姿を消した船に乗って大地に降り立ったのはこれで何度目だろう。 デューツェはこの星の綺麗な部分と汚い部分をこの半年で沢山目にしてきた。それが自分の役目だと知っている。沢山見て、学んで、直接触れて更に学ぶのだ。 こうして自分の足で地面を歩くのも大切なことだった。モニター越しでは決して成せない学習。この星の空気、形作っている物質、生き物の理、何万種類もの目に見えない生物や法則のこと。 それを自分の頭と『たくさんのもの』に覚え込ませていく。 『たくさんのもの』の正式な名前はデューツェには難しかったので、彼女はいつしかそれを呼ぶ時こういった簡単な名称を用いていた。 それは呼び名の通り本当に沢山居て、デューツェが自分では出来ない機能を肩代わりしてくれている。「シギー、『たくさんのもの』はいつから居るの?」 検診を終えた後、ふと気になってデューツェはシギーに訊いてみた。 彼はこの船の研究員だが、デューツェの担当医でもある。実際は担当医というよりメンテナンス担当に近いが、デューツェには細かなことはよくわからない。「そうねえ、貴女がこの船に来た頃だから……あら、大体一年くらいじゃない。もうそんなに経つのねぇ」「じゃあこの子たちのたんじょうび、そろそろ?」 シギーはほんの少し複雑げな顔をし、そうね、とデューツェの頭を撫でた。「たのしみ。たくさんいるから、ケーキいっぱい用意しなきゃ」「うふふ、太っちゃうわよ~。それに、それはもうデューツェそのものよ、だからケーキはひとつでいいんじゃない?」「そう……なの? なら丸いのひとつ、そのまま食べてもいい?」「いいけど食いしん坊さんねぇ。あっ、ほら、船長が呼んでたでしょ。いってらっしゃい」 シギーにそう言われ、呼び出しを思い出したデューツェは慌てて走っていく。「……元気に育ったわねぇ」 予定通りにいきそうだわ、とシギーは小さく呟いた。「せん、ちょっ!」 ほっぷ、すてっぷ、の次の段階で顔を覗かせると、巨大な部屋に横たわっていた女性が瞼を上げた。 真っ赤な髪の女性だ。形のいい唇にくっきりとした両眼、整った鼻筋と輪郭、それらが形作る雰囲気で美人とわかる。 普通の美人と違うのはサイズだ。立ち上がると3、4メートルはある。子供、そして小柄なデューツェと並ぶと更にそれが際立った。「せんちょ、寝てたの?」「待ちくたびれた」「ごめんなさい、けんしんしてたの」 船長はデューツェに手招きをする。 近寄ってきた彼女を摘むように持ち上げると、大きな膝の上にのせる。「調子はどうだ。この星のことは学べているか?」「うん、いっぱい覚えたよ。こないだはシギーが連れてきたマホロバ人のおねーさんやおにーさんと会ったの。みためはいっしょなのにわたしたちと違っててびっくりした……あっ、それとシギーが花丸くれたの!」「そうか」 続けて矢継ぎ早に覚えたことを報告するデューツェの言葉に耳を傾ける。 その覚えたことの八割以上が、普通の10歳前後の少女が口にするようなものではないと本人は気づいているだろうか。「デューツェはいい子だ。そろそろあの日がくる。その時は……ちゃんとできるな?」「うん、がんばる。……せんちょはどうしてこの星がほしいの?」「話したことはなかったか?」 頷くデューツェを見て船長は窓の外を見る。「私は流れ者なんだ。故郷で育った後、流れ着いた先で「増える」ことが生きる意味。他の娯楽は人生の付属品でしかない」「……なんとなく、わかる。そういう生き物見た」「そう、それらと性質は同じなのだろう。私も成人した後宇宙に出て、とある星で生を満喫した。しかし……」 船長は瞼を伏せる。睫が濃い影を作った。「我々は深層意識で同胞と繋がっている。そのおかげで知ることができたんだ、故郷の同胞が全滅したと」「しんじゃったの……?」「ああ。もう随分前になるが。私は同じことを繰り返さないために、対策を講じた。時間がかかってしまったが、それを活かすのもそろそろだ」 窓の外には雲が見える。あの下には広い大地が広がっているのだろう。 大地の大半は毒に侵されている。それが、憎い。 昔はあんなに美しかったというのに。「デューツェ」 船長の顔は悲しげだった。「この星は、私の故郷なんだ」● 船長から聞いたことが頭から離れなくて、ぐるぐるとした気持ちでデューツェは部屋に戻ろうと歩いていた。 ここは船長の故郷だった。 じゃあ今ここに生きている人たちは、なんなんだろう? 船長の仲間が死んだ原因は星の汚染だったという。そういえば人間が色んなもので大地と空気を汚したと聞いたことがある。 そのせいで船長の友達や、おじさんおばさん、兄弟たちが死んでしまったのだろうか。「おとうさんと、おかあさんも……。っ?」 口にした単語に違和感が芽生える。 なんだかどうしようもない気持ちになって、デューツェは駆け出した。 部屋に戻ると椅子に祖父、ジョアシャンが座っていた。その胸にぽすりと飛び込み、顔を見上げる。「じーじ、マホロバの人たちがせんちょの仲間をころしたの?」「……そんな怖いことを聞いたのかい」 ジョアシャンはデューツェを抱き寄せる。「せんちょ、てらふぉーみんぐするって言ってた。それってここの人間が憎いからけしちゃうってこと?」「消すんじゃないよ、修正さ」「しゅうせい?」「お前も見てきたろう、この星は汚れすぎた。それを……」 言葉に詰まり、ジョアシャンはデューツェを見つめる。 なんと酷なことなのだろう。 しかし仕方ないのだ。そうしないとデューツェは生き残れなかった。 ジョアシャンはかけがえのない孫娘を抱きしめる。「デューツェ、お前が正すんだよ」● すでに手にチケットを握った世界司書、ツギメ・シュタインが部屋に入ってきた。若干慌てた足取りでロストナンバーらの前に立ち、口を開く。「何度かマホロバで接触してきた宇宙人……宇宙海賊とでもいおうか、その者たちが大きく動いたらしい」 ツギメが地図を指差す。 今では地下に駅が出来、ロストナンバーらがマホロバで活動する際の拠点になっている場所――首都だ。「ここを中心に何らかの力を使い、次々と生き物や機械を制御下に置いている」「制御下?」「ああ、とある少女の意のままに動くようになっているらしい。その少女というのが……この子だ」 デューツェ。 マホロバで迷子になっていた彼女と会ったことのあるロストナンバーも居るだろう。 なんてことない普通の少女にしか見えないが、彼女は今、元々あったシェルターを取り込むように造られた木と岩の砦を首都中央部に出現させ、その中から周囲のものを操っているのだ。「制御されている場所は上下左右に広がり続けている。幸い、なぜかこの影響はロストナンバーには効かないようだが一部だけ……過去、この少女と会ったことのある者には影響があるらしい」 接触したことによりデータを収集されたのでは、とツギメは言う。 デューツェは彼女自身が覚えたもの、解析し理解したものを操っている、というのが仮説だ。 接触したことのあるロストナンバーは精神攻撃を受け、それに屈すると操られてしまうという。 それを可能にしている理由はわからないが、この事態を収めるには理由を解き明かすことも必要になってくるだろう。「高い確率で邪魔が入るだろうが、デューツェを何とかして無力化し、事態の収束を図ってほしい」 ツギメはマホロバ行きのチケットを差し出した。※このシナリオはロストレイル13号出発前の出来事として扱います(搭乗者の方も参加できます)。
到着したその瞬間から、マホロバの住民が混乱の最中に居ることが手に取るように伝わってきた。 地震とは違う地を這うような地響き。それに足を取られながらも避難する人々を横目にルンは跳躍する。 「ルン、シギーの所行く!」 「車を出せますが」 「足の方が速い!」 出迎えに現れた委員会の男性にそう言い残し、ルンの背はけぶるマホロバの景色に消えていった。 「デューツェの元に向かうのはローナとジューン、蜘蛛の魔女の三人で間違いないか?」 百田 十三が確認するように各々の顔を見る。 対処すべき戦場は三ヶ所。シギーはルン、ジョアシャンは十三が受け持ち、あとの三名は本丸に向かうこととなった。 「デューツェには説得を行うことで相違ないだろうか」 「はい。……このままねじ伏せるように倒すなんて、できません」 ジューンは自分の手をぎゅっと握る。 デューツェを人殺しになどしたくない。そんな気持ちが胸の中に渦巻いていた。 「では説得のため、こちらでジョアシャンを捕縛したら共にデューツェを鎮めてくれるよう話そう。協力してもらえるようならデューツェの砦へ連れてゆく」 「わかりました。戦車兵装のコピーをシギーさんとジョアシャンさんの居る地区へ数体向かわせますね」 今回は戦闘に参加できるロストナンバーの数が少ない。委員会からの援護はあれど辛い戦いになるだろう。 その負担を少しでも軽くするため、ローナは自らが生み出した戦車兵装のコピーらを派遣することにした。生成に時間はかかるが、移動中にも行えば賄えるはずだ。 「デューツェちゃんの居る場所へ潜入するのに下水道を使うのよね?」 「その予定です」 「キキキ、私が地図を頑張って作ってみるから、出来上がり次第皆のノートへ送るよ。お楽しみに!」 蜘蛛の魔女は背中から生える脚を自慢げに動かして言う。 下水道のように迷路状になった、しかし限られた空間しかない場所は大の得意だ。 「避難誘導は我々にお任せください。……ご武運を」 そう言う委員会の男性に頷き、四人もルンと同じく目的の戦場へと向かった。 ● こんなにも活発な『たくさんのもの』をデューツェは知らない。 しっかりと集中していないと、すぐ思っていたものとは違う動きをする。とんだじゃじゃ馬だ。 学習した知識は自分の頭の中だけでなく、体中で記憶していた。 その中にデューツェが思い出せないものがある。 (――なんだっけ) 『たくさんのもの』が活発になってから、それが気になって仕方ない。 今まで『たくさんのもの』が隠していたのに、大暴れしているせいでちらちらと垣間見えるのだ。 (………) 集中しなくては、と瞼を閉じる。 船長の願いを叶えてあげないと。 私の、命の恩人なんだから。 ● 幻虎に跨り、十三は向かう先の戦火を確認する。 複数の飛鼠を先に潜入させてある。飛鼠らから得た情報を頼りに一直線にジョアシャンの元を目指した。 他の地区の仲間もきっと上手くやる。念のため電車内で各人に一枚ずつ護法符と呼ばれる守りの符を配ったが、杞憂に終わればいいと十三は思っていた。 ジョアシャンの居るB地区は薬品系の工場が多い。廃棄ガスや水は特殊な処理を行うため煙突は存在していないが、人間の何倍もあるようなパイプが何本もうねるように設置されている。工場に窓は必要最低限しか付いておらず、酷く殺風景だった。 その景色に色を添えているのが炎だ。 巨大な火柱を立ててタンクが爆発する。薬品による炎は緑や青など人の警戒心を煽るような色をしていた。 パタパタと近寄ってきた一匹の飛鼠を腕に留まらせ、十三は眼下を見た。 「……あそこか」 強化兵を引き連れた鉄の塊が暴れている。 人間を模したデザインの兵器だ。動きの癖や指揮をしている様から飛鼠はあの中に人間が乗っていると告げている。それがジョアシャンなのだろう。 徹底して工場の命ともいえる動力源や数々のパイプを破壊して回っているようだが、十三はそこに説得の隙を見た。 マホロバの人間が日々使う薬品の元を断つため、そして派手な爆発で宣戦布告をするためこんな場所で暴れているのかもしれないが、ひとつ別の可能性がある。 マホロバは壱番世界から、そして十三から見ても未来的だ。 事前に得た情報の中にこの地区の事も含まれていた。薬品は危険なものも多く含むため、従業員は最低限しか居らず、作業のほとんどを機械が担っているのだ。 「それをわかっていてこの場所を担当したのではないか、ジョアシャン」 何度もデータを取りに降りてきていたのだ、下調べくらいは行っているだろう。 ジョアシャンの前に行くよう幻虎に命令し、十三は低いがよく通る声でそう言った。 強化兵が一斉に銃を構える。それを片手で制したのはジョアシャンの機体だった。 『例の超能力集団の者か』 スピーカーから聞こえたのは重ねてきた年齢を感じさせる声。 十三は声を出さず頷く事で答える。 『自分のやるべき事をやるだけだ。……お前の目的は何だ?』 「俺は。否、我々はデューツェとお前達の船長とやらを止めに向かっている」 制されて尚こちらに銃を向けたまま静止している強化兵に幻虎が唸る。 彼らが血気盛んなのではない。ジョアシャンが銃を下ろせとまで命じていないのだ。 「俺はデューツェをこの目で見た事はない。しかしただの少女なんだろう、そんな子を傷付ける気にはなれない。だから……」 『この老いぼれの相手をしにきた、と?』 「いや。おまえにも説得に参加してほしいと伝えにきた」 『………』 ジョアシャンが黙り、しばし炎が爆ぜる音だけが十三らを包んだ。 ロボットの中で表情はわからない。だが一蹴もしない。 数秒開けた後、僅かに躊躇うような気配と共にジョアシャンは片手を下ろし――分厚い刃の大剣を構えた。 『もう止められはしない。止められる者など居ない』 言い聞かせるような言葉と共に響くモーター音。一斉に統率された動きを始める強化兵。 甲高く一声鳴いた飛鼠を下がらせ、十三は鉄串をずらりと抜いた。 「それにしても、たくさんのもの……か」 蜘蛛の魔女は自身の手の平を見る。 デューツェの中に居るという「たくさんのもの」は恐ろしく小さく、もしこの手に乗っていたとしても見えないのだという。 目に映らないものなら故郷でも数多と出会ったものだが、この「たくさんのもの」とは一体どんな性質をしているのだろうか。 「う~ん、私が体内で飼っている小蜘蛛の群れと同じようなものなのかしら」 そう自分で言った言葉に違和感が残る。 蜘蛛の魔女は小蜘蛛達を飼っている。用があれば呼び出して使役し、必要とあらば餌を与え養うのだ。 「でも……なんか、デューツェは飼ってるっていうより飼われてるって感じなのよねぇ」 「言いえて妙かもしれませんよ」 ジューンが桃色の睫を伏せて言う。 「デューツェさんの使用している力ですが、集団行動の指針を持ったナノマシンによるものではないかと思うんです」 「ナノマシン……?」 蜘蛛の魔女も知識としては知っている。 しかしこのような使い方を出来るものなのだろうか。 「なるほど、ナノマシンですか」 ローナもただの記憶素子の類ではないと感じていた。 0.1~100nmの機械が暗躍し、この大規模な異変を起こしているのだとしたら……考えるだけでぞっとする。 「異世界の、しかもマホロバにとっても異星の技術です。我々の知識にあるものより高性能なのかもしれませんね」 はっ、とローナが来た道を振り返る。 現在ジューン、蜘蛛の魔女、ローナは侵入予定のマンホールへと向かっているところだ。もしやもうデューツェらに発見されたのだろうか。 しかしその懸念はローナの言葉ですぐ消された。 「……A地区、B地区、両方で戦闘が始まったみたいです」 「ルンと十三ね」 「はい、戦車兵装のコピーから連絡が入りました。こちらも急ぎましょう」 数メートル先をローナは指差す。 そこには煤けたマンホールの蓋があった。 屋台が弾けるように砕け、その破片を強化兵が踏みつける。 相変わらず強化兵を指揮するシギーはビルの屋上、フェンスの上に腰掛けて眼下を見た。 強化兵を殴り飛ばしながらこちらに向かってくる金色の影。間違いない、先日こちらの邪魔をしてきたアマゾネス然とした少女だ。 パワフルなもので、今回は矢による精密な攻撃よりこちらを捻り潰すような攻撃を優先しているらしい。 「シギー! ルン来た! ルン、お前を捕まえる!」 「もう、またなのぉ」 面倒そうな声を上げつつも、こうなることは予想していた。誰も邪魔に来ないはずがない。この直前にもマホロバの人間がシギーらを捕らえようとやって来たが、その中に今まで邪魔をしてきた超能力集団の姿がなかったのだ。 「覚えてる! お前、黒いのに守らせる! 黒いのが居なくなる、お前の負けだ!」 シギーは考える。 自分の一族は規律に従い生きてきた。そう、不自然なくらいそれに執着して。 「ねえ、ルンちゃん」 間近に居る人物に話しかけるかのような声量で言う。 あの少女の事だ、きっと聞こえているだろう。 「あたし、科学者であり研究者であり指揮官でもある自分がとっても好きだったの。だって理知的じゃない?」 船長のように自由な生き方をできるようになりたかった。けれど身に染み付いた習慣はなかなかそれを許してくれない。つい、こうして何らかの法則に則った事柄を好んでしまう。 いわば自由の謳歌を見習っている最中だったのだ。 それでも、その習性が船長の役に立つならいい、と思っていた。中途半端な自分でも満足していた。しかし。 諦めるような息を、ひとつ。 「でも――今日はそうある事を諦めるわ。貴女と全力で戦ったげる。あたしもここが正念場なの」 フェンスに白衣を掛け、屋上から飛び降りる。 その姿が転じたのをルンの金色の瞳が捉えた。 ● それは猫科とも犬科とも言えない姿をした巨大な獣だった。 シギーの一族は元々身も心も獣になる力を有していた。しかし本人らはそれを恐れ、力を抑え込み限りなく規律に従い理性を優先し生きてきたのだ。 それを知らないルンにも伝わった。シギーは何かを捨て、こちらへ向かってきている。 強化兵がルンの頭部に鉄斧をめり込ませようと振るう。しかし十三の札がそれを弾くように防いだ。 ルンは強化兵の腕を荒々しく引っ張り、背負い投げの要領で放り投げる。シギーは剛速球さながらの速度で飛んでくるそれを避け、壁伝いに走ってきた。 「こいつら、話さない。役に立たない! お前言った、望みを叶える、船長の! なら、これは船長の望み! お前の言葉、船長を止めるか!? デューツェ止められるか!? 誰なら止まる!? 教えろ、シギー!」 叫ぶように言ってルンは飛び掛るシギーの首を片手で握った。硬い。 そのまま押し倒そうとするも、尾がルンの背を打った。 鈍器で殴られたような衝撃に吹き飛ばされそうになりつつ、足で地面を掴み堪える。 「っ……ルンは死人だ! 死んで神さまの国に来た! 消えてなくなるまで、神さまの望みを叶える! 世界を守る!」 そう、シギーに譲れない望みがあるように。 ルンにも、譲れない望みがある。 「望みがぶつかる、勝って叶えるしかない! だからルン勝つ! 勝つを絶対、諦めない!」 がんがんと地面にシギーの頭を打ち付けるルンに強化兵が襲い掛かる。 リミッターの外れた力でルンはその強化兵を片手で殴りつけた。外装を砕き拳が減り込む。その巨大な力は容易く中のものを破壊した。 引き抜いた手に付いていたのは血だ。 中身は人間だった。しかしルンに後悔はない。後悔しないと決めてきたのだ。 シギーは頭を揺らされ視界が乱れていた。鉄のにおいを目印にルンに噛み付く。 「ッぐ!」 1本1本が人の腕ほどあろう牙がルンの身体に食い込んだ。強化兵の血をルンの血が覆い隠す。 ルンは牙を殴り付けた。鈍い音をさせて牙にヒビが入り、本人の噛む力も手伝い砕けるように折れる。 砕けた歯の痛みの壮絶さはシギーも変わらない。 一瞬できた隙を突いて馬乗りになった。 「お前は、捕まえる、死なさせない!」 死ねばデューツェが誤解するだろう。ルンたちはデューツェを助けたいのだ。 暴れるシギーは腕を振り回す。その爪がルンに届きそうになったところで、銃声が響いた。 「大丈夫か!」 「……ゼタ?」 爪を弾いた銃弾。それを放った男が部下を連れ路地から現れる。 委員会のゼタ・スズハラだった。ルンとは面識がある。 血まみれなせいでルンをルンと認識できていなかったようだが、すぐ気付き駆け寄ってきた。 「派手にやったな。これはキメラか?」 「違う。黒い奴らの指揮官」 ゼタはルンにホールドされた獣を見る。 変身する宇宙人は珍しくはない。 「……なるほど。指揮官よ、投降する気はないか?」 強化兵はまだ居る。しかしこの近辺のものは蹴散らされたようだ。すべて倒すのではなく、放り投げ戦線離脱させるルンの行動が功を奏した。 「シギー。ルン、デューツェを助けたい。デューツェの願い、本当にこんな事?」 「………」 「デューツェの望みはデューツェのもの。船長の望みは船長のもの。違うか」 「……そう簡単じゃないのよ」 血だらけの獣から、血だらけの人間へ。 姿を戻したシギーはゼタらに拘束されながら項垂れ、呟いた。 「ごめんね、船長。あたし失敗しちゃった……それに」 ――この子の問いに、反論できなかったの。 ● もうもうと上がる有害な煙。 口元を押さえ、その中から十三が転がり出る。体勢を直したそのタイミングで幻虎に掴まり乗った。 ジョアシャンの乗る機体はマホロバから見れば旧式な技術が使われていたが、動きは生身の人間――それも溌剌とした肉体を持つ武術の達人に近い。 それに加えて強化兵だ。B地区内で散り散りになり活動している者も居り、性格な数が掴めない。前回シギーとやり合った時のように装甲の下が生身の者とサイボーグの二種類に分かれているのが鍵だろうか。 「数で攻められると厄介だな……」 距離を取る事に転じていた十三は幻虎による迷彩を纏い、足を止めると強化兵らに向かって印を結んだ。 「炎王招来急急如律令、雹王招来急急如律令、機械兵団を足止めし殴り蹴り噛みつき引き裂け!」 突如現れた炎の猩々と氷の雪豹。 対照的な二匹はどちらも人間より数倍大きく、強化兵は虚を衝かれたように固まった。 我に返って銃を乱射するも、それは狒々の身体に届いた瞬間に溶けた鉄となって地面に落ちる。破裂音をさせて火薬だけが爆ぜた。 強化兵の一人がレイピアのような突き専用と思しき武器で雪豹を貫こうと突進する。 雪豹はさらりとそれを避け、すれ違いざまにしなやかな尾で強化兵の足を撫でた。 触れた場所から広がる氷。それは強化兵を地面へと縫い止める。 『うろたえるな! 目標はあの男にのみ絞れ、他は避ける事に集中しろ』 指示を飛ばしてジョアシャンはモニターを見る。 どういう技を使っているのか、虎のような生き物の力により十三の姿は人の目に捉える事が出来なくなる。 ジョアシャンの機体にはシギーによる高度な索敵システムが積まれているため、人が移動した時の空気の流れや足を着いた場所の砂や土の挙動から十三の居場所を把握する事ができたが、それも大雑把にだ。 システムの詰まれていない強化兵には見つける事すら難しいだろう。 だがそんな兵でも闇雲に戦わせて数を失う訳にはいかない。 『――!』 真横から物音。 大剣をそちらに向けて振るう。しかし刃が断ち切ったのは拳大の石だった。 『こやつ……!』 「どうやらこちらの居場所がわかるようだが、確認出来る目は一対だけなんだろ?」 反対側から十三の声が聞こえたかと思うと、巨大な狒々にのしかかられた。 ぐらつく機体は自動で最良のバランスを保とうとする。しかし狒々はそれに構わず外装を溶かし始めた。 機体には内部が高温に達した際、冷却装置が作動するようになっているが、それは熱からジョアシャンを守る事しかできず、肝心の外装はあっという間に溶かし取り外されてしまった。 コクピット横の壁も取り払われ、十三は初めてジョアシャンと直接対峙する。 「お前たちはデューツェ一人に罪を背負わせて平気なのか!?」 真っ先に口をついて出たのは憤りだった。 「あの子はまだ子供だ。ただの子供だ。それは祖父であるお前が一番よく知っているんじゃないのか!」 「……わかっているとも」 苦々しい声でジョアシャンは答える。 銃を取り出そうとした彼に十三は素早い動きで指を突き立てた。 血は出ていない。が、体が動かずジョアシャンは息をのむ。 「点穴を衝いた。物理的に封じた人体を動かせると思うなよ」 「く……」 「デューツェはなぜこんな事をやらされているんだ」 ジョアシャンは俯いたが、やがて顔を上げるとひとつひとつ語り始める。 顔はまるで疲れ果てた老人のようだった。 「デューツェは……不治の病だった。両親にとうの昔に見捨てられ、私の元に来た頃にはもう手の施しようがなかったのだ」 そんな時接触してきたのが、ジョアシャンの頭脳と技術力を欲した船長だった。 彼女らはジョアシャンの協力を得る代わりにデューツェに生きる道を与えたが、それはとてもハイリスクなものだった。 「だがぼろぼろになっても生きたいと願う孫娘を見捨てる事はできなかった」 「……船長らは彼女に何をしたんだ」 ジョアシャンは乾いた口を開く。 「ナノマシンだ。それに体の機能を補わせる事から始め、その割合を徐々に増やしていった。今のデューツェの体はほとんどナノマシンで構成されている」 十三は一瞬言葉を失った。 デューツェは生き長らえる為にナノマシンの器となり、そしてナノマシンそのものになったのだ。 今の彼女は体内のナノマシンを自ら増やし、体外に放出できるのだという。それらが空で化学反応を起こさせ雨や雪を自在に降らせ、地に生える植物を選択し、進化させ、操る事も可能にした。 「それは……この星を乗っ取るための兵器では、ないのか」 「その通りだ。デューツェにはその道しか残っていなかった」 このナノマシンは特殊で、安定期に入るまで生物の体内で「保管」しておく必要があったのだという。 その器にされたデューツェはさしずめ保育器だった。 「このままではデューツェはマホロバの敵として討たれてしまう。ジョアシャン、俺はデューツェを助ける力になりたい……手を貸してくれないか」 十三はジョアシャンの目をじっと見て言う。 孫に冷たく当たる人間ではないと十三にはわかった。ジョアシャンは奴らの仲間だが、デューツェの祖父である事までは覆らない。 しばし炎の爆ぜる音だけ響いた後、ジョアシャンは答える。 「わかった。私も最善を尽くそう、……もう一度」 ● 蜘蛛、蜘蛛、蜘蛛。 蜘蛛の魔女を慕う小さな蜘蛛達が壁を這い下水道の内部に広がっていく。 それらからもたらされる情報を頼りに蜘蛛の魔女は一枚の地図を完成させた。 「ごく少数の見張りは居るみたいね~。でも下水道の外にはもっと居るから、見つかったら挟みうちにされたりして危険かも」 すうっと蜘蛛脚で指し示したのは一本のルート。 「ここが一番安全で近道。途中にあるこのT字になっている所が見張りから丸見えだけれど、それはこっちに任せておいて」 「何をするんですか?」 「キキキ、物騒な事はしないよ。さ、いきましょ!」 マンホールから降りてすぐの場所に彼女らは居た。 夜行性である蜘蛛と同じく、蜘蛛の魔女に光源は必要ない。ジューンも暗視機能を有していた。今回ローナは同様の機能を持っていなかった為、小さめのライトをつけて進むことになった。 下水道は清浄機能が働いているのか比較的綺麗な状態だったが、ちらほらと害獣の姿を見かける。地上から逃げてきたのだろうか。 T字路。 そこに差し掛かった時、先頭を悠々と歩いていた蜘蛛の魔女が音もなく糸を放った。 「……!」 ローナとジューンの見ている前で、見る見る内にT字路の片方――見張りの居る道が糸で塞がれてゆく。 巨大な蜘蛛の巣とでもいうのだろうか、その糸を覆い隠すように小蜘蛛が寄り集まると真っ暗な空間が口を開けている、ただそれだけにしか見えなくなった。 「お見事です」 小さな声で賞賛を送り、ジューンは進む。 今ここは蜘蛛の魔女により「一番最短で安全な一本道」となった。 自然に出来たのではない大きな空間だった。 壁は岩で出来ているのに完全に近い球体だ。まるで工芸品のような部屋の真ん中に黒髪の少女は居た。 下水道から出て十数分経ったろうか、突如出たその空間でデューツェを見つけたジューンは生体サーチを行う。 「ジューツェさんに間違いありません。しかし……」 「とても疲れているように見えます、ね」 ローナの心配げな声にジューンも頷く。 デューツェは小さな椅子に座り、黒髪に肩を埋めて自らの両腕を抱いていた。ひどく集中しているのかこちらに気付きもしない。額には汗が浮かんでいた。 「船長とやらはいないの?」 蜘蛛の魔女は辺りを見回す。容姿は大雑把に資料で知っているが――そういえば、船長はとても大きいのではなかったか。 「用があるなら正面から入ってきたらどうだ、侵入者」 突如かけられた声は隣から。それもとても高い位置からだ。 振り返ると壁にもたれかかる様に立っている巨大な美女が居た。蜘蛛の魔女らが入ってきた入り口の真横に居たのだ。視界の端に捉えていた足は柱にしか見えていなかった。 見つかった事、そして相手の巨大さに臆さずジューンが歩み出る。 「船長、貴方がそうですね?」 「ああ」 「ずっと貴方に言わねばならないと思っていた事があります」 普段の優しげな目からは想像もできないような目付きで船長を見る。 「貴方の恨みにデューツェさんを巻き込まないで下さい! ……貴方がデューツェさんの命を踏み躙らないで下さい」 「望んだのはあの子とその祖父だ。私は技術力を欲し、あちらは救済を欲した、ただそれだけのこと」 「それでもこんな事していい筈がありません」 「私はしたいんだ。そう決意した。大義名分があり筋の通った理由でなければ理解してくれないか?」 船長は壁から背を離す。 激昂しかけたジューンは頭を振り、己を鎮めた。 「船長がたった一人の生き残りだと言うなら、テラフォーミングが完了してもこの星で船長の種族が再繁栄する可能性は皆無に近いのではないですか」 「……納得のゆくまで説明してやろう。私は増える事を至上としている生き物だぞ、繁殖方法は一つではない。単為生殖もできれば分裂による繁栄も可能だ。故郷を取り戻し再び繁栄する、それが私の大望。……生態が違う者からしたらおかしいか?」 船長はデューツェの方を向く。 「哀れな娘だぞ、あれは。私とて情がない訳ではない。しかしそれを利用する事を躊躇っていては種の再興などできぬのだ」 故に、と船長は指を一本一本握っていく。 「お前達が見学をしたいというのなら許可するが、邪魔をするというのなら排除するしかない」 「私も説明するしかないようですね……」 ジューンの目付きは、心は、変わっていなかった。 「私達はデューツェさんを助けます。このまま利用させたりなんてしません!」 「残念だ」 船長の巨大な拳が床を砕く。破片を最小限の動きで避け、ジューンはデューツェの元へと向かおうとした。 更なる追撃がそれを阻止する。 ローナがギアの彩蓮からグレネード弾を発射させた。船長の肩に着弾したそれは服の一部と皮膚を奪ったが、何かがそんな船長を治療する。 「これは……デューツェさん!?」 ナノマシンによる高速治療だ。 デューツェは相変わらず俯き気味のまま破壊音にも反応しない。 「っ……デューツェさん、あなたの本当の望みはなんですか? こんな、星を乗っ取るような事じゃないはずです!」 反応しないデューツェにローナは駆け寄る。そんな彼女に向かって飛んだ岩を蜘蛛の魔女の糸が捕らえた。 天井からぶら下がる岩の隣を駆け抜け、またそれを盾にしてローナはデューツェの肩を掴む。 びくっと肩を震わせ見上げてきたのは、不安げに怯えた子供の顔。 「デューツェさん、あなたがしたい事は本当にこんな事なんですか?」 「……っえ?」 蜘蛛の魔女も船長の蹴りをいなしながら話しかける。 「はじめましてー。ねえ、あなたナノマシンっていうのを体の中に持ってるんでしょ? それってもっと別の使い方できないの?」 「そ、れは」 デューツェの意識はこちらに向いたり別の方を向いたり忙しなく移動しているようだった。 もしや、とジューンは眉を寄せる。体内のナノマシンを上手く制御できていないのではないか。 「……したいこと……」 「そう、あなたの本当の望みです」 望み。 したかったこと。 「わたしの、したかったこと」 「おかあさん」 ナノマシンの抑えていたものが顔を現す。 思い出していく度にデューツェの目から涙が零れた。 「おとうさん」 デューツェが大好きで大好きで。 「……二人によろこんでもらいたかった」 けれど二人はデューツェの事が大嫌いで大嫌いで。 病に蝕まれていた自分を、彼女と彼は殺そうとした。 その記憶はデューツェにとっての毒。ナノマシンは病を抑える為だけでなく、その毒も封じ込めていた。 意識が完全に逸れた事によりナノマシンの枷が外れる。 ナノマシンは宿主であるデューツェを生かす事を優先していた。しかしこのままでは彼女の心が壊れてしまう。 再び記憶を封じるには力が足りない。ほとんど星の侵食に使ってしまっていた。 「……っ、いけません! 皆離れて!」 ジューンの声に反応したローナが手を離すと、デューツェの体から何かが溢れるように飛び出した。 足りないものは外から補う。 ナノマシンは一番身近な生体を取り込もうと拡散する。 その中でも一番補うものとして最適だったのが―― 「デューツェ。そうか、お前も」 ――船長。 言葉の続きをローナは耳にした。 私達を消すんだな、と。 ● 「ナノマシンの暴走……いえ、捕食モードですか」 ジューンは距離を取りながら観察する。 デューツェが無事なのか心配だが、今は冷静にならなくてはいけない。 目で捉えられる状態になったナノマシンは自身の目的とデューツェのイメージする力に支えられ、形を保っているようだった。襲い掛かる時のみ恐ろしい獣のあぎとの形態をとる。捕食対象は瞬時に分解されエネルギーへと変換された。 ここで最優先で把握すべき事は一つ。 (今の「補充」でナノマシンが満足したか否か) もし足りなければ次に捕食されるのはこちらだ。 その判断をジューンは数秒で下した。ナノマシンが目に見える状態のままなのだ。 「皆さん、とにかく距離を取ってください!」 バックステップを踏みながらデューツェに生体サーチを行う。 呼吸、脈拍共になし。しかし身体は生命活動を続けており、動揺している仕草から意識がある事も見て取れる。 「そんな、デューツェさんは一体……」 「ジューンさん、足元から来ます!」 ローナの声で下に目を向ければ、そこに居たのは床を這うように接近してくるナノマシン。効率の良さだけ考えて動く機械ではなく、他人を欺く事をこれは知っているらしい。 ジューンは電磁波を放つも、瞬時に相殺された。 近づくナノマシンの真上に岩が落下する。 「あーもう、潰した先から戻っちゃうなんて時間稼ぎにもならないじゃない!」 天井に移動した蜘蛛の魔女が脚二本をはたきながらさっさと移動する。再集結したナノマシンは宙を飛び蜘蛛の魔女に追い縋った。 「しつこい!」 縦横無尽に壁と天井を移動する蜘蛛の魔女は糸を対面の壁に張り付け、空間を横断するように飛び移った。 「デューツェさん! 聞こえますか!」 身を低くしてナノマシンの群れをやり過ごし、ローナが呼び掛ける。 デューツェはナノマシンを体に纏わせて立ったままおろおろとしていた。きっと制御が利かないのだ。 「まずは落ち着いてください、この子達を動かしていた時の感覚をよく思い出して!」 「あ……あ、で、も。せんちょ」 溢れる涙を見てローナは目を逸らしかけたが、あえて心を鬼にした。 「このままでは船長さんと同じように、皆食べられてしまいます。あれを止められるのは貴方しか居ません」 「……」 ローナは一歩ずつ近寄る。 デューツェは涙に濡れたままの目でそれを見ていた。 蜘蛛の魔女は巣を張って捕獲を試みるも、その糸すら分解されてしまった。 殴り爪で切り裂くのは得意だが、こんな実体があるのかないのかよくわからないものは苦手だ。 「ん?」 ナノマシンの上空を飛び越えた時、出入り口に人影が見えた。 「十三と……もしかしてジョアシャン?」 蜘蛛の魔女は凄まじい勢いで彼らの目の前に着地した。 「遅い! そいつならこれをどうにかする方法知ってるんでしょ? は……」 ここで飛び跳ねる。 追ってきたナノマシンを翻弄しながら空洞を一周し、同じ場所に僅か数秒で戻ってきた。 「……やく、なんとかしてよ!」 「船長を殺したのか……?」 「話をきけー!」 蜘蛛の魔女は何周かしながら経緯を説明する。しかしこのナノマシンはよほど蜘蛛の魔女を気に入ったらしい。次なるエネルギーとして、だが。 十三もジョアシャンから得た情報を伝えた。 「彼女らの技術がなくてはメンテナンスも出来ん……この場を鎮めてもデューツェは……」 「そういうのは鎮めてから考えてよね!」 叫ぶ蜘蛛の魔女を追うナノマシンを豪速で飛来した矢が蹴散らした。 同じく合流したルンだ。いやに赤黒い彼女に蜘蛛の魔女は「似合うじゃない」と礼の代わりに言ってその場から離れる。ナノマシンが再集結するのも時間の問題だ。 「シギー、生きてる!」 その一報、その一言だけでジョアシャンはようやく落ち着きを取り戻したようだった。 彼が生きているならメンテナンスは問題ない。 「あれは――デューツェの心の状態により在り方を変えるものだ。今はまずあの子の心を静めねば」 「ローナさん!」 ジューンの鋭い一声に視線が集まる。 ローナがナノマシンに群がられるのも構わずデューツェを抱き締めていた。 分解される服。 装飾品。 髪。 皮膚。 しかしローナは腕の中でデューツェが落ち着き、ナノマシンが勢いをなくしていくのを感じていた。 まず落ち着かせるべきは彼女から。 心を傾けながらも理性的にデューツェを見ていたローナはこの行動を慎重に判断した上で行ったのだ。 ローナの腕に少女の体重がかかる。 沈静から気を失ったデューツェを抱いたまま、ローナは彼女の背を撫でた。 ● 街の再興にかかると予想されたのは一年。 しかしものの三ヶ月程でそれが完了したのはジューンを始めとする高い技術力を持ったロストナンバーの協力と「この事件の実行犯」の協力があったからだった。 船長という道標を失ったデューツェ、ジョアシャン、シギーらは一旦は委員会に捕らえられたものの、何をどうしても捕らえたままにしておけないデューツェと、彼女らの新たな目標により拘束を解除されていた。 「わたし、この力で星のきたないところをきれいにしたい」 それがデューツェのやりたいこと。 船長を取り込んだデューツェは船長の記憶と特性を一部受け継いでいた。 その自分の手で故郷であるこの星を昔のように綺麗にしたい。デューツェにとって楽しい思い出を作ってくれた国々はそのままに。 「これが償いになるかはわからないけれど……やらせてもらうわよ。自由に、ね」 シギーは様子を見に訪れたルンらにそう言う。 マホロバにおける正式な罪の償いはいつか受けるつもりだとジョアシャンも語った。 それはきっと毒の沼地がなくなり、酸の雨が止み、人が自由に国外へ出歩けるようになった頃。 「綺麗になったら、またきてね」 デューツェはロストナンバーらを振り返る。 「――おねえちゃん、おにいちゃん、ありがとう」 End.
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