オープニング

 『死華遊戯』とは、インヤンガイにて壺中天を使用することによりアクセスできる殺し合いゲーム体感型サイトである。過去数回、暴霊によりゲームマスター役のシーワンが乗っ取られる事件が発生しており、その都度ロストナンバー達がゲームに勝利することによって解決していた。
 度重なる事件による運営者のSNSアカウントの炎上や外部指導により一時はサイトの閉鎖も噂されていたのだが、一部のコアなファン達の尽力によりどうにか現在も壺中天の片隅でひっそりと運営を続けている。

 しかし、不運とはまさに突然訪れるものだった。

 それは、その日たまたま壺中天を利用していたロストナンバー達にとっても同じことである。過去何度もロストナンバー達に敗北したシーワンの呪いとも言うべき力が、またしても暴霊の乗っ取りを許し、そのとき偶然壺中天にアクセスしていたロストナンバー達を次々に殺し合いの舞台へと引きずり込んでいったのだった。

* * *

「ううーん、もう食べられない、でもまだ仔牛のステーキがぁ……って、あれ……ここは?」
 一一 一が冷たく硬い地べたから体を起こすと、目には見覚えのある広場が映った。広場を囲うのは西洋風の街並みで、中央にある銅像はコートを纏った男性――エドマンド前館長のものだ。
「駅前広場? でも、私は確か……ッ!?」
 ここに至る前のことを思い出そうとした途端、頭を鋭い痛みが貫いた。反射的に頭を抱えると、パタン、と何かが地面に落ちる音がする。
 落としたのがトラベラーズノートと分かると、一はこめかみを片手で押さえたままそれを拾いあげた。
「地面で寝てたせいで痛めたのかな……そうだ、とりあえずバイト先に遅刻の連絡しなきゃ……ん? 何だろ、ノートに着信入ってる」
 誰からだろうとノートを広げた一の表情は、途端に訝しげなそれに変わる。ノートには、二つの黒い髑髏が並んで描かれていた。見つめていると本能的な不安感を煽られるようなその絵の下に、じわりと文字が浮かび上がっていく。

――――――――――――――――――――
WELCOME TO DEATH GAME

!RULE!

1 五人の参加者は全員、珠の嵌めこまれた首輪を装着する。珠は参加者の首輪に付いている五個の他、ターミナル内に一個隠されており、総数は六個。

2 首輪に嵌めこまれた珠は装着者の死亡により固定具が外れ、取り外しが可能となる。

3 自分以外の参加者の珠四個と、隠された一個、計五個の珠を入手し、ターミナル内にある台座へそれら全てを嵌めこんだ者が勝利者となる。

4 制限時間は四時間。制限時間までに勝利者が現れない場合、首輪に内蔵された小型爆弾が爆発し、その時点で残っている者全員が死亡する。

5 首輪や珠を無理に外そうとした場合、爆弾の解除を行おうとした場合も上と同様。その時点で残っている者全員が死亡する。

6 全ての参加者は「一般の人間」として同一の条件の元でゲームに参加する。武器はゲーム開始後、ターミナル内で確保すること。

7 参加者が全員死亡した場合、ゲームマスターを勝利者とする。勝利を掴めぬ者は、死あるのみ。


生を望む者

未来を求めよ

導き手は安らぎの間で君を待つ

ひとときの安息を飲み干し

水底に眠る希望を呼び起こせ

――――――――――――――――――――

 「死の遊戯へようこそ」という煽りから始まり、参加者同士の殺し合いを促すためのゲームルールが順に綴られていく。謎の詩の末尾まで目を通していくと、最後に二つの髑髏の絵の上に、老獪な文字がいっそう不気味ににじんでいった。
『今宵が皆様にとって、快適な殺戮の夜となることをお祈りしております』

「何これ? 首輪……?」
 誰かの悪戯だろうかと思いつつ、無意識に首を触る。すると慣れない感触があり、指の触覚でそれが何であるか確かめると、小さな珠のようなものが嵌め込まれた首輪であることが分かった。血のひくような感覚を覚えつつ、まさかね、と呟き腕をおろすと、その左腕に今度は腕時計のようなものが付けられている。見ると、デジタル式に『3:52』の時間表示がされていた。しばらくじっとそれを見つめていると、ピッという電子音がして『3:51』と表示が変わる。何かの時間のカウントダウンをしているのは明らかだった。
「う、嘘、だよね? どっかの誰かさんの無駄に手の込んだドッキリとか、そういう……」
 とにかく誰か知り合いを探して事態を確かめようと踵を返し、駆け出そうとした彼女は何かに足を引っ掛けてバランスを崩した。何とか踏ん張ったことでギリギリ転倒を免れ、踏んだ「何か」に目を向ける。
「――――――ッ!!!!?」
 悲鳴は咽喉の奥に詰まって、声にはならない。そこに転がっていたのは、『何かの爆発によって無残に身体が四散した人間の死体』だった。

 他のロストナンバー達もまたターミナル内「と思われる場所」で各々目を覚ましていた。一と同様に、ノートに浮かびあがった文面に困惑し、兎角現在自分の置かれた状況を把握しようと、それぞれに夜の街を彷徨う。

 ティリクティアは妙な違和感を覚えながらもひとまず自宅へ戻ろうとしたところでノートに目を通し、不安に煽られながら通りの店のショウウィンドウの前に立っていた。
「どういう事……この首輪は……本物、なの……?」
 ショウウィンドウに自分の身を映しながら、首輪をはずせないかと手を伸ばしかける。しかしノートに書かれたルールを思い出し、ぴたりと動きを止めた。
「まさか、そんなことありえないわ……だって、」
 自分に言い聞かせるように言葉を吐き出すが、伸ばしかけた手は震えるばかりでそれ以上動かない。やがて、ふいに自身を映しこむショウウィンドウの端に、何か赤い色が見えた気がして、そのまま目を凝らす。
「………………!!」
 「それ」が何か理解したティリクティアに、もう振り返ることなどできようもない。爆発遺体をできるだけ視界に入れないようにしつつ、少女はその場から急いで走り去るしかなかった。

 爆死した元は人間と思われる残骸は、ほのかの前にも赤黒くぶちまけられていた。落ち着き観察するにはあまりに残酷な光景に、ほのかは口元を押さえ、そっと数歩後ろへ身を退く。視線は暗い空へと向かい、訪れる予告のなかった「ターミナルの夜」を見つめた。
 死体がなければ、ノートの文面を悪戯か何らかの催し物と解釈することもできただろう。しかし爆散した死体はそれらを明確に否定し、何者かの悪意を見る者に叩きつけていた。ならばこの夜の正体は、何を意味しているのか。
「何が、あったの……? ……いいえ、何かが……起こっているのかしら……?」

 桜妹はノートに書かれていた文面に、妙な既視感を覚えていた。以前、何処かで見たことのあるルールだと思ったのだが、いつ、どこで見たのかがまったく思い出せない。何とか記憶を掘り起こそうとすると、ここに来るまでの記憶を思い出そうとしたときと同様に強烈な頭痛にみまわれ、それ以上はどうにもならなかった。
「……誰かの悪戯、ですよね? きっと……」
 嫌な予感に身を震わせ、早く家へ帰ろうと駆け出す。しかし通り過ぎた横道に、「あの死体」が見えてしまった。
 勝手に足が動きを止め、手は自分の首元へ伸びる。
「! 首輪が……っ」

「これは、どうした事にございましょう? ……何か、記憶に引っかかることはあるのですが……」
 医龍・KSC/AW-05Sもまた、ノートに書かれた内容を以前に友人から聞いたことがあった気がしたのだが、やはりどうにも思い出すことができない。
 最後に思い出せることといったら医務室で就寝したことくらいのことなのだが、なぜだか今は何処かのバーの店内にいた。長い首を撫でると首輪が嵌められているような感触があり、さらにふと見ると白い尻尾の先に電子表示式の腕時計のようなものが付けられていた。首に付いているものを確かめようと店の奥にあるらしい厠へ向かい、鏡を求めて灯をつける。
 しかしそこは、黒く煤に塗れた壁とバラバラになった死体に見える赤い肉の色ばかりがあり、既にひどい悪臭で満たされていたのだった。

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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>
一一 一(cexe9619)
ティリクティア(curp9866)
ほのか(cetr4711)
医龍・KSC/AW-05S(ctdh1944)
桜妹(cudc4760)
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品目企画シナリオ 管理番号2753
クリエイター大口 虚(wuxm4283)
クリエイターコメント皆様こんにちは、大口 虚です。
今回は死華遊戯現実編というわけで、いつも以上に悪趣味(と書いて「素敵に楽しそう」と読む)な状況をリクエストいただき有難い限りです。

ルールはいつもの死華遊戯とほぼ同じです。追加ルールのない死華遊戯もなんだか久しぶりですね。しかし一応、特記事項があります。

※PCさんが持っていた死華遊戯に関する記憶は封印されています! よって、最初は参加者全員ノートに書かれていたルールと詩の情報のみで動くことになります。

※皆さんの前にはクリアできなかった先の参加者達の死体が転がってますが、死体からは珠も武器も入手できません。

※ターミナル以外には行けません。ナラゴニアやチェンバーへの侵入は不可です。ロストレイルも運行していないようです。

以上3点について、ご確認ください。
記憶の封印はせっかくならどっぷり現実世界だと思い込んでいただいた方がより状況を生かせるだろう、という主にWR側の楽しみのため設定させていただきました。
爆死体がごろごろしてるのはゲームに真実味を持たせるためにシーワンが見せしめとしてあえて残しておいたもののようです。そのため参加者が有利になるようなものまでは残っていません。

ちなみに今回、皆さんを焦らせようとカウント式の腕時計を全員に装着させてみました。が、約一名様はイラストを見て腕に付けられなさそうだったので尻尾に装備させてみましたのでした。

というわけで楽しい殺し愛をごゆっくりお楽しみください。

【以下テンプレ】
・途中でゲームオーバーとなったPCさんはそれ以降、ゲーム終了まで一切の行動が不能となります。それにより、PCさんに多少描写量に差が出る場合がございますのでご了承ください。

・『死華遊戯』はPCさんの能力設定に関わらず、全員【壱番世界の一般人レベル】の能力でご参加頂きます。特殊能力は使用不可。翼はあっても飛べない模様。所持していた武器(トラベルギア含む)やセクタンは現在行方不明です。トラベラーズノートも以降は使用できません。

・ゲームの勝利者一名は公平に、私の方で参加順に番号を割り振りサイコロ判定します。ただし、サイコロで当たった方のプレイングが「勝利に持っていくのが困難」だった場合は振り直しの対象とすることがあります。

ちなみに、「サイコロで当たった方がグッドショウやグッドアクト狙いで『奮戦するも死亡してしまう展開』等を希望している場合」はPLさんからの振り直し希望として考慮しますので、死にたい方は遠慮なく死にに来て下さい。
「自分を勝たせて!」という要望は一切引き受けられませんのでご留意ください。

・ターミナル内にあると想定される物は大体置いてあります。(ただし銃火器の類はないものとお考えください)
逆に、絶対に置いてないであろう物は一切置いてありません。

参加者
一一 一(cexe9619)ツーリスト 女 15歳 学生
医龍・KSC/AW-05S(ctdh1944)ツーリスト その他 5歳 軍用人工生命体(試験体)
ティリクティア(curp9866)ツーリスト 女 10歳 巫女姫
ほのか(cetr4711)ツーリスト 女 25歳 海神の花嫁
桜妹(cudc4760)コンダクター 女 16歳 犯罪者

ノベル

 コロッセオに併設された医務室を後にした医龍の手には今、メスが握られている。バーで見た死体は、幾ら検分しても紛れもなく本物の死体だった。散乱した遺体に紛れて落ちていたのは、今自分がしている首輪とカウントダウンを続ける腕時計の残骸で、つまりあのどこの誰とも分からぬ姿になってしまった「誰か」は間違いなく自分と同じゲームの参加者だったはずなのだ。
 今のこの状況は、決して冗談などではない。ゲームマスターを名乗る者の意に反すれば全員、確実に殺される。
「救援は、ゲーム参加者以外の人々は何処へ行ってしまわれたのでしょうか……?」
 このような状況を館長が見過ごすはずはない。何かがおかしい。決定的に何かが間違っていて、ありえないことが起こっていた。まるで現実からかけ離れた場所にいるような気さえしてくるほどに。
 ゲームのルールに従わなければゲームの参加者は全員殺され、ゲームのルールに従えば自分以外全員を犠牲にしなければ生きられない。既にゲームの渦中へ巻き込まれてしまった自分に選択肢はあってないようなものだった。
 ゲームの主催者は何者なのか。ターミナルかあるいはナラゴニアに潜んでいたロストナンバーなのか、それとも。何れにせよ、強烈な悪意を持っていることは間違いない。
「これ以上の犠牲を止めるには、ゲームを終わらせるしかないのでしょうか」
 それの意味するところは、やはり、殺すしかないということだ。白衣のポケットには毒ガスの発生する薬品が入っている。今しているガーゼマスクには解毒剤を仕込んでいた。
 メスは、表面に塗った毒薬によって歪んだ鏡面を見せている。医龍は一度目を閉じると、緊張で強張る身体を落ち着かせるようにゆっくりと息を吐き出した。
「功治様……申し訳ございません」
 恩人の名を口にすると、あの幸福だった日々がひどく遠いことのように感じる。立派な医者になると、すべての人々を救うと、誓い、心に決めていたはずであったのに。人々を救うために学んだ知識を、この命を嘲笑うような何の意味もない遊戯のために、罪のない人間を殺すために、使おうとしている。
「……皆様の事は全てが終わり次第、謹んで弔わせて頂きます。……ゲームマスター。アナタ様は絶対に……許しません」
 ルールによると珠はゲーム参加者が一つずつ持つ以外に一つ、ターミナル内の何処かに隠されているらしい。ルールと共に書かれた詩が珠の居場所を指しているのなら、既に見当はついている。
「急がなくては。終わらせるためにも、珠が必要です」


 ほのかは最早人の形を成さぬ亡骸の前に蹲り、手を合わせていた。顔を上げると長い黒髪がするりと揺れる。すうっと目を細くして、散乱する四肢を見つめていた。
(人が爆発すると、こんな風になるのね……)
 あまりにも無残な光景。これと同じ悲劇をもたらす代物が、今、己の首にも巻き付いている。それは確かに恐ろしいことだった。
(……けれど、一瞬で死ねるのなら。まだ、良かったのかもしれない)
 もしこの首輪が、じわじわと。この首を絞めつけて、ゆっくりと死へ誘うものだったなら。その方が余程恐ろしい。海の底へ沈むように、息を奪われる方が余程苦しいのだから。
 一瞬で消え去ることができるなら、このまま理不尽に殺しあう修羅道を這うよりかは、殺意を向け合うことのないまま皆で逝くのがずっと安らかではないか。熟とそう思考は揺らぐ。
 しかし、それはならぬとする者はいるだろう。安息の死より過酷な生を求め、凶器を手に彷徨う者が。
(其の人は、わたしの命も奪い去りに来るかしら……)
 ほのかは音も無くゆるりと立ち上がり、亡骸に背を向ける。この地は、かつて優しい場所だった。己を受け入れる人々がいたから。人に受け入れられる喜びを知った今、ほのかは自ら進んで命を捧げようという心持にはならなかった。
 そっと、足を運ぶ。行先は明確でないが、探すものは分かる。遊戯の後に待っているものが、何であるのかは分からない。元の、この地に在った日常に帰るのか。それとも、修羅道に堕ちたまま戻ることなどないのか。後者なら、せめて終焉が在ればいいのだが。
 白い指がつるりと首輪を撫でる。脚は既に動いていた。


 肉の焼ける悪臭。桜妹は口元を震える右手でなんとか覆い、困惑と脅えの混じる表情で身を強張らせた。目の前にある死体は偽物などではない。そのことは五感より何より、犯罪組織の所属していた過去の経験が本能に伝えている。
(爆破死体……首輪の爆弾が? なら……これは悪戯ではない、のですか……?)
 悪戯や冗談でないとしたら。ノートに書かれたことがすべて真実なら、これから自分のするべきことは限られる。まだ、死にたくないと思うのなら。
(参加者は、五人。四人殺さないと、みんな死んでしまう)
 ルールに従うとすると、生き残れるのはたった一人だ。生きようと思うなら、他の参加者を殺さなくてはならない。桜妹は口元を覆う右手に、そっと空いていた方の手も添えた。それから俯き、踵を返す。ゲームが既に始まっているなら、こうして呆けている間にも殺されてしまうかもしれない。
 自分を殺そうとしている人が、このターミナルにいる。なら、どうしようと惑う暇はない。そうしている間にも、凶器を持った人間が迫っているのかもしれないのだから。
(何か武器を……)
 そう考えたところで、はっとする。これから自分は、自分のために人を殺そうとしている。自分と同じように、ゲームに巻き込まれていただけの人間を手にかけようとしている。
(ロストナンバーになってからの仕事は、人助けになる良いことばかりでしたのに)
 善行からは程遠い行為。それを働くのは何時依頼か。そして今、それを成そうとしている自分はたった一人だ。組織の中に居て、組織の面々と共に仕事をするのではない。父に命令されたままのことをやれば良かった頃とは違う。
(この悪事の責任は、自分で取らなくてはいけないのですね……)
 ロストナンバーを殺したら、自分は糾弾されるだろうか。もうこのターミナルには居られなくなるのだろうか。独りぼっちで、罪人たる自分を捕まえようとする追手から逃げ回らなければならなくなるのではないだろうか。
 追手に脅え孤独に耐える日々を想像すると、身が震える。それでも、桜妹は既に走っていた。思考は武器をどこで調達するかに流れつつある。
(……いいえ。これは、仕事。お父さまがくださった仕事)
 口に出さぬまま、何度も暗示をかける。死なないために、恐ろしい想像を振り払う。
(お父さまと、組織の皆さまが付いていてくださる。だから、どんなことをしても、)
 この辺りの景色は見覚えがある。ここを抜ければ確か、トラベラーズカフェがあったはずだ。厨房には包丁もあるし、他に使えるものも沢山あるだろう。
(珠の場所は、何処でしょう。カフェに着いたら、カップの中でも覗いてみましょうか……それにしても、以前も何処かで、このようなことをしたような……ッ)
 覚えた違和感を深追いしようとすると、頭がひどく痛む。桜妹は頭を左右に軽く振ってから、先を急いだ。


 ひどく静かだった。何の声も聞こえない。ほのかは金物屋で拝借した鉈を手にし、反物屋で手に入れた白い布を羽織り歩いている。途中酒場に寄り、卓上に置かれていた酒瓶の底を覗きもしたが、それらしい珠のようなものは見つけられなかった。
(……こんなにも静かだったこと、あったかしら)
 誰の声もしない。移ろい漂う霊魂の声がない。姿も感じない。そういえばあの躯からは何の残留思念もなかった。
 静寂の中を歩く。多くのモノがあるようで、何もない。空の街を歩いていく。
(わたしは、何処へ来たの)
 星明りで鈍く光る鉈の刃を撫で、二つの瞳はゆらりと夜の街を彷徨う。その折、コツコツと、ようやっと自分以外のものの音が耳に届く。人が来たなら一度身を隠そうかと物陰を探そうとするが、その前に足音の主はほのかの目の前に現れた。
「あっ……! あ、あなたも、ゲームの参加者ですか!?」
 少女はほのかの姿を見とめると、一定の距離を保ったまま声をかけてくる。彼女の両手に、武器になるようなものは握られていない。
「わ、私は、私には、殺しあう意志なんてありません。殺し合いなんて、絶対に許されるはずがないんです。だから、話を聞いてください!」
 ほのかは黙し、他に何をするでもなくただ彼女を眺めている。それを少女は同意と見たのか、安心させようとしているらしいぎこちない笑みを見せた。
「何か、ゲームから脱出する手立てがあるはずです。大丈夫。皆で協力すれば、きっとそれを見つけられます。殺しあう必要なんてないんです。だから、私と一緒に行きましょう。他の参加者を探して、皆で一緒に考えましょう。きっと大丈夫、ですから」
 少女は何も持っていない両手を持ち上げ、己に殺意がないことをほのかに示す。どこか呆けているような様子のほのかに、ゆっくりと歩み寄ってくる。必要以上に動作が慎重なのは、ほのかの持つ鉈を恐れてか、ほのかを怖がらせないためか、あるいはその両方か。
「……ない」
「えっ?」
 ぽつりと、ほのかは呟いた。少女は足を止めて、ほのかの様子を伺う。
「大丈夫……ですか? 何かあったんですか?」
「……いいえ。ないのよ。……見えないの」
 訝しげな表情になる少女を、ほのかはまだじっと眺めている。
「人に纏う霊気がない。人に映る感情の色がない」
「え、あの……」
 ほのかは持っていた鉈に両の手を添え、胸元にまで持ち上げる。その刃に、幽かに映りこむ自分の姿に視線を落とす。
「……そう。ここは、夢なのね。夢想に霊力は宿らない……だから、ここはこんなにも静かなんだわ」
「夢……これが? ま、待ってください。信じたくないのは分かります、けど。これは、夢なんかじゃありません。落ち着いて、もう一度落ち着いて考えてください!」
 少女の声は、ひどく遠くに感じた。それも、これがすべて自分が見ている夢の中だからなのだろうと、結論を添える。
「あなた、怯えているの……?」
 ほのかはもう一度、少女を見た。身体はふらりと揺れ、足が前へと動く。その動作に合わせ、黒い髪も緩やかになびいた。
「大丈夫……あなたは、生きていないのよ」
 目の前の少女からは、霊気を微塵も感じない。
「皆、わたしの記憶で出来た虚像だもの……だから、大丈夫よ」
「違う! 違うんです! 私の話を聞いてください。ここは夢なんかじゃないんです! 私の言うことを信じてください。ここは現実です、私は虚像なんかじゃない。私は皆を、あなたのことも、助けたいんです! 誰も死なせたくないんです! 皆でここを出ましょう、きっと何とかできますから! きっと大丈夫ですから!!」
 ゆらり、ゆらり、と。ほのかは必死の表情で訴えかける少女に歩み寄る。白い顔は星の灯に照らされ、薄らと穏やかな笑みがちらちらと夜闇に浮かんでいた。
「そうよ、きっと大丈夫……すべて幻だもの。わたしの鼓動も、あなたの苦痛も……すべて幻……」
「聞いてください……私を、私の言うことを信じてください」
 ほのかが一歩を進む。少女はその場を動かず、まだ何かを訴えているようだった。ほのかは鉈を右手に下げ、尚、少女をじいと眺めている。
「……悪夢凶夢は、早く終わらせ醒めましょう……起きたら夢違えをしなくては」
 鉈をすうっと持ち上げる。少女は、やっと一歩を下がった。
「いつかの霊が教えてくれた、まじないよ」
「……夢じゃない。これは、夢なんかじゃない……」
 ふら、と。
 ほのかの身体が揺らいだ。

――あらちおの、かるやのさきにたつしかも、たがえをすればたがうとぞきく――

 少女はハッと息を飲み、後ろへ転がるように身体を逃がした。彼女のいた宙を銀色の一閃が引き裂く。
「大丈夫……怯えなくていいの。夢はすぐに覚めるわ……」
「……皆で生きて帰るんです。だから……後で、迎えに来ます!」
 少女は、ほのかに背を向けて一目散に逃げ出した。ほのかは一歩だけ、それを追う素振りを見せたがすぐにそれを止め、走り去る少女の姿をまたしばらく眺めてからその場から離れていった。


 一は夜のターミナルを必死で駆け抜け、出入り口が僅かに開いているようだった建物の中へと飛び込んだ。暗い建物の中で物音はまったくなく、自分以外に誰もいないと分かると、入ってきた扉をぴたりと閉めてその場にへたり込む。
 危なかったと独りごちると、先ほど鉈がつい目前まで迫ってきた瞬間の記憶が思い出されて身体がかたかたと震えだした。
「……まだ、休んでる場合じゃない。何か、何か抜け道がないか考えないと」
 そう口に出してみるものの、実際に死を間近に感じた直後では、まともに思考が回らない。死ぬということは、こんなにも怖いものかと。震える身体を抑えつけながら、それでも何かを考えなくてはとトラベラーズノートを開いて文面を読み直した。読み直し、それでもなかなか戻らぬ思考にたまらなくなって、言葉を吐き出す。
「死にたくない……! 死にたくない、死にたくない……殺したくない!」
 吐き出して、誰にも気づかれていないかとまた気配を伺う。自分の呼吸と鼓動以外の音がしないとみると、大きく息を吐き出し、今度は口を引き結んでまたノートの文面を視線で追った。
(死にたくない。皆で生きたい。皆で。だから、私は誰も殺さない。誰かを殺すなんて、絶対に嫌だ!)
 ならば、考えるしかない。ゲームの主の思うようにはならない。皆で脱出する方法を考える。
(「ゲームマスター」は何処に隠れてる? 台座の周辺? 台座に珠が必要なら、隠された珠の場所は……?)
 広いターミナルからたった一つの珠を探し出すのは至難の業だ。これがゲームを名乗っている以上は、プレイヤーに対してゲームマスターもフェアでなくてはならない。つまり、珠の在処のヒントがあるはず。ルールの後にある詩がそれなのか。
(安らぎの間、というと医務室……? それだと癒しの間になっちゃうか。ただ落ち着ける場所じゃターミナルには沢山あるし……飲み干すとか水底という言葉からすると水辺? チェンバーには入れなかったから、ターミナルで水がある場所は限られる……駅前広場は噴水もあって落ち着けるかもしれないけど、安らぎの「間」ではないし……飲み干すと言っているということは、飲み干せる程度しか水量がないとも考えられる?)
 詩の文字列を指でなぞり、思考を走らせていく。しかし何かを見落としてる気がする。
「……いつまでも考え込んでる時間もないし、とにかく行って怪しいところから潰していこう」
 詩の謎を解こうと考えを巡らせているうちに、震えはもうおさまっていた。どころか、この状況にも関わらず謎解きへの熱が上がって薄ら高揚したようでもある。
(違う、そんな場合じゃない。皆の命がかかってるんだから……!)
 ノートを閉じ、立ち上がる。両頬を叩いて気合いを入れ直すと、一は入ってきた扉を一気に開いて駆け出した。


 ある店の物置小屋の陰に身を潜めたまま、ティリクティアは音をたてぬようそっとノートを閉じる。
(おかしいわ。こんなの、絶対におかしい! ターミナルで、こんな残酷なゲームが行われるはずない。アリッサがこんなこと許すわけがないもの。なら、これは何? 何者かがターミナルを侵略してきた? アリッサに何かあったのかしら。何かが起こっているのは間違いない、けど)
 何が起こっているにしろ、確かめる必要があるだろう。ティリクティアは物陰から僅かに顔を出し、世界図書館の位置を確認する。
(……時間は限られてるわ。急がないと時間切れになってしまう)
 立ち上がり、人の気配を伺ってから駆け出そうと身構える。しかしその際、ふいに物置小屋の鍵が開いているのが視界に入った。ティリクティアはしばし身構えた体勢のまま思案し、それから駆け出そうというのを一度中断する。身体を起こして物置小屋の戸口を開き、暗い中を覗くと、壊れた机や椅子がしまい込まれていた。その中から、外れて落ちていた机の部品らしい鉄パイプを拾う。
(自分の身は守らないと。私は、まだ死ぬわけにはいかない。私は絶対に生きて、故郷に帰る。絶対に、帰らないといけないの)
 自分にはやらなくてはならないことがある。自分に課せられた役割、巫女姫として、国の為に生きなければならない。死ぬことがあるとしたら、それもやはり国の為でなくてはならない。既に、自分自身でそう選択したのだから。
(……生を望む者、未来を求めよ……)
 ふと、詩にあった一節を思い出す。ティリクティアは物置小屋から出ると、また物陰から身を乗り出し、ターミナルの中央にある世界図書館の堂々たる外観を見つめた。
(未来を……世界司書を訪ねろってこと?)
 ティリクティア自身にも未来を見る力はある。しかしこのターミナルに未来を与えるものがあるとしたら、彼らの存在以外にないだろう。今、ほぼ無人のターミナルに彼らがいるとは限らないが、ならば彼らに関係するところを指しているのかもしれない。
 ティリクティアはまた周囲の人の気配を伺うと、意を決して物陰から飛び出した。そのまま脇目も振らず、真直ぐに世界図書館を目指してターミナルの街を走りぬけていく。
(私は、生を望む。未来を望むわ。決してこんなところで終わりはしない……!)


 コロリ、と。ティーカップの中で、珠が転がった。紅茶の中に沈んだそれを慎重に取り出すと、医龍は白衣の内ポケットへしまう。本当にただの紅茶とも限らぬ液体を飲み干す余裕はさすがになかった。
(司書室棟の休憩室内のお茶の中……想像したとおりでございました)
 今ここには、くつろぐ世界司書や談笑するロストナンバー達の姿はない。もし誰かいたとしても、おそらくそれは自分が殺さなくてはならない人なのだろう。無人の休憩室内をゆっくりと見回し、嘆息する。
(平時であれば、間違いなく安らぎの間であるはずなのでしょうが……今はとてもそのような気分にはなれませんね)
 静寂に包まれた部屋の中テーブルの上には紅茶入りのティーカップが一つと、開きっ放しになっている青い背表紙の本が一冊ある。開かれたページには何かの記事のようなものが書かれているようだがほとんどが黒いマジックペンのようなもので塗り潰されており、かろうじて『殺人ゲーム→ターミナル 標的:ロストナンバー』『【緊急】依頼準備←五名手配予定』といったメモ書きが読み取れる程度だった。
(……導きの書? 依頼の予定はあったようですが、救援を送る前に、何かが起こってしまわれたのでしょうか)
 司書が把握していたなら資料を漁れば何かしら出てくる可能性はあるが、時計のカウントダウンは既に残り二時間を切っている。ゲームを終わらせるには、この広いターミナルから四人の参加者を探し出して殺さなくてはならない。もう時間がなかった。時間切れになれば自分含む全員が死に、さらなる生贄がこのゲームに招かれることになってしまうことは明らかなのだ。
 せめて誰か来る前にと、医龍は足早に休憩室を後にする。無人の司書室の並ぶ一角を抜け、図書館ホールへと出た。
 医龍はそのまま真直ぐに出口へと急ぐ。そのとき、ヒュッと風を切る音がした。避けなければと思考は閃くが身体は間に合わず、左脚に鋭い痛みが走る。
「ッ!!」
 飛んできたものの正体を確かめている暇はなかった。続けざまに誰かが接近してくるのが分かったのだ。医龍は毒ガスの瓶を取り出し、「誰か」に向かって投げつける。瓶は相手に当たることはなく、地面に落ち、甲高い音をたてて割れた。
「煙が――!?」
 聞こえたのは少女の声だった。

 桜妹はトラベラーズカフェで武器を調達した後、珠を探して駅前広場へ向かうつもりでいたのだが、道中で白い竜のロストナンバーを見かけると、少し迷ってから目的を変えることにしたのだった。
 珠には場所のヒントがあるうえに他の参加者たちも探しているはずだが、その「他の参加者」たちの居場所は今のところほとんど分かっていないのだ。生き残るには、どちらを優先するべきかは明らかである。
 慎重に後をつけ、竜が世界図書館へ入っていったのを確認すると、少し時間を置いてから図書館ホールの柱の一つに身を潜ませて標的が戻るのを待っていた。
(お父さま……桜妹は、お父さまのくださった仕事を果たします。見守っていてください……!)
 もう一度、これは仕事なのだと言い聞かせるように心の中でそう唱える。この殺し合いの後に自分がどうなるのか、恐ろしい現実からは必死に目を背ける。
(……仕事が終わったら、家に帰って、そこで、静かに暮らして……結婚して、子供を作って、静かに、幸せに……)
 どれほどの間、そうしていたのか分からない。カウントダウンの時計と見ていれば把握できたかもしれないが、自身の人生の残り時間を示す時計を延々と見つめる気にはなれない。
 そして本当にこちらへ戻ってくるだろうかと疑い始めた頃、司書室棟の方から戻ってくる足音を聞いて、桜妹は二本用意していた包丁のうちの一本を握りしめ、柱の陰から標的に狙いを定めた。

 図書館ホールの一角で、割れた瓶から発生した白い煙があっという間に広がっていく。桜妹が煙に驚き一瞬たじろいだ隙に、医龍はメスを取り出した。この距離では他に用意していた火炎瓶を使っている暇はない。医龍がそう予想したとおり、桜妹はそれ以上の隙を与えず残った包丁を手に突っ込んでくる。先に桜妹が投げた包丁を食らった医龍の左足は、痛みと出血で動かせない。見た目の頼りなさに反して俊敏に動く桜妹の突進を避けるのは不可能だ。
 しかし医龍の間近に迫った桜妹は回り始めた煙の強烈な毒素に大きく顔を歪め、動きを鈍らせる。それを見て、医龍はマスクを落とさぬように片手でしっかりと押さえ、手にしたメスを彼女めがけて振り下ろした。
 桜妹はその前に下へしゃがみ、メスの切っ先から逃れる。それからそのしゃがんだ体勢から赤々とした血の流れる医龍の左脚へ、抜けていく力を振り絞って蹴り込む。
「――――グゥッ」
 医龍はあまりの激痛に呻き、膝をつく。その間に桜妹はどうにか立ち上がり、図書館ホールの出口へ向かってふらふらと走り出した。
「お父さま……桜妹は……」
「時間がないのです……逃がすわけには、参りません!」
 医龍も左脚を引き摺りながらも、すぐにそれを追う。互いに、動きはひどく鈍い。しかしそれでも二人の距離は徐々に詰められ、医龍は桜妹の背後に立った。桜妹は右手に残っていた包丁を振り向きざまに振りぬくが、力のほとんどが抜けたその一撃はあっさりと空振り、手から抜け落ちた包丁が図書館ホールの床にぶつかって高く鋭い音が反響する。
「……申し訳ございません。せめて、これ以上苦しまぬように……」
 医龍が彼女の首の頸動脈にメスをあてがう。そのとき、桜妹は今度は左手を大きく振った。
「!」
 顔面にかかった液体に驚き、医龍の手元が狂う。メスは彼女の首ではなく肩を掠った。桜妹は油の入っていた小瓶を捨て、隠し持っていたライターを着火して投げつける。
 医龍にかかった油が引火し、悲鳴がホール内に響く。広い図書館ホールで発生した毒ガスは拡散し濃度はすでに薄まってきていたが、落とした包丁を拾う桜妹はメスに塗られていた毒を受けて、ごぼりと口から血を溢した。
「……ごめ、……なさい」
 最早まともに起き上がれぬ身体を引き摺り、桜妹は悶絶する医龍の首に包丁を振り下ろした。それからその隣に横たわり、目を閉じる。
(幸せな家庭……叶えられませんでした……お父さま、桜妹も今、そちらに参ります……)

 息をきらしながらも、やっと世界図書館に到着したティリクティアは図書館ホールの扉を開くと、充満する煙と死体に口元を押さえ、顔を顰める。
(ひどい煙だわ……死体が燃えていたせいね……あれもゲームの参加者達……?)
 ティリクティアはホールの外で息を止め、急いで珠を三つ回収する。それからそのままホールを抜けて世界図書館内を見て回るが、生きた人間は何処にもいなかった。
(誰もいない……助けは……?)
 司書室棟の休憩室内で見つけた導きの書のメモをなぞる。緊急と書かれているにも関わらず、それらしい人員は未だ見ていない。あるいは、先に見たあの爆破死体がそれだったのか。そもそもこの書の持ち主は何処へ行ったのか。まさか、依頼準備中に何かあったのか。
(……ターミナルがこの状況なら、何があってもおかしくないわ)
 ティリクティアはまた急いで世界図書館を脱出する。街を探しても、ここまで来ても、生きている人間は見ていない。おそらく、助けも来ないだろう。腕にはめられた時計を見る。死の刻限は、こうしている間にも刻一刻と迫っていた。
(なら、私は自分でこの状況を生き抜く。人を殺す。私が生きるために)


「あっ、あの!」
 一が呼びかけると、ほのかはゆるりと振り返る。彼女の手にある鉈を見て、一は先ほどのことを思い出したのか僅かに身体を強張らせた。
「珠は、まだ見つかっていませんが、停留してたロストレイルの車両の乗降口に台座を見つけました。中に入ることができれば、状況を変えられるかもしれません。でも私一人では開けることができませんでした。なので、手伝ってもらえませんか……?」
 時計のカウントダウンは、残り一時間を切ろうとしている。ターミナルじゅうを駆けずり回ったが、一が得られた成果はそれだけだった。顔を合わすことができたのも、ほのか以外にはいなかった。
「……あら、ここにいたのね」
 聞き取れるか聞き取れないか程のか細い声で、ほのかは囁く。先と変わらぬ様子に、一は表情を険しくする。
「落ち着いて聞いてください。これは、夢じゃないんです。死んだら、本当に死ぬんです」
 ほのかは、するり、するりと、着物の擦れる音だけを聞かせ、一の方へと歩む。一は、今度はすぐに後ろへと下がった。
「……大丈夫よ、もうすぐ覚めるわ……」
「鉈を、置いてください。夢の中だとしても、人を殺していいはずありません」
 それでも説得を続ける一に、ほのかは目を細めた。怯えた子には何を与えるとよいだろう。菓子は手近にあるだろか。玩具は何処にあるだろか。
「……そう、目を閉じて、十を数えるといいわ……痛いことは何もないのよ」
 する、と羽織っていた真白い布を下ろし、そっと両手で広げてみせる。そのまま一の視界を隠せるように、近づいていく。
「……っ」
 一はやはり駄目かと、再度の逃走を試みようとする。そのとき、ほのかがくるりと身を翻し、彼女が片端だけ掴んだ白布がはらはらと空中で踊った。
 ガンッ、と舗装された道を殴る音がする。否、大きな石が落ちた音だった。ほのかが退いたことで、一からはそれを投げた人物が誰かはすぐに分かった。
「ティ、ティアちゃん……!?」
 ティリクティアは応えず、またほのかを狙い、手にした鉄パイプを振るう。ほのかは霞のようにそれをまたゆらりと避け、白い布をティリクティアの頭上に広げる。
「ああ、あなたも……。大丈夫よ、夢はすぐに、終わりにしましょう……?」
 ティリクティアはそれを払いのけようとするが、ほのかにとって己よりずっと小柄な少女にそれを被せるのはひどく容易なことだった。
「ッ……私は、」
 もがき、何とか布を取り去ろうとするティリクティアに、ほのかはすうっと鉈を振り下ろす。
「だ、駄目……やめてください!!」
 叫んだのは、一だった。一は鉈を持つほのかの腕に両腕を使ってしがみついたのだ。
「二人ともやめて、話を、話を聞いて! 例え夢だとしても、人殺しなんて、絶対に、」
「――いいえ、一。私は、例え夢だとしても、絶対に死ぬわけにはいかないの」
 一がほのかを止めた隙に布から抜け出したティリクティアは、鉄パイプで未だ一にしがみつかれたままのほのかの身体を横殴りにする。そして倒れた彼女の頭部へさらにもう一撃を振りかぶる。
「……そう。これが、この夢の終わりなのね……」
 ほのかは微かに笑んだ。彼女と共に倒れ込んだ一は叫ぶ。しかし、ティリクティアはどちらにもかまわず腕を振り下ろした。


「どうして、……どうして、どうして……!」
 一は動かなくなったほのかの遺体に縋りつき、嗚咽を漏らす。ティリクティアは赤く汚れた鉄パイプを握りしめたまま、一の傍らに立ち、落ちていたほのかの分の珠を拾い上げた。顔を上げた一は、彼女を目を腫らしたまま嫌悪に満ちた表情で睨みつける。
「人殺し……人殺し!! あなたのやったことは、絶対に許されない! 絶対に、絶対に許さない!!!」
「……ええ。分かっているわ、一。でも私は何をしてでも生きると決めた。ごめんなさいと言うつもりもない。だから許さないままでかまわないの」
 ティリクティアは、鉄パイプを両手で握り直す。一は歯ぎしりし、ただ、睨む。
「残る珠は、もうあと一つだけ」
「……」
 鉄の棒が、ゆっくりと高く持ち上げられた。何も持たぬ一の両手が強く、強く握りしめられる。ティリクティアもまた、ぐっと歯を食いしばった。
 ヒュゥッと、空を切る音がする。
「……人殺し」
 一の白い制服のシャツに、赤い色が滲んだ。


  ロストレイル双子座号の乗降口に取り付けられた台座へ五つの珠を嵌めこむと、扉が勝手に開く。警戒しながら中へ入ると、車掌服を纏った仮面の老紳士が古めかしい椅子に縛りつけられた状態で現れる。
「おめでとう。君の勝ちです、君を心から称賛しましょう」
 シーワンは、嗤う。愉快気に。楽しげに。ひとしきり笑うと、彼の身体は炎を上げて燃え始める。
「ごきげんよう、勇ましき勝利者殿」
 炎の中から、しわがれた声で紡がれた別れの言葉。ティリクティアは何も言わず、ただ彼をじっと睨んでいた。


そして残されたのは、ただ一人。



【GAME CLEAR】
 ゲームに参加したロストナンバー達は皆、その文字列を見ただろう。そして、壺中天をはずし、自分たちの今いる場所が壱番世界ではないと気づいただろう。

 それぞれ安堵し、本当のターミナルへ帰ろうとロストレイルへ乗り込む。その車両の中で、一はティリクティアを見つけるとすぐに飛びつくようにして駆けより、土下座する勢いで謝罪していた。
 それに対し、ティリクティアは左右に首を振る。
「例え仮想現実だったとしても、あのとき私は生きる為に人を殺すことを選んだの。でも私は、それを謝るつもりはない。自分の罪はこれからもきちんと抱えていくわ。絶対にそれを忘れたりしない。だから、あなたも謝らないで」
 真剣な顔でそう言ってから、少女は笑みを作り、「でも、これで仲直りしてくれるかしら」と握手を求めた。

【完】

クリエイターコメントお待たせいたしました。
今回のサイコロの目は6(振り直し)→3ということでティリクティアさんが勝利者となりました。おめでとうございます。

さて今回の珠の在処は司書室棟の休憩室にあるお茶(または飲料)の中ということで医龍さんが正解ど真ん中でした! すごい!
ちなみに司書室にあったアレは、シーワンの気まぐれな悪戯というやつです。

いつもの死華遊戯と違い、仮想現実と分からぬままゲームに参加するということでいつも以上にPC様方のシリアスな心情がプレイングに現れておりました。展開の関係上、一部プレイングから方向性を修正させていただいたところもありまして非常にドキドキしておりますが、いかがでしたでしょうか?
少しでもお楽しみいただければ幸いに思います。
公開日時2013-08-04(日) 22:40

 

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