オープニング

 遠く、黒い雲がいくつか浮いている。空はまだ青く、蝉の鳴く声が響いていた。
 リエ・フーはうんざりとした顔で空を見上げ、降り注ぐ陽光から目元を覆い隠すように片手をかざしながら口を開けた。
「なあ。はやいとこ見つけて連れて帰ろうぜ。暑くてかなわねぇよ」
 九月とはいえ、いまだ肌を射るような夏の日差しに、小さな舌打ちをする。
 リエの声をうけて身を動かしたのは、リエとそれほど身丈の違わぬ大きさのイタチだ。流渡という名のイタチは、その身を夏用の和装で包み、編み笠をかぶって、赤みがかった黄土色の体毛を風に吹かせて目をすがめる。
「とは言いやすがネ、旦那。ここはご覧の通りの山村ですぜ。里に比べりゃあ、ずいぶん涼しいってもんでありやせんか」
 手に持つ提灯に火は点いていない。言いながら、流渡は周りに広がる深い山々の景色に眺めいった。
 リエはわずかに肩で息をつく。
 
 壱番世界。東北に位置する遠野の地に降り立ったふたりが請け負ってきたのは、ディアスポラが確認されたロストナンバーの保護だった。
 かつて、とある文豪がイーハトーブ――理想郷と称したこの地は、妖怪や怪異にまつわる民話を多く抱える土地でもある。
 山々に囲まれた東北の地は、確かに、都会などに比べればいくぶん涼しくはあるのだろう。けれど、遠野もまた盆地である。日中はそれなりに気温も上がるのだ。
 四季の移ろいも気温の変化もない0世界を活動の拠点とするロストナンバーたちにとっては、――ましてリエのように、夜に活動することが多かった者にとっては、夏の日差しは凶器とも呼べるものだ。
 
「てめぇも、どっちかっていうと夜の側のモンじゃねぇのかよ」
 吐き捨てるように言いながら、イタチ姿の妖怪を一瞥した。
 しかし、流渡はリエの言などそもそも聞こえていないかのように、慣れた足取りであぜ道を歩きすすめる。
「なんでも、あの司書さんの話によりゃあ、この地にゃアあっしみてェなのがごろごろいるって事だそうで。その新しいロストナンバーってェのもあっしみてェなやつなんでげしょ?」
 数歩ほど先を歩きながら流渡は肩ごしに振り向きリエを見る。リエは暑さのせいで気乗りしないながらものろのろと歩きすすめた。
「どんなナリしてやがんのかとか、まるで教えちゃくれなかったがな」
「まァまァ。司書さんが言うことにゃァ、緊急を要するような事ァないだろうってことでやんしょう。のんびりやりやしょうや、旦那」
 火の点いていない提灯を揺らしながらそう言って、流渡は再びあぜ道をひょいひょいと飛ぶように歩く。

 見れば、ふたりが歩くあぜ道からほど近くにある田の中で、何やら祭りなども催されているようだ。
 曲がり家、愛宕神社、五百羅漢。あるいはカッパ淵、早池峰古道跡。遠野という地には多くの観光スポットもある。
 ふたりが遠野を訪れたのは、折しも、祭儀が行われる時期でもあったらしい。
 山々から吹いてくる風にのり、神楽が賑々しく広がっていた。

 
 その祭りの賑やかさの中で、小さな大衆演劇の劇団が幕を張っていた。
 演じているのは遠野民話の中のひとつを題材にしたもの。天狗にさらわれ、あらゆる土地を渡り歩き、その後に再び親元に戻されるという子どもを主役にすえたものだった。
 主役を演じているのは、年のころは十代そこそこ。美しくしなやかな四肢を持つ少年だ。
 都会のガス灯や車を目の当たりにし、喜色を満面にたたえるという役どころを、少年は楽しげに演じている。
 観客の数は決して多くはない。けれど、少年の弾むような容色は、見る者の目をとらえて離しはしなかった。
 少年の眼光がひらめく。そのたびに観客の目は少年に釘付けになるのだ。笑みのかたちに細められた少年の目が濃赤を浮かべたのにも気がつかないほどに。


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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>

リエ・フー(cfrd1035)
流渡(chaz5914)

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品目企画シナリオ 管理番号2138
クリエイター櫻井文規(wogu2578)
クリエイターコメントこのたび当シナリオを担当させていただくこととなりました櫻井文規と申します。
どうぞよろしくお願いいたします。

シナリオの目的はロストナンバーの保護ですが、おふたりが遠野に赴かれた時節の設定は、もろもろの空気を読まず、九月ということにさせていただきました。
九月は遠野にて祭儀が行われるようです。
観光をされるなり、祭儀を楽しまれるなり、基本的な行動は自由とさせていただきます。

保護対象はどこかでのんきに演劇などに興じているようです。保有する能力などは不明です。ヒント的なものは書かせていただいたつもりです。

シリアスになりすぎず、のんびりまったりまいりましょう。

製作日数はめいっぱいとらせていただいております。ご、ご了承くださいませ。

参加者
リエ・フー(cfrd1035)コンダクター 男 13歳 弓張月の用心棒
流渡(chaz5914)ロストメモリー 男 32歳 妖怪

ノベル

 常堅寺の山門をくぐり、一対のカッパ狛犬を横目に流しながら、リエは鬱陶しそうに太陽をあおぐ。
「いやァ、珍しいモンでやんスねェ。あやかしなんてェモンは怖がられてナンボでやんしょう。奉ってくれる人間なんてェのもいるもんでやんスねェ」
 提灯を揺らししげしげと狛犬を見つめる流渡にうっそりとした視線を向けると、リエは遠くから聴こえる鉦鼓の音に耳を寄せた。
「あっしにゃァ、人を喰う同胞がいやしてねェ。まァそんなこんなで、同胞にゃァ人を喰うななんてこたァ言えやせん」
 流渡はようやく狛犬を離れ、リエを追ってゆるゆると歩く。肩ごしに振り向いたリエが、視線だけで流渡の言がもつ意味を促した。流渡は提灯をぶらぶらと揺らしながら山門をくぐり出る。
 風にのり、祭囃子の音が漂う。
「祭りでやんすか。楽しそうでやんすねー」
 笠の下、まるい瞳を瞬きさせる。
「行ってみやせんか、旦那。実のところ、人の祭りってェもんに縁のない辺鄙な土地の生まれでやんしてね。いっぺん参加してみたかったんでやんすよ」
 流渡の語調はひょうひょうとしていて、その表情にもくもりがない。
 眉をしかめていたリエも毒気を抜かれたのか、小さく肩で息をする。
「……だな」
 応え、山門を離れた。それを追い流渡もぱたぱたと走る。
 カッパ狛犬がひっそりとふたりの背中を見送った。

 祭りは神社で行われていた。二日間にわたり行われる例祭らしい。
 遠野はもともと観光地としても有名な土地だ。ゆえもあってか、祭りは盛況の中にあった。
 並ぶ屋台はリエにとってはさほど珍しいものでもなかったが、いわく”人の祭りに参加するのは初めて”な流渡にとってはどれもこれもが珍しいものばかりだった。
 リンゴ飴、お面屋、型抜き、射的。わたあめやかき氷、焼きそばや焼き鳥を売る屋台もある。射的やくじの屋台には子どもたちが群がり、暑さのゆえか、かき氷の屋台にも人が列をなしていた。
 リエと流渡はすれ違う人々の顔や、ついでに真理数の確認もしていた。どれも変哲のない、ごく普通の人間ばかりだ。否、もしかすると中には人に化けたあやかしもいるのかもしれない。遠野とはあやかしの里でもあるのだ。
 時おりわずかに驚いたような顔を浮かべ、すれ違う人の背中を見送っている流渡を見つめながら、リエはそんなことを浮かべたりもした。
 参道の奥、小さなテントが張られている。何かの屋台なのかもしれないが、それにしても並ぶ屋台からぽつりとひとつだけ離れているのは、いくぶん気を引くものでもあった。
 色とりどりの金魚が泳ぐ。それを子どもがすくい小さなビニール袋にいれて嬉しそうに持っていくのを、流渡はきょとんと見入っていた。
 射的のコルク弾が的を叩き、落ちる音。焼きそばが焼ける音、におい。楽しげに弾む子どもたちの声、囃子の音。金魚の尾が小さな水面をたてる。
 ふと、流渡は顔をあげた。あげた視線を迷いなく参道奥のテントへ向ける。
「どうした?」
 流渡の後ろでリエが声をかけた。顔の反面を白塗りの狐の面で覆っている。屋台で買ったのだろう。金色にひらめく眼、見る者の欲を突き動かすような美しい貌。その反面を狐で覆う風体は、リエがもつ妖しい引力を一層色濃くしているようだ。
 金魚の前で膝をおりしゃがんでいる流渡を見下ろすリエに、流渡はゆったりと指をさす。示したのはやはりテントだ。
「行ってみやしょう、旦那」
「見つけたのか?」
「たぶん」
 流渡がうなずくと、リエは弾かれたように歩みを進める。足もとに広がる砂利を鳴らし、足取りはわずかに速めだ。
 人を喰らうあやかし。流渡の言がリエの頭の隅をかすめる。
 そうでなくても、例えば対人面で害を有する能力を持っているかもしれない。それゆえに混乱し、下手をうった行動などしているかもしれない。
 旦那ー。流渡の声がリエを追う。リエは小さな舌打ちをしたものの、足を止めて流渡を待った。すいやせんねェと言いながら追いついてきた流渡の歩調に合わせ、さほど離れていないテントを目指し歩みを進めた。

 小さな大衆劇団が演目を披露していた。
 特設で用意された小さな舞台の中央、赤い顔面の天狗がふわふわと踊っている。その腕には少年がひとり抱えられていた。
 高く伸びる樹木の先端をつま先で弾きながら羽のように舞い飛ぶ。時おり足を止め、眼下に広がる風景を見下ろしては言葉を交わす。
 山神――天狗は少年を大きな街に連れて行ったり、さらに遠い土地の見学に連れて行ったりしてくれていたのだ。
 山神と共にあるうちに少年は神のケにあてられ、常ならぬ力を持つ身となる。
 数ヶ月の後に少年は村に戻るが、迎えた村人たちは――肉親ですら、少年の帰還を素直に歓迎はしなかった。
 神のケにあてられた少年は、もう里に住まうべき者ではなくなっていたのだ。

 物語は少年は村に居場所をなくし、再び自ら山神のもとへ向かうところで終幕した。

 リエは腕組みをし、わずかに表情をくもらせながら見ていた。
 題目自体は天狗さらいという、さほど真新しいものでもない。が、さらわれた少年を演じていた少年をみとめたとき、彼が真理数を持っていないのに気付いたリエは、さらに少年の双眸へと目をやったのだ。
「見やしたかい、旦那」
 流渡がリエの袖を軽く引いた。
 リエは小さく唸るように応え、それから改めて少年の姿を確認する。
 十代そこそこといった――見目だけでいえばリエとあまり変わらない年ごろだろうか。
 短く揃えられた黒髪、日に焼けた健康的な肌。弾むような容色。演者としては決して技能的にも巧みであるとは言い難い。現に観客数も多くはない。
 だが、観客たちは少年の一挙手一投足に見入っている。――まるで吸い込まれるように。
「ああ」
 リエはうなずいた。
 ふと、少年もまた視線をこちらに向ける。リエと流渡が向ける気配に気付いたのだろう。台詞を口上しながら、わずかに目を細め笑みを浮かべた。
 笑みを浮かべた少年の目が深い赤で染まる。流渡が「ああ、やっぱり」とひとりごちた。
 少年は真理数を持っていなかった。それはつまり、少年がロストナンバーであることを示している。つまり、今回の保護対象だ。
「……まあ、見事なもんじゃねえか。ありゃあいい役者になるかもしれねえな」
 リエの視線の先、少年は舞台の袖へと姿を消した。演目は終わったのだ。
 袖に身を消す前、少年の目は変哲のない黒へと変じていた。いや、あるいは本来が黒であるのかもしれない。
 蝉が鳴いている。陽はまだ高い位置にあった。

 
 テントから出てきた少年はシャツにジーンズという、シンプルな服に着替えていた。衣装を変えただけでも印象はまた変わるものだ。
 和装を脱いだ少年はどこかにまだ幼さを残し、快活そうな印象を漂わせていた。
 待ち構えていたリエと流渡に声をかけられ、少年はわずかに驚いたように目を瞬かせる。
「よう」
 口角を歪め持ち上げて笑みを浮かべたリエに、少年は小さく頭をさげた。
「どうも」
 言ってから、少年は視線を向けて流渡を見据える。流渡は少年と視線を合わせ、提灯をふらふら揺らしながら口を開けた。
「捜しやしたぜ、旦那」
「……え」
 少年は流渡を前に、その姿を訝るでもなく、むしろ流渡の言葉の意味が理解できないでいるらしい。
「なあ」
 首をかしげ眉をしかめた少年の肩を軽くたたき、リエが声をかける。
「舞台は引いたんだろ? 時間あるんなら山歩きでもしねえか? 気分変えにもなるだろ」
「あんたたちは?」
「てめぇを迎えに来たモンさ」
「迎え?」
 少年の表情がさらにこわばる。
 が、リエは薄く笑い肩を揺らすばかり。それから少年の肩をもう一度叩いて「行こうか」と言をつないだ。

 葯と名乗った少年は齢十三だという。遠野からさらに北に向かった先にある山中の生まれだと語った。
 祭りを離れ、再び清流沿いに足を寄せる。移動する道々でリエと流渡も自己を名乗り、図書館からの迎えであることを告げた。葯はふたりの話を黙したままで聞いていたが、それでもどこかさほど強い関心は持たずにいるようだった。
 
 砥森滝を眺める位置にたどり着く。この滝は一般的にイメージされるようなものではなく、霊山とされる砥森山から流れくる途中の急流を滝に見立てたのが由来であるらしい。
 幅の広い川に沿い歩く。確かに水流は早く、上流から流れてくる草花が見る間に下流へとながされていくのも見えた。
 流渡は川の水の清らかなのが嬉しいのだろう。リエや葯よりもいくらか先をゆうゆうと歩いている。
 取り立てて語り合う話題を有しているわけでもなく。
 しばし沈黙したまま川辺を散策していたリエだが、ふと視線をあげて葯を見やり、思い出したように口を開けた。
「さっきのあれ、天狗の話だよな」
「うん」
「ここァ遠野って土地だ。神隠しだ山人だ、その手の話にゃことかかねえ場所なんだろ」
「みたいだけど」
「てめぇも遠野のあやかしなんじゃねぇのか」
 包むこともせず直球を投げる。リエの問いに、葯はわずかに視線を逃がした。
「神隠しってもんは、山の神が子どもやら女やらをさらっていくってのが通説だったっていうじゃねえか。捜す側は鉦を叩いて山神に返せ返せって訴えるんだろ」
 リエが取り上げ語っているのは、舞台での内容を合わせた事例だ。遠くの街を上空から見せてもらったのだという証言は実際に記録としても残っているらしい。
 実際の事例ではその後どうなったかは知れないが、少なくとも舞台での内容は、神のケにあてられた少年は世俗からあぶれ、結果的に自ら神のもとへ戻る道を選択していた。
 例えば、これが少年でなく少女や女であったならば。
 さらわれ、数日数ヶ月を不在にした後に村に返されたところで、人々は穢を前にしたような扱いをするのではないか。

「オレぁ、上海の――上海ってのがどこかわかるか?」
 葯は首をひねる。リエは小さくうなずき、大陸にあるまちなんだがな、と付け加えた後に話を続けた。
 上海の娼館で生まれ育ち、あらゆる場面を目にしてきた。どの男もどの女も皆がそれぞれにあらゆる事情を抱えていた。成功したものもいる。あらゆるものに敗北し潰れていったものはそれ以上にいる。
 愛と憎悪は背中合わせだ。決して広くはないはずの、けれども絶対的な空間の中、様々なものがない交ぜになっていた。
 さらわれ売り飛ばされた女も少なくはなかった。そういったものたちと、天狗さらいにあったものたち。両者の間に大きな差異はないはずだ。
 
 長い間あやかしと共に時を過ごし、ケにあてられたものが、再び世俗に戻されたところで、結局は見世物にされるのがオチだろう。
 
「ところで、ひとついいでやんスかねェ、旦那」
 不意に口を挟み込んできた流渡に、リエと葯の視線が一息に寄せられた。流渡は恐縮でやんすと言いながら首をすくめる。
「見たとこ、旦那、あっしにゃあ旦那は人の心を操るのに長けた同胞のように思えやす」
「……」
「で、考えたでやんすよ。人喰いの鬼の仲間。はたまた自分だけを見せたいと望む類の、桜に代表されるような草木が変化した同胞。旦那はどちらでやんスかねぇ」
 問い掛けではない。流渡は純粋に、浮かんだ疑問を口にしているだけなのだろう。
 もともと川を住処としたあやかしであった流渡にとり、砥森滝の清流はとても心地よいものでもある。
 流渡にとって――あるいはきっと、同胞たるあやかしどもにしてみれば、やはり同じように心地よい環境であるのかもしれないのだ。
 葯が人喰い鬼であろうが、植物を元とするものであろうが、いずれにせよこの環境を離れがたく思っているのであるとしても、何ら不思議ではない。
 
 リエは視界に入った岩を目指し歩く。その岩の上に腰を落とし、流渡が葯に向けて言を述べているのを黙したまま見ていた。
 あやかし同士、言を交わしたほうが通じるものはあるかもしれない。
 考えて、リエはふと小さな笑みを浮かべた。
 それが例えどんなものであったとしても、それまでの常識や馴染んだ価値観が根本からひっくり返されてしまうような経験は、怪談の類いよりもよほど恐ろしいものかもしれない。
 それは多分、ロストナンバーとしての覚醒を迎えるのも近しいものがあるだろう。
 時間に、人に置いていかれる。生き別れ、死に別れは幾度となく繰り返される。
 いつ尽きるとも知れない螺旋の内側で、降り積もっていくものの中には後悔という念も多くあるだろう。
 言えなかった言葉も、飲み下すことのできないほどに積もり続ける。そのたびに胸に溜まっていくのだ。
 
 あやかしも、神のケにあてられたものも、ロストナンバーとして覚醒を迎えたものも。
 どれもきっと、もしかすると近しいものかもしれない。

「なんにしても、大妖怪の旦那ァ。あっし、旦那にお会いできてうれしい限りでやんスよ」
 リエの思考など知ることもなく、流渡が周りを見渡しつつのんびりとした語調で告げた。
「さっき、あっし、初めて人の祭りってェもんを拝んだんでやんスがね。ひとに化けた同胞が何人かいやしたよねェ。あん中にゃァ、人喰いだ、人に害なすあやかしだもいたのかもしれやせんねェ」
 言って、葯の顔を見る。
 葯は、やはり黙したまま。ただ、目の色がゆらゆらと鮮やかな赤を示しだしていた。まるで風に揺れる山茶のようだと考えながら、流渡はぼんやりと口を開く。
「この土地があっしどもに心地よいのは分かりやす。あっしの故郷じゃァ、川ももう汚れちまいやしてねェ」
 視線を川へと移す。
 涼やかな音を響かせながら、川はとうとうと流れていた。
「……おれは」
 この世界で役者になりたいのだ、と。葯はそう言ってくちびるを噛む。
 役者となり、いろいろな土地を巡り、いろいろなものを見たいのだ、と。
 その語りをきっかけとしたかのように、葯はぼそぼそと、己の話を口にし始めた。

 山茶の精として生まれ、山奥でひっそりとひとに見つからぬよう、接触しないように暮らしてきた。
 だがある日、葯の母はなんの前触れもなく死んだ。山茶の精はそういうものであるのだと、後に聞いた。
 母の死を悲しむのと同時に、自分もまた山茶の精である以上、同じように突然の死を迎える日がくるのだろうかと恐怖もした。
 葯は山を降り、世俗にまぎれこみ、あらゆるものに触れた。そして自分の容姿が整っていること、人の目を寄せるすべを持っていることを知る。
 相変わらず、いずれ迎えるかもしれない突発的な死に対する恐怖は拭えずにいた。どうすれば逃れることができるのかと考えるようになっていた。

「へえ、なるほど」
 岩の上、リエが笑った。
「でもなあ。てめぇは真理数をなくした。オレたちについてこねェと、遠からず消えちまうぜ。死ぬのとは違う。消えるんだ」
 消失は死よりも恐ろしい。
 葯はリエの言を理解していないようだ。眉をしかめ、首をかしげている。
 流渡が苦笑いを浮かべ、再び口を開けた。
「ひとまず、あっしらと一緒に来ちゃァくれやせんかね。このままじゃァ旦那が消えちまうってのは確かなんスよ。とは言っても、旦那、あっしらの話、分かりやしやせんでしょう。ものは試し。あっしらと来ていただきやして、パスなんぞ貰ってから、また役者ァ目指すんでも悪くはないでやんしょう」

 太陽はいくぶん傾きかけている。とはいえ、まだ日没までは余裕があるだろう。
 川辺であるためか、気温もいくらか涼しく感じられる。リエは川面を見つめながらひとりごちた。
「ここにも蛍は出んのかね」
「蛍?」
 葯が顔をあげる。リエは葯に薄い笑みを見せた後、ふと目をそらし、口をつぐんだ。

 柳で編んだ虫かごの中、数匹の蛍が飛んでいた。あれはリエの母親がどこからか捕まえてきて、閉じ込めたものだった。
 明滅を繰り返す蛍を飽きもせずに見ていた母の横顔が鮮やかに浮かぶ。
 蛍のひかりは死者の魂魄の成れだとも言う。
 燐だなんだと説明付けるよりも、そのほうがよほどロマンがあるし、なによりも風流だと、リエは思う。
 誰の魂魄とも知れないそれを閉じ込め眺めていた母の微笑みが浮かんだ。
 川は大海へと続く。海の果てには死者の住まう世界があるのだという。
 
「なあ、踊ってくれよ」
 岩を下り、川辺に伸びる笹の葉を一枚手に取って、それで笹笛をあつらえた。試しに吹いてみれば、音色が高く空へとのぼる。
「役者目指してんだろ? なあ。オレが奏で役だ。あんたは天狗の舞をやればいい。演じてるときのあんた、確かに良かったぜ」
 言いおいて、リエは悪戯めいた笑みを浮かべた。
 踊り手の応えを待つこともなく、笹笛の音色が再び響き渡る。
 音は清流の上を撫で、風に伝わり山の中を巡る。
 流渡は笠をかぶりなおし、岩の上に腰をおろして目を伏せた。

 天狗にさらわれ、神のケにあてられて神性を得てしまったがために世俗から外れてしまった少年。
 葯はこれから新たな理の中に身を置くこととなるのだ。それが彼にとっての幸いとなるのかどうかは分からない。
 ただ、今。
 響く音に合わせ舞う同胞のため、あやかしは言葉にしないままに祈りを寄せるのだ。
 どうかこの清らかな川のように、とうとうと続く幸いが訪うように、と。
  

クリエイターコメントこのたびはご参加、ありがとうございました。
お届けが遅れましたこと、お詫び申し上げます。大変にお待たせいたしました。

せっかくだしとかもろもろ考えましたが、遠野物語とかをからめるのは見送りました。
おふたりのプレイングともに観光に関する記述が特にありませんでしたので、心情系に寄ったものとさせていただきました。

しんみりとしたものとなったような気がしますが、いかがでしたでしょうか。
楽しく書かせていただきました。
少しでもお楽しみいただけましたらさいわいです。

それでは、またのご縁、こころよりお待ちしております。
公開日時2012-10-08(月) 13:10

 

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