世界図書館の一画に、「司書室棟」がある。 その名のとおり、「司書室」が並んでいる棟である。 ……それはそれとして。 司書だってたまには、司書室以外の場所に出向くこともある。 そこで報告書を書くこともあれば『導きの書』を開くこともある。 今日、クリスタル・パレスの一角にいるのは、朗報を聞いたからだ。 ……どうやら「彼ら」は助かったらしい、と。 フライジングに駆けつけたロストナンバーもいると聞くけれど。 司書はただ、ここで待つだけだ。 そして、傾聴するだけだ。 旅人たちの、想いを。 *-*-*「はぁ~」 テーブルに大量の書類を広げたまま溜息を付くのは世界司書の紫上緋穂だ。先ほどよい報告を受けてホッとひと安心したのだが、書類ケースに詰め込んだ報告書は軽くならない。 良いことがあったんだから、ちょっと贅沢してもいいよね、とクリスタル・パレスを訪れたのだが、やっぱり気になってそこでも報告書を広げてしまった。「ん?」 だがテーブルの前に人が立った気配を感じ、緋穂は顔を上げる。「あ、こんにちは! ここ、座る?」 がさがさと無造作に報告書をかき集め、書類ケースに詰め込んで、どうぞどうぞと自分の前の席を示す彼女。「私はスイーツと飲み物頼んだんだけど、何にする? ちょっとお腹が空いてるから軽食も頼もうかと思ったんだけど、一人で食べきれるか不安でねー」 すでに相手が自分の前に座るものだと思い込んでいる彼女はにこにこと、報告書の下敷きにしていたメニューを差し出してくる。「ちょうど話し相手が欲しかったんだ。よかったら付き合ってよ!」 あなたは、微笑む彼女の手からメニューを受け取った。*-*-*-*-*-*-●ご案内このシナリオは、世界司書の紫上緋穂がクリスタル・パレスにいる場に同席したというシチュエーションが描かれます。司書と参加者の会話が中心になります。プレイングでは、・カフェを訪れた理由・司書に話したいこと・司書に対するあなたの印象や感情などを書いていただくとよいでしょう。字数に余裕があれば「ご自身の想いや今後の動向について」を話してみるのもよいかもしれません。このシナリオはロストレイル13号出発前の出来事として扱います(搭乗者の方も参加できます)。【出張クリスタル・パレス】【クリスタル・パレスにて】「【出張版とろとろ?】一卓の『おかえり』を」は、ほぼ同時期の出来事ですが、短期間に移動なさった、ということで、PCさんの参加制限はありません。整合性につきましては、PLさんのほうでゆるーくご調整ください。
彼女は流麗な仕草で一礼し、そして緋穂を見て微笑んだ。 「ありがとうございます、実は緋穂様を探しておりました。相席の許可をいただけてとてもうれしいです」 「え? 探しててくれたの? ごめんね、そんな時に限って司書室にも図書館にもいなくて」 「いえ、でもこうしてお会いすることが出来ましたから、気になさらないでください」 彼女、ジューンは手慣れた様子でメイド服のスカートを操り、席についた。寄ってきたギャルソンにレモネードとホットサンドを注文する。ジューン自身はアンドロイドゆえ食物を摂取する必要はないのだが、緋穂に合わせて『共にお茶をする』という体裁を整えるためだ。彼女はそのへんの気配りに聡い。それは子どもを主に相手にしてきた経験からか。 「緋穂様が話し相手が欲しい、と仰るのは初めてのように思われます」 「え、そ、そうかな?」 自分では色々と甘えていたつもりはあるのだう。緋穂は首をかしげて困ったように笑む。 「先に緋穂様のお話をお伺いしても宜しいでしょうか。私で力になれる事でしたら、何なりとお申し付けください」 「え、あ、うーん……改めて構えられると、ちょっと緊張するね!」 職業柄、人の話を聞くことは多くともこうして『聞かせて欲しい』と頼まれることは多くないのだろう。あっても導きの書に現れる予言に関連する事柄のことが多く、彼女自身についてということは少ないのかもしれない。ジューンはまっすぐに緋穂を見つめ、けれども彼女を緊張させぬように優しい表情を浮かべる。反対に緋穂ははにかんだような困惑したような、微妙な表情を浮かべて明るく振る舞おうとしているように見えた。 「なんて言えばいいのかな……今まで何人も、ロストナンバーであることをやめて帰属する人達を見送ってきたんだけど……もちろん、祝福してきたんだけれど。今度はさ、ワールズエンドステーションが見つかったらさ、すぐにではないにしろみんなの世界が見つかるわけでしょ?」 「そうですね」 緋穂の言葉にゆっくりと相槌を打って。考えるようにしながら言葉を絞り出す彼女の声に耳を澄ませる。 「そうしたらさ、きっとロストナンバー達が帰属していく速度って今までの比じゃないと思うんだ。これまで長いことロストナンバーをしてきて、どこの世界にも帰属せずに故郷が見つかることを願っていた人達は多いはず。その人達がみんな帰属しちゃったら、誰もいなくなっちゃうのかなって少し、考えちゃって」 「……」 「あ、でもみんながみんな、願った世界に帰属できるのは素晴らしいことだと思うよ! 0世界に帰属することを選ぶ人もいると思うし、帰属せずにロストナンバーを続ける人だっているはず。もちろん、新しく覚醒して0世界に来る人もいると思うよ。わかってる、わかってるんだけどね」 勢い良く語って、緋穂は首を振った。 「私は、当然ながらロストメモリーになる前のことは覚えていない。だから、故郷もない。0世界という停滞した世界に慣れてしまってる。だから、多分、自分を置いて周りが動いていってしまうことが怖いんだと思う」 テーブルの上で握られた白い拳が小刻みに震えているのに、ジューンは気がついた。 「不変なんてホントはどこにもなくて。ただ、私だけ置いてかれちゃうのかなって……そう思うと、……羨ましくて、恨めしい」 ぽつり、零されたのが彼女の本心なのだとジューンは思った。普段笑顔を振りまいている明るい彼女の中にある、昏い部分。 ジューンは緋穂がどうしてロストナンバーになったのか知らない。以前、ロストメモリー達が昏睡した事件があった。その時に緋穂の記憶の中へと向かった者達は彼女が覚醒する前のことを知ったという。けれども、誰もそれを口にすることはない。ゆえに、ジューンがそれを知る由はない。 けれども記憶を封じて0世界の住人になり、その上世界司書となるには相応の覚悟が要ったはずだ。だからこそ、彼女は明るく、時に事件に心痛めてロストナンバー達を送り出す。自分が実際に行けるならどれほどいいだろう、そう思った時もあったはずだ。時にロストナンバーの話を聞いて、励まして、共に悩んで。見た目は年端もいかぬ少女ではあるものの、彼女はたくさんの物事を経験し、たくさんのことを知識や記憶として蓄積している。それをジューンは知っていた。 「……そう、でしたか」 けれども今のジューンには、彼女に安易な言葉を掛けることは出来ない。私がずっとおそばにおります、万が一そう言っても、誰よりもその場しのぎになってしまう。 ジューンは今すぐにではないにしてもカンダータへの再帰属を考えている。その上、北極星号に乗り込むことも決まっていた。そんな自分が先の言葉を言っても、気休めにもならないことは自覚していた。そして、彼女の側に沿うべきであるのが自分ではないことも。 ギャルソンが、会話が途切れたのを見計らってか、ジューンの注文したものを持って来た。ホットサンドからは湯気とともに、ハムとチーズの香りが立ち上がっている。 「数日前のお茶会が、何だか随分昔の事のように感じます。あの中では私が1番早く再帰属するかと思っておりました」 ホットサンドに手を伸ばし、ひとくち。とろけだしたチーズが糸をひく。 本当にこの数日前、ジューンは緋穂やエーリヒ、菖蒲やサクラ、撫子たちとお茶会を開いたのだ。その後わずか数日で、こんなにも事態が急変するとは誰も思っていなかったことだろう。 「まさかすぐに再帰属した方がいらっしゃったり、帰ってこない方がいらっしゃったりするとは考えもしませんでした」 そっと、ホットサンドの乗った皿を緋穂の方へと差し出す。彼女は軽食を頼もうか迷っていたはずだ。 彼女が不安定になっているのは、数日前にお別れ会ではないと言っていたあのお茶会が、お別れ会となってしまったというのも関係有るのではないか。だとすれば菖蒲もショックを受けているかもしれない。後で寄ろうかとふと考える。 カタ……。 小さく伸びてきた手がホットサンドを一切れ掴みとった。俯いたままの彼女の口が噛み付くと、サクッとパンが音を立てた。みょーんと伸びるチーズ。はむはむと咀嚼を終えると、クス、と笑みが漏れた。 「……おいしい、ね」 「はい」 「……こんなにおいしいものを、もうあの時のみんなでは食べられないんだね。ずっと前に帰属したあの子とも、あの人とも……それが自然な流れなんだよね」 「……」 ああ、彼女は一体どれだけのロストナンバーを見送ってきたのだろう。今、彼女が思い浮かべたのは、どんな思い出だろう。 (いずれ私も、その中のひとりとして加えられる日が来るのでしょう……) その時もまた、彼女は悲しんでくれるのだろうか。珍しく、感傷的になってしまい、ジューンはゆるく首を振った。 「緋穂様はお優しい方です。私達ロストナンバーが悩んでいる時、いつも傍に寄り添って下さいます」 「……そんなこと、ないよ」 俯いたまま彼女は否定したが、ジューンは言葉を止めない。 「貴女が悩まれた時、寄り添う者は居りますでしょうか」 「……」 「貴女お1人が悩まれる事の無いよう、心から案じております。私も緋穂様の優しさに甘えておりますので」 彼女が小さく鼻をすすった。揺らいだ声で「ちょっと待ってね」と言われ、ジューンは頷く。 むぐ、と残りのホットサンドを口に詰め、ごそごそとポケットを漁る緋穂。取り出した薄ピンク色のハンカチからはほんのりと花の香がした。 ごしごしごし、顔を拭いて。 「よしっ」 声を上げた彼女はゆっくりと顔を上げる。そこにあったのは、ジューンの見慣れたいつもの彼女の明るい表情だった。 「うん、やっぱり私はこうでないとね! 甘えて甘えて! そのほうが、私も嬉しい!」 にっこりと笑ったその目尻には、うっすらと涙があった。けれどもジューンは、それを指摘するような無粋なことはしなかった。 したのは、いつか彼女に寄り添う人が見つかりますようにと、願うことだけだった。 *-*-* 「そういえば、ジューンさんが私を探していた理由って?」 残りのホットサンドに手を伸ばす緋穂。もちろん、ジューンが勧めたのだ。遠慮なく食べてくれるのが、見ていて気持ちいい。 「はい。実は私と暮らしている双子の妖精、リベラとエミリナの事で緋穂様にお願いがあるのです」 ジューンはこれから北極星号での旅に出る。その旅はターミナルの時間で1年間は掛かるだろうといわれていた。その間、リベラとエミリナは二人で暮らさなくてはならないのだ。 「あの子達には2人で暮らしていける程度には家事を教えてあります。でももしもどうしても2人だけでは困る事が起きたら、緋穂様をお尋ねしなさいと言い含めて宜しいでしょうか」 「なんだ、もちろんオーケーだよっ。困ったことがなくても、淋しくなったら遊びにおいでって伝えてよ」 「ありがとうございます、助かります。でも、その……」 正直、緋穂の申し出はありがたい。定期的に二人の生活を見てくれる者がいるなら、尚更。だが、ジューンは少し口ごもって。 「ん?」 「あの子達はかなりお転婆なのです……2人は可愛がっているつもりでも、エーリヒさんを本気で泣かせてしまうかと……」 「あー……」 二人が思い浮かべたのは、緋穂とともに暮らしている妖精の少年。内気でおとなしい彼は、リベラとエミリナにいいように遊ばれてしまうかもしれない。子供の中では泣いてしまうことで、泣くから面白いと思われて行為がエスカレートするケースも有る。いや、大人の中でもこういうことはないとはいえない。 「でも、ジューンさんがしっかりと教育しているんだから、大丈夫だよ。一度くらいは泣かせちゃうかもしれないけれど、わざと泣かせようとかするような子たちじゃないでしょ?」 「はい、それは大丈夫です。けれども、本人たちの尺度とエーリヒさんの尺度が違うことが理解できない間は心配です」 「むむー」 他人が自分達と違うことを互いに容認できなければ、いつまでもエーリヒは泣かされることだろう。それをジューンは心配している。 「わかった、最初のうちは特に注意して見守ることにするよ。時には言い聞かせてもみる。折角なんだから、仲良くなったほうが絶対にに楽しいと思う。だから」 アプリコットジャムをねりこんだスティックパイを齧った緋穂は明るく笑ってみせた。ジューンが不在の間、二人が淋しがることが無いよう考えを巡らせてくれている。それがわかったから、ジューンは頷いて。 「一年後、ジューンさんが帰ってくるときは、仲良くなった三人と一緒に迎えに行くから!」 「それは、楽しみです」 一年後、自分が何を見つけて帰ってくるのかジューンにもわからない。けれどもリベラとエミリナの為にも、無事に帰ってこなくてはならないと思っている。そこにもう一つ、楽しみができた。緋穂と三人の子ども達の、出迎えを受けること。 「ありがとうございます」 レモネードをゆっくり飲み込む。 これで、双子のことは安心して旅に出られる。 「そうだ、今日のお土産にミックスベリーパイはどう? 私もエーリヒのおみやげにしたいんだけど、1台はちょっと多くて。半分こにしない?」 「はい。二人もきっと喜ぶと思います」 緋穂が手を上げ、ギャルソンを呼ぶ。半分ずつ包んでもらったパイが席に届く頃には、テーブルの上にあったホットサンドやスイーツ、飲み物は全て空になっていた。 名残惜しいけれど、本日のお茶会はこれでおしまい。それは二人共、わかっている。 「ワールズエンドステーションから戻りましたら、双子を連れて最初に緋穂様の所に伺います」 先に立ち上がったのはジューンだ。椅子の横で深々とおじぎをする。 「うん。二人のことは任せておいて」 緋穂は椅子に座ったまま、ひらひらと手を振っていた。 「緋穂様もどうかお元気で……」 「ジューンさんもね!」 お土産の包みを手にしてジューンはテーブルから離れる。 店内を出るまでずっと、緋穂が手を振っている気配を感じていた。 【了】
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