しだりの背が伸びる。 幼さを残した細い四肢が力強さを帯び、青年のそれへ変わる。 何もなかった額の両脇に、水晶のようにあおく透き通った角が顕れ、輝きを帯びて揺れるように光る。 「……ほう」 灰の夢守が感嘆の声を漏らした。 不思議な楔型の瞳孔を持つ双眸が、何かを計るようにしだりを見つめている。 見つめる先で、しだりは、二十歳をいくつか過ぎたように見える、凛々しい青年の姿へと転じている。 それは、いずれしだりがなるであろう、未来の彼の姿だった。 「成龍変化、か。なるほど……命の、すさまじいまでの輝きが見える」 八総は興味深げだ。 「だが、それは、ぬしら一族には、本来在り得ぬ現象ではないのか」 問われてしだりは頷く。 確かにこれは、通常の龍にはなしえぬ、未来を先取りした状態だ。成長したわけではなく、一時的な変身ゆえ、長く保ってはいられないが、幼体たる先の姿よりも深く水や生命に通じているため、能力も強まっている。 「なにゆえ、それが可能に?」 「……人間という生き物が、しだりに見せてくれたから」 「なにを」 「可能性の輝きを。短いがゆえに、花火のごとく強くきらめく、人間の心や命や時間というものが、しだりにこのすべを教えてくれた」 己の、心の傷と向き合った。 信頼されている己を受け入れた。 ひとの持つ、命の輝きと交わった。 そして、しだりの命もまた輝き、加速された。 そのために可能となった変化だった。 角が透き通っているのは、かりそめの成体であるゆえだ。しだりに、真実『その時』が来れば、彼のほんとうの角は、誇らしい漆黒を取り戻し、陽光を受けて輝くことだろう。 「それが、ぬしがぬし自身の旅において得たものか」 「……そうだ。それはしだりを生かすだろう、今この時にも、故郷へと還ったのちも」 返す言葉には、別れへの想いがわずかににじんだ。 しだりがここを訪れたのも、そのためだった。 「うむ……佳きものを見せていただいた。感謝の意を表するためにも、ぬしの望むものをつくろうぞ。何をお望みであったかな」 満足げに頷く八総へ、『時間切れ』によってゆっくりと幼体へと戻りつつ、しだりは金の眼を向ける。 「何でも。武器でも細工でも道具でも、渡した相手の、何かしらの助けになるようなものなら」 「ん? ……ああ、そうか、すまぬが俺のつくるモノは、ぬし以外には扱えぬ。ぬしを見て、俺がつくるものゆえな」 しかし、しだりの言に対して、返ったのは予想外の言葉だった。 「……そう、なの?」 「うむ」 帰属の話が、ターミナルで聞かれるようになった。 しだりもまた、帰らねばならないと感じている。 覚醒し、ターミナルに来て、故郷で負った傷を自覚した。 さまざまな出会いと、人々の多様な在りかたが、頑なな心に水を与え、やわらかく解し始めた。 しだりは、自分が変わり始めたことを知っている。 それゆえに、いずれは帰らねばならないとも、理解している。 別れを思うとき、脳裏をよぎるのは、壱番世界の日本に居を構える心優しい青年だ。 彼の朗らかな笑顔、彼が自分へと向ける無上かつ無償の信頼、彼といると心が安らぐという事実。それらは、確かに、間違いなく、紛れもなく、傷つき委縮したしだりの心を癒し、あたため、強くした。 だから。その思いでここを訪れた。 「お守りを……渡したかった、んだけどな」 ぽつりとつぶやく。 「そのものは、ぬしが護らねば危ういか?」 「……ううん。しだりが護らなきゃ生きられないような、そんな弱いひとじゃない。しだりの角を、お守りに渡してあるし」 「ならば、なにゆえ」 「しだりの角は、今なら確かに彼を護るだろうけど……世界を超えてまで、その効果を発揮する自信はない。彼が強いのを、しだりは知っているから、そこまで心配することのほうが失礼なのかもしれない、けど」 ぽつぽつと言葉をこぼし、語る。 本来、それほど口数の多いタチでもなく、内面をさらけ出すような性分でもないのだが、相手は何せ自分の同類で、更にいうなら己の何万倍以上生きた先達だ。 しだりが、無意識に、少しばかり警戒を緩め壁を薄めたとして、不思議なことでもない。 「もうじき旅は終わるだろうって皆が言ってる。しだりも、別れというものを意識し始めたよ。きっと、分かたれれば、二度はない『別れ』だ」 彼は強く生きるだろう。 よき友人に囲まれ、想い人を見つけて、幸せな家庭を築きゆくことだろう。 しだりはそれを疑わない。 自身が故郷へ戻った時、頑なに人間を嫌い続けた過去とは違い、彼らの中の佳きものを見出すための努力を惜しまぬだろうという確信と同等に。 「彼は強い。そして周囲に恵まれている。だから、しだりが心配する必要はないのかもしれない」 しかし、どんなに強い生命であっても、どこかで立ち止まる日はあるだろう。 哀しみは通りすがりの顔をして、彼に傷を残していくだろう。 「きっと、疲れて歩みを止めることはある。それは、どんな生命だって変わらない。しだりは、苦しくてつらい、やるせない時に、また再び歩き出せる強さを……己の中にあった強い意志を、浮かび上がる泡沫のように思い出せる、そんな手助けをしたいと思ったんだ」 しだりは疑わない。 自分と、彼の間にある、深く強い絆を。 しだりの思いがどこかに残されていれば、それを見て彼は歩き出せる。折れずに立ち続けられる。そう信じているし、信じられるようになった己へ奇妙な感慨を抱きもする。 だからこそ何かあかしを残していきたいという、それはしだりの願望でもあった。 「ふむ」 しだりの内面を読みでもしたのか――スキャンなる能力が夢守にはあるそうだが、彼にそれを知る由もない――、八総は大きく頷き、それからぽんと手を打った。妙に人間臭い仕草だ。 「ならば、ぬしがつくればよい」 鋼の匠が出した結論は端的だ。 「……つくる? しだりが?」 「おう。幸い、ぬしは手先が器用そうじゃ」 「それは……否定はしない、けど……」 「ならば話は早い」 しだりがいいとも悪いとも言わぬ間に、八総はこの領域の住民たちを呼び寄せ、準備を始めてしまっている。 シンプルな机が用意され、そこにさまざまな材料が載せられていく。 金属をさまざまなかたちに削りだしたもの。貴石を磨き珠にしたもの。振ると澄んだ音のする鉱物鈴。一見すると精緻な細工物のように見える、鉱物樹の葉や枝、花、果実。風合いもさまざまなワイヤーやピン、色とりどりの糸を縒り合わせてつくった紐、透明な金属で出来たチェーンなどのパーツもそろった。 そこに、八総自身は必要としないはずの、細工用の工具らしきものも置かれる。 「まったくもってちょうどよい。俺は今、壱番世界の人間たちが持ち込む細工物に興味を持っておっての。壱番世界で使うに具合のいいモノづくりを手掛けておるところじゃ」 促され、机につく。 先の細い、ペンチという工具を持たされ、材料について説明を受ける。 「誰かを想いながらつくる細工というものには、特別な力がこもるというぞ。それは何も、特殊な効果を発揮して誰かを護るだけがすべてではない」 しばらく考え込み、頷く。 「……うん。そうだね。そうかもしれない」 しだりは、きれいな青の色をした珠を手に取った。しだりの鱗と酷似した色の、鮮やかに深く、凛冽な風合いの珠だ。 「ひとつひとつに想いのこもった細工なら、優の心を慰めたり、励ましたり、背中を押したり、出来る気がする」 ああでもないこうでもないと考え込み、何度も試しながら、石や珠や花を組み合わせていく。出来上がりに満足いかなければ分解し、最初からやり直す。 しだりがつくろうとしているのは、キーホルダーやストラップ、根付などと呼ばれるたぐいのものだった。 鞄や携帯電話、鍵といっしょに持ち歩けて、いつでも目に入る。ずっとそばにいて、見守っている。その行く末を案じ、信じ、幸いを祈っている。そういう想いが、視界の端々に映ればいい、そう思う。 贈るからには最良のものを、という意志のこもった真剣なまなざしに、八総が武骨な造作の顔をほころばせた。 「ぬしは、その友を、心から愛しておるのじゃな」 ストレートで朴訥な言を、しだりは真っ向から受け止める。 「……うん。そうだね、言葉にすれば、そういうことになるんだろう」 「別れはつらいか」 「哀しまない。出会いと別れは、いかなる世であっても必然だもの。喜ばしき出会いであったなら、喜ばしき別れを迎えるのもまた、道理」 金のワイヤーで青い珠をつなぎ、椿に似た形状の鉱物花を添える。 「……新たな門出はそう遠くない。きっと、皆が別れを経験して、新しい出会いと未来のために駆けていくんだろう。しだりはそれを、相応しい祈りと言葉で飾りたい。そう在れるよう、今から準備しておきたい」 ただ。 ぽつりと、内心がにじむ。 「ただ?」 口にしたつもりはなかったのに、声となってこぼれていたのは、それだけ思いが深いからか。 「……なぜだろう。少し、寂しく思ってしまう自分も、確かにいるんだ」 まだまだだね。 かすかに笑うしだりの頭を、磊落に笑った八総がわしわしと掻き回した。 「……あの?」 そういう経験の乏しいしだりは思わず固まるが、八総は気にした風もない。 「ああ、すまぬ、ぬしがあんまり可愛いので、つい」 悪びれず笑い、太陽を思わせる明るい光を内包した、荒削りの金剛石めいた石を机に置いた。 「それは?」 「太陽神ウィル・ソールの息吹がこめられている……とされる石じゃ。この光は、暗闇に閉ざされたとしても、心にはよく届く」 「……使ってもいいの?」 「無論」 ありがたくいただき、組み込む。 光がまぶしすぎると困るかな、と、ヒスイのような濃い緑をした鉱物葉の影にひっそりと潜ませていると、 「ぬしは、置いていかれると感じておるのじゃな」 しみじみと言われ、しだりは首を傾げる。 「……判らない」 「我ら夢守も時おり思う。人間という存在の、なんと目まぐるしくせわしなく、瞬きの間に遠くへ去ってしまうものか、と」 「それが……寂しい?」 「と、俺は思うがの」 実を言うとそれは、しだりにはまだ自覚できていない感覚なのだった。 実感を伴って姿を現し始めた別れに対して、ごく単純な、根本的な感情が反応しているのだが、非常に自律的な、感情を抑制しがちなしだりであるので、それはとても不慣れな経験なのだ。 「そう……かな……」 「ぬしはまだ成長途中ゆえ、我らとは事情が違うがの」 「……そうかもしれない。しだりたち龍は、人間と比べたら、驚くほど緩やかにしか成長しないから」 愛し信じる友は、ロストナンバーの肉体年齢は停止するという事実を抜きにしても、どんどん大人びて、強くたくましくなっていく。それぞれの世界に再帰属すれば、その差はさらに顕著になるだろう。 別れは無慈悲に、時間という壁でふたりを隔てるだろう。 しかし。 「よし」 しだりは微笑み、完成したそれを持ち上げ、光にかざした。 青い珠、赤い花、豊かな緑、太陽の光。 それらをつなぐ金の糸、美しい鈴の音。 しだりなりに、自分と彼の関係をあらわしてみたつもりだ。 そしてそれが、世界を分かたれてもなお続くよう、祈りを込めてみたつもりだ。 「……うん」 振ると、鉱物鈴を組み込んだそれは涼やかに鳴った。 「だけど、この寂しさも、出会いのお陰だ。なら、しだりは、寂しさも贈りものだって思おう」 別れを思うとき、しだりは、晴れやかな門出への希求の向こう側に、じわりとにじむ空寂を見る。 寂しさはきっと消えはしないだろう。 しかし、それでも構わないと思うのだ。 それは、結局のところ、しだりが友を愛し、友がしだりを愛す、今も、別れのあともなお想いが残る確信に他ならないのだから。 「……気に入ってくれるかな」 穏やかに目を細め、しだりは微笑む。 彼のしなやかな指先で、想いを込めた贈りものは、光を孕んで揺れている。
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