初めの予兆に気づいたのはゼロ領域の夢守、零和(レイハ)だった。 黄羊テッラの化身、二桐(フドウ)は、『電気羊の欠伸』へ迫る悪意の存在を感じた。 金羊ゲンマの化身、三雪(ミソギ)は、それが人間の塊であることに気づいた。 緑羊ナートゥーラの化身、四遠(シオン)は、それが機械をまとった人間たちであるのを見た。 青羊アクアの化身、五嶺(ゴリョウ)は、彼らの魂がひどく硬直しているのを見た。 赤羊イーグニスの化身、六火(リッカ)は、何者かの歪んだ介入を感じた。 紫羊アエテルニタスの化身、七覇(ナノハ)は、その人間たちを覆う不気味な波動を知覚した。 灰羊カリュプスの化身、八総(ハヤブサ)は、人間たちがいびつに戦意を高められ、狂戦士と化しているのを知った。 銀羊フルゴルの化身、九能(クノウ)は、彼らの狙いが『電気羊の欠伸』の蹂躙なのだということに気づいていた。 白羊アーエールの化身、十雷(トオカミ)は、それが至厳帝国ムンドゥス・ア・ノービレから派遣されてきた兵士たちだと理解し、眉をひそめた。 ――しかし、黒羊プールガートーリウムの化身、一衛(イチエ)だけは、想彼幻森(オモカゲもり)にいて、何ごとかの物思いに耽っており、夢守たちから呼び出されるまで、敵が迫っていることにも気づいていなかった。 * 奇妙な襲撃だった。 空間ひとつ隔てた『向こう側』に、通常の【箱庭】ならば十回でも二十回でも滅ぼせるほど強大な武器で武装した兵士たちの存在を感じつつ、十雷は首を傾げる。「……あいつら、なんだってここへ?」 帝国ほど、『電気羊の欠伸』の恐ろしさを身に染みて理解している【箱庭】はない。帝国は、過去三百年の間で、実に数千万の命を喪っている。『電気羊』には、かくも恐ろしい番人、守護者が存在するのだ。 とはいえ、彼らが何度かここを狙ってきたのは事実だが、それも五代前の皇帝までだ。現皇帝クルクス・オ・アダマースの曾祖父アポストルスはむしろ友好的な関係を結ぶことを望み、羊たちはその望みを叶えた。それゆえ、帝国は繁栄したのだ。「彼らが何代時を重ねようとも、ここは武力によって制圧することがもっとも困難な【箱庭】だ。それが理解できないとは思えない。ましてや、現皇帝クルクスとその側近ロウが、無駄と知って力ずくで来るはずがない」「……何かある、ということだの」 難しい顔をする白の夢守 十雷の傍らで、灰の夢守 八総が目を細める。「ああ。おそらく、オレたちの認知の及ばない何かだ。トコヨの棘のこともある、ロストナンバーたちに調査を頼むべきだろうな、これは」「連中はどうする。今にも攻め込んで来そうな様子じゃ、彼奴らが民に害をなす前に策を講じねばなるまい。――いつも通り、我らで蹴散らすか」 十雷は頷き、それから、「……それで、一衛はどうした。いつもなら、オレたちが準備を終える前に半分以上『仕事』をこなしているような奴が、姿すら現さないとは」 近くに黒の夢守の姿がないことを訝しむ顔をした。 『いつも』といっても、前回の殲滅戦ですらすでに百年が経過しているが、億を超える年月を変化なく存在し、『忘れる』という機能を持たない彼ら夢守にとってはごくごく最近のことにすぎない。「最近、変だよね。まあ……判らなくもないんだけど」 青の夢守、五嶺がくすりと笑い、「また、あのときのようなことにならねばよいがな」 赤の夢守、六火は、過去を見る眼をして、何かを案じる表情で腕を組む。 と、そこへ、「……すまん、遅れた」 くだんの、黒の夢守がようやく顕れ、十雷はやれやれとばかりに一衛を迎えた。「アレにも気づかないほど奥にいたのか。何をしていたんだ?」「……考えごとを」「考えごと? それはいわゆる、思索に耽るというやつだな。――お前が、それを?」「ああ」 感情を希薄に設定されているはずの、黒の夢守がそれを行う不可解さに、よりヒトに近く設定されている他の夢守たちが気づかぬはずはなかった。それは、悪条件が重なれば、あまたの【箱庭】を巻き込みかねない、暴走という最悪の状況を引き起こしもする重大な『変化』だ。 しかし、「……そうか。なら、仕方ないな」 九色の夢守の間をかすめたのは、わずかながら、ほとんど安堵に近い色だった。その理由を知るものは、おそらく、十色の夢守と羊たち、そして年経た旧い龍たち以外にあるまい。「それで……ああ、なるほど、帝国か。しかし、いったいなぜ?」 『向こう側』で高まってゆくいびつな戦意と殺意をスキャンしつつ、どうにも理解しがたいとばかりに一衛が問うと、同意の頷きが返った。「判らん。判らんから、ロストナンバーたちに頼んで調べてきてもらおうかと」「依頼は?」「もう、してある。ロウと連絡がつかない、案内役がいないというのが若干の不安材料だが……面白い助っ人もいるようだから、仕方ない、彼らに何とかしてもらおう」 相当な丸投げだが、そのことに気づいているのかいないのか、十雷は淡々と自分たちの『仕事』へと話を映す。「だから、その間、オレたちで連中のお守りだ。事情が判らないまま殲滅というのも連中には気の毒な話だが、夢守は夢守の仕事をするしかない」 十雷の周囲を白い風が吹いた。 それは鋭く尖った、無数のナイフの形状を取りながら、解き放たれる時を待っている。 * しかし――そして、この局面において、ついに変質の種が芽吹く。 それが吉であるか凶であるかは、いまだ誰にも判別のつかぬことながら。「よし、じゃあ行くか。いつも通りオレと一衛で、」 十雷が、慣れた作業の確認のように声を上げる中、それを遮るように、「――できない」 ぽつりとこぼされた、頑是ない拒絶。「一衛?」 誰かの問いに、首を振る。 そこから逃げ出したいとでも言うように、一歩あとずさる。「できない」 もう一度、どこか心許ない様子でぽつりと。「なんだって?」「私は知ってしまった。あの、ひとつひとつの命に、心があることを。今まで私が喪わせたすべての命にもそれがあったことを。彼らが教えてくれた――……私はそれを美しいと、いとおしいと思ってしまった。だから、」 ――『電気羊の欠伸』の冷酷無比な黒の夢守はもういないのだ。「あれが心である限り、私には、もう、殺せない」 今や、ここにいるのは、異世界からの旅人たちとのかかわりを通して心を獲得し、結果、殺すことも『これは自分の仕事で、責務だから』と機械的に割り切ることも出来なくなった、憐れな金属生命にすぎない。「一衛、職務放棄は」 紫の夢守、七覇が眉をひそめ警告を発する。 そう、夢守の存在意義はそこにしかない。 拒否すれば、夢守はこの『電気羊の欠伸』に存在することが出来なくなる。 それを知らぬはずがないのに、一衛は頑なに首を振るばかりだ。 そして、唐突に『それ』はくだった。 ばしん! 鈍い破裂音とともに、黒い稲妻が一衛を打ち据え、黒の夢守は声もなく崩れ落ちる。 それと同時に、地面から湧き上がった黒い茨が、倒れたまま身じろぎもしない一衛を包み、飲み込んだ。すぐに、茨の牢獄は、地面へ吸い込まれるように消える。 あとには、何を考えているのか判らない眼をした、黒羊プールガートーリウムが、なにごともなかったようにふわふわと浮かんでいるだけだ。「気が早すぎる! まだ『そう』と決まったわけじゃ……!」 夢守の中でももっとも感情が豊かで、かつ、安定している――いうなれば、もっともヒトに近い情動を有している――十雷が食ってかかるものの、プールガートーリウムは素知らぬ顔だ。 お前の知ったことではないとでも言わんばかりに、鼻先を『向こう側』へ向けてンバアアアァと鳴いた。 夢守にとって最優先事項は、『電気羊の欠伸』の安全を護ること。 その本質には何ら変わりがない。 事実、数万という兵力が、この【箱庭】へ向けられ、今にも戦いが始まろうとしているのだ。そして、万が一にも侵攻を許せば、たくさんの罪なき民が命を落とし、営みを失うことになるだろう。 それが判らぬ夢守たちではなく、彼らは自分の仕事をするほかないのだ。 一計を案じたのは十雷だった。「だったら、そいつが抜けた分はロストナンバーに頼むからな! 権限も委譲させてもらうから、文句言うなよ!」 否定の波動は返らない。 黒羊にも、何か考えがあるということか。――夢守にすら、何も考えていないように見えるのが電気羊たちだが。「……あいつのことは後回しだ。まずは目の前の危機をなんとかするしかない」 十雷は、偶然居合わせ、今までのやり取りをつぶさに目撃したロストナンバーたちに頭を下げた。「そんなわけだ、頼む」「いや、頼むって言われても」 ひとつの小世界を丸ごと護れと言われて、すぐに頷けるものばかりではない。 神のごとき力を有するものもいれば、普通の人間となんら変わらぬものもいる。それがロストナンバーという集団なのだ。 十雷は、当然ながらそれを理解していた。「一衛の権限をあんたたちに付与する。出力は下がるが一衛の能力が使えるようになるし、『電気羊の欠伸』そのものとリンクしてさまざまな罠を張ることも出来る。もちろん、そんな力は必要ないっていうなら、そのままでもいい」 不可解にして強力無比な、【箱庭】を護る夢守の能力。 そして、【箱庭】そのものが持つ、一般常識の当てはめにくい、さまざまな機能。 それらを駆使して、襲い来る帝国兵たちから『電気羊の欠伸』を護る。 難易度の高い仕事だ。 しかし、扱える力が多様で強大であることを鑑みれば、頭さえ働かせれば何とかなるだろう。 その認識に至り、策など考え始めた人々へ、十雷が再度声をかける。「もうひとつ、頼みたいことがある」 それこそが最重要事項だとでも言うように、声のトーンが下がった。「――出来るだけ、殺さずにことをおさめてほしいんだ」 その言葉に、当然ながら、ざわざわとした声が上がる。「これだけの人数で、数万の兵士を? むちゃくちゃだ」「無理は承知だ。だが……」「一衛のことか」 十雷が頷く。「オレたちは予知や予言をするわけじゃない。だが、何となく判る。あのままあいつを見捨てたら、あいつの心を亡きものにしてしまったら、もっと悪い何かが起きる」「このシャンヴァラーラ全体に?」「おそらく」 そこに含まれた危機感を、杞憂だと、考え過ぎだと嗤えるものはいない。 たくさんの危機を孕み、今はどうにか小康を保っている、それがシャンヴァラーラの現状だからだ。「オレたち夢守もサポートする。今回はすでに境界線へ侵入されてしまったが、丸ごと追い返せれば、二重三重の結界をこしらえて、やつらを再び近づけないようにすることも出来る」 だから、頼む。 もう一度、十雷が頭を下げる。他の夢守たちもそれに倣った。 ややあって、はああああ、という深い溜息。 それから、「やるしかない、か」 その場にいたロストナンバーのうち、七人が手を挙げる。 他の面子は、万が一に備えて、境界線に近い場所に暮らす人々の避難を手伝うことになった。「無茶振りの多い世界だよ、まったく」「ある意味通常運転ではある、か」 やれやれといった苦笑と嘆息がこぼれる。 しかし、確実に迫る危機と、危険にさらされる無辜の生命への愛着が、もしくは強大な敵と戦うことへの悦楽、侵略者への冷徹な怒りが、彼らの戦う意志に火をともした。 そしてそれは、実を言うと、彼らにとってはとても身近な感覚でもあるのだった。 ――戦いの幕は、今にも切って落とされようとしている。※大切なお願い※『【電気羊の欠伸】Heart and Soul Rhapsody』と『【至厳帝国ムンドゥス・ア・ノービレ】聖骸の叛逆者 一ノ幕』は同時系列のできごとを扱っております。同一PCさんでの、双方への同時エントリーはご遠慮いただけますようお願いいたします(万が一エントリーされ、当選された場合は、どちらかもしくは双方の描写が極端に少なくなる可能性がありますので、重ね重ねご注意くださいませ)。
1.選択は黄金 「んー、シャンヴァラーラへ初めて来たときと似てるなー、なるべく殺さずに帝国兵追い返すのって。でも、今回のほうが厄介だよね……」 黒燐は、境界の向こう側を確かめるように目を眇めた。 境界の、ヴェールめいた揺らぎに紛れ、実際には見えずとも、向こう側には仄昏く歪んだ殺意、敵意、虚ろな戦意というものが人形よろしく無機質に佇んでいることが判る。 帝国は無機質な金属の塊でできた国ではないと聞いた。 帝国の戦いには理念があり、すべては知らされておらずとも、帝国兵たちはその理念に賛同するから戦うのだ。そこには だとすれば、あの虚ろは、いったい何なのだろう。 「……魂のありよう、思考を歪められてるっていうのなら、これは相手を解放するための戦いでもあるよね。だから、頑張らなくちゃ」 ジャック・ハートは、具体的にはどんな力を借りられるのかを夢守たちに尋ねている。 「悪ィがちょっと確認させてくれや。一衛から借りられるのはどんな力だ? あいつは事象の変転ッつぅか死ッつぅか眠りみたいなもんを司ってるのかと思ったンだが」 それを横目に見ながら、 「いいね、俺向きだ」 鹿毛 ヒナタは軽く肩をすくめている。 「俺向き?」 黒燐が尋ねると、ヒナタは頷いた。 「ひとりを殺せ、より、数万人を追い出せのほうが断然楽よ、気分的には」 ジャックの問いには、『この【箱庭】にある限り、望むように望むだけ』という非常に哲学的な答えが返る。つまるところ、ハイスペックであるがゆえに、それを使うものの想像力が問われる、ということだろうか。 それを耳にして、ヒナタはまた、いいねと頷く。 「何かいい案、浮かんだ?」 「ん? ああ……ま、いろいろと。黒燐はどうよ」 「そうだね、僕もたくさん考えるよ。僕は『黒燐』だからね。僕は、北都守護の天人にして水行の守り人だ。護ることの意味ならよく知ってる」 「おお、カッコいいな。俺はその境地には辿り着けねえけどさ」 「そう?」 「あんたや、一衛さんみたいな、崇高だったり繊細だったりするような理由じゃなくて申し訳ないけどさ。やっちゃうと背負い込む何か……業ってやつ? そういうの重いんだよね、ごめんだわ夢に見るわー」 それはおそらく、ヒナタの暮らす壱番世界においてはごくごく正常な感覚のはずだ。 「誰かを殺したら、自分だって殺されても文句言えんでしょ。俺はそういうの嫌なの、楽でいたいし身軽でいてえのよ。要らん負い目背負って生きたくねぇの」 口調は軽いが、ヒナタの言葉には真実がある。 因果は応報。 ヒトは、己が行いの引き起こす結末を受け取って生きてゆくのだ。 「なるほど、それは真理だ」 「ま、正しいとか正しくないは判らんけどね、とにかく俺は小心者なんだ。他人が生きてきた時間を断ち切って先を継ぐ、覚悟も強さもねえんだよ。誰かを殺すって、そいつの時間を自分が背負うってことでしょうよ」 気づくと、ヒナタはスケッチブックに何かの図形もしくは陣形を描いている。『走り描き』というのが相応しい手の速さなのに、それは驚くほど精確で、 「あ、作戦案? うわヒナタさん絵がうまいんだね、すっごい判りやすい」 十雷と何ごとかを話し込んでいた蓮見沢 理比古が戻ってくるなり目を輝かせた。 「この立体感とかリアルさとか、陰影の妙とか、迫ってくるみたいだ。ヒナタさんは、絵描きさん?」 「……の、卵かな。鋭意修行中。で、あんたは何を話してたの、蓮見沢さん」 「ん……一衛のこと。一衛は俺の恩人だからさ」 理比古は、困惑したような、哀しいような、曖昧な微笑を浮かべる。 「もしかして、何か聞いた?」 「うん……でも、今の状況とはあんまりかかわりがないから、あとで話すね。それで、皆どうしようって思ってる? 俺はさ……」 理比古が自分の案を述べ、黒燐とヒナタがそれを念頭に置きつつ己の案を提示する。 それぞれの意見が集約され、ヒナタがそれをスケッチブックへと描き込んでいく。ヒナタのスケッチがあまりに巧みなのもあって、じきに、紙上は上古の昔に行われた偉大な戦のような、一大スペクタクルの様相を呈してくる。 「俺、一衛にはあの神出鬼没な移動手段を借りようと思ってて」 いずこかへと沈んでしまった夢守を案じつつ、理比古は自分のできることをやろうという気概に満ちている。 「あんまり過激なことには使いたくないんだよね、一衛の力」 理比古の言葉に、ロウ ユエが頷いた。 「一衛の力で兵を殺したら、間接的ではあれ、結局あいつにヒトを殺させたことになる。――あいつには助けられたし、心配もかけたからな。これ以上の負担はかけたくない」 ユエもまた、心を獲得してしまったがゆえに弱さまで得てしまった夢守を案じている。 「心、か」 ぽつりとしたつぶやきに、黒燐は小首を傾げた。 彼と、今回の紅一点、藤枝 竜は、セカンドディアスポラと呼ばれる事件の際、ともにこのシャンヴァラーラへ降り立った仲だ。そのため、妙な親近感がある。 「何、ユエさん」 「いや……眼には見えず、触れることも出来ないが、それがあることで強くもなるし弱くもなるもの、か」 「そうだね。ユエさんは、それを獲得した一衛さんをどう思う?」 「……物心ついたばかりの子どもに、役目だから殺して来いとは言えないな。しかし、夢守たちの物言い……以前獲得した心を消されたことがあるのか?」 「ああ……それは、うん。あとで話すよ」 やはりどこか寂しげに、しかし慈しむようでもある微笑とともに理比古が言う。 「命は選択。俺たちは、気づかない間に選ばされながら生きてる。――その中で、一衛が命の美しさを選んでくれた、そのことがとても貴くて愛おしい」 友を想う理比古の眼は限りなく優しい。 「心配か」 「もちろん。ユエさんもそうでしょ? だけど、外堀から埋めていったほうがうまくいくこともあるんだよね。それに、たぶんだけど、たくさんの人の力が要ると思うんだ。……歪さんが来られたら、ホントは一番よかったんだろうけど」 十雷が、一衛の力を拝借すると申請した各人の両手中指の爪に黒い何かを張りつける。マニキュアのようにも見えるが、時おりチラチラと何らかの光が瞬くあたり、『電気羊の欠伸』の不思議アイテムのひとつらしい。 「なんかアレだな、パンクロッカーっぽい?」 「ああ、黄昏の世に舞い降りた愁いの堕天使、みたいな?」 「蓮見沢さんの表現が的確すぎてお腹痛い」 男子ふたりの横では、竜が、このチップが一衛の力を引き出す媒体であること、同時にこれが『電気羊』とのリンクも取り持つこと、そしてチップに意識を集中し思考に結ぶことで様々な『力』を発露させられることなどの説明を受けている。 黒いチップを見下ろし、竜はふうと溜息をつく。 「どうした、竜」 ユエが声をかけると、 「セカンドディアスポラの時はまさかこんなことになるなんて……」 運命、もしくは流れとでもいうべきものを驚く言葉が返った。 「それに……気になることもあるんです。ああ、これからの戦い以外で、です」 「気になること?」 「はい。今まで無理だと思っていたことを急にやろうだなんて、おかしいですよね」 「僕も、帝国の変化は気になるよ。久しぶりに来たことになるけれど、動きは報告書で読んでたから。だから、今回のことは、誰かの都合を帝国兵に押しつけてるような気がして怖い。だって……絶対に敵わないって判ってる相手に、好き好んで戦いを挑む兵士はいないでしょ」 「そうなんですよ。きっと、何かよくない理由があるはずなんです」 それに反応したのは黒燐、理比古だ。 「竜さん、たぶん俺も同じことを考えていると思う」 「理比古さんも? それってもしかして」 一瞬の沈黙、そして、 「「世界計の破片」」 声が重なる。 ざわり、とロストナンバーたちがざわめく。 竜と理比古は頷き合った。 「クルクスさんが、無意味と判っていて派兵なんかするはずがない。だとすれば、軍を派遣したのはクルクスさんじゃない、と俺は思う」 「皇帝の許可なしに派兵なんざ出来ねェって考えりゃ、皇帝を凌駕する何らかの力を持つ者がそれを行った、と考えるのが筋か。しかも、異界の神たるロウを抑えてまでそれを実行する力の持ち主、ってこったなァ」 ジャックが顎を撫でながらクツクツ笑う。 「……厄介だな。ただでさえいろんな要素が入り乱れてるッてェのに、ますますややこしくなってきやがった」 言いつつ、彼の眼はどこか愉しげだ。 「って言っても、仮定だけどね。もしかしたら、他の事情があるのかも。でも、俺としては、あのクルクスさんが自分を曲げて、自分の都合のためだけに他の【箱庭】を侵略する……なんてのは想像できないし、したくもないから」 「じゃあじゃあ皆さん、これも過程ですけど、もし破片が帝国にあるとして、それをどうします? どなたかちょろまかしたりするのかなって思っちゃったんです」 直截な物言いに、肩をすくめるもの、苦笑するもの、考え込むものなど反応は様々だ。 「理比古さんは、ほしいと思います?」 「うーん、それでこの世界を平和にできるならちょっと考えちゃうけど。大きすぎる力って、ヒトを狂わせるし壊すと思うんだよね。だから、あるべきところに戻すのが一番穏便で、皆のためにもなると思う。竜さんは?」 「そうですね、それがあったらおいしいごはんがいつもより二割増しで食べられる、とかならちょっと考えちゃいますけど、それ、別に破片がなくても出来ることですしね」 にかっと笑い、竜は拳を握った。 「うん、気にしても始まらないですよね! キリキリいきますよー!」 両手中指のチップがきらりと光を反射する。 「無謀な戦いで、無駄に命を捨てるなんて兵隊さんもかわいそうです! 止められるものは止めてみせますよ!」 「あー、それはそうかも。夢守さんが兵を、兵が民を殺戮するのも見たかないし? 軟弱者には刺激が強すぎてPTSD余裕ですし? それ回避するためにも頑張るよ、うん」 境界の向こう側で、いよいよ兵士たちが動き出す気配を感じる。 ヒナタの眼を、ふと、同情とも共感とも諦観とも取れぬ感情がよぎった。 「……あの人たちも、『大いなる何か』の駒なんだよね、きっと? かわいそー」 世界、神、運命、意思。 かよわい人間たちは、それら強大なものに逆らうすべを持たない。 自分もまたそうだと思うから、弱者を嬲り貪ろうとする大きな力に嫌悪と憎悪を覚えるのだ。とはいえ、自分がちっぽけで弱いことへの自覚と諦観、弁えが、ヒナタからあからさまに憤る熱さを奪いもするのだが。 「おい、お客さんが来られるみてェだぜェ? ひとりの割り当ては六百五十人だ、サボんなよォ?」 「いやすんません、かよわい一般市民に六百五十人って……っていうかその計算どっからきたの」 「あァン? 仮に敵が五万人いたとしても、夢守が他に十人、俺らはひとり分を七人で受け持ったと考えりゃ、ぶっ倒すのはたった六百五十人で済む。計算だけならこのペースでも間に合うンだヨ」 「計算だけならね!? しかしながら、アレです、正直なとこ各スペックへの配慮よろしくお願いします!」 「知らねェよンなこたぁ。もっとも俺ァ、ひとりで全員倒しちまうつもりだがナ、ヒャハハハハ」 いきなりのノルマに眼を剥くヒナタ、ケラケラ笑いつつ戦意を高めてゆくジャック。 そんな中、 「よっしゃ、リンク完了!」 人一倍しゃべるくせに、先ほどまで黙りこくって作業に勤しんでいたエイブラム・レイセンが唐突に雄叫びを上げた。 彼の両手、右は機械化されているそれの、十ある爪が、それぞれ別の色に染まっている。 「どしたの、エイブラム」 「ふっふっふ、美男美女より取り見取り……まさにハーレム。こんなチャンスを見逃すわけがねぇだろ……!」 理比古が首を傾げるが、己の欲望にまっしぐらなエイブラムは怪しい笑みを浮かべるばかりだ。攻撃的なツッコミが多数在籍していたら、その場で「手が滑った」などと言われて殴られていてもおかしくない。 「まあ要するに、俺にとって知らないことは快感の連続体なわけだ。『電気羊』にはその快感がたっぷり詰まってる。壊されるのも、蹂躙されるのも困るってか、気に食わねぇ。あの手この手で阻止だ、阻止」 言いつつ両手を掲げてみせる。 「夢守の皆さんに協力してもらって全能力をリンクさせたぜ。名付けて十色機関! 皆のチップにもリンクさせてあるから、一衛以外の力も使えるようになってるんで、活用よろしく!」 エイブラム先生のお仕事に、各方面から惜しみない拍手が送られる。 「エイブラムすごい、さすが!」 特に彼の扱い方を心得ている理比古に喝采され、エイブラムはドヤ顔だ。 「はっはっは、もっと褒めていいのよ! ご褒美に期待!」 エイブラムが自己主張したところで、爆発音が響いた。 進撃を開始した帝国兵の重火器が、境界地の大地を砕く音だ。 一同、表情を引き締めて境界地――【箱庭】と【箱庭】の境目――へと向かう。 「俺はこっちで支援に専念すんぜ、他にやることもあるもんで。ヘルプがあったら呼んでくれ。あと、ご褒美の算段もしといてくれると嬉しいかな!」 エイブラムに見送られ、足早に歩く先で、 「ご褒美か……じゃあ、これが終わったら、イナゴの佃煮、買って来なきゃなあ」 彼の嗜好及び苦手なものを完全に勘違いした理比古のつぶやきは、幸か不幸か、自分の仕事に取りかかるエイブラムの耳には入らなかった。 2.臆病者のシャドウメイズ 帝国兵たちは、バトルスーツと呼ばれる最新の機械鎧をまとっていた。 人間の体機能を何十倍にも上げ、ありとあらゆる衝撃から身を護りもする、帝国最新鋭の武装である。 この軍に大挙して押し寄せられたら、壱番世界とてあっという間に落とされてしまいかねない。強い力を持たぬ【箱庭】が次々と屈伏していった理由も判る。 無言のまま、どこか歪んだ殺意を陽炎のように立ちのぼらせながら殺到する兵を見つめるヒナタの眼には憤りの光があった。 「強いやつらが弱い人たちを蹂躙するとか、正直勘弁」 口調も態度も軽いが、ヒナタは現実主義者だ。己が市井の弱者であると自覚しているがゆえに、強者が弱者を虐げ貪る、『当たり前』の光景を嫌悪している。 世界は一般の、弱いと嘲られる普通の人間たちによってその大半が回っているのに、強者のほとんどは、その弱者たちを労うより搾取することを選ぶ。弱者によって支えられている己を知らず、彼らを虐げることに終始する。 壱番世界の日本出身であるから、ヒナタには強者の横暴で生死が左右されるような経験をしたことはない。しかし、自分は弱い存在だという意識は常にあって、それは、踏みにじられ糧にされる一般の人々への共感と同情、傲慢な強者への憎悪へと変換されるのだ。 「だけど……あの人たちも、たぶん、何かに翻弄されてここにいるんだ。あの人たちも、充分に被害者なんだよな……」 今回に関しては、上記の思いから、帝国兵への直接的な憎悪は抱いていない。 むしろ、同情と、彼らを帰してやらねば、という使命感のようなものすらある。 「っし、とりあえず、作戦通りいきますか。黒の力とか、なんか親近感あるよねー、ってことでギアの上位互換版借りるよ!」 両手を広げ、イメージを展開する。 両手中指から黒い影のようなものが滲み出し、それはヒナタの身体を覆ってゆく。じきに、その黒はヒナタを覆い尽くし、やがてフルフェイスのボディアーマーへと転じた。 夢守が身に着けているスキンスーツと同じような、しかし格段に防御力の高い防具である。攻撃を吸収し、黒の力でつくり出した建造物に溶け込み移動する機能を備えている。 要するに、自分で戦うつもりは皆無である。 「小心者舐めんなよ……全力で自衛するに決まってんだろ!」 カッコいいようでいて情けない台詞を力強く吐きつつ、中指の爪に意識を結ぶ。 「何はともあれ、防衛の要は砦だろ」 入り組んだ峡谷的迷路をイメージし、戦場へと投入すると、何もない平原状だった境界地が唐突に姿を変える。 突如として盛り上がり、もしくは陥没した地形に巻き込まれ、帝国兵のフォーメーションが目に見えて崩れた。弾かれ、落とされ、飛ばされて、兵士たちはいくつかの塊に分断される。 恐慌を来すものはなく、進軍は淡々と続行されるものの、境界地が迷路化してしまったため、突破するには時間がかかるだろう。 「よし、あん中で勝負キメちまおうぜ。被害を出さないには、まず攻め込まれないことが一番だ」 夢守視点による俯瞰で影迷路の様子を観察・調整し、時々道を変えたり組み立てを変えたりして兵士たちを更に細かく分断していくヒナタの隣では、ユエが苦労して敵勢力をスキャンしている。 「すさまじい情報量だな……酔いそうだ……」 敵はジャックの予想より少し多い六万人。 全員が最新鋭のバトルスールで武装し、武器は光を刃に変える系統の槍や剣、多様な機能を有した銃などを所持しているほか、未来の戦車を思わせる大型の重火器も持ち込まれている。 「彼らに、負傷兵の回収を行う程度の判断能力は残っているかな……?」 ついで、兵の意識をスキャン、その内実を探る。 「便利だが、膨大すぎて目が回りそうだ。あいつらはいつもこんなものを見ているのか……?」 しばらくすれば慣れるんだろうか、とこめかみを揉み、思考パターンを解析する。 ユエとしては、負傷兵を回収し撤退する判断力のある兵がいると判れば、戦闘不能者の量産を試みるつもりだった。 自力移動不能の者が大勢出れば、負傷者の移動に兵力を割く必要が出るからだ。そうすれば、戦力低下につながると思ったのだが、解析された思考パターンに、負傷者の回収や撤退というものはなかった。 味方、仲間の死に一片の注意も払わず、最後の一名になっても進軍を続け、『電気羊』を落とす。それが、ここにいるすべての兵士たちが抱いている――そのように植え付けられている――意識だった。 「……厄介だな」 ユエがつぶやくと、ヒナタも盛大な息を吐いた。 「勝ち目がないって判ってて最後のひとりまでって、ここを落とすのが目的じゃなくて、兵を死なせるための侵攻みたいな? 生け贄みたいなもんじゃないの、それ。気の毒すぎる……」 「そうだな。出来れば、あまり手荒なことはせずに送り返したい気分になった。なぜこれが行われたのか、帝国側に潜入しているグループが、理由や原因を探し出してくれるといいんだが」 ユエは、影迷路に干渉し、地面に『草』を生えさせる。 その草に紛れさせ、トラベルギアの光る茨を伸ばし、辺り一帯に茂らせる。 「どうすんの、それ?」 「あの茨はエネルギーを奪う。生身なら疲労させる」 スーツに護られている限り、中の人間は安全だ。 しかし、あれだけ高度な機能を備えたスーツであるから、動かすのは何らかのエネルギーであるはずだ。そのエネルギーを奪い、スーツを無力化させれば、中の兵を傷つけることなく彼らを弱体化させ動きを止めることが出来る。 「なるほど、エネルギー系統は俺も狙ってたんだ。そっちで受け持ってくれるんなら、俺は別の方面から更なる無力化を狙うかな。てことでちょっと行ってきまー」 言うなり、ヒナタの姿が掻き消える。 黒の力を伝って、影迷路へと瞬間移動したようだ。 「ふむ、では俺は茨を維持することに専念しようか」 一部が草原と化した影迷路へと最初に飛び込んで行ったのはジャックだった。 彼は、念動力でバトルスーツの内側から力をかけ、その強度を計ろうとしていたのだが、 「……念動が通らねェ。ってことは、内側からの干渉は無効化ないしは中和される、か。チ、精神に働きかける能力も無効化しやがる」 ビーム状の刃を発生させた槍を手に、四方八方から兵が殺到する。 アレに貫かれれば、全身を引き裂かれ灼かれてしまうだろう。 「となると、外側から干渉するしかねェか。面倒臭ェな……まァ、不殺って時点で充分面倒臭ェんだけどヨ」 しかし、ジャックはどこまでも平静だし、冷静だ。 常人の数十倍の体機能を得ているはずの兵たちが反応しきれないほどの速度で、小規模な転移を小刻みに繰り返し、翻弄する。 体勢の崩れた兵を突風系PSIで吹き飛ばし、加速系PSIにて物体の運動エネルギーのベクトルを捻じ曲げ、攻撃を跳ね返し無効化する。もちろん、跳ね返したそれが兵に当たらないようにするという配慮のしようだ。 ジャックによって押し留められ、堰き止められた兵士たちで、彼の周囲は徐々に密度が上がっていくが、当人には焦る様子もない。 「……てめェの意志を無視されて捻じ曲げられて、兵士が本当の力なんて出せるかヨッ」 誰かに操られ、従順な戦奴と化した兵士たちは、確かに命じられた通りの仕事をするだろうが、意志ない戦いに、魂の奥底から絞り出すような強さが伴うとは思わない。事実、彼らは、強い力を駆使してはいたが、護るという意志を持って戦うジャックたちに傷ひとつつけられないのだ。 「誰がやったのかは知らねェが、まったく不細工な仕事だぜ。一発は殴ってやらねェとなァ?」 帝国潜入組からの報告をむしろ愉しみにしつつ、ジャックは塔のような砲台を見やる。 「とりあえず、あのデカイ重火器は危ねェな。万が一にでも侵入されたらとんでもねェ被害が出る」 次々と移動し、兵を翻弄したり吹き飛ばしたり侵攻の邪魔をして無理やり方向を変えさせたりしていると、 「お手伝いしちゃうよー」 小柄さと俊敏さを活かしてちょこまかと動き回り、兵士たちを翻弄しつつ黒燐がやってきた。軽いフットワークで兵の懐へ飛び込むと、鋭く光る爪を長く伸ばして斬りつける。 武器を斬ってしまおうという魂胆だったようだが、残念ながらそれは甲高い音を立てて弾かれてしまった。 「うわ、硬ッ。何、前より強度増してない、これ?」 ぼやきつつ、黒燐はめげない。 「皆いろいろ考えてるみたいだし、まずはここで兵を足止め、かな? ってことで、出でよー!」 エイブラムがこしらえた十色機関にリンクし、イメージを具象化する。 魔法使いよろしく黒燐が告げると、唐突に、空から巨大な雪玉が降ってきてごろごろと転がった。直径で二メートルを超える雪玉であるから、それが勢いよく転がってきたら、兵たちとて巻き込まれるしかない。 つぶれてへしゃげた雪玉に取り込まれ、身動きが出来なくなるものも少なからず出た。その上へも、雪玉はさらに容赦なく降り注ぎ転がる。 「あの鎧が最強の盾でよかったなァ。動きを封じるつもりの雪玉で圧死するなンざ目も当てられねェからヨ」 楽しげに笑い、念動で雪玉を操って、兵士たちを固めていく。 もちろん、精鋭で知られる帝国軍であるから、中には少なくない数の猛者もいて、転がってくる雪玉をビーム状の剣でまっぷたつにしたり、ビーム銃で蒸発させたり、あろうことか拳で砕いたりするものまでいたが、 「あっそれ面白いな。よしじゃあ俺、迷路に傾斜つけちゃうぞー」 ヒナタが影迷路をものすごい勢いで傾けてしまったのでは、兵たちはなすすべもなく滑って本来は壁である地面へとひと塊に張り付くしかない。さらに、一ヶ所に集まってしまった彼らめがけて雪玉が転がっていけば、全身雪まみれになり固まってしまった帝国軍は、もはやいい大人が雪合戦に負けて沈黙しているようにしか見えない。 ジャックは愉快そうに手を叩き、笑っている。 「はっはァ、なかなか面白ェこと考えるじゃねェか。多様性ってな、大事なもんだ」 言いつつ、アクセラレーションを駆使して物体の運動エネルギーを操作し、巨大重火器のたぐいを次々と破壊してゆく。 さらに、ユエの張り巡らせた光る茨が、徐々にバトルスーツからエネルギーを奪い、彼らの動きを少しずつ鈍らせていく。中には、完全に動きを止めてしまったものもあるようだ。 戦況は決して悪くない。 しかし、なにせ、数が違う。 無力化された兵士はいまだ半数に至っておらず、残り戦力は淡々と進撃をつづけている。 「じゃあ……そろそろ第二弾かな? 蓮見沢さん竜さん、よろしくー!」 影迷路に紛れて安全圏へ移動しつつヒナタが合図すれば、リンクを通じて肯定の頷きが返る。 作戦は続行中である。 3.浄化の渦巻き 理比古はずっと考えていた。 「原因が世界計だとして、手にしたのは誰なんだろう……?」 今、この場において相応しい思考ではないと理解しつつ、やはり、この侵攻の不可解さが頭から離れないのだ。 「世界計が原因じゃないにしても、この侵攻の必要性が判らない」 判らないからこそ、それに巻き込まれた兵士たちを無傷で帰したいと思う。 兵士たちにも、彼らが傷ついたり命を落としたりすれば、我が身が傷つくよりも嘆き哀しむ誰かがいるはずなのだ。 「眼には見えないけど、その人たちは確かにいる。その誰かのことを思ったら、ひとに不都合を押し付けるなんて出来ないはずなのに」 それは強者の傲慢、身勝手なのだろうか。 「いや……もしかしたら、その誰かも、抗い難い何かに対抗するために、これをするしかなかったんだろうか……?」 考えれば考えるほど判らなくなるので、いったん思考をストップし、白の夢守を呼ぶ。 「十雷、彼らを狂戦士化させている要素が何なのか、判る?」 「少し時間はかかるだろうが、調べられる。しかし、なぜだ?」 「うん……帝国兵たちは、『電気羊の欠伸』を敵に回したいなんて思ってなかったはずなんだ。そんな彼らに戦わせるために、狂戦士状態にしたんだろうと思うんだよね」 「ふむ、ということは」 「そう、一番手っ取り早いのは彼らの狂戦士化を解くことかなって。あ、そっか、こういうのもエイブラムに頼めばいいのか。エイブラム、そんなわけでよろしくー!」 リンクを通じてヘルプを求めれば、ご褒美のためなら喜んで! という答えが返る。 エイブラム的にはムフフなご褒美を想定してのことなのだろうが、理比古はというと、そんなにイナゴの佃煮が欲しいのか、じゃあハチノコも追加しようかな、などと明後日の方向へと『ご褒美』を想定するばかりである。 びゅう、という走査音がリンク関係にある人々の脳裏をよぎり、彼らにだけ見える光る線が、境界地をゆっくりと撫でていく。光は兵士に触れると網のように広がり、彼らを包み込んだ。 しかし、攻撃力も拘束力もないため、進軍は止まらない。 「じゃあ、その間の足止めは私が!」 竜が右手を上げると、中指のチップがきらりと光った。 とたん、彼女の周囲に、身の丈二mばかりの羊型ロボットが滲み出すようにして現れる。 その数、実に千有余体。 もふもふふかふか、耐久度抜群、目にも優しく和やかな、完全防衛型ロボットである。見た目以上に高性能かつ堅固で、ビーム銃を喰らっても、ビーム剣や槍で斬られても突かれてもびくともしない。 ロボットが、一列になって黙々と突進し、兵士たちを取り囲み包み込む。もっふりした表皮にぎゅうぎゅうと押され、兵はどんどん押し込められていく。おまけにこの羊、相当なパワーがあるのか、押し返そうとする兵たちの努力は無意味に終わった。 それとも、操られていてもなお屈服せざるを得ないくらい、ふわふわもこもこしていて脱力してしまうのだろうか。 「うわあ……むしろ俺が包まれたい。あとで触らせてもらっていいかな、あれ」 理比古が目を輝かせる。 「なんかすごいな。ふわもこが好きな人たちにはもしかしたら天国かもしれん……」 ううむと唸りつつ、ヒナタは影迷路を覗き込む。 羊包囲網から逃れた兵士のひとりが、業を煮やしたのか――といっても、そんな感情が発露していたかは謎だ――、バズーカ砲を髣髴とさせる重火器を迷路の壁へ向けて撃った。 どおおおん、という爆発音。 相当な威力がありそうな一撃だったが、 「ふっふっふ、無駄無駄。影迷路の本領、発揮して差し上げますかね」 ヒナタはむしろ、愉しげに笑った。 彼が見守る先で、 「まあ実は攻撃しなくても分裂すんだけどさ」 黒い壁が、小さな小さな粒になって、ぞろぞろぞろぞろと這い出していく。よくよく見れば、それが強力なあごを備えた無数の蟻だということが判っただろう。中には、働き蟻も兵隊蟻も羽蟻もいる。 それらは無数に湧いて出て、次々と兵に――バトルスーツに群がっていく。 途端、がりがりごりごりという、金属や硬い物質を無理やり力任せに削るような音があちこちから聞こえてきた。 「無機物が大好物の蟻だぜー。丸裸にされちゃっていいのよ!」 「はっはァ、そいつはえげつねェな!」 蟻が大量発生する区画に、念動で兵たちを放り込みつつジャックが笑う。 ヒナタはぐっと親指を立ててみせた。 「エネルギー系統は真っ先に逝くだろ? 脅し程度に中の人齧ってもいいかなーとも思ったんだけど、普通は恐慌来す状況にせよ、狂戦士に精神効果は微妙かなー」 悲鳴を上げるものはいない。 意識を統率されてしまうとはそういうことなのだろう。 しかし、黒い蟻にたかられ、無言のまま引き倒されてゆく兵士たちの姿は、どこか憐れを催した。 「俺たちに殺す気なんかねえからそれだけで済むけど、そうじゃない相手だったら、この人たち、完全なる無駄死にだったよね……」 一衛に変質が起きず、夢守が全員『その気』だったら、それは現実に起こりえたはずだ。 「やるせねえな。誰だか判らんけど、なんだってそんなこと、させるんだ」 つぶやきには、やはり、憤りが混じる。 そのころ、エイブラムはまったく別のものを見ていた。 演算能力を格段に増した十色機関を駆使して、深部を――そして不気味な拍動をみせるトコヨの棘を走査していたのだ。 彼が自分と夢守をつなぎ、十色機関を設置したのは、戦況を有利に運ぶためでもあるが、半分はこのためだった。 「見えるか?」 夢守たちに尋ねれば、是と返る。 「力を重ねりゃ、この世界の住民でも見えるってことか……それとも、俺たちの力が絡んでるからか……?」 棘からは不気味な力を感じる。 冷ややかで、虚ろで、そのくせ妙に激烈な何かを孕んでいるようにも思える、不可解な波動だ。 「エイブラム、帝国兵の解析は済んだか」 「ん、ちょい待ち……お、出た出た」 エイブラムの周囲に、不可触のウィンドウがいくつも開き、瞬く。 そのうちのひとつ、兵士たちを狂戦士化させている要素の解析結果を目にして、エイブラムは首を傾げる。 トコヨの棘の解析結果と見比べ、 「……違うな。棘のせいじゃねぇわ」 断言する。 分析されたそれぞれの『力』は、まったく別の形状でもってウィンドウに表示されている。 「の、ようだ。この波動はいったいなんだ……初めて見る」 「帝国の新兵器とか、そういう可能性は?」 「違う。帝国のみならず、竜涯郷にも電気羊にも持ち得ないものだ」 十雷がきっぱりと言い切ると、エイブラムは思案する目になった。 「てことは、世界計かどうかは判らねぇにしても、少なくとも外界からやってきたものってのは確実かもな……」 それから、再び棘へと意識を戻す。 「なあ、七覇」 はじめてこの世界に来て以来、虎視眈々とアレなナニを狙っている夢守を呼べば、目線だけで先を促された。 「あんたアレに対抗できるか? 引っこ抜くとか、破壊するとか。他の夢守は?」 返った答えは否。 「ようやく捉えることができた状態だ。我々だけではいかんともしがたい」 「あんたたち、神さまの力を重ねても?」 「我々夢守は神の化身でしかない。羊たちの力を重ねれば違うのかもしれないが……彼らは世界の維持にその力の大半を費やしている。それに割く力があるかどうかは判らない」 リンクを通じて解析結果が全員に送られると、 「ええと、これってつまり、何らかのエネルギーが兵隊さんたちを包み込んで、意識を外界から遮断しつつ操ってる、ってことでいい?」 理比古から質問が飛ぶ。 エイブラムが肯定すると、 「じゃあ、【箱庭】の面白機能を駆使して、そういう要素を身体や精神から抜く巨大な洗濯機、つくっちゃうぞー」 なんとものんきで、妙に現実味のある単語が飛び出した。 同時に、影迷路が振動し、理比古の言う『全自動魂浄化洗濯機』が設置されたことを感覚的に伝える。リンクを通じて全員に情報が伝達されると、 「業務連絡! 効率を考えて迷路の真ん中に洗濯機を設置するから、皆さん、どんどん落としにきてください。猛烈に大きくて深いやつにしたから、全員入ると思うよー」 一衛の神出鬼没移動術を拝借した理比古が真っ先に飛び出していく。 「オッケェ、すべての迷路は洗濯機に通ず! ってことでどんどん来ちゃっていいのよ!」 ヒナタが迷路の道を操作、 「判りました、では一気に押し込みます!」 羊型ロボットを増産した竜が力技で兵士たちをぐいぐい押していく。 「洗濯機っていうか、これ、単なる巨大な渦巻き製造機だよね……向こう岸がかすんで見えるんだけど……」 洗濯機と言いつつ、それは透き通った銀色の水がゆったりと渦巻く巨大な湖のようだ。あまりにも大きすぎて縁がどこなのか判らないし、スイッチの場所も判らない。 雪玉を転がして兵士を巻き込み、そのまま洗濯機へと落としつつ、黒燐が呆れた風情で言えば、 「六万人を一気に選択しちゃおうとするとそうなるよねー」 小規模な移動を繰り返して兵士たちを翻弄し、バランスを崩させては洗濯機へと突き落しながら理比古が笑う。 「……しまった、それならもう少し自力で歩かせればよかった……」 バトルスーツからエネルギーを抜いてしまったユエは、若干げんなりした顔だ。それでも、【箱庭】の機能を使って、動けなくなった兵士たちをかき集め、洗濯機へと放り込んで行く。 「まァしかし、ホント、世の中にゃァいろんなことを考える奴がいるもんだぜ」 楽しげなジャックが、念動を最大限に発動させて、兵士を運んでくる。中にはまだ動ける者もいて、激しく暴れていることもあったが、意に介さず放り込んでいた。まるで薪でも集めるようだ。 夢守たちも手伝って、一時間もしないうちに全員が渦の中へ放り込まれると、 「じゃあ、スイッチオン?」 「なんで疑問形」 「いや、スイッチがどこにあるか判らないから、気分だけ」 理比古の合図で渦が大きく回り始めた。 徐々に勢いを増す超巨大洗濯機内を、バトルスーツを着た兵士たちが浮き沈みする。 「……なんか、シュール……」 何かのネタに、とヒナタがその光景をスケッチするうち、水の色が銀から金へと変わってゆく。その水に触れると、蟻に齧られて丸腰にされてしまったもの以外のバトルスーツがいつの間にか解けるように消え、人間の顔を持った兵士ひとりひとりの姿が現れる。 最初、ぼんやりとした無表情のまま浮いていた彼らは、回転が進むうちに顔をしかめ、身じろぎし、そして唐突に目を開けた。 「!?」 無数の驚愕が影迷路を席巻する。 「あ、戻ったね」 同時にヒナタが影迷路を、理比古が洗濯機を消すと、そこには、装備を剥がれた無数の兵士たちが、「何が起きたのかまったく判らない」といった、呆然とした表情でその場にへたり込んでいるのだった。 「エイブラム、あとはよろしく!」 「はいはい、じゃあ最後の仕上げいっちゃうぜー?」 どこまでも軽い調子の返答から二秒後。 十雷と七覇の力で兵士たちの周囲の時空間を固定し、直後、その空間ごと五嶺の能力で箱庭の外へと流すという荒業で、帝国兵六万名を一気に外へと放り出す。【箱庭】の外へ零れ落ちた生命は、近くにある【箱庭】へと流れ着くそうだから、彼らの身の安全については心配要るまい。 「この近辺の【箱庭】はどれも帝国寄りだから、問題あるまい」 十雷が周辺をスキャンし、そこにひとりの帝国兵も残っていないことを確認してから、二重三重に結界をこしらえると、 「……任務完了?」 「かな?」 ひとまず、この『電気羊の欠伸』におけるミッションは終了となった。 被害は、敵味方双方、ゼロ。 「面倒臭い頼みごとを聞いてくれて、ありがとう。これならきっと、あいつも……」 十雷が穏やかな眼差しで礼をいう。 『電気羊の欠伸』には静けさが戻ってきていた。 4.足りない何かが、この道を迷路にする。 戦いが終わっても、一衛は姿を現さなかった。 探そうにも、どこを探せばいいのかすら判らないのが現状だ。 「プールガートーリウムの仕業なら、オレたち夢守じゃどうにもできない。しばらく様子を見るしかない」 その言葉に不安を覚えつつ、理比古は十雷から聴いた言葉を反芻し、皆へと伝えた。 (太古の昔、まだ人間という種族がこれほどまでに繁栄してはいなかったころ、世界がひとつで、生命のほとんどは長寿で、時間の流れがゆっくりだったころ。俺たち、神属の仕事は、その大半が世界の『外』から侵入してくるモノの排除や討伐だった) (一衛はもともと、そもそも、感情を豊かに設定されていたわけじゃない。黒の夢守とはそういう業を背負っている、それだけだ。ただ、開闢からその時に至るまで、ともに世界を護るために戦う仲間という意識、絆、愛着は確かに持っていた。――それが禍のもとになった) (当時の一衛には友がいた。あんたは知っているかな? 始祖龍、神香峰(カミガネ)の兄だ。名を神鞍畏(カグライ)といった。一衛とは特に親密で、そうだな、お互いを相棒と呼んでいた、そんな関係だった) (神の一柱に、ファージが憑依したことがある。森や緑を司る、もの静かだが強い力を持つ神だった。いわゆるマンファージの特性で、侵蝕はひそやかかつ速やかに行われ、我々が気づいたときにはすでに、手遅れに近いほど侵蝕が進んでいた。神は狂い、荒ぶり、世界は危機に瀕した) (神は一体一体が完全なる別ものだから、ファージ化した神が、他の神を操ることはできなかった。操られていたら、おそらく世界はあのまま滅んだだろう。幸いにもそれは回避されたが、あの時の侵蝕がもとで、それを止めようとしたたくさんの神が滅び、竜や龍も死んだ。当時千体以上いた夢守も、ずいぶん数を減らしてしまった。――神は、神鞍畏の、命をかけた『最期の一撃』で斃された) (神鞍畏を看取ったのは、唯一、彼とともに神へと挑んだ、挑むことが出来た一衛だった) (判るだろう、理比古。希薄な感情の中に芽生えていた愛着、愛情、絆というもの、それが、いったいどう作用したのか。世界を護るために愛する友を喪う、その重さが判るだろう) (膨れ上がった感情を抑え切れず暴走しかけた一衛を、プールガートーリウムは『回収』し、記憶や感情や情動を消去・調整し再設定を行った。ファージ討伐戦で疲弊した世界に、第二の滅びを撒くわけにはいかなかった) (――それが、五十二万年前のことだ。『忘れる』機能を持たない俺たちにとっては、まるで昨日のことのようにも思えるが……その間に、世界はずいぶん、移り変わった) (人間やヒトという、力強い生き物が反映し、世界は綺羅のようなまぶしい光に満ちている。ああ、ロストナンバーたちの存在も偉大だな。彼らは新しい風を教えてくれるし、ここにはなかった感情をくれる。それがあいつにとってよかったのか悪かったのか……いや、きっと、よかったんだろう) (今回の、あいつの変質。あれが、あいつを、今度こそ救うように、オレたちは願うしかない。夢守という、【箱庭】を護るためだけの存在がおかしなことを、と言われるかもしれないが) それらを、ロストナンバーたちは神妙に聴いた。 理比古の説明が終わったのち、ぽつりとつぶやいたのは黒燐だった。 「……心はいいよね。心があるから、変化も感じ取れる。だから、素敵だと思うよ。殺したくないのも、よくわかるよー」 それが夢守としての一衛を『殺す』ものであるにせよ。 竜もまた神妙な顔をしていた。 どこに沈んでしまったとも知れぬ夢守を探して地面を見つめつつ、 「私たちが仕事をできなくなるほどの『優しさ』を教えてしまったんですね。……ごめんなさい。貴方には辛いことだったと思います」 呼びかけるように、語りかけるように言葉を紡いでいる。 「でも、そんな今の貴方にできることはたくさんあると思います! 私たちは、貴方の力でできる限り被害を出さずに敵を撃退することができました。これは貴方のお陰でもあります。だから、一衛さんも優しい気持ちに立ち向かってください! 心とか、感情っていうものを、諦めないでください!」 これ、激励の気持ちです。 そういって、持参したバーガーを積み上げる。 何が起きたわけでもなかったが、理比古はそれを静かな眼で見ていた。 「一衛。今どこにいるの……きっと、聞こえているよね。俺は一衛が好きだよ。今の一衛が好きだ。だから……竜さんの言うとおり、諦めないで。絶対に助けるから、待ってて」 言葉は静かな【箱庭】に消えていくばかり。 しかし、誰もが、それが伝わっていることを信じた。 風が頬を撫でていく。 黒の夢守の姿は、どこにも見えない。 ――そこから、次なる事件、試練、運命が動くまで、しばしの日数を要する。 世界は動き、巡ってゆく。
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