「……お願いします」 ただそれだけを、無名の司書は言った。 † † 比翼というならば、比翼には違いない。 しかしこの《比翼の迷宮》は、何という哀しい佇まいだろう。 黒曜石で形成された巨大な翼が互い違いに鋭い破断面を――黒曜石の破片は古来より「刃物として使える」鋭さを持つ――見せている。 この大陸を空から俯瞰したならば、両翼を広げた鳥にもたとえることができる。しかしこの迷宮は……。 鳥の両翼を強引にもぎ取ったうえで、それを交差させたようにも見えるではないか。 その異様な形状を前に、旅人たちは立ちすくむ。 まったく似てはいないのに、破壊された世界図書館をさえ思い起こさせる無惨さだ。 ぴしり、ぱしり。黒曜石の翼は鋭利な刃物となり、じわじわと浸食を広げている。 霊峰ブロッケンを、いや、フライジング全体を覆いつくし、比翼の大陸をすべて巨大な迷宮にしてしまえと言わんばかりに。 ――そして。 迷宮への入口とおぼしき場所からは、次々に、黒曜石の刃が繰り出されているのだった。 「なによ……。何なのよ」 白雪姫が、がくりと膝を突いた。自身の持つ強大な魔力を全て解き放った彼女は、すでに満身創痍だった。「入口通路へ入るのも大変って何なの。戦闘力0なシラサギだったくせに。生意気よ」 酷使が過ぎてヒビだらけのトラベルギアに、泣きそうな顔が映る。その肩を、ジークフリートが叩いた。「おまえはよく頑張ったよ。もう十分だ。皆も来てくれたことだし、帰って医務室に行ったほうがいい」 そういう彼もまた、切り傷だらけで血まみれの状態である。トラベルギアの剣はとうに折れていた。 旅人たちが《比翼の迷宮》への路を開いてくれたという報を聞くや否や、白雪姫とジークフリートは現地に駆けつけ、対応にあたっていた。だが、世界計の欠片を手にした《迷鳥たち》のちからは圧倒的だったのだ。「……勝てないわ。どんな旅人だって《力》じゃ勝てない」 白雪は唇を噛み締め、とうとう、ぽろぽろと涙をこぼす。 その頭上に、この世界の真理数が点滅しているのを、ジークフリートは痛ましげに見た。 † † 迷宮の最奥で、シオンはゆっくりと身を起こす。(あれ……? おれ、なんでここに……?) ところどころ、記憶が飛んでいる。(つーか、今、クリスマスディナーの仕込みで一番忙しい時期じゃんか。早く店いかねぇと店長にどやされ……) 髪を掻きあげ、ふと、手を見る。 べったりと血糊がついていた。彼自身の血だ。 全身を見回し、黒く変化した翼を確認し――、 すぐ隣で、放心状態で宙を見つめているオディールを確認し――、 美しかった銀の翼を、とうに黒く変えてしまったオディールが、気を失ったラファエルを抱きしめているのを見――、 その髪に、ラファエルの翼と同じいろの青いクリスタルの羽根飾りが――世界計の欠片があるのを見――、 そして、ようやく思い出す。「ああ、そうだっけ。おれ、侯爵を開放しろ、つって、おまえと戦闘して玉砕したんだっけ」 代わりにおれが、そばにいるから、と。 しかしそれは、受け入れられなかった。 だめか。やはりだめか。 同じ魔物になったなら、おまえの気持ちを汲めるかもしれないと思ったのだけれど。「ちっくしょー、パネェなあ世界計め」 わかってる。 おれじゃだめだ。 おれじゃだめなんだ。 おまえが欲しかったのは、その男だけなんだから。 「けどさぁ。いい加減、許してやれよ」 許してやれよ。おまえを愛せなかった、その男を。 愛してやれよ。その男に愛されなかった、おまえ自身を。 でないとおまえは執着という怪物に囚われたまま、この世界を滅ぼすことになっちまう。 「殺して気が済むのなら、そうすればいい。だけどおまえは、結局誰も殺せないままに苦しんでいるんじゃないか」 どこでもないあの世界でも、何人も見て来た。 苦しみ続けている旅人たちを。 あれは、よるべない迷子たちの街。 あの街こそ、その奥底に怪物を内包した、おそろしい迷宮だ。 矛盾だらけでも。綻びだらけでも。 それでもおれは、あの歪んだ街が好きだった。 自分勝手でわがままで、無軌道で残酷で、もろくてやさしい旅人たちが好きだった。「……ねぇ、シオン」 宙を見つめたまま、オディールが口を開く。「シュテファニエは、誰が、殺したんだと思う?」 「さあな。何でそんなことを?」「……わからない。でも、気になるの……」 シルヴェストとシュテファニエは、黒鳥の兄妹だったと聞くけれど――【注意】(1)このシナリオはロストレイル13号出発前の出来事として扱います(搭乗者の方も参加できます)。(2)長編シナリオ【最後の迷宮】は、同じ時系列の出来事となります。同一のキャラクターでの、複数のシナリオへのエントリーはご遠慮下さい。抽選後のご参加については、重複しなければ問題ありません。(3)このシナリオは、プレイング受付期間終了後、結果を先に「判定」いたします。結果によっては、パーティシナリオや関連するシナリオが、今月中に運営されるかもしれません。
ACT.1■疑似螺旋の迷宮 旅人たちよ。 帰れ。 帰れ。 ここから出て行け。 おれたちのことなど見限って、あの歪んだ街へ帰れ。 翼はあっても自由ではない鳥たちの、何と無様な物語。 笑い飛ばさずに分け入ってくれたおまえたちを、おれはどんなにか愛していることだろう。 だから、帰れ。 おまえたちが寄り添うべきはあの街。おまえたちの還る場所は、それぞれの故郷。あるいは故郷と定めた世界。 いとしいものたちが待つ場所へ——帰れ。 † † 迷宮の階段は、二重の螺旋になっていた。発光する黒曜石が連なる通路を、旅人たちは降りて行く。 「——俺は、シオンさんの許へ行きます。どうか皆さん、オディールさんとラファエルさんをお願いします」 片方の路を往く若いコンダクターが、もう片方の路を選んだ旅人たちに言った。託すように、祈るように。 まだ少年といってよい年ごろだが、その表情には大人びた決意が宿っている。それは、彼が乗り越えてきた数々の苦難と試練、今までの冒険旅行で蓄積してきた経験、出会いと別離と再会による成長に裏打ちされているようだった。 石の冷たさが靴底を通してまで伝わってくる。固く冷たい階段は氷の表面のように摩擦に欠け、うっかりすると滑り落ちてしまいそうだ。 「足元に気をつけろよ」 だらりと右腕を垂らした青年が、一行に注意喚起する。 眠たげな目をした彼は、魔法学校の教師だ。”力ある言葉”を記したメモ用紙を数枚、左手に携えている。 つと、一枚を口にくわえた。いつでもそれを破り、魔法を発動することができるように。 ごおぅ、と、風が渦巻いた。 この迷宮はまるで……、アーカイヴ遺跡を意識しているように見える。 ならば、地下で待ち受けているのはおぞましいイグシストか。 ——いや。 あそこにいるのは、傷ついた、迷える黒い鳥たち。魔物になり切れないままに、翼を寄せ合って震えている。 「シオン……。怪我してるのかな?」 銀の双眸にいっぱいの涙をためて、痛ましそうに階下を見やったのは、トリと見まがうばかりの純白の翼を持つ青年だ。しかしその額にある三本の角は、彼が異世界からの旅人であることを示している。 「早く手当てしてやりてぇな」 鮮やかに人目を惹く銀髪蒼眼の青年が、その肩に手を置く。筋肉質の左腕全体には、意匠化された蓮花の刺青。強靭な精神と高い戦闘能力を有しているのだろう彼は、今は、巣からこぼれ落ちた雛鳥を案じる母鳥のように、迷鳥を気に掛けていた。 「シオン……! そこにいるんだろ、シオン」 金髪の青年が、遥か階下に向けて声を放った。端正な横顔は育ちの良さを思わせる。みぞおち辺りでひとつ結びにした髪が、さらりと肩を滑った。 階下から風が吹き付ける。 ひゅん、ひゅんと、石の刃が旅人たちの頬をかすめる。 彼のトラベルギアのナイフが雫のような光を纏い、石の刃を次々に砕いた。 「シオン! おいシオン」 青年は、何度も何度も呼びかける。深い親愛のこもった声音は、あたたかな友情が彼らの間にあることを示している。 いらえは、なかった。 「急ぎましょう」 薄桃色のロングヘアをふわりと舞い上げて、愛らしい少女が階段を駆け下りる。 つぶてのように繰り出される刃を右に左に縫いながら。 刃は少女の髪をひと房落とし、白い頬にひとすじの傷をつけた。 「絵奈ちゃん!」 すらりとスレンダーな肢体の少女が、敏捷なシャム猫のように階段を一足飛びにして、追いつく。 「大丈夫です、これくらい」 「ちょっと、シオン! 女の子の顔を傷つけるなんて何考えてんのよ!」 黒い瞳を気丈に煌めかせ、階下に向かって怒鳴りつける。 「まったくだ。こういうときは、ちゃんと胸元狙って服だけ引き裂くのが定石だろうが馬鹿サギ」 スーツのポケットに手を突っ込んだまま、黒髪の青年がひとりごとのように言う。 鋭利な双眸には銀縁の眼鏡。ドーベルマンが野生化したらさもあろう、といわんばかりの、酷薄でしなやかな身のこなし。 シャム猫とドーベルマンは、その顔立ちやちょっとした表情が、兄妹のように、あるいは親子のようによく似ていて、たしかな血の繋がりを思わせる。 「あんたこそこの非常時に馬鹿なこといわないでくれる?」 「まあまあ」 食ってかかる少女を取りなすように、切実な空気をやわらげるように、旅人のひとりが軽快な口調で間に入る。 金髪をオールバックにしているため、大人びた青年の印象を受けるが、言葉尻には少年めいた若さがにじむ。サングラスの奥の鋭い紅眼は、ひとたび笑えば存外、あどけないのかも知れなかった。 「とにかく、進もうぜ」 矢継ぎ早に繰り出される黒曜石の刃を避けながら砕きながら、彼らは歩をゆるめない。 「……すぐに、逢えるのです」 まどろみのなかでたゆたうように、白い風のような少女がつぶやいた。やわらかな銀の髪を螺旋状になびかせて、少女は淡々と階段を降りる。 † † 「迎えに来たぞ、シオン」 迷宮の最奥に辿り着くなり、血まみれの黒鷺に、金髪の青年はそう言った。 黒鷺となったこの迷鳥が快活なシラサギであったときと何ら変わらぬ、口調と態度で。 だが。 「……マルチェロ・キルシュか」 返ってきたのは錆びた刃のような、ざらついた棘のある声音だった。冷たい拒絶に、マルチェロは立ちすくむ。 「帰れ」 「シオン……」 「おまえを殺したくない」 「何いってるんだよシオン」 「サシャに泣かれるのはまっぴらだ。おれに構ってないでさっさと帰ってやれ」 「サシャだって、おまえに何かあったら哀しむよ」 「怪我してるじゃないですか、シオンさん。早く手当を」 「おまえも帰れ、相沢優」 「……シオンさん」 近寄って傷の手当をしようとした優も、その手を払いのけられてしまった。用意した包帯が、くるくるとほどけて床をつたう。 「やめてください、シオンさん!」 薄桃色の髪の少女が叫ぶ。 「こんなの……、シオンさんらしくないです」 「帰れ、舞原絵奈。そうでなければ、ここでおれを殺せ」 「嫌です。帰りません」 絵奈はきっ、と、シオンを見る。 「シオンさんを殺したりしません」 「死にたいのか」 「シオンさんが私たちを殺すはずないじゃないですか!」 「絵奈の言うとおりよ、シオン。駄々をこねるのもいい加減にして」 黒髪の少女が睨みつけた。 「帰れ、ヘルウェンディ・ブルックリン」 「フルネームで呼ばれるって新鮮ね」 ヘルウェンディはふふんと笑う。 「それに、その黒い翼と黒髪、結構イカしてるじゃない」 「そりゃどうも。乗り換えるか、おれに?」 「ごめんなさいね、売約済なの」 「あーそうかい。だったら帰りやがれ」 「いいわよ、帰っても。ただし、あんたたちと一緒ならだけど。……絶対助ける。生きて連れて帰るんだから」 「そうだな。シオンもラファエルさんも、一緒に帰ろう」 軽快な声で、青年が鷹揚に言った。 「カーサー・アストゥリカ。頼むからこのじゃじゃ馬の手綱を押さえててくれよ」 「ウェンディはいい女だろう? 惚れても無駄だぞー?」 「はいはい。惚気はいいから連れて帰ってくれ。きゃんきゃんうるさくて傷口に響く」 「HAHAHA! 何度も言うけどシオンとラファエルさんと一緒ならな!」 「つかおまえも帰れよ」 「いやだね。ふたりともヘルの大切なひとたちだから」 「……シオンさん」 ——いつの間にか。 白い少女が、シオンのすぐそばにいた。 傷ついた翼を、ただ抱きしめている。 「……どうして」 「ゼロには、何もできないのです」 「……。帰れ、シーアールシーゼロ」 「帰らないのですー。シオンさんもオディールさんもラファエルさんもみんなで一緒にこたつに入りましょうなのですー」 「おまえは……」 「……シオン……、シオン。怪我、痛むか?」 すぐそばで、純白の翼を力なく垂らした青年が泣きじゃくっている。 「いいから帰れよ理星」 「いやだ、帰らない。俺はシオンに大事な言葉をもらった。そのお陰で、ちょっとだけ覚悟が出来た。だから今度は俺がシオンを助けるんだ」 「気持ちだけもらっとく」 にべもなく言うシオンに、銀髪の青年が手を伸ばす。 「なあ、シオン」 「帰れ、虚空」 「お前はいつだってそうだったよな。誰かのために怒って哀しんで、誰かを想って行動してた。今もそうだ」 「……帰れ。ヴォルフラム・イェーカー」 「本名呼ばれた!? 俺の本名をどこで」 「……………まずかったか? 無名の司書の無駄に広範囲な情報網経由でだが」 「シオンなら許してもいい」 「……どうも。それはそれとして理星と一緒に帰ってくれ」 「やなこった」 「お取り込み中ごめんよ。とりあえず、治癒魔法かけとくわ」 眠そうな目のままに、くわえたメモ用紙を、魔法学校の教師が破く。 「……サンキュ、メルヒオール。帰れ……、とは言いにくいなぁ」 「まー、別におまえとは親しいわけじゃないけど」 「はっきり言うなよ」 「店で一度世話になったし」 「ああ……! 死に子ちゃんとの素敵な特別ディナー!」 「死に子ちゃん呼ばわりはいろいろ問題があると思う」 「死の魔女は広い心で許してくれると思う」 ——特別な日の、ディナー。 あれは。 誰かが誰かに想いを告げて、関係性が激動する瞬間に立ち会えたときで。 うれしかっ—— 「てめぇ、惚れた女を救えなくて悔やんでるんだってな? とんだ思い上がりだ」 鋭い眼光と鋭いことばを、黒髪の青年が投げる。 揺らぎかけていた黒鷺の表情が、瞬く間に硬化した。 「くだらないことを。傷口に塩すりこみに来たのかよ?」 黒鷺はゆらりと翼を広げる。宙に浮かぶ無数の刃が、巨大な竜のかたちにとぐろを巻いた。 「さっさと帰りやがれ、ファルファレロ・ロッソ」 「……るせぇ。ヒヨッコがぴいぴいと」 ファルファレロは、ポケットに手を入れたまま傲然と言う。 「サクラはどうだか知らねーが、ディーナは好きな男に守り守られて、納得して死んだ。傍目にゃ悲劇だろうが本人が掴みとった結末だろうが」 ACT.2■齟齬と誤解の迷宮 「それはあんた個人の見解だ」 黒鷺は語気鋭く否定する。刃の切っ先は、一斉にファルファレロに向かった。 「何でもかんでも色恋沙汰に集約したがるのはあんたの悪い癖だ、ファルファレロ!」 「色恋なめんじゃねぇよガキが!」 ファルファレロは一歩も引かない。語調の強さも変わらない。激高しているはずの黒鷺は、しかし声音にやるせなさをにじませる。 「これが色恋沙汰なら、もっと話は簡単だったんだよ。ディーナ・ティモネンにしても吉備サクラにしても、惚れたはれただけの動機で行動の選択や決断をしてきたわけじゃない」 「ンだと?」 「……と、思う」 黒鷺は、大きく息を吐いた。 「おれは彼女たちの心情を理解し共有しようとあがいてみたけれど、とうとうそれができなかったから、これは推測だ。あんたが想定しているような関係性を構築することができたなら、事態は好転したかもしれないし、もっと悪くなっていたかもしれない。それさえ、今となってはわからない」 「他人がディーナの選択を間違ってるだの不幸だの否定するのは傲慢だ、ってんだよ」 「だから、その言葉、そっくり返す、ってんじゃねーかよ」 「わかんねぇのか? てめえは失恋を吹っ切れねーケツの青いガキできっぱりフラれたんだよ」 「堂々巡りだな」 それでも黒鷺は翼をたたんだ。抜いた剣をおさめるかのように。 「ディーナ・ティモネンがたとえ一時的にせよおれに惚れていたとは到底思えないし、そしておれも、彼女に恋愛感情は持っていなかった。というのは、おれには彼女が何を考えているのか、これからどうしたいのかがまったくわからなかったからだ。恋愛を育くむことができる土台さえ、おれたちは持ち合わせていなかった。にも関わらず、あの時点において、おれは『最悪の事態を避けるための何らかの影響を与えることが可能な人物のひとり』だったとは思う」 「だからシオンは自分を責めてるってわけ?」 ヘルウェンディが、いつもの勝ち気な声音を和らげる。 「人が人を救うには限界があるわ。助けを求めてくれない人間は救えない」 「……それは」 虚を突かれたふうに、黒鷺はヘルウェンディを凝視する。 「でも声を上げれば駆けつけてくれる人がいる。あなたはそう言いたかったんでしょう? 実際、あなたはそうするつもりだったんだから」 「ヘル。……おまえ」 「シオンはイイ男よ。ナンパでお人好しでお調子者。でも優しくて痛みを知っている」 「……」 「自分を責めるな。許してやれ。不出来な自分を愛してやれ。その言葉、そっくり返すわ」 「……まいったな。親子で来られちゃあなぁ。……なぁサクラ」 黒鷺から話しかけられるとは思っていなかったらしく、サクラはびくりと肩を震わせる。 「あのとき、おれを気遣って支えてくれたおまえから見てどう思う? ディーナ姉さんはファルファレロの言うように『好きな男に守り守られて、納得して死んだ』と感じたか?」 「……?」 「今思えば、あれは、『破滅願望』ではなかったか。ひとびとの熱意、善意、愛情、希望、信念といった概念による事態の解決を『予定調和』として忌避し、ひたすらに破滅の物語を求めた、その結果だと思う。そういう意味では『傍目にゃ悲劇だろうが本人が掴みとった結末』には違いない」 「……シオンくん」 「すまん、答えなくていい。それにこれはおれの勝手な所感で、正鵠を得てはいないだろうから」 口を開こうとしたサクラを、黒鷺は片手を上げて制止する。 「ものわかりが悪くてごめんな、サクラ。ディーナ姉さんにもそうだったように、おれにはどうしてもおまえの気持ちがわからなかった。同様に、おまえにも、迷鳥の気持ちは少しも汲めていないと思う。今だって、おれの気持ちもオディールの気持ちも、とんとわかっちゃいない。何でオディールがおまえにこんなにも苛立っているのかさえ、おまえにはちっとも伝わってないんだろうな、って思うよ」 なまじおまえが一生懸命で、少しも悪気がないだけにハラハラするわー、と、黒鷺は苦笑する。 「けれど……、そうだな。それは、おまえが悪いわけじゃない。おまえはいつも、良かれと思って行動してきた。だからおれは、何度でも言う。たとえ空疎に聞こえたとしても、何度でも言う。壱番世界のオウムや九官鳥が、人間から教えられた言葉しか話せないように、伝わらなくったって何度でも繰り返す」 おれやオディールを少しでも案じてくれるのなら、まずおまえが幸せを希求してくれ。 自身が幸せを求めることを、放棄しないでくれ。 ……絶望に、呑まれないでくれ。 「それを言い始めるとキリがねぇし、おまえは永遠に吹っ切れねぇ」 ぼそりと、ファルファレロが口を開いた。 「だから『失恋』ということにしておけ、つってんだろうが」 「……!?」 黒鷺は、心底驚いたふうに目を見張る。 「ただの失恋ならいくらでも立ち直れる。おまえは、惚れた女たちに矢継ぎ早にフラれて自棄になったただの青二才だ。いいじゃねぇかそれで」 ファルファレロは言う。シュテファニエは自殺だ、と。 「自分で自分を殺しちまったんだ。救われたがってねえ人間は救えねえ。俺の母親がそうだったし、俺がそうだった」 「俺もお義父さんと同意見かな」 カーサーも言う。 シュテファニエは自分自身に殺されたんじゃねぇかなと思う、と。 誰かひとりでも、彼女のことを愛してくれる人が居ればよかったのに、と。 「シオンたちにゃそうなってほしくない。愛なら俺たちが嫌ってほど注ぐぜ、ラブアンドピース! 愛は世界を救うってな!」 HAHAHA、と、カーサーは黒鷺を抱きしめようとした。 「俺、0世界に来て色んな姿のツーリストを見て、しこたま吃驚したんだぜ。けど途中から気づいたんだ。誰だって中身や心の形はそんなに変わらないんだってな」 シオンやそっちの美人さんも同じだ、と、黒孔雀のほうも見る。 ……が、黒鷺には避けられてしまった。 「何で!? そっちのカワイコちゃんにはさっきからもふらせ放題なのに!?」 拒まれることなく、ひた、と、黒鷺のそばにいるゼロを見て、カーサーはしょんぼりうな垂れる。 「シオンさん、オディールさん。ゼロの推理を聞いてくださいなのです。シュテファニエさん殺しの容疑者は三人なのです?」 ゼロは言う。黒い翼に顔を埋めながら。 「まず、ひとりめ。殺すことが可能な存在なら畏怖したりはしないのです。なのでシュテファニエさんを殺したのは皇帝さんではないと思うのです」 「……わらわも、皇帝ではなかろうと思っていた。皇帝には、シュテファニエを愛せなかった負い目があっただろから」 ずっと無言だった黒孔雀が自嘲気味に呟く。ゼロはそのそばに寄り、彼女の翼も撫でた。 「ふたりめとさんにんめ。シルヴェストさんが犯人、あるいはシュテファニエさんの自殺だったと仮定してみるのです。でもその場合、きょうだい殺しや始祖鳥の自殺の記録等はいっさい残したくなかったと思うのです。疑惑の可能性を摘むのなら、事実を伝えずに、シュテファニエさんは消息不明で処理した方がよいと思うのです」 「伝承に、齟齬と誤解があると?」 「本当に誰かが殺したのなら、誰が殺したかも伝わっていると思うのです」 伝承は過ちで、シュテファニエさんは孤独により衰えた末に亡くなられたのかもしれないのですー。 であれば誰も、シュテファニエさんを殺してはいないのです。 黒鷺と黒孔雀は、顔を見合わせ——黙り込む。 やがて黒鷺はそっと手を伸ばし、ゼロを抱き寄せた。ゼロは小さな手で、きゅっと黒鷺にしがみつく。 「シオンさんもオディールさんも、神話のシュテファニエさんとは違って一人じゃないのですー。だから皆でシオンさんオディールさんラファエルさんを迎えに来たのです」 「お前はどうなんだ? ターミナルが恋しいんだろ? 本当は帰りたいんだろ。それは救われたいのと一緒だ。てめえが犠牲になりゃ全部まるく収まるとか、誰かを生かすために死んでいいとか、そんなものは自己犠牲に酔ってるだけだ」 「貴方はどうしたいの? ここで死にたいの? オディールと心中したいの? ……違うでしょ。オディールもラファエルも生かして助けるのが望みでしょ」 「今てめえが生きてるのは、命がけで生かしてくれたヤツがいるからだ。その願いをゴミみたく貶めるのかよ」 ファルファレロとヘルウェンディが言い募る。 「私はシオンが好きよ。ターミナルの皆も貴方が好きだわ。貴方がただいることで救われている。クリスタル・パレスに居ることだけで救われているの。黒鷺でも白鷺でもいい。翼の色なんて関係ない。ぶっちゃけ翼がなくたっていい。私は——シオン、人の為に一生懸命になれるあんたが好きよ」 「女々しいお前が好きだって物好きが大勢いる。ここにいる連中もクリパレの店員もシルフィーラもラファエルも……俺の娘も。もっと生き汚くなれ。帰る場所と待ってる人間がいるんだからよ」 「シオンさんが誰かを助けようとする気持ちは尊いものなのです。ターミナルのみんなは、全ての女の子に手を差し伸べるシオンさんのことが大好きなのです。そんなシオンさんがいてくれるだけで、助けられた人もいるのですー」 「髪や翼が黒に変わっても、その言葉や表情は確かにシオンさんです。俺たちが良く知っているシオンさんです」 優があらためて包帯を巻き始める。黒鷺はもう、拒みはしなかった。 「ターミナルではいろんなことがありましたね。お花見、秘密のビーチ、ハロウィン、0世界大祭、運動会、クリスマス……、どれも、懐かしいですね」 「シオンさんのことを初めて知ったのは、何年か前のクリスマスでした。……私にも包帯、巻かせてください」 絵奈が、怪我の手当をする優を手伝った。 「そのころ、私、ターミナルに来たばかりで、右も左も分からなくて……。ちゃんとお話したのはバレンタインの時だったかな、名刺を貰いましたよね。ターミナルの一員としてちゃんと迎えられた気がして嬉しかったんです」 「……絵奈」 「あれから何度かお話しましたけど、私の知ってるシオンさんはいつも明るくて、皆を元気付けてくれた。だけどそんな一面ばかりじゃないですよね。大きな戦いがあるたびに皆傷ついたし、シオンさんも傷ついた」 包帯を巻く手を止めずに、絵奈は言う。 「私、いざって時に全然周りが見えてなくって、自分のことで精一杯で、誰かの様子に気を配る余裕なんてなかった。でも、シオンさんはずっと自分を押し殺して周りを見てきて。……本当の強さってこういうことをいうんですよね。私、いつまで経っても半人前で」 「俺は強くなんかねぇよ。だからこのザマなんじゃねぇか」 「私ね、インヤンガイの街を一つ潰してしまったんです」 「……!」 「心が不安定な時に力が暴走して……。何人もの人を犠牲にしてしまったんです」 「……」 「それでも、ここにいる優さんや、いろんな人達の励ましを受けて——立ち直れた」 シオンさんはまだ誰も犠牲にしてない。 シオンさん、戻ってきてください 私も、皆も、シオンさんのことが好きなんです。 マルチェロが語りかける。 「俺はこの地について何も知らない。それでも、シオンがラファエルさんを……、何よりオディールさんを助けようとしているのはひと目でわかったよ」 皆で帰ろう、と、彼は言う。まだ壱番世界旅行の約束も果たしてないじゃないか、と、言い添えて。 「シオンはいつも、優しいものな……」 他人の痛みを自分の痛みのように受け止められる。 他人の喜びを誰よりもまっさきに喜んでくれる。 「だからシオンのことが好きなんだけどな」 「……ロキ」 声音から棘が消える。マルチェロを見つめる瞳に、親しさが蘇る。 「シオン。俺の羽根をあげる。お守りになるってひょうばんなんだぜ。シオンのことも守ってくれるよ」 理星がぽろぽろと涙をこぼし、自身の翼から羽根を一枚抜いた。 「その代わり、シオンの羽根をちょーだい。そしたら今のシオンの気持ち、もっと理解出来るかもしんねーもん」 「……理星」 「寒かっただろ? こんなに冷えてるじゃねーか」 黒鷺を暖めるように、大きな翼で包み込む。メルヒオールの治癒魔法と優の手当により、ほとんど目立たなくなっていた外傷が、傷痕さえも残さずに綺麗に消えていった。 「シオン、俺、あの人の家に行くことにしたよ。一緒に暮らそうって言われたんだ。まだちょっと怖いけど、あの人はそういうのも全部、受け入れるって言ってくれるから」 「……そうか」 「俺は笑ってるシオンが好きだよ。他の皆だってそうだ。だから、皆で帰ろう」 虚空が言葉を添える。 「自分が無力だって思い知らされるのは本当に辛いよな。大事な人、幸せになってほしい人が苦しんでる姿をただ見続けるしかないなんてさ」 だけど、と、しずかに自身を振り返る。 「最近気づいたんだ。俺に、他人を救うだけの力なんてねぇんだとしても、傍にいて支えることは出来る、って。だから俺は、女王に共感して寄り添おうとしたシオンを貴いと思うよ」 俺も抱きしめてやりてぇところだが先を越されたな、と、笑う。 「うち、同居人が増えることになったんだ。お前に背中を押してもらって、決めたんだってよ」 「……らしいな」 「うちに家族が増えるのもめでてぇし、お前の姉さん、皇帝といい感じになるんじゃねぇの。そしたらお前、姪っ子か甥っ子の顔が見られるかもしれねぇぞ」 「……。新しい家族」 「なあ、帰ろうぜ。お前をこの寂しい場所に放っておくなんて、俺には出来ねぇ。いっしょに帰ろう、お前も、女王も」 「シオンさん。俺たちは、誰かと絆を結びたくて、向き合って、向き合えなくて、裏切られて、裏切って、信頼できなくて、信頼したくて、頼りたくて、でも上手く出来なくて。自分を否定したり、それでも誰かを救いたくて、ぶつかって傷ついて、支え合って、あの場所で生きてきました」 ひとつひとつ言葉を選びながら、優は伝える。 日和坂綾。三日月灰人。ロバート・エルトダウン。ロック・ラカン。虎部隆。しだり。一一 一。 深く関わった彼らだけではなく、たくさんのひとびとのことを思い出しながら。 「シオンさんは、ラファエルさんのこともオディールさんのことも諦めたりしませんよね。俺も、シオンさんのこともラファエルさんのこともオディールさんのことも諦めません」 「相手と同じ目線に立って物を考えて、尚、分からなかった時にどうするか? 大事なことは、そこだ。進むか、あるいは戻るか」 メルヒオールは言う。お前の選択肢はまだ尽きてはいないんじゃないか、と。 「……教師らしい台詞だな」 「言葉を飾るのが得意じゃないだけだ。皆を心配させたのは褒められたものじゃないが、それだけ実行力があるんなら、立ち止まってしまうのは早いんじゃないのか」 「……」 「せっかく迷宮の最奥まで来たんだ、タダでは帰れないだろう?」 「……何かを得ていこうって?」 「お前やラファエルがどうするのかは知らない。ターミナルに帰ってくるつもりなのかどうかも知らないが、あの店が静かなのは……、そうだな、勿体ない気がするよ」 「シオン。私もあの街が好きよ。たとえ仮の居場所でしかなくたって、あんたやラファエルやカーサー、それに」 コイツがいるし、と、ヘルウェンディはファルファレロを見る。 「私は、あの歪んだ街が大好きなの。歪みを抱えてないヒトなんていない。その歪みを受け入れあって許しあって皆生きてるの」 「故郷が見つかれば、帰属して去っていく奴らも多いだろう」 俺もそのひとりだが、と、メルヒオールはふと遠くを見る。 「どっちにしろ、ここに篭っていたら別れの挨拶もできないかもしれないということは心に留めておけ」 ACT.3■聖夜の迷宮 「おいラファエル」 ファルファレロは気を失っているラファエルに歩み寄る。 さすがに黒孔雀はラファエルを抱え込み、ファルファレロを、きっ、と睨みつけた。 「近づくでない。……渡さぬ」 「こいつを返せ」 「侯爵は誰にも渡さぬ。どの女にも渡さぬ。異界の旅人にも渡すものか」 黒孔雀はかぶりを振り、奪われまいとする。しかしその抵抗は弱々しかった。 「俺はまだこいつに用があるんだよ。こんなところで心中はさせねぇ」 こいつを返せ、と、ファルファレロは繰り返す。 やがて……。 ラファエルが、目覚めた。 「ファレロさ……」 「よう」 「……。あなたに出迎えられるとは、もしやここは地獄ですか。どうぞこの世界でもよしなに」 「寝ぼけんなバカヤロ。勝手に地獄に帰属してんじゃねぇよ」 ファルファレロが手を差し伸べる。 「ガキが死に損なってんのにくたばってんじゃねーぞ、それでも父親かよ」 「……それは。大変なお手数を」 「一緒に飲みに行く約束だろ」 「そうよ。うちのクソ親父とNYのバーに行く約束してるんでしょ。こんな所でくたばったら承知しないんだから」 ヘルウェンディが言い、ラファエルは苦笑する。 「そうでしたね」 「お義父さんと飲むんなら俺も混ぜてくれよ。面白い話をいっぱい披露するぜ!」 カーサーが駆け寄って来た。 半身を起こしたラファエルを、黒孔雀が抱きとめる。 「……行かないで」 「女王陛下……。申し訳ありません」 ファルファレロとカーサーの肩を借り、ラファエルは立ち上がる。 † † 「ところで、今回はシオンさんがブランさんの役なのです?」 ゼロが言い、黒鷺は首を捻る。 「何のことだ?」 「あー、俺はよく知らないけど、何年か前のクリスマスに、クリスタル・パレスに氷の迷宮が発生したとかなんとか」 メルヒオールの述懐に、マルチェロが大きく頷いた。 「そういえばシオンと初めて対面したのって……。確か氷の迷宮の最深部だったな……。助けを求められて、こうやって皆で向かったんだっけ」 「ブランが魔王化したのよね」 「私も、よくわからないまま挑みました。自分にできることがあるかもって思って、勢いのままに」 ヘルウェンディと絵奈が言う。 「シオン。おまえが誰かのために苦しむなら、俺はおまえのために哀しむし、祈ろうと思う。言葉を、想いを尽くそうと思う。あのクリスマスの日に、たくさんの人々の言葉と想いが、ブランを魔王から旅人へと戻したように」 「そうだ。くりすますの時、魔王になっちまったブランも、そのおかげで戻れたって聞いた。俺はあんたが好きだって、行かないでほしいって言葉にするのは大事なことなんだ」 虚空がシオンの頭を撫でる。理星はいっそう強くシオンを抱きしめる。 「ブランさんが魔王になった時……」 優は目を閉じた。あの時はまだ綾もいた。皆で必死にブランとシオンを探しに行った。そして、無事にふたりをみつけ、皆で帰ってきたのだ。 「なぁシオン、お前が作りたかったのはこんな迷宮じゃなかったはずだ」 カーサーの言葉に、黒鷺ははっとする。 そもそも……、彼はもともとその前段階として、協力者を募り、ヴォロスのダンジョンに挑んだ。 それは「望みの迷宮を造る鍵」を手に入れるためだった。 その鍵に触れたのがブランだったため、氷の迷宮が発生してしまったけれど。 シオンはあのとき、クリスマスプレゼントに満たされた迷宮を、造るはずだったのだ。 旅人たちの笑顔が、見たくて。 「伝え聞いた話じゃ、そのときは沢山の仲間の声や思いやりで一件落着したらしいな」 カーサーは朗らかに言う。 そういう温かな気持ちのこもった、楽しげなクリスタルの迷宮。そっちの方がいいじゃないか、と。 皆が楽しめる迷宮を、俺にも見せてくれ、と。 「ゼロのお願いなのです、シオンさん。旅人が迷鳥を助けることができるのならば、シオンさんにだってそれができるのです。シオンさんがオディールさんを助けたいと思う気持ちは間違ってはいないのです。シオンさんは迷鳥であり旅人でもあるからなのです」 ゼロはシオンさんが好きでラファエルさんが好きでオディールさんにも安寧を取り戻してほしいのです。 安寧は万人のものなのです。 なのでシオンさんもオディールさんもラファエルさんもみんな一緒にゼロがぎゅーってしてもふもふするのですー。 だから。 シオンさんがオディールさんを助けてください。 シオンさんが、シオンさんを助けてください……! 「ファルファレロ」 黒鷺が真っ直ぐに、ファルファレロを見た。 ——おれの翼を、撃て。 ファルファレロは間髪入れずに——、 撃ち砕いた。 迷鳥のあかしの、黒い翼を。 痛みがないように、あらかじめ氷弾で凍らせてから。 そして、 そして……。 翼を失った黒鷺を、半透明の卵の殻が包み込み……、 殻が割れた瞬間。 「……あれ?」 純白の翼を持った、白鷺が誕生した。 その容姿もその記憶も、以前のままの、シオン・ユングだった。 ACT.4■帰還 「まぁ、黒い羽根もカッコよかったけどな!」 シオンの背を、カーサーはばんばん叩く。 「とりあえずあの世界へ帰ろうぜ。あそこは俺たちの巣みてぇな所だ」 そんじゃ改めて自己紹介、と、カーサーは向き直った。 「ウェンディと付き合ってるカーサー・アストゥリカだ。これから宜しくな!」 しかし、シオンはむっつりしている。 「男とは宜しくしたくねぇ!」 「そんなこと言うなよー。友だちになろうぜ!」 「ヘルみたいな美少女とよろしくやってる野郎と友だちになれるかバーロー」 「シオンさん」 「ん〜? 何かな絵奈。……うぉ? 怪我してるじゃんか。誰だおれの可愛い絵奈のほっぺに傷をつけたやつは。許せねぇ」 あんたよ、シオンだよ、と、ヘルウェンディとメルヒオールは口々に言うのだが、シオンは聞こえないふりをしている。 「私まだ、シオンさんを指名してないじゃないですか。だから今度」 「してください指名してください絵奈に指名もらうまでは帰属しないからホントだから正座待機してるから!」 絵奈とのあまりの態度の違いに、カーサーは涙目である。頑張ったのに。 「あー、その。申し訳ありません……、カーサーさま」 ラファエルは胃のあたりを押さえる。 「そんな辛気くさい顔すんなよ。友だちになってくれるよな? ラファエルもシオンも」 「はい。喜んで——と申しますか、皆様はとうに、私どもの大切な友人でいてくださるではありませんか」 「……よかった、シオンさん」 優は微笑んで、シオンの手を取る。 「これからも、いつでも頼ってください」 「ホント? じゃあ無名の姉さんに一緒に謝ってくれる?」 「いいですよ、心配かけた司書さんに泣かれて怒られましょう」 「……風が強くなってきたな」 マルチェロは自身のジャケットを脱ぎ、シオンの肩に掛けた。 「あのさ、ロキ」 「ん?」 「ターミナルに戻ったら、箱根に行こっか」 「何で箱根」 「いや何となく」 冬の風が枯れ葉を散らす。 最後の迷宮が、跡形もなく崩れていく。 「もうこんな場所に用はねえ。とっとと帰るぞ」 風が黒髪を乱すのも構わずに、ファルファレロはすたすたと歩き出す。 「ファレロさん」 呼びかけるラファエルに、振り向きもしない。 ロストレイルの駅へと、ただ、急ぐだけだ。 —— La Fin. (ありがとうございました)
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