夢浮橋、冷我国の山奥、仙郷といえる場所に煌 白燕はいた。 そして蓮の池のそばの四阿で、仙人ふたりに白燕は語った。 自らの術と力と、そして友を封じることになった経緯を。 封じた時の友の状況と、自らの望みを。 自分のいた世界のことを「世界」という言葉を使わずに表現するのは難しかったが、相手は仙人だ。とても遠いところから来たようじゃのう、その言葉ですべて見透かされているような気さえした。「皆で帰ることができたら、やりたいことがある」 はっきりと告げた白燕。あの百以上もある国を一つにしよう、心の中で決意する。「どうか、私に知恵と力を授けて欲しい」 深く頭を下げた白燕。「なるほどのぉ」 好々爺風の仙人ののんびりとした声が聞こえる。白燕は少し頭を上げてちらっと、初老の仙人、廉定を見た。噂になっていた符遣いの老人とは彼のことに違いない。「どうじゃ、廉定」 仙人が廉定に問う。相変わらず厳しい顔をした廉定が放った言葉は是でも否でもなく。「まずは湯浴みして身支度を整えろ。腹を満たして眠れ。今のお前では修行にならん」 するとどこからともなく優しげな女性達が現れ、ひらひらと領巾(ひれ)を揺らしながら白燕を両脇から抑えこむ。「え……ちょっ……」 白燕の疑問や反論など封じるようにして、女性達はするすると白燕を館に連れて行き、泥だらけの服を脱がして浴槽に浸からせると髪を解いて風呂の世話をし始めた。彼女達の世話は食事を取って寝床に入るまで続いた。 意外にふかふかの寝床についた白燕は、己がとても疲れていたことをようやく思い出し、緊張の糸が切れたかのように深く深く眠りに落ちた。 *-*-* 仙郷で、時間の推移を測りにくいのは0世界に似ていると思った。 三日近く眠っていたらしい白燕は頭がすっきりして、身体がとても軽くなっていることに気がついた。 みずみずしい果物と粥を食事にいただき、館を出る。白燕が目覚めたことは女性達から仙人たちへ伝わっているようだったが、どこにいるのだろうか。これから自分はどうしたらいいのだろうか。 僅かな不安感をいだきながら庭園らしき場所を歩んでいると、見覚えのある四阿に見覚えのある姿があった。廉定だ。「目覚めたか」 その低い声に示され、白燕は四阿に近づいて椅子に腰を掛ける。彼とは向かい合う形になった。すると彼は小さくため息を付いて。「わしは戦のために力を貸すのではない。平和のために力を貸すのだ。私が授ける知識と力を、血で血を洗う戦のために使わないと約束できるか。小さくてもいい、平和のために使うと約束できるか」 その瞳は威圧感を持って白燕を射抜く。だが白燕はひるまない。強い意志を持って視線を返す。「ああ、誓おう」 *-*-* 四阿の真ん中に小さな卓を置いて、白燕は求められるままに札を出して置いた。そこには今もまだ、友の姿がしっかりと描かれていて、それを見る白燕の胸を熱くさせた。 廉定は自分の前にもいくつかの札と符を並べていく。白燕が使うものと材質やデザインは異なっているが、雰囲気は似通っていた。「札に封じられている者は、封じられることで流れ落ちる命の砂をかろうじて留めているのだろう。その先には死しかないほどの傷だとすれば、そのまま現世へ戻しても死の運命は覆らない。とすれば」 言葉を切った廉定が白燕を見た。白燕はゴクリと唾を嚥下し、言葉の続きを待つ。「符や札に『封じられているもの』へ干渉する力と、『修復する』技術が必要だろう」 例えば、と廉定が指したのはみずみずしい赤色の林檎が描かれた札だ。彼が札に力を込めると札が光を発し、そして卓の上に傷ひとつないみずみずしい林檎が現れたではないか。「これは……」 白燕の目の前で廉定はその林檎の皮に大きく傷をつけた。傷からは果汁があふれだす。「この林檎は傷がついた。これを再び札に封じる」 廉定が空の札を林檎にかざして何事かを唱えると、再び林檎が札に吸い取られていった。「よく見ていろ」 札を卓に置いた廉定が呪を唱えて力を注ぐ。卓に出しておいた符を掲げ、力を注ぎ込む様子であるのは白燕にも分かった。だが今の白燕は札に封じたものに干渉して符術を届けることは出来ない。 程なくして廉定が再び札から取り出した林檎は、最初の時と同じく傷ひとつない状態に戻っていた。「すごい……」「説明のために簡単に実演してみせた。この程度の傷ならばすぐに治せる。お前はまず果物の小さな傷を治すことから初めて、割れた卵を戻せるようになるのだ。これが出来なければ、瀕死の人間の傷を癒やすことなど無理だ」 どんっ……卓の上に置かれた木箱の中には、様々な果物を封じた札が何十枚もあった。手にとってよく見ればどの果物も傷を負っていたり形が崩れていたりする。「傷の状態をわかりやすくするため、特別な札を用意した。この札は、封じたものの状態が変われば、浮かび上がっている絵も変わる。封じられているものの干渉に成功し、治癒が成功すれば絵の果物の傷もなくなる」 つまり初歩の練習用の札なのだ。わざわざ白燕のために用意してくれたのだろうか。「治癒の符も用意しておいた。使い方は自分で学べ」「はい」 自分の為に色々と用意してくれた事を感謝せずにはいられない。廉定は手取り足取り教えてくれるタイプの師ではないが、これだけでも十分前へ進む道が見えてきた気がした。「札に封じたものを元に戻す方法を学ぶのはまた後だ。今は『封じられているものに干渉する力』を得て、干渉しつつ封じられているものを癒やす技術を身につけよ」 白燕の修業の日々が始まった。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>煌 白燕(chnn6407)=========
四阿に一人残された煌 白燕は傷のついた果物の封じられた札と治癒の符を前にしていた。ため息に似た息をひとつ吐く。 廉定の言葉に「はい」と答えはしたものの、取っ掛かりのない崖を登れと言われているような心地さえしていた。 否、少ないが取っ掛かりとなる箇所は示されている――廉定の説明と先ほど見せられた術が全てだ。見て学び、技術を盗め。後はひらめきと反復だ――まるで彼はそう言っているようだった。 だが治癒の術というのは白燕の修めている大戦符術の中にはない。なぜなら大戦符術を行い、傷ついた兵は札に戻ればその傷が癒えるからだ。 (これに期待をかけてもみたが変化はなかった) 白燕は大戦符術の兵が札に戻れば傷が癒える性質に望みをかけて、致命傷を負った大切な臣下であり友人でもある忠星と西嘉を空白の札へと封じたのだが……二人の傷は癒やされることはなかった。 (たぶん、大戦符術の兵たちの傷が回復するのは、彼らがこの世ならざる者だからだ) 次の戦に備え、傷は癒え、失った仮初の命はよみがえる。それも全てあの兵たちが生身の兵ではないから。もっというならば、魂を持たぬ駒であるからだ。 (尽きかけているとはいえ、生ある魂の忠星や西嘉の傷は癒される事はなかった) 生者である二人の傷は癒えず、その時間が止まっただけ。期待した効果は得られなかったが、今思えば命の砂の流れ落ちるのを止めてくれただけでもありがたいと思うべきだ。 二人の命が尽きるなんて耐えられなかった。だが傷も癒せずただ魂をとどめおくだけのこの状態は本当に彼らを救ったことになるのだろうか、自分のわがままを貫いたことで彼らを苦しめているのではないか、そう不安になった時もあった。けれどもやはり二人を諦めることは出来ず、白燕は二人を元に戻す方法を探していた。そして漸く光明の見えるところまでこぎつけたのだ。 尽きる定めだった命の理を曲げ、現世へと呼び戻すのは人の道や倫理にもとる所業なのかもしれない。けれどもそれに対するツケはすでに払っている。世界から放逐されるという、それこそ人智の及ばない手段で。 だからもう、余計なことを考えるのはやめようと思う。今はただ、二人の傷を癒やすための治癒の術の修得と、札に収められた物体への干渉、それを習得するのに集中するのだ。 (しかし治癒術というのは新鮮と言うかなかなか修得は難しそうだ……) 廉定の置いて行った治癒の符を一枚手に取り、眺める。白燕の知っている符とはだいぶ書式が違っているが、世界も国も違う上に用途が違うのだからそれは当たり前なのかもしれない。 符には治癒や生命に関する言葉、そしてそれらを思わせるモチーフが描かれている。符に込められた術式に白燕の持つ呪力を遣わして反応させることで、符に込められた術を発動させることが出来るはずだ……と白燕はよんだ。この理屈で行くと白燕に術式に干渉できる呪力がなければそれまでなのだが、さすがに仙人と呼ばれるほどの符術の使い手が相手の力量を見誤ることはないだろう。仮に白燕にその呪力がないとしたら、一人で何とかして治癒の符を使えるようになれとは言わないはずである。 試しに、いつも大戦符術を使っていた時のように意識を集中させて呪力を込めてみる。だがやはりというべきか、治癒の符は何の反応も見せなかった。 (大戦符術とは呪力の向かう方向や種類が違うのだろうな……) どちらかと言えば大戦符術に使っている呪力は『札に封じられているものに干渉する力』に近いだろうと白燕は思った。札の中の兵たちを出現させて戦わせるからだ。なので『札に封じられているものに干渉する』事は意外と早く修得できるかもしれない。だが先に修得しなければならないのは治癒の術。今まで白燕は治癒の方向へと力を遣わせたことはない。不要だったからだ。 (だが、もし私が治癒の術を修得していればあの時……あの時なにか変わっただろうか) 思い浮かぶのは目の前で血に塗れる二人。崩れ落ちる二人の身体。消え行く生命……。 その映像を遠くへと追いやるように首を振る。すでに起きてしまったことをもしもなんて仮定で飾って何の意味があるというのだ。覆りなどしないというのに。 (少し、弱気になったか? この私としたことが) 自嘲気味に口元を歪め、符を握り直す。 「だが挫けるわけにはいかない」 口をついて出たのは己を支える言葉。 友と再び会うというその大きな我儘の為に……チラッと卓の上に置いてある二人の札に視線を遣る。 (今までだって何度も乗り越えてきたじゃないか。そこにはいつも彼らがいたけれど) だが今、ふたりはいない。けれども白燕は大丈夫だと自身に言い聞かせる。 (一人でも頑張れるさ。二人に会う為なら) そよりと心地よい風が、背後から白燕の雪のような髪を揺らしていった。 *-*-* 術の修得というのは本来は何年も掛けてするものなのだろう。それは白燕とてわかっている。だが、仙郷の時間で一週間ほどで焦りがわき始め、二週間経つと苛立ちとして現れ始めた。 毎日治癒の符とにらめっこして、念じたり呪を唱えたりしてみたが、一向に符が反応してくれる気配がなかった。 符の発動を確かめるためにいくつかの傷をつけた果物を卓に置いて何度も試したが、結果的にはただ果物が傷から腐っていくのを眺めているだけとなってしまった。これが生き物の命だとしたら――考えるだけで恐ろしくなる。白燕は心の中で果物に詫びつつ、腐った部分をそぎ落として残りの部分を食らった。それがこちらの都合で傷をつけてしまった果物への償いになれば、そう思った。 「ふぅ……」 深い溜息が漏れた。一人で模索するのは思ったよりも辛いことで。こんな時、そばに居てくれた友の、臣下のありがたさを改めて実感する。 好々爺風の仙人はあれから白燕の前に姿を現さなかった。対して廉定は朝に一度、そして夕に一度四阿を訪れる。朝は白燕が修行に訪れているのか確認するように彼女の姿を見るとどこかへ行ってしまうが、夕餉の前には「本日はここまでだ」と白燕の修行を中断するために声をかけてきた。それはこの時間の経過のわかりづらい仙郷で、仙人ならざる白燕が根を詰めすぎて無理をしないようにという配慮であると、精神的に苦しくなり始めたときに気がついた。 「廉定殿」 ある日、白燕は修行の終了時間を伝えに来た廉定を呼び止めた。一度、彼とゆっくり話をしてみたいと思っていたのだ。それに……正直、一人で模索するということに限界を感じていた。方向性は間違ってはいないと白燕の持つ才が直感しているのに、成果として現れない。助言を乞おうと思っているわけではないが、弱音を吐く先を探していたのかもしれない。 呼び止められた廉定は表情を変えずに四阿の入り口に立っている。だが踵を返す様子がないということは、白燕の言葉の続きを待ってくれているのだろう。 「廉定殿は戦がお嫌いなのだな……私も好きではない」 廉定は己の持つ力を戦に利用されるのを厭うて山へと入ったのだと聞いていた。 「だから大戦符術での無血の戦を望んできた」 白燕もまた、多くの兵を犠牲にし、民草を苦しめる、血で血を洗うような『本当の戦』は好きではなかった。ゆえに札から出現させたこの世ならざる兵士たちを戦わせる無血の戦を望み、そしてそれは民達にも支持されてきた。白燕が名君と慕われた所以でもある。 だが、今になって思う。 「決して驕っていた訳ではないが盲信しすぎていたのだろうか? 誰もが無血の戦を望んでいると」 白燕の国は現実のの兵士による侵攻で攻め落とされた。たくさんの血が流れた一方的な戦だった。誰もが大戦符術による無血の戦を望んでいると思っていた白燕にとっては寝耳に水の出来事だったのだ。 傷ついた果物を片手で弄びながら白燕は訥々と己の心境を語る。廉定は四阿の柱に背を預け、腕を組んで白燕の言葉に耳を傾けていた。 「未だ私には私の国を奪った男のことを理解できないでいる。正確には怒りと悲しみで心が濁り、考えが浮かばないと言うのが正しいのかもしれない」 何日も握り続けた治癒の符は、己の無力さに憤って握り潰した跡がある。それでもせっかく用意してもらった符を一枚たりとも無駄にすまいと皺を伸ばし、反対の手で握っていた。 「私は何か何処かで間違ったのだろうか?」 自分自身に問うように、けれども未だ自分自身では答えの出せない問いを口にして。場に降りる沈黙を受け入れる。 初めから答えを期待していたわけではないが、何も言ってもらえないというのも寂しい。白燕が卓の上を片付けようと木箱に果物を戻しかけたその時だった。 「間違いがあるとしたら、それは最初から存在していたんだろう」 低い声で紡がれたそれが自身の問に対する答えだと理解するのに数瞬を要した。白燕は手を止めて、柱に寄りかかったままの廉定に視線を投げた。 「誰もが自分と同じ考えを持っていると考えることは、悪くはない。ただ、一握りの相反する可能性を常に頭に入れておかねばならない。物事を様々な見方で見ることが出来なければ、いつか死角を突かれる」 まさに白燕はその死角を突かれたのだった。廉定の言葉に口の中に苦さが広がる。 「だが、お前だけが悪いのではない。お前はまだ若い。様々な視点を持つのには経験が必要だ。その経験不足を補うために人を上手く使え。すべて一人でやろうとするな。頭から信頼出来る者は二、三人でいい。打算を加味した上でこの人物はこの部分では信用できる、そういう判断をできるようになれ。荒唐無稽な考えだと切り捨てずに、すべての言葉に耳を傾けろ」 「……」 「すべてを取り戻すためにここまで来て、今努力しているのだろう?」 視点を、変える。耳を、傾ける……口の中で廉定の言葉を繰り返す。札を握った右手、果物を握った左手がそっと大きな手に包まれた。無骨なその手は思ったより暖かくて、背中に感じる廉定の存在が白燕の心を安心させた。 「お前にはすでにこの符を発動させる呪力が備わっている。ただ、方向性が違うだけだ」 廉定は白燕の持つ符を果物の傷の上に移動させ、続ける。 「符の中に収められている力を勢い良く放つのではなく、柔らかく練った力で対象を優しく包み込むように想像するんだ。瞬発力ではなく、持続力だ」 廉定の指導を得て、白燕はゆっくりと力を練る。大戦符術を行使する時のような札から封じているものを出現させるようではなく、染み出すように符の力に自らの力を沿わせていく。 深く息を吸って、吐いた。慣れぬことをしているため、手に酷く力が入った。額に脂汗が浮かんだ。だがそれでも白燕はやめなかった。 そうしてどれくらい経っただろうか。集中し過ぎて気が遠くなりそうだった。 「見てみろ」 廉定が白燕から手を離した。そのまま卓に突っ伏したいところだったが、彼の声を受けて視線を果物に移した。すると――。 「傷、が……」 確かにそこにあった傷が、跡形もなく消えていた。 *-*-* 治癒の術を使えるようになったものの、符という依代なしでは力を行使できない。その上傷を治すのに時間と精神力と呪力をかなり使用する。だが毎日の鍛錬によって徐々にだが、それらも改善されていった。同時に治癒の札の作り方も教わり始めた。 元々大戦符術で札に封じられた力を解き放つことをしていた白燕にとって、札に封じられている物へ干渉するという事は難しくなかった。治癒の術で苦労したのが嘘のように札に封じられたものの出し入れは容易かったし、治癒の術の腕が上がれば上がるほど札に封じたままの物の傷を治す腕も上がっていった。 段々と複雑な状態の物の復元に挑戦していき、割れた卵を治せるようになる頃には、治癒の術を行使するのにかかる時間も最初の半分以下となっていた。 「これならば……!」 札からころんと転がり出た卵にヒビがないのを見た時、白燕は今までの修業が実ったのだと嬉しさをかみしめていた。 忠星と西嘉を助けるための険しい路を確かに進んでいるのだ、そう実感して二人の札を見つめて、そして胸に抱いた。 「待っていてくれ」 二人に再び逢える日も遠くないかもしれない、その日、白燕は満ち足りた気持ちで眠りにつくことが出来た。 【了】
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