オープニング

 ターミナルに、「無限のコロッセオ」と呼ばれるチェンバーがある。
 壱番世界・古代ローマの遺跡を思わせるこの場所は、ローマ時代のそれと同じく、戦いのための場所だ。
 危険な冒険旅行へ赴くことも多いロストナンバーたちのために、かつて世界図書館が戦いの訓練施設として用意したものなのである。
 そのために、コロッセオにはある特殊な機能が備わっていた。
 世界図書館が収集した情報の中から選び出した、かつていつかどこかでロストナンバーが戦った「敵」を、魔法的なクローンとして再現し、創造するというものだ。
 ヴォロスのモンスターたちや、ブルーインブルーの海魔、インヤンガイの暴霊まで……、連日、コロッセオではそうしたクローン体と、腕におぼえのあるロストナンバーたちとの戦いが繰り広げられていた。
「今日の挑戦者はおまえたちか?」
 コロッセオを管理する世界図書館公認の戦闘インストラクター・リュカオスは、目の前で既に火花を散らし睨み合う二人の少年を眺め見た。
「てめェは前から気に喰わなかった」
「奇遇だな。俺もだ」
 ポケットに手を突っ込み、リュカオスそっちのけで今にもおっぱじめそうな勢いのグレイズ・トッドとリエ・フー。
 年格好と生い立ち――否、何よりもその性格の相似が、共感と反感の入り雑じった複雑な感情を互いに抱かせているのに違いない。
「あー……ええと。おまえたちがどんな強敵と戦うことを望むのか、聞かせてくれ」
 既に所在無さげなリュカオスに、二人は血走った視線を向ける。
「んなモン決まってんだろ」
「見りゃあわかんだろ」
 確かに、既におっぱじめそうな勢いであることだけはリュカオスにもわかっていた。だが、万一ということもある。このコロッセオの管理を一手に担う者として、確認を怠るような半端な真似をするわけにはいかないのだ。
「念の為の、確認だ。……それで、結局お前たちは何と戦か」
「「だからコイツで良いつってんだろ!」」
 同時に噛み付く二人に、リュカオスは面食らったように目を見開いた。
「そうか……まぁ、何だ。訓練とはいえ、勝負は真剣だ。大きな怪我など負わぬよう気をつけてくれ」
「気をつけろってよ、てめぇが弱そうだから気ィ使ってくれてんぞ」
「ああン? 間違いなくてめぇにいってんだろうが」
「ふざけんな、てめぇだろ」
「てめぇの方がふざけんな」
「ああン?」
「ぁあ?」
 既に互いの肩でどつき合いを始めた少年たちに、リュカオスは本気で所在無げに視線を彷徨わせた。
 世界図書館が用意した訓練施設――この二人は一体何の訓練をするつもりで此処へ来たのだろうか。
 何をどう考えても訓練の類をしに来たとは思えない。
 リュカオスは啀み合う二人を順に見遣り、心を決めたように咳払いを零した。
「用意はいいか?」
 返答代わりにがんと額を突き合わせ、ぎりぎりと歯を鳴らし睨み合う二人。
 既に額に血管が浮いている。
 ごくりと、リュカオスの咽喉が鳴った。
「では……、健闘を祈る!」
 彼がそう発した途端、世界がみるみる歪みゆく。
 薄汚れた空気に、陽の射さぬ路地。
 灰色の埃を巻き上げ、どこか懐かしくも遠い香を纏った風が二人の鼻腔を擽った。
 野良犬と虎、弱肉強食のプライドを賭けた勝負の行方は――!?

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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>
グレイズ・トッド(ched8919)
リエ・フー(cfrd1035)

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品目企画シナリオ 管理番号1831
クリエイター聖(wuyd3440)
クリエイターコメント さぁ、零距離から始まりましたお二人のバトル。
 先ずは一発、最初にがつんと決めるのはどちらでしょうか!
 というわけで、お久しぶりとはじめまして。当企画シナリオの担当をさせて頂くことになりました、ライターの聖と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
 スタイリッシュに決めようと思いましたが、どう考えても泥臭くなりそうです。
 ルール無用の大乱闘。常日頃の鬱憤を晴らすべく、どうぞお好きなだけ殴りあってくださいませ。

・試合方針
 以下のどちらの方針でやり合うのか、お二人の間で確りと話を合わせてください。
 1.能力を使わず、力の限りに殴り合う(拳と拳の熱い語り愛)
 2.能力を用いての全力バトル(本気も本気の殺し愛)
 プレイング冒頭に上記どちらかの数字を打つだけで構いません。
 何か特殊なルールを設ける場合のみ、詳細ご記載頂ければと思います。

・戦場
 お二人の記憶から再生されたスラム街です。
 砕けた瓶にドラム缶。歪んだ鉄パイプに風に翻るボロ布――と、様々なモノが無作為に転がる、荒涼とした広場がお二人の現在地となります。
 ほんの少し往けば、薄暗く、複雑に入り組んだ狭っ苦しい路地や、意味不明な袋小路などもございます。
 互いの記憶が混合し再生されておりますので、自身の見知った路地に入っても、その先は別世界になっているかもしれません。

・戦い方
 そのまま広場で殴り合うも良し、小路へ誘い込み、智謀の限りを尽くした嵌め合いに発展させても構いません。
 この辺りもどういった方針でいくのか、話し合っておくことをお勧め致します。
 その辺に転がっているであろう小物(瓶や角材など)の使用もOKです。
 また、簡易なトラップと判断できるものであれば設置可能です。全力で釣ったり、嵌めたつもりが嵌められたりしてみるのも良いでしょう。

・初撃
 運も実力。
 攻撃・防御・回避に於いてダイスを振って判定します。
 プレイングの心意気が成功確率を左右しますので、どれだけ本気でぶん殴りたいのか、全力で躱して茶化してやるのか、はたまた殴られてでもぶん殴ってやるのか――兎角熱く猛る思いをプレイングにぶつけてください。
 ここでのダメージが後の戦闘に影響を与える可能性も多分にあります。

 尚、闘技はリュカオスさんが確りと見張っておりますので、暴走の極みに到ったとしても、どちらかが死ぬ前には全力ゲンコで止めてくれると思います。
 それではお二方よりの渾身のプレイング、正座でわくわくお待ち致しております。

参加者
リエ・フー(cfrd1035)コンダクター 男 13歳 弓張月の用心棒
グレイズ・トッド(ched8919)ツーリスト 男 13歳 ストリートチルドレン

ノベル

 刹那、二人の視線が交差する。
 砂塵まく風と共に、グレイズ・トッドの拳が唸りをあげた。
「俺はてめぇが嫌いだ。理由はしらねぇ。ただ、気にくわねぇ」
「ああ、そうかよ。俺も同じ気持ちだぜ!」
 握り締めた拳が風を抱く。
 力の限りに撃ち付けたそれが、音を立て砕いたのは――炎。
「クソッ!」
 瞬時に何が起こったのかを理解し、グレイズが舌を打つ。
 じりりと肌の焼ける感覚を味わいながら、視界に纏わりつく炎を手で払い即座に飛び退いた。追撃に備え身構えたが、明瞭になった視界の中既に相手の姿は其処にない。
「ちっ……ふざけやがって」
 肌を焼く匂いに、グレイズの眼に険が走る。
 熱い、あつい、アツイ。
 どろり、腹の奥底から湧き出でた何かが肺肝の真芯で蟠る。
 金の眼に燻る炎が、小さな路地の姿を捉えた。
「乗ってやろうじゃねえか」
 そう吐き捨て、グレイズは闇と静寂の中へ身を躍らせた。

 ――ハッ、ざまぁみろ。
 薄汚い路地の奥、闇は延々蔓延って居る。
 複雑に入り組んだ路を右へ折れ、真っ直ぐ進んで今度は左へ。自身の記憶の中のモノとは似て非なる風景に、リエ・フーは僅かに顔を顰めた。
 この場所は嘗て其々が仲間と共に生きた『記憶の中のスラム』を織り交ぜ作り上げられた街。
 見覚えのない部位はほぼ相手の記憶によって産まれた物なのだろう。無秩序と荒廃を表すくすんだ景色は、どこも大して変り栄えしないものだ。
 闇の中転がる瓶を拾い上げれば、手のひらに感じる確かな重み。
 このチェンバーはご丁寧に『中身』まで再現してくれているらしい。
 リエは薄く口端を引くと、キャップに手をかけ辺りを見回した。
 木っ端と砂とに埋もれたボロ布を引き摺り出し、手早く細工を施していく。
 微かに耳に届いた足音に、リエは静かに笑みを深めた。

 走る、走る、走る。
 グレイズは路地の先を駆けるリエの背を捉え、ふと眼を細めた。
「逃がすか!」
「おっと危ねえ」
 忽ち足下を氷付けにされたリエは、咄嗟に壁を蹴り飛んだ。建物から建物へと伸びるロープを引っ掴み、思い切り壁を蹴りつける。
 足先を掠めた氷塊が壁にぶち当たり、派手に砕け散った。
「鬼さんこちらっと」
 リエは嗤いながらロープの反動を利用し、曲がり角の向こうへと姿を消した。
 グレイズは舌を打ち、再びリエの後を追って走り出す。
 角を曲がりその先へ視線を走らせるが、既にその姿はない。
「チッ……逃げ回って時間稼ごうってんじゃねえだろうな」
 揺れるロープを手で払い、氷の欠片を踏み潰す。
 ふと物陰から飛び出した影に、グレイズは反射的に氷柱を投げつけた。
 一本目は炎が包み込み、二本目はぶちまけられた塵を喰らって道の隅で爆ぜ上がる。
「よお、野良の割りに随分と鈍臭えなあ」
「おちょくってんじゃねえ」
 嘲笑うリエにグレイズの眼が鋭さを増す。
 路地を駆る影が、不意に動きを止め振り向いた。
 顔を顰め、けれど怯むことなく肉薄するグレイズに、リエは口端を引き妖艶に笑ってみせる。
「おう、てめぇにいいモンご馳走してやるよ」
 一直線に突っ込んでくるグレイズ目掛け火炎瓶を放る。
「特製グレイズ・カクテルってな」
 地面で弾け砕けたそれは忽ち炎を上げグレイズの足に纏わりついた。
 ニッと口の端を引き、リエが路地の角へ手をかける。グレイズはその背に思い切り氷柱を投げつけた。
「……くそ不味ィモン喰わせやがって!」
「っと」
 ぐと足を踏み込み身を低めたリエが、その背に追い縋るグレイズの顔をちらと見た。
「おらよ、もう一杯土産にやるぜ」
 爆ぜる硝子に腕を翳し、グレイズは益々表情を険しくした。
 忌々しい――燃え盛る炎を仇のように睨み据え、そのままの鋭い視線を走り去るリエへ向ける。
 その周囲を異様な冷気が漂い、足元からびしびしと氷が這い出でた。
 一直線に駆けゆく氷が影を追い越し足場を奪う。
 舌打ちし地を蹴り飛んだその先、壁までもが凍てつきリエの体勢を崩させた。
 そこへグレイズが突っ込んでくる。
 身を捻り、強烈な一撃を受け止め吹っ飛んだ。
 体勢を立て直しながら、リエは口端を拭う。
 ――あいつは氷、俺は炎。
 正反対の属性なのだから、反発し合うのも当然なのかもしれない。
 胸元へ飛び込む氷の刃をギリギリのところで退き躱す。
 グレイズはリエのギアを凍らせようと試みるが、何しろ的は小さくちょこまか動く。
 その上守り易い位置に在る物を狙うのは些か効率が悪い。グレイズは即座に照準を切り替えた。
 その右腕を這い下る氷が次第に鋭さを増してゆく。
 湛える色は純なる蒼。
 思い切り振り下ろされたその刃を、リエは咄嗟に飛び退き躱した。
 二撃目が胴を薙ぎ、三撃目が頬を掠めゆく。
 グレイズの怒涛の攻撃を擦れ擦れで躱しながら、リエが舌打ちを零した。
 獲物の息の根を止めんとする野良犬の眼が、迷うことなく自身の急所を射抜いている。
 心臓を抉らんとする一撃を寸でで身躱し、リエは硬く冷たいグレイズの右腕を捕らえた。突進の勢いを殺さず、足を払って放り投げる。
 派手な音を撒き散らし、グレイズが黒ずみ湿気った木箱に突っ込んだ。
 隙を与えずリエの大極図が爆炎を上げる。
 同時に氷の砕ける音が響き、リエの視界を奪うようにボロ布が舞い飛んだ。
「くそっこの野郎!」
「ちっ」
 再度足元に大極図が浮かび上がるのとほぼ同時、グレイズは氷で足場を作り壁を駆け上る。
「尻尾捲いて逃げんのかよ、野良犬野郎!」
「ぁあ? てめぇ調子ん乗ってんじゃねえぞ!」
 瞬間的に頭に血を上らせたグレイズが壁を蹴り、生み出した氷塊を一直線に投げつける。
 かまいたちによって真っ二つに切り裂かれた氷塊が、グレイズの頬を掠め後方へ飛んでいった。
 下降の勢いに任せ踏みしめた地面が、ずむと鈍い音を立て歪む。
「こっちの台詞だぜ」
「くたばりやがれ!」
「てめぇがな!」
 グレイズが氷の刃を振り下ろすと同時、リエの大極図から炎が噴き上げた。
「……く、そっ」
「ぐ……う」
 腕が、足が、焼け爛れ瞬間的に沸騰した血肉が、グレイズの肌から吹き零れては気化してゆく。
 グレイズが呻き、よろめいた。
 その様子をどこか沈毅さを保った眸で見下ろしながら、リエが数歩後ずさる。
 ぽたりぽたりと地面を濡らす紅い雫に顔を顰め、リエはぐと左肩を押さえた。
「はっ相打ちなんざ冗談じゃねえ」
 微かに嗤い、血飛沫を散らしグレイズが氷柱を投げつける。
 リエは反射的に木箱を蹴倒し路地へ駆け込んだ。
「くそ!」
 角へ差し掛かったところで路地を氷が這い回る。
 壁を蹴り飛び退いたリエの着地点へと氷塊を叩き落とし、グレイズはその背へ飛び掛った。
「ちょろちょろ逃げてんじゃねぇぞ、小虎!」
「そこかしこ凍り付けにしてんじゃねぇよ、糞犬が!」
 地に叩き付けられ砕けた氷塊に背を打ちながら、リエが右腕を振り抜いた。
 近距離で放たれた真空の刃がグレイズの脇腹を深く裂く。
 二人の視界に鮮血が迸った。
 グレイズはよろめき、それでも歯を食い縛りリエへと突っ込んでいく。
 鈍く深い衝撃に、リエは視界が白むのを感じた。
 けれどそれは一瞬のこと。
 ぎりと食い縛った歯列から熱い吐息を零し、グレイズの襟首を握り締めぐいと引き上げた。
「おい、てめぇ何勝手に休んでやがる」
 力なく擡げられたグレイズの顔が、リエを見てふと小さな嗤い声を零す。
「別に休んじゃいねぇ、てめぇを捕まえてたんだよ」
 僅かに眉を顰めたリエの胸座を、グレイズが掴み上げる。
 それと同時、グレイズの左手が炎に包まれた。
「なっ」
 炎が咽喉を這い、顎を伝い、頬を駆け上ってゆく。
 空食み肌嘗める炎に、リエは顔を歪めてグレイズを押し退けようとした。だがグレイズは逆にその腕を捕らえリエの眼を覗き込む。
「……今まで散々燃やしてきたんだろ? 逆に燃やされる気分はどうだ?」
 ――燃え尽きるまで、逃がさねぇぞ。
 じりりと肌を焼く炎の向こう、金の眼に宿るのは復讐のいろ。
 炎に抗うリエの姿が、記憶の中の何かと重なり大きくぶれた。

 火は、嫌いだ。
 人が燃えてるのは、嫌いだ。

 燃え盛る己の左手を見て、グレイズは僅かに首を傾げた。
 ゆっくりと、その先へと視線を移す。
 金の眼と金の眼とが、かち合った。
 その瞬間、撃ち抜くような衝撃がグレイズの胸を駆け抜けた。
 ――あぁ、そうか。
 一瞬眼を見開き、グレイズは微かに首を横へ振る。
 グレイズの瞳の中で、リエが――『あいつ』が炎を纏い藻掻き苦しんでいる。
 違う、そうじゃない。
 グレイズはもう一度首を振った。
 けれど、もう遅い。
 気が付いてしまった。
 自身の中で二人の姿がぴたりと重なった。その事実は最早覆しようがない。
 似ている。
 似ているんだ。
 俺に、そして――あいつにも。
 瞬くことも忘れたように、グレイズは炎に捲かれるリエの姿を凝視した。
 あいつは、人を惹きつける力があった。
 あいつは、頭が良く回る奴だった。
 あいつは、俺の目の前で。
 藻掻いて、藻掻いて、藻掻いて、死んでいった。
 何もできなかった。
 俺は、何もできなかった――ふるりと、微かにグレイズの左腕が震えた。

 あいつが――あいつが、生きていたら。

 何度も、何度も、グレイズは首を横へ振った。
 気が付いてしまった。
 自分が、リエを嫌う本当の理由に。

 ――おい。

 不意に、その闇と静寂とを打ち破るような声が響く。
「浸ってるとこ悪いけどよ、そろそろ終いにしようぜ」
 同時にグレイズは、顎の砕けるような衝撃を受けて吹っ飛んだ。
 跳ねて転がり、木っ端を吹き散らす。壁にぶつかって動きを止めたグレイズは、脇腹から迸る引き攣れるような痛みに現実へと引き戻される。
「ぐっ……てめぇ、クソ痛ぇじゃねぇか」
「てめぇこそクソ熱ィんだよ」
 ぜいぜいと両肩で息を吐きながら、リエは真空の刃を放ち背後の氷塊を粉微塵に破壊した。
「てめえと俺はそっくりだ。初めて会った時から他人たあ思えなかった」
 がしゃりと音立て氷を踏み砕く。
 顔を顰め、地に這い蹲る野良犬を見下ろす。
「その癖やることなすこと癇に障る」
「そいつはこっちの台詞だ」
 吠える犬をはっと鼻で笑い飛ばし、リエは低く身構える。
「どっちが強えか、サシでけりつけてやる」
 グレイズもまたその言葉に答えるように、傷口を押さえながらゆらりと立ち上がった。
「上等だ」
「びびって逃げんなら今の内だぜ、野良犬。所詮その程度だって笑ってやらあ」
「んだと?」
 ぴくりと顔を引き攣らせたグレイズの額に青筋が立つ。
「俺がてめぇ如きにびびるかよ!」
「吠えてねえでかかってこい、虎の意地見せてやる!」
 半ば笑いながら、リエがかまいたちをぶっ放す。
 一撃、二撃、砕け飛び散る氷の盾や木っ端と共にグレイズが飛び出した。
「その生意気な口二度と叩けねぇようにしてやるぜ、小虎!」
 放たれた氷塊が眼前に迫る。
 咄嗟に後方へ飛び退いたリエの炎が、氷塊を地へ張り付け派手に砕き割る。
 吹き付ける熱風が、グレイズの身体を斜に駈る氷の膜を呑み込んでゆく。
「てめえも野良犬なら野良犬らしく喉嗄れるまで吠えてみろ、あがいてあがいてあがき抜け!」
「るっせぇ!!」
 その叱咤に逸る衝動を抑えきれない。
 グレイズの焦げ付いた右腕を炎が駆け上る。
 左腕とは勝手が違い、御しきれずに皮が引き攣れ、拉げ、弾けた。
 血肉が滾り、ぶすぶすとくすんだ音色を奏でている。
「上等じゃねぇか」
 燃える右手に構う素振りも見せぬグレイズに、リエははっと嗤い自身のギアを封じた。
「なっ」
 あまりに唐突なギアの解除に、グレイズは眼を見開いた。
 だがリエは薄い笑みを浮かべたままだ。
「小細工ぬき、最後まで立ってたほうが勝ち。これで恨みっこなしだろが」
「……やっぱりてめぇは気にくわねぇ。俺の前から消えろ」
 ぎしりと奥歯を噛み締め、グレイズは燃える右腕で殴りかかった。
 リエもまた素手の拳を握り締め、怯むことなく一直線に突っ込んでゆく。
 リエの左頬に衝撃が迸ると同時、グレイズの左頬にリエの右の拳がめり込んだ。
 焼け爛れた右腕に響く衝撃と、共鳴するように脇腹に痛みが迸る。その痛みに、一瞬グレイズの意識が飛びかけた。
 ぐらりと揺れたグレイズの腹に思い切り左の拳をぶち込み、リエはそのままの勢いで顔面に膝蹴りをくれてやる。
 グレイズの視界が大きくぶれて、勢い良く鼻血が噴出した。
 ずるりと身を引き距離をとると、ぜぇぜぇと大きく息を吐きながら口の端を拭うリエを睨み付けた。
 嘗ての友の姿が、目の前に立つリエの姿と重なっては解けを繰り返す。
 明滅を繰り返す壊れたランプのように。
 視界からその姿を払えない。

 頼む――頼むから、消えてくれ。

「くそぁああああああっ!」
 渾身の力を込めグレイズが殴りかかる。咄嗟にガードしたリエの左腕の肉が大きく歪み、めきりと何かのひび割れる音が骨を伝い、脳を震わせた。
 緩んだガードの隙間からグレイズの左膝が突っ込んでくる。
 大きく身を折ったリエの襟首を掴み上げ、グレイズは思い切り顔面に拳を叩き付けた。
 突き抜ける衝撃の侭リエが背面へと傾けば、グレイズもまた支え切れず縺れ倒れ込む。
 覆いかぶさるグレイズの腹を蹴っ飛ばし、リエが立ち上がろうとする。その左腕を力の限りに引っ掴んだグレイズが、リエを引き倒し思い切り地面へ叩き付けた。
 二匹の猛獣はそのまま泥まみれの殴り合いを続ける。
 一発、また一発。
 ふらふらになりながら渾身の力を込めて拳を振るう。その度二人は折り重なっては地べたへ倒れ込んだ。
「ぐぁ、くっそいってぇ!」
「畜生、いてぇぞこの野郎ぁ!」
 リエが左腕を押さえて転げ回るその横で、グレイズが脇腹を抱えて転げ回った。
 血と泥と火傷に塗れながら、二人はまたゆうらり立ち上がる。
 大きく息を吐き、グレイズが殴りかかった。足が上がらずつんのめる。崩れた体勢で放った拳は、けれどリエの左肩を打ちつけた。
 痛みのあまり呻き仰け反ったリエに、そのままの勢いでグレイズが凭れかかってくる。
 堪え切れず、倒れ込む。
 ぐったりとして動かないグレイズを押し退け、蹴り上げてリエが膝をつき立ち上がろうとする。
「逃、がさねぇ……ぞ」
 ぜぇぜぇとズボンの裾を握り締めたグレイズの胸倉を掴む。けれど持ち上がらずに、リエはそのままぶん殴った。
「おい、てめ……起きろ、こら」
 押し潰されるようにグレイズの額が地面へ減り込む。
 もう一発、リエは地を穿つように拳を振り下ろした。
 無言で地面に顔を突っ込んだグレイズは、血反吐を吐きながら最後の力を振り絞り思い切り足を振り上げる。
「あ゛ぁああああっ!!」
 重力に従い倒れた足はリエを横薙ぎに張っ倒す。がんと勢い良く頭を打ちつける音が路地に響いた。
「起……きてんだ、よ、くそが」
「うぅ……てめ、この」
 リエが頭を抑えて蹲る。幾度か上体を引きずり起こそうと暫し苦心した後、リエは諦めたように腕を放り、ぱたりと仰向けに寝転んだ。
「あー……くそっ」
 派手に腫れ上がった瞼の下、グレイズは充血し切った金の眼でその姿をじっと見詰めていた。
 彼はもう、指の一本さえ動かすことができなかった。
「……くそ、だっせぇ」
 ぽつりと零されたその言葉に、リエがふと口の端を引く。
「元からだろ」
「ぁあ? やんのかてめぇ」
「へろへろのてめぇに何ができるっつんだコラ」
「この、くそ小虎……! 今すぐトドメ刺してやらあ」
「上等だ。かかってこい、この……糞犬!」
 仰向けに倒れたまま二人は動かない。
 否。もう、起き上がる力も残っては居なかった。
 温い風が砂塵を舞い上げて、狭っ苦しく薄汚い空を雲が流れ行く。
 不意にリエが笑い声を零した。
 怪訝な眸を向けるグレイズの目の前で、リエは痛みに呻く。
「ヘッ……ざまあねえ」
 そういって嗤ったグレイズもまた、痛みのあまりに呻き声をあげた。
 リエがまた、くくと小さな笑い声を零す。
「……なあ、グレイズ」
「ああ?」
「俺とお前、笑っちまうくらいよく似てやがる」
「……ああ」
「炎と氷、相性は最悪だが……久しぶりに全力出して燃え尽きた。イイ喧嘩だった――謝謝」
 そういっていつもの笑みを浮かべてみせるリエに、グレイズは一瞬、何かを言おうと口を開いた。
 けれどそれは言葉にならぬまま、彼は舌打ちをして眸を閉じる。

 ったく――笑顔まで、似てやがる。

 瞼の裏、明滅を繰り返す金と黒。
 紡ぐ言の葉は咽喉の奥へとけてゆく。

クリエイターコメント 今回の戦い、僅差ではありますがリエさんの勝利です。
 けれど互いに燃え尽きるまで力を出し切った好い戦いだったと思います。
 リュカオスさんもきっとお二人の戦いを眺めながら、止めるべきか否か大いに悩んだことと思います。止めたら止めたで双方から思い切り咬み付かれそうですし……!
 血肉泥塗れな戦いは大好物だったので執筆も燃えました。燃えすぎて何か大変なことをやらかして居らぬよう祈りつつ。
 この度は企画ノベルをご依頼頂きありがとうございました。
 少しでも楽しんで頂けていれば幸いです。
公開日時2012-06-07(木) 22:40

 

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