イラスト/クロジ(iauw9564)
ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノからの申し出を、贖ノ森 火城は快諾した。 かの、赤の王との戦いのおり、老婦人ダイアナに結果としてとどめを刺すかたちになってしまったジュリエッタが、周囲の力添えや励ましもあってどうにか前を向きつつも、まだ苦い懊悩の中にあることを知っていたからだ。 それは、彼女自身のトラベルギアの持つ『雷』の能力を使ってのことだった。それゆえの衝撃、動揺もあって、ただでさえ安定しているとは言い難かったコントロールがさらに困難なものとなり、能力の制御が出来ない状況が続いている。 そんな話も聴いていたから、自分に何かしらの手助けができるなら、そして自分を必要としてくれるなら応えよう、と火城は思っていたのだ。なにせ彼は、初見では「その筋の方ですか」な強面でありながら、実は面倒見がよくたいそうお人好しなのである。 特に、ジュリエッタとは方々で縁があり、放っておけないという気持ちもある。「無理を言って、すまぬ」「いや。人の役に立てるのは嬉しいことだからな」 ふたりは現在、コロッセオにいた。 ジュリエッタは、実家でいつも使っている居合の稽古着を身に着けている。 袴姿のジュリエッタは、凛々しい面立ちと相俟って、とても清々しく美しい。 しかし、その鮮やかな色合いの双眸には、どこか物憂げな光がある。「苦しんでいるのか、ジュリエッタ」 火城が問うと、「……ひとを殺めたのは、あれが初めてじゃった」 視線を落とし、ぽつり、つぶやく。「魔物退治ならば平気であったが……人間というものは、ひとを殺めるためには出来ていないのやもしれぬ」 白い手が、ぎゅっ、と、稽古着の胸元を掴む。「壱番世界はわたくしの生まれ、暮らす世界じゃ。大切な人たちもたくさんいる。護りたいと思うし、護らねばとも思う。わたくし自身が、大切な人たちによって護られているがゆえに」 壱番世界を護らなくてはならない。 理由も知らぬまま一方的に蹂躙され喪われてゆく命など、見たくはない。 その一心で覚悟を決め、力を揮った。 しかし、同時に、「彼女は寂しかった。哀しかったのじゃ。だから何をしてもいいというものでは断じてない……が、それでも、の」 どうにもやるせないのだと、ジュリエッタは淡い苦笑をこぼす。「この春から大学へ進学しての、そちらでもたいそう忙しいうえ、仲間たちはいつもわたくしを励ましてくれる。依頼をこなせば気持ちも晴れる。お陰さまでずいぶん回復したと、わたくし自身思っておる」 けれど能力は不安定なままで、これではいけない、と、心の整理を兼ねて闘技場での戦いを思い立ったのだそうだ。「じゃが、わたくしの能力がこの体たらくでは、滅多な人間には頼めぬ。危険すぎるし、わたくしとて気になって本気で戦えぬ」「なるほど、それで俺か」「うむ。火城殿ならば安心じゃし、戦ってゆく中で、いろいろと教わることも多そうじゃ」「……そうか。俺も、あんたに尋ねたいと思ったことがある」「尋ねたいこと?」「ああ。それは、もしかしたら、あんたにとっては辛いことなのかもしれないが……」「いや。火城殿がわたくしのために問うてくださるのならば、それがいかなるものであっても糧にならぬはずはない。謹んでお受けしよう」 ジュリエッタは頷き、胸元を押さえる。 何かの祈りの動作かと火城が首を傾げると、ジュリエッタは年頃の娘の顔で悪戯っぽく笑った。「おお、以前いただいた恋愛運上昇のブレスレットは、ありがたく使わせてもらっておるぞ。今は戦わねばならぬゆえ、ここへ大切にしまっておるがの。ふむ……では」「ああ、始めようか」「うむ、遠慮は無用じゃ、いくぞ!」 火城は普段通りの衣装に、司書室の執務机にいつも立てかけてあるという、使い込まれたシンプルな剣を佩いているだけだ。そこにいるのは、顔は怖いが根はやさしい、ホラーが苦手で押しに弱い、いつもの贖ノ森火城であるはずだ。 しかし、ジュリエッタが凛と開始を告げたとたん、「配慮はする。それは当然のことだ。だが……そうだな、あんたがそう願うなら、遠慮や手加減はせずに行こう。幸い、鍛錬は欠かしていない」 無造作に佇んでいるだけのように見える赤眼の司書の、『何か』が切り替わった。 じわり、と強靭な何かが滲み出す。 それは、明らかに、手練れの気配を孕んでいた。 ――ジュリエッタは知らない。 火城が、贖ノ森火城という世界司書になる前、どんな世界、どんな場所で、いかなる存在として剣を揮っていたか。火城自身も知らないだろう、ロストメモリーである限りは。 もっとも、今この場においては、余計な言葉も情報も、特別必要なものではなかった。ジュリエッタは未来を、新しい己を、光を見据えるために戦いを望み、火城が応えた、ただそれだけのことなのだから。「やはり、火城殿……」 ジュリエッタの唇に、愉しげな笑みが浮かぶ。「……わたくしの眼に狂いはなかった。思う存分、挑ませてもらうとしよう」 シンプルでありながら流麗な小太刀を手に、彼女は身構える。 火城はごくかすかに笑むと、小さく頷き、腰の剣に手をかけた。 ――そうして、求道と内省、自己への旅を孕んだ戦いが、始まる。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ(cppx6659)贖ノ森 火城(chbn8226)=========
ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノは感嘆の念を禁じ得ぬ眼差しで贖ノ森火城を見やった。 「火城殿、おぬしのその強さはどこから?」 火城の得物であるシンプルな長剣は、彼の手の中で、まるで重さなどないかのような軽やかさで踊り、剣と人、双方の武骨さに似合わぬ細やかな技巧でもってジュリエッタの攻撃を受け止めた。 ジュリエッタは、開始と同時に俊敏さを活かして斬り込んだ。火城の力量をはかるべく何度かギアを揮い、撃ち合っていたが、そもそもジュリエッタのギアは小太刀であるから、長剣と真っ向勝負をするのでは不利だ。 しかしそれ以前に、やはり、ジュリエッタと火城では何かが違った。 手加減しないと言いつつどうやら気を遣ってくれているらしい火城の、まったく本気ではないと思われる剣の一撃を受けるだけで、ジュリエッタの手は重く痺れた。ギアの『雷』を使って牽制もしてみたが、制御できていない力では、火城の体勢を崩させることさえ難しい。 戦いに命を懸けてきた武人。 世界司書として記憶を捧げる前は、おそらくそういった存在だったのだろうとジュリエッタは想像していた。 それゆえの問いだったわけだが、 「覚醒前のことを覚えていないから何とも言えないが」 赤眼の司書から苦笑が返る。 「俺には命より大切で、魂を捧げて悔いない『誰か』がいた。覚醒した当初は、その人を救うすべを求めて駆け回っていたが、俺の力では叶わないと知って司書になった。護りたいとか、誰かに幸せでいてほしいとか、そういう想いが今の俺をつくったのは、間違いない」 紡がれた言葉は、少年のように朴訥だ。 「寂しくはない、のか?」 そうまで想った人のことを忘れて、彼は喪失感に見舞われはしなかったのかと、戦いを忘れそうになりつつ問えば、 「寂しかった、とは思う。その人は、俺の根本だったようだから。だが……」 「だが、なんじゃ?」 「不思議と、後悔はないんだ。ロストナンバーのままでは果たせぬ何かがあった。だから俺は司書になる道を選んだ。直感でしかないが、『何か』は今、少しずつ果たされようとしている。そんな気がする。協力してくれる、心強い連中もいる。――だから俺は、俺の選択を貴ぶ」 どこか晴れやかな答えが返った。 ジュリエッタの、安堵の表情は、火城に見えただろうか。 実を言うと、火城とはいくつかの縁があり、ジュリエッタにとってこの強面司書は気になる人物なのだ。当人に言えば驚くか苦笑するかだろうが、ジュリエッタは、男らしさと優しさを兼ね備えた人物だと好意的な思いを持っている。 そんな思いもあって、ジュリエッタは、火城が自分に向ける言葉や思いは、真摯に受け取ろうと思っていた。 「俺からも問おう」 剣を構え直し、火城が言う。 ジュリエッタもまた小太刀を握り直して身構え、頷いた。 ――次の瞬間、火城の踏み込み。 神速と称して問題のないそれは、彼を、ジュリエッタの間合いへとやすやすと侵入させてしまう。 「!」 息を飲み、ギアの『雷』を発動させると、それはのたくる蛇のようにジュリエッタの周囲を蠢き、ぱちぱちと音を立てた。火城がわずかに身を引き、雷に焦がされるのを回避するさまを見つつ、ジュリエッタは距離を取る。 直後、火城の追撃。 揮われた剣を小太刀で受け止める。 金属の、甲高い哭き声が、耳をつんざく。 押し返そうと力を込めるが、びくともしない。 見上げれば、火城の顔が至近距離にあって、思わずどきりとするが、 「なぜ生きる」 彼が発した端的な言葉に、ジュリエッタは唇を引き結んだ。 「今は亡き両親のためにも後悔のない生き方をしたい。それは確かじゃ」 「なぜ想う」 かさねられる言葉は、静かだが、重い。 「……自分を愛してくれる人々を想い、それに答えたいと感ずるのは当然のことじゃ」 それは、真理数を失って覚醒し、旅人となったジュリエッタが、ずっと胸の内に抱き続けてきた疑問であり、言葉でもあったから。 「なぜ戦う」 「戦わねば皆を護れぬ」 渾身の力を込めて火城の剣を弾き、たん、たんという軽やかなステップで後方へ距離を取る。火城が目を細めた。称賛だと気づいて照れくさくなる。 「この手が、足が、心が動くうちは、自分に出来る最大限の戦いをしたいのじゃ」 しかし、同じく、彼女の中で別の疑念が渦巻きつつあったのも、事実だ。 「なぜ護りたいと思う」 「自分の生まれた場所、世界が失われるのはいやじゃ。それを護りたいと思うのは当然じゃ」 ――本当に? 「護るためにどうしたい」 「心も身体も強くなりたい。この腕(かいな)のうちに、愛するものを包み込めるように」 けれど、どうやって? 「ひとを殺してしまったことで、自分の魂はもう穢れてしまったと感じるか、自分は罪を犯したと感じるか」 「生まれ落ちてから罪を犯さぬものなどいない。罪を犯さずに生きられるものもおらぬ。穢れは己の心自身から来るもの」 そう、自分に言い聞かせてはいても、まだ心は晴れない。 「それらを乗り越えるために、何が必要だと思う」 「……それは……」 淡々と静かな問いは、ジュリエッタの胸を貫くガラスの槍のようだ。 まっすぐに自分を見つめてくる火城の、赤い眼差しに射抜かれるような思いがして、ジュリエッタは唇を噛んだ。 じわじわと哀しみが滲み出し、彼女の背骨を這い上がっていく。 迷い、苦悩、寂しさ、失望、諦め、憎悪、憤り。 哀しみ、悲嘆、懊悩、哀惜、哀しみ、哀しみ、哀しみ。 なぜ、どうしてと、頑是ない童女のように問いたいと、子どもが駄々をこねるように泣き喚きたいと、そう思ってしまう自分がいるのもまた事実だ。 「わかっておる……本当はわかっておるのじゃ」 ぱりぱりッ、と音を立てて、茨を思わせる光がギアを這い上がってゆく。それが孕む高濃度のエネルギーに、ジュリエッタはまだ気づいていない。 火城は静かに佇み、彼女の言葉を待っている。 「わたくしは、自身の未来から逃げているのじゃ……雷能力の不安定さはその証」 常に前向きに物事を捕らえ、真摯に、喜びの方角を見て生きようと決めた。 彼女が悩み苦しみ、哀しむさまを、両親や、彼女を愛してくれる人々は望むまい、そう思うから。 「両親のように、誰かを愛し護って生きたい。そう思って、覚醒をも楽観的に受け止めてきた。しかし、壱番世界に二度捨てられて、憎む気持ちも確かに存在するのじゃ」 拳を握り締める。 ギアは、気づかれぬまま、金の光を強めていく。 「故郷を追われ日本で生きようとした矢先、真理数を失い放逐されて。力を得てからは現実から離れ、恋に恋して叶わぬ未来を夢見て……これではどこにも再帰属などできぬ。できるはずもない」 哀しみと寂しさが、ジュリエッタの可憐な唇から零れ落ちる。 「ダイアナ殿の件が、未だ我が心から離れぬのは、結局のところ彼女がわたくしを写す鏡じゃったから」 ダイアナにとどめを刺したことも、自分の手でひとの命を奪ったことも、未だ重苦しく自分の中にある。 しかし、それよりも、重たくのしかかるのはそのことだった。 ジュリエッタは、ダイアナだ。 彼女も、いつかきっと、ダイアナになる。 それが判るから、苦悩は尽きない。 「わたくしは醜い。わかっておる……わかっておるのじゃ」 片手で顔を覆う。 「じゃが!」 それは悲鳴のようでもあった。 「そんな醜いわたくしでも……『生きたい』のじゃ! そのために、強くなりたいのじゃ……ッ!」 裂帛の気合いとともに『雷』を解き放つ。 ――次の瞬間、それは起きた。 溜め込まれた金色のエネルギーが、限界とでも言わんばかりに膨れ上がった。それは、巨大な、九つの頭を持つ蛇の姿を取り、牙を剥いた。 八岐大蛇、と、それを見たものがいれば言っただろう。 「!?」 それは円形闘技場全体に広がり、火城を圧殺せんばかりの勢いで、凶悪な牙の覗くあぎとを開き、彼へと襲いかかった。 火城は動かない。 そのまま静かに佇んでいるだけだ。 否、これだけの広範囲、四方八方から雷に襲いかかられれば、逃れるすべさえない。火城にそれが判らないはずはなく、つまりあれは逃げるだけ無駄だとあきらめているのか、それとも――? なんにせよ、解き放たれたそれは『力』だった。 ジュリエッタ自身が望んだ力? 何もかもを覆い尽くし、すべてを破壊するような? 「違う!」 ジュリエッタの咽喉から、血を吐くような叫びがほとばしる。 「そうではない……火城殿を傷つけとうはない!」 誰も傷つけたくはない。 誰もが幸せであればいい。皆が笑顔であればいい。 その願い、祈りに変わりはない。 憎しみ、哀しみ、諦め、苦しみは消しようもなくジュリエッタとともにあるが、同じく、放逐され罪を犯し傷ついた彼女に対して、確かに人々は、世界は、やさしくもあったから。 ――ジュリエッタにやさしい火城が幸せであればいいと、彼を護りたいと、そう思うのと同じく。 「ギアよ、停まってくれ!」 ジュリエッタは駆け出した。 小太刀を揮い、避雷針代わりに雷の莫大なエネルギーを殺し、逃がしつつ全力疾走し、大蛇と、身じろぎもしない火城の前に立ちはだかる。 「今度こそ、護る! わたくしの、全身全霊で!」 ギアに全神経を集中させ、そのエネルギーの流れを強く意識する。 もろともにとでも言わんばかりにあぎとを開き襲いかかる九つの頭に向かい小太刀を掲げ、 「わたくしに従うのじゃ、汝はわたくし自身であるがゆえに!」 高らかに宣言しながら、ぶつかってくるエネルギーを受け止める。 雷鳴が耳をつんざき、閃光がジュリエッタの目を灼いた。 あまりの衝撃に吹き飛ばされそうになるが、ここで我が身を惜しみ火城を喪うようなことがあればもう二度と自分は立ち直れまいという確信があって、ジュリエッタは必死で踏ん張った。 奥歯が痛むほど噛みしめて、何時間も経過してからか、それともわずかな刹那のことか。 「……なるほど」 どこかやわらかい声は、ジュリエッタの背後から。 「やっぱりあんたは、そういう姿が似合う」 驚くよりも先に、彼女の背を、武骨で力強い手が支えた。 「制御、出来たじゃないか」 「え、あっ」 見やれば、吹き飛ばされそうになりつつも渾身の力で掲げた小太刀の先で、身の丈十メートルにも及ぼうかという雷の大蛇は恭順を示すかのように九つのこうべを垂れ、そののち小太刀を伝うようにして消えた。 「見事な覚悟と気合だった。あんたの本質は、そこにあるんじゃないかと俺は思う」 何ごともなかったような火城の口調に、先ほどのあれが、ジュリエッタの力を引き出すためのものだったのだ、と今さら気づくと同時に全身から力が抜ける。ジュリエッタは、ぺたりとその場にへたりこんだ。 「……わたくしは、火城殿に何かあってはと、それだけで……」 想像したくもない結末が脳裏をよぎり、少し声が震えた。 「すまん。だが、別に心配してはいなかったから」 ジュリエッタの前に片膝をつき、彼女と視線を合わせながら、火城が手を差し伸べる。 「?」 反射的に手を伸ばすと、火城の武骨な手が、恭しく彼女のそれを握り、ジュリエッタを立ち上がらせた。 「あんたはまるで、空へと枝を伸ばしゆく若木のようだ。雨風に揺らぐことはあるだろうが、折れはしないだろう。そう思うから、別段、あれを恐ろしいとは思わなかった」 この男はジュリエッタを信じていて、だから避けようともしなかったというのだ。それほどの信頼、友愛を、火城はジュリエッタに寄せているということなのだ。 ジュリエッタが感じた喜びを、いったい誰が笑えただろう? 「――っ!」 首まで赤くなったジュリエッタに、火城が小首を傾げた。 「ジュリエッタ? どうした?」 「な、なんでもない……!」 握ったままの手から体温が伝わる。 その温かさに泣きそうになる。 (いかん……こんな) 火城は誰にでもやさしいのだ。 ジュリエッタが特別というわけではない。 それを知りつつも、自分はギアの力を制御できたのだという安堵もあって、 (わたくし……火城殿に、恋をしてしまいそうじゃ) 一度はあきらめかけていた、年ごろの娘らしい感情が、ほろり、と、こぼれた。 (この想いは……許されるのじゃろうか……?) 彼女の胸中を知ってか知らずか、火城は、穏やかな眼で、ジュリエッタを見つめている。
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