ターミナルには無数のバーがある。そのひとつDeath in the Afternoon。永劫の昼が続く0世界にちなんで命名されたとされる。その様式はアメリカのなかでも欧州文化の伝統を引き継ぎつつも重工業の発展による華やかさを混ぜ合わせたシカゴスタイルである。佇まいは迷信深い南部や堕落した西部とは一線を画す。モダーンながらも洗練されている店内には難しすぎない程度のジャズが流れ、旅に疲れたロストナンバーを弛緩させる。 名物は、禁酒法の幕引きと共にシカゴで育った文豪ヘミングウェイが考案した同名のカクテル『午後の死』 このバーで一一 一と橘神 繭人は、うさんくさい青年 ――チャンに麻雀の手ほどきを受けていた。 世界中のどこにでもチャイナタウンはあるが、シカゴ、ウェントワース通り沿いのそれは歴史が古い。その影響か、0世界にあるこの店でも雀卓が隅っこの方にひっそりとあった。「ダメダメあるよ。簡単に鳴いてはいけないね」 このチャン、チャイニーズかと思いきやジャパニーズだと言う。その証拠に遊ばれているのは日式のリーチ麻雀である。 集まった3人では面子が足りない。 なので、店の扉が開いたときには一斉に振り返った。 入り口では、無機質めいた青年アルジャーノが常時と異なる黒尽くめのスーツに白い百合の花を一輪携えていた。ゆっくりとテーブルに近づいくる。 そして、異様な雰囲気に麻雀に誘い損ねた面子に、作り物めいた笑顔を浮かべた。「やあコンニチハ! 元気ですカ? 最高ですカ? 生きてますカ? 今日は私の友人の葬儀デシタ。自殺デス。自分のチェンバーで、首を吊って死んでいましタ」 穏やかでは無い。「写真が趣味デ、お気に入りのデジカメで廃墟を撮影するのが好きな人デシタ。瓦礫や煉瓦を食べる私二、掃除をするな風情が無いとよく怒っていましタ。彼はコンダクターデ、皆さんと同じように図書館から依頼を受け、時には誰かと戦い時には何かを守り、怒って笑って生きていましタ」 能面でも憂えた表情を出せるもんだと感心していると、アルジャーノはテーブルの上に古ぼけた手帳を広げた。「けれド、彼はどうやら悩んでいらしたようデ」==========1月×日ヴォロスの依頼が長引いてしまった。クリスマスは終わってしまった。出張だとは言っておいたが、妻に心配をかけているだろう、早く帰らなければ。1月△日ブルーインブルーの護衛依頼から帰還、職場の友人との飲み会をすっぽかしてしまったので謝罪のメールをしたが、話が噛み合ない。1月□日考えたくはないが、浮気なのだろうか。俺の不在中に妻がどこかに出かけているらしい。1月◇日妻にそれとなく探りを入れたが、不思議そうな顔をされた。一緒だったでしょうと言われた。意味が分からない。2月◯日ニューイヤーパレードに間に合わなかった。あれは誰だ! 俺にそっくりなやつが妻と町を歩いていた!もしかしたら旅団の罠かもしれない、やつらの中には他人そっくりに変身するものがいると聞く。戻って図書館に相談しよう。2月×日なんと言うことだ。司書の予言に無い事だと一蹴され追い返されてしまった。そういえば、アルジャーノも人に擬態するやつだ。悪戯かと思ったが、あいつはまだヴォロスから帰って来ていない。2月□日モフトピアから帰還。あいつはまた家にいる。俺が不在の時に入れ替わるようだ、家に帰れない。2月△日あいつは今日は家でホームパーティーをしている。腹が立つ。埒があかない。奴を捕獲し問いつめよう。叫ばれ怯えられた妻と友人が駆けつけて来た警察を呼ばれた訳が分からない俺が本物なのに、妻も友人も、俺を狂人を見る目で見る俺が本物なのに3月×日この間と同じ司書に相談した、追い返された○日警察が家をパトロールしている、近づけない□日アルジャーノは帰ってこない△日追い返された、なぜなぜ=========== アルジャーノは物陰や草影から隠し撮りをしたようなアングルで30代とおぼしき男性が写っている写真をテーブルに広げた。「彼の足下に転がっていたデジカメのデータを現像した写真が、コレです。友人として言わせて頂くと、写っているのは確かに死んだ筈の『彼』デス、が、手帳から察するにこれは『入れ替わった方の彼』だと思われまス」「あなたにもそんな友達がいたのですね。お名前はなんというのですか?」 一一 一が尋ねると、自殺したのはロジャー・シュウ、コンダクター、中華系米国人だったそうだ。「実はこの妻と友人が彼 ――ロジャーの思い込みの妄想デ、全く関係無い他人であったのだとしてモ辻褄が合いませン。妻と友人に自分が本物だと訴えても、狂人だと言われル。オカシイですよね?」 みなが話しについて来ていることを確認するようにアルジャーノは一息ついた。「彼と入れ替わった彼は、顔が同じなのだから、それなりの反応がある筈なのに同じ顔であると彼らが認識できていないような節がアリマス。司書に度々相談もしていたようですガ、取りつくしまもなく追い返されるというのも気になりまス。普通、どれだけ下らなくてもちょっとくらい取り合ってくれますヨネ? この件は最近の旅団の動向にも重なりませンカ? 周囲の人間の情報を操作して擬態して成りすますなんテ、怪しいナア」「帰りたい場所がなくなってしまうって、苦しかったでしょうね、その人。調査の知識や技術があるわけじゃないですけど、何か出来ることがあれば、お手伝いしたいです。自分に当てはめて考えたら、すごく悲しいことですし、放っておいたら同じような目に遭う人がいるかもしれないわけですから」「きな臭い話ね」「……嫌な話ですね、それ。ロジャー・シュウ、ロストナンバーっていっても、帰る場所はあった筈なのに」 みなの協力が得られると聞くと、アルジャーノは百合の花を手帳に手向けるように掲げると、そのまま口に運んでぱくりと食べた。 †【ロジャー・シュウのチェンバー】 チェンバーに一歩踏み入れるとインヤンガイを彷彿させる雑然とした空間が広がっていた。 簡素な寝台の周りには、古いペーパーバック、空いたバーボンのボトル、ファーストフードの包み紙が散乱していた。 図書館の調査によると彼は裸電球に縄をかけ、寝台から飛び降りて首をくくったそうだ。 雑然としているデスクには今年のチャイニーズニューイヤーパレードのパンフレットと粗末なジャケットが投げかけてあった。「これ、奥様でしょうか?」 一が写真立てに気付いた。古ぼけた写真の中では若かりし日のロジャーとその妻をおぼしき人物が笑顔で肩を抱き合っている。妻は黒人だ。彼女は陽気そうでサックスを手に持っていた。ロジャーはトランペット。そして、束になって放置されていた手紙に書かれている住所はシカゴであった。「この住所はチャイナタウンの脇を流れているシカゴ川 ……シュウさんはね。そのそばに住んでいたあるよ」「はい、川べりでハイウェイをながめていたらロストレイル号が走ってきたと言っていましタ」「双子の弟 ……なんてことはないよねぇ」「妹と弟がいると言ってしましタ。妹さんは結婚していテ、弟さんは前に聞いたときはエレメンタリスクールに通っていると言っていましタ」「親は?」「死別されたそうでス」「あれ? この写真…… 右下がちぎられていますよ」【リベルの証言】「ロジャー・シュウですか。成績が低迷していたのはそんなことがあったためなのですね。惜しい人を亡くしました。そうですね。そっくりさんがあらわれたとの報告は受けています。変身能力のあるロストナンバーはいますので検討事項としました。シャドウ? はい、報告を受けたのはシャドウは捕まった後でしたので少なくとも彼の犯行では無いと思います。よろしいでしょう。ロジャー・シュウの調査をお願いします」【エミリエの証言】「ロジャー死んじゃったのね。悲しいね。ええー! アルジャーノの友達だったんだ。へー、アルジャーノって友達いたんだ? え、ええっとね。壱番世界に旅団がってね。すごい剣幕だったよ。う~ん、怖かったから茶缶にまかせて逃げちゃった。てへっ。壱番世界に旅団って、運動会があったでしょ。報告は楽しそうだったよ。それから~、キャンディ・ポットの事件は関係ないよね」【宇治喜撰の証言】log...23751876...Roger Shung : 俺の故郷に、俺にそっくりなやつが! ……旅団が、そんな予言は無いのか!?rep : error 55765, matching prediction not foundlog...23759750...Roger Shung : また、いたんだ。俺の家に ……旅団が! 今度は妻も!! そんな予言は無いのか!?rep : error 55765, matching prediction not foundRoger Shung : ああ! 俺が本物なのに!rep : sorry, i do not understand "俺が本物なのに". choose another word.Roger Shung : ううおぉぉぉああ! 俺が本物なのに!rep : sorry, i do not understand "ううおぉぉぉああ". choose another word.=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>アルジャーノ(ceyv7517)一一 一(cexe9619)橘神 繭人(cxfw2585)チャン(cdtu4759)=========
【ロジャー・シュウのチェンバー】 チェンバーには陰気な空気が漂っている。 裸電球に照らされた空間は雑然としている。粗末な寝台、デスク、ゴミの積まれたテーブル。それで手一杯の部屋であった。 ロストナンバーが4人も入っては手狭だ。 家捜しのすれば、埃が舞いあがる。そして、部屋に窓は無かった。 チャンは遠慮無く寝台に腰掛け、アルジャーノはテーブルの雑貨を漁っている。 一一 一はロジャーの写っている写真から何か読み取れないかと悩み、繭人は土足で上がっていいものか考えあぐねていた。 デスク立てかけてあった古ぼけた写真にはロジャーとその妻と思われる女性が写っていた。妻はアフリカ系移民のようだ。そして、ロジャーはトランペット、女性はサックスとともに写っている。ジャズを通じて知り合ったのだろうか。 そのトランペットは寝台の下から出てきた。メッキははがれ、真鍮の地金が見え隠れする。大切にしていたのだろう、バルブの動きは滑らかであった。乾いた音色を予感させる。 繭人はラジカセがゴミに隠れていたのを発見した。中にはテープが入っており、再生するとモダンジャズがしずかに流れた。時々音程が揺らぐところがあるのは、再生しすぎたテープにはよくあることである。 そのひずんだ音色はひどく孤独で、繭人を苛んだ。彼の頼っている二人の同居人…… 例えば、彼らが突然居なくなってしまう悪寒。沸き上がる不安感に耐えられず、テープを止めた。 古ぼけた写真の右下がちぎられているのが気にかかる。 「これって日付だよね。犯人は絶対に許せないわ」 一はその日付がこの一連の悲劇に関わるのではという漠然とした悪い予感を胸に抱いた。そして、それをチャンが肯定する。 「チャン思うね。ロジャーはとっくの昔に死亡してたアルヨ」 極限状態において覚醒するロストナンバーは多い。 ――川べりでハイウェイをながめていたらロストレイル号が走ってきた 「川べり覚醒したロジャーは、シカゴ川に転落」 壱番世界では死んだと考えられたのだろう。それから歳月が経過して、ロジャーそっくりに弟が成長したのかもしれない。 そうチャンは推理する。 それを裏付けるように、部屋にあったペーパーバックは古いものが多い。それらは、古典愛好家と言うには新しすぎた。むろん、幼少時代に親しんだ本を繰り返し読み続けるものは大勢いる。だが、冊数はささやかでロジャーは特別読書家であったと言うことは無さそうだ。 チェンバーに確認できるもので一番新しいのは今年のチャイニーズニューイヤーパレードのパンフレットであった。それだけがこの古びた埃の中で浮いている。 「ちぎられた写真が気になる。どうにかして再生できないかな」 繭人も同意するように写真の日付を明らかにする必要があった。 「まず、死んだのは本当にロジャーだったのかですか?」 「それは間違いないデス」 「失礼だけど、あなたは死んだロジャーの死体を確認しましたか? 」 地道な確認作業は捜査にはかかせない。一はそのもっとも基本的なところから始めた。 アルジャーノが駆けつけたときにはロジャーのところには司書が既に居たそうだ。そして、亡骸は確かにロジャーであった。アルジャーノから見てロジャーで、司書から見てもロジャー、そして彼はロストナンバーとしての登録を抹消された。 「その、司書はだれだったの?」 繭人の疑問の答えは、リベル・セヴァンであった。 「なら間違いは無さそうですが、図書館の司書をもたばかるナニかだとしたら恐ろしいです」 「旅団の仕業かもしれないアルネ」 「だとしたら、色々できそうだね」 「スパイがターミナルまでは来れなくても、壱番世界では旅団は活動していますからね」 可能か不可能かと言われたら可能であろう。司書に予言されていないところが気にかかるところである。 「これはほんとに旅団の仕業なのかな? でも、何のためにこんなことをするんだろう?」 繭人には、世界侵略の足掛かりにしては回りくどすぎるように思えた。 その感覚は他の者も同じである。 「予言の精度を測るための旅団の実験とか……。そんなわけありませんよね。証拠が出るまでは旅団の関与は考えないでおきませんか?」 「そうデスね。ただ、ロストナンバーによる犯行は可能だと思いマス。偽装殺人かもしれません」 アルジャーノの推理はこれだ。 もう一枚の写真。デジカメの写真にはロジャーと見まごう人物が写っている。ロジャーのメモは自分のそっくりさんを隠し撮りしたのだといってる。 「写っているのはロジャー本人だと思いマス」 そう友人が考えるほどにはよく似ていた。 「犯人は、ロジャーを殺した後、あらかじめ隠し撮りしてアッタ、ロジャーの写真をデジカメにコピーし、自分の写真を消したのカト」 荒削りだが、合理的な推察だ。 「ロストナンバーによるロストナンバーの殺害だから世界計に影響は無く司書の予言にも出なかった?」 それを確認するためにも司書に話しを聞く必要があった。 【世界図書館】 一行は事件の処理をしたリベル女史に面会した。 彼女によれば、ロストナンバーの自殺はそれほどレアな出来事では無いようだ。 「0世界には大勢のロストナンバーが住んでいます。そして、0世界に順応できるものがすべてではありません。ツーリストは故郷を想い、コンダクターにはすれ違いが発生します。故郷に帰れる分だけ、余計につらいのかもしれません。そのなかではロジャーはよくやっていた方だとは思います」 「だからって何も自殺なんて道を選ばなくたっていいじゃないですか!」 「そうですね。ひょっとしたら、私も同じような絶望を抱いて記憶を封印することにしたのかもしれません」 「私はそんなことしないわ!」 「笑えない冗談ヨ」 憤る一をチャンがたしなめた。 ―― 司書の予言に無い事だと一蹴され追い返されてしまった 「あの、ロジャーが依頼を断ったときになんか変わったことありませんでした?」 そう聞かれると、リベルはゆっくりと口を開いた。 「一般的に言いまして、依頼は…… よく断られます。よほどのことが無い限り、その理由を問うことがありません。特にコンダクターの場合は壱番世界での生活がありますし、こちらとしてもなかなか強要はできないのです。そして、すみません。ロジャー・シュウには特別な特技があったわけではありませんので彼を強く指名する必然性が無かったこともありまして、こちらも追求していません」 そして、単にロストナンバーを指名しない依頼の場合は、挙手をしないものを気に留める者はいない。そもそも、繰り返し冒険旅行に出かけるロストナンバーは少数派なのだ。0世界になじめず、チェンバーに引きこもったままの者も多い。 「ですので、一般的には、です」 ロジャーは旅団の関与を疑っていた。 「話しを聞いたのはエミリエと宇治喜撰です。宇治喜撰のログによると、彼には、そのような予言はないと伝えたようです。ええ、そのような脅威は確かに考えられます。しかし、予言は必ずされるものとは限りません。既に最初の事件が起きてしまってから、初めてそこから先のことが予言されるとこもあります」 司書とのいざこざはただの哀しい擦れ違いだったのか、何か理由あるものだったのかと言われれば。擦れ違いであろう。質問に対して額面通りにしか答えない宇治喜撰では危機に対応できないであろう。ロジャーは普通の司書……例えばシドにでも相談すればもっと親身に対応して貰えたのかもしれない。 そもそも、予言の仕組みをすべて把握している存在などチャイ=ブレしかありえないだろう。 「ですから、予言に無かったからといってそのような旅団の計画が無いとは言い切れないのです。ただ、今に至っても予言が無いということはいささか気にはなりますね」 予言は必ず為されるものでは無い。また、ロジャーが予言されるには小物すぎたと言う見かたもできる。ロジャーの死は世界計に影響を与えるほどの事件では無いと言うことだ。 「不愉快な法則ですね」 「ただ、我々の把握していない旅団のロストナンバーが0世界に侵入しているという事態は考えにくいですね」 だから、たとえ旅団による犯行だとしたら仕込みは壱番世界で完結している必要がある。 「図書館のロストナンバーによる偽装殺人は考えられマセンカ? タトエバ、記憶を弄る能力をもったロストナンバーがいるとカ」 「旅団のロストナンバーにできそうなことなら、そもそも図書館のロストナンバーにも可能アルヨ」 一はふと思った。 「でしたら、ディアスポラしたばっかりのロストナンバーと言う可能性もありますよね。そうですよね。リベルさん」 「はい、予言されるディアスポラはほんの一部だと思われます」 「だったら、アルジャーノさんって、故郷に自分の一部を残してきたとかありませんか?」 …… 「壱番世界にアルジャーノさんの残りがディアスポラして来た可能性もありますよね」 「友人親戚関係のロストナンバーは0世界にも大勢居るしなぁ。俺にはいないけど。アルジャーノ本人の一部じゃ無くても考えられるか、そして、ロジャーからアルジャーノの ――故郷の臭いがするだろうしねぇ」 繭人はほほえみを絶やさない液体金属生命体に視線をやった。 「そう言えば、アルジャーノさんは旅団との戦いで一度分裂しているよねぇ。株分けって言うのかな。旅団にブラックアルジャーノさんがいてもおかしくないかなぁ?」 考えの通りであれば、旅団の計略としても十分に説明がつく。ロジャーはアルジャーノを誘い出して入れ替わるための撒き餌だ。 ロジャーのターミナルでの生活は色々と痕跡が残っている。Death in the Afternoonに通っていた時期もあるという。冒険をこなした回数もコンダクターにしては多い方だ。 また、冒険が終わった後にささやかなつきあいもあった。その中でもアルジャーノは特別彼との親交が厚かったのである。 チェンバーからも、司書からも有力な手がかりは探り当てられなかった。あるいは断片として小さすぎるだけ。 やはり、壱番世界におもむかない限りは、十分な情報は得られないようだ。 【シカゴ=チャイナタウン】 風の街シカゴは合衆国北部中央に位置する大都市である。 その勃興を開拓時代に遡る。大陸を南北に縦断するミシシッピー川と五大湖をつなげる運河の建設のために人が集まり、やがて大陸横断鉄道が敷設されると十字の交差路となった。 シカゴは本来は交易都市だったのである。 シカゴは製造業の衰退と共に一時衰退したが、今は学問の都市として復活を遂げようとしている。 シカゴ学派と言う言葉を聞いたことのあるものは多いだろう。 そして、ロジャーの手紙に書かれた住所はシカゴのチャイナタウンの一角を指し示していた。 シカゴのチャイナタウンも歴史が古い。ゴールドラッシュも下火になり西海岸で迫害されるようになった中国人が内地をめざしたのが起源である。中華人民共和国が人民の渡航を許すようになってから、世界各地にたけのこのように産まれたチャイナタウンとは異なる。もっとも今現在の住民多くはニューカマーだ。ニューカマーはチャイナタウンにいったん基盤を作り、そこから世代を経てアメリカナイズされると散っていく。 シュウ家はその古い移民に属すると考えられた。 住所のところに行くと、合理化された長方形の集合住宅があり、くすんだコンクリートがむき出しで、窓には格子がはまっていた。そんな純アメリカ風建築であるが、原色華々しい看板が一階に入っている商店に飾られていた。中華系のあかしである。錆の浮いたエレベータで三階まで登ると見知らぬ家族が住んでいた。最近越してきたばかりだという。前に住んでいたのは確かにシュウ家で、家族は4人であったそうな。 引っ越し先は郊外だと言うが、詳細は知らなかった。ロジャーの妻は黒人であったのでチャイナタウンの中では居心地が悪かったのかもしれない。現地になじんだ移民は、移民社会から居場所を失う。そして、よりアメリカ的な郊外に移り住み、移民から米国人と生まれ変わる。 集合住宅はシカゴ川にかかるハイウェイから見下ろされる形で、風が強い。 このハイウェイはロジャーが産まれる遙か前からここにあったはずだ。運河を時代遅れな貨物船がゆく。 「ところで、ロジャーの奥さんってなんて名前なの?」 「聞いたこと無いデスネ」 この場合、3つの可能性が考えられる。本当にアルジャーノがロジャーの妻の名前を聞いていない場合、ロジャーには妻が実在しない場合、そして、アルジャーノの記憶が消されている場合だ。 「アルジャーノ、記憶を操作するロストナンバーと言ったネ」 …… 「記憶を操作されたのはロジャーでは無くてアナタなのでは?」 「そうだね。それは確認しないといけませんね」 「あなたは壱番世界に来たことはありますか?」 「ハイ。ありマス」 「では、壱番世界でロジャーと会ったことはありますか?」 「ハイ。ありマス」 「なのに、ロジャーの家まで来たことも無いし、家族のことは知らなかった」 「ハイ。初めてしりマシタ」 「くさいアルネ」 とにかく、住所は空振りであったので、ロジャー持っていた手紙の差出人を当たることにした。 幸い、ロジャーの同僚はまだ同じところで働いていたようだ。 手紙の差出人に当たる人物、と尋ねると太った中年が出てきた。 「ロジャーのことを聞きたいと。この街に何人ロジャーがいると思っているんだ」 そう言いつつ、彼は部屋のカーテンをおろした。そして、紙コップにコーヒーを淹れる。 「隠していますね! 大切なことなんです! 教えてください」 興奮する一に、その中年はたじろいだ。 まぁまぁとチャンがいさめる。 ところがアルジャーノがデジカメの写真を見せたら場が凍り付いた。 「これはジャッキーだな。お前らがなんでこんな写真を…… あのガキがなんかやらかしたのか」 「ジャッキー・シュウで間違いありませんね。彼は今どこに」 一の拝み倒しとチャンのなだめすかしでどうにか住所を聞き出すことができた。 摩天楼の連なるシカゴの中心からハイウェイに乗ると、あっという間にのどかな田園地帯が広がってきた。緑は薄く、視界は遠い。 広大な面積を余裕をもって使っているアメリカの中でもアメリカらしい土地と言える。 ジャッキー・シュウはそんな郊外のベッドタウンに居を構えているという。 典型的な庭付き裏庭付ガレージ付の一戸建てであった。中産階級の没落が続く米国では徐々に姿を消していっている様式だ。緯度のわりに屋根の傾斜が浅いのは乾燥した風土が理由である。 緑が豊富なのは繭人にとって都合がよい。彼は草木と心を通わせることができる。 「お願い。ここにはどんな人がすんでいるのかなぁ」 (男と男と女と女が住んでいるよ) さらに繭人が家を覆っている蔦のみどりみどりしさを誉めると、蔦は喜び勇んで窓からそっと覗き込んでくれた。 この家は平屋建てでリビングダイニングキッチンの他に、個人用の部屋が6つあった。そのうちの一つはもの置き、一つは書斎で、住民の個室としているのは残りの4部屋だ。外見は欧風住宅だが、中には漢字の記された飾りがあったりで、確かに中華系の住民が住んでいるようだ。 そして、ダイニングでは二人の女性が会話していた。一人は黄色人種でもう一人は黒人である。黄色人種の方は50前後だろうか、黒人の方は、繭人には判断が難しかった。 「義姉さん。仕事はなかなかみつからないね」 「ええ、今日もマーケットの求人を見てみたけれども、こんな老人にはなかなか」 二人は雑談をしていた。 「ジャッキーだけの収入では足りないものね。私もなかなか、やっばりタウンと違ってそうそう働き口は無いのね。ロジャーが戻ってくれば良いのだけど 「やめてよ。あの子は10年前に死んだのよ」 「私が浮気なんかしたから…… あの時はちゃんと帰ってきてくれていたのに」 「新婚の嫁をほっぽってほっつきまわるろくでなしだよ」 二人は餃子を作っているようだ。 夜になって戻ってきた男の一人は、確かにロジャーによく似ていた。写真の通りである。だがアルジャーノに言わせると臭いが若干異なると、そして、誰もが見間違うことはない。 ジャッキーの頭上には真理数1が浮かんでいた。 翌日の昼まで待って、一行はシュウ家を再訪問した。今度は正面からである。もう一人の男と、東洋系の女はロジャーの妹夫婦であった。 「ごめんください。ロジャー・シュウの旧友なのですが、彼が亡くなったと聞きまして伺いましたヨ」 出てきたロジャーの妻に、ロジャーの遺品を手渡す。 「ロジャーチャンの麻雀仲間だったヨ」 そして、偽中国人は持ち前の愛嬌と饒舌で未亡人に取り入ってロジャーとの馴れ初め、彼との結婚生活を聞き出した。 【世界図書館】 「ロジャーの冒険の記録、見せてください! 全部です!」 一の剣幕に押されて、司書が資料を抱えてくる。 はたして、ロジャーはヴォロスで長期任務についていた。砂漠地帯で調査をしていたようだ。壱番世界時間に換算すれば3年である。 「アルジャーノさん。どういうことぉ?」 「ソウイエバ、ずいぶん彼に会えなかった時期がありましたネ」 0世界では時の流れが停滞している。ベイフルック家を代表して100年以上住んでいる者もめずらしくない。そして、夜の来ないこの世界であっては日常の繰り返しすら存在しない。 そのなかで時間の経過を感じられるのはターミナルに着たばかりのコンダクターのみである。 壱番世界との繋がりがそうさせる。 しかし、そのコンダクターもやがて刻を忘れる。壱番世界の係累が失われるにつれ生粋のロストナンバーとなっていく。 ターミナルの古参は、コンダクター達があっという間に淀んでいくのを何度も見てきた。そして、ついつい新人にとってはまだ一瞬が大切だと言うことを失念してしまう。 元々が不死であるツーリストならなおさらである。 アルジャーノがあるべき人間の姿として観察しているコンダクターはもはや壱番世界の当たり前の人間では無い。 コンダクターも必ず帰る場所を失う。 いわんやツーリストには 「やめて、もうわかったわ。私にはかえ…… かえ」 チャンがまとめた事件の真相はつまりこうである。 ロストナンバーになって年を取らなくなったロジャー。本人の中では徐々にフェードアウトする算段があったのかもしれないが、彼のささやかな計画はヴォロスに足止めされたことで狂ってしまった。砂漠地帯では季節感が無い。本人もそこまで時間が経っていたという自覚が無かったのかもしれない。あるいは無意識に目を背けていたか。 ―― ヴォロスの依頼が長引いてしまった。クリスマスは終わってしまった 「ロジャーは3年ぶりに家に帰ったね。ロジャーにとってはあっという間でも壱番世界での3年は長いヨ。……チャンも3年以上一人の女が続いたこと無いアル」 なにごとも無かったかのように振る舞うロジャーはさぞかし不気味であったことであろう。もとより毎日律儀に通勤するような職業では無かったにせよ。同僚とも話しが噛み合わないのは当然だ。 「ロジャーの妻は、浮気していたと思うヨ。誰だかは知らないけどネ。3年留守にしてわけのわからないことを言う旦那に愛想が尽きるのは当たり前アル」 ―― 一緒だったでしょうと言われた。意味が分からない。 「チャンも言われたことあるヨ。バレバレの嘘ネ」 だが、弟ジャッキーはエレメンタリースクール。小学生だったはずだ。 「話しは最後まで聞くアル。ここまでがロジャーのメモの1月」 そう、ロジャーがヴォロスの任務についたのは13年前のことであった。 「ロジャーはそれから10年引きこもったんですね。0世界に」 「そうアル」 「妻が壱番世界にいて、壱番世界で働いている人が0世界の住民とそこまで親しくなれるはず無いってことかぁ」 「たまに実家に顔を出せば良い学生とは違うんですね」 「アルジャーノ。アナタ、いつロジャーと出会って、どれだけ一緒に冒険してきたのネ。リベルと話ししていたときになんかおかしいと思ったヨ」 ―― ニューイヤーパレードに間に合わなかった。 「みんな気付いたか? ロジャーのチェンバーには新聞や雑誌は無かったアル。今が西暦何年なのか知りたくなかったのヨ」 ロジャーは毎年旧正月に家に帰ろうとした。だが、恐怖に打ち勝てず果たせなかった。そして、チェンバーから冒険に出かけ、アルジャーノとも親交を結んだ。ごく当たり前のロストナンバーのように。 そして去年になってようやくニューイヤーパレードのパンフレットを手に入れた。ついに帰る決心をしたのだ。既に失われた判断力のままで。 0世界になじめばなじむほど、壱番世界が遠くなる。 再度の冒険で帰れなかった年もあっただろう。単に忘れていた年もあるだろう。そして、忘れたふりをした年もあるだろう。 新年にはすべてがリセットされて壱番世界の生活に戻れると夢想して。 「ロジャーのメモは2月からが今年アル。ようやく壱番世界に帰れたのヨ。ダケトネ。遅すぎたのヨ」 13年前の姿のままのロジャーを本人だと信じる者がいるだろうか? いや、ロジャーがロストナンバーになったのはもっと遙か昔だ。 13年前 ……ロジャーがヴォロスに向かったとき、彼の壱番世界は既に限界であった。 かくも長きに渡り、姿が変わらない者などいるはずがない。 ―― あれは誰だ! 俺にそっくりなやつが妻と町を歩いていた! 「ロジャーが見た入れ替わった男は、歳月が経過し自分とそっくりになった実弟ネ」 ―― あいつは今日は家でホームパーティーをしている。腹が立つ。 ロジャーの妻、ロジャーの弟、ロジャーの友人達はさぞかし恐ろしかったことであろう。 あるいは知っていて友人たちは結託したのかもしれない、寂しく待つ女の残りの人生のために。 「パーティー会場に現れたロジャーに皆が驚いたのは、とっくの昔に失踪した男が変わらぬ姿で沸いて出たからよ。ロストナンバー年とらないね」 「おかしいよ。妻も年を取っていることに、ロジャーは変だと思わなかったのかなぁ?」 「タチガミにロジャーの妻の年齢わかたか? チャン黒人の年はよくわからないヨ」 「そんなことは無いと思うなぁ。ロジャーはわかっていたんだよ。奥さんは奥さんだってちゃんとわかっていたんだよ」 「妻と一緒に歩く、自分そっくりの人影を見て、人影と妻との年齢差があまりに明白で、自分だけ取り残されていると気付いてしまったのですね。じゃなきゃ、写真の端だけちぎることありません」 そう、シュウ家には元の写真が飾られたままであった。その隅には28-Jan-1989。その年の旧正月に撮った思い出の一枚。そこにはアルジャーノの手渡した遺品の結婚指輪が今は置かれている。 【ロジャー・シュウの墓】 ここはシカゴ側の川べりにある墓地である。 ロジャーの墓は中に住まう主無く長い年月を耐えてきた。 ロジャーの友人が立てたものである。ロジャーの妻にふんぎりをつけさせるためだ。そして、放浪癖のある夫と決別した妻は失踪を届け出た。米国では失踪後7年で死亡と見なされる。ロジャーは文字通りこの世にいなかったのだから。 ロストナンバー達はロジャーの遺骸をここに運んできた。地面を掘り起こし、空の棺に中身を詰める。 日が明ける前に作業を終わらせる必要があった。 これが、ロジャーのささやかなチェンバーとなる。だが、故郷に帰れるロストナンバーは幸いだ。墓前の巡礼者達には帰れる故郷など無いのだから 「ロジャーさんは自分で自分の帰るところを無くしてしまったのね。遅かれ早かれ無くなってしまう現実が、受け入れられなかったんですね。そんなのって……」 「でも、死ぬのは苦しいよ。自分が何もかもなかったことになるのは寂しい。その寂しさより絶望が勝ってロジャーさんは死んじゃったんだね。その絶望が手に取るように判って、俺は悲しい」 繭人と一が花を供える。 一は震えていた。ロジャーが示唆する現実。簡素な墓標は、こんな末路すら一には与えられない安寧であると告げていた。 アルジャーノが辺りの墓石をぼりぼりと囓る横で、チャンはロジャーの墓にひざまずいた。 「チャン帰る場所も帰り待っててくれるヒトもいないよ。だからロジャーの気持ちわからないね。でも、ロジャーが奥さん愛してたのはわかるよ」 そっと、ロジャーのトランペットを墓前に捧げた。 今日も運河はハイウェイを見上げ流れ続けている。 ―― That's all water under the bridge (過ぎ去ってしまったことさ)
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