「ヴォロスへ行っていただきたいのです」 世界司書、リベル・セヴァンは集まったロストナンバーたちに告げた。「ヴォロスのとある地方で起こっている出来事について、調査をお願いしたいのですが……」 ヴォロス辺境の、サバンナ地帯で、奇妙な現象が観測された。 一帯の野生動物たちが種を問わずに集結し、大移動を始めているというのだ。まるでなにものかに統率されているように。「原因は特定できなかったのですが、もっとも考えられるのはやはり竜刻です。異変が非常に広範囲に渡っているので、相当、力の強い竜刻だと思います。まだその予言はありませんが、暴走の心配がないとも言えません。持ち主のいない竜刻であれば回収してもいいでしょう。とにかく、まずは現地の様子を確かめてきてもらえませんか?」 * * * ロストナンバーたちが、目的の地に降り立つ。 日差しが強い。見渡す限りの蒼天のもと、まばらに灌木が生えるだけで、どこまでも地平線が続いていた。広大な平野に乾いた風だけが吹く。 しばらく、あてどなく歩いていたとき、それは、唐突に起こった。 地平線に立つ砂煙。そして、地響き。徐々に、その奔流の委細があきらかになるにつれ、見るものは驚愕を越えた深い畏怖にうたれずにはおられなかった。 シマウマ、ヌー、バイソン、キリン、ピューマ、ハイエナ、ゾウ、そしてライオンに至るまで―― ありとあらゆるサバンナの動物の、それは巨大な群れであった。 司書の告げたとおり、肉食動物も草食動物もなく、あらゆる種類の動物がその群れに加わっていた。 いったいどこを目指しているのか。 なにに導かれているのか。あるいは追い立てられているのか。 すべてはあきらかではない。 ただ言えることは、決して、自然のなすことではないということだ。この現象を引き起こしているなにかが存在するはずである。「あれを!」 誰かが叫んだ。 群れの大移動を見下ろす位置に、背の高いバオバブの樹木が立つ。 その梢に、ひとがいる。 若い男だ。身に着けているのは腰を覆うわずかな布だけで、鍛えられた肉体があらわである。褐色の肌には、なんらかの染料で文様が描かれていた。素朴な槍のような武器をたずさえ、なにかの動物の骨を仮面のように覆っているため、顔はわからなかった。 男は、視線に気づいたのか、ふいに、バオバブの枝から跳んだ。 人間離れたした跳躍力で宙に弧を描き、轟く群れの中に飛び込んだのである。 驚いたことに、男は動物の背から背へ飛び移ってその中を渡ると、大きなゾウの背中を坐する場所と決めたようだ。どの動物たちも、彼の足の下に置かれたことを怒るふうではなかった。 あたかも、その男こそ、百獣の王であるかのように。 群れが地平の果てに消えてしまうと、今見たことはまるでまぼろしのように感じられた。
1 低い、轟き――。 土煙とともに、怒涛のような動物たちの大移動は、地平の先へと向かう。 さまざまな神秘の息づくヴォロスにあってさえ、それは不思議な光景だった。 奇妙な畏敬の念さえ呼び起こすような一幕に、ロストナンバーたちまでも、目を奪われていたのだから。 「早く追いかけないと!」 溌剌とした声が、打たれたように立つロストナンバーたちをわれに返らせた。 サインだった。若い竜は、鈎爪で大地を掴み、今にも飛び出さんばかりに、鱗に覆われた全身の筋肉に力を込めていた。 返事より先に、動いたのはアストゥルーゾだった。 するり――、と、その少年の姿は溶け崩れるように変容し、またたきの間に一頭のガゼルとなった。ガゼルは駆け出す。 「全力で走るよぉ! 乗って!」 「よし。……来い!」 阮 緋はサインが頭を低くしたところ、その背に跨った。それから川原撫子を呼ばわる。撫子は慌ててそれに続く。タンデムの格好になって、やや戸惑ったが、サインは構わず走り出していた。 「きゃ」 振り落とされそうになってはやむなく、阮 緋の腰につかまらずにはいられなかった。 「い、壱号!」 オウルフォームのセクタンを飛ばして、空から先を見させる。撫子自身は、必死にしがみつくしかなかった。 阮 緋はあぶみもないのに、サインの背のうえで姿勢をたもっている。 「左だ」 そして行く先を示した。 動物の大群が移動した痕跡は地面を見ることで阮 緋にはあきらかだった。果たして前方に、群れの姿が見えてくる。 「見つけましたよぉ。ゾウの背中にいますぅ」 と撫子。ミネルヴァの眼が、例の男の姿を上空からとらえたのであろう。 「近づきすぎんようにしろ」 緋が低く言った。撫子(のセクタン)と、サインの両方に向けて、だ。 「じゃあ、どうする?」 走りながら、サインが訊いた。 「さて。まず任せてみよう」 緋の視線の先には併走するガゼル。アストゥルーゾは、動物の群れのなかに紛れ込むつもりのようである。 「あのっ……できれば、最初っから詰問するのじゃなくて……まずは友好的に」 「できればな」 緋はかすかに頬をゆるめた。 アストゥルーゾのガゼルが、群れの中に身を投じてゆくのが見えた。 「止まれ」 男は特に大きな声を出したわけではない。 というより、ゾウの背のうえに座す男が、骨の仮面の下で発した言葉など、当のゾウの耳にさえ届かなかったに違いない。 にもかかわらず、男の石は燎原の火か、小石を投じられた湖面の波紋のごとくに広まり、群れはそこで進行を止めたのである。 そこはサバンナの、水場であった。 「今日はこの場にとどまる。好きに休み、憩うがいい」 それが男の意思であった。 動物たちはさっそく、水を飲んだり、水浴びをしたり、岸辺の草を食んだりしはじめた。 その様子を男は眺めている。表情はわからねど、きっと満足げであろう。そんな気配があった。男を乗せているゾウも、その場にたたずみながら、鼻をあそばせて横腹に砂をかけはじめていた。 あたたかな日差し。抜けるように青い空と、のどかなそよ風。歌うような、種々の動物の声……。 男自身も、ふっ、と気を緩めたようだった。 「……」 だが。 はっと骨面が上がれば、近くにいた動物たちの幾頭がか呼応するように顔をあげ、耳をピンと立てた。 すっくと立つ。そして、跳んだ。 さああ、と、動物たちが道を開ける。その先に、一頭のガゼルが立って、黒目がちな瞳で男を見ていた。 頭上では、青いフクロウが輪を描いている。 同じ頃。 歩みを止めた群れの端では、サインたちが慎重に距離をとりながら、群れの様子を見ていた。 サインが、器用にもいろいろな動物の声を真似てみせたところ、やはり気になるのか、動物たちの視線がこちらを向く。 「馬はやれるか」 緋が言った。 サインは応えて、馬の声を出す。 一頭のシマウマがこちらを見ていた。 ひゅう、と緋が口笛を吹く。 とてとて、と――シマウマがかれらのほうに近づいてきた。 「……――」 緋は油断なく、しかしどこか優しい目でシマウマを見た。目が合う。瞬間――、空気が凝縮したような、そんな気配があった。ピクン、とシマウマの耳が動く。リィ……ン――、と鈴の音。さあっと風が吹いた。 「あ!」 見守っていた撫子が思わず声をあげたのは、シマウマがふいに高いいななきを発したからだった。 ひづめが地を蹴る。同時に、緋が跳躍して、その背に飛び移っていた。 「鎮まれ!」 彼の鋭い声にうたれたように、馬は身を震わせた。 「鎮まれ」 もういちど、今度は穏やかな声音で繰り返す。……嘘のように、シマウマは大人しく、まるで彼の愛馬のようにしてそこに立っているのだった。 「『断った』のだ」 撫子が目で問うのへ、緋が答えた。 「この馬と、かのものとの繋がりをな」 「それじゃ……」 「自然なものではない。なにかの『力』が動物たちを制している」 「そっか。じゃあやっぱり、みんな操られているんだね?」 サインが言うのへ、緋は頷いた。 そのときである、ざわめきが伝わってきた。 「あ……ああ、アストゥルーゾさんが!」 撫子が言った。ミネルヴァの眼で見たのだろう。 だがその内容を聞くまでもなく、緋はシマウマを駆って走り出している。 「阮 緋さん!」 「…………乗る?」 今度はタンデムしそこねた撫子へ、サインが訊いた。 「お願いしますぅ」 本当はかなりお尻が痛かったけれど、背に腹は変えられないのだ。 2 「おおっと」 鋭い槍の一突きは、ガゼルの膚のうえで弾かれる。その毛並みは金属に等しい硬度をもっていた。 「危ない危ない」 姿が変わる。アストゥルーゾが笑っていた。 「さっすが百獣の王。ってまぁ、操られてる動物と操られてない僕とじゃやっぱ違和感でちゃうかな……」 再び繰り出される槍の攻撃をかわした彼の背に翼がうまれる。そのまま上方へ舞い上がった。 「さてと、それじゃいろいろ質問しちゃおっかな」 骨面の男はガゼルがアストゥルーゾの変身と見抜き、攻撃してきたのだ。 だがそれも想定内。アストゥルーゾは落ち着いて、上空から彼へと問いを投げかけた。 「いったいなにがやりたいのさ。移動動物園ってわけじゃないでしょ。あ、言っておくけど、僕は動物でも人間でもないから、その力が効くかは怪しいよ?」 「おまえ」 骨の下で男の声が言った。 「竜刻使いか」 ヴォロスにおける神秘現象にはほとんど竜刻がかかわっている。自在に姿を変え、空を舞う少年を、男は竜刻使いと断じたようだ。 「竜刻は……『排除』する。この『世界』から……!」 男が槍を投げた。それは正確にアストゥルーゾをとらえたが、彼の片腕がどろりと崩れて槍を巻き込み、受け止めた。 「ふうん……これって……」 次の瞬間! 男はアストゥルーゾの目の前まで跳躍していた。槍を奪い返そうと手を伸ばす。 アストゥルーゾは身をそらしてかわしながら、もう一方の手をしなる鞭に変えて男の顔を打った。はじけとぶ骨の仮面。 その下からあらわれたのは……何の変哲もない人間の男の顔であった。無造作に短く刈った髪の、まだ若い男だ。金色の瞳が、静かな怒りをたたえてアストゥルーゾを見据える。 男は人間離れした身体能力を持っていたが、それによって高い飛躍が可能なだけで浮遊できるわけではない。そのまま地面に着地した。――と、動物の群れのなかをシマウマに乗って駆けてくる緋の姿があった。そして撫子とサインも、また。 「……」 男の瞳が3人を順々に、値踏みするように見てゆく。 「ねぇねぇ! この動物たちってあなたに従ってるのぉ?」 サインが無邪気に訊ねた。 「……敵対したいわけじゃないんですぅ! 動物さんやこの世界さんのことを考えての行動なら、協力したいんですぅ!」 撫子がつけ加える。 「……いかにもそうだが。おまえたちはあの竜刻使いのともがらか」 「私たちは、事情を知りたいだけなんです」 「何かこの辺りに異変が起きてるって言われたんだけど、心当たりなぁい? 竜刻の力なのかなあ?」 「竜刻などではない! 俺はこの力で、『竜刻のない世界』をつくるのだ」 「ほう。ではその力、どのようにして身に着けたのだ」 と、緋。 「人の身で、いかにして獣の王となった。この獣たちを支配する義が、おのれにあるなら示してみよ」 「……」 男は虚を突かれたような表情になった。 「……それは――知らぬ。竜刻は『災い』だ。この『世界』から『排除』されるべきもの!」 その叫びに応えるように、あちこちで獣の咆哮が響いた。 緋が乗っていた馬が暴れ出した。抑えようとしても言うことを聞かない。 やむをえず、飛び降りる。 「邪魔をするなら、おまえたちも『排除』する。竜刻使いならなおのこと」 「落ち着いてくださいですぅ。もっと詳しく聞かせてください。どうして竜刻のない世界をつくりたいんですかぁ? どうして、そのために動物さんを操るんですかぁ?」 「なーんか、ちぐはぐだなあ」 たっ、とアストゥルーゾが降りてくる。 「話通じないって感じ」 「サイン!」 「はい、どうぞー! 飛ばすよー」 「緋さん……っ、ひゃあ」 思わずヘンな声を出してしまって、撫子は顔を赤らめた。いつのまにかサインの背で緋と再びタンデムの格好。というのも、動物たちの群れが一斉に押し寄せてきたからだ。 風の中に、鈴の音が散る。緋のトラベルギアの効果で、風が唸り、緋たちを乗せたサインを護った。撫子は水を放射して飛び掛ってきた肉食動物を退ける。アストゥルーゾはとっくに飛び去っていた。群れを離脱すると、動物たちはそれ以上は追ってこようとしなかった。 そして、夜――。 すこし離れた場所で、4人は野営をしていた。 撫子が火を起こし、食事の支度をしてくれた。サインが持参していた燻製肉を使い、あたたかなスープを調理する。チョコレートやナッツからなるトレイルミックスとで、一応、腹は満ちるだろう。 「ロストナンバーだったりして、と思ったけど違ったね」 サインが言った。 男の頭上にヴォロスの真理数が表示されていたことは全員が確認済みだ。言葉も、ヴォロスのものだったようである。 「槍は、ただの槍だったみたいだよ。あの仮面もね。それにしてもなんで仮面なんかつけてるのかな? あーんないやでも目立つようなことやって、わざわざあんなものつける心境がよく分からないなぁ……」 「目立つことを恐れておらんのだろう。というより、も……何にも頓着しておらぬようだった」 「あの群れ……草食動物さんは良いですよぉ、でも肉食動物さんはご飯どうするんですかぁ? 動物さんたちの事を本当に考えて移動なさっているんでしょぉかぁ……」 「ねえ、竜刻の気配、感じた? ほんとうに竜刻なのかなあ」 「なにか『力』を持っていることは間違いあるまい。竜刻だとすれば、槍でも仮面でもないならば、体内か、それとも」 4人はここまででわかったことを確認し合った。明日、もう一度、なんらかの方法で接触をはかってみようということになった。 野営についても、撫子の支度が役に立った。彼女がバックパックに詰めてきた寝袋とテント、非常食があれば3泊4日は過ごせそうだ。 「見張りもしっかりとしないとね。次の日に響かない程度に交代して見張ろう?」 夜間について、サインがそう言ったが、 「僕に任せてくれてもいいよ。徹夜とかは慣れっこだもんで~、みんなの負担を減らすくらいならできるよ」 アストゥルーゾがそう申し出る。 「でも何があるかわかりませんからぁ、2人一組のほうがいいと思います」 撫子が主張し、とりあえず、撫子とアストゥルーゾが火の傍に起きていて、緋とサインがやすむことになった。 ヴォロスの、人里離れた辺境である。 日が沈むと、あたりは闇と静寂に包まれてしまった。 聞こえるものはパチパチと焚き火が爆ぜる音と、草原をわたる音だけだ。 見上げると、町の灯がない夜空には満天の星。息を呑むような銀河のきらめきがある。 どのくらい、経ったろう――。 かすかな足音を聞いて、撫子は顔をあげた。 「あ……」 アストゥルーゾと顔を見合わせ、頷き合った。 焚き火が投げかける光のなかに、ゆっくりと姿を見せたのは、一頭のシマウマだ。 呼び起こすまでもなく、緋とサインは気配に目を開け、半身を起こしていた。 シマウマはそこに立ち止まり、じっとこちらを見つめている。 「昼間のウマだね」 サインが指摘すると、緋が頷いた。 4人が腰を浮かすと、シマウマは、来たほうへもどるように体の向きを変え、こちらを振り返る。 「着いて来いってこと?」 そのようだった。 3 蹄の足音に導かれ、4人は動物たちの中へ分け入ってゆく。 多種多様な動物たちが、じっと大人しくサバンナの大地に座り込んだり、よこたわったりしており、眠っているものもいれば、起きているものは物言わぬ瞳で4人を見つめていた。 シマウマがたどりついたのは、水場であった。 水音がする。 星空を映す水面に、波紋が広がり、その中央に、男の――この動物の大群のなかでただひとりの人間の姿があった。 「――っ」 撫子がちいさく声をあげたのは、男が全裸だったからだ。 水を浴びたため、身体を飾っていた文様は洗い流されている。男は撫子を気にするふうではなかったが、岸辺に投げてあった腰布を申し訳のように身につけた。 「今度はそっちから呼ぶなんて、どういう風の吹き回し?」 アストゥルーゾが訊ねた。 「『理解』したからだ。おまえたちが、『外からきた』ということを」 「えっ、わかったの!?」 サインが驚いて言った。 真理数を持つ以上、男はロストナンバーではなく、ならばこちらがそうとは気づかぬはずだ。サインのような人語を解する人外の種族でさえ、ヴォロスには珍しくもないのだから。 「これを見ろ」 男はてのひらを開いた。 そこに、小さな骨のかけらのようなものがある。 「竜刻だ。この水の底で見つけた。……こんな小さなものでさえ、加工すれば魔術の核くらいにはなろう。人を殺すくらいはできる程度の。あるいは動物が誤って飲み込んでしまえば、異形の怪物となり果てることもある。……この『世界』は、竜刻によって苛まれているのだ。こんなかけらさえ、それが国同士のいさかいを引き起こすことがある。竜刻をめぐる戦争で、今までいったい幾人の人々が殺され、いくつの村が焼かれ、いくつの国が滅びただろう。……おまえたちにそれがわかるか?」 男は滔々と語った。 「竜刻に恨みでもあるわけ~?」 「……そうだな。俺の暮らしていた村も、竜刻をもとめる国により戦火に焼かれた。だがそんなことはもはや小さい」 「何をするつもりなんですかぁ?」 「『排除』するのだ。この『世界』から、竜刻をすべて。竜刻を欲する人間をすべて。すべての大地を、竜刻より解き放ち、竜刻にかかわりなく生きるもののためにあらしめるのだ」 「そのために、動物さんたちを? 言ってることはわかりますけどぉ……でも、動物さんたちは関係ないですよね?」 「いかにも。単なる手足として統べ、動かそうというのであれば、それは王とは言わぬ」 撫子と緋が反論した。 「おまえは、この『世界』のためになることならば協力をすると言ったようだが」 「言いました、けどぉ……たしかに竜刻がなくなったら、ヴォロスが平和になるかもしれないです。でも……」 竜刻の存在はヴォロスの摂理だ。 その力は平和に使うことだってむろんできる。 いかに男が強い力を持っていたとして、すべての竜刻を排除するなど容易いこととは思われず、その過程ではさらなる争いが起こるはずなのだ。なによりも…… 「この獣たちの意思はどうなる。住み慣れた地より離され、貴様の兵卒として操られることに理があるとは思えぬな」 「……『理解』しないのだな。ならば、おまえたちも……『排除』するのみ」 男の金の瞳が光を宿したかに見えた。 同時に、サバンナに百獣の雄たけびが響き渡る。 「決裂かぁ~」 「ガッデム! 殴り合い上等ですぅ☆」 男の意志が、夜のサバンナにすみやかに伝わってゆく。 動物たちが一斉に、ロストナンバーたちへ襲い掛かってきた。 撫子の噴射する水流が、先陣切って飛び込んできたヌーたちを退ける。牙を剥いて飛び掛ってくるチーターへは、サインのトラベルギアから撃ち出された弾が炸裂して吹き飛ばした。 地面を揺るがすようにして突進してくるゾウ。存外にすばやいその動きに巻き込まれるのを巧みに避けて、阮 緋は青龍刀を手に男へと距離を詰めてゆく。 「おのれの意のためだけに獣を操る――それが志士きどりとは片腹痛い。王として分不相応ならば斬り捨てねばなるまい」 左からライオンが、右から水牛が迫る。寸前で、緋が跳躍したため、動物たちはしたたきに正面衝突する。 舞い降りる猛禽のように、緋の剣が男をとらえた。 「……っ!」 低い呻きに、確かな手ごたえ。 緋は、しとめた、と思った。しかし。 「何!?」 衝撃が、緋を襲った。とっさに防御姿勢をとったが、暴虐的なエネルギーは容赦なくその身体を吹き飛ばす。 サインと撫子が駆けつけてくる。 「み、見て……!」 サインが叫んだ。撫子が息を呑む。 「はっはーん。そういうことだったのか~」 とっくに安全な空中に逃れて、3人の戦いの見物をしていたアストゥルーゾは、特等席からその様子をつぶさに観察することができた。 袈裟懸けに、緋の剣が男の肩から胸にかけてを斬り裂いた。傷は深く、常人ならすでに終わっていた。少なくとも、片腕は失っていたはずだ。 だが、本来ならあふれるはずの鮮血は一滴もこぼれることなく、かわりに、迸った閃光がサバンナの大地を真昼のように照らしたのである。 「……」 緋は、すばやく体勢を立て直しながら、険しい顔つきで、それをにらみつけた。 「機械!?」 「あ、あの歯車……まさか……『世界計』ですかぁ……!?」 カチ、カチ、カチ、と―― 刻まれるのは、規則的な機械音。時計の歯車のような音だ。 傷口からのぞくのは、複雑にからみあい、作動する歯車と、バネと、得体の知れない、金属とも結晶ともつかぬ物質でできた人工的な部品の集まりであった。 「『排除』する……『外からきた』ものたちもすべて……!」 傷から血があふれ、体内から臓物がこぼれるがごとくに、機械が形を変え、飛び出し、騒々しい音を立てながら新たな形態へと組み変わってゆく。それは遠目には恐竜の骨の化石ような形状に見えた。うつろなあぎとが開き、その中に白く輝く光が灯った。 「避けろ!」 緋が叫んで飛びのき、サインと撫子がその警告に従う。 間一髪、機械が発射した光弾が轟音を立てて地面を穿った。 すぐさま第二撃――、第三撃、第四撃。 サバンナの夜に時ならぬ爆音が相次ぐ。 リィ……イン!と緋のトラベルギアが鳴り、雷の虎が駆けた。部品から、肋骨のような部位が伸び、虎型の雷撃を受け止める。同時にサインが♪弾を放ったがこれは命中しない。別の方向から撫子が水流を浴びせる。 「……『排除』する!」 水流に、視界を奪われ、苛立ったように男は咆えた。 機械の中に、新たにエネルギーが集まり、輝きが灯る。そのときだ。 「!」 水流に遮られた視界の向こうから、ゾウが迫っていた。 サインの♪弾は男を狙ったものではなかった。その衝撃に驚いて混乱したゾウが、男のほうへ突進してきていたのだ。 「ほらほら、どかないと踏まれるよ~!」 アストゥルーゾの声が空から降ってきた。混乱したゾウを男のほうへ追い立てたのは彼だったらしい。 「止まれ!」 男は叫んだ。彼の力は健在で、ぴたり、とゾウは歩みを止める。だが、それで十分だったのだ。緋が男のふところに飛び込む隙をつくるには。 「……断ち切る……ッ!」 先ほどの太刀筋をもういちどなぞるように、再び、緋の剣が敵を斬る。それは物理的な斬撃にとどまらない。同時に男と『部品』のつながりを断ったのだ――。 「……っ」 男の喉が喘ぎ……血を吐いた。 血とともに、細かな部品が吐き出されてきた。 バラバラと……組みあがった機械が崩れてゆく。そのあとに残るのは、袈裟懸けに斬られた深い刀傷。当然、そこからは血が噴出す。 散らばった部品と、血の海の中に、男が倒れた。 そこへ、わっと押し寄せるのは獣たちの声だ。部品が崩れると同時に、男の力が失われたのだろう。統率されていた動物たちは、すぐそばに天敵が、あるいは獲物が大量にいることに気づき、瞬く間に恐慌に陥った。 「危ないっ」 「部、部品を……っ」 四方八方から押し寄せ、逃げ惑う動物たちの群れに、なにもかもが呑み込まれていった。 ……すべてが静まるに、数十分を要しただろうか。 あれほどいた動物たちは、蜘蛛の子を散らすようにサバンナの四方へと逃げ去ってしまい、あとには踏み荒らされた草地が残るばかり。 その中に、血にまみれ、男がよこたわっていた。 おのれが率いていた動物たちの暴走に巻き込まれ、男は瀕死である。 「この部品は、どこで手に入れたんですかっ!?」 撫子の問いに、男は、 「流れ星を……見た」 と答えた。 「流れ星……? もしかして……空から降ってきたんですか?」 いらえのかわりに、ごぼり、と血を吐く。 それが、最期であった。 「あ」 サインが声をあげた。 一頭のシマウマが、すこし離れた場所にたたずんでいる。 しばし、ロストナンバーたちはシマウマと見つめあう。 「……どこへでも行くがいい」 緋が、シマウマに声をかけた。 「おまえは自由だ」 それが通じたのかどうか。 シマウマは、夜のサバンナへと、独り、駆け出してゆくのだった。 * * * 「結論から言いますと、間違いなく、ターミナルの『世界計』の一部でした」 4人が持ち帰った部品は調べられ、得られた答えがそれであった。 「どうしてヴォロスにあったの?」 「あのとき『飛び散った』のでしょう」 「えええええ」 樹海どころか、別の世界にまで飛び散ったとは。 「ご存知のとおり、世界計の破片は、生物の体内にとどまる性質があります。『世界計』とは『世界のしくみを顕現させたもの』。それを体内に宿したものは、『世界のしくみを理解し』、『望むように世界を作り変える力』を持つということのようです」 「あの人は、ヴォロスが竜刻に支配されていることを理解して、それがない世界を望んだ。そのために、動物を操る能力を得たっていうこと? ずいぶん、まわりくどいやり方だよねえ」 「そこはなんとも。彼なりのロジックがあったのかもしれませんし……体内の部品の量によって得られる力にも限度があるのかもしれません。いずれにせよ今後、注意しなければならないのは……」 「他にもありうるということだな」 「ええ。ヴォロスのみならず。他の世界にも破片を手にして、世界を変える力をもったものたちが、今後もあらわれうるということです」 そう言って、リベル・セヴァンは修復された世界計を見上げた。 謎の機械は、なにも答えることなく、カチカチと音を立てて動いているばかりだった。 (了)
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