イラスト/ほてやみつえ(ittx7683)
ACT.1■冬の人形たち ふわりと舞い落ちる風花に、相沢優は空を見上げる。 ターミナルの空は快晴だ。……いや、快晴設定ではあるが、「冬」が演出されているため、今日の気温はとても低い。ラフに羽織ったモスグリーンのジャケットの襟を引き、優はマフラーを巻き直す。はちみつ色のテディベアは横抱きにしたままだ。おすまし顔のベアは、黒マントのおかげで寒そうには見えない。 今は風花程度だけれども、「夜」になれば本格的に雪が降る。すっかり見慣れたターミナルの建物は、異形の白に染め上げられるだろう。異世界出身のひとびとは、壱番世界の聖人に由来する祝祭に興味を持つ者も多い。この時期特有の色彩とイルミネーションに心踊らせながら、近づく祝祭の準備をするのだろう。 日常化していた非日常がまた反転し、ああ、やはりここは「どこでもない世界」なのだと優が思うのはこんなときだ。 時の動かぬこの街に、また、クリスマスがやってくる。 去年のクリスマスでは『館長』は、未だエドマンド・エルトダウンだった。 救出された館長は寝たきりのままだったから、アリッサは図書館の中庭にツリーを飾ることを提案していた。おじさまの部屋からも、見えるようにと。 今年も、世界図書館の中庭にはひときわ大きなモミの木が置かれ、司書たちの手によって華やかな飾り付けがなされたようだ。指揮を取る館長は、アリッサに変わったけれど。 「そういえば、ツリーのてっぺんにある星は、エシャロックの獲物だったよな?」 わざと快活に、優は、腕の中のベアに話しかける。 このベアとの出会いは、去年のクリスマス――百貨店ハローズの紅茶売場だった。 重厚で広大な、部屋数の多い洋館をイメージさせるハローズには、不思議な言い伝えがある。いわく「この建物にはたくさんのテディベアが住んでいる」と。淡い薔薇色の煉瓦の古さや、くすんだ銀の大理石造りの内壁や床を見れば、その伝説は妙に信憑性を増す。そして実際、ベアたちは思わぬ場所でひょっこり発見されるのだ。まるで誰かに見つけられるのを待っているかのように。 優が見つけたベアに「エシャロック」の名前を与えてくれたのは、このベアと同じ蜂蜜色の髪を持つ少女、エレナだった。エレナもまた、茶色の毛並みのベアを見つけ「ジャック」と名付けた。奇しくもジャックの毛色は優と似通っていたため「ゆっちゃの髪の色と同じだね」と言って、可愛らしくほわんと笑っていた。 エシャロックが黒いマントを着ていたため「怪盗みたい」とひらめいたのもエレナだった。 そう言われるとこのテディベアは怪盗にしか見えなくなってくる。だったら、Tシャツを着たジャックは少年探偵団の押しかけ助手で、エシャロックのライバルだね、と、お互いのベアの詳細設定はとんとん拍子に進み、ふと気づいたときには、一連の事件簿めいたサブストーリーが出来上がっていたのだった。 ――クリスマスだもん、狙うはおっきなツリーのお星さまで行こうよ! 今、つい、エシャロックに話しかけてしまったのも、エレナの言葉を思い出したからだ。 (当然だね。おれはいつだって、てっぺんにあるものを手に入れたいのさ。輝かしい、きれいなものをね) 「……あはは」 黒マントを翻す、少年怪盗エシャロックの声が聞こえた気がして、優は苦笑する。 † † † 百貨店ハローズは、今日も賑わっていた。 親しい友人や大切な誰か、あるいはクリスマスのプレゼント交換会のための品物を買うためにやってきた客も多いが、もちろん、そこここでベアを探している者もいる。 優が今日、ハローズに来た目的は前者だった。すでに優は去年、エシャロックを見つけているからだ。 いつも楽しく賑やかな友人たちへ。そして特別な女の子への贈り物。去年のクリスマスは友人のひとりであった彼女へ、関係性が変化した今年は何を贈ればいいのだろう? エシャロックと出会った紅茶売場を通り過ぎる。可愛らしい雑貨類をひとつひとつ手にしてはもとの場所に戻す。薔薇をかたどったキャンディ、きらめくビーズのブレスレット、花びらのかたちのアロマキャンドル。宝石箱をひっくり返したような一角に立ち止まっては考え込み、思いとどまる。 自分からのプレゼントが何であれ、彼女のことだ、顔を真っ赤にして喜んでくれるだろう。ハローズはセンスのいい上質な品物が豊富に揃っていて、女の子が気に入りそうなものを選ぶには事欠かない。それでも、何か、しっくりこなかったのだ。 (……ん?) フロアを移動しながら、いったん出直そうかと思ったときだった。 人だかりがしているのに、どこか静かな空気の流れるスペースに目を留める。 飴色に磨かれたオークの什器で段差を組み、漆黒の天鵞絨を敷き詰めた一角には、クラシックレースの美しいドレスを着た人形が何体も飾られている。 アンティークビスクドールの、企画展示即売を行っているらしい。連ねられた作者名は、1900年代に名を轟かした欧州のビッグネームばかり。名だたる人形の名品はどれも精緻で繊細で、どれだけ眺めても見飽きない。 値札を見て、あまりの0の連なりに息を呑む。だが。 (高いけど……。でも) これをプレゼントするのはどうだろう、と、閃く。 そぐわない? いや、そんなことはない。 ふだんのまっすぐな熱情とは真逆の、蒼い海の底のように静謐なビスクドールの瞳を、彼女は持っているはずだから。 どれがいいかと見比べて、ひときわ可憐な一体に、優は近づく。 透明感のある白い肌。流れ落ちるハニーブロンド。美しい青い瞳は英国製のペーパーウェイトグラスアイか。アクアグリーンシルクの生地に、アンティークレースが重ねられた可愛らしいドレス。胸もとには琥珀の蝶。うさぎのぬいぐるみを抱えているのがビスクドールにしては斬新である。 (誰かに似てる……? 気のせいかな。……あれ、でもこの子、値札がついてない?) もしや非売品だろうか。値をつけるとしたら天文学的数字になってしまうのかもしれない。 そう思いながら、一応、店員に聞こうと思ったときだった。 人形が、動き出したのだ。 にっこりと微笑んで、ドレスの裾をつまみ、軽く膝を折る。 オーガンジーのボンネットに飾られた花が、ゆらりと揺れた。 「こんにちは、ゆっちゃ。久しぶりだね。今日はお買い物?」 「え……? えええ……?」 驚きのあまり、声が掠れた。 エレナ……? と、発することができたのは、3分経過後である。 ACT.2■ぬいぐるみはどこに消えた 「吃驚した。誰かに似てる人形だなとは思ったけど」 精巧な芸術品に見えたのだ。生きて動くすがたを想像できないほどに。 「うふふ」 楽しそうにエレナは笑う。 「あのね。入口でゆっちゃを見かけたから、追いかけたの。でも、真剣にプレゼント選んでるみたいで、どうしようかなって」 買い物の邪魔しちゃ悪いかな? だけど、せっかくハローズで会えたんだし。 「あたしの推理によれば、彼女さんへの贈り物に悩んでるんだよね?」 「……えっ!」 またも優は絶句する。 「だったら、いろんなフロアをじっくり見るんじゃないかなって、先回りしたの。そうしたら、ビスクドールの展示コーナーがあって」 そしてエレナは茶目っ気を出した。しばらく人形たちを身動きもせず観賞していたところ、店員がやってきて「あら……? 誰、こんなところに特別展示の非売品を置いたのは」と言いながら、エレナを抱えて、黒天鵞絨敷きの展示台に乗っけたのだ。 で、そのままビスクドールのふりをして待っていたところへ、優がやってきたということらしい。 「店員さんが間違えるくらいだもんな。無理ないよなぁ、エシャロック?」 (おれなら間違えないけどなー。よっ、探偵助手。そんなところにいたのか。何うさぎの影に隠れてんだよ、元気だったか?) 照れ隠しに、優はエシャロックの声色で、ジャックに話しかける。うさぬいのびゃっくんにおんぶするような体勢だったので見えにくかったのだが、茶色のベアをエレナも持参していた。 (やあエシャロック。久しぶりの再会だね。今日の獲物は何だい? 何だろうと、ぼくが阻止してみせるけどね) エレナもまた、ジャックとして応じる。 しばらくの間、そんな微笑ましい応酬が繰り広げられた。周囲の客たちは、その様子をにこにこと見やっては、自分の用事に戻る。 優とエレナによるエシャロック&ジャックなりきりRPGは、自然に受け入れられていた。 なんとなれば、ビスクドール展示コーナの隣はぬいぐるみ売場で、それはもう、大小さまざまな種類の動物たちが取り揃えて陳列され、店員を呼び止める客がひっきりなしの賑やかなコーナーだったからである。 ――だが。 再会を懐かしむエシャロックとジャックの会話は、突如、中断された。 ぬいぐるみ売場の店員が、小さな悲鳴を上げたのだ。 「……ない。ないわ。ここに置いてあった、キリンとライオンとゾウとカバとシマウマとカピパラのぬいぐるみが……!」 優とエレナは顔を見合わせる。 (何だそりゃ。大胆な犯行……、っていうか、よくばりだなぁ) (「犯行」か。エシャロックもそう思うんだね?) (置いてあったものが急に消えたってことは、そういうことだろ? いっとくが、おれじゃないぞ?) (わかってるよ。君の美学には合致しないもの) (とりあえず出番だな、探偵助手) (君も協力しなよ) (何でおれが) (美学に反する嫌疑をかけられるのはいやだろう?) ――かくして。 「状況について、詳しく聞かせていただけますか? 心当たりは?」 「どこに置いてあったの? 痕跡は残ってない?」 表向きは、優とエレナによる犯人追跡が。 そして、エシャロックとジャックの即席探偵コンビによる調査が、始まったのだった。 ACT.3■おうちにはかえれない 【ぬいぐるみ売場担当者の証言】 「あ、はい。ほんの一瞬の出来事というか……。商品納入があったばかりのぬいぐるみを店出しするために、倉庫から運んで――そのときはダンボールに入ったままです――売場に持ってきてから箱出しして、ひとつひとつ床に置いてから、空きスペースを探してディスプレイを組み替えるために売場を一回りしたんですね。そして、戻ってきたときには、ぬいぐるみはありませんでした。離れていた時間? 5分くらいだったでしょうか。……そうです、なくなったのは並べておいたぬいぐるみだけです。いったい誰がこんなことを……。ああ、いえ、すぐに返していただけるのであれば、オーナーに報告だけはいたしますが、事を荒立てるつもりはありません。クリスマスの楽しい時期ですし」 (5分、ね。大量のぬいぐるみを、そんな短時間で移動できるもんかね?) (「ぬいぐるみ自身を歩かせた」って考えれば可能だよ) (……ほう。ということは) (犯人はツーリスト。おそらくはぬいぐるみを操って、動かすことができる特殊能力を持っている) (だとすれば動機が気になる。どうして犯人はぬいぐるみを盗む必要があったんだ?) (エレナが周囲の記憶の断片を読んだところ、犯人に悪意は感じられないんだよね) (じゃあ、なぜ) 泣き声が、聞こえる。 いとも淋しげな、切ない訴えが。 正確には、エレナがビスクドールから読み取った、ほんの5分前の記憶のかけら。 くすん。すん。しくしく……。 しくしくしく。 かえりたい。 かえりたいよう。 しられざる<しんり>なんて、どうだっていいんだ。 おうちにかえりたい。 パパとママにあいたい。 だいすきなおともだちとあそびたい。 あしたのゆうごはんは、ぼくのすきなシチューだって、ママはいってたのに。 こんどのおやすみには、ゆうえんちへいこうって、パパはやくそくしてくれたのに。 あたらしいゲームをいっしょにやろうねって、おともだちとゆびきりしたのに。 なのに、かえれない。 † † † ビスクドール展示コーナーの、すぐ裏手。 気づきそうで気づかない盲点に「犯人」はいた。 大量のぬいぐるみに囲まれて、膝を抱えて泣いている。 黄金の毛並みを持つ、レッサーパンダのぬいぐるみツーリスト。 見る者を魅了せずにはいられないほどに愛くるしい彼が、犯人だった。 「あたしもね、お家には帰れないんだよ」 「俺は帰ることはできるけれど。帰るための世界がどうなるかわからないから、ここにいるんだ」 帰るために。 守るために。 だから。 (両親や友達と離れて淋しかったんだろ? とりあえずそのぬいぐるみを返してくるんだな) (そしたら、ぼくたちが友達になるから) (いつでも遊んでやる) (楽しいこと、いっぱいしよう。まずは一緒にお茶を飲もうよ) ACT.4■ドールハウスでお茶を 百貨店ハローズにはいくつかのカフェが設けられている。 期間を決めて内装を変える「マージナル・カフェ」もそのひとつだった。 マージナル・カフェの今年のクリスマスのテーマは「Queen Mary's Dolls' House」。 1921年、ミニチュア好きのメアリー女王に英国の威信を賭けて贈られた1500人の職人と芸術家の結晶たるドールハウスが、なんと1/1スケールで再現されているのだ。ターミナルの百貨店ならではの趣向だった。 多少、アレンジは加えられている。それは冬ならではの、暖炉の設置であった。 美味しいスコーン。くせがなくて飲みやすいアッサム。たっぷりのクロテッドクリーム。たっぷりのイチゴとリンゴと洋ナシのコンフィチュール。 ささやかなお茶会はエレナの提案で行われ、レッサーパンダのぬいぐるみは、ようやく落ち着きを取り戻したようだった。 「そういえば名前、まだ聞いてなかっったな」 優が言い、しかしレッサーパンダは口ごもる。 「んー。ぼくのなまえ、ながいし、むずかしいし……」 「あたしもそうだから『エレナ』って呼んでもらってるんだよ。だから、そうだね、何かいい名前……。ゆっちゃ、どう思う?」 「えっ? 俺よりエレナのほうが名前つけるのうまいんじゃないかな。……だけど」 優はしみじみとレッサーパンダの黄金の毛並みを見つめ、ある相似に口元を緩めた。 「何だかロバート卿の髪色に似てる。ロバートだと紛らわしいから、子どものころの愛称とか?」 「ロバート卿が、小さいころ、何て呼ばれてたかはわからないけど」 エレナは思案顔で小首を傾げる。 「ボブとかボビーは『ロバート』の愛称だよね。ロブやロビー、ロビンもそうかな」 「ロビンがいいな」 すかさず優が同意し、 「ロビンか。ふぅん……」 まんざらでもなさそうにレッサーパンダが頷く。 このときから、彼の名前は『ロビン』となった。 † † † 雪が本降りになってきた。 紅茶のお代わりが注がれ、白い湯気が満ちる。 ぱちん、と、暖炉の薪がはじけ、オレンジ色の小花を咲かせた。 「夜」があるからイルミネーションは美しく、「冬」だからこそ、暖炉の火はあたたかい。 家に帰れない少女とぬいぐるみ、そして、家を含めた世界を憂う少年は、どこでもない世界のドールハウスで、しばし冒険の翼を休める。
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