不治といわれた病を克服した福増 在利と、弟の体質改善に効果の見込める薬を手に入れたシャニア・ライズン。 ヴォロス――シャハル王国の王都ネスを旅立った二人は、雪の降るピュートという村に宿をとっていた。 雪の舞う寒さの中にいても全く体調に変化が見られることはない、それは在利にとっては本当に奇跡的なこと。 ああ、治ったのだ――実感すると同時に募るのは、ずっとそばに居て支えてくれたシャニアへの想い。 「ず、ずずっと、す、好きでしたっ!」 想いが口をついて出たのも、無理からぬ事だった。 *-*-* 白銀に染まった丘からどうやって宿まで戻ってきたのか、覚えていない。それよりも、気持ちを言葉にしてしまったという事実のほうが大きくて、この動悸が走って戻ってきたからなのか想いを告げたからなのか、はっきりしなかった。 在利が告げた言葉に驚いたように目を見開いたシャニアは、それでも嬉しそうにはにかんだ気がした。けっして悪い反応ではなかったのではないか、そう思う。そう思いたい。 「あぁぁぁぁぁっ、もうっ!」 ベッドの上に伏せて枕に顔をうずめて手足をバタバタさせる。シャニアが嬉しそうな顔をしたのも自分がそう思い込みたいだけではないか、そんな気がしてなんだか益々混乱する。ただでさえ、勢いに任せて告白して、どもってしまったあまりカッコ良いとはいえない告白だったのだから、そうでも思わないと自分が耐えられないのかもしれない。 「バカバカバカバカ!」 ――少しだけ、自分を見つめなおす時間をちょうだい? 申し訳無さそうに告げた彼女の表情が視界を覆う。困ったり嫌がっている様子ではなかったのが救いか。 突然の事だったのだから、仕方がない。在利は顔を上げてランプの灯りに照らしだされる壁を見やった。この壁の向こう、隣の部屋にシャニアは居る。彼女は何を考えているのだろうか。 「うー……バカバカバカ!」 布団を頭から被り、再びバタバタと手足を動かした。すぐに落ち着くなんてできない。多分彼女の口から答えを聞くまで、落ち着くことはないのだろう。宿屋の薄い壁が自分の暴れる音を隣の部屋に伝えているだろうことは分かる。けれどもじっとしているなんて無理で。募りすぎてはじけた思いと衝動的にそれを伝えてしまった自分への後悔で、もうどうしたらいいのかわからなかった。 夜はまだ始まったばかりで長い。明日の朝までこの落ち着かない気持ちでいなければならないなんて辛すぎる。けれどもシャニアに詰め寄って無理矢理答えを聞き出すなんてできないししたくなかった。第一、夜分に女性の部屋を訪れることなんてできそうにない。 在利にできるのは、もだもだしながら夜が明けるのを待つことだけである。 *-*-* 隣の部屋で在利がバタバタモダモダしている音が、シャニアの部屋にも伝わっているはずだが、当のシャニアにはその音に関して意識を向ける余裕はなかった。シャニアは今、自分自身の想いと向き合っている。 ベッドサイドの小さな台に置いたランプが、柔らかい光で室内を照らしている。照らしだされるシャニアの表情は、告白を受けたにしては固い。考えることは、山ほどあった。 在利の気持ちが嬉しくなかったわけではない。それは大前提にある。けれども、シャニアが考えるべき問題は、沢山あるのだ。 まず第一に、二人は出身世界が違う。告白を受けてこのまま共に歩いて行くのだとしたら、どこに帰属するのかが問題である。元々在利は病を直して出身世界へ帰属を希望していた。おそらくその思いは変わっていないだろう。元気になった姿を両親に見せたい、そう思うのは当然だ。 対してシャニアは元の世界に帰属するつもりはない。元々の目的が『弟と共に別の世界で暮らすこと』だったので、帰属先が在利の世界になっても構わないのだ。 (でも……) シャニア側の条件は『弟と共に、出身世界とは別の世界に帰属する事』。ということは、在利には自分だけではなく弟のことも面倒をかけることになるだろう。異世界で暮らしていくには、シャニアの力だけではどうにもならない。その世界の住人であった在利の力が必要になるだろう。 (カルムの分まで頼ってしまっていいのかしら?) 在利はとても優しい。事情を話せば力になってくれるだろう。正直、ありがたい。けれども、負担を掛けたくはないとも思う。 告白を受けた時には正直、道が開けた思いだった。けれどもとまどいと遠慮が小骨のように喉にひっかかっていて、すぐに返事をすることができなかった。 弟を別の世界に移したい、その気持は変わらない。弟が病気によって得た莫大な魔力。元の世界にはそれを狙って動く悪い組織がある。彼らの目につかないところで安全に暮らさせたい、その思いは強い。これはシャニアがよくよく考えた上で出した結論だった。おそらく弟の養老父もそうするであろうと思うから、近いうちに弟にもそう話すつもりだった。 そんな時に在利から告白されて、ある意味渡りに船ではあるのだが……シャニアとの未来を望んでくれる在利に、弟の未来まで押し付けて背負わせていいものだろうか、結論は、でない。 在利という他人の関わることだ、一人で悩んでいても結論が出ないのは明白であったが……。 「はぁ……」 大きくため息を付いて、シャニアは首を振った。そして、根本的なところから考え直すことにする。 そもそも自分は、在利の告白が自分と弟の居場所を得るためにちょうどいいものだから、受けたいと思って迷っているのか――? 「……違う、断じて違うわ」 険しい表情を明かりが照らす。 「あたしは、在利くんのこと……」 過去へ記憶を遡ると、在利と過ごした日々が鮮明に思い出せる。その時の、シャニア自身の気持ちとともに。 最初の頃は可愛い男の子だと思っていたくらいだけれど、共に過ごしていくうちに彼の人となりを知って、彼の葛藤と懊悩を知って、彼が耐えてきた強い心を知って、彼の望みを知って、彼の、強さを知って――自分の心が動いていることに気がついた。 彼が自分に好意を寄せてくれていることに気がついていなかったわけではない。それでも気づかないふりをしていたのは……シャニアの心の奥深くに棲みついている人がいたから。 幼い頃から想いを寄せていた人がいる。不器用だけど本当は優しい彼。彼が今どうなっているのか、シャニアには知るすべがない。 気になって気になって気になって、忘れられなくて。いつも心の中がモヤモヤしていたけれど。このモヤモヤが気がかりで、恋愛感情としての好意を全面に出すことができなかったのだけれど。 「……?」 自分の胸に手を当てたシャニアは、小首を傾げた。 今は、どうだろうか? 彼のことは思い出せる。どうなっているのだろう、気になる気持ちはある。けれどもそれはそれまでのようなモヤモヤとしたものではなくて。例えるのなら昔の知り合いが、今どうしているのだろうとちょっと気になる、そんな感覚。 気がついてみればシャニアの心のなかに棲んでいるのは、彼ではなく在利になっていて。 在利の存在のほうが、とてもとても大きくなっていて。まっすぐに想いをぶつけてきた在利が、頭からはなれない。 「あたし……」 いつの間に、こんなにも在利のことを好きになっていたのだろう。とくんとくんと胸を打つ鼓動が、次第に早くなっていく。 モヤモヤなんてあの告白が、在利の真剣な思いが吹き飛ばしてくれていたのだ。 それに気がついてしまえば、今にも口の端から想いが溢れ出そうで。 勢い良くベッドから立ち上がったシャニアは、そのまま部屋を出た。 早く、早く在利に会いたかった。 こちらと向こうを隔てる扉なんて、もどかしいくらい邪魔で仕方がなかった。 *-*-* 「在利くん、在利くん、開けて。あたしよ、シャニア」 「えっ……シャニアさん!?」 ガタガタッ……ドサッ、ガンッ……。 扉一枚挟んだ向こうで、在利が慌てている気配がした。ゆっくりと気配が近づいてくるのが分かるほど、シャニアは感覚を研ぎ澄ませていた。自分の鼓動がうるさいほどに耳を打つ。 「ど、どうしたんですか? こんな、時間に……」 慌ててぶつけたのだろう、膝のあたりをさすりながら扉を開けた在利の瞳を、シャニアはまっすぐに見つめて。 「返事をしに来たの。お願い、中に入れて?」 「はっ……はぃっ」 熱を孕んだような彼女の緑色の瞳に、在利は吸い込まれるようだった。彼女を招き入れた後、扉を閉めて。 「ど、どうぞ、座ってくだ、さい」 恥ずかしさとドキドキと不安で頭と心がグルグルしている。声が裏返ってしまったが、シャニアは気にした様子がない。それに多少ほっとしつつ、テーブルを挟んだ向かいに在利は腰を掛けた。立っていると、緊張で倒れそうだった。 「あのね」 「は、はいっ!?」 シャニアの言葉に声が裏返り、シャンと背筋を伸ばす在利。どんな答えが返ってきても逃げないと決めていたが、思わず目を閉じて身体を硬くしてしまう。 「好きになってくれて、ありがとう。あたしも、在利くんのこと、好きよ」 「!?!?!?」 声にならない叫びが、在利の表情を借りて表される。 「でもね」 そう言葉を繋げられて初めて、想いが通じあったにしてはシャニアの表情が暗いことに在利は気がついた。 「あたし、在利くんに迷惑をかけてしまうと思うの」 「迷惑なんかっ……」 反射的に反論しかけた彼を、シャニアは片手で押しとどめて、言葉を続ける。 「弟の病気のことは知っているわよね。元の世界では、弟の魔力を狙う悪い人たちがいて……だからあたしは、元の世界には戻らずに、弟と一緒にどこか別の世界に帰属したいって考えてたの」 それならば僕の世界に来れば――在利は喉まで出かかった言葉を押さえて、彼女の話に集中する。 「あたしは在利くんが好き。でも、在利くんの優しさに漬け込んで、弟の分まで迷惑をかけたくはないと思うの。だから……」 言葉に詰まったかのように視線を落とすシャニア。その先は彼女自身も悩んでいることなのだろう。在利と共にいたい、けれども迷惑は掛けたくない。在利を想う気持ちが本物だからこそ、悩んでいるのだ。 「……」 「……、……」 沈黙が場を支配する。風もないのにランプの炎がゆらりと揺らめいた。 在利は今までのシャニアの言葉を思い出し、状況把握に務める。このままでは、お互いに良い結果には繋がらないことはわかる。そして、在利がもう一度頑張らなければならないことも。 シャニアは迷った上で一人で決めずに在利に相談するという道を選んでくれたのだろう。だったら、それに応えてあげるのが男というもの。話を聞くのが精一杯だった在利の頭が不思議とすっきりしてきた。わたわたするばかりだった中に、自信のようなものが湧いてくる。言葉が湧いてくる。彼女を守ってあげたいという暖かな気持ちが、在利を奮い立たせた。 「シャニアさん、僕は、『迷惑をかけること』と『頼ること』は違うと思うんです」 「……!」 「だから、遠慮なく頼ってください。僕は頼りないかもしれないけれど、精一杯頑張りますし、頼ってもらえるととても嬉しいです」 顔を上げたシャニアを迎えたのは、在利の優しい微笑みだ。 「僕はシャニアさんが好きです。これから一緒に道を歩んでいけたらいいなと思います。そんな中で、お互いに頼ったり頼られたりって普通のコトだと思うんです。僕だってシャニアさんに頼ることもあるかもしれないし……ううん、頼ってばかりかもしれない。けれども、僕はシャニアさんに頼られると嬉しいです。迷惑だなんて思ったりしません」 「在利くん……」 じわり、シャニアの瞳に涙が膜を貼る。思いつめていたものが柔らかく解きほぐされて、温かいもので包みこまれる感覚。 「それに、一緒に道を歩いて行くのにシャニアさんの弟さんが加わるなんて、素敵なことだと思うんです。僕、兄弟がいないので、とても楽しみですよ?」 そっと立ち上がり、在利はテーブルの向こうのシャニアの瞳へと手を伸ばす。伸ばした手は震えていて、カッコつけるなんてやっぱり無理だったけど、そっと涙を拭き取ると、シャニアの瞳にはっきりと自分が写り込んでいるのがわかった。 「シャニアさんがどれだけ弟さん思いなのか、僕は知っているつもりです。そんなシャニアさんに弟さんを捨てるなんて無理なことはさせたくないし、僕も無理はしないつもりです」 「……いい、の?」 シャニアの瞳に再び浮かび上がる涙。窺うような表情が可愛らしくて。在利は答える代わりに問う。 「僕と一緒に、僕の世界に帰属してくれますか?」 瞼を一度閉じると涙がポロポロと零れ落ちる。それを手で拭って、シャニアは頷く。 「こちらこそ、末永くよろしくね、在利くん」 やっぱりシャニアには、笑顔が一番似合う。 *-*-* 「……大丈夫?」 「だ、大丈夫です、ちょっと打っただけですから……」 シャニアに返事をもらうと、在利の身体から力が抜けた。よかったぁ~と吐き出しながら重力に従って身体をおろしたのだが、椅子ではない所に腰を下ろしてしまって。そのまま木の床にしたたかにお尻を打ち付けたのだった。最後までキマらないのが在利らしいというか。慌てて駆け寄ってきたシャニアに支えられるまま、二人でベッドに腰を掛けたのだった。 「在利くん、あたしのことを好きになってくれて、ありがとう。弟のことも受け入れてくれて、本当に有難う」 「なっ、お礼を言うのはぼ、僕の方ですっ……僕のこと、好きだなんて言ってもらえるなんて、思わなくて……」 先程あんなに落ち着いていたのが嘘のよう。在利の心臓は音を立てるのを思い出したかのように跳ね上がる。腕をちょっと動かせば触れる位置に彼女の身体があることも、鼓動が速くなる原因だろう。ふわり、甘い香りが近い。これは彼女の香りなのだろうか――? 「これからは、ずっと一緒なのよね」 こてん、彼女の頭が甘えるように在利の肩にもたれかかる。どくんっ! 大きく心臓が跳ねてびくっと身体も動きそうだったけど、そんなことをしたらきっとシャニアは気にしてしまうかもしれない。だから、こらえる。 「ず、ずっと一緒ですっ! シャニアさんが僕に飽きたとしても、僕がシャニアさんを飽きることなんてありませんから!」 「あらやだ、私だって在利くんに飽きたりなんかしないわよ♪」 そっと、互いに近い方の手に手を重ねて、恋人同士がするように握りしめる。伝わる熱さは自分のものなのか相手のものなのか、酷く曖昧だ。 自分の心臓の立てる音が相手に聞こえてしまうのではないか、そんな不安がよぎったものの、その鼓動までも愛してくれるだろう、なんて思えるようになっていて。 「在利くん」 ふと、突然肩にかかっていた重さが消えて。 「えっ?」 動いた影は、在利を正面から覆う。 「しーっ……」 繋いだ手を一瞬だけ離して繋ぎ直して。 影を見上げると、イタズラっぽい彼女の瞳が在利を覗きこんでいた。 ただ、それを認識できたのは、ほんの一瞬のこと。 「っ……!?」 近すぎて。シャニアの顔が近すぎて、それ以上は判別できなくなったのだ。 重ねられた唇。揺れるオレンジ色の髪からは、花の香が漂って。 近づいたことで強くなった花の香り。まるで、花を食べているよう――。 「今夜は、ずっと、そばに居てもいい?」 「えっ……えぇっ!?」 「離れたら、全部夢になって消えてしまうような気がして……」 とろんと潤んだシャニアの瞳が熱を持っているのが分かる。 (もしかして、食べられるのは僕の方なのかも……) 手をつないだまま、そっと寝台で寄り添う。 これから先もずっと、共に歩んでいこう。 永い、永い時間を――。 【了】
このライターへメールを送る