世界図書館の一画に、「司書室棟」がある。 その名のとおり、「司書室」が並んでいる棟である。 ……それはそれとして。 司書だってたまには、司書室以外の場所に出向くこともある。 そこで報告書を書くこともあれば『導きの書』を開くこともある。 今日、クリスタル・パレスの一角にいるのは、朗報を聞いたからだ。 ……どうやら「彼ら」は助かったらしい、と。 フライジングに駆けつけたロストナンバーもいると聞くけれど。 司書はただ、ここで待つだけだ。 そして、傾聴するだけだ。 旅人たちの、想いを。 * *「クリスタル・パレスへ、ようこそ」 ことん、と、ティーカップを置いたのは、ジークフリート・バンデューラだ。「やっぱりジークさんが、ここの運営と店長職を引き継いでくれるの?」「……ですね。すぐにと言うわけじゃないが、侯爵とシオンが、親しいかたがたとの名残を十分に惜しまれて、帰属したあかつきには」 かつて、ヴァイエン候に仕える騎士であったジークフリートは、少しもの哀しそうな目で、緑に満ちた店内を見回す。《比翼の迷宮》に臨んで負った傷は、すでに癒えていた。「ジークさんは、それでいいの?」「いいも悪いも、俺はカリスさまのご尊顔を拝見できなければ人生の意味がないんだよっ!」「よぉし、わかった!」 つとめて明るい声を放つジークに、無名の司書も笑顔で応える。「じゃあ、あたしはこれからも、羽根ペンの材料には困らないということね!」 このペン、そろそろ新しくしたいのよねー、と、司書は獲物を狙う豹の目でジークの羽根を見た。 ●ご案内このシナリオは、無名の司書とジークフリート・バンデューラがクリスタル・パレスにいる場に同席したというシチュエーションが描かれます。司書と参加者の会話が中心になります。プレイングでは、・カフェを訪れた理由・司書(とジーク)に話したいこと・司書(とジーク)に対するあなたの印象や感情などを書いていただくとよいでしょう。字数に余裕があれば「ご自身の想いや今後の動向について」を話してみるのもよいかもしれません。このシナリオはロストレイル13号出発前の出来事として扱います(搭乗者の方も参加できます)。【出張クリスタル・パレス】【クリスタル・パレスにて】「【出張版とろとろ?】一卓の『おかえり』を」は、ほぼ同時期の出来事ですが、短期間に移動なさった、ということで、PCさんの参加制限はありません。整合性につきましては、PLさんのほうでゆるーくご調整ください。
ドアノブに手をかける前に、ホタル・カムイはふと、クリスタル・パレスを見上げる。 このカフェとも、ギャルソンたちとも、無名の司書とも、白雪姫とも、浅からぬ縁があった。 壱番世界の無人島に転移した翼竜、ミシェル・ラ・ブリュイエールを保護するべく、シオンやボルツォーニ・アウグスト、ワーブ・シートン、蓮見沢理比古とともに赴いた冒険旅行は、もう4年も前のことになる。あのとき火を吐きながら大暴れしていた、わがままな翼竜の少年は、おぼつかない時期を経て、もうすっかり一人前のギャルソンになっている。 そして――白雪姫が鉄仮面の亡霊に囚われたのは一年前のことだ。 あのときホタルは、ボルツォーニ・アウグストと川原撫子、キース・サバインとともに対応にあたった。亡霊から解き放たれた後、医務室で眠り続けた白雪姫の顔色と表情が、日に日に明るくなっていくことが嬉しかったのを、今でも覚えている。 (それにしても……、久しぶりだな) 扉を開いたとたん、漂ってくる緑と花の香りは、どこか懐かしい郷愁を呼び起こす。 フロアに、ストレリチアオーガスタ――トラベラーズパームを置こうと提案したのはシオンであったらしい。トラベラーズ・カフェとまではいかないにしても、旅人たちが集う店にふさわしいのではないか、と。 今、シラサギはその葉に止まってはいない。ラファエルや他の店員数名とともに、ヴォラース伯爵邸へ出向き、臨時の営業を行っているからだ。 それでも、その樹を見れば、いつもどおりに出迎えたシオンの朗らかな声と、前のめりな接客を諌めるラファエルの応酬が聞こえてくるような気がする。 ――ホタル姉さんじゃん。うっわーひっさしぶりー! いっやー、おれもあれからいろいろ激動の出来事があってさぁ。トリ急ぎ、その胸で泣いていいっすか? ――こらシオン。いいわけないだろう。いきなり何を失礼なことを。 ――ん? だいじょぶだいじょぶ豊満じゃなくても癒し効果はおんなじだから! ――ホタルさまの胸が控えめであることを遠回しに言及しないように。お気になさっておられるかも知れない。 ――さりげに店長のほうがもんのすっげー失礼なこと言ってる気がするけどどうよ? 「いらっしゃいませ、クリスタル・パレスへようこそ。……申し訳ありません、ただいま、店長もシオンもミシェルも出張中でして」 出迎えたジークフリートが、ホタルの様子を見て頭を下げる。 「俺でスミマセン」 「ああ、いやいや、そんなんじゃないんだ。留守番ご苦労さま、ジークさん」 トラベラーズパームに笑みを向けてから、ホタルはジークフリートの案内のもと、席に腰掛ける。 「ありがとうございます!」 「そんな緊張しなくてもいいって」 くすくす笑うホタルに、ジークフリートはようやく、自分のペースを取り戻す。 「ご来店くださってうれしいですホタルさん。美人とお近づきになれて光栄です。そういえば俺の名刺、渡してなかったですよね?」 彼なりの通常営業で、名刺の裏に簡単なシフト表と次の休みの予定なぞを細かく書き込んでいたところ。 そろ〜り、と、近づいた無名の司書が、 ぶ ち っ っと、ジークの羽根を一本、引っこ抜いた。 「っっっっっっつつつつ痛ぁぁぁぁアアアア!!! 何すんの司書さん」 涙目で訴えるジークに、 「ふっふっふ」 抜いた羽根をひらひらさせながら、司書はにやりとする。 「ただいま新旧店長交代期間キャンペーン中につきまして、お越しいただいたお客様には、もれなく新店長から羽根ペンをプレゼント♪」 「俺の同意なしにそんなキャンペーン開催しないでください。だいたいそれ、誰得ですか」 必死に訴えるジークをまるっとスルーし、司書はホタルの真向かいの席に座った。 「ホタルさーん、こんにちはぁ」 「むめっちさん、こんにちは」 「ご来店ありがとー! ジークさんの羽根はあたしがペンに加工して届けるねー」 「ははは。あっはっはっは!!」 思わず、ホタルは大笑いした。 「いや、むめっちさんがいつも通りで安心したよ」 「そお?」 きょとんとする司書に、ホタルは陽光を思わせる笑みを投げる。 「聞いたよ。無事で良かったな」 「……うん」 司書はそっと頷く。 「シオンさんもラファエルさんも女王陛下も――」 「……うん。ありがとう」 「……私は行けなかったけどさ、心配してたんだ」 ――縁、あるからさ。 * * 「こちら『冬の紅茶』として、ヴァニラとキャラメルとカカオをブレンドいたしました。洋梨のクラフティとご一緒に、お召し上がりください」 ホタルがオーダーをする前に、可憐なギャルソンヌが紅茶とスイーツを運んできた。その背の翼は琥珀いろのカナリアとでもいった風情だが、容姿には見覚えがあるような……? 「あれ……? もしかして白雪さん……?」 「べっべっべつに、ホタルが来てくれたから特別にサービスしちゃおうとか思ったわけじゃないんだからね!」 白雪姫の頭上に点滅する真理数に、ホタルはすべてを理解した。 「そっか。白雪さんはフライジングに帰属するのか」 「どどどうしてもってわけじゃないんだけど! ラ、ラファエルもシオンも、わたしがついていないとダメダメなかんじだし! ろくでもない女に騙されるかもしれないからちゃんと目を光らせてないと!」 真っ赤になって言いつのる白雪姫の肩に、ジークフリートは手を置く。 「……これはホタルさんにお伝えしておかなければ。本日、ホタルさんのクリスタル・パレスでのご飲食代に関しましては、すべて白雪姫の提供とさせていただきます」 「それは嬉しいけど、何で?」 「べっべっぺつに理由なんてどうだっていいじゃない。冬の紅茶、冷めないうちに飲みなさいよ! 洋梨のクラフティもあったかいうちが美味しいんだからね!」 「……白雪ちゃんはねぇ」 司書が、耳元で囁いた。 (ずっと、ホタルさんに御礼を言いたかったんだって) * * 紅茶とスイーツを前に、ホタルは指を組み替える。 「あのときは、むめっちさんだって命が危うかった。それに、鉄仮面の亡霊がどれだけ白雪さんを苦しめたか。私は、ルイス・エルトダウンの所業の一切を肯定するわけにはいかない」 「うん」 「ただ、彼の存在が、ターミナルの今後を変える切欠になった……、ような気はする」 * * それにしても、と、ホタルは、遥か遠くに想いを馳せる。 「故郷への帰属――なぁ」 自分もそろそろ考えなければいけないのではないか。 それは、前々から思っていたことではあったけれど。 どちらにせよ、ワールズエンドステーションが見つかって、あのとき旅立った人々が帰還するまで待つ必要があるのだろうけれど。 ――故郷か。 あのときの、炎が見える。 私が放った炎。 世界を焼き払った炎が。 つらい思い出ばかりが先に立つ。 それでもなお、あれは確かに私の故郷には違いない。 楽しい思い出も……、なくはないのだ。 いわゆる、「家族の思い出」ということになるにせよ。 * * 「0世界も楽しいんだけどな。親しい友達もいるし、クリスタル・パレスもある」 でも――、 私が帰る場所は、あの世界しかない。 私が焼いて滅ぼした、あの世界しかないのだ。 「それにさ、『旧き太陽神のきょうだい話』を伝えなきゃな」 ……そうしたら、彼らはまだ生きてる。 長兄、大地のヒジリ。 次兄、水のミナト。 姉、風のカザネ。 弟、雷のアズマ。 妹、氷のヒサメ。 「ヒジリ兄もカザネ姉もミナト兄も、アズマもヒサメも。眠っているけれど、生きてるのさ」 * * 「そういえば――新しい太陽神は元気かなぁ」 紅茶をひとくち飲み、洋梨のクラフティをぱくりと食べてから、ホタルは言う。 新事実に司書は目を輝かせた。 「へー。次世代太陽神がいるんだ?」 「ああ、いろいろ不安を抱えてて、よく私の所に相談に来てた子なんだけどさ」 「その彼女は、いや性別はあってなきがごとしなんだろうけど、それはそれとして」 ものすごく重大なことであるごとく、ジークフリートは声を落とす。 「やっぱり、ホタルさんみたいな美人なのかな?」 「んー、ちょっと男の子っぽいかなぁ」 あっさり答えるホタルに、ジークは真剣な表情で腕組みをする。 「すると胸もささやか……、あ、いや、俺はささやかなのも好みですけどね!」 「ジークさん、セクハラ禁止ー!」 「司書さんにだけはその台詞は言われたくない!」 笑いながら、それでもジークは穏やかに言う。 「ひとは、その器にふさわしい大きさに育つものらしいからね。神様だって、そうなんだと思うよ」 人々の想いが、世界と神々を育てるのだと。 * * 「あたしねー。ときどき、やたら鮮明な夢を見るの。そんときよく、ホタルさんのきょうだいが出てくるのよねぇ」 鰻屋『うな政』でバイトしてたお料理上手のヒジリさん。 同じように料理が得意で、特に唐揚げが上手だったカザネさん。 いつもポジティブシンキングなミナトさん。 掃除上手で整頓上手で電気代節約のために直接発電してたという噂まであったアズマさん。 氷の女王でトラップ名人で胸は豊満だったヒサメさん」 「で、ホタルさんはカザネさんの唐揚げが大好きで、誰かが全部食べちゃったりするときょうだい喧嘩が勃発してたような? ホタルさん、とある中華屋さんでバイトしてて、よくミナトさんと一緒に事件に巻き込まれてて」 「あっはっは!」 そして、ホタルは笑うのだ。 むめっちさんがいつも通りで安心したよ、と。 ――Fin.
このライターへメールを送る