オープニング

 ディラックの空をロストレイルが走行する。
 目的の異世界に向かって走るその列車から、自分を待つ依頼内容に想いを馳せ、あるいは仲の良い友人達と語らいながら窓の外を眺める楽しさもまた貴重な旅の時間となる。
 流鏑馬明日は、小説を読んでいた。
 かつて想い人が貸してくれ、そのままもらい受けることとなった蔵書のひとつだ。
 寝台列車の中で起きる殺人事件。
 葡萄の房をもしたシャンデリアの揺れる豪奢な列車は、ちょうど、自分が今座っているロストレイルと重なり合う。
 ふと顔を上げれば、自分の他には四人ほどしか、この車両には乗っていないらしい。
 驚くほど奇妙に派手な鳥を肩に乗せ、上質な夜会服をまとった男。
 鞄を座席の上に乗せ、それを枕代わりにして眠るフォックスフォームのセクタンを撫でる赤い髪の男。
 傍らに布で覆った薄いもの―おそらく額縁か何かを置く、カオを黒いベールで覆った喪服姿の女。
 トレンチコートに鹿撃ち帽を目深に被った、どこか陰鬱で虚ろな、けれど不思議と探偵然とした男。
 乗り合わせた彼らが各々の時間を過ごしていることを確認し、明日は再び、物語世界へと意識を戻した。
 ただし。
 先人曰く、何が起こるか分からないのが旅なのだという。

 突然、シャンデリアが一斉に瞬いたかと思うと、明かりが消えた。
 そうして響き渡る狂った笑い声、それからエコーの掛かった奇妙なアナウンスが流れ出す。

『さあ、ショーの始まりだ!』
『ミステリートレインを知ってるかい? 行き先不明の推理列車さ!』
『犯人を見つけなきゃ、誰も目的地には辿り着けない』
『事件が起きるよ、死が降りかかる、さあ、犯人は誰だ?』
『死にたくなければ、見つけるといい。犯人はこの中にいる』

 そして、闇の中、何か重いものがゴトリと落ちる音が響いた。
 同時に光も戻ったが、そこで誰もが、力なく座席から通路へ倒れ込んだひとりの男の姿を発見する。
 予告どおりであり、同時に予想を超えた光景。
 ロストレイルの車内で、この場所で、首も手も足も胴体もすべてがバラバラに切断された《男》が、血を撒き散らして死んでいた。
「――」
 突然の出来事に、ざわりと大きく気配が揺れる。
「動かないでっ!」
 咄嗟に鋭く他を静止し、現場保存を第一優先とした明日のその声は、刑事としての反射でもあったのだろう。
 そうしておいて近づけば、辺りに流れ出た生々しいほどの鮮赤とは裏腹に、《男》が実は《人間》ではないことに気づかされる。
 実に鮮やかに、美しく解体されている姿は、どこか模型的だ。
 いや、人形なのだから、模型と感じて当然だろうか。
「……悪いだが、俺にもちょっと見せてもらえるか?」
 不意に背後から声が掛かった。
「あなたは?」
「馬来田史信。監察医をしてる。あんたは見たまんま刑事って感じだな」
 いいながら、彼は手早くコートや人形の切断面を確認していく。
「……人形、ですのね……とても精巧ではあるけれど……」
 漆黒のドレスを裁きながらゆるやかに立ち上がった女性――三雲文乃は、ベールの下からじっと血だまりを見つめる。
「精巧であるがゆえに、これほど見事に解体されているというのが不自然ですわ」
「……何が起きているのか、何が起きたのか、話を聞かせてくれ。おまえたちの話を」
『殺人だ、殺人、人形殺人じゃねぇかっ』
 夜会服の男――ジャン=ジャック・ワームウッドの奇妙なほどの冷ややかな視線の傍らで、鳥が騒がしくわめき立てる。
『次は誰だ!? 次はおまえか? おまえか? おまえだろ、ギャハハハハハハハハッッ』
 鳥の哄笑に、誰もが気づく。
 人形が殺された。
 しかし、コレで終わったかどうかの保証はない。
 次にシャンデリアが瞬き、消え、そして明かりが戻った時、自分がこの人形と同じ立場になっていないとも限らないのだ。

 車両の前後で扉が開閉された形跡はない。
 停電の僅かな合間にヒトが出入りした気配もない。
 つまりは、この場にいたのは自分たちだけであり、この中の誰かが犯人である可能性は高い。
 では、誰が犯人なのだろうか?
 なんのために、この空間でこんな真似をしたのか。
 謎が提示されたのなら、答えを導き出さなければならない。 

 この瞬間、ロストレイルが、ミステリートレインへと変貌する――



=========
!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>

流鏑馬 明日(cepb3731)
馬来田 史信(cupp6940)
三雲 文乃(cdcs1292)
ジャン=ジャック・ワームウッド(cbfb3997)

=========

品目企画シナリオ 管理番号1704
クリエイター高槻ひかる(wsnu6359)
クリエイターコメントミステリートレインへの企画ご指名、誠に有難うございます。

ロストレイル車内において、停電が起きました。
意図的か偶然かは分かりませんが、その間に、人間と見まごうばかりに精巧な人形が血を振り撒きながらバラバラにされてしまいました。
誰がどのようにして人形殺害へと至ったのか。
謎は提示され、ヒントもまた密やかに紛れ込んでおります。

さあ、推理の時間です。
ミステリーをはじめましょう。

参加者
馬来田 史信(cupp6940)コンダクター 男 29歳 監察医
三雲 文乃(cdcs1292)コンダクター 女 33歳 贋作師/しょぷスト古美術商
ジャン=ジャック・ワームウッド(cbfb3997)ツーリスト 男 30歳 辺境伯
流鏑馬 明日(cepb3731)ツーリスト 女 26歳 刑事

ノベル

 生々しい錆びた死のニオイが立ちこめるわけでもなく、視覚にのみ訴えかける刺激的で奇妙な光景を前に、明日はひっそりと呟きを落とす。
「どういうことかしら、これは」
『決まっているだろ、殺人だ! 誰が殺した、誰を殺す、次はおまえか、それともおまえか?』
 ジャンの肩から舞い上がった鳥は、わめき散らしながら葡萄の房をモチーフとしたシャンデリアの上に止まった。
 ガラス玉の瞳で以て、繰り返すのは誰に当てているのかも分からないような告発だ。
「……あの鳥、あなたの?」
「ああ」
「そう……とても可愛いわ……」
 ひとり何かを納得したように明日は頷くと、改めて被害者のバラバラ死体を見る。
『殺される、死んでしまう、殺人が起こる、殺人殺人殺人だ、ぎゃはははは――』
「まあ、コレを殺人と言うには少し特殊な状況だが、分かることは多いかもしれないな」
 史信が、鮮赤の水たまりの中、バラバラになって横たわる人形へ視線を向けて呟く。
「死亡推定時刻を判定するのは難しいかもしれないが、死後硬直だの死斑だの以外からでも読み取れることはあんだろ」
 そうしながら、ポケットからゴムのディスポ手袋を取り出し、嵌めて、人形とその血の海を検分しはじめる。
「監察医、とおっしゃったかしら? あなたはご職業柄、人体の解体にはとても慣れているように感じますわ」
「死者と向き合うことには慣れていると言っていいだろうな」
 文乃の言葉に、彼は顔を上げずに言葉だけを返してきた。
 その眉間には微かなしわが寄せられる。
「これは……」
「……ふん、血糊のように見えるが、そうではないらしいな」
 夜会服の裾をさばき、ジャンもまた、『被害者』の脇に屈み込む。
 史信が血液感染を考慮してゴム手袋を嵌めたのに対し、彼ははじめから白手袋を嵌めており、ソレが汚れることに一切の注意を払わない。
「どういうことかしら?」
「単なる赤インクでもなければ、ペンキでもない。だが、通常の血液でもない。それだけの話だ」
 明日の問いに答え、ジャンは謎掛けめいた言葉で返す。
 人形は所詮人形。
 血管のない内部から血があふれ出ることなどなく、赤い色に浸ってはいるが、それはただ本当に浸っているに過ぎなかった。
 では、このいやにリアルな『赤』はどこから来たのか。
 何か特殊なものを使用しているのか、赤い液体はベッタリと指先へまとわりつきはするが、空気に触れているのに凝固する様子も、瞬く間に変色していくこともない。
「……Ir-RCC-LR……」
 ぼそりと呟いた史信の言葉に、明日が首を傾げる。
「なに?」
「たいしたことじゃない……いや、たいしたことなのかもしれないな。コレは間違いなく本物の血液だが、特殊な加工を加えられている」
「加工って、どういうことかしら?」
「血液を凝固させない様な特殊な技術だ。それを持っているヤツか、あるいは特殊能力で変質させたか」
「つまり、ツーリストの仕業だと言いたいのかしら?」
『ツーリストが殺した? それじゃ、あんたとあんたは違うってのか、そうじゃないだろ、みんなアヤシイ、みんな嘘つきだ、みんなみんな、殺してるんだろ?』
 史信の言葉を否定するように、鳥が頭上から喚きちらす。
 血液はまだ固まる気配すら見せない。
 明日は史信が呟いた聞き慣れないアルファベットの羅列が気になった。あの意味をもう一度問うべきか。
 そんな二人のやりとりの最中にも、ジャンはコートを引き剥がし、血の広がりと浸透具合、そして人形の切断面に指を這わせていた。
 実に精巧な、人の皮膚に近しい弾力持ち合わせながら、切断された肉体の内側はただの赤く汚れた肌色の平面だ。
「……人形は着ているスーツごと切断されてはいるが、コートだけは無事だ。つまりは、あの停電の最中にワイヤーだの刃物だのを使用して外側から一気に引き裂いたのではないということがわかる」
 血液の問題を横に置き、告げるのは客観的な事実のみ。
「ああ、だよな。事前に解体しておいたって言うのも、まあ、妥当な線だ。《遺体》の切断面から見て、おそらく凶器は鋭利な刃物……裁断機でも使ったのかって感じだ」
 ふたりの男によって、人形の死の状況、人形を取り巻く情報がひとつひとつ提示されていく。
「彼は、血だまりの中に落ちたと考えて間違いはなさそう?」
 確認の意味で明日が問えば、
「俺やこいつの見立てを信じるなら、そうなんだろ。人形は解体され、再度組み立てられた。死亡推定時刻は、……おそらく暗闇の中で俺たちが聞いた物音と同時刻」
 史信が確信を込めてそれに答える。
「停電が起きたのは、せいぜい数十秒、長くても一分程度のはずね。その間に解体させる方法を考えるよりは、あらかじめ《彼》はバラバラにされていたと考える方が現実的」
「皆様、その方向でよろしいんですの? 誰にでも犯行が可能であると認めることは、容疑者を絞ることにはなりませんのよ?」
 分かっていながら、あえて疑問を投げかける文乃に、明日は頷く。
「別の観点から犯人の絞り込みができればいいと思うの……もし、人形をあらかじめワイヤーか何かで固定していただけだとしたら、その素材が何かでも犯人を知る手掛かりになるはずよ」
「ワイヤーじゃない……ナイロン糸だ」
「え?」
「わずかだが、人形の関節部分に絡まっているのを見つけた……黒くて血に混ざるとわかりにくいがな」
 そう言って史信が全員の目の前に掲げたのは、一見するとただの黒い糸屑にしか思えない代物だった。
「ほう? 材質まで分かるのか?」
「……職業柄、ってやつだ」
 肩を竦め、ジャンの言葉に応えてから、史信は小さく溜息をひとつ吐いた。
「《遺体》から分かるのはこれくらいか?」
「では、次には当然、どなたがソレを為し得たか、という話になりますわね」
 鮮赤によって汚れることを厭い、被害者から距離を置いているのかと思わせたが、その実、文乃は検死と人間観察の両方を俯瞰的に見つめていた。
 乗り合わせた者たちの言動、性格、ちょっとしたクセ、あるいは、ささやかな変化を、彼女は黒いベールの下で密やかにチェックする。
「位置把握をさせていただけます? わたくしたちは推理のために必要な情報を正確に得ていくべきですもの」
 文乃の声はどこか微かに弾んでいる。
 退屈さから解放された喜びが滲んでいるといっても良いだろうか。
 それは彼女だけではない。
「ああ、位置関係は重要だろうな」
 ジャンは周囲を見回し、頷いてみせる。
「では、検証しましょう」
 率先するように、明日が手帳を取り出し、ペンを持つ。
「アリバイってことになんのか?」
 立ち上がった史信は、四人掛けのボックス席を見渡し、
「《被害者》の席を中心に考えて、俺は通路を挟んで斜め後方、ボックス二つ分前になるか」
「私は《被害者》の席のすぐ前のボックスになるわね」
「わたくしは《彼》とは通路を挟んで斜め後方、ボックス三つ分後ろで、進行方向とは逆の向きに座っておりましたわ」
「……俺は被害者の席より二つほど前方のボックスになる」
 誰もが比較的バラバラに、明日を覗けば全員が思いのほかバランスよく被害者と距離を取っていた。
『あんたらの中に嘘つきが紛れてる! 嘘つきがいるぞ、人殺しの嘘つきが、ギャハハハっ』
 鳥が再び嗤う。
「ええ、確かに犯人はこの中にいる、とアナウンスの声は言っておりましたわ。それが《前提》だというのなら」
 文乃はベールから覗く唇を弓のように吊り上げ笑みの形へ変えて、
「そう……こういう考え方もできますわ」
 現時点において構築されるであろう《推論》を語り出した。
「たとえば、監察医さん。先程も指摘させていただいたけれど、貴方は職業柄、解体の手順にも慣れているでしょうし、人体の急所にも詳しいと思いますの」
 ベールの下に隠された眼差しが、どこを向いているのかは分からない。
「刑事さん、貴女は一番最初に人形へ近づきましたもの。刑事という職業柄、あなたは他者を退けた上で、ご自身がトリックに使用した物を回収する役目を負えますわね? あたかも必然の流れであるかのように、被害者に近づけますわ」
 けれど、ひとりひとりを名指ししていく様は、視線で射抜かれるのに等しい鋭さを帯びている。
「もちろん、トレンチコートの男…被害者に最も近かったのも、通路を挟まず、彼のすぐ後ろに席を取っていた貴女ではありませんこと? その位置からなら、例えばそう、人形をつなぎ止めるワイヤーも容易く回収できるのでないかしら?」
 物理的に最も現実的ではないかと、そう文乃は付け加えてから、視線を移す。
「私は犯人ではないわ。刑事だった私は断じてそんな真似はしない」
「ミステリーにおいては、時に警察官であっても罪を犯しますのよ? 現実世界でもそう。貴女のかつての職業と貴女の理念が貴女の身の潔白を証明することがありませんわ」
「……動機はなに?」
「わたくし、動機よりはむしろ、トリックの方に興味がありますの。いかにして為し得たか、ハウダニットに心惹かれますわ」
 ロジックの構築を妨げるかのように、あるいはすべての推測を等しく混乱へ導き否定するかのように、文乃は微笑む。
「この謎が解けなければ、次の殺人が、今度は本当の殺人が起こるんだったよな?」
 眉間にしわを寄せたまま、史信はふたりの間に言葉を投げる。
「どんな可能性でもつぶしておくに限るだろ」
「……いいわ、武器を置いて行動しましょう」
 明日は自身のトラベルギアと愛銃、そしてパスホルダーの入ったヒップバッグの三点を最後方の座席に置いた。
「それで容疑から外れたおつもりかしら?」
「少なくとも射殺はできないわ」
『それ以外の方法で殺せるかもしれねぇけどな……!』
 鳥がまた喚く。
「ええ。それもあり得るでしょう。たとえば、夜会服の貴方、貴方はツーリストですわね。能力さえ使えば、一瞬で暗闇の中の人形を解体することなどわけないのでは?」
 彼女は問い、彼女は見、彼女は語る。
 文乃はあらゆるものを疑い、あらゆる可能性を考慮していくつもりでいるらしい。
 史信はトレンチコートの内側を探る手を止めず、視線も合わせず、ただ言葉だけを彼女へ向けた。
「それなら、あんただって同じじゃねぇか? 自分ひとりが蚊帳に外にいるとでも言いたいのか?」
「わたくし? いいえ、わたくしも容疑者のひとりですわ。こう見えて手先は器用なんですの。懇意にしている古美術商から精巧な人形を手に入れ、加工を施すくらいは造作もありませんわ」
 艶然と微笑み、平然と告げる。
 そこですべてが振り出しに戻ってしまった。
「誰が犯人であってもおかしくない、そう言いたいのね?」
 明日の問いに、彼女は小さく笑みをこぼす。
「ええ、そうですわ。貴女でも、わたくしでも、彼のうちのどちらかでも、可能性は等しく存在しておりますもの」
 史信はこの状況下でありながら、『事件』を楽しんでいるとしか思えないふたり――文乃とジャンに対し、胡散臭いという感情がどうにもぬぐい去れなかった。
 だが同時に、ふたりの思考過程が非常に優れたものであることにも気づくことはできる。
 腹の内を読むことができない相手を前に、さて、どう切り出すべきか。
「……なあ、三雲だったか、あんたはいま、ここにいる全員に犯行の可能性があると示唆したよな? だが、実際問題、こんな真似ができるヤツはいるのか?」
「できなければ、この状況は起きておりませんわ。限定された状況下で、一体他のどなたが出入りなさるのでしょう?」
 彼女の台詞がすべて言い終える頃には、ジャンは扉の開閉、並びに窓の施錠状況を確認していた。
「他者の出入りは不可能だろう。この《空間》は閉ざされている」
「は? どういうことだ?」
「言葉どおり、この車両のあらゆる出入り口が何らかの力で封鎖されていると言うことだ。結界でも張られたか」
「クローズドサークルでございますのね」
 この中に犯人がいる。
 この中に、人形を殺したものがいる。
 紛れもなく、この中に。
 そして事件が解けなければ次の殺人が起こるのだという、その宣告にざわりと空気が揺れた。
「ってことは、あんたが犯人ってことにならねぇか?」
「俺は俺が犯人ではないことを知っている」
『と、言ってるだけかもしれねぇな! 信じるな、信じちまったらおしまいだ、ギャハハハハハハハハハハハ……っ』
 鳥は誰の手も届かない場所から哄笑を浴びせては、また、移動する。
「人形をバラバラにした手品の種が見つからない場合、特殊能力の使用も視野に入れなくてはなりませんわね。そして、そんなことができそうなのも、やはりあなただけのような気もいたしますわ」
「あの鳥の羽の中に証拠を隠しているかもしれない。……ジャン、あの子を調べても?」
『近寄るな、近寄るな、人殺し、鳥殺し、狼たちにはちかづかねぇっ!!』
 けたたましく警戒を発して、鳥は伸ばされた手から逃れるように、ばさばさと頭上を移動する。
「あら、降りてこられない理由でもお持ちでいらっしゃるのかしら?」
 文乃の言葉は、愉悦を含んでジャンに向けられる。
「なるほど。では俺が犯人かもしれんな」
 ぴくりとも動かない、凍り付くような無表情の上に、無頓着なまでの声音を乗せて、
「そうだな、俺は恐怖や疑いの感情を求めたのだろう。だから、こうして《事件》を演出した」
 まるで犯人のごとく告白し、薄い笑みを浮かべた。
「怖いなら、いまココで俺を殺すか?」
 ジャンは微かに首を傾げてみせ、密やかなる囁きを口にする。
 まるでそうすることが正しいとでも言いたげに、そうすることが正しいのかもしれないと思わせるほどに、奇妙な効力を持った声だった。
「灰色の存在を罰すれば、ひとつ容疑が晴れて、ひとつ不安が消えるだろう?」
『断罪だ、断罪だ、そいつを殺してみりゃ分かるかもしれないぜ、犯人ってヤツが!』
 鳥がおかしそうに頭上を飛び回り、わめき立てる。
「ひとり死ねば、ひとり分だけ安心できる、とおっしゃりたいのかしら? けれど、ここにいるのはたったの四人ですわ。ロシアンルーレットをなさるには、少々人が少なすぎるのでは?」
「俺は構わない。さあ、どうする?」
 それでもジャンは囁く。
 文乃でも明日でもなく、ただ沈黙して顔をしかめるに留める史信へと、史信の揺れる瞳を覗き込み、史信が身を逸らせばそれを追うように身を乗り出して、
「殺すか、俺を?」
 応えるのをじぃっと待ち続ける。
 史信は答えない。
 応えられない。
 そうして二人は無言のままに、見つめ合う。
「無意味な挑発だわ」
 その沈黙と緊張の糸を、明日が断ち切る。
「どういう状況であれ、疑わしい存在、容疑者を、死でもって排除するのは間違いよ」
「ほう……不安要素や不確定要素の排斥は必要ないと考えるのか?」
「取り返しの付かない過ちを犯すべきではない、と言ってるだけ」
「おまえは、俺を犯人だとは思わないのか」
「罪の有無は関係ないわ。ただ、殺すことに意味がないと言っているだけ。罪を犯したなら、死以外の方法で償えばいい」
 ただし、と、ここで一度明日は言葉を切り、
「ひとついいかしら?」
 可能性の問題を提示する。
「被害者による自作自演というのも、本来なら切り捨てるべきではないはずよ」
「人形が自作自演?」
 誰よりも史信が、怪訝そうに彼女を見やる。
「ええ、ただしコレはあくまでも可能性の話。世界は広いわ。彼が無機物系のツーリストである可能性はゼロではないし、あの声の主とこの被害者が組んで騒ぎを引き起こした可能性も本来考慮すべきと言っただけ」
 あらゆるモノを疑い、あらゆる可能性を検討し、あらゆる角度から捜査するのが刑事なのだと、彼女の身に染みついた習性が告げているのだろう。
 あるいは彼女もまた、ある種の探偵気質を持ち合わせているのかもしれないが。
「黒幕が別にいるってのか?」
「犯人はなにもひとりとは限らない。共放送の声と実行犯、ふたり組の可能性も。分担制ね。それに、そう、ここにいる全員が犯人ということだってあり得る」
「あら、それでしたら、2分の1以上の確率で犯人に行き当たるとおっしゃるのね?」
「あるいはそれ以上、ということ」
「けれど、わたくしたちはまだ、あの放送が本当に車両の放送機器を使用して行われた者なのか調べておりませんわ。アナウンスのように見せかけた、そう、例えばラジカセといった録音物の再生であった可能性を検討しておかなくては」
「だったら、探すか?」
 疑いに次ぐ疑いのやりとりに辟易していると言わんばかりに、史信は議論の余地を残した言葉を遮って動き出す。
「といっても、大して探すところはないけどな」
「意外な証拠品が出てくるかもしれませんわ。可能性はひとつでも多く潰すべきというのも、わたくし賛成ですの」
「捜索は、もっと早い段階ですべきだったかもしれないわ」
「……持ち物検査でもするつもりか?」
 史信は肩を竦めると、自分の鞄が置きっぱなしになっている前方のボックス席へ向かった。
 ぴくりとも動かずいまだ眠り続けているらしいセクタンを抱き上げ、懐に入れると、自分の鞄を差し出した。
「入ってないぜ、ラジカセも、ICレコーダー系も、なにもな。せいぜい仕事道具が詰め込まれている程度だ」
「あなたのセクタンは随分と大人しいのね」
「……ああ」
 何気ない明日の言葉に、何故か史信の視線が逸らされた。
「で、他の奴らの持ち物も調べんのか?」
「ええ、例外なく」
 文乃は微笑み、後方席に置いたままの明日のヒップバッグ、自身の絵画の布を解いて確認していく。
「他は何を探す? どこを探す?」
「停電を擬似的に起こせるのでしたら、その装置も探しておきべきかと思いますの。あの状況は意図的に作り出されたのですもの」
「……」
 どこまでが本気で、どこまでが駆け引きなのか、まるで見えてこないけれど、文乃の言葉に従って、結局、けっして広大とは言い難い車内をくまなく捜索しはじめる。
 そうしている間、ジャンはこの捜索に一切参加せず、おしゃべりな鳥は口をつぐんでいた。
 ひとしきり状況分析を行ったが、出てくる答えは決まっている。
「録音機器もなければ、停電装置もないだろ?」
「ええ、ないことが証明されましたわね」
 くだらない茶番だったと言いたげに文乃を見やったが、彼女はまるで意に介さず、何も出てこないことに失望しているふうでもなかった。
 もしや、彼女の意図は別の所のあったのだろうか。
 では、どこで、何を試していたのか。
 彼女は何を知り得たのか。
 史信はぐったりとしながら、手近な席に一度腰を下ろした。
「ツーリストがこの特殊な状況を作り出した、それに間違いがない以上、犯人はアイツじゃないのか?」
「ジャンが犯人だと?」
「あんたは被害者のすぐ後ろに座っていた。あんたに気づかれずに行動するなら、ただひとり前方に座っていたコイツしか考えられないだろ」
「状況証拠としてはあり得るけれど、でも、彼ではない気がする」
「刑事の勘ってヤツか?」
「私はあなたの言葉がずっと引っかかっていているの」
「俺の?」
「あなたは私に何かを伝えようとしている……あなたは私達に遠回しに何かを告げようとしている気がして」
 ほんの少しだけ不自然なその行動を、明日は指摘する。
 そして、
「いま一度、問おう」
 不意に、ジャン=ジャック・ワームウッドが両手を広げ、凍り付いた瞳の中に叡智の輝きを宿し、そこがまるでひとつの舞台であるかのように語り出す。
「視覚は暗闇に、聴覚は声に遮られ、判断すべき情報が奪われていた。不自由に過ぎる暗闇の中、我々が聞いた音は本当に人形が解体される音だったのか?」
 芝居がかった台詞と、芝居がかった仕草。
「あの時、停電の最中にアナウンスが流れた。そう、不自然なほどに大きな音で哄笑を浴びせながら滔々と語っただろう? あの時、あらゆる物音がそこに吸収されていたのだとしたら?」
 相乗効果か、夜会服が衣装めいて見えてくる。
「血をばらまき、人形を固定していたモノを外し、横たわらせた上で、そう、頭部だけをアナウンスの終わりとともに放り投げて注意をひき、あたかも犯行時刻はアナウンスの後だったと印象づけたのだとしたら?」
「……なぜ」
「暗闇の中、自分の席に戻るのは容易ではないかもしれんが、ささやかな明かりでもいい、それを頼りにすれば問題もないだろう」
 彼は既に誰が犯人か知っている。
 彼は既に、解決すべき謎の答えに迫っている。
 ジャンは言う。
「そうだろう、馬来田史信?」
 それは、名指しの告発だった。
 一度は自分が犯人であることを嗤って受け入れたはずの夜会服の男が、自らを殺せと嘯きながら、犯人を名指しする。
「……何故、俺だと?」
「当然の、ロジックの帰着だ」
 直感による名指しではないとジャンは言う。
「……そんな証拠がどこにあるってんだ?」
 あえて挑むように、あるいは微かな怯えを含んだ虚勢であるかのように、史信はフォックスフォームのセクタンを抱き締め、問う。
「あら、その台詞では、既にご自身が犯人だとおっしゃっているようなものですわよ?」
 微かにからかう色味を帯びて、くつりと文乃が喉を鳴らして笑う。
 つい先程まで彼女は、明日か、あるいはジャンが最も犯人らしい犯人だという態度を取っていたはずだ。
 にもかかわらず、それまでの態度を翻して史信に問うのだ。
「そう、なぜ貴方はセクタンのぬいぐるみを連れて歩いていらっしゃるのでしょう? その不自然な状況に理由があるのなら、ぜひ答えてくださらないかしら?」
「なにを言って」
「わたくしの目はごまかせませんわ。こう見えて審美眼には自信がありますの。贋作師とは得てしてそういうものですのよ」
「……」
「それに、あの血糊の件もありますわ。アレは本物の血液に相違なく、けれど、通常の血液とは異なる処置が施されているのだとしたら、輸血の可能性も十分あり得ましたのに。何故あえてツーリストの能力だとおっしゃったのかしら?」
「そして、人形を縛っていた糸の切れ端、俺が見た時にはなかったモノをおまえは取りだして見せた」
 問いは重なり、
「なぜこんな真似をさせられたの?」
 最後に、明日が真っ直ぐに問う。
 なぜ『したのか』ではなく、なぜ『させられたのか』と。
「あなたの態度は、そう、まるで……誘拐犯に行動を絡め取られた家族のよう……」
 刑事の目で、けれどあたたかな色味をもって、ここで起きた一連の出来事すべてが史信の意思ではないのだと信じた上で問いかける。
「あのアルファベットの羅列、アレももしかして答えを教えてくれていたのじゃないかしら? 糸もそう。わざわざ材質を明確にしてくれた、アレも本当は自分を指し示す材料だったんじゃない?」
 三つの視線に晒され、二人の告発に晒され、一時の沈黙に晒されて。
 史信は視線を落とした。
 唇を噛む。
 ぐしゃりと自身の赤く染まった前髪を掻き掴み、掻き混ぜる。
 そして、
「……Ir-RCC-LR……照射赤血球濃厚液。期限切れで廃棄処分となった輸血パックを利用させてもらった。人形も、骨や関節の位置さえ把握していれば解体や組み立てはさほど手間じゃない。トリックだって、ジャン、あんたの言う通りだ」
 懐からセクタン――のぬいぐるみを取り出し、掲げ、自嘲気味にそれを眺めて告げる。
「人形ならできた。人形だからだ。でもな、でも……」
 その時――

「いやいや、素晴らしい! 実に面白かったよ」

 唐突に拍手が起きた。
 パチパチパチと、たったひとりの拍手がひとしきり繰り返されて、そうして最前列の席から男がひとり立ち上がる。
「正当防衛の名の下に他者を死に至らしめるというやり方を君達は選ばなかった。それもまた面白い」
 フォックスフォームのセクタンを脇に抱え、ニヤニヤと笑い続けていた。
 いつからそこに居たのだろうか。
 ジャンを含め、全員が列車をつなぐドアの開閉を確認するために先頭まで歩いていき、最前列の席のすぐ傍を通ったというのに、誰ひとりとして彼がそこに居るとは気づかなかった。
 まるでそう、その空間に居ながら認識されない、《読者》のような存在としてそこに居た。
「……っ」
 拳を握り、反射的に史信が殴りかかる。
 上体を反らせてソレを躱すと、男はセクタンを空に放った。
「七星!」
 辛うじて両手でキャッチし、無事に帰ってきた大切な存在を抱きしめる。
 七星はただ嬉しそうに史信へ頬をすり寄せるばかりだ。
「……人質を取られていたのね」
「では、ようやく現れた演出家に、この物語の主題を聞かせてもらおうか」
『愉しいゲームだったぜ、人殺しのゲームってヤツだ、ぎゃははははは……っ』
「やあ、理由はその鳥が言ってくれたよ」
 くつくつとひどく愉しげに、男は笑い続ける。
「君達が僕を呼んだ、君達の退屈が僕に行動を起こさせた、君達によって僕は自動的に舞台を用意するに過ぎないよ」
 あはははははは、と彼は笑う。
「つまり、私達があなたを呼んだというの?」
「そう!」
「セクタンを人質に取ってまで、何故俺を犯人に選んだ?」
 射抜くような視線で男に問えば、彼は至極当然と言わんばかりにアッケラカンと応える。
「サイコロの結果さ。でもセクタンにしたのは、だって、君は家族を人質に取られた程度じゃ動かない。せっかく犯人に決まったのに」
 それは、事実だ。
 恐ろしいほど的確な指摘でもある。
 セクタンだから動いた。
 家族が人質であったなら、自分はこの「舞台」のために思い悩んだりはしなかっただろう。
「おまえの主題はどこにある?」
「僕の主題は君達の中にある。僕の主観は君達の主観の中に紛れてる。君達が呼ぶから僕は来る、君達が望むから、僕は謎を用意するんだ。僕は僕であって僕じゃないと言うことで、さあ、そろそろおしゃべりにも飽きてきた頃じゃないかな?」
 答えにならない答えをさもおかしそうに語りながら、男は不意に両手を広げ、舞台俳優のごとく礼をした。
「では、ごきげんよう! 愉しい時間だったよ、でも次のゲームが僕を呼んでる、さあ行かなくちゃ、あっちの車両でもきっと面白いことが起きるだろうな、あはははははは」
 そして、男は消えた。
 忽然と、四人の目の前から存在が掻き消された。
 それとほぼ同時に、耳慣れた車掌の声で、目的地到着のアナウンスを告げた。
 ミステリートレインは、行き先を違えることなく本来の目的地へと向かっていたのだ。
 少なくとも事件を解決した今は、それが分かる。
「いい退屈しのぎになりましたわ」
 フフ、と文乃は笑み、そして自分の席から絵画を取り上げ、扉の向こうへ消えた。
「物語は紡がれ、物語の幕は下りた……ロストレイルの中という特殊な状況下での、ささやかなゲームにすぎないのだろう」
 ジャンは肩に降りてきた鳥を一瞥し、扉から向こうへ消えた。
「あなたは罪を犯していない。だから、重荷にする必要もないわ」
 明日はヒップバッグを取り上げ、銃をしまうと、
「でも、片付けはした方がいい。あたしも手伝うから、車掌さんに声を掛けに行きましょう?」
「……ああ」
 史信は小さく溜息を吐くと、七星を抱いて、明日とともに車掌室へ向かった。


 後日。
 ロストレイルの車内で彼らは再び別々のゲームに巻き込まれることになるのだが、それはまた別のお話。


END

クリエイターコメント流鏑馬 明日さま
馬来田 史信さま
三雲 文乃さま
ジャン=ジャック・ワームウッド様

はじめまして、あるいは、二度目五度目まして、こんにちは。
この度は、ミステリートレインへの企画ご指名、誠に有難うございました。
限局された空間での犯人当てというシチュエーション、演出と展開はこのようなカタチとなりましたがいかがでしたでしょうか?
茶会とはまた違った推理過程を披露していただいたわけですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。

それではまた、別の旅で皆様とお会いすることができますように。
公開日時2012-03-25(日) 20:40

 

このライターへメールを送る

 

ページトップへ

螺旋特急ロストレイル

ユーザーログイン

これまでのあらすじ

初めての方はこちらから

ゲームマニュアル