ヴァン・A・ルルーの司書室に訪れた由良久秀は、無言のまま、自分たちを取り囲む書棚と書棚とキャビネットと書棚の中で、ひとつひとつの背表紙を視線でなぞっていく。 見覚え、聞き覚えのないモノが多い。 しかし、これらのほぼすべてがミステリ関連であることは聞いている。 手に取ってみたいという欲求は一体どこから来るのか、いささか自分でも理解しかねた。 そもそも事件を引き寄せる《探偵》ならば、すぐ隣に――「話に聞いていてね、一度やってみたいとは思っていたんだけど」 アンティーク・ソファに身を沈め、ティーカップを持ち上げたムジカ・アンジェロは、ほのかに立ち上る紅茶の香りに目を細める。「ああ、ムジカさんは確か【探偵名鑑】がまだでしたか」 ルルーもまた、優雅に紅茶を飲みながら、ソレに応じる。「どうにもその時期はタイミングが合わなくてね。【探偵双六】も機会を見て誘うつもりでいたんだ」「【探偵双六】でしたら、できれば4人以上いらした方が楽しめるでしょうね」「出目ですべてが変わることを考えると、人数は多い方がいいかな」「“探偵不在”のパターンも大いにあり得ますし、たとえば全員が犯人と言うことも……」 そこでふと、クマ司書は小さく笑みを洩らした。「実はまだ、これにはシリーズがあったんですよ」 どこか楽しげに席を立つと、彼は由良が興味を引かれていたキャビネットへと近づいていく。 そこから取り出したのは、黄昏色をした大判のうつくしい本だった。表紙にはシンプルな仮面がデザインされている。 確か、探偵双六は紅い二つ折りの盤、探偵名鑑は蒼い本だったはず。「……なんだ、それは?」 思い切り眉根を寄せた由良の口から質問が突いて出る。 しかし、ルルーは応えない。 それどころか、徐にページを繰ると、「ムジカさん、由良さん、これから5つの質問をしますので、宜しければお答えください」「おい?」「面白いね」 ちゃんと説明をしろ、と由良が求めたところで聞くふたりではない。 自分を置いて会話は進行していく。「ひとつめ、好きなモノを3つ」「ふたつめ、嫌いなモノを3つ」「みっつめは、好きな言葉、もしくは座右の銘や矜持でも宜しいですが、ソレを」「よっつめ、犯罪行為に対するスタンスについてをどうぞ」 重ねられていく内容が、伝え聞いていた【探偵名鑑】とは設問が微妙に異なっていることに気づいたときには、最後のひとつになっていた。「では最後に。こちらはそうですね……物語におけるささやかなエッセンス、という位置づけになるでしょうか。お答えいただくのが難しいかもしれませんが」 そこで一呼吸分の間を置き。 そして、クマ司書は告げる。 「あなたは扼殺、銃殺、毒殺のうち、もしも“自分が殺される”のならどれを選びますか? その理由も合わせてどうぞ」=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ムジカ・アンジェロ(cfbd6806)由良久秀(cfvw5302)=========
†白昼の悪魔 雷鳴が轟く中、どす黒い赤が、まるで広げられた両翼の如く大理石の床にベッタリと広がっていた。 その中心部には両腕を肩から切断された30代半ばほどの男がひとり、目を見開いて横たわっている。 「これで5人目か」 うんざりした表情で、由良はカメラのファインダー越しに死者を見下ろす。 「これで残りも5人だな」 目を細めて、ムジカは死者の傍らに膝をついて答える。 ブルーグラスのシャンデリアが見下ろす大広間にはいま、由良たちの他に3人の男女がいた。 ただし、衝撃のあまりに呆然と佇んでいるものは誰ひとりいない。 誰もが当たり前のように現場検証へと望んでいるというのは、本来、異様な光景に映るだろう。 「ルルー、あなたはどう見る?」 ムジカの問いに、口元を指でなぞっていた銀の髪の男――医師だという彼が首を傾げてみせる。 「そうですね……クローズド・サークルという状況で、元刑事である彼がこれほど容易に殺害されたことがいささか気になるでしょうか」 「最初に気にすんのは死因じゃないのかよ」 こんな状況でもきっちりとタキシードをまとうルルーに対し、ジーンズにシャツというラフスタイルの男――大学の研究室で法医学を専攻している青年が、肩を竦める。 「ねえ、ここは殺しの博覧会か何かなの? 殺人鬼たちの殿堂入りでも決めるつもり? いったいどういう状況なのかどんどん分からなくなっていくじゃない」 今日は真っ赤なスーツドレスに人を食った後のような真っ赤なルージュを引いて、推理作家だという彼女は腕組みをして告げる。 「いや、そもそも始めからなんかおかしかったじゃねぇか。毒殺、銃殺、刺殺……この片腕を切り落とすって奴もそうだ。アレだろ、世間を騒がした殺人鬼たちのやり口ばかりじゃねぇか」 「私はこんな殺され方はイヤよ? 美しくないのは本当にイヤ。美学を感じられないのもイヤ! 誰かの真似で殺して一体なにが楽しいのよ!」 ヒステリックに叫ぶというよりは、不愉快極まりないといった体だ。それでも、彼女の声は初対面の時から相も変わらず由良の神経をいちいち刺激してくる。 「おや、コピーキャットはお嫌いですか?」 「模倣犯なんて大嫌い! 誰かの筋書きに添わされるのも大嫌いよ!」 ルルーの言葉に、真剣に顔を歪めて彼女は答えている。 「ふむ、確かにこれはまるで誰かの用意した《舞台》のようですね。不自然に演出的で、虚構の中、私達は殺人鬼の殺害方法を体験させられるという物語が用意されている」 「……舞台、物語……」 ほぼ無意識に、由良はルルーの言葉をなぞっていた。 もしもこれが《舞台》だというのなら、どれほど自分たちが足掻こうと、登場人物は脚本家と演出家の意向から逃れることができない。進行していく物語から抜け出せるのは役割を終えたものだけだ。 しかし、ソレはここではおそらく《死》を意味する。 「だとしたら、そのシナリオの行き着く場所は一体どこにあると思う?」 ムジカが問う。 由良を真っ直ぐに見つめて、由良にだけ問いかける――ように錯覚させる。 思えば、ここに来てからムジカは幾度となく同じ問いを自分に繰り返しているような気がしてきた。 「……そんなモノ、知るか」 とりあえずは端的に、ぼそりと回答を拒否して、再びシャッターを切る作業に戻る。 日に一度しか運行しない定期便のクルーザーが、由良とムジカをこの絶海の孤島に佇む館へ連れてきたのは数日前――正確には78時間前の出来事だ。 初日から数えて死者はすでに5人。それが多いのか少ないのかは分からないが、異常であることに違いはないだろう。 一体ここで本当は何が起きているというのか。 由良の記憶が、現場を前に急速に巻き戻されていった―― †満潮に乗って クルーザーからその館を見たとき、由良はカメラを構えずにはいられなかった。 周囲を海に囲まれた岸壁にただひとつだけ佇む白亜の石造りの館――尖塔を両端に持った城めいたその建物の上空には名も知らぬ鳥たちが舞う。 書き割りのようにツクリモノめいた外観ではあるが、それ故に心惹かれてしまう完璧な美しさに、暫し由良は心奪われる。 「行こう」 待ちかねたようにムジカへ促され、渋々と島に上陸すれば、待っていたのはうんざりするような長い長い階段だった。 微妙にそれぞれの段差が違うせいで眩暈を覚える歪んだ道を経て館に一歩踏み込めば、自分の経つ場所が本当に現実なのか、いよいよ疑いはじめる。 扉の向こうに広がる光景。 薄青の壁紙や深青の絨毯、上から下に色濃くなっていく青のグラデーションと波打つレリーフの腰板、水泡のように球体の集合体でデザインされたシャンデリアなどのせいで、まるで自分自身が海底へ沈み込んでしまったかのようだ。 「いいシチュエーションだと思わないか?」 「ここで何が起こるのか分からないのにか?」 嬉しそうに目を細める相棒――《探偵》ムジカへと、由良は苦虫を噛み潰したような顔で答える。 招待状を手に、集まったのは由良とムジカを含めて8人。 彼らはそれぞれにそれなりの交友関係が成立しているらしく、会釈するもの、目が合った瞬間に素知らぬふりを決め込むもの、笑顔で肩を叩くものなど、反応も様々だ。 法医学者に推理作家、弁護士、フリールポライター、元刑事……といったラインナップの中、《探偵》と《写真家》という肩書きを持つ自分たちは少々特殊であったかもしれない。 交わされる会話から知った情報を整理していったところで、由良はムジカへ声を掛けてくる男の出現に驚いた。 「やはりいらしてましたか、ムジカさん」 「おれも、あなたなら来ると思っていたよ、ルルー」 「招待者は謎の人物、集められたのは8人の男女、そしてこの場所はクローズド・サークルとなり得る絶海の孤島……素晴らしいシチュエーションですね」 瞳だけがキラキラと輝いていて、他の誰よりもこのルルーという男が一番嬉しそうだ、というのが由良の率直な感想だった。 自分がムジカに半ば連行されるカタチで来たことを思えば雲泥の差かもしれない。 「ようこそおいでくださいました。さあ、皆様、用意は調っております。ダイニングルームへお越しください」 参加者が全員揃ったことをどこかで確認していたのだろう。 唐突に現れた老年の執事が、恭しく頭を垂れ、皆をエントランスホールからダイニングルームへと誘う。 「さあ、ゲームの始まりだな」 誰かが声を弾ませて歩き出すのに倣い、ぞろぞろと8人は動き出す。 そして、自分たちはこの館の招待主と対面する。 20人掛けの長テーブル、並ぶティーセット、美しい薔薇のアレンジメントで飾られた純白のテーブルクロスに突っ伏し、口から唾液混じりの鮮赤を流れるままにする《死者》として。 一瞬息を呑む空気を感じた。 しかし、耳障りな悲鳴は誰からも上がらなかった。 「……なるほど。着いて自己紹介をはじめる前に、まずひとりか」 「招待者自らが死体となって客人を出迎えるとは、なかなか凝った趣向じゃないか。ミステリー劇としては面白い始まりだと思うけど?」 「毒殺から始まるのね。これは、主人の謎の死因と動機を突き止めるのが先決かしら?」 「そういえば皆様、巷を賑わせる殺人鬼の噂は耳にしていらっしゃるかしら?」 由良は無言のまま、カメラのシャッターを押していた。 フラッシュが、まるで稲光のようにして死者と深海の館を演出する―― †死者のあやまち 始まりはそう、ただのミステリーナイトへの参加だった。 ダイニングルームにあった《死体》が、現場検証の段階で《本物の死者》だと分かってからの軽い混乱すらも、今となっては懐かしい。 由良は黙って自身が撮り続けてきた写真を机に並べていく。 関係性を羅列していくつもりはない。自分の知っていることなどごくわずかと言っていいかもしれない。 だが、写真は嘘を吐かない。 現像した写真たちはどれもこれもが――そう、ここには由良が普段扱っている現像のための薬液やバットなどあらゆるものが揃っていたのだ。これを見つけた瞬間、言いようのない不安を煽られたのは言うまでもないだろう。 そんな自分の傍らでは、優雅なティータイムに興じるムジカとルルーふたりの姿がある。 毒が混入されているのでは、という不安はないのだろうか。 「残ったのは私達だけか」 「では、犯人は私達の内の誰か、ということになるかな」 「俺は違う」 由良は即座に答える。 「……由良」 「いっそ犯人かと疑いたくなるほど即答ですね」 おもわず噴き出すふたりに、思いきり眉を顰めた。 何がそんなにオカシイのか理解できない。 「それにしても、殺された人たちを含めて、誰もが死体を前に落ち着きすぎている。死体慣れしすぎていたね」 「死者が増える度に、皆さん、どんどん生き生きとなさっていた気もしますよ」 ソレはおまえたちも同じだろう、という言葉を由良は呑み込んだ。 呑み込んで、写真を時系列に並べていく作業を続ける。 「One may smile, and smile, and be a villain.」 「シェイクスピアですね? “人は、微笑み、微笑みながら、悪党たり得る”……ハムレットの台詞だったと記憶していますが」 そこで、ふとルルーが思いついたように手を打ち鳴らす。 「考えてみれば、殺人鬼の博覧会というのも言い得て妙かもしれませんね。誰かにとっては、標本庭園なのかもしれませんが」 「“標本庭園”?」 耳慣れない言葉に、由良は思わず反応してしまう。 「この標本庭園というのはね、デザインじゃなくて、栽培上最適であることを最優先にしているんだ。環境に合った植物を選んでいく、結果として赴きのある庭園ができあがるんだ」 「ヒトで言うなら、適材適所といったところでしょうか。適した配置をすることで、元々持っている本人の能力を最大限に活かすことができる……たとえば、ソレはきっとこの場所も同じなのでしょうね」 「ああ、もしかすると……」 ムジカは何かに思い至ったらしい。 「ええ、もしかすると、そう…かもしれません。だからあのような設問があったのでしょう」 集められたのは、探偵ではない。 集められたのは、正義の味方でもない。 集められているのは――本当はどんな選別方法だったというのか。 「共通点を探すのに必要なパズルのピースはもう既に揃っていると言うところかな」 「アンケート結果を是非見てみたいモノですね。きっととても興味深いことが書かれていると思うのですよ」 ふたりだけで通じ合っている会話の中に、由良は微かな違和感を覚える。 何を前提にしているのか、知っておかなければならないという意識が頭をもたげた。 「なんの話だ?」 だから、思わず口をはさむ。 「由良さんにはアンケートが入っていなかったんですか?」 「アンケート? そんなもの……」 封筒に入っていたのはミステリーナイトへの招待状、ただそれだけのはずだ。 応募した記憶はない、にも関わらず勝手に名指しで送られてきたモノにイヤな予感しかしなかった、だから早々に破り捨てようとしたのを止めたのがムジカだったのは覚えている。 あの中に、本当は別の情報も入っていたというのだろうか。 「ふむ……では、由良さん。あなたは“もしも自分が殺されるのなら、どのような手段を望みますか”?」 まるで飲み物は何が好きかと聞かれるような気安さで、ルルーに問われた。 写真を並べる手を止め、由良は思いきり眉を顰めた。 「死にたくはない。殺されたくない。冗談じゃない」 「素晴らしい解答ですね」 ふ…と、ルルーが微笑った。 その瞬間――清楚で儚げな、かつて被写体に選んだ女の姿が由良の中にフラッシュバックする。 彼女は長い髪を床に散らして、青白い肌を晒し、眠るように横たわっていた。 わずかに仰け反った白い首筋には―― 「共通点をあえて上げるとすれば、彼らは自己表現に長けた方々だったということでしょうか。犯罪者を殊更糾弾する立場でもあったと思いますよ」 「ソレが、犯人にとって不都合なモノに映ったと?」 「いかがです?」 「本人にとっては無自覚の罪状による死刑か……ふむ。由良、参考までに聞いてみたいんだけど、あんたは犯罪をどう思う?」 いきなり話を振られ、一瞬答えに詰まる。 探偵然としたふたりの視線に晒されながら、それでもまったく正直な想いを口にして返す。 「迷惑だ。平気で法を破るような奴は信用できない」 「あんたがソレを言うのか」 「悪いか? 俺は本心からそう思っている」 意外そうに言われたことは非常に心外だ。 ただし正義感から発した言葉ではない、自分と無関係ならば放置する、だが関わってくると言うのなら迷惑以外の何物でもないだろう。 「なら、ルルー。たとえば、あなたが許せないものは? 罪だと感じるのは?」 「そうですねぇ」 彼はわずかに思案する素振りを見せた後、 「この世で最も憎むべくは安易なネタバレでしょうか。特に読んでいる最中の推理小説の犯人やトリックを無遠慮に無神経に暴露することほど許せないものはありませんから」 本気か冗談か判別の付かない台詞だが、笑みのカタチを作りながらもその眼は笑っていない。 「無邪気を装った“悪意”は人を不快にさせますね」 「そして、暴走した“正義”も人を不快にさせるね」 では、とルルーは告げる。 「先程のムジカさんの台詞をなぞり、私からは……“For the eye sees not itself, But by reflection, by some other things.”を」 「“目はおのれを見ることができない、なにか他のモノに映してはじめて見えるのだ”……か。これが自分だと思い込んでいる姿が、他者というフィルターを通した時に一体どう映るのか意識したいものだね」 虚構の中で虚構を演じているかのように現実感はずっと遊離したままだが、ムジカとルルーふたりのやりとりはその感覚を増長させる。 「じゃあ、あなたがこの状況をどう考えているのか聞いても?」 「そうですね……本当の完全犯罪とは罪そのものが発覚しないことです。関係者や目撃者をもろともに消し去れ、事実を隠蔽できる――犯人に摂ってみれば、ここほど安全なモノはないでしょうね」 指先で唇をなぞりながら、答えるルルーの笑みに、由良の中で瞬間的に殺意が湧き上がった。 目の前の男に、心臓を握りつぶされるような圧迫感を覚える。 不快感。 得体の知れないものに対する圧倒的な―― 「由良?」 「由良さん、どうしました?」 ぴたりと動きを止めた自分へと、訝しげな声が掛かけられた。 †スリーピング・マーダー ひとつの部屋にひとつの死者がいる。 ダイニングルーム、図書館、書斎、大広間、ティーサロン、寝室、エントランス、バスルーム。 毒殺、銃殺、刺殺、絞殺、とラインナップも様々だが、被害者の数が増えるごとに、花びらが添えられ、部屋中に蜘蛛の巣のごとく糸が張り巡らされ、血液で翼を見立て、と演出効果は上がっていた。 殺害方法にはオリジナリティがほしいと言っていたあの推理作家の女の装飾は“美しかった”と言ってもいい。 しかし――由良を刺激したのはルルーの死体だった。 長い髪を床に散らして、青白い肌を晒し、眠るように――わずかに仰け反った首筋を引き裂いた切創すらも記憶の中の彼女と同じ―― 「どうして簡単に殺されていく? 警戒するだろう? 何人も殺されているんだ、警戒も強くなる、自衛もしてしすぎることがないはずなのに」 白い布に覆われた絵画や彫刻たちが並ぶロングギャラリーで、由良は相棒へ苛立ちと焦燥をぶつける。 「誰がここに俺たちを呼んだ? 誰がこんな場所を用意した? 誰が俺たちの個人情報を調べ上げた?」 こんな真似ができる人物を、自分はひとりしか知らなかった。 「由良」 ムジカが微笑む。 「罪を犯したら、罰を与えられるだろう? でも、一体誰がその“罪”を定めるんだ? 誰が糾弾できると言うんだろう?」 罪を犯しているつもりはないのだろう、だが間違いなく他者を踏みにじっていくその無自覚さと傍若無人さを誰が裁けるのだろう、と問いかける。 「……」 自分は何故ここに連れてこられた? 知っていたのか、知られていたのか、ならば何故この場所を用意した? ざわりと全身の肌が粟立つ。 「死人には何もできない」 ぼそりと、由良は告げる。 「死んでしまえば、何もできない」 気づけば、手を伸ばしていた。 全体重を掛けてその身体を押し倒し、馬乗りとなり、彼のしなやかな首にこの手をためらいなく掛けていた。 今しかない、という叫ぶ声が聞こえる。 「……由良」 ムジカは微笑む。 「由良、目を逸らさないでくれ」 いっそキレイすぎるくらいにキレイに、透明な笑みを浮かべてみせる。 「一番近くで、間近で、見ていてくれ、由良。おれの最期を、終わりを、行く末をちゃんと見届けてくれ」 唇が、歌うように告げる。 「だまれ」 指に力が込めていく。 何故、自分はここにいる? ここで本当は何が起きていた? 解くべきなのか分からない、だがそのままにしておくには不快すぎる謎に取り巻かれながら、由良はムジカを見下ろし―― Thinking time Start!
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