クリエイター天音みゆ(weys1093)
管理番号1558-24775 オファー日2013-07-21(日) 01:06

オファーPC セリカ・カミシロ(cmmh2120)ツーリスト 女 17歳 アデル家ガーディアン

<ノベル>

 手袋の下に汗をかいているのがわかった。部屋に向かう前から緊張しているのがわかったけれど、緊張しないなんて無理だった。
 手順の説明を受けた後、それを心の中で反芻しつつドアノブへと手を伸ばす。ゆっくりと扉を開けると、窓のない部屋に留まっていた空気が一気に流れ出てきたのを感じ取ることが出来た。
 白いタイルの床、白い壁に囲まれたその部屋の中。三人がけのワインレッドのソファと黒いローテーブルがある。そしてソファの向かいに置かれたロッキングチェアの上には、木綿で出来た真っ白い布に詰め物をして人の形に整えられた『ヒトガタ』と呼ばれるものが座している。まるでこの部屋の主のようだ、そう感じつつセリカ・カミシロはゆっくりと部屋の中へと足を進めた。
 この研究所の『ヒトガタ』というものがどのような機能を持っているか、この研究所が『ヒトガタ』を使ってどのようなサービスをロストナンバーに対して行っているか、セリカは知った上で訪れていた。つまり、『会いたい相手』がいるのである。
 それはインヤンガイへと帰属すると決まった今、会っておきたい相手、会っておかなければならない相手だった。出来ることならば直接本人に会って気持ちと言葉を伝えたかったが、それもままならぬ相手だ。けれども何も言わぬまま、永遠の別れとするのも躊躇われて。思案した末にセリカはここを訪れていた。
 『ヒトガタ』は会いたい相手に変化する。けれどもそれはその人本人になるわけではない。それも十分よくわかっていた。それでもよかったのだ。
 会って、伝えたいことを伝える。それがけじめ。一つの区切り。身勝手かもしれない。しかしなにもしないままでは気が済みそうになかった。心残りを抱えたままでは新しい人生へと歩みを進めることが出来ないかもしれない。
 だからセリカはここを訪れた。そして今、青い瞳に白いヒトガタを映したまま、ゆっくりとロッキングチェアに近づいていく。白い壁はともすれば距離感を曖昧にしたが、ロッキングチェアには確実に近づいていた。
「……、……」
 そっと膝を折って床につくとひんやりと冷たかった。ヒトガタと向かい合うようにして、見上げる。白いのっぺりとした面には当たり前だがどんな表情も浮かんではいない。
 恐る恐る手を伸ばし、ヒトガタの手を取る。手袋越しでも詰め物のごわごわとした感触はわかる。明らかに人の手とは違う。
 白と黒の手を重ねてその作り物の手を包み込む。すう、と深く息を吸ってからセリカは瞳を閉じた。


(シズネ様、シズネ様、シズネ様――!)


 心の中で強く思い描き、その相手の名を呼ぶ。こうすればヒトガタは姿を変えるのだと教えられた。
 セリカの会いたい相手は両親の死後、セリカを庇護してくれた女性。叔母に当たる彼女はセリカにいろいろなことを教えてくれた。それこそ生きるすべを教えてくれたと言っても過言ではない。
 一緒にいることが出来た時間は長いものではなかったけれど、今も未だ故郷にいるはずの彼女は紛れも無くセリカの恩人だ。
 どうしても会いたい。会って伝えたいことがある。


「!?」


 ピクリ、包み込んだヒトガタの手が動いたのを感じてセリカは恐る恐る目を開いていく。気がつけば手袋越しの感触は先程までとは違ったものになっていた。ゆったりと伝わって来るのは暖かな熱。弾力のある手触り。
 ゆっくりと、見つめる。
 セリカの視線の先、先ほどまでヒトガタののっぺりとした顔があったそこには、セリカの記憶のままのシズネの表情があった。
 物腰の穏やかな中性的な顔立ち。年齢を感じさせる要素の少ないその容姿。思わず居住まいを正してしまうほどの貫禄。
 穏やかな瞳でセリカを見つめるのは、あの時のままのシズネである。セリカの記憶の中の情報から構成されているのだから当たり前なのだが、シズネの姿を目の当たりにしたセリカにはそんなこともうどうでも良かった。


『シズネ様、私の声が聞こえますか……?』


 恐る恐るセリカはヒトガタに話しかける。それは声に出してではなくテレパシーで。
 通じるだろうか。通じればいい――そう願い、数瞬の沈黙をやり過ごす。


『……聞こえるわ、セリカ』
「!!」


 返ってきた答えはテレパシーを通じてのもので。もしかして通じないかもしれないと案じていたセリカの心の中の靄を一気に晴らしてくれた。美しく微笑みかけるシズネのその表情が夢ではないと語っていて、抱きついて甘えてしまいたい衝動をこらえるのが精一杯だった。
 感極まりそうになって唇を噛み締めていたかもしれない。その表情を見たシズネはぽつり、問うてきた。


『ごめんなさい、セリカ……私を恨んでいる?』
『えっ……そんなっ……!』


 確かに覚醒したばかりの時は、ひとり捨てられてしまったのだと思った。遠くにやられてしまったことを恨みに思った瞬間もあった。
 だが、握らされていた手紙でシズネの真意を知ってその気持はガラリと変わった。
 恨んでなど居るものか。
 父母を除く誰よりもセリカを愛し、案じてくれたシズネを、恨んだりなんてするものか。
 悲しみに濡れた瞳で自分を見つめるシズネに、セリカは何度も何度もかぶりを振って。


『シズネ様を恨んでなんていません。シズネ様の意図を理解できているつもりですし、寂しかったのは私だけじゃないと自惚れていいと思っています』


 だから聞いてください、床に膝立ちのまま、セリカはまっすぐにシズネの瞳を捉えた。


『私がこっちに来てから、随分経ちました。シズネ様の教えを受けて、私は一人でも立派に生きていけるって思ってた。でも、そんなわけなかった……私はやっぱり弱くて、何もできなかったんです』


 セリカの言葉をシズネは優しい瞳を真っ直ぐ向けて聞いてくれている。話の邪魔をしないように、だが自然に促すように時折頷きながら聞いてくれるその姿は以前から変わっていない。
 シズネはいつだってセリカの告解を受け止めて、そして導いてくれていた。


『私の力が及ばなかったせいで、たくさん失敗して、人を傷つけて、不幸にしてきました。何度自分に嫌気がさして、生きるのをやめたくなったかわかりません』


 言葉にするのは辛い。その時の痛みを鮮明に思い出すことになるから。それでもセリカは言葉を止めはしなかった。
 覚悟は決めてきた。過去を振り返る辛さを乗り越えて、そして先へ進む覚悟を。
 窓もない、扉も閉まった部屋の中で停滞した空気は、声の発する振動にかき乱されることなくセリカとシズネの肩に降り積もっている。
 沈黙の中、セリカから発せられる思いだけが鮮烈にシズネへと伝わっていく。
 思わず俯いて瞳を固く閉じたセリカ。瞼の裏に浮かぶのは、辛く苦しかった日々。
 だが、そんな日々を乗り越えられたのは。今を迎えられているのは。


『でも、シズネ様との「希望を持って生きる」という約束がいつも胸にあったから、私はそれを支えに頑張ってこれた。辛くても、前を向くことができたんです』


 重ねたままだった手にきゅっと力を込めて握りしめる。しっかりと顔を上げて、シズネを見つめる。上手く笑顔を浮かべられているだろうか。
 涙を堪えるのはこんなにも難しいことだっただろうか。眼の奥に力を入れて、一秒でも長くシズネの顔を見つめていられるようにと心がける。
 でも。


『そう。頑張ってきたのね。そして、これからも頑張っていくつもりなのね』


 きゅ、とシズネの右手がセリカの手を握り返した。するりと抱擁を逃れた左手は、空中を滑るようにしてセリカの頭へと乗せられる。
 ゆっくりと、ゆっくりと。シズネの左手はセリカの金の髪を撫でていく。


『あなたはもう、私がいなくても大丈夫なのね』


 違います――そう言おうとして開きかけた口をセリカはつぐんだ。
 シズネの言葉は正しくはない。けれども間違ってもいないのだ。
 セリカはもう二度と、シズネの元に帰ることはない。けれども、記憶の中にあるシズネと、シズネと過ごした時間が消えるわけではないから。


『……私、大切な人達が出来ました』


 そう絞り出した時、チクンと心が傷んだのはやはり罪悪感だろうか。
 シズネの表情が少し悲しげに歪んだように見えたのは、自惚れからだろうか。


『違う、違うんです……シズネ様が大切な人ではなくなったわけではないんです』


 慌てて首をふると、金の髪がさらさらと揺れた。
 わかっているわ、落ち着いて――シズネの左手が、優しくセリカの頬を受け止める。


『彼らはこんな私のことが必要だって、そばにいて欲しいって言ってくれたんです』


 脳裏に浮かぶ彼らの姿。こんな自分を受け入れてくれると言ってくれた。自分に、居場所をくれると言ってくれた。
 必要としてくれた。だから、応えたいと思ったのだ。


『私、その人達のためにこれからの人生を捧げたい』


 つ、と頬を伝い落ちる涙はなにゆえか。
 左の雫はシズネの指によってせき止められ、右の雫はセリカの緩やかな輪郭にそって滑り落ち、スカートにシミを作った。


『だからシズネ様とこうしてお話することは、永遠にできなくなってしまう。だから、最後にお別れを言いたかったんです』
 

 瞳を覆う涙の膜でシズネの顔が見えなくなってしまう。これが最後なのに。
 セリカは一度瞳を閉じて、光る涙をほろほろと落とした。
 次に瞳を開けた時、シズネの顔がとてもとても近くにあった。セリカと同じように床に膝をついたシズネが、吐息の届くほど近くに顔を近づけていた。


『顔をしっかり見せてちょうだい。これが最後だというなら、なおさら』
『……はい』


 シズネはしっかりとセリカを視界に納め続ける。セリカもまた、脳裏に焼き付けるようにシズネの顔を見つめた。
 すっとシズネの顔が近づいて、こつん、と額と額が合わさった。昔も良くこうしてシズネは額を合わせてきた。セリカに何かを言い聞かせようとしているのだ。


『あなたを必要としてくれる人が居るという幸福に、私は感謝をしなくてはならないわね。私は、あなたが生きがいを感じてくれるということ、幸せを分けてくれる人に出会えたということ、それがとても嬉しいわ』


 だから。言葉を切ったシズネはセリカの頭をその胸に抱え込んだ。記憶にあるいい匂いがセリカの体から力を抜いていく。


『あなたが与えられた嬉しさや幸せ以上のものを、その人達へお返ししなさい。どれだけ時間がかかっても構わないの。途中で立ち止まっても構わないわ。あなたが捧げるこれからの人生のどこかで、お返しするのよ。与えられることに慣れてしまった者に幸せはやって来ないわ。一方的では駄目』
『はい……でも私、シズネ様からは与えられる一方で……』
『そんなことないわ。あなたの知らない所で私はあなたから、たくさんのものを与えてもらっていたのよ。だから、気にやまないで。前へ進みなさい』


 セリカは抱きしめられたまま、何度も何度も頷いた。
 最後までシズネに背中を押してもらうなんて。けれどもきっとどこかでそうしてほしいと思っていたのだろう。なんだか心が少し軽くなったような気がして。
 そっと腕を伸ばし、シズネの背中に回す。きっとこれが最後の抱擁。


『私……相変わらず勝手でごめんなさい。でもこれを最後にします』


 これが最後、だから――背中に回した手に力を入れ、しがみつくように抱きついた。


 *-*-*


 どれくらい抱きしめあっていただろう。セリカは異変を感じて顔を上げた。
 セリカの身体に覆いかぶさっているのは、シズネの心地良い重みではなくて。軽い、詰め物のされた人形の重みで。
 抱きしめられていた腕も、今はだらりと垂れ下がっている。
 ヒトガタの身体はまだ温かかったけれど、じきに冷たくなっていくのだろう。


「――」


 セリカはそっとヒトガタを抱き上げ、ロッキングチェアに座らせる。
 キィ……と軋みを上げてチェアがゆらりと動いた。


「ありがとう……さようなら、シズネ様」


 もう二度と、逢うことはない。それはセリカが決めたことだった。
 別れの言葉を紡いで、セリカは立ち上がる。扉に向かう彼女は一度も振り返らなかった。
 それはまるで、彼女の強固な決意を表しているようだった。



    【了】

クリエイターコメントこのたびはオファーありがとうございました。
如何だったでしょうか。

帰属前にこんな別れがあったのですね。
少しでも、当ラボがお役に立てたのでしたら幸いです。
タイトルは「えいけつのとき」と読みます。

重ねてになりますが、オファーありがとうございました。
公開日時2013-10-23(水) 00:00

 

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