「アルウィンのとー、おまえにも、買ってやるぞ」 「結構です。自分で買えますので」 ヴィンセント・コールが静かに答えると、満面の笑みだったアルウィン・ランズウィックの頬は、みるみる膨らんでいく。 ターミナルを歩いていて見つけた屋台。そこから漂う匂いに彼女がふらふらと引き寄せられ、振り向きざまに放った言葉から始まった、いつものやり取りだ。 「……やる!」 それでも戻ってきた手には、二本の串が握られている。 片方を押し付けるように渡され、ヴィンセントは仕方なく受け取った。 「どうも」 串に刺さった丸い物は、肉団子のようにもパンのようにも見える。ほかほかと立つ湯気からは蜂蜜に似た甘い匂いがしたから、どこかの世界の菓子なのかもしれない。 改めてのぼりを確認してみたが、聞き覚えのない名称が書かれていた。 「どっちがさきに食べられるか、しょーぶ!」 「ゆっくり食べないと火傷しますよ」 意気込むアルウィンを軽くあしらい、一口齧ってみる。揚げたパンのような味は中々で、紅茶にも合いそうだ。 後ほど詳しく調べてみようかと名前をメモしていると、下のほうから「あちちっ!」という声が聞こえてきた。 「だから言ったでしょう」 手帳越しに見たアルウィンの頬はまた膨らんでいて、まるでリスの頬袋のようだと思ったが、それを口にすればさらに膨らんで破裂しそうな勢いだったので、思うだけに留めることにした。 『天敵』である二人がこうやって一緒にターミナルを散歩することになったのは、依頼した者がいるからだ。 アルウィンはおつかいを、別の件で訪れていたヴィンセントはその付き添いを頼まれた。彼自身はアルウィンを敵視しているつもりは最初からないのだが、いつの間にかそういう関係となってしまっている。 そして天敵やライバルによくありがちな縁とでもいうのか、様々な経緯の末、張り合うのも一つのイベントのようになってきていた。 「ティアラのうるほんや、まだー?」 「あと三十分はあります」 団子を失ってからも咥えられたままの串を取り上げてから、ヴィンセントは時計を確認し、答える。 取り戻そうと騒ぐ声が聞こえたが無視し、屋台備え付けのゴミ箱へと捨てた。 今回の『おつかい』の内容は、資料となる本を古本屋に取りに行くというものなのだが、先ほど、急なトラブルで商品の到着が遅れるとの連絡があった。 本来こういったことはヴィンセントの役目である。アルウィンは店主と顔馴染みということで、特別に頼まれたようだが、ヴィンセントもナラゴニアの侵攻時に周辺の防衛をしたことがあったし、家族想いの作家の意図は、恐らく別のところにあるのだろう。 「じゃあ、じかんまで、かけっこ」 「喉が渇きましたね。お茶でも飲みましょうか」 懲りずに勝負を挑んで来るアルウィンの言葉を遮り、ヴィンセントは流れるような動作で近くのカフェを示す。 彼女は不満げな顔をしたが、先ほどの買い食いで喉が渇いたのは確かなようで、すぐに表情を明るくすると、一番よい席はどこなのかを探しに行った。 ◇ 「だいじ、しりょー、おだいじに」 アルウィンはぶつぶつと呟きながら、肩からたすき掛けしたバッグをさらに手で抱え、何度も中を確認した。 「そんなに開けたり閉めたりしていたら、かえって落としてしまいますよ」 「アルウィン、おとさない!」 忠告にべーっと舌を出し、不吉な言葉の影響を追い払うかのように「だいじょうぶ、だいじょうぶ」とバッグの上から繰り返し本を撫でる。 お互い慣れてきたせいか、以前よりは率直なやり取りがしやすくなった気はするのだが、ヴィンセントではイェンスが諭すようにはいかないのが常だった。 古本屋の店内でも走るから注意をすれば膨れっ面をするし、店主の方がかえって暢気に構えているので、間違ったことでも言っただろうかと、少し頭を捻ってしまう。 「ねー、あそこ、いこー?」 袖を引かれ、アルウィンの指差すほうへ目を向けると、高台にある公園が見えた。 「資料をまず届けなくては」 「イェンス、ごゆっくりって言った!」 また膨れっ面をする彼女に、ヴィンセントはため息をつく。 少なくとも彼が把握している中に今回の書籍は見当たらなかったし、ゆっくりで良いというのも本当なのだろう。 「わかりました」 その言葉を聞き、尖らせた口は蕾が開くようにぱっと和らぐ。 「よーし! じゃー、あそこまでかけっこ!」 言うが早いか、張り切って走り出すアルウィン。 「いきなり走ると転びますよ」 そして彼女は冷静なヴィンセントの言葉通り、派手に転んだのだった。 「いっちばーん!」 アルウィンは公園へと到着すると、拳をぐっと空へと突き上げながら振り向く。 荒い息に肩は大きく上下し、背中やら、こめかみの辺りやらがじわり、じわりとあたたかくなった。 「あれ?」 勝利を確信した心地よい汗だったが、追いかけてきているはずのスーツ姿はそこにない。 きっとアルウィンの足の速さにびびってるのだろう、そんなことを思いながら、次の「いっちばーん!」のタイミングを待つが、その時は中々訪れなかった。 いくつかベンチが置いてあるだけのスペースには、アルウィン以外、誰の姿も見当たらない。 「いっちばーん!」 待ちきれずにもう一度大きな声で言ってみるが、返ってくるのは静寂のみ。 「いっち……」 本当にヴィンセントはやってくるのだろうか。もしかしたらはぐれてしまったのだろうかと不安になってきた頃、パタパタと柔らかな羽音が聞こえてきた。 「ガラハッドー!」 見覚えのあるセクタンが青い羽根を広げながら飛んでくるのを見て、アルウィンはほっと胸を撫で下ろす。ガラハッドはベンチの背もたれに悠々と留まり、首をかしげてアルウィンを見た。 それからしばらくして、ヴィンセントがゆっくりと姿を現す。 「おそいー!」 すっかり「いっちばーん!」のタイミングを逃してしまい、またむくれるアルウィン。いずれにしろ散々言ってしまったので、もうありがたみも何もない。 ヴィンセントを睨んでも、彼はいつもの涼しげな顔でこちらをちらりと見ただけだ。 そして何事もなかったかのようにアルウィンのそばを通り過ぎ、ガラハッドが留まっているベンチへと腰掛けた。 「景色が良いところですね」 勝負から逃げられたようで腹が立ったが、自分が選んだ場所が褒められるのは嬉しい。 少し気分が良くなったアルウィンは、とてとてとベンチの正面に回りこむと、ヴィンセントの隣へと座った。 前に転落防止用の柵があり、ちょっとした展望台のようだ。 「何か、私に話があるんでしょう?」 問われ、アルウィンはこくりと頷く。 そして、吹く風に髪が心地よく揺られるのを感じながら、ぽつりと言った。 「……アルウィン、みつかったら、かえる」 以前は、ヴィンセントのことが嫌いだった。 でも、今は違う。ちょっと意地悪だと思うことはあるけれど、それが本当の意地悪ではないことも知っている。 だから、きちんとお別れがしたかった。 「そうですか」 ヴィンセントも、ぽつりと返す。 何が、とか、どこへ、などと聞くつもりはなかった。その解は一つしかありえないのだから。 二人とも何と話を続けたらよいのかわからなくなってしまい、それきり黙って、ただ遠くを眺めた。 以前にはなかった緑の景色。悠久に変わらないかと思われた0世界の様相は大きく変貌を遂げ、故郷を夢見て続けられた旅人たちの努力は今、実を結ぼうとしている。 「イェンスのこと、頼んだぞ!」 ようやく言うべきことを見つけたというかのように口を開いたアルウィンに、ヴィンセントは顔を向ける。 「言われなくとも」 「あと」 そこで突然言葉を切り、幾度か迷うように口を動かした後、再び黙ってしまったアルウィンへと、ヴィンセントは尋ねた。 「どうかしましたか?」 「えっと……」 いつもの彼女には珍しく、はっきりしない態度だ。 それからしばらく言葉を探すようにしていたが、やがて意を決したように言う。 「おばちゃん、気にしてた」 ヴィンセントの心臓が、どくり、と跳ねた。 「……おばちゃん?」 聞き返してはみたものの、それが誰のことを示すのかもわかっていた。 「うん、イェンスのおよめさん」 けれどもはっきりと口にされると、その衝撃は予想よりも大きい。脳裏に様々な情景が浮かんでは消え、口の中の水分が失われていく。 次に耳から飛び込んで来たのは、意外な言葉だった。 「怒ってる? おばちゃんのこと」 ヴィンセントは弾かれたように顔を上げる。一瞬アルウィンの目に、怯えたような光が走った。 「……私が、ですか」 少し掠れた声が、張り付いた喉を乗り越えて行く。 「うん、ひどいことしちゃったって、言ってた」 まるでちょっとした喧嘩をしたかのような言い方だった。それこそ、ごめんと謝れば済むような。 彼女は詳細など知らされてはいないのだろう。でも、知っていても同じように言ったのかもしれない。 「いいえ」 自分の気持ちを理解されず、時には踏みにじられたようで、彼女のことを憎らしく思ったことだってある。 だがそれは憧れていればこそであり、彼女の死と共に、全て後悔と自責の念へと変わった。 「ミズ――おばちゃん、は」 噛み締めるように言葉を発していく。すり潰された言葉が上げる悲鳴で胸が詰まり、苦しい。 「怒っているでしょうか。私の事を」 質問というよりは呟きに似たそれに、無邪気な声が返ってくる。 「ううん。あと、見守ってるって、言ってた」 長い長い、息が漏れた。 ――赦されていた。 その事実に愕然とし、体から力が抜けて行く。節々に打ち込まれた楔が一つ一つ、こぼれ落ちていくかのようだった。 ヴィンセントはベンチから立ち上がり、少し覚束ない足取りで柵のところまで向かう。それから、何度か大きく呼吸をした。 そんな彼を心配したのか、アルウィンもやって来る。彼女とっては少し高めの柵にもたれかかり、同じように景色を見た。 やがて気持ちも落ち着き、隣へと顔を向けると、ほっとしたように彼女は笑う。 「おばちゃんのこと、イェンスには、ないしょだぞ!」 『おばちゃん』に、自分の存在は夫にだけは知られたくないから秘密にして欲しいと頼まれたらしい。 かつてインヤンガイで起こったことが思い出されたが、彼女は去り際に見せたような優しい姿で、アルウィンの前に現れるに違いない。 「約束しましょう」 ヴィンセントは彼女と共に、彼女の最愛の人を見守っていくと誓う。 その答えに気を良くしたのか、それとも彼が普段の様子を取り戻したことで安心したのか、アルウィンは不敵に笑うと、唐突に言い放った。 「おまえ、子分2号にしてやるぞ!」 突きつけられた指先をヴィンセントは眺め、口の端を上げて応戦する。 「そこまで言うならば、友達になってあげても構いませんが?」 睨み合った二人は、やがてどちらからともなく吹き出した。 使う言葉は違っていても、結局同じことを言っているに過ぎないからだ。 「ガラハッドも、ばいばい」 アルウィンは振り返り、ずっと二人のやり取りをおとなしく見守っていたガラハッドへと近づき、ぎゅっと抱きしめる。 ふかふかの青い羽毛へと鼻先を埋めた彼女に、されるがままになっているセクタンの様子を見ながら、ヴィンセントはその名に込められた意味を思い出していた。 「何があっても生きなさい」 アルウィンはガラハッドから名残惜しそうに体を離し、声の主を見上げる。 「おまえもな」 そして、少しだけ引きつった笑みを浮かべた。灰の瞳が小さく揺れている。 そんな彼女を見て、ヴィンセントは相好を崩した。自分へ向けられている思いが、以前とは違うものなのだと感じられるのが嬉しくもあった。 つられたように、アルウィンの表情がぱっと華やぐ。 それでいい。その顔が、彼女には一番似合う。 確かに旅は、彼女を変えたのだろう。でもヴィンセントをもまた、変えたのだ。 「あなたの前途に幸多からん事を。――ランズウィック卿」 傍らでイェンスを助け、彼を再生へと導いた騎士。 その純真な輝きを宿した姿に、二人の騎士と共に、ついに聖杯へとたどり着いたパーシヴァル卿の面影を見た気がした。 恭しく告げられた名に、アルウィンは目を大きく見開く。 それから姿勢を正し、敬礼で応えた。
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