蜂の巣のようないびつな建物群は死んだように静けさを孕み、いつもならばにぎやかな屋台通りも人の姿はない。 しかし。大通りに空気を震わる意味のわからぬ雄叫びが響き、ずんずんずんと地響きするは複数の足音。 その街区に住む人間の男はひょっとこ、女はおかめの面をつけて踊り、歌い、進行していた。その顔を覆う面は巡節祭でよく使われる祭面、別名を夫婦面と言われる品だ。 インヤンガイの南に位置する美龍街区――五大マフィアの一つである美龍会のアジトが存在する街区でその大行進ははじまった。 一人、また一人とその進行にくわわって、規模は街区のほとんどの人間に達しているといってもいいほどの人の群れだ。 彼らは踊り、歌い、夢見る足取りで進んでいく。騒ぎを聞きつけて警察が止めようとしてもあまりの人の多さに手を出すことも出来ないほどだ。大進行に参加する者のなかには肉体的な限界を迎えて倒れる者も続出するが、狂い踊る人々はそれらを障害として踏みつけていく悲惨な有様だ。 手にいれろ、手に入れろ、てにいれろ! 壺を! おどれ、おどれ、おどれ すすめ、すすめ、すすめ こわせ、こわせ、こわせ 彼らが進む先にあるのは美龍会が所有する社。白塗りの塀の奥に建物は美龍会の秘儀である悪霊を捕え、墨とする壺の森羅万象が安置されている。 ここは無念を残して死んだ者の霊を壺に眠らせ、墨として再び現世の真の繋がりを復活させるための大切な役割のある場所だ。 人々の進行のなかを確かな足取りで男が進んでいた。その横には銀髪の娘が付き添う。「美龍会が所持する社だ。手順はわかっているねェ?」 男は少女に面と鉈を渡す。少女は黙ってそれを受け取ると頷いた。「あっしがほしいのは本物だ。……だから本物になっておくれ。お前を見る度に喪失を覚える。お前の目を見るたびに苛立つ。ロストナンバーたちに会うまではゼンゼン気にならなかったのにねェ、やっぱり違うとわかったのさァ。あいつらは、みんな言うんだよ。シロガネは死んだってねぇ、じゃあ、本物はどこだい。どうしてあっしに会いに来ない? あっしがこんなにも」「……」「だから本物になっておくれェ」「お前さまが求めるならアタシは本物にならなくちゃいけない……お前さまはもうアタシの目も見ない、夢すら否定した。お前さまに否定されちゃあ、アタシは生きていけない。けど根本的にアタシを否定しきれないなんてねぇ業が深い。……結局、お前さまに食われちまうか、食っちまうか……壺を手に入れたら決めてちょうだいな」「あっしはねェ、シロガネを騙して、裏切った。だから決めたのさ、もう二度とシロガネを裏切ることも、騙すこともしやしないってねェ、それ以外がどれだけ犠牲になろうとしたったこっちゃないが」 面を被ると片手に鉈を握り、人々の進行にまじって走り出すのを見届けた男は逆方向に駆けだした。 ★ ★ ★ 美龍会の所有する社には当然護衛がいる。 木造の建物の戸をくぐれば狭い広間、その奥に壺が置かれているだけの空間に三人。うち二人は女性で白い巫女装束を来た十代の幼い娘だ。唯一の男である稿は怒声をあげた。「あいつら……こんなことができるのはあいつらだ! 旅人どもめ! ボスが目をかけた恩をこうして仇でかえしやがって!」 稿は以前、旅人と対立した際に仲間である鬼一を殺され、自身は手足を潰されて屈辱的な敗北を味わい、個人的に旅人に対して激しい反発心が抱いていた。ボスであるエバの手前、その気持ちを殺してきたが今回の件で彼のなかの憎悪は爆発した。「稿兄さま、どうすれば」「ここにはボスも、ウェ老師もおりません。私たちだけでは……街の人たちは攻撃できません」「藤ノ花、金木犀ノ迷、両面の着用を許可する。ここをお前たちが守れ。俺はあいつらを皆殺しにする。一人残らず……天狗ノ面、完全解除!」 稿は腕につけているひび割れた面をとると顔につけた。 アヤカシは被るだけで身体能力を向上させる術が施されているが、被る者がアヤカシの力を己の意思で完全解除することでその肉体は墨によって完全に変化させてしまう。精神、肉体面において危険が伴うため使用は禁じている。「いけません、稿兄さま……! アヤカシは、憎しみのままつかっては、墨に乗っ取られてしまいますっ!」 一人の少女が止めるが、それは間に合わなかった。 稿の面はどす黒い墨が滲みだして、全身を覆い、さながら人狼のような姿――天の狗と書いて天狗と呼ばれる鬼の姿。 あおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん! 稿は遠吠えをあげて、周囲にいる犬たちの精神を支配するとさらに吠えて命令を下した。旅人を殺せ、必ず、一人残らず! 黒天狗と化して敵を殺しに向かった稿を二人の少女は見送ると覚悟を決めて頷きあうと面を身に着けた。「稿兄さま……護らなきゃ、壺を! 藤! 孤児である私たち育ててくださったボスさまへの恩を今こそ返さないと……無事では済まないけど……金木犀ノ迷、完全解除!」「うん! だって、この壺には優しくしてくれたシロガネ姐さんの魂があるんだもん。木蓮、行くよ! 藤ノ花、完全解除!」幼い二人はしっかりと抱き合うと、その姿は墨に包まれて一本の大樹と化した。そこから広がる樹の枝がいくつも伸びて、生え、壁となっていく。建物を囲む塀のなかの小さな庭はあっという間に樹に覆われた。木の壁はいくつも出来て迷宮となる。そのなかをひらひらと流れるのは小さな金木犀の花弁。偶然迷い込んだ蠅が花弁に触れた瞬間、音もなく真っ二つになった。 ★ ★ ★ インヤンガイで事件が起きたと司書である黒猫にゃんこ――現在は三十代の男性の姿である黒は落ち着いた口調で告げた。 御面屋はインヤンガイで知り合い、愛し合った末に別れてしまったシロガネが死ぬ事件にかかわり、彼女を殺した犯人を捜してインヤンガイに留まり続けていた。つい先日、ロストナンバーたちが彼に接近してターミナルへの帰還を試みたが、まんまんと逃げられてしまった。 ついに彼は自分の作った面を街に流して、どういう方法か不明だが人々を扇動してこの騒ぎを起こしてしまった。 以前、会ったときから御面屋の精神はどこかおかしかったという。その原因は不明だが傍には銀髪の「シロガネ」という少女がいたと報告されている。 連日、自分の欲望を与えてくれる一つ目なる化け物と、それと同じく欲望に堕ちて子どもを殺していった男の事件があった。「御面屋はその一つ目と取引をして、シロガネを得た可能性がある。……そのシロガネは人を食らっているようだ。他の事件のことも考えると、一つ目の与える欲望の形は与えた者の精神を狂わせる力があるのかもしれない……御面屋は今回の事件で世界に影響を与えすぎだ。彼を連れ帰るか、それとも……討伐するかは現場に行くお前たちの判断に任せる。役に立つかわからんが俺のほうから御面屋の所有していた彼のチェンバーに入る許可を出すので立ち寄りたいものがいればいくといい」 黒はそのあとふと気が付いたように「一つだけ気になるのは、以前会った御面屋は面をしていなかったそうだが、彼はそれを所有しているようなことを口にしていたそうだが……いったい、どこに?」 ※注意※このシナリオは 【砂上の楼閣】秤 の最中の出来事です。秤 に参加されている方は出来るだけこちらのシナリオへの参加はお控えください。参加されても満足のいく描写は出来かねます。
インヤンガイは目に見えない醜悪な淀みや濁りが空気中に漂っているのか、肺に入れたとたんに吐き気を催すことがしばしばある。 そんな汚い空気を肺が軋むほどに吸い込んでマスカダイン・F・ 羽空は聳え立つ蜂の巣のような建物の間に出来た小道を必死に走っていた。 御面屋の保護に失敗したことをターミナルのカフェで仲間たちに相談中に知り合いの女の子が危険だと司書からの依頼を受けてインヤンガイに赴いたが、そのあとさらに知り合いからノートに連絡が入ったのに休む暇なく、疲れ果てた身体に鞭打って走り出した。 間に合って、ほしい。 だって、ボクたちが願っているのは一つだもの。 けど、御面屋の淀んだ瞳で見ているシロガネと、自分の知るシロガネはたぶん違う。だから森羅万象を手に入れる。 そして、選んでもらう。 シロガネに インヤンガイはいつも愚か者の願いを聞き届けて、嘲笑う。 ★ ロストレイルから降りた六人は美龍街区に向かうのにさらさらと金色の髪をなびかせた、勝気な雰囲気の錵守 輝夜はギアの人形を抱いたまま仲間たちに背を向けた。 「私、壺がほしいわけでも、御面屋にも興味ないもの。マフィアだってどうでもいい。けど、お祭りは好き。じゃあ、私は私で楽しむから」 その姿はつかみどころのない風のよう。顔は騒がしいところで馬鹿騒ぎを楽しむ幼子のように。名のとおり輝く夜のような傲慢不遜に微笑みを浮かべて消えてしまった。 ターミナルで依頼を受けるのは個々の自由。依頼で何を選択し、行動するのも同じこと。止める間もなかったが彼女は彼女なりの考えがあるのだろうと五人は現場に向かった。 「本件を特記事項β6-18、クリーチャーを伴ったゲリラによる殺傷事件に該当すると認定。リミッターオフ、クリーチャー及びゲリラに対する殺傷コード解除、事件解決優先コードA2、A7、A12。保安部提出記録収集開始」 ピンク色の髪を揺らすジューンの唇からコードが零れだす。淡色の瞳が一瞬、コード解除に反応して輝く。そうして普段は優しげな笑みのある顔は冷静な戦士のもとへと変貌する。 「操られた人々の安全優先、森羅万象の壺の保全が主目的と考え、御面屋及びホムンクルスの殺害を主張します」 「殺害、ですか」 ヒイラギは聞き返した。 「話し合いは、既にヒイラギ様やマスカダイン様がお済ませになりました。その時期は過ぎたものと考えます」 ヒイラギは反論しない。この事態になったのは自分が二度も下手を打ったせいだという自覚はあった。暗房のなかでシロガネを救えていれば、もしくは最後に会ったとき御面屋を強引にもターミナルに連れ帰ればこんなことにならなかったのかもしれない。 なにもかも遅い。 罪悪感と後悔を抱えて生きることの過酷さを知っていながらも身勝手に御面屋を生きたまま連れ帰りたいとヒイラギは考えていた。 「インヤンガイの者からしてみればわれわれこそが彼の起こした不始末の決着をつけねばなるまい。しかし、説得する余地もあるのではと黒殿は口にしていた」 ガルバリュートの言葉にジューンは眼を細めた。 「この状況を作り出したのは彼です。責任があります」 珍しくジューンは頑なに主張するのにガルバリュートが反論しようとして、その間に百田十三が厳めしい声で割ってはいった。 「それは会った者が考えればよいのではないのか? 黒が口にしたのは個々で選択は任せることだ。ならばみな、己の信念に従えばいい。それを恨むことはないだろう? ここでの問題は被害を減らすことだ。俺は外で人々を止める。壺は美龍会の長に届けるべきだろう?」 「そうですね。壺は長に届けたいと私も思います」 「うむ。拙者も、及ばずながら力を貸そう」 「ルン、難しいことは、よくわからない。けど、これ、だめ、わかる。ルンも、止める」 浅黒い肌にすらりとした無駄のない肉体を持つ戦士のルンは、純粋な瞳で告げる。 「被害を受けるのが私達だけならば、保護を優先しました。しかし彼らはこの街区の人々を人質に取りました。人々を守るのが私の使命です。ゆえに私は彼らの殺害を主張します」 普段は他の仲間たちの意見に一歩さがるジューンだが今回は譲らなかった。それだけこの事態を重く受け止め、どうすればインヤンガイの被害を減らし、険悪となってしまった関係の修復が出来るのかと冷静なシステムは考えたのだ。 「偽物かもしれませんが、現在ウィーロウ氏の所在地は把握されております。御面屋かホムンクルス、どちらかが向かっている可能性があります。操られた人々の解放を願うなら、そちら方面にも人員を割くべきかと……私はサーチを発動後、そちらに動きます」 「ルンは、ルンは」 ルンが考えるように大きな瞳を瞬かせると、十三がその背を叩いた。 「俺が式神を呼べばある程度のフォローは出来るぞ」 「ルン、行く、いい?」 「行きたいなら行くべきだ。己の信念に従い動くことは大切だ。では、俺と人を止めるために時間を稼ぐ。ジューンはそのなかに御面屋と例の娘がいないかを探す。その隙にガルバリュートとヒイラギが中に向かう、でいいな?」 全員が頷いた。 ジューンがサーチを駆使して人々の進行するルートを特定すると十三は式を呼ぶ。 「雹王招来急急如律令、この社に通じる道に今すぐ氷壁を立てろ、操られた人間が乗り越えられないように」 十三の声に現れた美しい虎が吠えて透明な冷たい壁を作り出す横では別の式が現れる。 「鳳王招来急急如律令、操られた人間がこの社に近づけないよう氷壁が立つまで風を起こして進路妨害をしろ!」 赤々と燃えた鳥は空を舞い、羽ばたいて強風を起こした。 ルン、ガルバリュート、ヒイラギは壺が保管されている建物の前まで来た。 「壺を守る者に御目通り願おう! 今回の事態は我々の仲間のしたこととして謝罪にきた。この事態を許していただきたいというのは虫がよいことだとはわかっている。しかし、これは我々の本意ではない。彼のしたことは我々で決着をつけさせていただきたい、そして出来れば壺を守ることに協力させてもらいたい!」 張りのある太い声の懇願、しかし扉はかたく閉ざされて開かれることはない。 「しかたない、このなかに」 扉にガルバリュートが手をかけた瞬間、ルンは殺気に気が付いて振り返った。素早く弓を構えて、矢を放つ。 きゃん。声をあげたのは犬だった。 「これは」 ガルバリュートが見ると、どこから現れたのか大量の野良犬が三人を取り囲んでいた。 ゆらっと闇から黒い犬が現れた。 「こいつ!」 ルンが弓を放つ。それと同時に犬は飛び出し、間合いを詰めた。 「!」 ルンは驚愕に目を開く。全身が黒い犬は赤い瞳でルンを睨みつけ、鋭い爪を剥く。ルンはとっさに地面を蹴って塀の上に飛び退いくと三本の矢を指に器用に挟み込んで、放つ。 三本の矢は見事な線を描き、黒犬を襲う。黒犬はバックステップを踏み、吼えると触れたら切れてしまいそうな殺気が膨れ上がる。 「おい、でっかいの、ほそいの!」 ルンが声を荒らげる。 「ルン、戦う。先に行け! ルン、大丈夫! あれは食べ物。終わったら食べる」 ルンは弓を構えて犬たちを見る。 犬は生き物。だから食べる。あの黒いのは化け物。ルンは強い。あれは自分のものじゃない。だから殺す。――シンプルな戦闘欲がルンを動かした。 ガルバリュートは迷ったが同じ戦士としてルンの気持ちをくみ取ると、迷わず扉を開けて、ありえない光景に息を飲んだ。 そこには美しく、醜い迷宮が広がっていた。 木々が絡みあって作られた緑の迷宮のなかには白い花弁がふわっと舞っていたが、ガルバリュートが一歩踏み込むと襲いかかってきた。 「むっ!」 ギアのランスを引き抜いて花弁を叩くと予想以上の重みにガルバリュートの巨体が後ろに弾かれた。ヒイラギが慌ててその背を支えた。 「なんと!」 花弁を受け止めたギアの先が凹んでいるのにガルバリュートは戦慄した。 「侵入者避けのトラップですか」 ヒイラギが苦い顔をする。 「しかし、通らねば」 「待ってください。以前、これと似たものを見ました。たぶん操っている人がいるはずです。そのときは樹を傷つけると術者も傷ついていました。できればここには踏み込まないほうがいいでしょう」 「ではどうやって」 「私が運びます。ただし自衛は自分でしてください。さすがにそこまでは私も面倒みれません。覚悟はいいですか?」 「頼む」 ヒイラギは己に異能阻害と物質劣化を展開する。ガルバリュートも花弁を警戒して空気清浄フィルタを発動した。 ヒイラギは千里眼で建物の屋根を見、転移する。一瞬にして風景が変わったことにガルバリュートが驚く間もなく、ヒイラギは次に物質透過で屋根を抜けて建物のなかに侵入した。 広い部屋には一本の、淡い光に包まれた樹が存在した。 よく見ればそれが二人の少女がしっかりと抱き合っているのだとわかる。二人のうち一人が薄目を開けて侵入者を捕えると、その樹から凄まじい勢いで花弁が舞った。 「っ!」 術そのものは無効化出来ても、飛んできた激しい憎悪の花弁は鋭さを失ってもなおヒイラギの身体を叩く。怒りをこめて。お前のせいだ、お前のせいだと、頬を、肩を、腕を、足を……けれどヒイラギは先へと進んだ。 「ヒイラギ殿! 拙者……な、に?」 ガルバリュートがヒイラギを助けようとしたが、とたんに身体ががくんと崩れた。花の匂いから肉体、精神が危険にさらされると予想したが、そうではなかった。 藤と金木犀の花言葉は、【陶酔】。 樹そのものが人の精神を溺れさせる力を持っていた。空気洗浄して肉体を保ったところで、目が樹を見つめた瞬間、強烈な酔いがガルバリュートを虜とした。 「くっ……」 頭を振り、必死に我を保とうとするがガルバリュートは立つのがやっとな状態だ。 「聞いてください。操られた人間は消費を気にしない、鉄砲玉となります。目くらましにも、また盾にも出来る。この事態を引き起こした彼は何人死んでも気にしません。むしろ、あなたたちが彼らを傷つけることで、住人と美龍会の険悪さは増してしまいます。ここで限界が来るまで彼の思惑通りに動いて壺を奪われますか? 私たちのことは信用しなくても構いませんが、シロガネさんとエバさんのためにも、壺と逃げてくれませんか! お願いです!」 ヒイラギが祈るように手を伸ばして、樹に触れる。白い花弁はその身体を覆いつくし、窒息させようとするがあえて攻撃はしなかった。 花びらに埋もれながら、ヒイラギは言葉を紡ぐ。 「お願いです、もう死んでほしくないんです」 しつこく降りしきっていた花弁は止まり、はらはらとヒイラギを覆っていた花びらも力をなくして落ちていく。 攻撃が止んだのはヒイラギの的確な指摘は彼女たちに考える余地を与えたのだ。 「……私たちが彼を止めます。あなたたちはあなたたちの大切な人のことだけ考えてください。そうですね、私たちを利用していただいて構いません。私は、私の責任をとります」 二人の少女は互いの身を離して樹から人の姿に戻ったが、全身からぴりぴりとした殺気が放たれ、警戒心がむき出しの証拠として迷宮は存在し続けている。 「あなたたちは、この事件を起こした人を殺すの?」 ヒイラギは一瞬だけ迷ったが素直な気持ちを口にした。 「……私個人は彼を連れ帰り、罪を償わせたいと考えています」 二人の無言の非難にヒイラギは眼を逸らさない。 「説得は難しいことはわかっています。貴女達からしてみれば死んでほしいと願うのも、けれど死ぬことが償いにはなりません。むろん、事態が事態です。彼を討つ覚悟もあります」 術の影響が抜けたガルバリュートは頭を横にふって正気に戻ると立ち上がった。 「拙者からもお願いし申し上げる。依頼書を見て考えたが、この事態によって魂を保管する面の知識は失われ、また組織同士のバランスは崩れてしまうだろう。これは過ちだが、それを繰り返しては悲劇が起きる」 「私が貴方達をボスのところに送りましょう。千里眼を使えば難しくありません」 ヒイラギとガルバリュートの行動は少女たちを傷つけないもので、信じることに揺らぐには十分な力があった。 「なら、お願い稿兄さまを助けて……ううん。もしかしたらもう無理なのはわかっているけど……兄さま、兄さま」 「泣かないで、藤。わかったわ。貴方達を利用する。……壺はあそこ」 少女が指差すのに振り返ると、なにもなかった壁が揺らいで壺が現れた。二人の少女は幻影を使って壺を隠していたのだ。 それをガルバリュートは大切そうに持ち上げた。 「これが災いの元となっていることは事実」 「災いなんて言わないで。これがないと穢れた魂は鬼になるか、消滅しかないのよ。これは私たちの希望なの」 少女は悲しげに反論した。 「悪霊や暴霊となった者を封じ込め、墨にすることで現世とのつながり、転生が叶う。この街の人々にとって、これは救いなの。エバ様が、ただ消滅するしかない魂を憐れんで作ってくざった慈悲なの!」 「災いと口にして申し訳なかった。出来れば、この壺について聞き、どうするか決めたい」 「それを決めるのはエバ様で、あなたたちじゃない」 少女たちの頑なさはそれだけ自分たちの長を信じているのだと理解したガルバリュートは頷いた。 「わかった。では、長殿に届け、聞こう。われわれはその手伝いが出来ればよい。ヒイラギ殿」 「この街にエバさんはいらっしゃらないのですか?」 千里眼で街を見るヒイラギは怪訝な顔をする。考えればエバが自分の街でこのような事態に陥れば、すぐさまに事態を収拾しようと動いたはずだ。 「今日は鳳凰連合の長様と会談があって、そちらに赴いているわ」 「別の街ですね? でしたら、だいたいの方向を教えていただけますか?」 ヒイラギの申し出に少女の一人が頷いた。その間にガルバリュートはもう一人の少女に尋ねた。 「この壺が大切なものであるとわかった。しかし、最悪の場合、割ることも考えねばならぬのではないのか」 「絶対にだめ! 壺を作り出したのはエバ様なのよ。割ったらどうなるか! それに壺のなかの魂はすべて穢れているの。だから壺を叩き割ったら――」 次の瞬間、ガルバリュートは予想しなかった痛みに身体を突かれることとなった。 「ぐっ」 壺を少女の腕に託し、崩れながら振り返る。 その背後には見知らぬ男が――ガルバリュートの脇腹を短剣で突き刺して微笑んでいた。 「御面屋さん!」 ヒイラギが叫んだのにガルバリュートは息を飲み、そして気が付いた。御面屋の背後にある床が一部、抜けていた。 御面屋は人々を扇動したあと、別方向へと移動し、マンホールから地下に降りて、鼠の巣のようにインヤンガイの世界に広がった地下を移動に利用したのだ。 それはロストナンバーである御面屋だからこそ思いついた移動手段だった。 なぜならば、ロストレイルは使用されていない地下に駅が存在しているのは、それはどの街にも通じる事が出来るという利点を活用しているからだ。 ガルバリュートは踏みとどまって壁となる。 「死はいつか来るもの! 人はその整理をして生きていく。シロガネ殿は本当にこの地獄へ舞い戻る事を望んでいるか?」 「お前さんがシロガネのなにを知ってるっていうんですかい? シロガネの望み、それを知るためにあっしはここまできたんですらね」 御面屋はよろけたガルバリュートの懐に飛び込み、血を流す脇腹に掌打を放ち、床に倒すと血塗られた短剣を首にあてた。 ヒイラギは二人の少女を背にかばった。 「あんたとはこれで三度目ですかねぇ。悪いんですが、今度こそあっしの邪魔、しないでください。あのとき、あっしはあいつに殺されてもいいと思った。あのとき、あっしはあの偽物がいればそれはそれで幸せだった。全部壊したのはあんたたちだ!」 二人の少女たちの全身から放たれる激しい憎悪に震え上がるのを背に感じながらヒイラギは必死に考えを巡らせる。御面屋は自害する可能性を危惧していたが、彼からはそんな死の願いは感じられない。ただ何かを企んでいるのはその口調から理解する。それは 「面で人を操ることは出来ないと聞きましたが」 「操っちゃいませんよ。あれは彼ら自身の選択ですよ。以前に聞かれたときにお答えしましたが、思い込ませることは出来るんですよ。たとえば、こんなふうにね」 倒れたガルバリュートはなんとか抵抗しようとしたが御面屋は懐から取り出した面を乱暴に被せた。 くぐもった悲鳴をあげるガルバリュートの兜に御面屋は囁きかける。 「動いたら、死ぬぞ」 ガルバリュートの身体がぴたりと動きを止めた。 「と、いう具合にですねェ。生き物は自分が危険だと思えば、本能的にそれを忌避する」 御面をつけている人々は歩かなければ死ぬと面によって思い込まされ、なにがあっても止まらない。なにがあっても進み続ける。それが狂った祭の正体。 「……なにが目的なんですか? シロガネさんの魂を、あの少女に食わせるつもりですか? それでシロガネさんになると?」 「墨を手に入れれば、偽物だって本物になれる」 「本物に?」 「魂が違うんですよ。あれはね。だから、あれにシロガネの墨で名前を全身に彫れば、本物になるんですよ」 狂った妄執と悲しいほどの執愛の言葉にヒイラギは言葉を無くす。 「偽物が死んじまっても、別にあっしは構わないんですよ。よくまぁ、あっしを騙してくれたもんだ! ちょいとお礼をしようと思いましてね、あっしにふりをさせて前から突撃させやした。まぁ器なんて、また一つ目からもらえばいい」 「それで、あなたは、いいんですか」 「ああ、あの器じゃあ、シロガネも怒るかもしれない。あの面はイバラギの作ったものだから」 ちぐはぐな会話。 ヒイラギの言葉は御面屋の耳すら入らない。 御面屋の思考はシロガネ以外、硝子が砕けるように粉々に欠落している。 説得したくともヒイラギは御面屋の心が、彼が縋るシロガネとの過去が、想いを――知る手掛りを持ち得ていなかった。 「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!」 ヒイラギの背に隠れていた少女が悲鳴をあげる。気が付くとその肉体は黒炎に包まれていた。外で彼女たちの迷宮に誰かが火を放ったのだ。 御面屋の嘲笑う声が重なり合う。 「祭だ。祭りだ。さァ、さァ、狂ったように踊れ、踊るがいい! ……シロガネ、もうすぐ、会える。そしてお前に……別に今更器なんぞなくても、ねぇ、あっしはお前に会いたいだけなんだ。もう一度、何度だって、繰り返すために……お前になら殺されてもいいんだ。今度こそ」 御面屋は虚空を見て呟くと崩れた少女が落とした壺に駆けだすのにヒイラギが構えた瞬間現れた美しい娘――御面屋のトラベルギアである浄瑠璃の娘が邪魔をした。 ヒイラギが娘を振り払ったときには、御面屋は壺を手に素早く来た道へと逃げていった。少女たちを見ると、赤黒く燃え上がりながら血走った眼でヒイラギを睨みつけていた。 「おまえたち、ひとりたりとも、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない! みんな、みんな、死んでしまえええええええ!」 轟く絶叫をあげて少女たちの身体は黒墨に完璧に飲み込まれて、本物の樹となって燃え上がりながらも成長をはじめる もう止めようがないのにヒイラギは周囲の焼け焦げた匂いに、もう二人の少女は助からないと理解するとガルバリュートを助け起こして御面屋を追いかけた。 ★ 淡色の唇を拗ねたように尖らせて、輝夜は捻じれた建物の上に腰かけて、じっと下界を見下ろした。 社に向かう人々、それを守ろうと奔走する人々。 しばし冷たい瞳で観察して、唇に弧を作り上げる。子どもが飽きた玩具を捨ててしまうように。すらりと立ち上がる。 輝夜が両手を広げて全身に風を受けて金髪をなびくたびに、らちらり、ちらりと光が零れ落ちる。 その光――黒い炎が周囲を包み込み、社の周囲を黒い炎が包んで燃やし始め、更に幻獣を作り上げて、社のなかに侵入させて炎で燃やすように指示を飛ばした。 「突入者を防ぐ陣形って、そもそも突入してきてくれないと、意味ないのよねぇ――自分達の護る物に、そんなに価値があるとは限らないのよ」 影を利用して建物から降りて、輝夜は進む。 まるで散歩をするかのように軽やかな足取りで。顔には無垢なあどけない笑みを浮かべて。 炎は燃えていく。 てらてらとすべてが赤く照らされる。まるで昼間みたいな昏い明るさに狂った人々の舞いは、陽気な祭のようだ。 燃えていく。 街が。 赤々と美しい。 まるで本物の祭のよう。 「ほら、祭りらしくなってきたじゃない?」 ★ 塀の上からルンは犬を狙い、矢を放っていたが、その目に十三が足止めしていたはずの人々が迫ってくるのが見えた。 いくら氷の壁を作っても、彼らはそれに体当たりをして、しがみつき、よじのぼり、あるいは力尽きて死んだ者を踏みつけて進行し続けた。さらに周囲を包む黒い炎の急激な温度の現象は氷を解かすには十分な作用があった。 進むことを強制された人々はなにがあっても進み続けるしかない。彼らは己の血、他者の血でひどい有様だった。 ルンは犬との戦いを一度切り上げると、十三とジューンを狙う人々の面に向かって矢を放つ。面を割るのに力の加減はした。面を割られた数名が地面に倒れる。 十三も面を割ろうと針を飛ばすが、それで足止めできるのは数名ばかりで、倒れた彼らを踏まれないように救出する手が足らない。また稿は式に牽制してもなおしつこく攻撃してくる。 稿が飛びかかり、脇腹を蹴るのをぎりぎりで防ぐルン。 「ルン!」 退避してきたジューンと十三は声をあげる。十三の眼は社を見る。まだ術が解除出来ていないのを見るとガルバリュートたちがなかでなにかしくじった可能性が高い。 「仕方あるまい。炎王招来急急如律令、この迷宮を業火で包め! 他の誰もこの迷宮に近づけぬように! そして樹が燃え尽きたら、お前が森羅万象の壺を確保し守るのだ」 それは輝夜が放った黒炎にさらに力を与える結果となった。街全体に炎が予想以上の速さで回り、炎は術の使用者の娘たちを燃やすこととなった。 迷宮の木々は燃えながらも激しい怒りと憎悪を抱え、塀の上にいるルンの足を掴み、動きを封じる。 「っ!」 ずるりとルンは地面に落とされて、犬たちに襲われる。それをジューンが電光石火の素早さで盾となり、全身に犬たちが噛みつくのを雷撃を放って炭化させた。 十三は針を投げて犬たちの動きを牽制しながら火燕、飛鼠を使用して稿を威嚇するが、二匹の式を鋭い牙で紙に返した。 「よくも、よくも、よくも! 藤、木蓮を殺したな!」 「あなたのせいでしょ?」 艶やかで軽やか、それでいて皮肉と嘲りを交えた少女の声に稿が振り返る。 メラメラと燃える黒い炎に照らされて輝夜は無垢に微笑む。 「大事ならどうして最後まで自分で守らないの?」 どす黒い殺意が向けられて輝夜はくすくすと全身を震わせて笑う。 「私怨を優先したんでしょ? 愚かで浅はか。そんな無能、ボスもいらないんじゃない?」 挑発に稿が乗った。輝夜に間合いを詰めて拳を振り下ろす。それをあえて輝夜は受けた。ギアがその痛みをそのまま稿に返すからだ。輝夜は笑って愚かな者を影で捕まえると地面に転げたので見下ろし、神経に糸を侵入されて激痛を与えていく。 「自分のことしか考えない人って嫌いなのよねぇ。だから神経が崩壊するまで苛んであげる」 墨に守られても使用者は生身なのだから激痛を感じるはずだ。 そうして嬲っていると倒れた稿は動かなくなったかわりにぶぢふぢと何かが食らう音がして輝夜は眼を細めた。 墨が、稿を食べている。 ふらりと稿は立ち上がったが、それはもう人ではない。ただの鬼だ。 鬼は吠えあげて輝夜に向かっていった。 そうなると糸で首を斬っても、手足を斬っても無駄だった。 この世に未練を残した悪霊を墨として作り上げられたアヤカシの面。その墨を解放し、肉体を与えることが禁忌とされたのは使用者の怒りが清められた霊を刺激し、限界を迎えれば墨に――霊に食われて、本物の鬼となる。実態がありながら霊である。霊でありながら実態がある。 輝夜はギアで守られているが、鬼は攻撃を止めない。痛みはなく、終わりはなく。 繰り返し、繰り返し、繰り返し、とまらぬ呪いのように攻撃はなされる。 「それって、すごく無駄じゃないの?」 輝夜は冷めた目で鬼を見つけた。 「なんということだ、あれが、人間なのか?」 十三は顔を歪め、退魔の札を宙にばらまいて、黒い犬の動きを封じると、突撃してその身を容赦なく突き、滅した。 「む。あれは」 人々の間に何かがいることを十三は発見した。人ではなく、霊でもない。 「あれが! あれを倒せ!」 十三の声にジューンが動いた。 生き物ではないそれを生体サーチでは捕えられない。 「あそこだ!」 犬たちを薙ぎ払ったルンは声をあげ、弓を引く。どすっとなにかがあたるのを見届けたのにジューンは間合いを詰めた。 手でそれの首を掴んだのは面をかぶった、髪の毛の短い少女に向けて電撃を放つと全身を震わせて倒れるが、その手に持つ鉈がジューンの肩に落とされた。 「ロボットである私には効きません」 少女はくすっと笑った。 「ざん、――でした」 少女が消えて残ったのはひょっとこの面だった。それは真っ二つに割れたのをジューンは踏みつけて進む。 「御面屋がいません。ウィーロウのところに移動します」 「ルンも行くぞ!」 「俺はここに残る。火を止めねば……」 輝夜は黙って燃え上がる火を見る。 本当にバカ騒ぎのようだ。くすっと唇が皮肉ぽく笑う。 「これで少しは満足した?」 なにもかも燃えていく。 ★ ヒイラギはガルバリュートと地下の複雑な迷路を進む御面屋を追跡していた。 出たのは美龍街区の一番端だった。ヒイラギは千里眼で御面屋の場所を確認するとガルバリュートと転移し、彼の通路を塞いだ。 「これ以上は行かせません」 ガルバリュートはギアを構えた。 「みんな? 御面屋さん!」 美龍街に向けて駆けていたマスカダインは立ち止まった。 「壺が、シロガネさん!」 御面屋は忌々しげに眼を眇めると、じりじりと後ろに退避するが別の声が牽制した。 「ええ加減に逃げるんはやめ! おれぇの守る街によく顔を出させたな、この恥知らずがっ!」 「エバ様」 振り返った御面屋が意外そうに声をあげるとエバとその後ろに黙って従っているウェを見つめた。 「どうして、ここに」 「あんなうるさくしたらわかるわ。フォンの家は隣街やからな。その壺、うちのモンを出しぬいてとったんか? ええかげんにせい、わかっとるはずや、壺は」 「そうだぞ。御面屋殿、壺は」 ガルバリュートも声をあげるのに隙をついてマスカダインが動いた。 「シロガネさん!」 マスカダインが壺を奪おうとするのに御面屋が抵抗した。 壺は高く持ち上げられ、地面に叩き付けられる。 その瞬間、強風が吹き荒れた。 「いかん、ヒイラギ殿!」 ガルバリュートはとっさにヒイラギを庇った。 壺について少女はガルバリュートに説明した。 ――壺を、壊してはいけません。浄化されない霊が出れば、それはただの鬼となります。もう転生も、輪廻に戻ることも叶わない あふれ出す悪意 膨らむ殺意 歪んだ歓喜の声 壁まで強風によって吹き飛ばされたマスカダインは息を飲む。 銀色のセーラー服を着た狐面をつけた少女。 「シロガネさん! 迎えにきたよ。ボクはもらったから、シロガネさんにあげにきたの、半分、ううん、全部! 本当はね、御面屋さんと一緒になってくれればなって、それで幸せならって、けど、違うなら、ボク、アナタに選んでほしくて」 シロガネは くすっと笑った。 「見つけた」 封じたはずのマスカダインは知っていたはずだ。壺のなかにいるのはシロガネの魂は――恨みのために悪霊と化したことを。 彼女はもう人を食らった悪霊だ。 彼女が悪霊となった原因、それは姉への罪悪感、それを引き起こした御面屋への激しい憎悪。 だから 御面屋もまた吹き飛ばされても必死に立ち上がり、シロガネに手を伸ばした。 「シロガネ、シロガネ、シロガネ、ようやく……なんだ、あの頃とまるで変わらないじゃないか。覚えているかい? 忘れてもいいんだ。選ばなくても、忘れても……あっしの名前は葛っていうんだ。お前が呼ばなきゃ意味がない。意味がないんだ。だから、最期に、」 「――葛」 御面屋――葛の腹をシロガネの腕は迷いなく突き刺していた。 鮮血は踊る、 憎悪は音もなく世界を崩壊させ 男の妄執の末の邂逅はなにも生みはしなかった 御面屋が願ったのはたった一つ。再びシロガネに出会うこと。そして彼女に殺されること。そして、 シロガネは崩れ落ちた御面屋を抱いて優しく笑う。 「いかん!」 悪霊たちは今まで封じた者への怒りに集中する。 術を施せば、それが破れたとき返るのは術者自身――つまり、エバに返った。 エバは悪霊に腹を貫かれて血を流して崩れる。傍にいたウェが助けようとするが、解放された悪霊たちの暴走は止められない。 壺に封じられた魂たちは解放された歓びに、街のなかに飛び回る。 じっとその様子をマスカダインは震えながら見つめた。 シロガネの魂は完全に穢れてしまったのに優しく笑っている。 目の前にいるのは自分の知るシロガネではない。御面屋が歪めて、狂わせてしまったシロガネだ。 「アナタじゃない、ボクの知ってるシロガネさんは!」 それがマスカダインを現実に引きとどめ、力を与えた。護るためにどうすればいいのか。それは信じること。自分が出会ったシロガネを。そのためにも目の前にいる歪んだ存在を倒さなくてはいけない。 ギアを手にとって引き金をひく。甘い弾はマスカダインの予想以上の速さを持って鬼を貫いた。 「協力します……あれを倒しましょう」 「ヒイラギさん!」 ヒイラギが弾に加速の力を与えたのだ。結界を使い、暴霊たちの干渉を封じ、さらに鬼が忌々しげに鋭い爪を伸ばして繰り出される攻撃は空間を曲げて否定する。 いくつもの悪霊たちがヒイラギの作った術を破ろうと猛攻撃を仕掛けてくる。すでに精神も肉体も限界であったが、ヒイラギは奥歯を噛みしめて耐えた。ここで諦めては自分は自分のしたことが許せなくなる。 「拙者も助太刀させてもらうぞ!」 ガルバリュートは悪霊の猛攻撃をあえて受けとめ、片腕に渾身の力をこめてランスは投げ、鬼の動きを牽制した。 「いまだっ」 「マスカダインさん!」 鬼は激しく吠えてガルバリュート、ヒイラギを、マスカダインを睨みつける。 「っ!」 マスカダインは震え上がった。大切な言葉をくれたシロガネはもういない。現実はいつも悲しくて、苦しくて、切なくて。 けど、約束した。いい男になる――その言葉は力をくれる。優しい思い出があるから強くなろうと決めた決意。 過去は決して変わらない。それは生きる者へ力をくれる。明日がいくら自分を裏切ろうとも、また信じようという、力を。 嗚咽を漏らしながら、視界が歪むのにマスカダインは信じて、引き金をひいた。 「届け!」 叫ぶ 「届いて!」 弾丸は鬼を貫いた。 鬼の肉体は光となって霧散し、あたりを包み込むのにマスカダインは両膝をついて泣きながらじっと見つめていた。 光は優しく、頭を撫でる。ありがとう。――その声を確かに聴いた、気がした。 「シロガネさん……桃花鳥さんっ! ボク、ボクっ、ありがとう」 マスカダインは確かにもらった。命を、生きる力を。 鬼は死んでも、霊は止まらない。彼らは燃え上がった街の生き残った人々を食らっていった。 霊が解放されたのは美龍会と鳳凰連合のある街の丁度中心。 大打撃を受け、長すら失った美龍街区は眠るように崩壊した。 鳳凰連合のある街は予期せぬ事態に対処が出来ず、人々は悲鳴をあげ、逃げ惑いながら霊に食われる――地獄の一晩ののちに壊滅した。 二つの街は封鎖されたのち他の街から見捨てられ、完全に死んだ。
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