クリエイター宮本ぽち(wysf1295)
管理番号1151-18099 オファー日2012-06-23(土) 21:08

オファーPC イルファーン(ccvn5011)ツーリスト 男 23歳 精霊

<ノベル>

 太陽が街道と店々を焼く。露店の棚が倒れ、宝石のような果物がぶちまけられている。貴重な果実はころころと転がり、イルファーンの爪先に当たった。
 イルファーンは慈しむように果実を拾い上げた。土を優しく拭い落とし、ゆっくりと視線を上げていく。
 陽炎の向こうで羽虫の群れが揺らめいている。いいや、よくよく見れば土埃だった。人だかりができている。男たちの罵詈。打撃音。そして呻吟。
 イルファーンは咄嗟に叫んだ。
「盗っ人だ! 早く店に!」
 我に返ったように人だかりが崩れていく。店を空けていた男たちはばらばらと散っていった。
 後には襤褸雑巾のような青年が残され、イルファーンは静かに手を差し伸べた。
「大丈夫かい?」
 しゃらん……。銀細工の耳環が涼やかに揺れ、陽光を弾いた。

 商都でよくある揉め事だった。青年は常習のスリで、商人たちの袋叩きに遭っていたのだ。
「ヘマしちまった」
 生傷と土だらけの顔で青年は唾棄する。彼を見つめるイルファーンの瞳が沈痛な色に染まった。青年の頬は痩せ、張りもつやも失っている。
「ちゃんと食事をしているのかい」
「俺のメシなんざどうだっていいんだよ!」
 青年の感情が険悪に弾ける。イルファーンの眼がますます苦しげに翳っていく。
 そこへ中年の女が走り寄ってきた。
「こんなことしかできないけど」
 青年の手に包みを押し付けた女はそそくさと逃げていく。中身はしなびた野菜だった。青年は慌てて女を追おうとしたが、彼女の背中は既に雑踏に消えていた。
「誰が頼んだよ」
 青年は気まり悪げに舌打ちし、八つ当たりのようにイルファーンを睨めつけた。
「てめえもだ。助けてくれなんて頼んでねえからな」
「勿論。僕が好きでしたことさ」
 イルファーンは木漏れ日のように微笑む。
「それより、訳を聞かせてくれないかな。望んでスリをしているわけじゃないだろう?」
 青年の面が苦悶に似て歪んだ。
 イルファーンは青年の家に案内された。家とも呼べぬ、草囲いの粗末な小屋だ。陽炎の中でわんわんと蝿がたかっている。よくよく見れば、草の外壁に牛馬の糞がこびりついていた。
 青年は戸口の垂れ蓆をくぐり、イルファーンも続いた。
「ひっ」
 家の中から悲鳴が上がる。ごとん。薪らしき物が投じられ、落ちた。イルファーンを狙ったと思われるそれは、イルファーンに届くことなく力尽きて転がった。
「化け物。化け物」
 しわがれた声。暗がりの奥で骸骨のような老婆が這いずっている。白髪はぺったりと頭蓋に張り付き、目も頬も落ち窪んで、髑髏のシルエットが露わになっていた。
「母さん。落ち着い――」
「化け物でもいい」
 青年より早くイルファーンが老婆に駆け寄った。老婆が痰混じりの悲鳴を上げる。このあばら家に似つかわしくない美貌が怖ろしいのだ。しかしイルファーンはたじろがず、耽美な憂いすら浮かべて老婆の手を取った。
「助けさせて欲しいんだ」
 長い睫毛が瞳を覆った瞬間、清冽な力が迸った。
 古い羊皮紙のような手が甦っていく。皮膚がつやめき、ふっくらと膨らみ、健康的な色へと変わる。老婆は瞠目した。もはや彼女は老婆ではなかった。優しい頬に穏やかな皺を刻んだ、歳相応の女がそこにいた。
「母さん」
 青年が崩れ落ち、母を掻き抱く。息子の腕の中で母の首が茫然と揺れている。彷徨う視線を捉えたのはイルファーンだった。
「もう大丈夫」
 しゃらん……。耳環が玲瓏と微笑む。
 母の涙が堰を切った。息子もまた泣いている。青年がスリをする必要はもうなかった。

「本当に……本当にありがとうございました」
 母がイルファーンに平伏する。イルファーンは母の顔を上げさせ、涙を垢ごと拭い取った。
「そんな風に言わないで欲しい。僕がしたくてしたことなんだ」
「それでも命の恩人に変わりありません。私も息子も助けて下さって……」
 母の言葉は続かない。はらはらと涙を流す母の肩を息子が無言で抱く。母の手は息子の手に縋りついた。
「お前にも苦労を……あんなことをさせて……」
「別に。そもそも俺がまっとうに働いてりゃ良かったんだ」
 青年はそっぽを向くばかりだ。イルファーンは笑み崩れた。
「こんな光景を見られて嬉しいよ」
 乾いた晴天が続き、家の外では陽炎が揺れている。イルファーンは親子の家に留め置かれ、ささやかな歓待を受けた。
 母は自ら厨に立ち、息子は日雇いの仕事に出かける。時には三人でオアシスに出かけ、水遊びを楽しむこともあった。泉に入る時、イルファーンの滑らかな素足は茶目っ気たっぷりに水を跳ね上げるのだ。飛沫に彩られるイルファーンは水の精霊の接吻を受けているようで、化け物と罵った母ですら見惚れざるを得ない。イルファーンの手足や耳では銀の環が揺れ、惜しみない輝きを母子に与え続けていた。
 イルファーンは美しかった。いつでもどこでも人目を引いた。
 やがて、陽炎と共に人々の目があばら家を取り巻くようになった。
「あの客人は何者だ」
「前に市で見たな」
「お袋さん、どうなってるんだ。この間まで死にかけてたってのに」
 太陽が町を炙り続ける。陽炎と噂が街道を這いずっていく。
 青年は汗と垢にまみれて働いた。母は家で織物の仕事をするようになった。ぎい、とん。ぎい、とん。織機の律動が続いている。
「遅いね。大丈夫だろうか」
 イルファーンは青年の帰りを案じながら窓の外を見やった。西の底が燃え始めている。
「今日は遠くに行くと言っていました」
 ぎい、とん。ぎい、とん。機を織る母が朗らかに微笑む。
「ちゃんと帰ってくるのかい?」
「泊まりがけになるかも知れないとは聞きましたが」
 ぎい……とん。当惑と共に織機が止まる。
 イルファーンはふと戸口を振り返った。蓆の隙間に貼り付いていた目がさっと逃げて行く。
「――どこの仕事に行っているんだい?」
 熾のような夕暮れが天球にこびりついていた。

 夜通し走り、イルファーンが目的地に到着したのは翌朝だった。
 首から髪から汗が滴る。照りつける太陽の下で虹色に煌めきながら落ちていく。宝石の欠片のような汗は乾いた地面にすぐさま吸い込まれた。
 イルファーンの足元に真っ赤な生肉が転がってくる。処理されたばかりの家畜の腿だ。爪先に当たったそれを拾い上げることもできずにイルファーンは走る。
 陽炎の向こうで羽虫の群れが揺らめいていた。違う。人だかりと土埃だ。
「見たろ、こいつの母親」
 槍を振りかざして誰かが叫ぶ。
「薬もねえのに死の床から息を吹き返した。悪魔の仕業じゃなくて何だってんだ!」
「あの容姿、化け物に違いねえ」
「化け物を呼んだんだ!」
「殺せ」
「殺せ!」
 襤褸雑巾のような青年の体が引きずり上げられ、引き立てられていく。青年を袋叩きにしていたのは市場の親爺と警邏隊だった。彼らは青年に度々煮え湯を飲まされてきたのだ。
 駆け寄ろうとしたイルファーンは立ちすくんだ。
「やっと口実ができたぜ」
 警邏隊の一人が犬歯を剥き出して――悪鬼のようだった――笑ったのだ。
「本当。化け物だ」
 沿道から囁きが這い寄る。イルファーンははっとして周囲を見渡した。しゃらん。耳環の音。無関心な傍観者たちが陽炎と共に揺れている。
「見ろよ、あの目。鳩の血みたいだ」
「恐ろしや恐ろしや」
 これまでは青年の身の上に同情する声も少なくなかった。それが彼の捕縛を遅らせていた面もある。しかし今はどうだ。
「スリの次は化け物だってさ」
「お袋さんだってどんな人か分かりゃしないよ」
 群衆はころりと意見を変え、陽炎のように青年を包囲している。

 裁判は淡々と、迅速に進んだ。
 どんな抗弁も届かず、そして――。

「やめてくれ!」
 槍衾の間からイルファーンの手が伸びる。雪花の肌は無機な穂先で裂かれ、銀の腕輪が朱に染まる。
「やめて!」
 母親の手は槍衾にすら届かない。警邏隊が母を引きずり倒し、踏み付け、群衆の外へ押しやっていく。
 人々の前で、後ろ手に縛られた青年は黙々と階段を上っていく。彼の全身はおこりのように震えている。人だかりの真ん中に素っ気ない台と柱が設えられていた。二本の支柱の間に棒が渡され、荒縄の輪がぶら下がっている。
 絞首台に辿り着いた青年は力なく膝を折った。うなだれた首に縄がかけられる。
「言い残すことはありますか」
 黒衣の聴罪師が形式的に尋ねる。青年は涙を滴らせながら顔を振り上げた。イルファーンは息を呑んだ。目が合ったのだ。
「盗みは事実だ」
 黒山の人だかりで、青年はイルファーンの姿を捉えていた。
「だけど化け物だなんて知らなかった」
 見せしめのように罪人が吊り上げられていく。人殺しと誰かが叫び、イルファーンは茫然と膝をついた。鬼のごとく髪を振り乱した母親が、命の恩人と感謝した口でイルファーンを罵っていた。
「この人殺し!」
 イルファーンの箍がとうとう決壊した。
 ゴッ――と大風が渦巻く。
 不可視の巨人が市場を薙ぎ払った。家屋の干し煉瓦はつぶてと化して降り注いだ。悲鳴。流血。人も家も物もあくたのように吹き飛ばされていく。吊られた青年はぶらぶらと揺れていた。壊れた振子のような体から糞尿が撒き散らされる。化け物めと誰かが叫ぶ。そら見ろ。やっぱり。悪魔。化け物! 竜巻の外側で陽炎がくねっている。傍観者のように、ゆらゆらと。
「僕は……愚かだ」
 やがてイルファーンは亡者のようにのろのろと進み始めた。絞首台の縄が切れ、汚物まみれの死体が降ってくる。彼を抱き止め、頬ずりし、石膏の指先で頬を拭った。初めて出会ったあの時のように、生傷と埃でどろどろの顔だった。
 しゃらん……。風が収まり、銀の耳環が震えながら止まる。
「人殺し!」
 蛇のようなおぞましさで母の腕が伸びてきた。イルファーンは呆気なく張り倒され、死体を抱いたまま崩れ落ちる。しかし母はそれすら許さなかった。イルファーンの腕に爪を立て、息子から引き剥がそうとする。母の爪が剥がれ、血とむき出しの肉がイルファーンの肌を点彩する。
「返せ。返せ。息子を返せ!」
 襤褸雑巾の死体を抱擁して母は泣き叫んでいる。
 あの時助けなければ良かったのか。あのまま見殺しにしていれば良かったのか。分からない。無意味だ。青年はもはや還らない。
 イルファーンは震える足で立ち上がり、警邏隊の槍を拾った。そして慟哭する母の元へ向かった。
「僕……は」
 喉仏が腫瘤のように上下する。
「彼を生き返らせる術を知らない」
 跪く。鬼と化した母の前に。
「だから……これしか方法を知らないんだ」
 からんと、槍を眼前に横たえた。見開かれた母の目がかっと血走った。
「化け物の命で贖えると思ってるのか!」
「分かっている」
 イルファーンの声が悲鳴に似て上ずった。
「僕がしたくてすることなんだ。僕は、愚者の霊だから。お願いだ。お願」
 言い終わる前に口から血が溢れた。槍が、胸のど真ん中を深々と貫いていた。灼熱の地べたに雪花石膏の体が倒れ伏す。しゃらん。耳環の囁きは槍の豪雨に呑み込まれる。狂った母は唾と涙と撒き散らしながらめちゃくちゃにイルファーンを突き刺し続けた。
(愚かだな)
 耳の奥で男の声がこだまする。
(人間ごときに肩入れするからだ。卑小で蒙昧な連中だと何度も言ったろう)
「いいんだ」
 うわごとのように呟き、熱に浮かされたように微笑む。
「僕はこの人たち皆を愛している」
(何故)
 答えようとした瞬間、口腔に槍が突き込まれた。痙攣しながら咳込む。錆びた鉄のような血の味。
「僕が」
 破損した舌で謳い上げる。
「……僕が、そうしたいから」
 もはや痛みはない。熱い異物感があるばかりだ。流れ出す血潮と引き換えに、丹念に、執拗に槍が突き入れられ続ける。
 ぬるい血溜まりが羊水のようにイルファーンを浸していく。胎児のように体を丸め、愚者は静かに目を閉じた。美しい肢体は涙と血と土にまみれ、襤褸雑巾と化していった。太陽と、亡霊のような陽炎が無言でそれを見下ろしていた。

(了)

クリエイターコメントありがとうございました。ノベルをお届けいたします。

語弊を恐れず申し上げれば、オファー文から「容赦のない」雰囲気を感じました。あの空気感を少しでも反映できたでしょうか。
精霊さんって血が出るんだろうかと思ったのですが、出たほうが映える(…)のでこのままお届けいたします。

楽しんでいただければ幸いです。
ご発注、ありがとうございました。
公開日時2012-07-14(土) 22:10

 

このライターへメールを送る

 

ページトップへ

螺旋特急ロストレイル

ユーザーログイン

これまでのあらすじ

初めての方はこちらから

ゲームマニュアル