イラスト/新田みのる(iawe2981)
「あっ、白い魔法使いさん」 ターミナルの一角にあるカフェで見知った姿を見つけ、ゼシカ・ホーエンハイムは思わず声を上げた。 それは当人にもしっかりと届いていたようで、熱心に本に向けられていた視線が、やがて静かにこちらへと向けられる。『白い魔法使いさん』ことハクア・クロスフォードは、ゼシカの姿を認めると、穏やかな笑みを浮かべた。 ゼシカもそれにはにかむような笑顔を返し、ぴょこんとお辞儀をする。「こんにちは」「ああ、こんにちは」 挨拶を返され、彼女の顔に、今度は笑みが大きく広がった。 小走りに近寄ってきたゼシカに、ハクアが向かいの席を勧めると、彼女は「ありがとう」と言って自身の体には少し大きすぎるイスにのぼり、ちょこんと腰を掛ける。その間に、ハクアは彼女のためにジュースを注文し終えていた。 やがて、ウェイターがオレンジジュースを運んでくると、ゼシカはまた礼を言ってストローに口をつける。爽やかな甘みが口の中に広がり、喉をうるおした。 ハクアもすっかり冷めてしまったコーヒーに口をつけ、しばらくゼシカが嬉しそうにジュースを飲む姿を見守っていたが、ふとテーブルに置いた本に目が行くと、思い出したように口を開く。「そうだゼシカ、欲しい本があるんだが、一緒に壱番世界へ行かないか?」 彼の突然の提案に、ゼシカはストローから口を離し、大きな目を瞬かせた。 しかし、二人で壱番世界に素敵な本を探す旅に出かける――そのイメージがすぐに浮かび、ワクワクとした気持ちになって来たので、あっという間に表情は輝き始める。「うん、ゼシも行きたい!」「そうか」 その答えにハクアも微笑むと、ウェイターをまた呼び、追加でケーキを注文した。 ◇ フランス。 その日のパリは、穏やかな陽気だった。週末だということもあってか、人通りも多く、活気に満ちている。 パリには、三大蚤の市と言われるクリニャンクール、ヴァンヴ、モントレイユのほか、ジョルジュ・ブラッサンス公園の古本市、歩道に広がる古本屋台のブキニストなど、様々な催しがある。その多くは週末に行われていた。 そこで掘り出し物を見つけるか、ガラクタに時間と労力を費やすかは、良い物を見分ける目や交渉の腕、そして運次第と言えるのかもしれない。 ゼシカは目を輝かせながら、行き交う人々や、瀟洒な街並を眺めた。そのままふらふらと歩き出してしまいそうな彼女の目の前に、大きな手が優しく差し出される。 ゼシカはその手の先を見上げてにっこりと笑うと、ハクアの手に、自らの小さな手を重ねた。 ハクアも頷き、人込みではぐれてしまわないように、二つの手はしっかりと繋がれる。 そして、二人の宝探しの一日が始まった。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ゼシカ・ホーエンハイム(cahu8675)ハクア・クロスフォード(cxxr7037)=========
「人がたくさんでにぎやかね」 ゼシカはそう言って周囲をきょろきょろと見回しながら歩いた。迷子になりそうな道中だが、大きな手に包まれた左手から、ふわっと温かい感覚が湧き出して体中に広がるから、不安は全くなかった。これももしかしたら、魔法なのかもしれない。 ハクアは周囲に気を配りながら、ゼシカのペースに合わせてゆっくりと歩いた。長身の彼だと歩幅は狭くなり、決して歩きやすくはないが、それはそれで楽しい体験だ。 まず二人は、三大蚤の市の一つ、ヴァンヴへと向かった。周囲を囲む木々から、朝の日差しが零れ落ち、市の上に模様を作る。 小ぢんまりとした店には、食器や玩具、雑貨などが並び、可愛らしい品々にゼシカの目は輝いた。雑多に並ぶ品々を手に取り、対話するかのように見つめる。 その後、ジョルジュ・ブラッサンス公園へと向かった。 トラムでの移動も出来たが、歩いて行ける距離だというので、せっかくならば景色を楽しみながら移動することにした。 ポルト・ド・ヴァンヴ駅を挟んだ反対側、北西の方へと向かって歩き、公園に着くと、二つの牛の像に出迎えられる。その間を抜け、二人は古本市が行われている一角を目指した。 「魔法使いさんは、どんなご本読むの?」 「俺が特に好きな本は旅行記だな。自分の足で歩いて、感じた事を書いた本が一番読んでいて楽しい」 ハクアの答えに、ゼシカは自分が今まで旅した世界を思い出し、それが本になるところを想像してみた。それを読んだ人は、ゼシカと一緒に旅をした気持ちになれるのかもしれない。それは、素敵なことだと思う。 「ゼシね、まだちっちゃいから絵のないご本は読めないの。でも、大人になったら読んでみたいな」 やがてたどり着いた三角の屋根がある場所は、元々馬の市場として使用されていたという。数多くの台が置かれ、その上に本が所狭しと並ぶ。広い空間には、ブキニストたちと古本を求める人々の姿が点在していた。 「はぐれないようにな」 ハクアはそうゼシカに言い、彼女の手を引いて歩く。彼の視線はすぐにも大量の本へと吸い込まれていった。 マーブル紙をあしらった本、布製の手帳のような雰囲気の本、重厚な装丁の本……文学書、旅行記、歴史本を中心に、表紙とタイトルから気になったものを次々と手に取り、パラパラとめくって中を見る。面白そうだと感じた本は、自分の勘を信じて買うことを決めた。 ゼシカはそんな彼の姿を見て、少し考える。 表情はいつものようにあまり動かないが、本に夢中になっているのはわかった。 「ゼシ、あっちの本屋さんを見ててもいいかしら?」 そう言うと、ハクアはそちらを一瞥した。絵本が多く置いてある。今いるスタンドのすぐ近くだ。 「ああ、何かあったらすぐに呼ぶんだぞ」 「はーい!」 そうして、ゼシカは人に気をつけながらその場を離れた。これでハクアもゆっくり本が見られるだろう。 後ろを振り返ると、もうハクアは片手に数冊の本を抱えていた。 ゼシカも張り切って、絵本の山をごそごそと探り始める。 それからしばらくの後、公園のベンチに大量の本と共に二人の姿があった。無論ほとんどの本はハクアのものだ。 彼は人目につかないように気をつけながら、それをパスホルダーの中へと仕舞う。 「そうだわ!」 その様子を眺めていたゼシカは、良いアイディアに手を叩くと、ハクアの顔を見上げた。 「ねえ魔法使いさん、今度ゼシに字を教えてくれる? 魔法使いさんが先生ならゼシも安心よ」 字が読めたなら、ハクアのように、ゼシカも本をもっと好きになれるかもしれない。 それに、ハクアの好きなものを、ゼシカももっと知ることが出来る。 「ああ、構わない」 「約束ね!」 そう言ってゼシカはにっこりと笑った。 約束は、お互いの距離をより近いものにした気がした。 ◇ その後、歩道に広がる古本屋台もぶらぶらと見ながら、どこか良いカフェかレストランがないか尋ねると、初老の店主は近くのカフェを紹介してくれた。 花に囲まれた小ぢんまりとしたカフェは、それなりに人で賑わっている。 店員に食事をするかどうか聞かれたので、すると答えると、食事用にセッティングされた席に通された。 「ゼシね、マドレーヌが食べたい! それから、コーヒーは苦くて苦手だけど、カフェオレなら飲めるわ」 ハクアはそれを聞き、店員にマドレーヌとカフェオレを注文する。ミルクは多めにと付け加えた。それからシーフードのパスタとサラダ、紅茶も頼む。 注文の品が届くと、ゼシカは早速マドレーヌにかぶりついた。 「おいしい!」と笑顔で食べ、その後熱いカフェオレに、ふーふーと息を吹きかけて冷ましているゼシカの姿はとても微笑ましく、ハクアの表情も、自然と普段よりも柔らかいものとなる。 「魔法使いさんは食べないの?」 「いや」 食べる手を休め、顔を上げたゼシカに言われ、ハクアも食事を始めた。 パリのパスタはあまり旨いものがないと聞いていたが、流石に薦めてもらっただけあり、味が良い。ゼシカにも喜んでもらえたようで安堵した。 「あとね、ゼシね、ノートルダム大聖堂に行きたいの。おっきな鐘があるのよね?」 笑顔で言う彼女に、ハクアは複雑な思いで頷く。それは表情には出なかったから、彼女からすればいつもの彼に見えたかもしれない。 だが、いつも一人で父を探すために頑張っているゼシカにも今日は楽しんでもらいたかったし、午後はまず、ノートルダム大聖堂へと向かうことに決まった。 ◇ 「わあ、すごい……! おっきい教会!」 双塔を持つ厳かな外観、大聖堂の中にあるバラ窓のステンドグラスは幻想的な輝きを放ち、シャンデリアの光が穏やかに揺れる。ノートルダム大聖堂の静かな迫力に、ゼシカは思わず声を上げた。 ハクアも同じように立ち、そして不思議と落ち着くものだと思う。 それは、この場所がこんなに美しいからなのだろうか。観光名所として大勢の人々が遊びに訪れるからだろうか。それとも、ゼシカと一緒だからだろうか。 二人は一旦聖堂を離れ、小さく細い階段を上って鐘楼を目指す。 長い階段だったので、ハクアにサポートされながらゼシカは頑張って上った。彼女が望めば、抱えるなり背負うなりして連れて行こうかと思ったが、彼女が弱音を吐くことはなかった。それだって楽しい思い出になる。 「うわぁ」 やがて階段が終わり、回廊へと出た。まるで久々の外のような錯覚がする。 そこで奇妙なシメールたちに出迎えられ、ゼシカは驚きの声を上げたが、少し怖くも愛嬌のあるその姿に次第に興味が出てきて、じっと見ながら歩いていく。 その後たどり着いたブルドンと呼ばれる鐘楼はとても大きかった。 ゼシカは圧倒されたように、しばらくそれを眺めていた。この鐘が鳴ったらどんな音がするのだろうと、彼女は想像してみる。 そして、パリを一望できる頂上へ。 「あのね、魔法使いさんは神さまって信じる?」 もう一度聖堂に戻り、祭壇を見ていたゼシカが唐突に言う。ハクアが目を向けると、彼の答えを待たずに彼女は言った。 「ゼシは信じる」 そして小さな両手を胸の前で組み、ゆっくりと目を閉じる。 「神さまはいてほしいと願う人の心に降りてきてくれるの。本当にいるかいないかは大事じゃないのよ。何処かにいると信じて誰かのために祈る、その心の在り方が尊いんだって孤児院の先生が言ってたわ」 そして再び目を開け、祭壇の脇に立つ聖母マリアの像を見た。 「……孤児院の先生は、ゼシのママから聞いたんだって。そのママが好きになったパパが悪い人のはずないって、ゼシ、今でもそう信じたいの」 遠くを見る眼差しが、小さく揺れる。 「そうだな」 生きていれば間違うこともあるだろうし、行き違うことだってある。本人の弁すら聞かず、悪いと決め付けることも出来はしないだろう。 ハクアは多くの言葉を口にはしなかったが、それがかえってゼシカには心地良かった。彼はそうして、ただ受け入れてくれる。 再びゼシカは目を閉じて手を組み、そして祈りを捧げた。 大好きな人たちが幸せになれるように、ハクアが故郷の家族と会えるように、と。 ハクアは隣で、彼女が祈る姿を見ていた。 きっと優しいゼシカのことだから、大切な人たちのために祈っているのだろう。彼も再び、大聖堂の中へと視線を向けた。 ゼシカのように祈ったり、信仰を表す人々も居る。だが、楽しそうに談笑したり、気軽に写真を撮る人々も居る。 此処の神は、きっと自由を愛しているのだろう。 ◇ ノートルダム大聖堂を後にした二人は、アンティークショップやパティスリー、建築物を見て回った。ゼシカが喜びそうだと思ってハクアが選んだ場所だったが、実際彼女はとても楽しそうにしていた。 二人で行きたい場所はもっともっとあった。だが、楽しい時間ほど、あっという間に過ぎて行く。 ◇ 日が暮れ始めた頃、二人はセーヌ川にかかる橋の一つへと向かう。 ハクアは事前に買っておいたチケットを係員に渡し、ゼシカを船内へと誘った。 静かに進み始めた船の、屋上デッキから見えるパリの街は、沈み行く日に照らされて赤く染まり、そして、徐々に夜の姿へと変わっていく。 「きれい……」 ライトアップされた建造物は、まるでドレスを纏ってパーティーへ出かける貴婦人のようだった。 船が巡れば、またくるくると表情を変える。 歩き疲れた体に、夜風が心地良かった。 クルーズが終わると、二人はそのままセーヌ川のほとりを並んで歩く。 ライトアップされた街を歩くのは、船の上から眺めるのとは、また違った味わいがある。 「今日はありがとう。とっても楽しかったわ」 ゼシカはそう言ってハクアに微笑み、ポシェットから何かを取り出すと、差し出した。 「これね、蚤の市で買ったの。押し花の栞。よかったら使ってね」 ハクアはそれを受け取り、ゼシカの瞳のように青く小さな花の栞をじっと見た。 「有難う。大事に使わせて貰う。……こちらからも」 そして、彼も事前にこっそり買っていた絵本をゼシカへと渡す。小さな仕掛け絵本で、彼女のポシェットにもすっぽり入るサイズだ。 「わぁ、ありがとう!」 ゼシカは嬉しそうにページをめくり、飛び出してくる動物や城に目を輝かせた。 セーヌ川から、ふわりと夜風が吹く。 再び向こう岸へと目を向け、景色をもっと良く見ようと爪先立ちになっているゼシカをハクアは優しく抱え、肩車をしてやる。 突然体が宙に浮いたゼシカは、最初驚きの声を漏らしていたが、それはすぐに驚嘆へと変わった。 「すごーい!」 彼女の知らない世界の姿が、また現れる。 「魔法使いさんは、いつもこんな風に景色を見てるのね。いいな」 小さなゼシカには全く見えなかった場所も見えるようになり、地面もずっと下のほうにあって、いい気分だった。 「また見たくなったら、いつでもこうすればいい」 ハクアの声はいつでも優しい。 あまり大げさにはしないというだけで、彼が優しい人だということを、ゼシカは知っている。 「ゼシ、二つの景色がいっぺんに見られるのね。それってステキ!」 セーヌ川に落ちて揺れる街の光は、色とりどりのキャンディのようだった。 もうそろそろ、今日という日が終わりを告げる。 この瞬間と同じ瞬間は、もう二度とは訪れない。 一緒に歩いた時間、話した時間、共有した時間。 それが今日二人が見つけた、一番の宝物だった。
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