「帝国へ向かってくれ。そうだ、ロウを救出する」 赤眼の強面司書、贖ノ森 火城は、そういってチケットを取り出した。 無意味といって過言ではない『電気羊の欠伸』への派兵のあと、その理由や原因が何だったのかも不明なまま沈黙を保つ至厳帝国ムンドゥス・ア・ノービレには、未だ皇帝の側近ロウ・アルジェントが囚われたままなのだ。 ロウはもともとかなりの力を持つ竜神だったらしく、多少手荒に扱われたところで問題はないだろうというのが、帰属前の彼を知るものたちの言だったが、彼を救出することで現在の帝国がどうなっているのか、情報を得たいというのが正直なところだ。 また、帝国内部に入り込み、何らかの力を揮う――しかもそれは、ロウをたやすく捕らえ、皇帝などの意識を自在に操作する強大な力である――何者かに関しても、状況の把握が喫緊の課題となっている。「ロウが囚われたのは、記憶の操作が困難だったため、という可能性が高い。なら、彼を救出すれば情報源にもなるし、戦力の増強にもなる。一石二鳥だ。何より、あんなところで野ざらしにされるのでは気の毒だしな」 人の好さをにじませた火城からチケットを受け取る。「……気をつけてくれ。目下のところ、ロウを捕らえ帝国内部で暗躍する何者かに関する具体的な予言は入っていないが、『導きの書』は漠然とした不穏、危険をつたえてくる。無茶をして、自分が危機に陥ることのないように」 その言葉を胸に刻みつつ、彼らはロストレイルへと急ぐ。 * 帝都アウルム・ラエティティアすなわち黄金の歓びと称される都市は、今日もまた賑わいと平穏とをみせ、いつも通りの、何でもない営みと幸いを享受しているように見える。 しかし、「不穏だの」 今回も同行を快諾したゴウエンこと清 業淵がぽつりとつぶやいたのを見れば、少なくとも見かけどおりではない何かが潜んでいることは明白だった。「何が?」 問えば、鬼神の眼は白亜の巨城アルバウェールスへと向かう。あの天辺に、ロウ・アルジェントがいるのだ。「……待ち構えておる」「気づいてる?」「おそらくは。我らが『何』であるかまでは判らずとも、明確な意志を持って迫りくるモノのことは捕捉済みであろう」「真正面からは不利……かな?」「そういうものがおってもよかろうな」「囮?」「いかにも。強き力を持つ何かがおるとして、出て来るのがそやつばかりとも限らんからな。否、要所要所に、囮としての何者かが配置されていると考えて間違いなかろう」 囮に囮役をぶつける。 彼らが意識を惹きつけている間に、救出班が一気に仕事を終える。「……なら、作戦の決行時間を決めて、それまでに準備を整えるべきかも」 周辺の調査、情報収集、退路の確保。 救助の方法、救助してからの行動。 『敵』と戦いになった場合の作戦、撤退の方法。 特殊能力を感知する装置、特殊能力を取り込んで我がものとしてしまう機器の存在を考えれば、特殊能力だけに頼るやりかたは危険だが、まったく使わずに乗り切ることも難しそうだ。 やるべきこと、考えるべきことは多い。「ふむ、前回と同じだの」 ゴウエンはどこか愉しげですらある。 『なぜ生きるのか』、そんな命題を持つ彼だ、今回のような出来事は、ヒトの壮絶な生きかたを見るうえで重要かつ心躍ることなのかもしれない。「俺に出来ることは、ぬしらの気配を希薄にすること、一定時間、ぬしらをヒトの影へ潜めるようにすること、一定回数、ぬしらを建造物のすり抜けが可能な身にすること、ぬしらを高所へ転移させること、ぬしらに飛行の能力を貸すこと、身体能力を高めること。――あとは、この【箱庭】とやらを破壊すること、であろうかな」 前回と同じく物騒なことを言い、彼は目を細めた。「また、その……懐かしい気配が?」「そうだの。まだ、感覚としてはっきり捉えることは難しいが」 シャンヴァラーラ全体を覆う、ゴウエンにとっての懐かしさ。 それはいったい何なのかと考えるうち、作戦の準備が開始される。 * 彼はふと、ペンを繰る手を止めた。「来る、か……それもいい」 城の天辺に捕らえた男へちらと意識を向け、その呼吸が驚くほど頑健に安定していることを確認したあと、彼は自分の作業へとふたたび没頭した。 手元の書類には、華望月をはじめとした、たくさんの【箱庭】への侵攻計画が記され、また、各方面の重鎮からの許可がサインによって記されている。じきに、大規模な侵攻が、シャンヴァラーラ全域を揺るがすことだろう。「血を、命を、捧げねば」 声はまだ若く、瑞々しく張りがある。 しかし、そこには、何かを覚悟したものの持つ重々しさと、目的のためならば手段を問わぬ冷徹さが含まれている。――彼には理由があるのだ。どうあっても成しとげねばならぬ、悲壮で絶対的な理由が。 それゆえに、彼は宙を見つめ、つぶやくのだ。「我らが皇帝陛下のおんために」 彼の力に囚われて眠る、偉大な指導者に思いを馳せつつ。*このシナリオは、一連のストーリーに沿ったシリーズものではありますが、ご新規PCさんの途中参加も大歓迎です。特に細かいことは気になさらず、お気軽にご参加くださいませ。* *大切なお願い* *『【電気羊の欠伸】Pain and Nostalgia Sonata』と『【至厳帝国ムンドゥス・ア・ノービレ】聖骸の反逆者 二ノ幕』は同時系列のできごとを扱っております。同一PCさんでの、双方への同時エントリーはご遠慮いただけますようお願いいたします(万が一エントリーされ、当選された場合は、どちらかもしくは双方の描写が極端に少なくなる可能性がありますので、重ね重ねご注意くださいませ)。また、なるべくたくさんの方に入っていただければという思いから、人数枠を多めに設定しておりますので、エントリーは1PLさんにつき1PCさんでお願いできればたいへんうれしいです。わがままを申しますが、どうぞご配慮のほどをよろしくお願いします。
1.不穏の音色 帝都は、今日もにぎやかな日常を謳歌している。 ――ように、見える。 「不思議なのです。街はこんなにも安寧に満ちているのに、そこかしこから何か危ういものが立ちのぼっているようにも思えるのです」 シーアールシー ゼロの言うことは正しい。 アウルム・ラエティティアは、その名の通り貴い黄金のごとき平らかさを保ち、人々が働き、憩い、暮らし、愛し合うすべてを受け止め、その腕(かいな)に抱いているように見える。 街は今日も、エネルギッシュな平安の中でにぎわっている。 しかし、少し意識を俯瞰させれば、奇妙な焦燥感、圧迫感、じわりとした危機感が、本能の隅っこをちくちくと刺し、落ち着かない気分にさせるのだ。市民がこれに気づいているかどうかはさておき、現在の帝都が『見かけどおりではない』ことは確かだった。 「何かある……のは、間違いなさそうだな」 アキ・ニエメラが思案しつつ言うと、ゼロはこっくりとうなずいた。 「このままでは、この世界の安寧が大幅に減るのです。ゼロはそれを阻止したいのです。ロウさんなら、それを防ぐすべをご存知かもしれないのです」 言いつつ、ゼロは何枚もの紙束をめくり、そこに書かれたもろもろを凝視している。 情報を発信してくれるロウがいないから、とドミナ・ノクスの分体が自ら集めてくれた、城中の構造と警備システム・警備兵の配置、街の詳細な地図、王城の頂上までの最短ルートや障害要素などの情報である。 アキもまたそれを凝視し、内容を頭に叩き込んでいるようだ。 「ロウの状態がどうなってるか今ひとつ判らねぇから、やるならひと息に、と思うんだが……それには、あの能力感知装置が厄介だな。こっちの動きを把握されかねねぇ」 「ゼロは、それには案があるのです。大船に乗ったつもりで任せてもらいたいのですー」 「お、マジでか。なら、そうしよう」 それぞれの案について意見交換し、情報の共有につとめるふたりの傍らで、 「誰かの意思を奪って、行動を管理下に置いたり、あやつったりするなんて私は許せない。意思は誰のものでもない……自分自身のものよ。なんとか、しなくちゃ」 ティリクティアは、『誰か』の非道を憤っている。 それを黙って聞いていたハルカ・ロータスが口を開き、 「だけど」 ぼそぼそとした口調で警告を発した。 「俺は今までずっと、駒だったから……大義の前に消費される命の哀しみを知っている。だから、止めなくちゃとは思う。けど、ティリクティア」 「なに?」 「誰も、自分以外の誰かにはなり得ないんだ。許せないって気持ちで視野を狭めてしまったら、見えるものも見えて来なくなる」 「それじゃあ、あなたは、あの非道を許せというの?」 「そうじゃない。俺やあんたにとっての正しさが、その『誰か』にとっての正しさだとは限らないっていうだけだ。そして、決めつけながら『誰か』と対峙することは、あんたを危険にさらすかもしれないっていうだけだ」 「……」 素朴な強化兵士の、訥々とした言葉に、ティリクティアは考え込むそぶりを見せた。 「俺やあんたの経験と、今回の首謀者にとっての経験は違うよ、きっと。感じ方も、思いの方向も違うはずだ」 「……そうね。それで腹立たしい気持ちが消えるわけじゃないけど、怒りは人の判断力を鈍らせかねない。そういうことね?」 「ああ」 朴訥に頷くハルカの前で、ティリクティアが少し、肩の力を抜くのが見えた。 「……なるほど」 ジュリアン・H・コラルヴェントが声を上げたのはその時だ。 「どうした、ジュリアン」 インヤンガイでの武装組織討伐をともに行ったアキが声をかける。 似通った能力から親近感を感じているらしいハルカも、ジュリアンのほうへ紅眼を向けた。 ジュリアンは、非常事態だからと『電気羊の欠伸』の夢守から渡された、全【箱庭】を超越して使用が可能な通信機を――といっても、それは優美な蓮花のかたちをした、傍目にはブローチのようにしか見えない代物だ――手にしている。 「『電気羊』に連絡を取ってみた。前回の侵攻で残された帝国兵の装備から、兵士の身元を確認し、彼らの住居や所属部隊を調べてもらった。その近況も」 「ふむ、それで?」 「彼らが帰還後どのような待遇を受け、今どうしているのか。侵略時の記憶はあるのか。――結論から言うと、『何ごともなかったかのように通常任務に戻った』ということのようだ。あの、『電気羊』襲撃作戦など、はじめから存在していなかったとでもいうような」 「精神を制御されていたから、記憶にも残らなかった? もしくは、夢の中のできごとだったような感覚で……?」 「おそらくは。だけどハルカ、想像がつくかい」 「え?」 「つまり」 ジュリアンの言葉尻をさらい、アキが顎を押さえて唸る。 「派遣されたのは六万としても、そいつらが所属する部隊の、例えば事務官だの上位指揮官だのまで意識をコントロールしてると考えたら、今回の首謀者は、相当な規模での精神制御が可能ってことになるな」 「しかも、城内の人間も、だ」 「そういうことだな。……精神的に丸腰ってわけにもいかねぇか、こりゃ」 言って、アキが眼を閉じ、意識を集中させるそぶりをした。 一瞬のち、何かを感じたものであるらしく、皆、不思議そうな顔をしている。 「今の、なんですかぁ? なんていうか、何かがカチッとはまったような感覚があったんですけど……?」 川原 撫子が声を上げるのへ、テレパスの延長線上の、精神攻撃を防ぐバリアのようなものだ、という説明をする。 「相手の力がどういう質のものなのか判らねぇから、どこまで防ぎきれるかは疑問だが、少なくとも最初の一撃は完全にシャットダウンできるはずだ。そこから先はあんたたちに任せる」 「ずいぶん親切だな。けっこうな負担なんじゃないのか、それは」 ジュリアンの言葉に、アキは肩をすくめた。 「ハルカが入れ込んでる。あいつが望むなら俺は力を貸す。それにこちとら筋金入りの下っ端兵士だ、お仲間の無益な血が流れるなら阻止してぇし、あとは妙な胸騒ぎがするから、かな?」 「胸騒ぎ、か……それは、僕も同じだ。もうひとつ、興味と呼んで差支えないものも、僕は持っているけれど」 「何となく、判るぜ、それ。誰にでも信念や願望がある。きっとそいつにも何らかの事情はあるに違いねぇ」 「ああ。それを紐解いたからと言って、事態が改善するとも限らないがね」 強化兵士とエージェントが、淡々と会話を交わす中、テリガン・ウルグナズは、大きな金の双眸で、今はまだ平穏を享受する帝都の光景を眺めている。 「ここが、アウルム・ラエティティア、か……」 その眼はもう、以前、神の横暴に憤り、神を――神の象徴たる白い翼を厭い、忌避したころのものではない。 「向こうは向こうで、自分が信じる正義を掲げて戦ってるんだろうな。この世界では、何が正しくて何が間違ってるかなんて、きっと誰にも判らないんだ。だから今、出来ることをしなくちゃな」 テリガンは、事前にナレッジキューブを用いて魔力を回復・増強させていた。 「ゼロが何とかしてくれるみてーだけど、もういっちょ」 ゼロが設備を沈黙させてくれるにせよ、それ以前の対策を……ということで、テリガンは今回の参加者たちに『魔力暗号化の加護』を張り巡らせた。特殊能力を奪うことができるという、帝国の技術に対抗したもので、暗号解読がなされない限り、何人たりとそれぞれの能力に触れることはできない、という優れものである。 「タダでいいのか、テリガン?」 アキに言われ、ニッと笑う。 「おうよー、出血大サービスだぜ! でも出来れば次は契約してね!」 言いつつ、テリガンの視線は、ラス・アイシュメルへと注がれていた。 「……何か?」 視線に気づいたラスがいぶかしげに首をかしげるが、 「ん、あ、いや、何でもない」 春に同行した迷宮で、復讐以外の感情を持ち始めたらしいラスに興味がある、などとはさすがに口には出来ず、テリガンは言葉を濁した。気にはなるので、ちらちらと伺っている。 ラスは、もう一度首をかしげたが、特に言及はせず、 「ドアマンさん、あなたはあの時、城内の力を感知されましたね」 「ええ。異質な、そして強大な力でした」 「アキさん、ドアマンさんをセンサーに、アキさんにテレパシー中継をお願いすることは可能ですか?」 「つまり、その力が発動されて、こっちへ向かってきそうなときは警告しろ、ってことか?」 「そうです」 「……まあ、行けるだろ。その代わり、あんたたちの精神にちょっと間借りさせてもらうことになるかもしれねぇけど、そこは勘弁な」 ラスは頷き、 「……嘘にはさせない。あの、理想の『死』を」 誰にともなくつぶやいて、あとはもう沈黙を保った。 「さて……正念場、というやつでございますね」 ドアマンが、陽光に輝く白亜の巨城を見つめ、ぽつりと言った。 「皆様、準備はよろしゅうございますか。お時間の設定に無理はございませんか」 それぞれ、救出作戦の決行前にやるべきことがあり、集合及び作戦の開始はここから五時間後に設定された。皆、時間を確認し、自分たちの取る行動を脳裏に思い描いてシュミレーションしている。 「では……参りましょう」 ドアマンの、厳かでさえある宣言とともに、ロストナンバーたちは、自分の思うめいめいの方向へと歩を進める。 2.想い、人それぞれに 撫子は、ほとんど一目散といって過言ではない勢いで、クルクス・オ・アダマースの実妹、ローザのもとを訪れていた。 「あら……撫子さん」 ローザは、先日と同じように自宅にいて、今日は庭の手入れに精を出しているようだった。 「何かあったようね?」 撫子の表情から察したか、日除けの白い帽子を取りながらローザが言う。 撫子は答えず、手帳を差し出した。 「これ、ありがとうございましたぁ」 どういたしましてとローザが手帳を受け取る。 「あの、ひとつお尋ねしたいんですがぁ」 「何かしら?」 「ローザ様、あれから陛下にお会いになったでしょうか?」 「ええ。昨日も夕飯をともにしたわ」 「特におかしなご様子は……?」 「そうね、なかったと思うけれど。でも、あなたは、それを不可思議と思うのね?」 促され、経過を説明する。 王城には今、何かがいること。 それが、皇帝や王城の人々、軍部の人々の意識を制御し、無意味で凄惨な死をあちこちへ撒こうとしていること。 それは、強い力を有するロウを、問答無用で捕らえてしまうほどの実力者であること。 「そのうえで、お願いがあるんですぅ。一度、陛下のところを訪れてみてくださいませんかぁ」 「わたくしが? 反応を確かめに……ということかしら?」 「はいぃ。でも、何万もの兵士と陛下の意志を縛り、ロウさんを拘束出来る相手ですぅ。私たちとの接触が判れば、ローザ様も同じ目に合うと思いますぅ。だから知らない風で居て下さいぃ」 撫子の言葉に、しかしローザは、 「そう……なら、わたくしは行かないほうがよさそうね」 そう言って、首を横に振った。 「どうしてですかぁ?」 「おそらく、わたくしは『見逃されている』からよ。それだけの人数を把握・掌握できる力の持ち主が、駒としては有効であるはずのわたくしに対して何もしてこないのだから、間違ってはいないと思うわ。それに」 「?」 「おそらく、相手はあなたたちのことを把握しているはず。あなたたちがわたくしのところへ来ることを見越してわたくしを呪縛し、あなたたちが不利に陥るよう、細工だって出来たはずなのよ」 「あッ……そっかぁ」 「だから、むしろわたくしは動かないほうがいいと思うの。首謀者は、わたくしに対して、『近づいて来なければ何もしない』という警告を発しているのだわ。ここからでも、あなたたちに情報を差し上げることはできるもの」 ローザの言うことには一理あった。 彼女が実はすでに首謀者の手先と化しており、偽の情報を流されて全滅する……などという終わりは、確かによろしくない。 撫子は方向性を変えることにした。 「ロウさんの他にも、同じように陛下の仲間になった方や最近重用され始めた方、ご存知じゃないですかぁ?」 今回の一件の根源となった何者かについての情報を集めることにしたのだ。 「そうね……彼の周囲には、いつでも人材が集まるから、誰が……ということは難しいのだけれど」 前回もお世話になった最新鋭の通信機器を起動させ、ローザが何名か、それらしい人物を示してくれる。 「可能性があるとしたら、この辺りでしょうね。時期や、兄との距離感から言って」 礼を言い、それぞれのプロフィールを眺めつつ、撫子は首をかしげる。 示されたのは、二十代前半から後半までの、経歴を見るだけで優秀と判る人々だ。この中に首謀者がいるとして、その目的が、なかなか見えてこない。絶大な願望があること、それだけはよく判るのだが。 「古龍クラスの能力を持った、精神年齢の若い相手、でしょぉかぁ。陛下を犠牲にしたいのか陛下の代わりに犠牲になりたいのかさえ、今はまだ判らないですぅ」 撫子の言に、 「いいえ……そうではないと思うわ」 ローザからの反論が重なる。 「え?」 「精神年齢の部分。精神が幼くて、これだけのことはできない。判るでしょう、どれだけのものごとを、同時進行でこなしているか」 「……はい」 「気を付けて、撫子さん。それが誰なのか、わたくしにはまだ判らないけれど、生半な相手ではないわ。能力が、というだけではなく、おそらくは、何よりも、その意志が」 ローザの警告は重々しい。 「だけど、わたくし、ひとつ確信していることがあるの」 「えっ、なんですかぁ?」 「首謀者の狙いがどこにあるのかは判らない。けれど、その誰かがこれを行ったのは、兄のためなのだ、って」 「陛下の……」 「方法の正誤は問題ではないわ。その判断はわたくしたちにできることではない。けれど、だからこそ、危険な相手だろうとも思うの。――くれぐれも、気をつけてね」 ローザに念を押され、見送られながら、撫子はローザ宅をあとにする。 強い、強い願いと意志。 それはいったい、シャンヴァラーラに何をもたらそうとしているのだろうか。 * そのころ、ドアマンは軍の施設にいた。 「お初にお目にかかります。わたくし、ドアマンと申します」 丁寧にアポイントメントを取り、礼儀正しく訪れたドアマンを、ローザの夫にして帝国軍総帥、ゼヴィラスは、執務室にて友好的に出迎えた。 重厚な革張りのソファが鎮座する部屋へととおし、何と手ずから茶を淹れてくれたものである。 「こちらこそ、よろしくお願いする」 ゼヴィラスは、背の高い、実直そうな男だ。 華やかな美貌のローザと並べば、さぞかしお似合いだろうと思わせる、均衡の取れた、当人も優秀な武人であることを伺わせる身体の持ち主だった。 「それで……何を? 私は、陛下に忠誠を誓うがゆえに、彼のなされることに対して多くの知識や情報は持たない。私に尋ねて返る答えなど、たかが知れているが……?」 「ああ、いえ」 ドアマンは居住まいを正した。 ゼヴィラスならば意識を保っているのではないか、その思いからドアマンはここを訪れた。 有体に言えば、ゼヴィラスが首謀者なのではないかとドアマンは疑っていたのだ。 軍事行動という意味で皇帝にもっとも近く、彼の行動を把握していて、かつ、軍に対する最大の権限を持つ者である。しかも、皇帝に恩があり、彼のカリスマに心酔しているとの話もある。そのゼヴィラスが、『すべてが終わったあと死ぬつもりでいる』という皇帝を救いたいと欲し、行動したとしても、何ら不思議ではない。 その思いから、 「閣下が兵を動かされた理由を、そして今回の件で思われるところを、お尋ねしたいと思いまして」 正直に、率直に疑問をぶつけ、返答を待つ。 私利私欲だと思ったことはない。 ドアマンが、垣間見、報告書を通じて触れただけでありながら、帝国や皇帝を深く想い、大切だと感じるようになった、それに倍する想いでもって、ゼヴィラスは国や民、皇帝を案じているはずだからだ。 だからこそ、何か事情が、理由が、原因があるのなら、ドアマンは手助けがしたいと思う。それゆえの問いだった。 ドアマンの声に含まれる真摯さが察せられぬわけではないのだろう、ゼヴィラスはしばし、質問の意味を反芻するかのような表情をしていたが、しかし、返ってきたのは、 「兵を? ――それは、いったい、いつのことだ?」 ドアマンの予測しない言葉だった。 「すまないが、その質問の意味を計りかねる。ここのところ兵を派遣したという記録はないはずだ。それに、今回の件、とは……?」 「は、いや、しかし」 あまりに想定外の事態に、思わず妙な声が出た。 「『電気羊の欠伸』への派兵は、」 「『電気羊』? あのような場所へ兵を差し向けて、いったい何の益が? 無意味に兵を喪い、こちらが損害をこうむるだけだ」 ゼヴィラスは、まさに何を言っているのか判らない、とでも言うような表情をしている。 じきに、埒が明かないと気づいたか、空中にブラウザ状のものを呼び出して、派兵の全記録を見せてくれる。確かに、先だって行われた『電気羊』への六万の派兵についての記録は残されていなかった。 「兵の数も把握されている。様々な事情で軍を辞したものもいるにはいるが、それだけだ。『電気羊』へ侵攻を行おうというのなら、最新鋭の装備をさせた兵士を百万、送り込んでもおそらく足りまい。――要するに、まったくの無意味ということだ。しかし……貴殿はそれを、不可解と思うのだな」 ゼヴィラスが首をかしげる。 と、意識の隅を、チリチリとした感覚がかすめて行って、 (これは、あの時と同じ) ドアマンは深く納得した。 彼は、すでに、精神制御の中にいるのだ。 そして、そのことに、まったく気づいてはいない。 六万の兵士が無傷で戻った今、ゼヴィラスに、侵攻の証拠を見せることはできなかった。 「少なくとも私は、陛下の望まれぬ侵攻はしない。陛下が仰るのならば、己が鬼と罵られようと、最後まで責務をまっとうするだけだが」 ゼヴィラスの物言いに偽りは感じられない。 それだけに、妙な寒々しさが残る。 ――彼は、どこまで、それを信じさせられ続けねばならないのだろうか、と。真実を知った時、数多の命が自分のあずかり知らぬまま喪われたことを知った時、彼はひどく苦しむのではないか、と。 ドアマンが、何をどう伝えればいいものかと算段していたその時、事務官と思しき人物がゼヴィラスを呼びにやってきて、疑念だらけの会合はお開きとなる。 並んで部屋を出ながら謝意を告げるドアマンに、ゼヴィラスは真摯な眼を向けた。 「貴殿が、この世界や国、陛下への強い誠と愛を持ってくれているということは判る。その気遣いに感謝する」 そう言って深々と頭を下げ、己の責務を果たすために歩み去ってゆく。ぴんと伸びた背筋と、広い背中に、ドアマンは決意を強くする。 「ならば……なおさら、何とかしなくては」 おそらくは、首謀者にも、強い願いと想いがあるのだろう、と思いを馳せながら。 * ジュリアンは強化兵士コンビと行動を共にしていた。 『出来ること』が非常に似通っているため、組んだほうが効率的だという判断である。 ジュリアン自身は、強化兵士ふたりほど強大な能力は持たないが、己の持った能力を客観的に判断し、適切に使うすべに長けている。そのため、個々の戦闘能力という意味では一歩も二歩も譲ると理解しているが、彼の行動自体は何ら見劣りするものではなかった。 三人は現在、軍事施設の一角にいる。 非常に重要なファクターであろうと思われる、『新しく取り立てられた側近』についての情報を集めるためだ。 前回、ティリクティアが聴いた、『軍部から』との言葉を手掛かりに、ゴウエンから拝借したさまざまな特殊能力を活用、施設内部のメインコンピュータへと辿り着くことに成功していた。 「……僕が、この依頼を受けたのは、『依頼を受けて、普段通り動きたいから』にすぎないが」 データを抽出しながら、ジュリアンはぼそりとこぼす。 他者の内面へ自分が踏み込むことも、自分の内面へ他者に踏み込まれることも好まないジュリアンだが、この強化兵士ふたりには奇妙な親しみがあって、 「首謀者たる何者かが漠然と気になる、というそれを否定もできない」 自然、言葉は己が心情に近くなる。 テレパスで網を張り、こちらへ近づくものを警戒しつつ、アキが頷いた。 「そのことで、行動を鈍らせるつもりはないけれども……」 「『なんだってそいつはこれを引き起こしたのか?』だな」 「そうだ。間違っている、と断じることは、おそらく誰にもできないだろう。主観においてなしたものごとが、自分以外にとって過ちだったなんてことは、ざらにある」 ジュリアンに手段の是非を判断することは出来ないし、するつもりもない。 彼には、能力や姿かたちに対する適当な自信こそあれ、他者へ押し付ける矜持などはない。自分自身の感傷に振り回され、感情に衝き動かされてものごとを判断しないこと、それがジュリアンの唯一の信念だ。 何より、主観に――感情においての決めつけが、自分の立場を危うくすることもある。特に、この状況下において、視野を狭めることは得策ではない。 「ただ……」 「ただ?」 情報がダウンロードされてゆく。 光を放つブラウザを見つめながら、ジュリアンはしばし思案した。 「ただ、その『誰か』がたぶん抱いている、何を天秤にかけ、誰に糾弾されることになっても貫く意志は、僕の持っていないモノだ。首謀者をそうさせたものは何なのだろう、って」 そこには、わずかな憧憬がにじむ。 アキとハルカがそれに応えるより早く、ちかちかといくつかのアイコンが瞬き、データをブラウザ上に展開する。『皇帝の傍へ新しく取り立てられた軍人』という情報しかないため、かなり大雑把な検索となり、提示されたデータは少なくない。 「これか?」 「それとも……こっち?」 「いや、グレイ・シンは北方駐屯地へ司令官として異動と書かれている。能力的にはおかしくないが」 「これも、能力的にはおかしくなさそうだけど、年がな。四十七歳は、『まだお若い』うちには入らねぇ気がする」 「なら……この彼かな。カイエ・ハイマート。二十八歳、『碧のクィーン』出身」 「『碧のクィーン』って?」 「帝国に敗れて吸収された【箱庭】だと書いてあるな。カイエはこの【箱庭】で最下層に位置する民だったみたいだ。上流階層に虐げられていたのもあって、ここが攻められる前から帝国へ移っていたようだな。と、いうよりも」 「……カイエが、この【箱庭】を攻めるよう進言、ないしは嘆願した?」 「かもしれない。皇帝がそれを汲んだなら、彼が皇帝へ抱く強い感謝は理解できる。だが、だとしたら」 長居は無用とばかりに撤収の準備をはじめつつ、ジュリアンが漏らした言葉尻をハルカが捉える。 「ずっと奇妙だと思っていたんだ。ロウという側近がいながら新しく抜擢、っていうのはなぜだろうって。カイエが首謀者だとして、その目的は何だろう? って」 私利私欲の匂いがしないからなおさら不可解なのだというハルカへ、ジュリアンは頷いてみせる。アキもそれに異存はなさそうだ。 「カイエは首席で軍の学校を卒業し、最近まで南部の駐屯地で指揮官をやっていた。この年齢でいえばかなりのやり手だろう。それが、九か月ほど前、いったん帝都へ戻ってきて、上層部と何ごとかをやり取りし、そこから数か月経った辺りで皇帝の側近へと抜擢されたらしい。この辺りの経過はきちんとした記録が残っていないから、それ以上のことは判らない。判らないように、わざと記録させなかったのかもしれないな」 「九か月ほど前……」 ハルカの声が思案の色を帯びる。 世界計が砕け、その破片が飛び散ったのもその時期だ。 飛来した破片を受け、彼は世界の真理を見たのだろうか。そして、この事件を引き起こすに至ったのだろうか。 「……これは、俺の想像だけど」 ゴウエンの、壁をすり抜ける能力で施設の外へと抜け出しつつ、ハルカがぽつりと言った。 「首謀者は、カイエは、皇帝を護りたいんじゃないかな。皇帝は全部終わったら責任を取る人間が要るって言ってた……それを、阻止したいんじゃないかな。自分が悪者になって死ぬつもり、なのか?」 ジュリアンには、それが一番理にかなった答えのように思える。 しかし、 「だけど、六万の兵士を派遣したのはなぜ? 六万の兵士が犠牲になる必要性はどこに?」 その疑問の答えは、まだ明らかにされていない。 ひどく冷静に、様々な展開を想定しながらことを進めていると思しき首謀者は、なぜ、最悪の場合すべてが命を落としたかもしれない、無意味な派兵をしたのだろうか。 「それが判れば、見えてくるものがある。そんな気がする」 ぼそぼそとしたハルカのそれが、やけに予言めいて聞こえた。 3.ひとがひとを想うから そのころ、ゼロは白亜の巨城アルバウェールスへとやって来ていた。 テリガンから瞬間転移や透明化の力を借り、ゴウエンからすり抜けや陰に潜む能力まで借りたゼロはほぼ無敵である。――他者を傷つけられないようにできているゼロにとっての無敵とは、行く手を阻めるものなどいない、という意味だが。 「まずは全体を把握なのですー」 事前に調べておいた城内の構造、警備システム、人員の配置図などを反芻しつつ、城の様子を観察して歩く。 「城内は落ち着いているのです。奇妙な力の波動を時おり感じはするのですが、しかし、城内の誰もそれには気づいておらず、また、城内の誰かが虐げられて安寧を妨げられているということもないのです」 盛大な独り言と思われそうだが、実際にはアキのテレパスへとつないでもらい、メンバーと情報の共有をはかるためのレポートである。 「これはゼロの勝手な想像ですが、首謀者さんは、本当を言うと、決して、誰かを傷つけたいと思っているわけではない気がするのです」 誰かの命が無意味に喪われることを止めたいとゼロは思う。 それは安寧が多く失われることでもあるからだ。 しかしゼロは、今回の首謀者もまた、安寧の中にあってしかるべきだと感じる。 「誰もが安寧に満たされた世界、それこそ、ゼロの望みなのです」 そのあと、広大な城の地下へもぐり、特殊能力を感知し妨げもするという装置のありかを探る。その装置さえどうにかすれば、仲間たちの行動は何に妨げられることもなくなり、ずいぶんやりやすくなるはずだ。 それは、じきに見つかった。 巨大な、といって差し支えないそれは、城の最下層にしつらえられていた。 どこか別の【箱庭】から採集してきたものだろうか、銀と金の光を宿して自ら煌めく、水晶クラスターを思わせる結晶、それを中心に、蜘蛛の巣を張り巡らせるように金属の棒やコード、チューブなどが伸びた、およそ機械とは思えぬような代物だ。 「なるほど。あの先端をアンテナに、特殊能力を察知するものと予測するのです。吸収も行っているのです?」 ゼロがつぶやく傍で、結晶は何度もきらきらと先端を光らせ、光る粒を内部へと取り込んでいる。 「これを無効化させられれば、やりたい放題解禁なのです!」 ぐっと可愛らしく拳を握るや否や、ゼロは巨大化を始めた。 装置の先端がチラチラと明滅し、光る粒が水晶柱を行ったり来たりする。 こうやって探知し、その情報を警備へ送るシステムなのだろう。 氷のような水晶柱が光を孕み瞬くさまは、幻想的で美しい。 それを見ながら、ゼロは我が身が天井まで届くと同時に縮小を始めた。元のサイズまで縮むと、また巨大化に移る。この環境下において極限まで巨大化したらまた戻る。戻ったらまた巨大化する。 ゼロがせっせと巨大化および縮小を繰り返す間、装置はちかちかちらちらと瞬いていた。心持ち、慌てているようにも見えるせわしなさである。 「ゼロと装置さん、どちらが強いか勝負なのです!」 厳密にいうと、彼女の巨大化は『能力』ではない。 これは、ゼロがゼロであるという、絶対不変の本質だ。 それを、世界や状況に見合うよう、無間増大し続ける『他を傷つけない力』で抑えているのだ。ゆえに、巨大化及び元に戻る動作を繰り返すことは、彼女にとっての特殊能力に当たる『他者を傷つけない力』をあふれさせることにつながるのである。 つまり、ゼロは、この力をあふれさせることで、装置に強い負荷をかけ、オーバーヒートさせようとしているのだ。 事実、装置には、ゼロの力はかなりの負担であるらしかった。彼女が、ほとんど無心で、巨大化し戻り、戻っては巨大化し……を繰り返していると、せわしなく繰り返されていた明滅が徐々に弱ってきた。 チューブやコードがぱしんぱしんと音を立てて弾け飛び、がたがたと揺れた金属棒があちこちで外れて落ちる。 そして、慌てふためくように二三度大きく発光したあと、装置はいっさいの動作を停止した。 「やったのです?」 すぐに非常電源のようなものが入り、自己修復と思われる工程が開始されたが、装置の完全復活までは数時間ほどかかりそうだ。その証拠に、ゼロが巨大化して戻ってを繰り返してみても反応がない。 「装置の無効化に成功したのです。装置は自ら修復をする能力を持っているようですが、それには数時間が必要とされると思われるのです」 救出前にゼロが目指したのは、これによる仲間のサポートだった。 「さあ、次は本番なのです。ロウさんを救出するのです」 それを見事成功させたゼロは、意気揚々と集合場所へ向かう。 * ティリクティアは『新しく取り立てられた有能な側近』の情報を集めていた。 そのころにはもう、超能力者組からカイエ・ハイマートという人間についての情報が入ってきており、彼の経歴や人となり、能力、そしておそらく彼が得たであろう力についての共有がなされていた。 ゼロが装置をオーバーヒートさせてくれたのもあって、特殊能力持ちの面々は、しばらく自由に行動できそうだ。 ゴウエンの能力も絶好調で、彼に同行を頼んだティリクティアは、あちこちを自由に行き来し、『迷子になった無邪気な貴族の子ども』を演じながらいろいろな人たちに話を聴いた。 ただ、本当は、カイエに会ってみたいと思ったのだが、貴族の子弟といえども子どもは政務塔には入れないと言われ、頼りのゴウエンにも、 「残念ながらここから先は進めぬ」 「どうして?」 「彼奴に勘付かれておる。不作法はするなと警告された。俺はそれでも構わぬが……強行突破するとなれば、それなりの痛手が予測されるぞ」 と、戦闘能力という点ではまだまだ発展途上のティリクティアにとって厳しい状況を突きつけられてしまったため、果たせていない。要するに、相手との関係性も築けていない状態で、手順を踏まずに会いたいと思って会えるものではない、ということらしい。 帝妹ローザに連絡を取ったラスが、そちらから手を回してもらって『新しい側近』とコンタクトを取る旨を報告して寄越したため、 「根回しって、大事なのね……」 自分がまだまだ子どもであることを痛感しつつ、ティリクティアは地道な情報収集に従事することにしたのだった。 しかし、城内での彼女は、非常に優秀な調査員だった。愛くるしい少女に宝石のような双眸で見上げられ、問われて、素っ気ない態度が取れる人間はそういない。 「新しい側近の方? ああ、カイエさまね」 侍女たちは、ティリクティアを疑うことなく、彼女の欲する情報を与えてくれた。 優秀で人当たりのいい、階層の低い人々に対しても分け隔てなく親切な、しかし戦場では鬼神のごとき猛々しさを見せる、そのくせロマンティシストの、笑うと笑顔が可愛い、照れた表情も可愛い、皇帝陛下に心酔していていつもその行く末を案じていて、……時々、思いつめたように、絶対に皇帝を死なせはしないと拳を握りしめているところが目撃されていて。 「ロウさまも素敵だけど、カイエさまはなんだか私たちにとても近しい気がして、みんな彼のことがとても好きなのよ」 侍女や侍従など、末端であるからこそ為政者の犠牲になりやすい人々は、そうやってカイエのことを口々に言った。少々頑固で自分を卑下しがちなところを除けば――その部分すら、好意的に受け止められていた――、カイエのことを悪く言う人間はほとんどいなかった。 「……判らない」 だからこそ、ティリクティアは困惑するのだ。 数万の兵士の意識を縛り、操って、無意味な侵攻を行おうとした何者かと、カイエ・ハイマートという人物像はどうにも一致しない。 「違う、だからこそ……なのね」 彼女の直観は、人々の言葉に偽りがないことを伝える。 カイエ・ハイマートが悪辣な己を押し隠し、偽りの善人を演じているわけでもないことを伝える。 それは、つまり、 「心の底から皇帝陛下を愛しているカイエが、彼の心や想いを貴びたいはずのカイエが、そうせざるを得ない何かがあったということなんだわ」 出がけに聴いた、ハルカの言葉の正しさを示唆してもいた。 「いったい……なにがあったっていうの。何があるっていうの……」 そのつぶやきに答えられるものは、もちろんいない。 4.独りよがり狂想曲 カイエ・ハイマートはロウより少し年下と言った風貌の、背の高い青年だった。 切れ長の、涼しげな眼差しをした、理知的な容貌の人物だ。 上位の武官であることを示す、裾の長い青の軍服をスマートに着こなしたさまや洗練された所作、隙のない動作は、彼の有能さを如実に表していた。 「今日は、無理を言ってしまってすみません」 帝妹ローザに一筆書いてもらうまでしてアポイントメントを取ったのだ、カイエは受けざるを得なかったに違いない。 表向きは恐縮しながら右手を差し出し、握手をするふりをして相手を走査する。 流れ込んでくる情報は、彼がとてつもなく虐げられた人々の一員だったこと、上流階級と呼ばれる連中のお陰で肉親の大半を喪ったこと、生き残った血族を連れて帝国へと渡り、血のにじむような努力を繰り返して今の地位を得たことなどを伝える。 それだけか、と失望しつつ手を放そうとしたところで、空から降ってきた光る欠片に身体を貫かれ、結果『真理』を垣間見た彼の姿が流れ込んできて、やはり、と確信した。 「いや、構わない。ローザ様のご紹介とあらば、時間を空けないわけにもいかないだろう。それで……用は、何だったかな?」 茶番は不要と感じ、 「あなたがロウさんを生かす理由について考えていました」 ずばり、本題に入る。 「あなたは、皇帝の背負ったものをすべて肩代わりして死ぬつもりなのではないですか。あなたは少し前、世界計の欠片を得た。それをもとに世界を知り、何かをなそうとしている。ロウさんを生かしたまま捕らえたのは、自分が死んだあと、皇帝の補佐として残すため。――どうですか?」 推理推測をひと息に述べたあと、ラスは意図的に嘲りの笑みを浮かべる。 「そんなことをして、皇帝が喜ぶとでも思っているんですか?」 断定的に、斬り捨てるように言うと、カイエの片眉が跳ねた。 カイエの想いや覚悟を否定し、挑発することで、本音を引き出そうとのラスの試みは、 「無知な子どもの独りよがりなど、誰も認めません。そうは思いませんか」 しかし、予想外の方向へと転がることとなった。 「なるほど……これは、手厳しい」 カイエに動揺など欠片も見られなかった。同時に、ラスの推測を、ひとつも否定はしなかった。それどころか愉しげに笑い、ラスに向かって拍手さえしてみせたほどだ。 予想外の反応に、ラスが眉をひそめると、 「君は……」 カイエは、ライラック・ブルーの眼を細め、彼を見やった。 「君は、前回ここへ来た時、本来なら、陛下へ何かを渡そうとしていたな。叶わなかったようだが」 「!?」 「何を驚く? 君が私を『走査』出来るように、私も君を読むことができる。それだけだ。人間の精神を制御できる能力に、よもや他者の内面を読み取る力がないとは思うまい?」 くつり、とカイエの咽喉が鳴る。 「あなたは……」 「無論、私は私の独善を理解しているとも。陛下のためと言いながら、これは私のためでもある。あの方の願いを踏みにじり、数多の血を、命を、世界中の【箱庭】へ撒こうというのだ。それが独善でなくて、なんだと?」 だが、と、カイエは真っ向からラスを見た。 「――では、君は? 世界線を超える罪を犯し、すでに記憶を持たぬ者の――確かめようもない者の生存を、大上段に告げようとしていた君のそれは、独りよがりではなかったと? 君自身以外の、誰のためだったと?」 カイエの眼は、この先何十万もの命を各【箱庭】へと派遣し、供儀として捧げようとしている残虐な簒奪者とは思えぬ程度には静かに凪いでいる。しかし、だからこそラスは、身構えざるを得なかった。 真実を暴かれ、過ちを突きつけられても、一片の揺らぎもないということは、つまり、カイエ・ハイマートの信念、覚悟、決意は、もはや誰かによって変化させられるものではないのだ。 それは、彼の行いをよしとはせぬロストナンバーたちにとって、大いなる危険を示唆してもいた。 「私……ボクは」 「ああ、別に怒っているわけではないんだ。君の言ったそれはすべて事実なのだから。だが……そうだな。君と私は結局のところ同じだ。そのくらいの仕返しは、許されるべきだろう?」 逆に、予測もしていなかったことを突きつけられ、ラスのほうが動揺させられていた。 動揺を誘い、様子を見るつもりが、逆にこちらを観察される羽目になっている。彼の、精神面の幼さが、ここにきてあらわになったと言える。 ――『実際の行動に移していない』ことを盾に言い逃れは出来ないだろう。 ラスが思い留まったのは、外部から示されるルールによる、ある種の圧力のためであって、自分自身の意志や認識で、それはおかしなことだと思い至ったわけではないのだ。 (火城、ボクは) 彼のためだと思っていた。 寄る辺なく苦しみ続けていた自分に、一条の光明と安らぎを与えてくれた、顔は怖いが気持ちはやさしい、あの赤い眼の司書を安心させてあげたいのだ、と。そして、あの時に感じた理想の死を、真実として留めたいのだ、と。 (判らない。判らなくなってきた。ボクは……) しかし、指摘されてみれば、確かにその通りだった。 火城は記憶をなくしながらもシャンヴァラーラの行く末のために司書として案件をさばき、ロストナンバーたちを送り込むことでこの世界を護ろうとしている。 皇帝は、命を懸けて自分を逃がした信ノ城ユキムラに報いるため、己が悪者になることも厭わず、死すら甘受して世界のために尽くそうとしている。 彼らはそれぞれ、お互いを思いながらも吹っ切って、今の自分に出来る最善を尽くし、想いに報いようとしているのだ。それはすでに、完成された、ひとつの和といって過言ではなかった。 そこに、彼が(もう会うことはできないが)生きている、と告げたところで、真実の意味で言えば、いったい誰が喜んだだろうか? それは誰のためだっただろうか? 考えれば考えるほど判らなくなって、唇を噛みしめて沈黙してると、 「君の推測は大半が当たっているが、ロウを生かすのはそういう意味じゃない。だいたい、彼はそもそも私より陛下に近い側近で、私がいなくなったからその補佐に、と戻すような人間でもない。――ああ、人間ではないのだったか」 やはり淡々と、しかしどこか愉しげにカイエが言い、そこでラスは我に返った。 「では、なぜです?」 「ロウがいなくなれば、陛下が哀しまれる」 「六万もの人間を死地へ追いやりながら、よくもそんなことが言えますね。彼らにだって、死ねば哀しむ人たちがいるのに。――まあ、成功はしなかったようですが」 皮肉を込めて言えば、にっこりと、穏やかな笑みが返った。 この場面においては不相応なそれに、不気味ささえ感じて一歩退く。 「まだまだ増える」 「え」 「いや、増やす、というべきか」 ラスの眼が見開かれる。 それは、これから、数多くの兵が、軍が、世界中の【箱庭】へと送り出されることを示唆していた。 「あなたは……」 言いかけたところでアキからのテレパスが入る。 そろそろ作戦が開始されるころあいだ。 ラスは救出には参加せず、こちらで囮に徹する予定だったが、それすらカイエには読まれていると考えるべきだろう。 彼が同じようにラスを『読んだ』なら、ラスの持つ不老不死を利用しようとしてもおかしくはない。カイエの能力に対する読み違いは、このまま囚われて、実験材料にされる可能性さえ表していた。 思わず身構えるラスに、しかし、カイエは笑ってみせただけで、軽く手を払う動作でラスに退室を許したのだ。 「行きたまえ。君は警戒していたようだが、不老不死になど興味はない……君たちの何を利用するつもりもない。ただ、交わらない信念がそこにあるとすれば、戦うだけだ。そうだろう?」 その顔には、一片の迷いも感じられなかった。 「いったい、なにを」 彼には、各【箱庭】に血と命を撒かねばならぬ理由がある。同時に、ロストナンバーたちがそれを阻止に来るのなら、真っ向から受け止めて戦う覚悟が彼にはある。おそらく、そのために死ぬことすら、彼にとっては予測のうちなのだ。 ものがなしいまでのその意志がなぜなのか確かめる暇もなく、ラスは壁を、廊下をすり抜けてゆく。 5.緋の真実 時間ピッタリに、アキとハルカ、ジュリアンは飛び出した。 そのあとに、ゴウエンから身体強化と飛行の能力を拝借したテリガンとドアマンが続く。 ゼロとティリクティアは退路の確保、撫子とラスは合流地点の確保を行っている。 ラスが伝えたカイエの様子から、彼が出てくることはないと予測された。 カイエは、ロウが救出されることを望んでいる。おそらくは、皇帝のために。 それゆえ、一行の前に立ち塞がるのは、力試しとばかりにカイエがけしかけてくる、機械仕掛けの警備兵だけとなった。 囮班と救出班は、最短ルートを検索した結果、民家などの屋根の上を飛ぶように駆けている。 『三体の機械兵が接近中よ、左斜め方向に隙間があるから救出班はそちらから、囮班はそのまままっすぐ行って!』 ティリクティアは、勘の鋭さを活かし、機械兵の動向と最善の進行方向をアナウンスしている。 メタリックな巨体を敏捷に操りながら向かってくる機械兵たちを、超能力組が相手取っている間に、ゴウエンとテリガンは一気に駆け抜ける。こちらに気づいた数体は、テリガンのライフルが吹き飛ばし、または、ドアマンが召喚したゴルドワール騎士団が惹きつけ、ふたりから引き離した。 「罠は特になさそうだ。カイエ本人が、本気で僕たちをどうこうしようとは思っていないからだろうな」 ナレッジキューブでこしらえたワイヤーで機械兵を絡め取り、動きを封じつつジュリアンがひとりごちる。 ゴウエンから借りた飛行の能力を、生来のものであるように操って軽々と屋根を飛び、同じくキューブ製の金属片を投擲してこちらへ注意を惹いたり、装甲の隙間に突き立てて動作不良を起こさせたりしながら、救出班の進行をサポートする。 三人は、そうやって、何体もの機械兵を破壊し、または機能停止させてゆく。 そんな中、 「ジュリアン、後ろだ!」 アキの低い警告に、背後から敵が迫っていることに気づく。 体勢を立て直していたのでは間に合わない。 そう判断し、ジュリアンは身体の力を抜いた。 見目のよい全身が重力に逆らうのをやめ、落下する。 唐突なそれに目標を見失い、再サーチを開始しようとした機械兵をハルカが念動でつぶし、同時に軽く跳んだアキがジュリアンの腕を掴んだ。 「ありがとう」 「ジュリアンってけっこう、大胆だよな」 「それは、どうも」 「今のって褒め言葉だったっけ? まあいいや、来るぞ」 機械兵は、面白がるカイエが想像出来るほどの、意地の悪い――試すようなタイミングで次々と現れる。 しかし、それにやすやすと敗北するほど、三人は弱くない。 その間に、テリガンとゴウエンはアルバウェールスの天辺へと到達していた。 屋根へと危なげなく着地し、小走りにロウのもとへ向かう。 「ロウ!」 傍らに膝をつき、呼ぶが、反応はない。 「何らかの力が絡んでいるものと思われます。今、それをここで解除している時間はありませんね、まずは撤退しましょう」 テリガンは頷き、ショットガンを手に立ち上がった。 「ドアマン、ロウのこと頼んでいいか? オイラはあんたたちを護ることに専念するからさ」 「無論です。頼りにしておりますよ」 微笑むドアマンへニッと笑ってみせ、テリガンは意識を集中させた。 囮組が機械兵たちを引きつけてくれているから、こちらはほぼ安全と言ってよかったが、時おり目ざとく彼らを見つけ、突っ込んでくる個体もいる。 「へっへ、そう簡単に倒せると思うなよー!?」 テリガンがライフルをぶっ放す。 それは狙い過たず機械兵の核を打ち抜き、沈黙させた。 ロウを抱えたドアマンを庇い、近づくものは容赦なく打ち倒しつつ飛ぶこと数分。 「こっちよ!」 ティリクティアが呼ばわるのが聞こえた。 見下ろせば、 「向こう数百メートルに敵はいません、安心して降りてきてくださいねぇ!」 撫子も手を振っている。 ぐったりとしたロウを抱えたドアマンと、その背を護るテリガンが屋根から降り立ち、ティリクティアの先導に従って走る。 囮組は、彼らの様子を確認しつつ、ひとまず最後の一体となった機械兵を停止させると同時に撤退を始めた。 「装置の回復がそろそろなのです。皆さん、ハイドアンドシーク・モードに移行してくださいなのです」 ゼロの警告に、超能力組も地面へと飛び降り、合流地点を目指し始める。 そうしてしばらく走り、ゼロとラスの待つ合流場所へ駆け込み、追手の有無を確認して、ようやく皆はひと息つくことが出来た。 「まあ、向こうが、追手なんか出そうとは思っちゃいないんだろうが」 少なくとも、救出作戦という意味では成功である。 ロウ・アルジェントは、無事に解放され、彼らのもとへと戻ることが出来たのだから。 「ロウ」 抱き起こし、その額に触れたハルカが、彼を縛っている鎖や力を『分解』すると、ロウはすぐに目を覚ました。 「大丈夫か」 抑えつけられていたものを唐突に解放されたからなのか、激しく咳き込むロウの背をさすりつつ問えば、小さなうなずきと謝意が返った。 「彼は……いったい、何を?」 心持ち硬い表情でラスが問えば、ロウは一瞬、何かに耐えるような表情をした。それから、重たげに口を開く。 「各【箱庭】には、トコヨの棘が眠っている。それはいつか発芽し、【箱庭】を滅ぼす」 「ええ、知っています」 「多くの、ヒトの血だけが、その発芽を抑えられる」 低いそれは、皆に衝撃をもたらした。 「――!?」 ロウの眉根は、苦悩に寄ったままだ。 「確かに、妙だとは思っていたんだ。発芽の時期がばらばらなのはなぜなのか。あいつに言われてやっと判った。――過去に、大きな争いがあり、命を落とした者の、つまり流された血の多い【箱庭】ほど、発芽は遅いんだ」 『電気羊の欠伸』しかり、『華望月』の中心たるヒノモトやティエンラン、エル・アララトしかり。戦いによって血が、命が捧げられた地の棘は、何かに満足でもするかのように沈黙を保つ。 大きなため息が落とされる。 ロウの眼は、アルバウェールスを凝視している。 皇帝を、それともカイエのことを考えているのだろうか。 「未だ、棘を除去する技術は確立されていない。【箱庭】を吸収することで棘は見つけやすくなるが……今まで、偶然以外にアレを破壊できたことはなかった」 無数の命を、血を捧げれば棘は成長を止めるのだという。 そしてそれは、過去のデータが証明している。 「本当を言うと、俺は、クルクスに死んでほしくない」 どこか弱い声でロウが言い、ぐしゃり、と前髪をかき混ぜる。 それが何を意味するのか判るから、皆が息を飲み、――けれど、何も言えず、ロウを見つめるしかない。 「自分がどうしても護りたい人を救うために、俺たちはどれを選ぶべきなんだろう?」 ハルカの問いにも、わずかな迷いがにじむ。 「ゴウエン様」 ドアマンは疑念を鬼神へと向けていた。 「あなたが感じられた懐かしさとは、何ですか。不躾ではございますが……滅びに関するものでは?」 ゴウエンは頷き、 「滅びか……然り。しかし、そうではないとも言える」 同時に首を振った。 「どういう意味だ」 アキがいぶかしげに問う。 ゴウエンはひとつ、小さな息を吐き、 「存在、だ」 と、低く言った。 「?」 「ロウの話を聴いて、合点がいった。否、もっと早く思い至るべきだった」 皆の視線が集中する。 「懐かしい、旧きモノの気配だ。もはや名も姿も魂も、俺に思い出すことは出来ぬが……」 縦に切れた瞳孔が細められ、帝都を見つめる。 「この街にも、かの羊の遊び場にも、その他の【箱庭】にも。そのすべてに、懐かしきモノの気配、いやその残滓か……影か? それが、こびりついておる」 『ソレ』を何と呼べばいいのか判らないが、そう付け足して、ゴウエンが思惟の海へ没頭してゆく。 「それは……どういう……?」 解決したように思えて、また増えた疑惑と問題に、頭を抱えたい気持ちにすらなりつつも、消耗の激しいロウを気遣って、速やかにその場をあとにする。 それでも帝都は、穏やかな日常を享受している。
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