい場所があった。 振り上げた拳で殴りつけて、本当に痛んだのは、殴られた誰かだったのか、それとも、殴ったこの拳だったのか。 ――答えは、きっと、出ないのだろう。 「なぜ、こうなったんだろうな」 朝日は力なく笑った。 自嘲的な笑みだった。 対峙するフレイム男爵も、似たような表情を浮かべている。 「……正義のため、だろう?」 声には、むしろ、自分に言い聞かせるような響きが含まれていた。 朝日が頷く。 そこには、諦観がにじんでいる。 「そうだな。――だが、正義とは、なんだ?」 朝日の問いに、フレイム男爵は唇を引き結ぶ。 真摯で真っ直ぐな眼差しを、わずかな迷いの光がよぎった。 しかしそれは朝日も同じことだ。 「私には判らんよ、朝日君。ただ……私には、息子がいるんだ。あれは、軍人でね」 「そうか。俺も……似たような、ものだ」 朝日が剣を抜く。 日本軍第七大隊に所属する第七十二小隊隊長である彼は、日輪剣士の力を持つ正義の味方だ。彼は、光と炎熱を友とし、操る、特殊能力者である。 「まさか……正義の味方同士、戦うことになろうとは」 嘆息するフレイム男爵の周囲を、焔のオーラが渦巻いた。 朝日は微笑み、解放の言葉を唱える。 とたん、彼を、まぶしい光が包み込んだ。 太陽を思わせる光のヴェールが彼の姿を変えてゆき、いつしかそこには、赤と金のヒーロースーツに身を包んだ、正義の味方が立っている。 行くぞ、と、どちらが言ったのか、判らない。 ただ、その声が、揺れていたことだけが、確かだった。 「因果なものだ、正義の味方も!」 フレイム男爵が腕を揮えば、空中に炎の槍が何本も現れ、朝日を狙う。 「ああ……まったくだ」 自重の笑みを浮かべ、朝日が剣を揮えば、それは激しい焔をまとい、白く輝く。 「たったひとつの正義のために、たったひとつの悪と戦っていられれば、どれほど楽だっただろう!」 ごおおう、と、炎が咆哮する。 熱風が渦巻き、熱い風をもたらした。 「隊長、朝日隊長!」 呼ばわる声もかき消されそうだ。 「来るな、村山! 『呪い』に捕まるぞ!」 フレイム男爵の放った炎の槍は、朝日の日輪剣によって薙ぎ払われる。しかし勢いを殺しきれず、はね跳んだ槍の破片が地面へと突き刺さり、大爆発を起こす。 もくもくと上がる黒煙の真ん中を、闇を切り開く日の出の陽光の如く、光をまとった朝日が、弾丸の速さで突っ込んでゆく。フレイム男爵は、偉大な指揮者を髣髴とさせる優雅な動きとともに、次々と炎の槍を生み出して解き放った。それは彼にとって負担なのだろう、フレイム男爵の唇には、わずかな血がにじんでいる。 朝日は太陽の力の具現。 フレイム男爵は炎に愛されし者。 焔と炎がぶつかって、双方、無事で済むはずがない。 「どうせなら、もっと……ッ!」 「言うな、朝日君! 私だとて、同じ想いだとも……!」 ぶつかり合う焔と炎が大地を吹き飛ばし、揺るがし、溶かしてゆく。 燃え崩れた大地は溶岩となって一帯を焼き焦がした。 太陽と炎がぶつかるたび、衝撃波めいた風が吹きつけ、普通の人間である一般兵士たちをよろめかせ、転倒させ、時には吹き飛ばした。 人智を超えたその戦いを、朝日小隊の隊員たちは――そして、フレイム隊のイギリス軍人たちは、呆然と見ている。正義の味方たちが生み出す、悲痛ささえ孕んだ熱風が頬を叩き、額を焦がし、唇を干からびさせる。 いつしか、朝日もフレイム男爵も泣いている。 頬を伝う熱い雫を誰もが見た。 ――同時に、膨れ上がる、最期の熱も。 (村山) そして彼はそれを聞いた。 おそらく、朝日小隊の隊員、全員が聞いたはずだ。 (魂を、掴むな) おりしも、ふたりの正義の味方は、互いに最終奥義を繰り出そうとしているところだった。 莫大な熱量、爆弾など瞬時に蒸発させてしまうほどの、壮絶なエネルギーが朝日とフレイム男爵双方から湧き出でて、膨れ上がる。解放の瞬間を待つそれが、しかし、ふたりの正義の味方を削り損なわせるものなのだと、その場にいる全員が理解していた。 それでもなお、彼らは、味方である日本兵とイギリス軍人、それぞれを護るために、力を揮うしかないのだ、と。 朝日は両眼から血を流していた。 フレイム男爵は何度も血を吐いていた。 避け得ぬ死の影が、ふたりの瞼には落ちていた。 ――誰かを護るためにいる正義の味方たちにとって、こんなにも虚しい死が、あっただろうか。 (能力が、継承されてしまう。だから、魂を掴むな) 何のことなのか、問い返す暇すらなかった。 次の瞬間、眼を灼く閃光が辺りを包み込み、日英双方の部隊を吹き飛ばし―― (正義は、呪いだ――) 最期の言葉とともに膨れ上がった焔に飲み込まれ、正義の味方たちは消滅した。 あとには、焼け焦げた大地が、無残に広がっているばかり。 「朝日、隊長……」 ぶすぶすと黒い煙をくすぶらせる大地の一角で、彼らは呆然とすべてを見届けた。 英国軍は撤退したようだ。 「……あ」 そして、誰かが見つけた。 彼らの消えたそこに、まぶしく光る珠が浮かんでいるのを。 「朝日隊長……日輪剣士、の」 小隊員のひとりが、ゆっくりと珠へ歩み寄る。 「待て、夜清(よすが)」 村山は彼を止めようとした。 「隊長の、最期の言葉を忘れたか」 「だからこそ、だ」 しかし彼は、首を振る。 「それでも、跡を継ぐ。ここで喪われてしまった日輪剣士、朝日という男のすべてを、――戦前、人々を愛し、護った彼のすべてを無駄にはしたくない」 強い意志を覗かせ、彼は手を伸ばす。 それが触れたとたん、光る珠は彼の魂へとつながり、次代の日輪剣士をつくりだしてゆく。 若き村山静夫は、その一部始終を、黙って見ているしか出来なかった。 2.煉獄博士 煉獄博士は、村山を捕らえ、鷲怪人へと改造した男だ。 彼は、戦時中、ドイツにいたという。 彼が何を見聞きし、いかなる衝撃を受け、いかなる絶望を味わったのかは、村山には判らない。 ただ、彼の言動は、世界征服をもくろむ悪の秘密結社幹部のそれではないという確信だけはある。 彼の行動は、他者を言いように操り、甘い蜜を吸おうなどという幻想からはかけ離れている。彼から村山が感じるのは、ヒトのすべてを滅ぼそうという、激烈な、憎悪と恐怖の入り混じった執念ばかりだ。 彼が感じ取っているそれは、間違ってはいないはずだ。 煉獄博士は、全人類を滅ぼすつもりでいる。そして、そのあとのことに、何の希望も持ってはいない。人類がこの世から消えてなくなったら、彼もまた、自ら死ぬ心算でいる。それはおそらく、私利私欲から来るものではない。 むしろ、人類を滅ぼすことこそ煉獄博士が示し得た人間への愛なのではないか、とすら村山は思う。 「だったら、あいつが人類を滅ぼす前に、殺してやるしかあるまいよ。――あの戦争で、数多の地獄を見たひとりとして」 そういう戦争だった。 人間の根幹を揺さぶり、根本を冒し、己という基盤にさえひびを入れる、そういう戦いによってかたどられた戦争だった。 村山自身、たくさんの同胞を失い、拠りどころさえも失いかけた。死の概念が摩耗し、恐怖は現実味を失い、そのくせ強い絶望ばかりがある中で、世論や愛や信念のため、人間たちの戦いへ加わった――加わらざるを得なかった『正義の味方』たちの、たくさんの死に様を見てきた。 だからこそ、煉獄博士の抱く、凍土のごとき執念を否定することができないのだ。 「……なあ、博士。せめて俺が道連れになってやりゃァ、寂しかねェだろう?」 色気のねェ道行きだがよ、と茶化しつつも、村山の記憶は、悪の秘密結社内にあってなお、奥の奥にやりきれない哀しみと狂気を孕んだ、煉獄博士の眼差しを映してもいるのだった。 3.夜明けの子 「なんだってお前はそんなに判らんちんなんだ、この石頭!」 ナウラは地団駄を踏んだ。 「このバカ山、石頭、鷲頭!」 「……最後のは間違っちゃいねぇ」 「私が言いたいのはそこじゃない!」 人がよく、ひとの善性を信じ、他者の幸せのためにひたむきになれる、真摯で生真面目、誰にでも親切なナウラだが、こと、この村山静夫という男に関しては、別だ。 素直になれない気持ちは、複雑に絡み合った事情が関係していて、悪いやつではないどころか、今ではもう「相棒になってほしい」とまでナウラは思っているのだが、今までのことを鑑みるに、手のひらを返したように素直になることは非常に難しいのだった。 むろん、村山は聡い男だから、ナウラのそんな葛藤に気づかぬはずもないのだろうが。 「もう一度言ってみろ、バカ山! それでお前は、博士をどうするつもりなんだ!」 「……殺す。楽にしてやる」 「それで、お前は」 「道連れのひとりもいりゃあ、博士の気も、多少は晴れるだろうさ」 「それだ、バカ山!」 「バカだバカだとうるさいやつだな」 「うるさくもなるだろう! 死ぬとか殺すとか、無理やり捻じ込む必要がどこにある!」 ナウラのいうことはもっともなのだ。 煉獄博士は止めねばならない。 それは間違いない。 しかし、その結末が、彼と村山の死である必要は、どこにもないのだ。 「だが、俺は」 ナウラは言っていた。 明和三十五年、ナウラは、黒外套の男と戦い、やむを得ず殺したのだと。 同郷のふたりだが、覚醒年は違う。 村山は明和三十一年、ナウラは明和三十五年の世界から覚醒し、0世界へと到ったのである。 村山は、四年後の日本でナウラに殺される黒外套が自分だという確信を持っていた。四年の間に何か重大な事件か、精神の大きな動きがあって、その結果自分は、ナウラに――正義の味方によって殺されるのだろう、と。 それゆえに、この、人の手でつくり出された純真無垢な兵士に、自分は何を遺せるのかと考え始めている。 しかしナウラは、村山のそれを見透かすように言った。 「お前の望みは何だ、村山。殺すことか。それとも、死ぬことか」 ナウラの問いは真っ直ぐだ。 村山は苦笑し、首を振る。 「大事な連中が泣かずに暮らせる世界だ。大事な連中の大事な連中、そのまた大事な連中まで、皆が、血を流さず、それぞれの信念に則って生きられる、調和にみちた世界だ。そのために、脅威が収められることだ」 そのためには、人類を滅ぼそうと企む凶科学者などいてはならない。 人間を傷つける悪意は、今のうちに取り除かなくてはならない。 「煉獄博士は脅威か」 「ああ」 「彼は悪意の塊で、私利私欲にほくそ笑む邪悪な科学者なのか」 「違う。WW2を経験した、ある種の同胞だ。あの戦争の経験者に、真の悪なんてものは存在できやしねェ」 「だったら!」 ナウラは拳を握った。 「話をすればいい、博士と。たくさんたくさん話して、聞いて、理解し合えばいい。何もかも、まずはそこからだ。違うか?」 「……」 「そして、博士の分も、何を見聞きしたのか、何があったのか、何が行われたのか、それらをすべて世界へと伝えろ! おまえのなすべきことはそれで、博士といっしょに、すべてを抱え込んだまま死ぬことじゃない!」 「……ナウラ」 「私は子どもで、視野は狭いし経験も浅い。だが、子どもだからこそ言えることもある」 金の双眸が村山を真っ直ぐに見つめる。 「大人なら、子どもに生きる姿を見せろ。――私の分も」 いっそ清々しいまでの透徹とともに紡がれたそれに、村山の呼気は一瞬、停まる。 「お前」 「そんな顔をするな、とっくの昔に知っているとも。私のような、量産型の兵士は寿命に限界がある……特に、戦闘に特化した優秀なものほど、消耗と劣化は顕著だ」 「……そうか」 ナウラの目に、死への恐怖はなかった。 「私は間違うだろう。いつまで経っても完成はされないだろう。けれど私は悔いないし、懼れない。私は信じるもののために戦える。過ちを認め、よりよい自分になろうと努力できる。なぜなら、父が、私に心を与えてくれたからだ。父や、出会った人々が、私に愛の何たるかを教えてくれたからだ。――そして、私にそれを教えてくれた者の中に、お前もいるんだ、村山」 おそらく、ナウラに残された時間はそう多くない。どれだけ多めに見積もっても、十年というところだろう。 それでも、ナウラは悔いないし、畏れないという。 まっすぐに自分の行く末を見つめ、最期の瞬間まで進むのだという。 「夜は明けるんだ、村山。太陽はいつか、必ず昇ってくる。私はその朝日を、胸を張って迎えることのできる者でありたい」 「……そう、だったな……」 彼を認めろという、作家の言葉が脳裏をよぎる。 信念のため、仲間のために戦って斃れた、日輪剣士の姿がふと浮かんだ。――彼は、やれやれとばかりに笑っていた、ような気がする。 村山は苦笑し、首を振る。 それからナウラの手を取った。 「俺は、一生。正義の味方から逃げられないんだな」 苦笑の混じったそれは、降参の色を含んでもいた。 言葉の上では諦めのようにも取れるが、村山の眼差しは、むしろ晴れやかだった。 彼の手を握り返し、ナウラもまた無垢な、明るい笑みを浮かべる。 「心配するな、きっとお前を見つけて護ってやる。私は正義の味方だ」 まっすぐで迷いのない、力強い言葉だった。 村山は静かに微笑み、手を伸ばし、ナウラの頭を掻き回す。 「……ああ」 「ん? どうした?」 「ああ、そうだな……」 頷きには、万感がこもっている。 ――正義は呪いだと朝日隊長は言った。 しかし、今、村山は、その呪いさえ受け入れていいと、奇妙に澄み渡った心持ちで思っているのだった。
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