オープニング

「どうした? まさか疲れたなんて言うなよ」
「あ、いや……」
 問われて、ハルカ・ロータスは戸惑いまじりの微笑を浮かべる。
 強化兵士のふたりが、たかだか半日程度、街を歩き回ったからといって身体的に疲労するはずもない。疲れたのだとすればそれは気疲れというものだ。
 なにせ、無目的に繁華街を歩く、などという経験がハルカにはない。
 いや、無目的と言っては連れ出した相手が気を悪くしよう。アキ・ニエメラには、「ハルカに日常的な経験をさせる」という立派な目的があったのだから。
 そこはインヤンガイのとある街区。
 ふたりはさまざまな店を回り――と言ってもアキがハルカを連れ回すという形にしかならなかったが――雑貨やら服やら、食材やらを買いもとめた。
 それから茶房(カフェ)を見つけ、一息ついていたところである。
「今度は誰か誘って来いよ」
「誰か……って?」
「デートだよ。誰か――女の子でも連れてさ」
 アキの言葉に、ハルカは一瞬ぽかん、と口を開けた。
「……俺――、アキ以外とこういうことをする自分が想像できないんだけど」
「バカ野朗」
 アキは笑った。
 単なる保護者同伴のお出かけじゃ意味がないんだ、と彼は言う。
 アキの言うこともわからないではないが、まだ、そういうあたりまえの暮らし、平凡な生活というものの輪郭が掴み切れていないハルカだ。
 ちいさな茶杯に注がれた茶からは清々しい香りがする。見よう見まねで啜りあげ、温かな茶の味を含んだ。
 ふたりがかけた窓辺の席からは、街路に行き交う人々の姿を見渡せた。
 買い物ならターミナルで事足りるが、「練習」だと言ってインヤンガイまで連れだされたのだ。
 このあたりはインヤンガイでも比較的、治安が良く、人々の生活水準も高そうだ。道行く人の身なりもいいし、瀟洒な雰囲気の店々が連なる街並みは清潔だった。
(……?)
 ふと、そんな雑踏の中に、ハルカは奇妙なものをみとめる。
 人だ、と思った。
 その人は、道の真ん中に立ち尽くしている。
 奇妙だった。
 まず風体がおかしい。
 ゆったりした布地の服だが、他の人々が着ているものとはあきらかに異質で、なにやらあやしい装飾のほどこされた、舞台衣装かなにかのようなのだ。そして読めない文字のようなものが連ねられた細長い布切れのようなものを、そのうえに幾重にも巻いているのだが、その裾が風をはらんでばたばたとなびいているのである。
 だが、行き過ぎる人々の様子を見ても、風など吹いていないのはあきらかだった。
 なにより異様なのは、その人物はフードのようなものをかぶり、そこからのぞく顔が面に覆われていることだった。
 人の顔を模した仮面ではなく、幾何学的な文様のようなものが描かれた、無機質な面である。
(見てる)
 にもかかわらず、そのものがこちらを注視している、とハルカは感じた。
 瞬間、ぞくり、と奇怪な寒気のようなものが背筋を走った。

「それでさ、近くにうまい点心の店があるって――」
 このあとの計画を語りながら、駅を降りてから買った街区のガイドブックから顔をあげたアキは、目の前が空席であることに目を丸くした。
「……。ハルカ……?」
 ハルカがいない。
 茶杯からはまだ湯気が立っている。
 手洗いにでも行った……のではない。対面の人物が席を立つのに気づかないわけはなかった。
 忽然と、ふと視線を外した瞬間に消えたのだ。
 まず考えたのはハルカの瞬間移動の能力だ。
 だが消える理由がない。まさか、能力が暴走したのか? だがそんな兆候は――
 アキは周囲へ視線を巡らす。
 そして感覚を研ぎ澄ました。
「拙った……か……?」
 超感覚の範囲を広げていきながら、アキは思った。つい、失念したのかもしれない。インヤンガイが、ほんのひとつ角を曲がれば、死の危険が潜んでいる世界だということに。

  ◎ ◎ ◎

 遠くに見えるは山河のようだ。
 だがそれは色がなく、茫洋としている。
 ハルカがもうすこし、いろいろなことを知っていれば、それは水墨画だとわかったかもしれない。
 水墨画がそのまま実際の風景になったような、不可思議な眺めだった。

 上も下もないような、奇妙な感じがする。
 だが緊急事態だということはわかる。そうとなれば、瞬間的にスイッチが切り替わった。肉体を緊張させ、戦いに備えればいい。
 ふっ――、と、ごくわずかな、微笑のようなものが唇に宿ったことに、ハルカ本人も気づかない。
 意識の表層で、なんとも皮肉なことだ、とかすかに思った、そのあらわれだった。
 結局、戦いの場でなければ自分を見いだせない。
 そのとき考えたのは、そんなようなことだ。

 俊敏に、ハルカの身体は反応する。
 振り返ったところには、竹林が広がっている。それも水墨画の竹林だ。
 低い唸り声――。
 茂みからのっそりとあらわれたのは大きな虎だ。
 獣の眼光が、炯々とした光をたたえて、ハルカを睨みつけていた。
『汝――』
 そのとき、声がした。
『何ノ故ニ戦フ』
 なぜ、戦うのか。
 問いとともに、虎が襲いかかってきた。
 あのときと同じだな。
 ハルカは、猛獣の第一撃をかわしながら、思った。
 インヤンガイで死にかけて、アキに助けられた、あのとき。あのときも、暴霊にそう問われたのだ。そしてそのときは答えることができなかった。

 だが、今はどうだろう。

『汝、何ノ故ニ戦フ』


  ◎ ◎ ◎

『なるほど。事情はわかった。……実を言うと、その街区ではつい最近、人が消えたという話がいくつか出ている』
「なんだって」
 店を飛び出し、公衆端末から、知っている探偵を呼び出した。
「暴霊のしわざってことか」
『たぶんそうかもしれない。あるいは……尸解仙(しかいせん)を知っているか』
「いいや」
『生前に道士の修行をしていたものが、生きているうちはものにならなかったが、死んでから力を手に入れたものだ。といっても、死んでいるのだから暴霊と同じなんだが、少々、質が悪い。尸解仙は《絶陣》と言って自分の理だけで成り立つ空間をつくりだし、アリジゴクのようにそこに生者を引きこんでしまう。暴霊域のようなものだが《絶陣》は尸解仙のルールで動く。それを破らなければ出ることはできない。その意味ではむしろ壺中天に近い』
「なんだか面倒くさそうだな」
『よくあるのは問答を仕掛けてくるタイプだ。うまく答えられなければ絶陣から出ることができず、やがて尸解仙に取り込まれてしまうことになる。このタイプは――』
 端末の向こうの探偵の声を聞きながらも、アキはハルカを探している。
 そして見るともなしに見た雑踏のなかに……彼は、ハルカが見たのと同じ異形の姿を見たのだった。
『……というわけだ。気をつけたほうがいいぞ。なにせ相手は……――おい、聞いているのか? おい……?』
 端末から虚しく声が響く。
 すでにそこから、アキの姿も消え失せていた。


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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>
ハルカ・ロータス(cvmu4394)
アキ・ニエメラ(cuyc4448)

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品目企画シナリオ 管理番号1942
クリエイターリッキー2号(wsum2300)
クリエイターコメントどうも。リッキー2号です。
もとのリクエストからは微妙にアレンジさせていただきましたが、趣旨としてはそう変わっていないはずです。

敵が支配する特殊空間内で、敵の問いかけに答えたうえで、戦って下さい。

また、OPはあのようになっていますが、前後のお出かけの様子を、場合によっては書いてもいいかなと思っています。プレイングに余裕がありましたら、なにか書いておいていただけると反映しますよ。

せっかくの企画シナリオですので、なんでも盛り込んでみて下さい。
よろしくです!

参加者
アキ・ニエメラ(cuyc4448)ツーリスト 男 28歳 強化増幅兵士
ハルカ・ロータス(cvmu4394)ツーリスト 男 26歳 強化兵士

ノベル

  1

「前にも――こんなことがあったっけ」
 アキは、ふっと、苦笑に頬をゆるめた。

 探偵と電話をしていたはずが、気がつくと、周囲の風景は一変していた。
 雑然としていた街並みは、ぼんやりと霞む水墨画の中に溶けてゆく。
 幻覚か――いや、それにしては、異様にリアルな、水音や風の匂いがする。さきほどの、探偵の言葉を、アキは半数した。
 《絶陣》……術によってつくられた空間。
 そこは、山道のようであった。
 アキはいつのまにか、山肌にすがりつくようにして這う山道の途上にいる。
 見渡せば、峻険な山々が霞の中に浮かんでいる。そして崖下から吹きあげてくる風。その風に運ばれてきたように、その声が問いかけてきた。

(汝、何ノ故ニ戦フ)

「どうにも」
 アキは息をついた。
「インヤンガイの暴霊っていうのは、問答が好きらしいな」
 足踏みをして、地面が、本物の地面同様に堅いのを確かめる。
 絵に描いたような風景なのに、感触は本物だ。
 クェーッ、と鋭い声に、アキは振り返った。
 岩肌を、猛烈な勢いて駆け下りてくる、いくつもの黒い塊があった。爛爛と輝く獣の瞳。全身を剛毛に覆われたそれは、猿に似ていた。いわゆる猩々――壱番世界でいうヒヒに類するものであろう。
 それが、凶暴な威嚇の声をあげながら、アキに襲いかかってくる。
 哈ッ――、と気合の一声とともに繰り出された蹴りで、アキは襲撃者を迎えた。
 最初の一頭は、したたかに頭部を蹴られ、そのまま崖下へ。
 間髪入れず、飛びかかってくる次の手を掴んで背負投をくらわせる。
(何ノ故ニ戦フ)
 そのあいだも、声なき声は響き続けていた。
「何のために、だと」
 3体目の猩々の腹に、拳を打ち込みながら、アキは吠えるように言った。
「何故戦うのか? 何度問われたって俺の答えは変わらない。……生きているからだ!」
 がらがら、と音を立てて、大小の岩が転がり落ちてくる。
 ほとんど垂直な崖を、アキは駆け上がる。
 携帯しているコンバットナイフを抜き放った。
 そして、精神感応を解き放った。敵の――本当の敵の位置を探るためだ。
 果たして、アキは、周囲のものすべてが、同じ波動の精神エネルギーのようなものでできているのを知る。いわばここは、敵の心の中に飲み込まれたようなものと言えただろう。
 今、避けた岩も。
 ナイフで受け止めた石つぶても。
 この崖そのものも、だ。
 みな、同じ「問い」でできていた。
 なぜ、戦うのか、と――・
「生きているから戦う。戦って生きていく」
 ぐにゃり、と見えていた風景が歪んでいった。
「生きるのは、大切なものがあるからだ。毎日だって会いたい人がいるからだ!」
 渾身の力で、ナイフを空間そのものに突き立てた。
 大きな悲鳴が、どこかであがった気がした。
 空間が切り裂かれ、血のかわり、不可思議な文様や文字があふれでた。
(ハルカ)
 アキの頭に浮かんだ名前。
(どこだ、ハルカ)
 切り裂かれた風景の向こうに、また別の風景が、あたかも芝居の緞帳を切り落としたかのように広がる。
 悠々と流れる大河だ。
 ざぶん、とアキの身体が、流れの中に落ちた。
 水墨画の川は、なまぬるく、それでいて凄まじい勢いてアキを沈めようとした。
「俺を飲み込もうったってムダだぞ」
 ここは精神の世界。
 折れることのない意志のちからがすべてだ。
(ハルカ)
 かつて、暴霊に捕らわれていたハルカのことを思い出す。
 あのときに似た状況だ。同じことになっていては危険である。
(ハルカ――ハルカ……!)
 精神感応の範囲を広げてゆく。
 そして遠くに……彼は求めるものの姿をとらえる。あたかもそれは、濁流の先に輝くひとつぶの光のようだった。

  2

(なぜ戦うのか――、か)
 発火能力によって起こした炎が、壁となって、ハルカと猛虎のあいだに立つ。
 野生動物なら火を恐れる。だがこの虎はそうではないようだ。
 虎に見えるがそうではない。暴霊が支配するこの空間の産物……もっといえば、暴霊そのものの力が虎の姿をとったに過ぎないものなのだ。
 獣は咆哮する。
 そして大地を蹴って、火の壁を飛び越すのだった。
 獣の牙は、ハルカの喉元を狙っている。そこに食らいつき、引き倒し、急所を食いちぎるつもりだ。しかし、その寸前、ハルカの姿は掻き消える。
 獲物を失って着地した虎の背に、ハルカのナイフが振り下ろされた。ハルカはわずかな距離を転移して攻撃をかわしたのだ。
 痛みと怒りに、虎は吠えた。
(戦う意味は、実を言うとまだよく判らない)
 かつて、答えることができず、立ちすくんだ心の空隙を暴霊に突かれたことがある。
(だけど)
 ハルカのナイフを背に埋めたまま、虎は暴れた。
 ハルカは再び転移して、間合いをとる。
 怒り狂った猛虎が突進してくるのへ、発火能力で火を放ち、牽制する。その一瞬の隙で三度の転移。虎の背のうえにあらわれた。刺さったままだったナイフの柄を掴む。
「だけど!」
 ハルカは声に出して叫んでいた。
「だけど俺は、自分に望みがあることを知った!」
 ロデオのように、暴れる虎の背に跨る。ナイフを抜き取り、また刺す。振り落とされそうになるのを、自分ごと念動力で抑えつけた。
「その望みを叶えるために生きたい。だから……だから俺は戦うんだ!」
 それが答か――、とでもいうように――
 虎の姿は消え失せていた。
 ざああああ、と風が吹く。風が竹林を騒がせている。
 振り返った。
 水墨画の竹林が揺れ、そして道を開けてゆく。
 そこに、あの存在がゆらりと幽鬼のごとくに立っているのを、ハルカは見た。
 インヤンガイの雑踏に見た、あの暴霊じみた存在である。
「言った、だろ」
 ハルカは油断なく相手を見据え、体勢を整える。
「望みがあるって。やりたいこと……知りたいこと、見たいもの……行ってみたい場所。世界には美しい物や、美味しい物や、楽しいことがあるって知った。それを……俺は知りたい。そうである今、このときを、俺は守りたい」
 ハルカの言葉が聞こえているのか、理解しているのかわからない。
 ただ、それは、ゆっくりと近づいてくる。
 それを取り囲むように、空中にあやしげな文字が書かれてゆく。
「守りたいものができたんだ。だから、あんたに殺されてはやれない!」
 ハルカの姿が消える。
 同時に、暴霊の周囲の文字が、収縮してひとかたまりになり、一拍置いて爆ぜ、鋭い矢のようになって四方へと飛び散った。
 ハルカは、そのとき、敵の頭上にいる。
 飛び散った矢は、彼の頬をかすめた。一条の、血の筋が水墨画の世界に鮮やかな朱をもたらすが、それには構うことなく、ハルカは、念動力によるプレッシャーを込めた刃を振り下ろした。
 暴霊――ハルカは知らないが探偵がアキに語った話によれば尸解仙というらしいその存在は、たしかにナイフの一撃を受けたようだが、次の瞬間、粘土細工が潰れるように崩れ、間合いをとって再生するのだった。
「ハルカ!」
 そのときだ。
 アキが駆け込んできた。
「無事か!」
「アキ――」
 離れていたのはほんのわずかのあいだのこと。それなのに、アキの声と姿が、驚くほど懐かしく感じた。
 そのため、とっさに、名をつぶやくしかできない。それをどうとったか、アキはハルカをかばうように立つ。
「平気なんだな」
 確かめるように、問う。
「うん」
 以前のことを思い出しているのだと気づいて、ハルカは小さく頷く。
「そうか。そうなんだな」
 アキはうっすらと微笑んだ。
 ここは尸解仙が支配する世界。絶陣は、その支配者が定めた理に従うという。言うなればここは、戦う理由を問う世界だ。答えを持たぬものが引きこまれたらどうなるか、想像には難くない。ハルカが無事なのは、つまり。
(答えを見つけた、ってわけだ)
 ひゅう、と空気を裂く音。
 アキ!と、ハルカが警告の声を発した。
 尸解仙の身体に巻き付いている、あやしい呪術的な布が、するするとほどけ、アキたちのほうへ向かってきた。それはねじれながら、鋭い槍のように先端を尖らせる。
 アキとハルカはそれぞれ別のほうに飛んで避けた。
 一拍置いて、反撃に移る。
 アキのほうが先に前に出た。
 尸解仙の周囲に、文様が浮かび、弾けてつぶてとなった。
「お前は気の毒な奴だな」
 アキは呪術の弾丸のあいだを縫うようにして踏み込む。
 避け切れない攻撃に、いくつもの傷ができたが、みるみるうちに治癒してゆく。アキの治癒能力が盛んになっているのは、彼が高揚しているしるしだ。
 その証拠に、アキの横顔は戦いの最中とは思えぬほど晴れやかだった。
「何かに到達したくて仙人を目指したんだろうに、死んで災厄をまき散らす化け物になるのか」
 間合いを詰め、斬りつけたが、手応えがない。
 かわりに、呪布がぶわりと広がり、魔物のあぎとのごとくアキをとらえようと蠢いた。
「やめろ!」

  3

 呪布の動きが止まった。
 それはアキにふれることなく、目に見えぬ力に押し戻されるようにしていき……次の瞬間、尸解仙は身体ごと後方に跳ね飛ばされていた。
「アキに手は出させない」
 それがハルカの念動力による援護だと――自分が彼に護られたのだと知って振り向いたアキは、そのハルカの言葉に、思わず目を丸くした。
「……って、一度言ってみたかったんだ」

 と、はにかんだように付け加えた様子も、よく知るハルカには違いない。
 けれど――
(強くなった)
 アキは思った。
(こいつは強くなった)
(いや、違うな……)
(本当は元から強いんだ。強かったんだ、こんなにも)
「ハルカ!」
 こみあげてくるものを腹筋にためて、アキは声を張った。
「『分解』だ。やれるか」
「わかった」
「俺がバックアップする」
 姿勢を低く、構える。その後方に、ハルカ。
 なにかを察したように、空間がゆらいだ。
 水墨画の風景がめまぐるしく変わる中、尸解仙の周囲に呪術文様が浮かんでは、消えた。
 汝、何ノ故ニ戦フ……何ノ故ニ……
 空疎な問いが幾重にも反響する。
 故ニ……戦フ……汝……
「うつろだな」
 と、アキ。
「見ろよ、ハルカ。あれは自分の発した問いにとらわれて、もうどこに行けなくなった魂だ」
「……」
「考えることは大事だけど、それだけじゃ意味がないんだ。人間の問いには終わりがない。だから問うているだけだど……どこにも行けない。よく見ておくんだ」
「……」
「用意はいいか」
「……うん」
「3で仕掛ける」
「わかった」
 アキのつまさきが地を蹴った。
 敵が反応する。
 呪術の弾丸が、ミサイルのように一斉に放たれる。黒い尾を引いて空間を裂く流星のような群れをアキはかいくぐる。
「3!」
 間合いを詰められ、領域を侵されることに応じて、尸解仙の呪布が蛇の鎌首のようにうねった。
「2!」
 瞬時に硬化した呪布がアキに向かって刺突を行う。跳躍してかわすアキ。
「1!」
 尸解仙の注意が上方へ向いた瞬間、彼は力を解放した。
 すべてが『静止』する、と、同時に――
 絶陣の風景が……呪術文様を描いた呪布が、尸解仙の身体そのものが、端から蒸発するように『分解』されてゆく。
 なぜ戦う、とただ愚かしく繰り返すだけの問いもまた、風にちぎれてさらわれるように消えてゆき。、
 あとにはもう、何も残らなかった。

  *

 はじまりと同じく、終わりもまた唐突だった。
 雑踏――、ひとびとの談笑の声と、ゆるいBGM。気づけばそこは、もといた繁華街のただなかだ。行き交う人の流れの立ち止まっているハルカを、怪訝そうに、あるいは邪魔そうに避けていく人の足。呼ばれて、振り向けば、アキが駆け寄ってくる。
 戻ってきたのだ。
 インヤンガイに。ふたりの日常に。

「平気か」
「大丈夫。……終わった、のかな」
「ああ。とんだ災難だった」
「でもよかった」
「ああ」
「アキが無事で」
「こいつ」
 アキは笑った。
「あのさ」
「ん?」
「……お腹、空いたな」
 思わず、吹き出した。
「お、おかしい、かな」
「いいや。おかしくないさ。……いや、ちょっとおかしいかな。あんまり普通で」
 肩を、叩いた。
「よし。じゃあ行こう」

 屋台が並ぶ通りに入った。
 点心がうまい店があると聞いていたが、そこに至るまでに目につく店々も、どれも劣らぬほど良い匂いをただよわせている。
 まるまるとした鶏肉がいくつも並んでいる屋台を過ぎ、料理人が大鍋に向かって麺を塊から削り出して放り込んでいる店を過ぎた。こんがり焼けたブタの頭が並んでいる店に、ふたりして目を見開く。次は黒焦げのサソリを売る店だ。ヤモリもある。まったく得体の知れないゲル状のものが串に刺して売られている。子どもたちが、そのままのかたちの鳥の串焼き(スズメかウズラだろう)を手にしてきゃあきゃあと駆けて行く。見たこともない形のフルーツが積み上げられている。
「すごいな。食べられないものなんてないみたいだ」
「四足のものはテーブル以外はなんでも食う……そう聞いたのは本当みたいだな。おっ、ここか」
 目指す店は、半分露天で、店の外にテーブルとイスが並べられた庶民的なところだった。
 客たちのあいだを、湯気のたつ蒸籠を重ねたワゴンが行き交っている。呼び止めて、欲しいものを言えばいいようだ。
「よし、食おう!」
 席につき、手を上げて給仕を呼んだ。
 スープ入り肉まんに、水餃子。焼売。春巻き。汁麺。蒸し鳥。揚げ魚。卵スープ。
 たちまち、テーブルのうえには蒸籠と小皿が高い塔をつくるのだった。

「……どうした、ハルカ。もう腹いっぱいか」
「あ、いや――」
「まだ食えるだろう。あ、そうだ。おおい、酒をくれ! ハルカも飲むよな?」
「アルコールは……」
「羽目を外すのも大事だぜ」
「……。アキ」
「よーし、きたきた」
「今日は……ありがとう」
「なんだよ。あらたまって」
「……ん。でも、行っておきたくて」
「いいから飲め。ほら」
「んっ」

 その後――

 思いのほか酒を過ごして、アキが気づいたときにはすでにハルカの目が座わっており、そろそろ帰ろうと言ったが聞かないハルカを立たせようとしたら関節技をかけられて悲鳴をあげることになった……と、アキがあとで語ったのがウソなのか冗談なのか真実なのか、ハルカの記憶にはない。
 本当ならごめん、でもウソ……だよ、ね?
 と何度聞いてもアキがそっと目をそらすので、いつかまたここへ来て、目撃者探しをしよう、とハルカは思っているそうだ。

(了)

クリエイターコメントおまたせしました。『彼方のダイアログ』をお届けします。
バトルもありつつ、楽しいおでかけの思い出になっていれば幸いです。

インヤンガイは、壱番世界の中国的な風俗の世界ですが、その空気感を、中国はもとよりはっきりとした出自のわかる単語を避けつつ描くことにいつも苦心しています。うまく描かけているといいのですが。

それではまた、どこかの世界でお会いしましょう。
公開日時2012-06-09(土) 22:50

 

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