■0■ 村はずれの小さな酒場の扉を一人の女が開いた。カウンター奥でグラスを拭いていたバーテンがあんぐりと口を開ける。その手から布巾とグラスが滑り落ち、床の上でけたたましい音をたてながら破片を飛び散らせた。 悪い夢でも見ているような気分でバーテンは首を振った。昨夜は少し飲み過ぎたようだ。大体、サムがいけないのだ。無理矢理飲ませたりするから。彼は内心で友人のサムに悪態を吐いた。たとえばそれが昨夜ではなく一昨日のことであったとしても彼には大した問題ではなかった。彼の中にアルコールが残っている、そこが重要なのだ。 ふぅ、疲れているのかな。 首を振ってバーテンは愛想笑いを作った。うるさくしてすみませんね、とでもいう風に、ちょっと手を滑らせちまいました、みたいな顔で。 「いらっしゃいませ」 それから「ちょいとすいません」と手振りと目線で足下のグラスを差す。 カウンターの席に座った女は大して気にした風もなく「どうぞ」と微笑んだ。こんな真っ昼間に訪れる客というのも珍しい。この辺りでは見ない顔だ。バーテンは箒で割れたグラスを掃きながら女の顔を見た。充分可愛らしいといっていい顔だ。長い黒髪をハーフアップにしている。そこから覗く色白の首筋にドキッとして慌ててバーテンは下を向いた。黙々と掃き掃除。 ちりとりにのったグラスの破片をゴミ箱へと運ぶのに、バーテンはカウンターの向こうに出た。それまでカウンターの影に隠れて見えなかった女の胸から下が彼の目に飛び込む。ゆっくりとちりとりの中身を床にぶちまけながらバーテンはさっきのあれが見間違いでなかったことを知った。 「魔王以外にクレームを付けるのは本意ではないが……」 隆は重々しく言いおいてバーテンの方を見やった。バーテンは血の気の失せた顔をしながらグラスを磨いていた。両の鼻の穴にはティッシュを丸めたものが詰め込まれていたが、残念ながらそれでは間に合っていないようで、赤く染まっている。気の毒な。 「言わなくてもいいし」 サクラはその言葉の先を見越してそっぽを向く。 「似合っているからいいと思いますわ」 パティが言った。 しかし事は似合う似合わないの問題ではない。これから魔王を倒しに行くのだ。恐らくは魔王やその部下どもとの激戦が予想される。勇者たるもの水着姿などと、それでいいのか!? 「水着じゃない!!」 「え? 水着じゃないの?」 「ふふん。この伸縮自在なビキニ型アーマーは防弾防刃加工が施されているのよ」 サクラはどうだと言わんばかりに長い足をテーブルの上にどんと乗せてみせた。すらりとした白い生足に、隆はうっと、小さく呻いて口と鼻を片手で覆うと横を向く。ちっ……これだからチートレイヤーは……。防弾防刃の素晴らしきアーマーとはいえ、布のない部分……もといアーマーで隠れていない部分があまりにも大過ぎるだろ。 「魔王も男でしょ?」 サクラは机の上で艶めかしく足を組み替えバーテンの方を見やった。手を挙げてひらひらと振ってみせると、バーテンは晴れやかな笑顔で手を振り返してくる。 なるほど、そういう戦略かっ。しかし、ああはなりたくないものだ。隆はバーテンの鼻に埋め込まれたティッシュを見つめながら思った。 視線を傍らのパティへと移す。 「それで、その魔王さまはどこにいらっしゃるんだ?」 尋ねた隆にパティは「まぁ、そうですわ」とベルトポーチからマップを取り出して丸テーブルの上に広げてみせた。100均で売られているようなチープなやつだ。サクラの足の上にまで広げられたそれにサクラがテーブルから足をおろした。 パティは小柄だが実は3人の中では最年長である。スレイブンである彼女は、こう見えてシーフでもあった。その情報網は隆のそれを軽く凌駕する。 広げられたマップのその場所をパティが指差した。地図記号凸。その横にでかでかと“魔王の城”の文字。パティが集めた情報からマッピングしたものでないことは明らかだった。間違いなく印字されたそれは最初から地図に載っていたのである。 「………」 突っ込みどころは満載だった。隆はぐっと力強く拳を握りしめただけだった。こんなところで大盤振る舞いしても仕方がない。 かくて3人は酒場の外へ出た。 「さぁ! 魔王を退治しにいくわよ!」 サクラが剣を太陽に向けて掲げてみせる。 「「おう!!」」 隆とパティがそれに応えた。 3人の後方から徐々にクローズアップされる『まおゆうたん』の文字。タイトルバックには玄界灘に打ち寄せる波飛沫。 チャラチャチャッチャッチャーという軽快なリズムと共にそれらはフェイドアウトしていった。 ■1■ ところ変わって魔王城。 城の主魔王の優は今日も城の半地下全てを使った巨大な台所兼貯蔵庫でランチとディナーの仕込みに余念がなかった。 そこへ秘書の絵奈が本日の予定について確認にやってくる。黒地に白の細いストライプが入った品のいいスーツに度の入っていないメガネ。この魔王の城の制服であった。 絵奈は少し落ちたメガネのフレームを指でくいっとあげてスケジュール帳を開いた。それだけでお茶碗3杯もの飯が食える人間がいると聞く。この世には空腹を越えるスパイスがあるのか、と思うとちょっとジェラシーを禁じ得ない魔王優であった。おかげで絵奈の話を半分以上聞き流しコンソメスープをかき混ぜながら生返事をしていた優だったが、ふと思い出したように口を挟む。 「あ、そうだ。今日はママゾンの通販で頼んでおいた【世界征服の基礎入門】と【チャート式世界征服】と【世界征服自由自在】と【10日間で出来る征服論】と【昆虫料理大全集】が届くことになっているんだった。受け取っておいてくれるかな?」 「はい、かしこまりました。【世界征服の基礎入門】と【チャート式世界征服】と【世界征服自由自在】と【10日間で出来る征服論】ですね」 「いや、【世界征服の基礎入門】と【チャート式世界征服】と【世界征服自由自在】と【10日間で出来る征服論】と【昆虫料理大全集】だ」 「はい。ですから【世界征服の基礎入門】と【チャート式世界征服】と【世界征服自由自在】と【10日間で出来る征服論】ですね」 「………」 絵奈は断固として昆虫料理大全集などという本は存在しないという構えだ。彼女が魔王の秘書をしているのは、偏にナメクジ料理阻止のためといっても過言ではない。 「とにかく荷物が届いたら、書斎に運んでおいてくれないか。未開封で」 「いいえ、中身のチェックはさせていただきます」 それが秘書としての勤めですと言わんばかりに絵奈が断言すると、不毛なやりとりに優は諦念に満ちたため息を吐き出した。 後で自分がダストシュートから回収してくればいいか。最近、諦めるというスキルを身につけた魔王であった。 ▼ 優はコンソメスープの仕込みを終え、料理について、特に食材について、というか昆虫断固NGとうるさい絵奈を適当に撒くと、メイドのサシャと共に本日の料理教室の食材のリストを手に貯蔵庫へと向かった。 世界征服にしても、何をするにしても、世の中先立つものが必要なのである。それは魔王も例外ではなかった。たとえ魔王といへど湯水のように金が沸いてくるわけではないのだ。 働かざる者食うべからず。 幸い魔王にはいつの間にか極められた料理のスキルがあった。 近隣住民を集めてお料理教室を開いてみたところ、これが奥様方に大変好評で、月1回から、今では週1回のペースで開かれるようになったのだ。 実は奥様方に影ながら王子と呼ばれていることを魔王は知らない。 「今日は何をお作りになられるのですか?」 メイドのサシャが尋ねた。絵奈と同種のスーツだが、こちらはデザインがもう少し派手で、ミニのタイトスカートに白いレースがたっぷり施されたエプロンをつけている。スカートの裾からチラリと覗く同じく白のレースのガードルが艶めかしい。髪にはレースのカチューシャ。この世界には空腹にも勝るスパイスが……以下略。 優は無意識に拳を握りしめながら笑みを作った。 「今日はウナギのゼリー寄せとチョコバーのフライに挑戦してみようと思うんだ」 それはイギリス料理のとあるランキングでベスト3に入る料理たちだった。 「チョコバーをフライにするんですか? そのまま食べた方が美味しくないですか?」 サシャが首を傾げる。 「焼きチョコだってあるんだから、チョコを揚げても美味しいかもしれないだろ?」 「なるほど、それもそうですね」 ところで。 魔王城では食材を自給自足しているが、世界各地からもあらゆる食材を入手していた。 最初はごく近隣だけで“食えそうなもの”を募集し高く買い取るようにしていたのだが、先立つものの確保が著しく困難であることから、“食えそうなもの”を持ってきてくれたら、それを調理して提供するというシステムに変更した。 余った食材は調理代として徴収する。もちろん、持ち込んだ食材があまりに怪しげな場合は、持ちこんだ食材以外のものでの代用も可能とした。 すると、この料理が美味しいと瞬く間に世界に広がり探検家がこぞって食材を持ってくるようになった。今では、世界各地から怪しげな食材ががっぽがっぽと手に入るようになったのである。 それらの食材の貯蔵庫には当然ありとあらゆる食えそうなものが保管されていた。但し、あくまでそれは“食えそうなもの”であって“食えるもの”ではないところが、世の中油断ならないことを示してもいた。 とにもかくにも地下には巨大な水槽まで存在するのだ。 その水槽の前で優はうーむとうなり声をあげた。 今日のメニューはウナギのゼリー寄せ。 ところがここで大きな問題に直面したのだ。 うなぎが足りない。 仕方がないので優はサシャとNo8に頼んで地底湖にうなぎを穫りに行ってもらうことにした。 優自身は裏庭にハーブを採りに行く。 裏庭にはいつの間にかそこに住み着いた樹の精霊――ニワトコがいた。 ニワトコはあらゆる果実を実らせることが出来るのだ。彼が住み着くことを優が咎める理由はなかった。むしろ、ウェルカム。カモンというやつだ。概ねこの城の魔王は来るものは拒まず、去る者は手放さずなのである。 「やあ、ごきげんよう」 大きな樹の根元に佇んで光合成をしていたニワトコは、優に気づいてのんびりと声をかけた。 緩やかなウェーブのかかった緑色の髪に白い花冠。絵奈が着ていたものと同種のスーツを細身の体にスラリと纏っているが、スラックスの裾から覗く足は裸足だった。そういうところが、またお姉さま方の女心をくすぐったりして、食欲にも勝る……以下略。魔王優は拳を握りながら笑みを返した。 「ごきげんよう。今日はディナーに使うオレンジを貰いに来たんだ」 優の言葉にニワトコは一つ頷いて空に向けて手を掲げた。 「お安い御用だよ」 手の平が青空から降り注ぐ陽光を受けて淡い光を発すると、彼の後ろにある大きな樹に巻きついた蔦をその光が伝っていく。やがて光は生い茂る葉にまで行きわたり小さな光を実らせた。 それが手の平に乗るほどの大きさになった時、光は静かに収束しオレンジ色が浮かび上がる。 「これくらいでいいかい?」 オレンジはいくつも樹になっていた。 「ああ、うん。いつも助かるよ」 それを持ってきた籠の中に収穫しながら優が礼を述べる。 「今日は何を作るの?」 「オレンジケーキだよ。後で食べに来て」 「うん」 ニワトコはにこにこしながら頷いた。 彼は樹の精霊である。本来光合成で栄養を得る彼に食事は必要としない。しかし彼は食べることが出来るのだ。ただし、味は皆目わからなかったが。それでも優の料理は好きだった。オレンジがオレンジとは思えないようなものに様変わりするのが面白いからだ。今度はどんなものになるんだろう、とワクワクした気分になる。 時々、アツアツのものに悲鳴をあげることもあるが、優の料理は十分見て楽しむことが出来た。 「あ、そうだ。ニワトコはなめくじって食べたことある?」 優は思い出したように尋ねた。 「なめくじ?」 ニワトコは首を傾げる。 「なめくじを食べるのかい?」 「ああ、うん。ちょっと興味があって」 「それはいい。彼らは植物を食い荒らすから。必要なら集めてくるよ」 ニワトコは目を輝かせた。 「……でも、食べ方がわからなくてさ」 「きっと魔王なら美味しい食べ方を見つけられるよ」 「そうかな?」 「うん」 「なんか出来そうな気がしてきた!」 「後で持っていく」 「ああ、ついでにランチデザートのフルーツも頼んでいいかな?」 「もちろん」 そうしてニワトコは優を見送った。 それから傍らの木に声をかける。 「きみも一緒に探すかい?」 すると木の影から1人の少女が現れた。手にはスコップを握っている。 少女は元気よく応えてスコップを振りあげた。 「探すのです!!」 ▼ 一方、同じ庭でも、こちらは中庭。 「ちっ、どこに……」 絵奈は中庭に出るときょろきょろと辺りを見渡した。魔王の姿はなかった。メイドのサシャといるところまでは把握していたのだが、サシャの隣にいるのがいつの間にか漆黒の短い髪からピンク色のサイドアップした髪に変わっていたことに気づかなかったのである。なんとも迂闊な話であった。 だが、そんな言い訳をしていても始まらない。 必ずや昆虫料理を止めさせなければならないのだ。使命感を帯びた顔で絵奈は視線を巡らせた。今のところ貯蔵庫にそれらしい食材はなかったが、昆虫などはいつでも簡単に入手出来てしまうのである。 それは断じて杞憂などではなかった。何故なら絵奈はもう一つの怪しい影が庭に出ていくのを目撃したからだ。その影は右手にスコップ、左手にビニール袋を握っていた。 なんとしても止めなくては。 そうして絵奈が目を光らせていると、一頭の獣が彼女にゆっくりと近づいてきた。狼の頭に狼の牙、猫の爪に猫の尾、全身に漆黒の毛皮を纏った獣――クアール。異次元のどこかの世界では『災禍の王』と呼ばれた魔王であったが、今はこの城の庭師であり、今日も美しく花開かせている薔薇園の管理をしていた。 「魔王かゼロさんを見ませんでしたか?」 絵奈が尋ねるとクアールは少し首を傾げて答えた。 『今日はどちらも見てないな』 野太い声が絵奈の頭上から降ってくる、ような錯覚を覚える。それはテレパスに近いだろうか。クアールが話しているのだ。 「臭いでわかったりしないかしら?」 絵奈は屈んで今にも鼻がくっつきそうなほど顔を近づけると、顎の下をわしゃわしゃと撫でながら尋ねた。扱いは大型犬のそれである。犬は人の1億倍もの嗅覚があった。 『………』 但しクアールは犬ではない。狼の顔を持つが狼でもない。たとえ皆から番犬のように扱われようとも、魔獣なのである。 「もし魔王やゼロさんが来てもミツバチとか手渡したりしないでくださいね」 かつては災禍の王と恐れられたクアールのもふもふを楽しみながら絵奈が言った。 『ミツバチ?』 クアールは絵奈のなすがままになっている。かつての魔王も最近「諦める」というスキルを身につけたのだ。 「はい」 『どういうことだ?』 「魔王は今、昆虫料理にご執心なんです」 絵奈は大仰にため息を吐きながら言った。 『ミツバチを食べるのか? ハチノコではなく?』 「ハチノコも食べません!」 絵奈はきっぱり言い切った。 『………』 クアールは困ったように首を傾げる。 「それと、ナメクジも」 絵奈が言った。 『ナメクジだと? それはさすがに食べないのでは?』 「クアールはわかってないんです! 私、昨夜、ゼロさんと魔王が話しているのを聞いたんです!」 そうして絵奈は強い口調で昨夜の話を始めたのだった。 ゼロとはこの魔王城の居候である。 居候と言うが、実は彼女は優よりも先にこの城に住んでいた。まるで眠りの森の美女のように健やかなる眠りの中にまどろんでいたのだ。 彼女は非の打ち所のない美少女であった。誰が見ても究極の美少女と認識した。ただ、彼女に足りないものを一つ挙げるとするならそれは存在感であったろう。魔王優がこの城を拠点に決めた時も、誰も先住人の存在に気づかなかったのである。 そしていつの間にか何となく彼女はこの城の居候となっていたのだった。彼女からすれば理不尽極まりない話だが、別段彼女もそれを気にした風もない。 彼女にとって重要なことは心地よいまどろみの中におれるかどうかのみ、だからだ。 優は彼女に必要以上の介入をしない。魔王でありながらその権力を振りかざすような真似もしない。それどころか比較的庶民的な魔王と言ってもよいほどだった。 彼女の野望である世界にシエスタを広めることについても、魔王は反対どころかむしろ大賛成してくれたのである。 そんなこんなで2人は仲良しなのだ。 そして昨夜。ゼロの部屋で快眠グッズの通販番組を見ながら魔王優はふと思い出したようにゼロに言ったのだった。 「みんなカタツムリは食べるのに、殻がなくなるとどうして食べなくなるんだろう?」 するとゼロはしばし考えるような仕草をしていたが、すぐにハッとして答えた。 「ナメクジさんはお塩をかけるといなくなってしまうのです」 「ああ、そういえばそうだな」 厳密には完全に消えてなくなるわけではない。だが、近い状態にはなる。 「ナメクジさんの下味にお塩を使うと、ナメクジさんはいなくなってしまうのです」 「!? …確かに……」 それは迂闊だったと優は目を見張った。浸透圧の関係でそうなるわけで、塩に限らず、ナメクジは砂糖などでもとけてしまう。 「ナメクジさんを食べるのは難しいのです」 「なるほど。だからみんな食べないのか」 などと頷く優に半分開いたドアの影に隠れ盗み――もとい立ち聞きしてしまっていた絵奈がどれほどのつっこみを入れたかを彼は知る由もなく。 「ナメクジの味付けはどうすればいいんだろう?」 優は腕を組んでうーんと考え込む。 「ゼロは思うのです。だからナメクジさんは食べられないのです」 ゼロが言った。ナイスよ、とその時絵奈は思った。だが、魔王はちょっとやそっとでは挫けなかった。 「……いや、きっと何か調理法があるはずだ」 優はまるで自分に言い聞かせるように言った。 「ナメクジさんも食べられますか?」 「ああ。世界は広い。きっとどこかにナメクジを美味しく食べる方法があるはずだ」 優は力強く言い切った。絵奈は、あってたまるか、と思った。 「ゼロも探すのです」 「よし。そういうのが載ってそうな本を探してみよう!」 「おー!!」 そして魔王優はママゾンの通販で昆虫料理全集なるものを注文しやがったのだった。 回想終わり。 絵奈は内心で絶叫せずにはおれなかった。「カタツムリとナメクジはタラバガニと蜘蛛ぐらい別物だ!!」と。クアールが不思議そうな顔をした。 何故にタラバガニと蜘蛛なのか。 どちらも8本足であった。 「断固、ナメクジ料理を阻止しなければっ!」 『ならば、下味に塩をかけてやればいいのではないですか?』 クアールが言った。 「!?」 その手があったか……。 しかしクアールは内心でナメクジ料理に少し興味を持っていた。それくらいには魔王優の料理の腕を買っていたのである。彼なら、もしかしたら美味しく調理してしまうかもしれない。 それから、そういえばこの城にも8本足の生き物がいることを思い出していた。 ■2■ 今日も今日とて平和な魔王城。 そこに忍び寄る怪しい影。勇者たちはあっさりとその場所にたどり着いた。魔王城正門前。 そこには大荷物を担いだ者達によるとてつもなく長い行列が出来ていた。世界各地の冒険家どもが“食えそうなもの”を調理してもらうためにやってきたのだ。これはその順番待ちの行列である。 地図にでかでかと『魔王の城』と書かれていた理由を何となく悟らずにはおれない隆であった。サクラは胡散臭げに行列を眺めている。パティは知っていたという顔だ。 とにもかくにも魔王に会うには、どうやら“食えそうなもの”が必要らしい。 「………」 しかし勇者一行は残念ながらそのようなものを持ち合わせてはいなかった。それ以前にもいろいろ言いたいことが山ほどある……が。 「こっちが食料を分けてもらいたいくらいだっ!」 隆は誰にともなくぶちまけた。サクラとパティがそらっとぼけたように横を向いて鳴らない口笛を吹いている。彼の元に返ってくるのは空腹と空しさばかり。 「それはさておき」 サクラは話題を変えるように言った。 魔王は自分を倒しにくる勇者たちの存在に未だ気づいてないようだ。おかげでここまで壮絶どころかまともな戦闘もなく彼らはたどり着くことが出来たのである。 「普通、もちょっとこう……レベルを上げないとまずくない?」 隆が右上にある“バー”の辺りを気にしながら言った。魔王と言えば普通はラスボスである。 「さすがに、城の中に入ったらそうはいかないんじゃないかな?」 サクラがお気楽な調子で言った。 「あの鍾乳洞が城の地下に繋がってるらしいですわ」 情報通のパティが言う。 「よし、そこから行こう」 サクラが決断した。 「今度こそ、敵が出るかな?」 隆はどこにともなくカメラ目線で口の端をあげて決め顔を作ってみせる。ただ、ニヤリと笑ったその頬には心なしか疲れが滲んで見えた。もちろん肉体的なものではないだろう、精神的な、である。女の買い物に付き合わされた男のようなとてつもない疲労感と哀愁だった。ここまでの長い旅路の間に一体彼の身に何があったのか……は想像に任せるとして。 「いきなり中ボスとかじゃないといいけど」 「行ってみればわかるわよ!」 「オー!!」 かくて一行は鍾乳洞へと向かったのだった。 ▼ 地上の暖かさはどこへやら冷たい空気がまとわりついてくる。ピチャンと水の垂れる音がそこここで一定のリズムを刻んでいた。 「寒くないのか?」 隆はサクラに尋ねた。鍾乳洞の中は外の気温の半分もない。サクラはビキニアーマー姿なのだ。しかし。 「別に」 サクラは「何で?」とでもいうような顔で隆を見返した。 コスプレイヤーとは、真夏に厚着でも真冬に薄着でもそのテンションの高さで暑さ・寒さを退けることが出来る生き物であった。心頭滅却すれば火もまた涼し。 「そうか」 隆はそれ以上何か言うのをやめた。 濡れた砂利を踏んで奥へと進む。そこにには、高さ20mはあるだろうかドーム状の空間に巨大な地底湖が広がっていた。 一見深そうでもなく湖の底がすぐ近くに見えたが、隆が持っていた杖を突き刺してみると全く届く気配がない。その下を悠々と泳ぐ魚たちを見ているとかなりの深さがあるようだ。それだけ透明度が高い湖なのだろう。 と、突然水面に噴水のようなものが浮かび上がった。思わず隆が杖を手放す。 水柱の上には、まるで仙人だか陰陽師のような少年が姿を現した。平安時代の狩衣のような服を着れているせいだろうか。それとも額から出ている角のせいだろうか。 今にも『あなたが探しているのは銀の杖か、金の杖か』と尋ねそられそうで、隆は自信を持って答えた。 「もちろん、木の杖だ」 少年――湖の管理人しだりは不思議そうに首を傾げた。 「木の杖?」 それから、湖に浮いている杖を見つけて、小さな波を作ってその杖を彼の元へ運んでやる。 「……ちっ」 何故だか小さく舌打ちして隆はそれを拾い上げた。 「一応、礼を言っとくぜ。サンキュ!」 「見かけない顔だよね。誰?」 しだりが尋ねた。 「腹を空かせた旅人ってやつだ」 隆が答えた。 「え?」 と思わずその肩を掴んだのはサクラである。 隆はそれをまぁまぁ、と宥めすかした。彼には考えがあったのだ。 幸い、それはしだりの方から言ってくれた。 「お腹空いてるの? この湖の水は飲んでも大丈夫だよ。魚も少しくらいなら分けてあげられるかな」 「おお! 助かるぜ!」 魚の塩焼き塩焼き、とようやく食事にありつける隆が意気揚々とその準備に取りかかろうとした、その時。 「ウナギさんを頂きに来ましたぁ」 隆たちがやってきた穴とは別の穴から女性の大きな間延びした声が聞こえてきた。 メイドのサシャである。するとその傍らにいた足がタコに見える女の子が元気よく続けた。 「魔王ちゃんから捕ってくるように頼まれたんだっ!」 No8である。 しだりが「ああ」と頷いた。 「魔王……ちゃん?」 その言葉に反応して声をあげたのはサクラである。 ここで初めてサシャとNo8は3人の存在に気づいた。 「あ、お客さまですかぁ?」 サシャは笑みを浮かべて3人に近づいた。 「もしかして、お城にご用ですかぁ? でしたらきちっと列に並んでいただいて、門の前で手続きを……」 言いかけるサシャの言葉をサクラがヒステリックな声で遮る。 「メガネとスーツにメイドのコラボって何なの!?」 「まぁ、そこですの?」 パティがのんびりと突っ込んだ。注視すべきはそこなのか。 「はいぃ?」 サクラの言ってる意味を理解しそこねサシャが首を傾げている。 今にも背中の剣を抜き放ちそうなサクラに傍らにいたNo8がサシャを自分の後ろへ庇うように押しやった。 「あ、あの……」 「我々は、圧政を敷く魔王を倒しにきたっ!!」 サクラが剣を抜き放ち宣言した。 「お城のお宝も頂戴しにきたんですのよ」 パティが笑顔で続く。 「観念するんだな」 隆が並んだ。 「ふふっ……魔王を倒したいなら、四天王が一人、このNo8様を倒してから言いなっ!!」 No8が大きな目を猛禽のように鋭利にして進み出る。その顔つきは獲物を狙うそれだが、足元はいかんせんタコだった。数えてはいないがたぶん8本あるのだろう、と隆はぼんやり思っている。 No8の背中をおろおろとサシャが見つめていた。 「ただの腹を空かせた旅人じゃなかったの?」 しだりが尋ねた。 「ああ。腹を空かせてるのも本当だ。魔王を倒す旅をしているって点では旅人ってのも嘘じゃないな」 隆が言った。そこでやめておけばいいのに、彼は少し饒舌になっていた。 「ま、魔王を倒しに来たって点では、ただの、じゃねぇかもな」 「騙したの?」 しだりの声がわずかに低くなる。 だが、それに気づいた風もなく(よせばいいのに)隆は言った。 「結果的には、そうなるな」 彼はそうしていつも口八丁でここまでやってきたのだ。ただ、今回はそれがちょっとだけ仇となるのだが、神ならぬ身では知りようもなく。 「騙したんだ……」 しだりの声が更に重低音になった。 「悪ぃな」 それから隆はNo8に向き直った。 「まさか、いきなり四天王様と出くわすとは思わなかったが……」 舌なめずりを一つ。 「相手に不足はないぜ!」 と杖を掲げてみせる。 「魔術師か……」 No8も身構えた。手の中にこっそりと手榴弾を握り込む。 隆は思わせぶりに息を吸い込んで大きな声で言い放った。 「あっ、UFO!!」 杖であらぬ方向を指している。 それに思わずその場にいた者全員がそちらを振り返った。ご多分に漏れず、サクラもパティも振り返っていた。 ここは鍾乳洞の中。UFOなど飛んでいようはずもない。だが、隆以外の全員がそちらを振り返っていたのだ。 隆だけがNo8に向けて駆けだしている。 「チェーストォォォ!!」 上段からの面。もちろん、杖でだ。 その時。 「また、騙したんだね……」 とても哀しそうな声がして隆は思わずそちらを振り返った。反射的に2度見して、結局3度も見返した。 しだりの体が淡い光に包まれている。かと思えばそれは上へ下へと伸び始めた。巨大な光が蛇行し、鍾乳洞の天井を覆うと、湖にナイアガラの滝を思わせる巨大な水の壁を出現した。明らかに湖の体積を超えた量の水が唸りをあげて壁を作っているのだ。 その壁の上に佇む青龍に、隆はあんぐり口を開けていた。 「サシャ!!」 No8がサシャを脇に抱え上げた。と言っても女の細腕であるから、足の一本で支えている。地上を走れば下半身が蛸の足であるNo8は決して速いとは言い難い。しかしこの後に訪れるであろうことを鑑みればこれは当然の処置といえた。 隆が頬を引きつらせながら後退った。 サクラは反射的にパティの腕を掴んでいた。 「逃げろぉぉぉ!!」 隆の絶叫は、支えを失ったかのように崩れ始めた水の壁に瞬く間に飲み込まれて消えた。 「ぎゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」 ▼ かくて5人は鍾乳洞を出た。正確には、水に押し流され命からがら出たのが1人と、水の中をすいすいと泳いで出たのが1人と、それに助けられたのが1人と、テレポートを使ったのが1人と、それにくっついて難を逃れたのが1人である。 魔王城の中庭で5人は人心地吐いた。 「た、助かった……」 びしょ濡れに両手両膝をつきぐったりしながら隆が言った。 「誰だ、逆鱗に嬰れたのは……」 「お前だろうが、この似非魔術師!」 間違いなくNo8の言う通りだった。 「しだり様があんなに怒ったの初めて見ましたわ」 サシャが肩を落とす。魔王のお使いを完遂出来なかったのだ。 「すごかったですわね。青龍だなんて、あの如意宝珠、貰えないかしら……」 パティが興奮冷めやらぬ顔で、しだりの龍化した姿を思い出しながら言った。今にも貰いに行きそうな風情だ。 「まぁ、あれは如意宝珠と言うんですの?」 サシャが興味顔で尋ねる。その表情に隆が雑学を披露しようと口を開く。 「そういえば逆鱗ってどこにあるか知ってるか?」 「81枚の鱗の内顎の下に生えた逆さの鱗のことでしょ」 サクラがさらりと答えを言ってのける。 「ちぇー……」 隆は面白くなさそうに頬を膨らませてそっぽを向いた。大体、サクラは水着みたいな装いで最も泳ぎに適しているように見えるのに、全く濡れていないのだ。ちゃっかりしている。いろんな意味で面白くない。 「そうなんですね」 サシャがサクラの知識に感動したように手を叩いて笑みを零す。 いつの間にやら和気藹々。 と、そこへ。 「何をしているんです?」 声をかけてきたのはゼロと魔王を捜していた絵奈とクアールだった。 「ああ、絵奈さん。魔王様に頼まれてウナギを捕りに下の地底湖に行ってきたんですけど……」 そうしてサシャは勇者一行に視線を投げた。 「こいつらが魔王を倒しに来たとか言ってさ……」 後を継いだNo8の言葉に絵奈が反射的に身構える。それからふわりと伸びたピンク色の髪をゴムで一つに束ねあげて、短剣を取り出した。 「何をしているんですか、あなたたちっ!」 言われてNo8が、我に返った。 敵と和んでいる場合ではなかったのだ。 それは勇者一行も同じである。 3人も立ち上がると、7人は臨戦態勢に入った。 「あっ! UFO!!」 隆が口火を切った。 「同じ手が通用するかっ!」 とNo8が隆を見据えている。 だが、絵奈とクアールはしっかりそちらを振り返っていた。 隆が地面を蹴った。 No8が手榴弾を投げる。スタングレネードが炸裂。 世界が真っ白に焼き付いて思わず隆が失速。 UFOを見ていた者たちだけが難を逃れる。 No8はワイヤーアンカーを庭の支柱に向けて打ち込むと、空中に身を躍らせた。 明るい空にほどなく視界が戻ると隆がその後を追う。 クアールは静かにそれを見つめていた。もし彼がとても表情豊かであったなら、この時彼の眉尻はピンと跳ねあがっていただろう。 「ちょうど腹が減ってたところなんだ!」 隆が言った。彼はサクラとパティの罠にまんまとはまり朝食を食いっぱぐれたのである。その上、しだりにも魚をもらい損ねた。とはいえ、そんなこと知った話ではないNo8である。 「何の話だ?」 No8は“そこ”に降り立った。 クアールはやっぱりそれを静かに見つめていた。もし彼が無表情を張り付けていなければ彼の眉間の皺はより深くなっていただろう。 「俺の好物はたこ焼きだぁ!!」 隆は杖を棍棒代わりに突撃の構え。 「それは、私たちの非常食ですよぉ!」 その背を追うようにサシャが言った。真顔だった。大事な非常食を奪われては、そんな顔だ。だがサシャは走り出してすぐ、自らの右足に左足を引っかけて派手に転んでいた。 「メガネにスーツにメイドな上ドジっ娘で、しかも濡れ鼠だなんて詰め込み過ぎじゃない!?」 サクラが言った。こちらも真顔だった。 「さすが魔王の部下ですわね。侮れませんわ」 パティが頷く。 「そういう問題!?」 起き上がるサシャとサクラの間に絵奈が割って入った。 「そういう問題よっ!」 サクラはきっぱりと言い切った。 「でも、勇者にメガネもありだと思いますわ」 パティがふと、言った。 「メガネっ娘勇者!?」 なに、それ、なんかワクワクする響き! みたいな顔でサクラが目をキラキラと輝かせる。 「そうですわ」 優雅に微笑んでパティはサシャのメガネを『ぬすむ』発動。 サシャはきょとんとした顔で2人を見返していた。サシャだけではない、絵奈もだ。何が起こったのかわからなかった。ただ、パティが持っていた杖に口を付けたようなのがかろうじて見えた気がした。 だが、パティの持っているのが実は杖ではなく笛であるとか、それから響く音色が2人の動きを封じたとか、そんなことは何一つわからなかった。ただ、気づいたらそうなっていたのである。 サクラはパティから受け取ったサシャのメガネをかけてみせた。 「どう?」 「似合いますわ」 「………」 サシャはその様子をポカーンと見つめていた。 絵奈は全身の神経を尖らせるようにして意識を2人に集中させている。こいつら……強い、と脳裏で何かが警告を発しているようだった。 「ふふっ……メガネっ娘勇者よっ!!」 サクラはそうして剣を抜きはなつが早いか両手で握り上からまっすぐに振り下ろすようにして絵奈に切りかかった。絵奈はそれを短剣で受け止める。これが手練の剣士だったなら片手持ちの短剣など簡単に弾き飛ばされていたかもしれない。 しかしいくら勇者になりきっているとはいえ、使い慣れない武器である。それが幸いしたか。 「くっ……」 サクラが低く呻いた。 絵奈は念を込める。短剣の刀身がゆっくりと伸びると鍔競り合いにジャリッと音をたてて互いの剣が滑った。 均衡は崩れ、サクラも絵奈も間合いを取るように離れる。 サシャは人を呼ぼうと城へと走り出した。 それを止めるようにパティが立ちはだかる。 「このお城のメイドさんなら、お宝の在り処をご存知ですわよね?」 ふふふ、とパティが笑った。 「………」 そこにNo8の手榴弾が割って入ったり、隆の流れ弾が行く手を阻んだり、サシャが手近な石を投げたり、それをパティが軽やかに避けたり、落ちた石にサクラが躓いたり、「偶発的なトラップの解除はさすがに無理ですわ」とパティが匙を投げたり、もんどり打ったサクラに絵奈が切りかかったり、そこにNo8の発煙弾が転がっていたり、とにかくそんな感じで、6人は程なくして乱戦へと突入した。 彼らが暴れるたびに中庭は踏み荒らされていく。特にNo8の使う手榴弾や隆のシャー芯による散弾が薔薇園を台無しにしていった。 彼らは互いの戦闘に夢中になっていた。 だから気づかなかったのだ。 いや、クアールが全く感情を表に出さなかったから、気付きようがなかったのである。だがその時、間違いなくクアールの中で何かの糸がブチッと切れた。 彼らが気づいた時には遅かった。 『フォールダウン』 彼は静かにその呪文を解き放っていた。 降り注ぐ隕石によって中庭は壊滅した。 6人は這う這うの態で中庭から裏庭へと逃げ延びた。 「はぁ……はぁ……はぁ……誰だよ、また逆鱗に嬰れたのは……」 隆が言った。 「お前だろうが、この似非魔術師!」 No8が決めつける。 「この流れ……さっきもやった……」 隆が脱力したようにその場に座り込んだ。今のは間違いなく全員の責任であった。 すると。 気の抜けるような音がどこからともなく聞こえてきた。 ぐ~……。 誰かの腹の虫が鳴ったのだ。 思わず顔を赤らめた絵奈だったが、他の面々もほのかに頬を赤らめていた。ちなみに言うまでもないことだが、一番大きくうるさく主張しているのは隆の腹の虫であった。 太陽は間もなく中天。そろそろ昼食の時間。 仕方のないことであった。 その上。 6人の間を1人の男が気にした風もなく横切っていった。手にバスケットを抱えている。バスケットの中には果物が山盛り入っていた。 ジューシーな果物の放つ芳香に6人の視線は自ずとバスケットに釘付けになっていた。 ニワトコは籠いっぱいのフルーツを手に城内へ入っていった。 いつの間に溢れていたのか涎を手の甲で拭っていた隆は、ふと、自分の傍らに佇む少女に気づいた。いつの間にそこにいたのか、少女は右手にスコップを握っている。ゼロであった。 「お腹すいてるのですか? これを食べるといいのです」 ゼロはそう言って左手に持っていたビニール袋を隆に差し出した。 隆はビニール袋の中を覗いて、ゼロの顔を見上げて、もう一度ビニール袋の中を確認して、そっと閉じると丁重にお返しした。 「気持ちだけ受け取っておくよ……」 ゼロは残念そうにビニールを受け取ると「調理してもらってくるのです」と言いながら軽やかな足取りで城内へと消えた。 「あぁっ!!」 絵奈がハッとしたように声をあげて走り出す。勇者一行を相手取るよりも大切な使命を思い出したのだ。ゼロの持っていたビニールの中身は、間違いなくアレだと思われた。 それを目で追いながら、残された5人は気を取り直して再び臨戦態勢をとってみた。 すると今度はそこへスーツ姿のしだりがやってきた。狩衣は龍に変化した時にでも破れてしまったのか、はたまた城内に赴くにあたって制服に着替えただけなのか、定かではなかったが……先ほどの怒りはどこへやら6人には見向きもせず、うなぎの入ったたらいを手に城内へ消えていく。 すると程なくして城からいい感じの鰹出汁の香りが漂ってきた。 6人は誰からともなく手を下ろした。そして誰が言い出したわけでもなく、ふらふらと香りに誘われるように城内へ入っていったのだった。 武士は食わねど高楊枝とは言うけれど……武士じゃないから。 ■3■ 魔王城一階にあるダイニングホール。畳で数えて30畳はあるだろうか。その中央にマホガニー製の重厚そうな巨大な長机が一つ。そこに並んだ椅子は両側合わせて30もある。いつかその席を全部埋めて会食するのが魔王の小さな野望であった。 それはさておき。 優がサシャを見つけて声をかけた。 「ああ、よかった。テーブルのセッティングをお願いしようと思ってたんだ。ウナギはしだりが持ってきてくれたから頼むよ」 サシャは既に着替えを済ませている。 「はい。かしこまりました」 彼女は一礼して応えると、早速テーブルセッティングに取り掛かった。 「これ、味見してもいい?」 No8が待ちきれない顔でテーブルの上に盛られたフルーツを指差す。 「もう少しで出来あがるから待ってて」 優は答えてクアールを振り返った。 「あれ? 今日は珍しいな。手ぶらかい?」 庭師のクアールはいつも綺麗に咲いている薔薇を生け、食事に花を添えてくれるのだ。しかし今日は花を持ってきていない。 「ああ、すまない。実は……」 クアールはそっと視線を泳がせた。中庭は既にないのだった。 ▼ その頃、勇者一行はダイニングホールからの誘惑に耐え、ドレスルームにいた。そこには、この城の制服がずらりと並んでいる。 ドレスルームにはゼロが案内してくれた。 「お洋服がドロドロなのです」 ゼロは3人を見るなり慌てたようにそう言ったものだった。 「それではせっかくのランチもその後のシエスタも台無しになってしまうのです」 ゼロは疑うことを知らなかった。 「着替えるのです」 そうして3人はこのドレスルームに連れてこられたわけである。 3人は潜入捜査とかそんな脳内変換を経て、早速制服に着替えることにした。 スーツに眼鏡。 「次なる創作意欲が沸くってものね……くふっ」 などと1人立ち見鏡の前で悦に入っているご婦人はおいておくとして、着替えを終えると2人は……慌てて追いかけてきたサクラが合流するとゼロと共にダイニングホールへやってきた。 お誕生日席に優が座ると、その右側に秘書の絵奈、それからNo8、一つ席を空けてゼロが座り、更にその隣に何事もなかったように、サクラとパティが座った。 一方、その向かい側、優の左側には、手前から順に、特注らしい後ろに長く高さのある椅子に座ったクアール、その隣にしだり、ニワトコが座り、こちらも何ともナチュラルに隆が座った。 かくて、いつの間にか人数がいつもより増えているのだが、誰も別段深く考えることもせずランチタイムが始まった。恐るべし、制服効果。 まずは食前酒で乾杯。 オードブルは白身魚のカルパッチョだ。 全員に配り終えたサシャがNo8の隣に座る。 ホストである優がナプキンをとると9人もナプキンをとって膝にのせた。クアールには隣の席のしだりがナプキンを首に巻いてやる。 そうして皆、カルパッチョをほおばった。 「旨い!」 隆が思わず感嘆の声をあげた。空腹というのも差し引いても文句なしに旨いのだ。あれこれ言ってやろうと思っていたのに、口をついて出たのはその一言に尽きた。 「こんなに薄作りなのに歯ごたえがあるわね」 最初は毒などを疑っていたサクラのフォークも進む。 何だか口惜しい隆はクレーマーとしての矜持を思いだし何とか捻り出す。 「要するに料理人の腕ってことじゃなくてあれだろ、たまたま素材がよかっただけだ」 こんなの俺でも出来るぜ、みたいな顔で優を睨む。隆の左向かいに座っているパティが言った。 「口の中にほんのり甘みが広がって、それがレモンの酸味とよく合いますわ」 落ちそうなほっぺを両手で押さえるような仕草で満面の笑みをこぼすパティに、隆は言葉を失った。 「気に入って貰えて光栄だな」 優が微笑む。 「うん。優の料理は何でも美味しい」 ニワトコも絶賛した。隣でしだりとクアールもうんうん頷いている。 「ゼロもそう思うのです」 とゼロも続いた。 優は嬉しそうに「ありがとう」と返してカルパッチョを口へと運ぶ。 「そういえば、これって何の魚なんだ?」 隆は尋ねた。話術師……もとい魔術師として、口八丁でここまでやってきたプライドが彼にはある。何があっても口で負けるわけにはいかないのだ。きっとそこに突破口があると信じて隆は、ありとあらゆるクレームの文句を脳裏に浮かべながら優の返事を待った。 「さぁ、知らない」 優のそれは単純で明快であった。 「へ?」 世の中想定外のことはたくさんあるものだ。 「昨日来た冒険者の1人が置いていったんだよ」 「………」 隆のフォークが止まった。だが、他の面々はまるで気にした風もない。いつものことだ、と言わんばかりの顔で食べ続けている。サクラとパティでさえ、全くフォークの手が緩むことはなかった。むしろ「知らない魚をここまで美味しく調理出来るなんて素晴らしいですわ」といった風情だ。 隆は気を取り直して食べ始めた。 「ふぐに似ていたから卵巣の部分はちゃんと取り除いたよ」 さらっと何でもないことのように言ってのける優に、隆は思わず口の中のものを吹き出しそうになった。ふぐは卵巣に毒をもっている。当たったら死ねることからてっぽう魚と異名を持った魚だ。 「……ちょっと待て。ふぐ調理の免許は持ってるのか?」 隆は恐る恐る聞いてみた。ふぐは特殊調理食材なのだ。 「持ってないよ」 優はあっさり答えた。 やっぱりかっ! 「それ、まずいだろ!」 隆が指摘したが、優は不思議そうに首を傾げただけだった。 「どうしてだい?」 「だって、毒があるんだぞ」 「でも、この世界に、ふぐの調理師免許なんて制度はないから」 優が言った。 確かに言われてみればそうかもしれない。だが、と食い下がりかけた隆に。 「それに、僕が魔王だからね」 優が微笑んだ。 「………」 意訳。僕がこの世界の法律だからね。事実上の独裁宣言。 隆は何となく周囲を見渡した。 皆、会話も惜しむように美味しい料理に舌鼓を打っている。 隆はそれ以上何か言うのをやめて空腹の前に膝を屈すると、カルパッチョを完食した。とりあえず、全部食ってから何か言おう、という悟りの境地。腹が減っては戦は出来ぬ、であった。 次に出されたのはスープだ。 マリンブルーのような綺麗な青のスープである。 あまり食欲を刺激されるような色ではない。しかし隆は何も言わなかった。 「今日のスープは昨日仕入れた青芋のスープだ」 優が言った。 紫芋も綺麗な紫だ。青芋もさぞや綺麗な青なのだろう、このスープのように。 それは舌触りもよくまったりとしたポタージュスープだった。 そしてメインディッシュが運ばれる。メインといっても魚料理とか肉料理ではなく、軽めのパスタだった。本日は半熟卵のカルボナーラだ。 但し。 「あれ? この黄身……白い? え? 白身? 黄身?」 サクラが半熟卵をフォークでつつきながら不思議そうにしている、と。 「卵の黄身は餌によって色が変わるんですよ」 サシャが教えてくれた。 「餌でですか?」 パティが不思議そうな顔をしている。 「ええ。餌にお米を与えると、このように白くなるんですって」 絵奈が答える。 「それって、ヒヨコも白になるのかなぁ?」 サクラの呟きにNo8も、そういえば、と首を傾げた。 「あれじゃないか。フラミンゴ的な?」 「ああ、なるほど」 納得してサクラもカルボナーラを食べ始める。アルデンテのパスタに程良く絡みつくソースがまた絶品の一品だった。 「あ、ちなみに黄身が白い卵は、黄色いものよりコレステロールが半分で、ビタミンEが何百倍も含まれているから、とても体にいいんだよ」 優が言った。 ただ、美味しいだけではなく、栄養価まで考えられているのだ。 この魔王、一体何を考えているのか。 全員がパスタを食べ終えた頃、サシャが立ち上がり、それぞれに飲み物を尋ねてまわった。 コーヒーと紅茶とアイスコーヒーとアイスティーをそれぞれに用意して、メレンゲクッキーを添える。 ほぼ全員間違えて配られたが、配ったサシャは満足げな顔をしていた。そんな顔をされると間違いを指摘しづらいものだ。一同は諦めて出されたものを飲む。 熱いものが苦手なニワトコは、冷めるまでずっと紅茶をかき混ぜていた。 そんなこんなでランチタイムも終わりを迎える。 「ああ、旨かった」 隆が爪楊枝を咥えながら満足げに言った。 「それはよかった」 優が微笑みつつ、カップにお替わりのコーヒーを注いでいる。 「魔王がこんな料理を作ってるなんて……」 サクラはランチコースを思い返して目尻をさげた。 「料理で世界征服を目指しているんです」 優はにこやかに言った。 「世界征服……」 ハッとしたようにサクラは立ち上がった。イスも蹴飛ばさん勢いのそれに優が怪訝な顔をする。 「そうよ! 私たちは、それを阻止せんがために来たんだったわっ!」 「あ、そういえば……お宝をちょうだいしに来たんでしたわ……」 「うっかり、忘れるところだったぜ」 と、パティと隆も立ち上がったが、いかんせん腹一杯過ぎて動きは緩慢だ。 「阻止……」 「魔王の悪逆非道をこれ以上許さないんだからっ!」 と意気込むサクラに、絵奈が短剣を手に優を庇おうとする。 「魔王の悪逆非道とは、具体的に何なのです?」 絵奈はサクラを詰問した。 「………」 改めて問われると思いつかなかった。珍しい食材を料理する、というのも別段法外な金を取っているわけではない。城の前にあれほどの列が出来るのだ。よほど良心的に違いなかった。それほど彼の料理の腕は人気だったのである。そして、彼の料理に毒など入っていないことは、自ら証明してしまっていた。 サクラが返答に窮しているとパティが助け船を出す。 「ナメクジ料理ですわっ!」 ゼロがドレスルームで楽しそうに話していたのだ。ナメクジを食べるのです、と。 「ぅぐっ……」 それに絵奈は返せる言葉がなかった。 「えー……ナメクジ料理は悪逆非道かなぁ?」 優が、この緊迫感には不釣り合いなほどのんびりとした声で言った。 「悪逆非道ですっ!」 と決めつけたのは、サクラ……ではなくパティでもなく、絵奈だった。 「えぇぇぇぇぇ……」 「これで話は決まったな」 隆が言った。 「飯は旨かったぜ」 言うが早いか隆が床を蹴った。 絵奈が身構える。 振り下ろされた杖をクロスブロックで受け止めたのは、No8だった。 「さっきの続きといこうかっ!」 No8がニヤリと笑うと、隆も笑みを返した。 「魔王はこちらへ」 絵奈がのんびりしている優を立ち上がらせ急かすようにダイニングホールの外へと促す。 「逃がすかっ!」 それをサクラが追いかけた。 「だいたい美味しい料理で部下を従えるなんて、ずるいわよっ!!」 サクラと絵奈が睨み合う。 サシャの前にはパティ。 「この城を案内してくださいませんこと?」 「え、でも……」 という、一部を除いた一触即発とは別のところで。 クアールはニワトコとしだりに声をかけていた。 「折り入って2人に頼みたいことがあるのだが……」 「どうしたの? 改まって」 ニワトコの言にしだりも頷く。 「実は中庭が……、ちょっとした事故があって……」 クアールは何とも言い出しにくそうにそれだけ言うと2人を中庭へと連れ出した。 そこには2人がいつも見ていた美しい中庭は跡形もなくなっていた。あるのは乾いた荒野とでも言えばいいのか。 「面目ない……」 クアールが顔を俯ける。ここまでやらかしたのは他でもない彼自身なのだ。自分が手を下しさえしなければ、ちょっと踏み荒らされ、爆撃された程度で済んでいたはずだ。いや、それも一から薔薇園を作り直さねばならないほどの荒れっぷりだったような気がしなくもないが。 「……わかったよ。ぼくは薔薇の方とは少し違うけど、同じ植物。よく育つような土作りからお手伝いさせてもらうね」 「乾いた土に水がいるんだよね。しだりも手伝うよ」 そんな2人にかつての災禍の王は深々と頭を下げた。 「忝ない」 ■4■ 美味しい食事を終え満腹で眠気に誘われていたゼロは抱き枕を抱えて心地よいシエスタのため部屋に戻っていた。とはいえ、飲食を必要としないまどろみの人間に満腹で眠気に誘われるということが本当に起こりうるのだろうか、といえば、それは愚問であったろう。 彼女はそうなることを知識として知っていたに過ぎない。嘘も方便。思いこみも貫けば真実となる。 満腹になると眠くなるという思いこみが彼女をそういう気分にさせていたのだ。 だから、ゼロは優の作る料理を食べることを日課にしていた。 その後の心地よいまどろみをとても気に入っていたのである。 それは全世界シエスタ普及政策という野望の第一歩であった。たぶん。 そんな次第で彼女はこの時もいつも通り自分の部屋のベッドで心地よいまどろみの中に身を沈めることにしたのだった。 その時だ。 ドアが開いた。 女の声が二つする。 何か捜し物をしているらしい。 「宝物と言えば隠し扉は付きものですわ」 とかそんなような声が聞こえてくる。 「そういうものですの?」とか言いながら、何かを引きずるような音がした。どうやら、棚を動かしているようだ。 しかしドジっ娘らしい彼女はその棚をうっかり倒してしまったようだ。大きな音と共に、「キャー!!」というような慌てた悲鳴があがったところをみると、もう1人を棚の下敷きにしてしまったらしい。 「ごめんなさい!! 大丈夫!?」と泣き崩れているドジっ娘の傍らに佇んで「大丈夫ですわ」といたずらっ子のような笑みを浮かべた女の子が応えると「よかったですわー」とドジっ娘が泣きついているのが見えた。 ベッドの縁に上体を起こしてゼロは憤然と呟いた。 「眠れません」 ゼロは抱き枕を抱えて部屋を出ると安眠を求めて別の部屋に移動した。 ベッドのある適当な部屋を見つけて再びまどろみの中に身を委ねようとする。 すると今度はいくつもの炸裂音と共にドアではなく壁に穴が開いて誰かが飛び込んできた。 「ふっ、なかなかやるわね!」と勇ましい女の声に「おまえもな」と応える男の声。 あちこちで爆竹もかくやというような破裂音が騒がしく鳴り響く。 「………」 ゼロはゆらりと立ち上がった。 先ほどから心地よいまどろみを妨げる者たちに。 ゼロの体がみるみる巨大化していく。 それに隆とNo8がギョッとして動きを止めた。 ゼロはゼロの理不尽によって城を壊すことなく、しかし城よりも大きく巨大化していった。 ちょうどその頃。 ダイニングホールの前の廊下では、サクラと絵奈が未だにらみ合いを続けていた。 「私が秘書たる責任に於いて断固ナメクジ料理を阻止してみせます!」 絵奈が請け負った。 「えぇっ!?」 優が不満げな声をあげるが絵奈は一切聞く耳を持たない。 「そう。そういうことなら、まぁ……わたしも部下になってあげなくもないわ」 どういう話でそういう流れになったのか。 そう言ってサクラはようやく剣を収めると絵奈に右手を差し出してみせる。それに応えるように絵奈が右手でサクラの手を握った。 2人の固い握手に優は何とも不服そうだ。 「せっかく、ゼロとニワトコがナメクジをたくさん取ってきてくれたのに……」 ぶつぶつと文句を垂れながら優が2人に背を向ける。 すると、そこにいつの間にか白い壁が出来ていた。 「あれ? これなんだろう?」 優の声に、サクラと絵奈も振り返る。 「いつの間に……?」 呟きながら、サクラが突然膝を折った。 「!?」 続けて絵奈も床に膝をつく。 「何だか……」 と言いながら、2人は上体を支えるように床に手をついた。 「眠い……」 そう言ってその場に倒れ込む。 「絵奈!? 勇者の人!?」 優が声をかけたが、2人は起きる気配もない。ただ、どうやら眠っているだけらしいと知れて安堵の息を吐く。 しかしこれは一体……この白い壁と何か関係があるのか。 「くっ……」 その白い壁は巨大化したゼロのお腹の辺りであった。 巨大化したゼロは眠りに誘う唄を紡いでいた。 それが魔王城を包み込んだのだ。 最初に眠りについたのは隆とNo8だった。 それからサシャとパティが眠った。 外にいたクアールもニワトコもしだりも例外ではなかった。 眠りの前に人は平等であった。 そこに敵も味方も存在しない。 そしてもちろん魔王も例外ではなく――。 取り留めないことを考えていた。 空腹は所詮、中ボスでしかないのだろうか。それを御する料理なるスキルも、睡魔という名のラスボスの前に膝を屈する空腹では太刀打ち出来ないのだろうか。だとするなら、ラスボスたる睡魔を御することが出来たならば、世界征服に一歩近づけるのかもしれない……。 そんなことをぼんやり思いながら魔王優も睡魔に屈したのである。 恐るべしラスボス睡魔。 静寂だけが魔王城を包み込み。 魔王優の視界は完全にブラックアウトした。 エンドロールが静かに流れる。 チャラッチャッチャッチャー、と最近着信音に設定したアイドルの曲がエンドロールに花を添えていた。 やがてFinの文字。 ――という、壮大な夢を見た。 ■大団円■
このライターへメールを送る