先日の儀式を経てネモは真理数を獲得した。 それにより、ヴォロスへの帰属を決断した彼の心に自然と浮かんだのは、腐れ縁の悪友ともいえる彼女であった。 彼は彼女を誘って、最後の旅に出ることにした。 彼女の名は、蜘蛛の魔女。「おぬしとは将来についてちゃんと話し合いたいと思っておったのじゃ」 ネモが蜘蛛の魔女を連れてきたのは、丘の上に建つ古城であった。 かつては拠点の一つして利用されていたのであろう。風雨に晒された城壁は至る所が苔生している。「ワシはこの城を手に入れて暮らすつもりじゃ」 城壁に手を触れて、ネモは呟いた。 元の世界にいる愛する者たちは全て独り立ちしている。愛する妻もとうに他界した。 気にならないわけではないが、自分が居なくとも彼らは立派に生きていくだろう。 長い年月を生きてきた。同じ世界に飽きたわけではないし、新しい出会いがないわけではない。 ただ、ヴォロスは生命力に満ちている。数百年前の若い頃と同じ、世界に活力が満ちている。(もう一度、青春を謳歌をしてみるのもよいじゃろう) ネモはゆっくりと振り返った。「ここで共に暮らしてほしい。ワシの妻にならぬか」 高く澄んだ心地よい声が、ネモの真摯な想いを響かせる。「なに、すぐに結論をだす必要はない。しばし、城に滞在してじっくり考えてくれて構わん」 ネモが指を鳴らすと、広がったネモの影から一体のゴーレムが浮かび上がった。 すらりとした形の闇色のゴーレムであり、俗に言う執事服に似た衣装を身に纏っている。「必要なものがあればこやつに言うがよい。すぐに準備させるのじゃ」 そう言うとネモは、蜘蛛の魔女に背を向けて歩き出した。「ワシは城内の改装をしておるが、おぬしならいつでも気にせず訪ねき」「はーくーしゃーくー!!」 燕尾服に似た衣装を身につけたひょろりとした影が走ってくる。 何処かで見たことが有るような無いような。記憶から消しておいたはずのような。「御用の際は、まず私を御呼び下さいとあれ程お願いしてましたでしょうー!」 ネモが指を鳴らすと、ネモの足元から一塊の影が伸びて鞭となって足払いを仕掛ける。「おう!」 あっさりと何かが転ぶ。すぐに影の鞭は布のように薄く広がって何かを包み込むと、あっという間に縮こまり手の平ほどの大きさの球体になる。「いやー! 暗いの怖い! 狭いの怖い!」 ネモが再び指を鳴らすと、影の球が浮かび上がりネモの元へと飛んでくる。 それを解っていたかのように、執事ゴーレムは足を跳ね上げてヴォロスの空へと球を蹴り飛ばした。「ふははは! 無駄だ、私は何度でも戻ってぇぇぇー」 きらん、と何かの叫びが聞こえなくなると、ネモが仕切り直すように咳払いをした。「ロストナンバーが真理数を獲得するには時間と縁が要る、だからその、暫くは通い婚でも一向に構わぬ。ヴォロスに帰属したワシとの縁が深まれば、必然的に真理数を獲得するじゃろうしな」 そして、ネモは今度こそ城内へと足を進めた。!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ネモ伯爵(cuft5882)蜘蛛の魔女(cpvd2879)
「ちょっと待ちなさいよ! 言うだけ言って、はいさよならってどういうつもりよ!」 城内へと進むネモの背中に、蜘蛛の魔女が威勢の良い声を浴びせ掛けた。 「なんじゃ、もう返事をくれるのか?」 ネモはゆっくりと振り返ったが、魔女は顔を背けておりその表情を見せなかった。 「ふんっ、あんたの気持ちはよ~くわかったわよ、伯爵ちゃん。もとい、ネモ伯爵。でも、少し時間を頂戴。この自慢の城とやらを見学させて貰ってから答えを出すわ」 意地でも顔を見せようとしない魔女の態度に、ネモは柔らかく微笑んだ。 「それで構わんのじゃ。ゆっくり考えてくれ」 今度こそネモは城内へと入っていった。ネモの気配が消えたのを確認してから蜘蛛の魔女は肩の力を抜いた。 そう彼女は緊張していたのである。 気持ちは素直には出せないものの、実はもしかして私ったら、とネモを意識し始めていたのだった。 気の強い魔女である。芽生えた想いには気付かない振りをして今まで過してきた。 しかし、今回のネモの告白で、その気持ちを目の前に突き付けられてしまった。 「べ、別に嫌ってわけじゃないのよ。そりゃあチビだしガキんちょだし。でもでも、それは将来有望ってことになるし。お金持ちだから贅沢できそうだし。貧乏になったら、 私が狩りに行ってネモちゃんが料理してくれてもいいんだし」 呟いている本人は気付いていないが既に惚気である。 城壁に指先でのの字を描いているのだが、それに合わせて背より生える蜘蛛脚も城壁にのの字を描くので、壁にはがりがりと容赦なく爪痕が刻まれる。 傍に控える使い魔は何処からか取り出したペンキのような修復素材を塗り付けて、壁の傷痕を端から丁寧に消している。 蜘蛛の魔女の好きにさせるようにと指示を受けている使い魔には彼女を止めるという選択肢は存在しなかった。 乙女スイッチの入った蜘蛛の魔女は独りで暴走をしていたが、ある存在が彼女を現実に引き戻した。 「ずばり、恋ですね! 貴方は伯爵の事を考えるとその小さくて控えめな胸がきゅんきゅんして、好きで好きでたまらな~いとなるのですね!」 いつの間に戻ってきていたのか⑨であった。波間に揺れる海藻の如く奇妙な動きをしているので、見ていると非常に腹立たしい。 「ブチ殺すわ」 ⑨の言動は現実に戻すに止まらず、余裕でマジギレゾーンにまで蜘蛛の魔女を突入させた。 「すいません、貧乳はステータスでしたね」 「コロス」 「お待ちください! その胸はひんにゅーであるがゆえに伯爵が育てる余地があるということになるのですよ!」 ⑨が蜘蛛の魔女の胸元を指差して熱弁を振う。その指を蜘蛛の魔女がへし折ろうとした時。 「それに恋する気持ちも分ります! 私とて同じ気持ちですから!」 聞き捨てならないことを⑨が叫んだ。 「ああん?」 思わず語尾が上がる蜘蛛の魔女であった。 「つまり蜘蛛の魔女! 貴方と私は相容れぬ恋敵になるのです! ぽっとでの泥棒蜘蛛な貴方になんぞ負けませんよ!」 「そんなわけあるかぁー!」 クリティカルヒットした蜘蛛脚の一撃で⑨が城壁にめり込んだ。 「だーれがあんたみたいな得体の知れない変態生物にネモちゃんを渡すかってのよ! あいつは私のなんだからね!」 続けざまに振るった数本の蜘蛛脚を突き刺し、魔女は⑨を城壁に磔にした。 「ふ、ふふ、よ、ようやく御自分の気持ちに素直になられましたね」 「え?」 「一芝居うたせて頂きましたよ。これでも私なりに伯爵の役に立とうと日々空回りしておりますからね」 「いや、そこはしっかりしなさいよ」 魔女の中でマイナス側から0に近付きかけた⑨の評価は一気にマイナスへと振り切れた。 「しかしながら、正直に申せば上手い事して伯爵に取り入れるかもしれなっ、えぶし!」 「百万回死んで来い!」 容赦ない蜘蛛脚ラッシュが始まった。その横では、優秀な使い魔が壁に出来る傷痕を⑨ごと補修材で埋めている。 「あっ、止めて! 壁に塗り込めないで! 私、影みたいですけど厚みはちゃんとあるんです! 二次元の生き物ではないので、そんなことされると痛いっていうか。おや、思っていたのと違って結構いいですね」 「顔からやれ」 使い魔は遅滞なく命令を実行した。 その後、蜘蛛の魔女はネモを探して城内を歩き回った。 ネモは書斎で使用人であるゴーレムに指示を出しながら何かの文書をしたためていた。 真剣に仕事に取り組むネモの姿に蜘蛛の魔女の胸が高鳴る。すぐに魔女に気付いたネモは、お茶の時間にしようと彼女を迎え入れた。 魔女はネモの用意した御菓子をひたすらに食べるだけだったが、ネモはそれを眺めて愛しむように微笑んでいた。 その間、ネモは彼女に返事を求めるようなことは全くしなかった。 そして、夕食も終わり用意された寝室へ案内された蜘蛛の魔女は行儀悪くベッドへと倒れ込んだ。 「美味しかったー! これならしばらくはここで遊んでもいいわね!」 しばらくは心地よく弾むベッドの感触を楽しんでいたが、唐突に魔女は跳び起きた。 「って、何してんのよ、私! ひたすら食べてただけじゃない!」 ネモの用意した食事は非常に美味しく量も豊富であった。おかげで、何かを喋ろうとして上手く思い付かない時に、誤魔化すようにフォークを口に運べた。 しかし、美味しいせいで食べることに意識が向いてしまう。これじゃ駄目だと喋ろうとするも何を言えばいいのか咄嗟に言葉にできずに目の前の食べ物を口に運ぶの繰り返しであった。 思い返せば、余りに乙女チックな自分の行動に蜘蛛の魔女は頭を抱えてベッドの上で悶え転げた。 「やめやめ! 悩むなんて私らしくないわ!」 一頻り悶えた後、魔女は気合いを入れて部屋を飛び出した。 が、すぐに部屋に戻ると、備え付けの鏡の前で身嗜みを確認して再び飛び出した。 星灯りが差し込む暗い書斎で、ネモは独り静かに過ごしていた。 手に持ったワインも楽しむためというよりも、ただ喉を湿らせるつもりで注いだものである。 ヴォロスへ移住するための根回しをしている間はそちらに意識を向けていられる。しかし、特にすることもなければ、考えてしまうことは一つであった。 しかも、その相手は同じ城で同じ時間を過している。若者のような気の逸りに自嘲的な笑みが浮かぶが、それもまた良しと思える。 思索に耽りながら、グラスに映る星をぼんやりと眺めていると扉が元気良く叩かれた。 「開いておる」 確認するまでもなく、ネモには気配で誰が訪れたのかは分った。 「ふんっ、お邪魔するわよ」 「ちょうどおぬしの事を考えていたところじゃ」 微笑んだネモが指を鳴らすと書斎に明りが灯る。 (そ、そんな嬉しそうな顔しないでよね!) 蜘蛛の魔女は、無言で客用の椅子に勢い良く腰掛けた。 「城は気に入ってくれたか?」 「悪くないわね。変なのがいるけど、それはそれで退屈しのぎにはなりそうだしね」 「まずは合格と言ったところじゃな」 「ギリギリだけどね」 机に置かれた御菓子に手を伸ばす。 飲食をほとんど必要としないネモの書斎に常に御菓子が用意されていることの意味を蜘蛛の魔女はまだ気が付いていなかった。 「ふむ、それならバルコニーはどうじゃ? ヴォロスの星空は中々のものじゃ」 「いいわよ、精々がっかりさせないでよね」 ネモに案内されて魔女はバルコニーへと向った。 「夜風は冷たい。これを羽織るのじゃ」 さり気なく魔女の肩にローブを羽織わせた。その気遣いがネモへの想いを自覚した魔女の胸を高鳴らせる。 広がるヴォロスの夜空には満天の星々が浮かんでいる。バルコニーから見渡す世界には遮るものはなく遥か彼方まで星々の連なりは続いている。 まるで闇色の布の上に、砕いた宝石をばら撒いたかのようであった。 「どうじゃ素晴らしい眺めじゃろう。夕食でも話したが麓の村ではちょうど収穫祭が行われておる。風に乗って祭囃子が聴こえるじゃろう」 耳を澄ませば、遠くから音楽や笑い声が微かに聞こえる。 「私を妻にする……、っていうのは本気なの?」 内心を押し殺して、蜘蛛の魔女は何でもないことのように切り出した。 ネモは言葉ではなく行動で示した。ゆっくりと魔女の前に騎士のように跪き、懐から指輪の入った箱を取り出してみせた。 「蜘蛛の魔女よ。改めておぬしに求婚しよう」 掲げたネモの掌の上で箱がひとりでに開く。 「どうか受け取ってはくれんか。儂は長いこと孤独じゃった。始祖の儂は永遠に等しい生命を得ていても子孫までそうとは限らん。天寿を全うして潔く逝く子や孫やそのまた孫らを見送るばかりの人生じゃった」 ネモは真剣な眼差しで蜘蛛の魔女を見上げる。 「しかし、おぬしと出会い変わった。おぬしと新たな人生を歩みたい」 「……確認しておかなければいけない事が、一つあるわ」 魔女は差し出された箱を手に取った。 「昔、私に想いを寄せた愚かな人間がいたわ。私はその人間の男の想いに応えてやったことがあるの」 しかし、すぐに箱を閉めると糸を巻き付けて封じてしまった。 「結果、どうなったと思う? 食べちゃったのさ。私が、その人間をね」 蜘蛛の脚の一本が、糸を引っ掛けて箱を吊り上げる。 「骨を残して全部喰らってやった。……なんだかね、お腹が空いちゃうのよ。食べたくて食べたくて我慢できなくなるのよ!」 背より生えた蜘蛛脚が威嚇するように広がり、ギアである蜘蛛爪を取り出して構える。 「私は蜘蛛の魔女! 私の妻になるからには、食べられる覚悟はできてるんでしょぉねぇ!」 ネモの喉元を狙ってギアを突き出す。しかし、ギアはネモの左手を貫いて止まった。 「容赦がないのう。しかし、喉に穴が開けば、さすがに儂も喋れぬのじゃ。好きにさせてやりたいが今は許せ」 2人の間に真っ赤な血が滴り落ちる。 「儂が先かおぬしが先か。死期は未だ悟れねど、もし儂が先に死ぬことあらば、おぬしにこの血肉を捧げよう。そうして儂とおぬしは一つになる。死した後、おぬしに食べられ愛するものの糧となるなら本望じゃ」 「馬鹿じゃないの! どういう事か分ってるの! 痛いじゃ済まないんだからね!」 「今も痛いは痛いのじゃがな」 ネモの左手を貫くギアの力が緩まった。それを安心させるようにネモは優しく笑った。 「ふふ、気にするな。幸いな事に儂は滅多な事では死なんし死ねぬ。多少肉を食われようとも再生するじゃろう」 「多少じゃ駄目なの! 全部食べたくなる! 好きになればなるほど食べたくなって。でも、食べ終わった後にあるのは満足した食欲だけ。私の心は満たされないのよ」 蜘蛛の魔女の叫びはどんどんと勢いを失い、最後は呟きへと変った。 「私は、私は、蜘蛛の魔女なのよ。そうやってしか生きられないの。そういう生き物なのよ!」 抱いた愛情は全て食欲へ、それは蜘蛛の魔女の本能であり変えられない在り方であった。 しかし、蜘蛛の魔女は泣いていた。はらはらと大粒の涙を流してはいるが、その瞳には魔女としての矜持と強い意志が宿っている。 (ああ、なんと美しい) 本能と誇りと愛情。様々なものを抱えながらもそれでも一人で立つ強さを示すその姿。欲に素直であり生命力に溢れる在り方は、ヴォロスの世界にどこか似ている。 (成程、ヴォロスに惹かれたのが先か、魔女に心奪われたのが先か。儂の選択は必然だったのかしれぬ) ネモは心からの笑み浮かべた。 「儂も血を啜る。その渇きは決して癒えぬ本能じゃ。だが、それでも儂は愛するものと供に時を過ごせた。その思い出は今でも儂を生かしてくれる」 ネモは左手に力を込めると、傷口が広がるのも気にせず魔女の手を握り締めた。 「泣くな、蜘蛛の魔女よ。本能に負けぬ理性を持て。欲に負けた時は儂の血肉を食えばよいのじゃ。だが、全ては困るぞ。そうなれば泣くのはおぬしじゃ」 中性的ともいえるネモの幼い子供の手が、健やかな美しさを備えた男らしい手へと変っていく。 それに合せてネモの全身も変化を起こす。 始祖として数多の吸血鬼の上に君臨した青年、星灯りの闇の中でさえ埋もれることなく冴える美貌の持ち主、本来の姿となったネモであった。 「どうか笑って欲しい。そして、供に考えさせてくれ、おぬしが本当に望む生き方を。儂ならそれを手伝えるじゃろう」 ネモは伸ばした指先で蜘蛛の魔女の涙をそっと拭った。しかし、蜘蛛の魔女の顔が歪むと涙は止まることなく溢れ出した。 「ああ、泣くでない」 ネモは優しく蜘蛛の魔女を抱き寄せた。 「わ、私、だって、す、好きで、な、ない、て、ないっ! あ、あんた、のせ、せい、でしょ!」 自分の腕の中で泣きながら、強気に反論する蜘蛛の魔女にネモは愛しさを募らせた。 「儂にも一つ問わせて欲しい」 自分の腕の中にすっぽりと収まる小さな体を、ネモは力を込めて抱き締めた。 「儂はおぬしの柔肌に牙を立て血を啜りたい。勿論、少しだけじゃ。ちくと痛むが命に別状はない。それで魅了するようなことはせん」 いまだに肩を振わせて泣く魔女の頭を、ネモは左手で優しく撫でる。その手にはもう傷痕はなかった。 「吸血鬼としての契約の儀式。それを受け入れるのであれば、おぬしも儂に牙立て血肉を喰らうがいい。殺し合いは殺し愛。共食いもまた愛の形。なれば儂らはお互いに血肉を捧げて特別な絆で結ばれるのじゃ」 「い、いいわよ! ちょっと血をあげるくらいで、伯爵ちゃんを全部食べられるなら安いもんよ!」 「違う、伯爵ではない。ネモと呼んでくれ」 「ふんっ、あんたなんかで伯爵で十分よ!」 湧き上がる愛しさに身を任せてネモはさらに力を込めて魔女を抱き締めた。 「ちょ、ちょっと、くっつき過ぎよ! 少し離れなさいよ!」 ネモは笑顔のまま少し身を放すと、蜘蛛脚に吊り下げたままになっていた指輪の箱を手に取った。 すると、箱に巻きついていた糸はするりと解けて落ちた。 「愛しておるぞい、蜘蛛の魔女。その天衣無縫さも底なしの食欲も八重歯が似合うお転婆な笑顔もすべてが愛しい」 再び騎士のように跪き、ネモは指輪を蜘蛛の魔女へと差し出した。 「これを受け取り儂の細君になって欲しい。そして子を作りこの地に根付こう」 「子供は100人じゃきかないわよ。枯れたジジイにできるかしらね?」 指輪を手に取ると蜘蛛の魔女は不敵に笑った。 「それならば今から試せば良いのじゃ。のう、愛しき魔女よ?」 ネモは艶やかに微笑み、魔女の手をしっかりと握り締めた。 目覚めたネモは自分が何処にいるのか、一瞬分らなかった。 しかし、傍らに寄り添う温もりのおかげで、すぐに全てを思い出せた。 ネモのいる部屋は調度品もベッドも夫婦用にと準備していた場所であった。 そこで目覚めるのは、今が初めてである。 身を起こせば、隣には蜘蛛の魔女がベッドに埋もれるようにして眠っている。 体を冷やさないように、剥き出しになっている肩へとシーツを掛ける。 (随分と無茶をさせてしまったようじゃな。儂もまだ若いということか) 蜘蛛の魔女を起さないように、静かに優しくネモはその頭を撫でた。 自然と笑顔を浮かべるネモの胸にはくすぐったいような想いが湧き上がる。 このまま静かで柔らかな雰囲気を楽しもうとネモが思った時。 「失礼します!」 そんな甘い空気を切り裂くように陽気な声が響いた。 「伯爵やはり本日の朝は御赤飯で決まりでございますかそうなるとどのワインに合わせるか調べるためにもわたくしめにワイン庫の鍵を預けて頂きたいと思います大丈夫ですもちろん味見しかしませんし奥の棚の秘蔵のワインには手を出しませんのでご安心くださいませ」 一息で捲し立てながら、⑨がノックもせずに突然に寝室へと押し入ってきた。 「おや、昨夜はお楽しみでしたか。それでは不肖私は空気となりこの場に留まり見守らせて頂きますので、どうぞ御二人で昨夜の続きを今からお楽しみくださいませ。はい始め!」 パシンと小気味良く手を打ち鳴らした。 ネモはシーツを引き上げて蜘蛛の魔女の体を隠すと、ゆっくりとした動作で床へと降り立った。 そして、部屋の入口に立つ⑨の傍へと近寄り……。 その日、麓の村では地上から空へと走る一筋の黒い光と奇妙な悲鳴が報告された。
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