コタロは0世界はチェンバーの前まで来て、戦場では決して許されない躊躇をしていた。 傷病兵を見舞うことに理由などいらないはずだが、どうにもひっかかるものがある。好奇にさらされている気がするのだ。――あれぇー、私ともデートしてくれたわけですしぃ★ 私は嫉妬深い女なんかではありませんしぃ★ 堂々と見送れるんですぅ★ 不可解な思考がまとまりつつあったが振り払った。 コタロは0世界に来てからずいぶんと人間らしくなったと認識している。それは傷ついた友も同じはずだ。「友……」 特別な響きを持って感じられる言葉だ。背中を預けられる確かな信頼。 コタロが負傷したときは、リハビリと称して戦闘訓練をした。その時に確かな手応えを感じた。 その友はコタロ以上、おおよそ考えられないほどの重傷を負い、しばらく行方不明であったが、このたびようやく0世界に戻ってきた。 それ以来、彼女は新しいチェンバーにこもったまま、そこから一歩も出てきていない。 今度はコタロの番である。 コタロは意を決してチェンバーに乗り込んでいった。 †「コロ……」「ん、ムラタナか、どうした」「コロッセオ……に行かないか」 ハーデ・ビラールのチェンバーはまだ何も無い草原だった。遠くから機械音が小さく聞こえてくる。聞けば、猫が家を建てているそうだ。「チェンバーを作っているのか」「そうだ」 ハーデは音の方に顔を向けて、目を細めた。 そして、彼女は煉瓦のつまった猫車をモーター音と共に地に降ろす。機械の体が、かくも原始的な道具を使うのは不思議な光景であった。「いままでは描けなかったイメージが沸いてくるようになったんだ。皆が大切にしている……住まい……と言うものが少しわかった気がするんだ。故郷、を作りたい」 コタロはハーデが機械の体を得たと言うことを思い出して、近づきすぎないようにした。「ああ、それでコロッセオだったな。それは無理だ」 なぜにと問いかける前に、ハーデは煉瓦を手にとって続ける。「私は、戦士としては終わったんだよ。もう命のやりとりはこりごりだ」 長く戦った兵にはめずらしくない症状だ。 戦場に出なければ死ぬことは無い。しかし、コタロはそれを単純に喜べないことを知っている。戦士は所詮戦いにしか人生を見いだせないものが多い。酒におぼれる程度ならまだいい。戦い以外で興奮を得ようとギャンブルで身を持ち崩す者、力を振るうことを忘れられず周囲に暴力を振るう者。そして、その果てに取り返しのつかない犯罪に走る者も少なくない。 自身のような無価値な兵ほどその傾向が強い。ハーデも自暴自棄になって行方をくらましたばっかりだ。戦いに蝕まれた心が急に健康になったとは考えがたい。「それに、私の体はタルヴィンには修理できないんだ」 煉瓦を一つコタロに手渡し続ける。アヴァターラ製造技術とは裏腹に、朱い月の猫たちはサイバー技術を有していない。猫の身体はあるがままに美しくあれと言う思想があるからだ。そのためにハーデの回復には犬たちの協力があった。0世界であれば医務室でどうにかなりそうだが、本人に軽い拒否感がでているようだ。「心配、なんだ」 意を決して意見を述べようとしたところ、今までと異なりハーデは視線を合わせてこなかった。「すまない……。出過ぎたまねをした。俺には、わからない」「そうだな、共闘はできない。折角ムラタナと訓練したのにな。申し訳ないと思う。だが、1対1の戦いならばまだ」「すまない……」 なぜかコタロは謝りつづけていた。己を理不尽に殺すことも兵の習い性だ。 † 1対1の戦いと言っても機械を壊してしまうコタロは、機械の体のハーデとコンタクトすることはできない。 格闘戦はできない。 射撃が適切だろうか。 そこで、コロッセオのリュカオスはレースを提案した。「おまえらにはトライアスロンをやってもらおう。軍隊でやり慣れているだろう味付けの奴だ」 コタロとハーデはうなづく。「能力、魔法は使用禁止、相手への攻撃もなしだ」 それぞれに地図が渡されると、コロッセオは姿を変えていき、二人が以前に模擬戦を行った林と草原の続く空間に出た。 よく晴れており、草原の向こうにちょっとした山が見えていた。苦闘した墓場が燦々と日光を浴びている。墓がスタート地点で、ゴールは山頂である。 小川は山の南から流れ出て草原を西へ向かい、墓の脇を横切り、林の中を通って北へと向かっている。【軍隊式トライアスロン】第一種目・スイムに代わってゴムボート1.5km 墓場に一人乗りのゴムボートがおいてあるから川まで担いでいけ。 小川に出たら流れに逆らって1.5km。オールで漕いでも良いし、自分で泳いで押しても良い。第二種目・バイクに代わってチャリオッツ40km 小川を登ると、草原の途中に大中小のチャリオッツがおいてある。それぞれ影の馬が牽いてくれる。大は4頭立て、中小は2頭だ。 これで山をめざして欲しい。第三種目・ランに代わって丸太担ぎ10km 山の麓、山道の入り口には丸太が二本おいてある。 それを頂上に運んで欲しい。「ではいってこい」=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>コタロ・ムラタナ(cxvf2951)ハーデ・ビラール(cfpn7524)=========
かつて二人で魔王を屠った墓石と墓石の間に大雑把なスタートラインが設けられた。最初に使うゴムボートは脇に置かれているので、ライン自体にはあまり意味が無い。 境界が明確でないのは戦場ではよくあることなのでむしろ落ち着く。 「お前もリュカオスも随分女に甘いようだ……まあいい。続きはレースが終わってからにしようか」 隣のハーデは関節をほぐすように軽くジャンプしている。機械の体に準備運動は必要ないのではないのかと疑問に思った。 「油をなじませる必要がある。暖気のようなものだと思ってくれればいい」 雲は高く、風が涼しい。やわらかい秋の日差し。 始まればすぐに汗が出てくるだろう。 「では、始めよう」 ゴムボートは思いの外重く、新兵訓練が思い出された。 墓場からでて、走ればほんの一息の距離を進むと、リュカオスの言うとおりに小川があった。水の流れは清浄で、涼しげだった。 コタロは腰まで冷たい流れに浸かってゴムボートを水に引き込んだ。水しぶきが顔にかかって、あがりかかった体温が冷やされる。 兵士のたっぷりとした服が水を吸って重い。ブルーインブルーのような大海原よりもむしろ、こういった平原での戦闘の方が川や沼があるだけに濡れるものだ。 気になって振り返ると遅れて歩いて来たハーデは押し出したゴムボートに器用に飛び移っていた。機械の体にもだいぶ慣れてきているようだ。 彼女はコタロを尻目にオールを漕いで川を遡り始めた。 自分もボートに乗ろうと思ったところでオールが見当たらないことに気がついた。川下に振り返ると、木のオールが葦のすきまを掻き分けて流されていっている。取り落としてしまったようだ。 仕方なしに、そのままボートを押して川を遡ることにした。 コタロはあきらめが早い。 戦場では貴重な特質だ。きっとハーデも同じ状況ではそう判断するだろう。 清涼な流れ。 コタロはボートを引いて苔の生えた川底の石に足を滑らせながらも川を登っていった。 顔を上げると、後ろを向いてオールを漕いでいるハーデと目が合う。 コタロの無様がおかしいか、軽く口の端をあげている。 ――流れに気をつけねば。 くぼみに足を取られそうになって、思わず、目を伏せてしまった。 確かコタロは戦友になにかを伝えようとして、勝負に誘ったはずだ。 このままではその機会を失ってしまうことはわかる。 ハーデは戦いを辞め、隠居すると言った。 ヴォロスにて竜星から姿を消した彼女を自分は探し助けた。 兵として消耗した彼女はあの場で死を願っていたのだろう、かつての自分にもそのようなことがあった。自分もまた0世界に来て多少は変化があったものの、本質的には己の命を軽んじる類の人間だという自覚はある そんな自分に彼女を助ける資格は本当にあったのか。 今も彼女を連れだしはしたが、それも己の勝手に彼女を付き合わせているだけだ。そんな自分が何を伝えて良いのか。 思考は何度も振り出しに戻る。 † 結構な時間をかけて川を登ると、やがて川をふさぐような橋が見えてきた。 ここからは草原を走れと言うことなのだろう。 ここまでは歩調が揃っていたと言って良いかもしれない。 まだハーデは視界内にある。 水の中を歩いてきたコタロはずいぶんに疲弊していた。ハーデの調子はよくわからない。共に戦っていた頃と比べればだいぶセーブしているのはわかる。あの頃は無かった落ち着きのようなものも感じとれるくらいだ。 あまり見つめると壊れてしまうそうで、自分に集中することにした。機械は苦手なのだ。 水をしたたらせながら、岸にあがると、視界が遠く広がる。淡い緑の草原には、小さな茂みがまばらに生え、牧草地としては申し分ないように見えた。 第二種目のチャリオッツは灌木の脇に三台並べ立てられていた。 これが機械の戦車で無くてよかったとコタロは一息ついた。 チャリオッツに向かって足をわずかに引きずって歩いて行くハーデを追いかけて走り出すと、布から水が絞り出されてきた。 大中小のチャリオッツにはそれぞれの大きさに見合った馬がつながれている。 そして、一番大きいのには馬が二頭。 ハーデは賢明に真ん中のを選んだ。 コタロは自分の体格に見合った大きい方を選ぶことにした。それなりの距離がある。小さい馬では彼の重量に耐えられないだろう。 地平線に小さくなっていくハーデを追いかけてコタロは出発した。が、機械に嫌われるからといって、動物に好かれるというわけでもない。 草原のくぼみに車輪がはまって格闘しているうちに馬同士が争いだし、さらには衝撃で手綱が緩んだか、逃げられてしまった。やはり、コタロは協力やチームワークが苦手のようだ。 残されたのは重たい人力車だ。 ここから引いて歩くと考えると気が滅入る。 † そうして、ずいぶん遅れて山の麓までやってくると、丸太が一本残されていた。案の定、ハーデの姿はない。 足跡はやや深く、機械の体は生身より重いのだと知れた。先の程度の小川ならいざ知らず、海洋での任務は彼女には不利だろう。 コタロはため息をつくと、丸太のとっかかりを探して担いだ。丸太は長くどうしても引きずる。孤児院の頃はよくこうした訓練をやったものだ。丸太を肩に担ぐと、樹の皮が顔にこすれて痛い。かといって、脇に抱えるとすっぽ抜けないように気をつかう必要が出てくる。 ――マフラーで顔を守るとあとでうるさいだろうな。 指をかけるのにちょうどよいとっかかりが見つかったので脇に抱えることにした。 そうやって山道を登っていく。道は徐々に狭く、坂は急峻になっていき、つらい。地面を引きずる丸太が岩や大木の根に引っかかり、たびたび足止めを食らうようになっていった。 コタロは故郷から放逐される折、結局、最後まで伝える事から逃げた。上官の命令と同じだ。明確な言葉にして口にされなければ何も伝わらない。気を利かせて働いてくれる兵などいない。 言葉にならない兵の想いを察するのは母親の役割だとされている。むろん、そんな都合のよい存在は0世界にも蒼国にもいない。 ――教官は最期になにを 上官であり戦友であった彼女を……と、そう信じようとしてみたこともあるが、それはただの願望だ。 下士官を怒鳴ることはたやすいのに、なぜだか、必要な人間にそのままの意図を伝えることは難しい。 何度も丸太を取り落とし、木々に引っかけ、歩みは遅かった。 そして小さな滝を一つ回り込もうとしたところでハーデが道ばたの岩に座り込んでいた。木漏れ日が静かに差し込み、さらさらとした水の流れる音が涼しい。 「やぁ、ずいぶんかかったな。私はここでギブアップだ」 …… 聞いてみれば、滝の作り出すぬかるみを越えて丸太を引き揚げるにはアクチュエータに負担がかかりすぎるとのことだ。もちろん、彼女のアポーツで飛ばすことはルールで禁止されている。 …… 「どうした。おまえの勝ちだと言っている」 「俺、が支える」 ハーデはほんの少しの時間だけ空を仰ぎ見て、それからにやりと笑うと小さくうなづいた。 「頼む」 二人で丸太の両端をもてば、あれだけ目障りだった横木も簡単に乗り越えられるようになる。バランスもとれるので落とす心配も無い。 それに、丸太の端と端を持てば、うっかり先を行く機械の体に接触してしまうこともない。 後ろに立つコタロは結局、両肩に丸太を乗せることとなった。マフラーは外套に仕舞うことにした。 道は細いが足取りは軽い。 ――身勝手な情だとしても助けたかった ――自分は彼女に生きていてほしかった ――彼女が生きていてくれて嬉しかった ハーデは何度か足を踏み外したが、大事には至らなかった。 そうしているうちに、木々がふと途切れ、こんもりとした岩の頂にでた。ここから先への道はない。 山頂にたどり着いたようである。 丸太を二つの岩の間に渡すと簡単なベンチができた。 ここから見下ろすと、登ってきた道が途切れ途切れに見え隠れしている。 「いい眺めだな」 言葉につられて、視線をあげると遠い景色がひらけた。 草原と林が入り交じってどこまでも続く眺め。 蒼国をふと思い出した。 吹き抜ける涼風が体を冷やし、達成感とともに疲労感が一気に押し寄せてきた。しばらくは立ち上がりたくない。 あの時は海だった。 ハーデはたったまま遠くを見ている。そして、あごをしゃくると口を開いた。 「お前もリュカオスも、私が男だったら拳で語り合おうとしただろう? 主義主張はそれぞれだが……お前、女に寝首をかかれないよう気をつけろよ?」 コタロは困惑した。 そのようなつもりは無かったはずだ。それに寝首とはどういうことだ。 「いや。俺は……」 ただ、今なら言葉がまとまりそうだ。その時、コタロの視界が暗転した。……焦点が再び合うと共に戦ってきた女戦士が目の前にいた。 「運動性能が著しく落ちた私はもうこういう戦法しか取れないんだ。耐久性も低い。戦士としては三流以下だ。だからムラタナ……お前とは共闘出来ない。それを伝えたかった」 そこまで言われて、コタロは彼女のアポーツで引き寄せられていたことに思い至る。これが出来るのならば十分に戦えるのでは無いのかとの思考がよぎるが、それはあまりに物事を単純化しすぎだろう。直接口にすることははばかられた。 コタロは精一杯にハーデの秘めている内心をおもんばかろうとした。彼女はありふれた傷病兵とは違う。 ハーデに胸――心臓の上を軽くこづかれる。機械に悪影響が無いかと、はっと避けようとしたが座ったままであったために機を先んじられた。コタロは抱きしめられていた。コタロの首筋に声がかかる。 機械の放熱を感じる。 「あのなぁ。いくらお前がグレムリン・エフェクトだろうが、意思のない機械と私を一緒にするな。それに……お前に壊されるならそれも一興だ」 静かな時間が漂い流れる。 「お前が……生きていてうれしかったんだ。だから……」 立ち上がろうとするコタロの肩を押さえて、ハーデは元通りベンチに腰掛けた。 「ああ、この通り生き残ってしまった。だが、終わりが見えている。だからそれまでの日々を、1日たりとも無駄にできない。終わりを得て自分の望みを知って満ち足りた。だからお前が私の心配をする必要はない……私がお前の心配をしているんだ。お前は自分を殺しすぎる。もっと望んだように生きていいんだ。世界は、私は……お前を否定しない。戦友でなくなっても、お前は私の大事な友人だ」 † コタロには幸せになる資格など無いはずだ。 隣に座っているハーデはすがすがしいまなざしで夕日を眺めている。まばたきもしない横顔は赤い光に照らされてまぶしい。 きっとこの感覚は自分一人のものではない。 自分はこの眺めに蒼国を連想した。ハーデがどことなくサクラコを彷彿させるからかもしれない。 だが、前に聞いたハーデの故郷はこんなに美しいものでは無かったはずだ。 ふと思い至る。彼女は世界図書館の冒険を通じて、どこかでこのような景色をすでにみたことがあるのだと。 ひょっとしたら、それはヴォロスで一人さまよっていたときのものかもしれない。 この光景がハーデに戦いをやめさせたのだとしたら…… 彼女はどこかによりどころを見つけたのだ。 それは戦士の刃を鈍らせるが……うらやましく感じなければならないことのはずだ。 「……ハーデは幸せを見つけたのだな」 「ああ」 過酷な世界を生き抜き、ここまで闘ってきた。彼女は人生で初めて暖かみに触れたのだ。 「……俺は……故郷から放逐される折、自分は結局、最後まで……逃げた……」 不適切な言葉を吐いてしまって、取り消すことが出来ないことは理解できた。後悔した。ハーデに気遣われてしまうだけのことはある。 コタロがどうにか次の言葉をまとめるのには日が沈むのを待つ必要があった。 天蓋は紫に覆われ、雲が流れる。星が浮かび上がり始めた。 ――無価値だ、生きる意味などない、ましてや誰かが好意を持つはずがない。 二人の兵卒は代換え可能な一戦闘単位として生きてきた。 ――人と触れあうことは得意ではない。一人で戦い、一人で死ぬ定め それがいつしか網のように広がる関係性の中に取り込まれていた。 人間ならば誰でも作る友人の輪の中に入り込めた気がする。 その中でも、戦友――二人にとっては咀嚼しやすい関係がぎこちなく築かれていった。戦場で背を預けあい、価値が無かったはずの命をわけもわからず長引かせる関係。 ――自分の命にはなんの価値も無い ――――戦友の命は自分のそれよりも重い ――――――戦友にとっては自分の命はさらに重い ――――――――その戦友の戦友である自分にとっては…… ハーデは人形のように静かに待ってくれている。 俺たちは戦友であることをやめても、せめて友人であり続けたい 「チェンバー。あ、遊びに行っていいか」 「歓迎する」
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