オープニング

「……なんだ、あれ」
「どうした、ギルバート」

 朝ぼらけの海に浮かぶ一隻の船。ウミネコの鳴き声が目的地が近いことを期待させ、酒やまともな食事を渇望する船乗りたちは浮き足立っている。だが、ギルバートと呼ばれた青年だけは違っていた。双眼鏡を両目から離さず、右方の岩礁を凝視している。凝視するのも無理はない、そこには目を疑うものがあったのだから。

「おい、女だ! 女が倒れてるぞ!」
「はあ!? ……くそっ、マジだな! 3時の方向に転回! 岩に気をつけろよ!」

 確かに若い娘が一人、岩と岩の間に引っかかって波に揺られている。船乗りたちは小船を出して助け出すが、目を覚ます様子はない。

「……死んでねえよなあ」
「息はしてるな」

 ギルバートが腰に下げた手拭いで娘の髪を拭いてやると、感触に気づいたのか、娘がはっと目を開けた。状況が飲み込めないような顔で何度も視線を泳がせ、それからゆっくりと身体を起こして口を開く。

__……ここは、どこ?

「おい、こりゃどういうことだ」
「???」

__わたしを家に帰して! 帰してください!

「一体何喋ってんだ、この娘」
「分からねえ……口が利けねえのか?」

__誰かわたしの話を聞いて……!

「海魔じゃあなさそうだけどよ、困ったな」

 娘の言葉は船乗りに通じず、船乗りの言葉もまた娘には通じない。娘はぼろぼろと大粒の涙を流し、自分の言葉で必死に訴える。けれどそれは誰にも伝わらず、娘の涙はまた溢れるばかりだ。
 嗚呼、誰か、誰か、誰か。

__誰か……

「……大丈夫だ、安心しろ」

__……!

 ギルバートは何か論拠があってそんな台詞を吐いたわけではない。けれど、全くの無根拠というわけでもない。ただギルバートの心にあったのは、自分でも知らずに握っていた娘の手をあたためてやりたい、そんな想いだけだった。

「何があったか知らねえけど、泣かないでいいんだ、もう」

__あり……がとう……

 何を言ってるのか分からない同士が頷いた。それは、哀しい結末が用意された、恋の幕が開ける合図だった。

***

「今すぐ、ブルーインブルーに行ってきてほしいの」
 片手に持った導きの書を開き、世界司書のルティ・シディはひどく沈んだ表情を見せた。何か凄惨な事件でも起きたのかと問えば、彼女は首を横に振り、導きの書に浮かび上がった一説を指で辿った。
「アヴァロッタっていう海上都市に、一軒の酒場があるの。そこに、覚醒して異世界から転移させられたロストナンバーがいるから……彼女の保護をお願い」
 世界の真理に覚醒したロストナンバーは、壱番世界の出身であるなどごく一部の例外を除けば、ディアスポラ現象によって異世界に転移させられる。生まれ育った土地や家族から引き離され、言葉も通じない、自分の常識も通じない、文字通り未知の世界に叩き込まれるのだ。0世界からロストレイルに乗って訪れるロストナンバーだけが、その孤独から彼女を救うことが出来る……のだが、少しばかり複雑な事情があるようだ。

「今回保護して欲しいのは、レイラ・マーブルという名前の女の子。……でも、アヴァロッタの人はこの名前を知らないわ。便宜上かなあ、ヌーシュって呼んでるみたいだけど」
 ヌーシュとは、アヴァロッタの古い言葉で「人魚姫」という意味があるそうだ。解説を挟み、ルティは導きの書に浮かび上がった文章を音読するように言葉を続けた。
「レイラは、本当に普通の女の子よ。長い銀色の髪に銀色の瞳が目印。……ああ、皆なら真理数で見分けがつくわよね。どこの世界から来たのかよく分からないけど、特殊能力とかは持ってないし、パニックに陥ってるわけじゃないから、力づくで列車に乗せなくても大丈夫」
 海の藻屑になるところだったレイラは、通りすがりの商船に助けられたそうだ。しかしレイラを船に乗せ続けるわけにもいかず、船乗りたちはレイラを馴染みの酒場に預けているらしい。ここまで説明したルティが、沈みがちな表情に更なる影を落とした。
「皆が到着した次の日に、レイラを助けた船がアヴァロッタに帰ってくるわ。説得に時間がかかったら……少し哀しいことになるかもね」

 レイラを見つけた若い船乗り……ギルバートという名の青年が、レイラに恋をしてしまったようなのだ。たとえ言葉が通じなくても男と女だ、伝わる想いは数多の垣根を容易く越えてしまう。
「ギルバートはロストナンバーのことなんて知らないし、レイラは放っておいたら消えてなくなっちゃう。でも……でもね……」
 恋が実ってしまえば保護は難しくなり、レイラ自身も消失の運命にさらされる危険がある。どうするのが最善かは分からない。任せてしまってごめんなさいと、ルティは深く頭を下げた。

品目シナリオ 管理番号237
クリエイター瀬島(wbec6581)
クリエイターコメント逢えない時間が、愛育てるのさ。
こんにちは、瀬島です。

というわけで、ベタではありますが淡い恋のシナリオをお届けします。
戦闘の必要はおそらくありません。

レイラ・マーブルを説得し、0世界に連れ帰っていただくのが今回の「お仕事」です。
説得の方法如何では、レイラは首を縦に振らないでしょう。
また、説得に時間がかかりすぎてしまえばギルバートがレイラを守ろうとするでしょう。
ですが成功・失敗などは堅苦しく考えず、どうするのがレイラにとって最善なのかを、一緒に考えてあげてください。

なお、ギルバートはブルーインブルーの一般人です。
ルティも軽く説明しましたが、ロストナンバーや世界の真理に関する話題は御法度です。お気をつけください。

それでは、皆様のプレイングをお待ちしております。
どうかよい旅を。

参加者
那智・B・インゲルハイム(cyeu2251)ツーリスト 男 34歳 探偵/殺人鬼?
黒葛 一夜(cnds8338)コンダクター 男 20歳 探偵助手
アンリ・王壬(ccnf6452)ツーリスト 男 47歳 教師
高城 遊理(cwys7778)コンダクター 男 23歳 作家
鰍(cnvx4116)コンダクター 男 31歳 私立探偵/鍵師
ショコラ・スイーツトルテ(cddn1176)ツーリスト 女 16歳 洋菓子魔術師

ノベル

 眼前に広がる海はどこまでも穏やかで美しい。昼間の陽光を反射して優しく輝く水面は、いつか絵本の挿絵で見た龍の鱗のようだ。

__海よ、母の優しい腕よ

 レイラ・マーブルはそんなことを考えながら防波堤に腰掛けて、ぼんやりと、ただ海を眺めていた。時折吹く海風が銀の髪を揺らし、そのたび彼女は目を閉じ、かすかに口を開く。もし、隣に誰かが座っていたのなら、その声を聞くことが出来ただろう。

__海よ、父の大きな背よ

 その小さな小さな声は、果たして歌声としてアヴァロッタの人々に届くのだろうか。答えはおそらくノーだ。レイラはこの島に来て以来、ずっと孤独だった。彼女の言葉が分かる者はこの島、いやこの世界には居ないし、唯一手を取ってくれた青年も今はどこか遠い海の上。それでも、この海の上に、空の下にあの青年はいる。それを思えばレイラの心は軽くなったし、こうして歌を歌うくらいには元気でいられた。青年は明日帰ってくる。それを知っていれば、歌声はもっと高らかに響いていただろう。

***

「……切ないね」
 これから保護しに行く少女の、仮初の名前。その由来を思い出し、高城遊理は軽く溜息をついた。一歩後ろを歩くアンリ・王壬も難しげな表情を隠さない。
「全く、悲劇は見たくないものだ」
 この仕事を依頼した世界司書は、任せてしまってごめんなさいと言っていた。つまり、保護対象を探し当て、具体的にどう対処するかを自分たちで考えなくてはいけないということだ。
「ねえ、みんなはどう思う? ……その、レイラちゃんのこと」
 参加した中の紅一点、ショコラ・スイーツトルテがフードを被り直しながら他の者に問う。レイラには幸せになって欲しいと思う、だけど幸せなんて他人の物差しでは測れない。道中ずっと考えていたけれど、結局はそこに帰着してしまう。人の数だけ考えはある、ショコラはそう思って尋ねてみたのだけれど。
「さあねえ……。助手くん、どう思う?」
「俺にふらないでくださいよ」
 たまたまショコラと目が合った那智・B・インゲルハイムは興味なさげにかわし、会話を黒葛一夜に投げて寄越した。一夜も困惑気味だが、那智よりは真剣に問いを受け止めている。
「うーん……選択肢は三つ? ですよね」
 そう、三つだ。一つ目は世界司書の依頼どおり、0世界に連れ帰ってツーリストとすること。二つ目はブルーインブルーの住人として帰属させること。そして三つ目、いずれ来る消滅の時をただ待たせること。三つ目の選択肢が色々な意味で一番まずいのは誰もが理解していたが、ロストナンバーたちが理解しているだけではどうにもならない。まずはレイラを探し、今自分が置かれている状況を説明してやらなければならない。
「まあ、会ってみなきゃわかんねーよ。行こうぜ」
「それもそうね!」
 鰍が朗らかに笑い、足を進める。それに引っ張られるようにショコラも大きく頷いて後に続いた。

「司書さんが気にかけていたけれど、ギルバートはどうするべきだろうね」
 ふと思い出したように遊理が呟く。世界司書はギルバートの気持ちには言及したが、レイラの気持ちは語らなかった。それも確かめないことにはどうしようもないだろうが、レイラの前で皆の意見が割れるのも好ましくないだろう。
「……人魚姫の心のままに、では甘いであろうか」
 答えとして発せられたアンリの言葉は単純明快だったけれどとてもロマンチックで、それを聞き皆が目を細める。
「甘甘だけどさ、いいんじゃねえ?」
「ええ、賛成です。こればっかりは我々が決めていいことじゃないでしょう」
 甘い、の意味をするりと取替えて鰍が頷き、一夜が笑う。そのやり取りにショコラもどこかほっとしたように顔をほころばせた。お菓子のように甘い恋とはいかないかもしれない、けれどきっと出来ることはあるだろう。

***

 酒場というのはその地域の特色が最も色濃く出る施設のひとつだろう。ロストナンバーたちが足を踏み入れたその酒場は、食堂も兼ねたような場所らしく、非番の船乗りたちがちらほら出入りしている。ちょうど昼食どきのようだ。
「いい匂いだねえ」
「我々もお昼にしましょうか?」
 オイルサーディンや海藻のスープの香りが皆の胃袋を刺激する。目線で空腹を訴える那智の気配を察し、一夜が昼食の提案をした。
「そうね、じゃあ別行動にしましょっか? 私はレイラちゃんを探すわ」
「俺はその辺で聞き込みにするかね」
「なら、1時間後にここで落ち合おうか。それより早く見つかったらエアメールで連絡するよ」
「うむ、異論は無い」
 那智と一夜以外の4人はそれぞれ目的を持って散開する。那智の他にもう一人二人くらいは昼食の誘いに乗ってくれるかと思った一夜は少し残念そうだ。
「先生は行かれないんですか?」
「だってお昼だろう?」
「……まぁ、そう言いましたけど」
 早々にテーブルにつき、ランチの品書きを楽しそうに眺める那智を見て、一夜は肩を竦めて向かいに座った。
「そういえば、どうしてこちらにいらっしゃったんですか?」
「暇だったからねえ」
 そう言うと思った、そんな表情の準備は出来ていた。予想通りの答えに一夜は眉を下げて少し笑い、那智が指差したオープンサンドとスープのセットを頼みにカウンターへ向かった。

「オープンサンドにスモークサーモンとオリーブのっけたやつ。あと、エールちょーだい」
「あいよー」
 カウンターを覗き込みながら、鰍が手馴れた様子で注文をする。初めて見る顔にも怪訝な顔をせず、女店主は機嫌よくジョッキにエール酒を注いだ。
「そういえば、最近ちょっと変わった女の子が居るって聞いたんだけど。ほら、銀髪で口が利けない子」
「ああ、ヌーシュのことかい。あの子だったら今は東の防波堤に居るんじゃないかい?」
 ジョッキを受け取りながら鰍が問う。その人なつっこい雰囲気に、女店主も特に訝ることなく答えた。
「あ、すみません。そのオープンサンドをもう二ついただけますか? スープとセットでお願いします」
「ああ、はいよ」
「なんだ、一夜の兄さんか」
 オープンサンドが出来上がる間、色々聞き出そうかと鰍が身を乗り出した瞬間、後ろから一夜が女店主に声を掛けた。
「失礼。お邪魔でしたか?」
「いんや、平気平気」
 鰍が聞き込みをすると言っていたのを忘れてはいなかったが、那智の注文を優先した一夜は若干申し訳無さそうにカウンターに並んだ。鰍は特に気にする風でもなくエールをちびちびとやってオープンサンドの出来上がりを待っている。
「鰍さん」
「んー?」
「幸せになってほしいですよね、レイラさん」
「だなあ」
 幸せの基準は測れない。押し付けることも出来ない。けれど、幸せであって欲しい、そう願いたい。その思いはどうやら共通しているようだ。一夜の若者らしい素直な気持ちを聞き、鰍は屈託なく笑った。
「おや、そんな話なら混ぜてほしいな」
「先生! ……驚かせないでくださいよ」
 テーブルで待っていたはずの那智が、いつの間にか一夜の後ろでにこにこしている。慣れているとはいえ驚きは隠せないものだ。
「いやあ、二人で楽しそうだったからつい」
「そういえば、那智の兄さんはどう思ってんだい」
「ああ、今回のこと? 恋愛方面には疎いからなあ。君達の方が詳しいんじゃないかな?」
「あ、気になりますね。鰍さんも何か思うところがあって来たんでしょう?」
 自分の事はさらりとかわし、那智は二人に話を振る。一夜も自分の事を話したがらないのか、笑って誤魔化しながら鰍に目線を遣った。結果、鰍が二人の標的となってしまい。
「俺!? いや、俺はだなー……」
 しどろもどろになる鰍を見て那智も一夜も笑っている。いつの時代も、他人の恋話というのは格好の暇つぶしらしい。

***

 フードつきマントを羽織り直し、ショコラは酒場の外をぐるりと歩いて回る。誰に何を聞いたわけでも無いけれど、何となくレイラは海の見えるところに居るような気がした。何故と聞かれれば論理的に答えられない。何となく、としか言いようが無い。
「(ギルバートさんを待ってるような気が……するのよね)」
 女の勘、いや少女の勘とでもいうのだろうか。陽の当たる東側に足を踏み入れると、その勘が当たっていたことをショコラは知る。
「あの子……かしら?」
 銀色の髪を海風に揺らし、ぼんやりと防波堤に腰掛ける少女の後ろ姿がそこにはあった。顔は見えないけれど、きっと彼女に違いない。ショコラはさりげなく横に座り、少女が自分に気がつくのを待って話しかけた。
「……こんにちは! いいお天気ね」
「…………?」
 少女は最初、ショコラが何を言っているのか理解出来ているのかいないのか、判別しがたい表情でぽかんと口を開けていた。やがて、何か言いたげに口を閉じたり開いたり、ゆっくりと瞬きを繰り返したりして、やっと大きく息を吸う。
「いま……いいお天気ねって、言ったの?」
「そうよ! こんなに素敵な空じゃない」
 ショコラはつとめてにこやかに話しかけたつもりだったのだが、少女は大きな瞳に大粒の涙を浮かべ、言葉もなくそれをぼろぼろと零す。真昼の光を受けて、まっすぐ落ちる涙は時折虹色に輝いた。
「……っ!」
「ど、どうしたの!?」
 ショコラが驚いてハンカチを差し出すが、それにも気づかず少女はしゃくりあげる。
「う、ん……! い、いい、いいお天気だわ……! ほんとに……うっ……」
「(そっか……。ここに来てから、誰とも喋ってなかったのよね)」
 閉じた瞳から絶え間なく零れる涙も拭わず、少女は何度も何度も、ショコラの言葉を噛み砕くように頷いた。
「レイラちゃんよね? ……初めまして」
「……! どうして、知ってるの……?」
 目を丸くした少女……レイラに、ショコラは簡単に説明をしてやった。とはいえ、異世界のことや世界図書館のことを理解してもらうには時間が必要だし、自分ひとりでは心もとない。
「急にこんなこと言っても信じにくいと思うけど……。あなたが困ってるから迎えに行ってあげてって、お願いされて来たの」
「……?」
「そうよね、訳が分かんないと思うわ! ……あ、ごめんなさい。わたし、ショコラっていうの。よろしくね!」
「ショコラちゃん、ね……。ありがとう」
 レイラの頬に残った涙の跡は乾かぬままだったが、その瞳は洗い流されたように澄んでいた。

「……ショコラ、その子は」
「あ、遊理さん」
 レイラが泣き止み、ようやく落ち着きを取り戻した頃。ショコラと同じく酒場の外でレイラを探していた遊理が、防波堤に座って他愛も無い話をするショコラとレイラを見つけた。レイラはショコラの視線を追い、また自分の分かる言葉を喋る人間があらわれたことに目を丸くした。
「こんにちは、人魚姫……いや、レイラ」
「……あなたも、わたしの名前を知っているのね」
「ん、失礼。高城遊理というよ。貴方を迎えに来たんだ」
「……ええと……」
 ショコラとは反対側の隣に腰掛け、遊理は丁寧に名乗る。迎えに来たという言葉の意味がまだよく分かっていないレイラは曖昧に微笑み、一人で座っていた時と同じようにぼんやりと水平線を眺めた。
「……とにかく、酒場に戻ろうか。皆と合流しないと」
「そうね! レイラちゃん、行きましょ」
「あ……はい」

***

「……ところで、桃髪」
「何だい?」
「我らは何ゆえここで茶などたしなんでいるのだ」
「さぁ……」
 アンリが鰍に投げかけた質問は尤もだった。那智、一夜、アンリ、鰍の4人は酒場のテーブルで優雅にお茶と焼き菓子を楽しんでいる。
「いいじゃない、もうすぐレイラ嬢も帰って来るみたいだし」
 鰍が酒場の女店主から聞いたところによれば、レイラは酒場の手伝いを終えると必ず東の防波堤で海を眺めに行くらしい。そろそろ、昼食や昼酒を楽しみにしている男たちで酒場はいっぱいになる。だからレイラもそれに合わせて帰ってくると教わり、それなら待とうということでこのようにテーブルを囲んでいたのだ。
 ただ待つだけなら、さっき頼んだオープンサンドやスープを食べていればよかったのかもしれないが、鰍があんまり美味そうにそれらを食べるのを見て喜んだ女店主があれもこれもとサービスしてくれて、結果として4人のテーブルがちょっとしたお茶会のようになっていた。
「でも、お店のお手伝いをしに戻って来られるなら話す時間が無さそうですね」
「ふむ。……しかし、話せないのに店を手伝うというのも妙な話だ」
「酒注いだり、皿洗ったりくらいは出来るんじゃねえの?」
 それもそうだと、鰍の仮説に3人は頷く。
「じゃあ、俺たちで今日だけお手伝いを代わってあげるのはどうでしょう」
「あ、それ楽しそうだな!」
一夜の提案に鰍が賛成の笑顔を見せると、那智はぬるくなった茶を飲み干してにこやかに席を立った。
「私はパス。助手くん、あとよろしくね」
「はいはい、承知しました」
 暇つぶしで一夜についてきた那智はふらりとその辺を見物に行ってしまう。鰍とアンリはぽかんとそれを見送ったが、一夜は慣れた様子で那智の使った食器をカウンターに下げに行った。

「おやヌーシュ、お帰り。あんたにお客さんだよ」
 女店主が入り口に伸びた影を見て声を掛けた。そこにはレイラと、ショコラ、遊理の3人が居る。
「レイラちゃん、ほら。あのテーブル。私たちと一緒に来た人たちが居るの。一緒に話しましょう?」
 ショコラが手を引き、レイラも頷いて後をついてゆく。遊理はカウンターに寄って、女店主に話しかけた。
「すまないが、落ち着いて話が出来る部屋があれば貸していただきたいのだけど……」
「悪いね、部屋は無いんだよ。洗濯物干してる屋上でよけりゃ使ってもいいけどね」
「それで構わないよ、ありがとう」

「……レイラ・マーブル、です」
 遊理が許可をもらって、ロストナンバーたちとレイラは酒場の屋上に移動していた。くじ引きで負けた鰍がレイラの代わりに酒場の手伝いをしているのを除いて、だが。
 レイラはまだよく分かっていない面持ちで名乗り、4人が喋るのを待っている。何から話そうか迷いながら、遊理が口火を切った。
「単刀直入に言おう。君はこのまま、何もせずここに留まっていると、数年後か数十年後か……消えてしまうんだ」
「消えてしまう……?」
 予想していなかった単語に、レイラはただ首を傾げるばかりだったが、アンリが皆の視界に入った船乗りを指して、途切れた説明を引き受けた。
「人魚姫、あの若者の頭に数字があるであろう」
「はい。……そうだわ、不思議ね。あなたたちには数字が見えない」
「うむ、あの数字は真理数という。故郷を見失い、見知らぬ地を流浪する者の頭上にあれは現れないのだ。……人魚姫や、我らのように」
「そして、故郷と真理数を失った者はいつか忘れられてしまいます。故郷にも、ここにも、どこにも存在しなかったことになって。その時、あなたの身体も消えてしまうんです」
「ここの人たちにも忘れられてしまうの……?」
 故郷という言葉にはあまり反応しなかったレイラが、この世界のことには食いついた。それは即ち、ギルバートに忘れられるのを恐れているということだろう。
「そうね……。でも、大丈夫よ。私たちも同じ境遇だけど、消えるのを防ぐことは出来るの」
「どうすればいいの?」
 身を乗り出したレイラに、ショコラが自分のパスホルダーを取り出して見せた。
「私たちが今住んでる世界まで行って、これを持たせてもらうの。ほら、皆も持ってるでしょ?」
 ショコラの声に、他の面子もそれぞれパスホルダーを見せた。
「あなたがここの人々と共に生きることを強く望むなら、ここで暮らすことも出来るかもしれません。……けれど、それも一朝一夕では決められないでしょう? 俺は一緒に来ていただくのがいいと思っています、絶対に……」
 絶対に後悔させない、と言いかけて、一夜ははっと口を噤んだ。0世界に行くということは、ギルバートと離れ離れになるということなのだ。途切れた言葉の続きを待って、レイラが不思議そうに視線を向けてくる。二の句を継げず俯きかけたところに、タイミングよく鰍が屋上に上がってきた。
「うー、皿洗いの量半端ねぇ! 誰か交代してくれよ」
「……あ、ああ! じゃあ俺が行きますよ」
 若干ほっとしたように、鰍と、鰍のセクタンであるホリさんが階段を上り切ったところで一夜は立ち上がり、自分が座っていた場所に鰍を誘導する。
「さて、と。大体は皆から聞いたみたいだな」
 腰を下ろしながら鰍が問えば、レイラは遠慮がちに頷いた。
「あんたにはあんたの事情があるだろうから、無理は言わねえ。だから聞かせてくれ、あんたは……どうしたいんだ?」
「わたしは……」
「助けてくれた船や、置いてくれる酒場に恩もあるだろ。それにあれだ、いい人も居るみてえだし」
「い、いい人……!?」
 ぼっと顔を赤くするレイラに、その場の皆が顔をほころばせる。しかしそれもわずかな間のことで、待ち受ける運命を思いながら鰍は真剣な顔でもう一度尋ねた。
「俺たちは、このままじゃあんたが危ないから助けてやってくれ、そう頼まれて来たんだ。だから、ここに留まるか、俺たちと一緒に行くかはあんたが決めるべきだと思う」
 鰍の、強くは無いが芯のある声に、皆が同調の頷きを見せた。
「何かを得るならば何かを失う、当たり前の事だが耐え難いであろう。何が己にとって最善かを選びかねるなら……最も哀しい結末を思い浮かべてみるのもよかろう」
 哀しい結末、のくだりを少し強調し、アンリはシルクハットを目深にかぶり直す。確かに、これだけは避けたいという思いなら、ある程度容易に述べることが出来るかもしれない。
「ギル……。彼に、忘れられたく、ない……」
 吐き出すように出した声は、ギルバートの名を告げた。
「名前、知っているんだね」
「何度も、教えてくれたの。文字だって書けるのよ」
 名前のことを驚いた遊理が尋ねると、レイラは嬉しそうに頷き、石床を指でなぞって、ブルーインブルーの文字を書く仕草をしてみせた。
 このまま消滅を待つ選択肢は外されたが、ブルーインブルーに帰属するか、ツーリストになるか、レイラはまだ決めかねているようだ。
「……まぁ、まだ時間が差し迫っているわけじゃなし。レイラさん、ゆっくり考えていいんですよ」
「はい。……そうします」

***

「ギルバート、交代だぜ」
「おう」
 アヴァロッタのギルドに所属する商船、サンタヴィラ号は夕暮れの海をするすると走っていた。波は穏やか、風は南向き。このまま何事も無く航海が続けば、予定より数時間早くアヴァロッタの港に到着するだろう。途中、小規模な嵐に後押しをされる形になったのが幸いしたらしい。
「風の女神も人魚姫に夢中ってやつか」
「うるせえバカ」
 船員の冷やかしに悪態をつき、ギルバートはさっさと見張り台を降りてゆく。乱暴な言葉とは裏腹に真北に輝き始めた星を確かめ、周囲の小島との位置を見て、太陽よりも先にヌーシュに逢えることを確信した。
「にやけてるな」
「お前もかよ……」
 ギルバートが東に浮かんだ薄い色の月を眺め、銀色の髪を思い返していると、ちょうど煙草をふかしに甲板へ出てきていた航海士と目が合う。サンタヴィラ号の乗組員は事の次第を全て知っているのだ、からかわれない訳が無い。
「ちったぁ慣れろ、可愛い野郎だな」
「可愛くねえよ! ぶん殴るぞ」
 いちいち真面目にリアクションを見せるギルバートがおかしくてしょうがないのか、航海士は何度か煙草の煙で咽込んだ。
「まぁ、気をつけるこった。何しろ相手は人魚姫だ、恋が叶ったら泡になって消えちまうぜ」
「不吉過ぎんだよてめぇは! 航海士ならもっと現実味のあること言えっつうの!」
 どうにも冗談をかわせない性分らしく、真っ赤になって怒るギルバートの姿はまるで少年のようだ。そんな彼のまっすぐな思いだから、言葉の通じない『レイラ』にも届いたのだろう。
 芽生えたばかりの淡い恋心、ふたつ。そんな素敵なものすら容赦なく摘み取ろうとする、世界の真理とはなんと残酷でロマンチックなのだろうか。

***

 ロストナンバーたちの説明を聞き、自分の状況がどうにか分かったものの、レイラはまだ色々なことの実感が湧かず、迷うというより戸惑っていた。
 陽はとっくに暮れ、酒場は夕方に帰って来た船乗りたちが押し寄せて大層騒がしい。打ち寄せる波の音と、酒場の喧騒をぼんやり聞きながら、昼間防波堤でしていたように、レイラは屋上のへりに腰掛けて足をぶらぶらさせている。
「夜は冷える」
「あ……アンリさん」
 上着も羽織らずに夜風に吹かれているのを下から見咎めたアンリが、宿で借りた毛布をレイラの肩にかけてやった。
「ありがとうございます。……アンリさん、お父さんみたい」
「そうか」
 嬉しそうに目を細め、毛布を胸の前で掻き合わせたレイラを見て、アンリもまた表情を和らげた。
「そういえば、故郷の話を聞いておらなんだな」
「そう、ですね」
「話したくなければ構わぬが」
「いいえ、聞いてください」
 隣に腰掛けたアンリをまっすぐ見つめてそう言うと、レイラは静かに、しかし淀み無く語り始めた。
 故郷はここのように海に囲まれていたこと、自分は三人姉妹の次女だったこと、父の顔は知らないが母は酒場の女店主にどこなく似ていること……本当に他愛も無い、盛り上がりにも欠けるただの思い出話だったが、レイラはそれらをとても楽しそうに話し続ける。アヴァロッタに来て以来故郷のことを思い出す時間も無かっただろうし、あったとしてもそれを語れはしなかったのだ。
 思い出を声に出し、誰かがそれを聞き、記憶を共有することはとても尊い行為だ。ひとが死ぬ瞬間、それは生命活動を停止した瞬間ではなくて、自分を覚えている者が居なくなった瞬間なのだから。どこに居るとも知れない、顔も分からぬ我が子を思い出し、アンリはレイラの向こうに白い無垢な卵の姿を見た。
「アンリさん? ……そうよね、ごめんなさい。つまらないお話よね」
「いや……」
 帽子の鍔を少し下げ、哀しそうに笑ったアンリの瞳は曇ってはいなかった。
「わたし、思うんです。優しいひとは、きっと素敵な思い出があるから優しくいられるんだって」
「思い出?」
「はい。だからアンリさんも、素敵な思い出をたくさん持ってると思う」
「そう、思うか。……ありがとう」
 昼間見たときより少し懐いた笑顔でレイラが笑う。
 この笑顔を、ギルバートが忘れてしまうのだとしたら。
「人魚姫。思い出を忘れたくないのなら、願い続けることだ」
「願い……」
「心から願うならば、いつか必ず再会出来るのである。……我輩は、そう信じている」
「……はい」
 夜風が二人の間を優しく吹き抜け、潮の香りを運んだ。遥か風上に居るであろうギルバートの、想いの欠片を乗せて。

***

 それから数時間後。
 膨らみかけた長潮の月が西に傾き、宵っ張りの船乗りたちも飲んでたはずの酒に飲まれて静かになる頃。予定より4時間半早く入港したサンタヴィラ号の周りだけが喧騒と灯りに包まれていた。
「よーし、荷は大丈夫だな。おつかれさん」
「おう、悪いな爺さん。風の女神様がご機嫌なのも困ったもんだぜ」
「どうせお前さんが船を急かしたんだろ」
「うるせえよ!」
 船着場でも冷やかされるほどとは、ギルバートの想いはもはや公然の秘密のようだ。
「誰もヌーシュのことなんか言ってねえのによ」
「今言った!!!」

 皆ひとしきり賑やかに仕事をこなし、やがて荷も全て船から降ろされた。船員達は三々五々、馴染みの宿や自宅へ向かい始める。ギルバートも例に漏れず、小さな肩掛け鞄を手にねぐらへ帰ろうと港を離れた。そのとき。
「やあ、いい夜だね」
「……誰だ?」
 ギルバートの行く先に気配も無く佇んでいたのは那智だった。
「誰だっていいと思うけど」
「よくねえよ、名前くらい名乗れ」
 くすくす笑って自分を見る那智に警戒心を隠さず、ギルバートは足を止める。発する声色には明らかな苛立ちが滲んでいた。
「私の名前より、先に知っておくべき名前があるんじゃないかな?」
「……何だと?」
 調子を崩さずに那智が意味深なことを問いかけ、ギルバートの動揺を誘う。
 知っておくべき名前。知りたい名前。誰の名前?
 そんなことは決まっている、今すぐにでも触れたい人魚姫の名前だ。
「お前、ヌーシュに……」
「ヌーシュ? そんな古風な名前のお嬢さんは知らないね」
 いなすようにギルバートの言葉を笑い、那智は静かにギルバートを観察していた。
「(……レイラ嬢も可哀想に)」
 何をどう解釈すれば、レイラに対して『大丈夫』という言葉を言えるのか、那智には不思議でならない。具体策も何も無いのにと。言葉の通じないレイラには伝わっていないかもしれないけれど、それでもそんな言葉が出るのは感心しない。元々は自分も消失の運命に晒されたロストナンバーだったからだろうか、どうしても短絡的で無責任に思えてしまう。ただしそんなことは億尾にも出さず、からかうように、しかし淡々と那智は言葉を続けた。
「本物の人魚姫はね、真実の愛を知ったら泡になって海に還ってしまうんだよ」
「……何が言いたい」
 問いには答えず。
「……」
「……! おい、待てよ!!」
 那智はするりとギルバートに近づき、何ごとかを囁いてふいと居なくなった。残されたギルバートの足元には、銀の月が生んだ薄い影が、ただまっすぐに伸びていた。

***

 翌朝のアヴァロッタは昨日同様よく晴れていた。旅立ちにはぴったりの空模様なのだろうけれど、当人の心が決まらないのでは仕方ない。レイラはここに来てからの日常を過ごすべく、日の出と共に起きて酒場の掃除をしていた。
「おはようございます……。早いですね、レイラさん」
「おはようございます、一夜さん」
 あくびを噛み殺し、船乗りよりも女店主よりも先に酒場へやってきたのは一夜だった。自分では早起きをしたつもりだったのだが、レイラの方が早かったらしい。
「そういえば、一つお聞きしたいのですが」
「? 何ですか?」
「ギルバートさんのこと、好きですか?」
「!?」
 ひっくり返してテーブルに重ねられた椅子を一つずつ拭いて床に戻していたレイラは、一夜の直球ストライクな質問に思い切り動揺して持っていた椅子を派手に転がした。そんなリアクションと、耳まで真っ赤になったのを見れば、答えなど聞くまでも無い。
「やっぱり、そうですか」
「……はい……」
 蚊の鳴くような声で答え、目も合わせられないレイラはまさしく恋する乙女だった。
「でも……あれから、考えたんですけど……」
「?」
「わたし、彼の気持ちを知らない……。確かめることも出来ない」
 ギルバートの想いを世界司書から聞いて知っている一夜は、レイラの少女らしい不安を微笑ましく思った。大丈夫ですよと言ってやりたかったが、いくら他人が言ったところで納得などしないだろう、恋する乙女とはそういう生き物だ。
「確かめたいと思いますか?」
「思うけど……怖い。すごくすごく勇気が要りますよね、きっと」
「そうですねえ……」
「だからわたし、0世界? に行こうと思うんです」
「ん?」
 だから、の意味が分からなくて、一夜はつい素直に疑問の表情を浮かべた。レイラは床に転がした椅子を直し、拭き掃除を続けながらぽつぽつと言葉を続ける。
「望むなら、ここに居続けることも出来るって教わって、そうしたいなって思いました。でも……ギルがそれを望んでなかったら、わたしすごく哀しいから……」
 決して諦めるわけではない、いつか気持ちを打ち明ける時を待つためにここを離れる。後ろ向きな決断ではないのだと、レイラの瞳が語っている。
「いつか自分の言葉で言えるのを、祈っていますよ」
「……がんばります」

***

「そっか、決めたのね」
「うん。……よろしくね」
すっかり打ち解けたレイラがショコラに笑いかけ、ロストナンバーの先輩としてこれからよろしくと頭を下げた。ショコラも嬉しそうに頷いてその決断を祝福する。
「あ……ギルバートさんには会わないでいいの?」
「うん、いいの。…・・・いいの」
 酒場の女店主や、いつも顔を合わせている卸の御用聞きには既に挨拶を済ませた。少ない荷物をまとめ、すっきりと笑う姿に嘘は無かったが、どこか寂しそうだった。

「先生、昨夜は何処へ行かれていたんですか」
「秘密」
 那智は相変わらずの調子で一夜の追及をはぐらかし、すっかり帰り支度を整えていた。那智の見立てでは、ギルバートはきっと来るだろうと思っていたが、やはり顔にも口にも出さず、ただ事の成り行きを見守っている。来るのなら楽しいことになるだろうし、来なければそれはそれでかまわないと那智は思っていた。
「……待たなくていいのか?」
「いいって言ってるじゃない、彼女自身が。それとも、君が待ちたいの? 案外ロマンチストだよねえ」
 不安そうに呟いた鰍を笑い、那智はすたすたと港に向かって歩き出す。鰍は一夜と顔を見合わせて鼻でため息をつくが、実際船出の時間は迫っている。この便を逃せばもう一日留まらなければならない。同じように港に向かうレイラを見て、他の皆も後を追った。

 アヴァロッタの定期便発着場で切符を見せ、7人は船に乗り込んだ。出航は15分後だ。レイラはああ言ったものの、やはり落ち着かない様子でしきりに街を眺めている。
「……ん?」
「ヌーシュ! ヌーシュどこだ!!!」
「!! ギル!!!」

 胸が詰まるようなレイラの声音。それは間違いなく、発着場に飛び込んできた男がギルバートであることの証だ。
「ヌーシュ! 行くな!」
 風になびく銀の髪を見つけ、ギルバートが桟橋に駆け寄る。そこに割って入ったのはアンリと鰍だ。
「待たれよ、若造」
「何だよ! 俺はヌーシュに用があるんだ!!」
「今の貴様では、人魚姫を幸せにするなど到底叶わぬ」
「そんなのはヌーシュが決めることだろうが! そこを通せ!」
 一途な思いは時に偏って見えるもの。ギルバートはただヌーシュが自分の傍に在ることを望んだが、その望みはいずれ哀しい結末を招く。それを知っているからこそ、アンリと鰍は意地でもギルバートの前を退かなかった。
「……あんたに、そんな覚悟はあるのかい。女一人の生涯を背負って、失くした故郷の代わりになる覚悟が」
「失くした……?」
「人魚姫ってのはな、故郷を捨てて王子と一緒になる道を選んだんだよ。あの子は故郷もあんたも捨てられないんだ。待ってやれよ、……男だろ?」
 この別れは永遠ではない。レイラ自身が『在り続ける』ことを選んだのだから。

「ギル……」
 いっときの別れを決めたレイラは、3人の様子をただ見つめていた。ギルバートが何を言っているのかも分からないまま目を合わせるのは辛すぎた。隣で心配そうに佇むショコラの手をきゅっと握り、うつむいたまま何も言えなかった。それでも、ここに留まることは選べない。今の自分には、覚悟も勇気も無い。お互いがそれと知らない両想い、どうすれば伝わるのだろう。出航の時間は迫る。
 アンリと鰍を睨み返しながら、ギルバートは必死で考えた。離れていても想っている、想い続ける、その証を与えるにはどうすればいいのかと。
 やがて船は桟橋から離れ、7人のロストナンバーを乗せてゆっくりと動き出す。

「……レイラ!! 必ず戻って来い! 待ってるから! 爺さんになっても、船乗りやめても、ずっと待ってるから!!!」
「今……名前……!」
 名前以外の言葉は分からなかったけれど、けれど。
「ギルバート! 愛してる……愛してる! 絶対に忘れないから! 帰ってくるから!!!」
 何を言っているのか分からない同士が、お互いの言葉に涙を流した。それは、結末をお互いの手で作ろうと、言葉以外の手段で誓い合った二人の、恋の幕開けだった。

「……先生。ギルバートさんに会ったんでしょう?」
「さあねえ」
 船はジャンクヘブンに向かい、するすると海を渡る。新たに生まれたツーリストの道行きを祝福するように、太陽が煌々と輝く先に向かって。

クリエイターコメントご参加ありがとうございました、【人魚姫は泡となり】ノベルお届けいたします。
お待たせしてしまって本当に申し訳ありません……!
ご参加いただいた皆様にはご不快な思いをさせたことと思います、言葉もありません。
次回以降このようなことが無いよう、気を引き締めて参りたいと思います。
公開日時2010-02-21(日) 14:40

 

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