クリエイター阿瀬 春(wxft9376)
管理番号1147-13548 オファー日2011-11-07(月) 20:57

オファーPC 三日月 灰人(cata9804)コンダクター 男 27歳 牧師/廃人

<ノベル>

 靴底が石床に散らばる蒼い硝子の破片を踏み砕く。三日月灰人は小さな悲鳴のように息を飲む。黒い牧師服に包まれた薄い肩が震える。胸に下げた十字架が鈴の転がる音を立てて揺れる。震える指先で十字架を握り、祈りの言葉を呟く。縁なし眼鏡に掛かる黒髪の下、鋭い印象を与えるほどの漆黒の眼が、気弱に瞬く。
 破れた天井から真昼の光が降り注ぐ。つがいの鳥が明るい声で唄い、軽い羽音で屋根に止まる。鳥の声に救い得て、灰人は眩しく細めた眼で天を仰ぐ。怯える心を落ち着かせるため、深く息をする。
(もう誰も、居ませんね……)

 訪れた小さな村は、遠い昔、戦火に焼かれたらしかった。
 人々のささやかな生活は炎に呑まれた。家が焼かれ、実りの畑が焼かれた。
 焼けた家々の柱だけが、草生した大地に墓標のように突き立つ。青空に向け、黒々と焼けた柱が何十本と林立するその中に、――唯一、焼け残った石造りの教会。石壁は黒く煤け、瓦は半ば落ち、焼けて折れた梁を骨のように晒して、それでも教会だけは炎にも年月にも耐え、辛うじて形を残している。
 教会の外には、土饅頭が幾つもあった。生き残った誰かが戦に焼かれた遺体を埋めたのだろう。捧げた花から種でも零れたのか、石が置かれただけの墓の周りには花々が風にそよいでいた。
 遺体を埋めた誰かも、もう此処には居ない。村も教会も、とうに打ち捨てられ、後はヴォロスの大地に朽ちていくばかり。
 ここには、もう誰も居ない。

 煤けた石床を踏む毎、窓から割れ落ちたステンドグラスを砕いてしまう。ヴォロスの神が描かれていたものなのかもしれない、と一度思ってしまえば、灰人の足は一歩も動かなくなる。埃と泥の積もった信徒席の真ん中で、立ち尽くす。
 灰人は悲しい瞳を閉ざす。
「懺悔をしに来たのですか」
 ふと、密やかな声が耳に届いた。灰人は身を竦ませる。反射的に胸の十字架を掴む。空から梯子のように降り注ぐ光を見る。震える足で、出来るだけ硝子の破片を踏まずに光の輪の中へ入る。祈りの言葉を早口に唱える。跳ねる心臓を、十字架と共に押さえる。
 恐る恐る、視線を周囲に巡らせる。
 廃墟と化した教会に満ちるのは、哀しみに似た清浄な気配。
 朽ちたパイプオルガンには、石床の隙間から芽吹いた蔦が十重に伝う。
 信徒席には、生き残った村人が最後に置いていったのか、風雨に晒され崩れかけた聖書らしきものがある。
 ステンドグラスを通さぬ陽光は、どこまでも白い柱のように教会内に差し込む。
 崩れた白壁に寄り添って、柱時計のような形した木製の小部屋がある。低い屋根に蹲る、大樹抱く翼あるものは、この村で信仰されていた神か、その御使いか。小屋の屋根支える柱に飾られていたらしい錫色の宝珠が、泥に塗れた床に叩き落されている。元は美しい花葉が浮き彫りにされていたらしい壁は、今は黒く醜く焼け爛れている。
 灰人は痛ましげに瞳を歪める。苦しげな息に膨らみ萎む胸の十字架に、細い指を縋りつかせる。
 指が汚れるのも構わず、炭化した壁に触れる。柱の影になる小部屋をそっと覗き込む。土と灰の臭いが鼻をつく。
 中は狭く暗い。薄闇に、小さな格子窓が見える。
 告解室のようなものだろうか、と灰人は眼を伏せる。足の折れた古い椅子の転がるこちら側は、おそらく赦しを乞う者の場。
「懺悔をしに来たのですか」
 囁くような声が、格子窓の向こうからもう一度聞こえる。男のものとも女のものともつかない、掠れた声。
 格子窓の向こうに人影は見えない。
「夢を、見たのです」
 告解室の狭い空間に、灰人の震える声が響く。
「神託の都、……メイム」
 ご存知ですか、と遠慮がちに問う灰人に応える声はない。灰人は蒼白いほどの頬に黒い睫毛の影を落とす。
 不思議の持つ竜刻がこの地のどこかにあるのか。
 声の主が誰なのか。
 どうして懺悔を問うのか。
 疑問は、けれど話し始めた途端に霧散した。
「妻と子の夢を、見ました」
 異国より遥か遠く離れてしまっても、強く愛しく想い続けている妻の夢。
 もうすぐ生まれてくるはずの、愛し子の夢。
「夢の中で、妻は子を抱いていました」
 幸せな夢だった。愛する妻は光に包まれていた。その名の通り天使のように優しい微笑み含んだ声で灰人を呼んだ。
 ――ハイド
 妻だけが唇にする、その独特な名の呼び方を、灰人は愛した。
 その髪を、優しい笑み絶やさぬ眼を頬を、朗らかな声紡ぐ唇を、しなやかな腕を、軽やかに歩く爪先を。穏かな心を。笑顔を泣き顔を怒り顔を。
 静かに恋をした。
 己の全てで以って、彼女の全てを愛した。
 夢の中でさえ愛しい想いが溢れて、泣き出しそうになったのを覚えている。
 幸せな夢だった。
 妻は、柔らかな胸に生まれたばかりの無垢な命を抱いていた。
 現実には未だ生まれてはいないはずの我が子。
 幸せな夢を思って、灰人は告解室の内で幸せな笑みを零す。
「名前を、たくさん考えたんです」
 懐から手帳を取り出す。居るのかさえも分からない格子窓の向こうに開いた手帳を示してみせる。手帳をびっしりと埋めるのは、生まれてくる子のための名前の候補。
「一生呼ばれ続ける大切なものですし、最初の贈り物だと思いますし、どれだけ悩んでもいいと思うんですよね」
 手帳を片手に、考えに考えた名前をひとつずつ指でなぞる。熱を帯びた瞳が告解室の薄闇にあってきらきらと輝く。名前の響きを確かめるように、名前の候補をひとつずつ読み上げる。
「これは優しい響きだと思うのですが……」
「これは野の花の名に由来があるんです。白くて可憐な花なんです。そういえば、妻も花と同じ響きの名なんですよ。その花も白くて可憐で、人を癒す力さえ持つ素晴らしい花なんです。その名前を持つ妻も、可憐で優しくて、素晴らしい女性です」
「この名前は、英雄のように凛々しいと思うのですが……」
 ひとつ名前を読む度に、名前に対する所見を付け足す。ついでに愛妻の惚気も付け足す。
 灰人に応じる声はない。
 人の絶えた空っぽの教会に、灰人の嬉しげな声だけが響き続ける。
「愛称も大事だと思うんですよね、だから、……」
 はしゃぐ声が、不意に沈む。眼鏡の奥の黒い瞳が苦しげに歪む。
「アンジェ、と。呼んだんです」
 嗄れた声で、灰人は囁く。
「……アンジェ。アンジェリカ」
 祈るように妻の名を呟く。煤けた床に膝を折る。胸の十字架を両手で包む。
 夢だと信じた。
 夢の中で、妻と子は崩れ行く教会に立っていた。
「手を、伸ばしたんです」
 幼い頃に両親を突然亡くし、孤児院で育った。自分と同じ境遇の子供はたくさん居たから、孤児院の牧師や尼僧はとても優しく育ててくれたから、寂しいと拗ねることは出来なかった。
 けれど、全てを失った心のどこかで、失うことを怯えた。失うならば持たなければいいと寂しい心のどこかで信じた。
 牧師として生きる術を覚え、神の愛を知り、神より他に愛を与えてくれるものなど居ないと信じた。全てを愛していると信じて、全てに怯え続けて生きてきた。そうして生きてきたのに、――神を、全てを、そうと知らず裏切って生きてきたのに、神の僕として、牧師として派遣された見知らぬ土地で、彼女と出逢うことが出来た。
 彼女は灰人を愛してくれた。
 灰人は彼女を愛することが出来た。
 それを神の与え賜いし奇跡と呼ばずに何と呼ぶ。そう思った。神に祈りを捧げた。
「命さえ懸けて愛すると決めた人でした」
 彼女との出会いを与えて下さった神の前で、永遠を誓った相手だった。
 唯一人、愛した女性。
 唯一人の、かけがえのない家族。
「ただひとり、なんです」
 ひとりきりだった灰人を救ってくれた、唯ひとりの人。灰人の手を取り、家族になってくれた人。
「それなのに」
 灰人は呻く。伏せた瞳が震える。十字架に縋りつく両手が震える。
「……それなのに、」
 牧師服を纏う細い身体が氷の中に在るように震える。病み衰えた者のような苦しい息を吐き出す。膝を屈するだけでは身体を支えるに足らず、煤けた床に両肘をついてうずくまる。背中を丸め、
「神よ」
 嘆く。応えはない。
「神よ」
 吼える。応じる声はない。
「神よ」
 声が震える。掠れる。
「私は、……妻を救えなかった」
 蒼い硝子が砕け散り降り注ぐ中、彼女は生まれた子を抱いて立っていた。深い溝にその身体が落ちていくのに、必死に手を伸ばした。妻子を深淵から引き上げようとした。
 祈り捧げていた静寂の教会が崩れ落ちる。世界の全てを煌く光で照らしてくれた彼女が、崩壊する世界に沈んでいく。
「妻の手を、掴んだはずなんです」
 華奢で柔らかな、働き者の妻の指の感覚を、生々しいほどに覚えている。子を抱いたまま、優しく慈悲深く、聖母のように微笑む妻の顔が瞼の裏に焼きついてずっと離れない。
 ――愛しているわ
 愛しい妻の、最期の言葉を覚えている。末期の、遺言。
「違う、」
 弾かれたように灰人は首を横に振る。違う違うちがう、呟く声は知らず喚き声となる。肺の空気を全て否定の言葉に代えて、灰人は喉を鳴らして咳き込む。
「違わない」
 零れた言葉は、己のものと思えぬほどに低かった。地獄の炎にも似た悔恨が灰人の胸を焼く。
「手を、離してしまった」
 炎を吐くように、囁く。自責の念に喉が焼ける。唇が乾き、舌が血を吸った蛭のように膨らむ。懺悔の言葉を拒んで身体が震える。
「どうしてこの手を離してしまったのか」
(アンジェ)
 煤と泥に塗れた床に額を押し付ける。石くれが額や頬を擦る。
「どうして守りきれなかったのか」
 唇に泥の味を覚える。両手できつく握り締めた十字架の端が掌に刺さる。
(アンジェ……)
 凍り付いたように開かない瞼をこじ開ける。岩を負うたように重い背を、頭を、腕の力で持ち上げる。両の手から離れた十字架が床に落ちて硬い音を立てる。
「私はこの手で、」
 灰人は格子窓に向け、罪を問うた何者かに向け、懺悔する。
「……この手で、妻と子を殺したんです」
 手を離してしまった。
 妻と子は崩れ落ちる光に呑まれてしまった。
「私は、望んでしまった」
 家族を。一度失ってしまった家族を、もう一度と欲してしまった。愛して欲しいと願ってしまった。妻と子が失われたのはその罰ではないのか。欲を持ってしまったが故に、すべてを失ってしまったのではないのか。
 錐を挿し込まれたように頭が痛む。脳に爪を立てて誰かが掴んでいるかのよう。
「神よどうか、」
 爪を立てるのは神か悪魔か。妻子を失った記憶は夢か現か。もうそれさえも分からない。
「いや神じゃなくてもいい、」
 灰人は這いつくばって懇願する。
「誰か、……誰か、」
 混乱した記憶に苛まれるまま、己を責めに責めるまま、灰人は祈る。何者に祈りを捧げているのかももう分からぬまま、祈る。
「私を裁いて下さい」
 この身など裁きの光に焼き尽くされてしまえばいい。地獄の業火に焼かれてしまえばいい。永遠を誓った彼女を護れなかった愚かな自分など、どれほど惨い責め苦を受けても構わない。
「どうか私に、裁きを」
 灰人が救い求めるように乞うた、その時。
 ――ハイド
 風音ともとれる微かな声を聞いた気がして、灰人は苦痛に潰れた瞳に光を取り戻す。夢から覚めるように、否、夢を見るように、ゆっくりと眼を瞬かせる。
 ――ハイド
 声は、灰人の耳に確りと聞こえた。灰人は告解室から転げ出る。声の主を探して頭を巡らせる。灰人をそう呼ぶのは世界に唯一人。
 告解室の扉が開く。扉の内から光が零れる。温かな蜜色の光纏った人影が優しい手を灰人へと差し伸べる。
「……アンジェ……?」
 幻だとは思わなかった。一心に、彼女だと信じた。妻が抱擁を求めている、そう信じて己の腕を懸命に伸ばす。眼を射る眩い光に正面から向かい合う。今度こそ妻を救おうと、腕を指を、伸ばす。

 腕を光に差し伸べて、眼を見開く。
 どこまでが夢か、どこからが現実か、分からぬままに深く呼吸をする。
 冷たい空気が胸を満たす。光求めて動きを止めた指先に、空から降る陽光が触れる。
 廃墟の教会には、灰人ひとり。棄てられた村にあって、教会にうずくまる牧師に手を差し伸べるものは誰もいない。――今は、神でさえも。
 

クリエイターコメント お待たせいたしました。
 懺悔のおはなし、お届けさせていただきます。
 苦しむ心に届く声がいつかありますようにと願うばかりです。

 捏造歓迎、のお言葉に甘えさせていただきまして、細々と混ぜさせて頂いておりますが、……少しでも、楽しんで頂けましたら幸いです。

 おはなし、聞かせてくださいましてありがとうございました。
 またいつか、お会い出来ますこと、楽しみにしております。
公開日時2011-11-14(月) 21:10

 

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