オープニング

 私、大瀧はこの手記を、自身でも自覚せざるを得ないほど神経をはりつめさせて書いている。願わくば、このトラベラーズノートに書いた警告が無事に世界図書館に伝わり、真の恐怖とともに宇宙の深淵から飛来したこの狂気に我々が立ち向かうことができん事を。

 私がモフトピアへ単独行動に出かけたのは、モフトピアが充分に愉快で安全であるので、私のような経験の少ないコンダクターでもどうにかなるだろうと高をくくっていたからだ。世界図書館からの任務はディアスポラ現象によってモフトピアに転移した新たなロストナンバーの保護だ。事実、ロストレイル号から降り立った私は早速に、かわいらしいアニモフ達に囲まれ安息のひとときを得た。
 好奇心溢れるアニモフの数名を引き連れて雲に乗り、私はロストナンバーが漂着したという浮島に向かった。モフトピアの太陽からやや離れるにつれ、高原のような清涼な空気に代わって行き、アニモフ達のくれるお菓子をつまみながら非常に清々しい思いをした。

 ところが、その浮島に近づくにつれ大気は徐々に湿り気を帯び始め、梅雨のような不快感を感じ始めた。アニモフ達にカビが生えたら一大事だ。モフトピアにもこんな場所があるのだと、私は独り言をした。
 浮島に上陸するといきなり、私はねばねばしたぬかるみに足を取られて転倒した。私の無様を嘲笑うアニモフ達が急に疎ましく思え、わざとらしく咳払いをすると、やたら鼻から離れない、奇っ怪な埃と腐敗の入り交じった悪臭に囲まれていることに気付いた。気を取り直し、汚らしいモップやれ雑巾やれで出来たような樹木の間を通り過ぎ浮島の深奥部へと歩を進めると、なんとも名状しがたいタールに漬け込んだウェスのような物質で覆われた洞窟に出た。
 洞窟の中に身をかがめ侵入すると、ねっとり肌に張り付く生ぬるい蒸気が這いだしてきて、――私はずいぶんなペースで歩いていたにもかかわらず――、得体の知れない悪寒に襲われ、体の芯から震えが迫り上がってくるのを押さえることが出来なかった。
 と、突然に視界が開け、そこには頭足類と人の戯画を組み合わせた冒涜的に忌まわしくも巨大な異形が蠢いていた。それは闖入者である私に、狂気じみた視線を送ると、悪夢に出てくるような咆吼を上げた。そして真に畏怖すべきは、その巨大な生物の周囲を取り囲み、呼応する、なにやら宇宙から飛来した灰が固着したような埃に覆われた不潔な群衆である。

 半狂乱になった私は無我夢中で駆け出し、いずこかにトラベルギアを取り落とすと、名状しがたい暗がりの中で、底知れぬ漆黒の深淵に転がり落ちた。はっと気がつくとそこは膝まである水溜まりで、壁は絶えず流れ落ちてくるおぞましき液体のおかげでぬるぬるしており、這い上がることも出来ない。
 そこで、私は自力での脱出を諦めこのトラベラーズノートにことの顛末を記すことにした。それにしても私を追いかける異形の毛むくじゃらどもの冒涜的な叫び声が耳から離れない

―― いあいあだごん!インスマウスもふ!インスマウスもふ!インスマウスもふ!


†  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †


 青ざめた表情を浮かべるエミリエ・ミイと言う光景も新鮮である。

「あっ、あの、今朝起きたら、大瀧さんからのメッセージが私のトラベラーズノートに……
 そ、それで、リベルに相談したら、援軍を送るようにってこれを渡されたの。これを使えば、その『だごん』が言うことを聞いてくれるとか聞いてくれないとか」

 よく見ればエミリエが震える手に持っているのは導きの書ではない。
忌々しくも漆黒に沈むそれは

 ―― 無名祭祀書(Das Bush von den Unaussprechlichen Kulten)

品目シナリオ 管理番号296
クリエイター高幡信(wasw7476)
クリエイターコメント 【【 !!このシナリオはギャグです!! 】】
 参加PCの全人格が宇宙的恐怖にさらされます。

 と言うわけでクトゥルフネタでーす。
 『だごん』を保護して下さい。『だごん』を連れて帰るには『だごん』の力をどうにかして押さえ込む必要があります。大瀧は……『だごん』さえいなくなれば自力で帰れるんじゃないんでしょうかね。その辺はみなさんにお任せです。
 信じられないかもしれませんが『だごん』はロストナンバーですので知的生命体です。みなさんはロストナンバーのルールに従い、使用している言語にかかわらず、意思疎通が可能です。

†  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †

 こんにちわ。WR見習いの高幡信(たかはた・しん)です。
 はじめましての人ははじめまして、βに参加された方は毎度ありがとうございます。

 私はTRPG畑出身でPBWのWRをやるのは今回が初めてになります。GMは100回以上やっているのですが、文章を書く方は素人であります。そうですね、文体は短くまとめる傾向にありますので、文字数の割には密度が濃くなります。その反面、字数を稼ぐのは苦手ですので全体的に短めになるかも知れません。気になる方はβシナリオを二本書いていますのそちらをごらんになってください。
 拙いところもあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします。

それでは!

参加者
虎部 隆(cuxx6990)コンダクター 男 17歳 学生
三ツ屋 緑郎(ctwx8735)コンダクター 男 14歳 中学生モデル・役者
ルト・キ(cubw6119)ツーリスト 男 31歳 両生類
鷹月 司(chcs4696)コンダクター 男 26歳 大学講師(史学科)
イクシス(cwuw2424)ツーリスト その他 40歳 元奴隷
玄(cdpu7769)ツーリスト その他 9歳 求職中

ノベル

 僕、鷹月司は幼稚な好奇心に負けてあのモフトピアへの自殺的な探索に出発したことをずいぶん後悔したものだが、我々が無事 ――そう少なくとも見た目は無事に―― 帰還したことを心から喜ぶものである。しかし、僕らの見てきたものをこの戦慄すべき報告にまとめる作業というものは、ひどく僕の脆弱な精神を苛むものである。
 特に、畏怖すべきだごんとの遭遇については、僕には記憶がほとんどなく、三ツ屋緑郎のビデオカメラに残された画像が唯一の手がかりである。
 このビデオの解説を僕が行うことは、不本意ではあるが大学講師と言う立場にある僕の責務であるからといえるが、混乱しきった三ツ屋君の供述は酷く要領をえないものであったからでもある。

―― だごん、大瀧救出報告 三ツ屋緑郎 ――

 僕は、部屋の電灯をすべて点灯するという、精神的にすぎない稚拙な抵抗を行ってから震える手で冷たいディスクを黒いケースから取り出し、無機質な機械に挿入した。

 よろしいかい。エミリエ君

  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †

 画面いっぱいに雲と島の浮く大空が映し出される。どこまでも抜けるようなモフトピアの大空だ。僕らの形而上ならびに形而下の旅は、ごくごくありきたりな様相で始まった。
 中学生モデルであり役者でもある三ツ屋緑郎のさわやかな声が流れる。
「はい、はーい、ええっと、モフトピアです。今は浮雲に乗って大瀧さんが行方不明になったという島を目指しています。すばらしい天気ですね。この世界でどんな事件が起きたのでしょうか? ちょうど、壱番世界の舞台でクトゥルー物の伝奇物語に出演するので緑郎的プチブームが到来しているのですね。
 ええっと、ルト・キさんお願いします。カメラ持ってて~」

 画面が切り替わり三ツ屋がアップで映し出される。彼は、ランプ付きヘルメットとゴーグル、長袖カーキのつなぎ服とブーツを身につけている。懐かしの水曜探検隊シリーズの装いだ。そして、リュックサックには「歓迎!0世界」と書かれた旗を差している。風にはためく旗には、デフォルメされた半漁人と人間達がにこにこしている絵が描かれている。中学生ながらプロサービス精神が感じさせられる。
 三ツ屋の後ろでは、動く鎧のイクシスが浮雲に同乗したアニモフたちにハイビスカスティーを振る舞っていた。アニモフたちは茶にモフトピアの果物や飴を入れて楽しんでいる。雲の乗り心地は驚くほどなめらかで、晴れ間と流れる風がここちよいひとときを演出する。イクシスのフレーバーティーがよほどおいしいのか、珍しくアニモフたちは静かに飲んでいのがほほえましい。
 その様子を眺めている僕、鷹月司が映る。壱番世界出身の僕にとっては、なぜ壱番世界が他の世界と異なり特別な地位にあるのか興味があったのだ。画面の中の僕は、壱番世界の小説群の題材……『クトゥルフ神話』が実在することを示すのではないのか、好奇心の赴くままにみなに語っていた。今考えてみると僕はなぜにそこまで知っていながらこの旅に挙手したのかが理解できない。事実、僕は可哀想なことになりそうだからとセクタンは0世界に置いてきている。
 画面の中の僕は、イクシスからフレーバーティーを受け取る。この時、僕は宇宙の深淵の顎がすでに大きく開いていることにふと気づいてしまった。イクシスが飲んだフレーバーティーはどこに行ってしまうのだろうか。震えがこみ上げてきたが、このときは風のせいにした。
 僕はイクシスから目を逸らし、カメラの方を向いた。正確にはカメラを持っているルト・キを見つめたのである。ルト・キは…… じっとりと湿り気を帯びた青黒い肌は所々が鈍色の鉱石のようなもので覆われており、手のひらほどの巨大な目を有していて、そう両生類と魚類に鉱物を足したような奇っ怪な要望をしている。それは、言うも憚られるあるものを想起させて仕方がなかった。
 事実、ルト・キはそれを自覚しているようで、
「見知らぬ土地へ飛ばされ、だごん殿も不安でしょう。ここはどことなく親近感の沸くボディをした我輩が、だごん殿を落ち着かせるべき場面でございますな!」
 などと誇らしげに語っていた。

 ところで、先ほどの三ツ屋と学生の虎部隆はそれぞれのセクタンをつれて来ている。二匹のセクタン、とりわけ、虎部のセクタン、ナイアガラトーテムポールは、禍々しい本に引き込まれていく主人の周りの心配そうに踊っていた。虎部が彼のセクタンを「ナイア」と呼ぶたびに、なにか未開の宗教の彫刻群がほのめかす恐るべきなにかが呼び寄せられるのではないのかと僕はどきりとさせられて仕方が無い。

 ルト・キがカメラを下に向けると、その虎部が黒いボールに腰掛けて、漆黒の本を熱心に読んでいた。
「こ、これは各地の鼻血級のモフ祭りを集めた本!これさえ読めばモフの行動のすべてが分かり、祭りの中心にいるものとの宇宙的な関わりも得られるという……。まさか蛙型アニモフの島じゃないよなー。だごんてどんな奴?」
 と彼はアニモフ達に語りかけるが、あまりアニモフには理解されなかったようである。

 ―― 無名祭祀書(Das Bush von den Unaussprechlichen Kulten)

 これはドイツ人、フォン・ユンツトが世界中……壱番世界のみではないであろう……を旅して蒐集してきた畏怖すべき古代信仰とその祀られる外宇宙の神々達についての伝承、彼らの話す秘密の言語についてまとめた本である。チャイ=ブレについても何か書かれていても良さそうなのであるが、記述は巧妙に回避されているようである。
 虎部がドイツ語で書かれた原典を読めるのはトラベラーズノートのたまものである。鉄の留め金のついた革装丁を開き、頁をめくり、時折、虎部の口からこの世のものとは思えない言語によるつぶやきが漏れる。
 それを耳にして平然としていられるのはこの場ではルト・キだけであろう。このときルト・キは不思議な高揚感を漂わせていていて、ちょっと普段の彼からは考えられないほど上機嫌であった。
 それと虎部が座っている ……不気味な弾力を有し、墨色の球体の中に球体を包含するとしか言いようがない物体……ロストナンバー玄。この時は気にもとめていなかったのだが、改めて観察すると、大小の球は、さながら目玉の中に目玉があるが如くであり、その瞳はこの場の全員の呪われた行く末を見透かしているようであった。

 玄が、精神の深奥に直接響く声なき声で、虎部の這いずり回るようなつぶやきを発し、僕は思わずよろめいてしまった。いかなる時空の必然か、玄はその狂気じみた能力を発動させていたのである。確かに、彼にはそのような精神感応能力があるが、なぜ彼がそのような所行に出たのかは理解できない。とにもかくにもその結果、僕に不安と恐怖の予感がとげのよう刺さり、この旅が孕んでいる危うさを確信したのである。

 ちょうど、画面の中で三ツ屋は
「無名祭祀書てなに? ちょっと一ページ貰っていい?」
 と、黒の書の一頁を破り取り、懐にしまっているところが映された。無邪気にお守りにするつもりと言えるかもしれない。しかし、仮にこの場にかの狂えるアラブ人がいたらこう指摘したであろう、書が三ツ屋に自身を破り取らせたのだと。


  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †


 画面が切り替わると、そこは既におおよそモフトピアとは思えない沼地であった。僕たちはだごんの漂着した浮島に到着したのである。その浮島ではすべてが彩度を失い灰色じみていた。しばらくして気づいたのだが、コントラストも消え去っており、白も黒もないまさに灰色のみで埋め尽くされていた。
 空は雲とも様相を異にする未知のの微粒子で覆われ、薄ぼんやりとしていて、それが湿り気を帯びた重苦しい空気と相まって説明の難しい不快感を出していた。とにかく、その粒子が肺は言うに及ばず、外套、下着の内側にまで入り込んできて、なにやら皮膚を浸食する感覚を覚えた。
「うう、なんか体の外と中がちくちくするよぉ」
 うめく、イクシスには緑青が浮いているようであった。
 唯一、ルト・キだけはこの環境に違和感を覚えなかったようで、むしろ、故郷を思い出すのでありますと、ぞっとするほど熱っぽい口調で語った。また、虎部はぶつぶつと外宇宙の何かについてのほのめかしをつぶやき続けるばかりで、もはや理性が残されているとは思えなかった。不安げに彼のそばから離れないセクタンが哀れである。
 目につくのは、元々は果物のなる樹木であったのだろうが、今ではぼろ切れを煮染めたようなくたびれた葉が垂れ下がっているばかりである。海草から奇形に葉を分化させればあのようなおぞましい形態になるのかもしれない。
 また、幹にはびっしりと先ほどの得体の知れない粒子が積層していて、カビに覆われているようであった。カビが植物の生命力を吸い取っているのかはわからないがひどく邪悪なものを感じた。この頃はまだ正気を保っていた三ツ屋がその粒子層に触ると、粒子層が幹の中身ごとぼろっと崩れ落ちて、悪臭を放つねばねばした粘液がだらっと尾を引いた。
 三ツ屋はそれに驚き飛びすさると、背後にいた玄にぶつかった。玄の表面にも、その粒子がびっしりとりついていてフジツボを連想させた。三ツ屋はもはやその場に一刻でもいたくなさそうであった。

 すると、島の奥から、汚らしい繊維を固めたけむくじゃらの者達が大勢出てきた。彼らが報告にあっただごんの影響を受けたアニモフ達であるのは間違いない。工場の排水出口に引っかかったボロ切れを彷彿される、ほこりまみれの繊維で作られたかのような様相であって、不健康な鉱物毒を思わせる悪臭を放っていた。
 外見が同一の者は一体としておらず、いずれも吐き気を催す魚的な奇形であった。共通しているのは、彼らが普通のアニモフ達よりさらに活発でけたたましくせわしないことだった。恐ろしいことには、トラベラーズノートの影響でその耳障りな言葉を僕らが理解できたことだ。彼らは得体の知れない外宇宙のなにかに呼びかけているようでもあり、彼らは真実それが可能であると信じ切っている様子であった。

ふんぐもふ! もふたぁ! もふたぁ! もふあやく! うがもふなぐる! もふたぐん!

 と、その時
「え、かびちゃっているの、あの真っ白なアニモフが!!」
 ついに精神の限界を超えたのか、イクシスが金切り声を上げると、持参してきたカビ取り洗剤を取り出すと原液のままアニモフ達にぬたくり始めた。それから雑巾を取り出すとぬかるみに溜まった水につけ込んでごしごしと洗い始める。
 アニモフ達が怒り出すのではないのかと戦々恐々としていたが、むしろ喜ばれているようで、しまいには、アニモフ達も互いにカビ取り洗剤を掛け合い始めた。そして、哀れなボーリング球、玄もそれに巻き込まれてしまった。
 玄の周りに群がったアニモフ達が、ごしごしタワシでこする。嫌々なのか、玄がつるりんと凹んで見せたりすると、アニモフ達はいっそう歓声をあげるのであった。

ふんぐもふ! むふぐるうなもふ! くとぅるう! るるいえ! もふたぐん!


 虎部とルト・キが先を急いだので、手のつけられなくなった二人はおいて先に進むことにした。
 不快なぬかるみの中を進むと、やがて、あの粒子をタールに漬け込んで固めたような不可解な物質で覆われた洞窟に出た。
 洞窟の中からはねっとり肌に張り付く生ぬるい蒸気が這いだしてきて、いっそう不愉快にさせられる。
 この頃には一行はすっかり躁状態になっており、ルト・キが故郷の歌と称する拍子のとれない奇っ怪な旋律をあげ、虎部は訳のわからない妄想を大声で語り始めた。
「ちぇ、女の子の一人でもいれば『やん、怖いー』とか抱きついてきて、この嫌な気分も薄れるんだけどなー。な、ナイアガラトーテムポール」
 セクタンが心なしか膨れているようであった。
 三ツ屋もこの頃には自分を奮い立たせるように、だごんに出会ったときの予行練習を行っていた。
「やっぱり本物は違うよね~、お友達から御願いします! お友達から御願いします! モフトピアのお菓子ときれいな花はいかがでしょうか!」
 ただ彼の持ってきた旗はすっかり汚れてしまっていた。

 やがて、洞窟は分かれ道にさしかかったところで、虎部はおもむろにトラベルギアのシャーペンを投げると「こっちだって!」と一方の道を走り出した。するとルト・キもそれに追従して追いかける。
「なーに、皆ビビんなよ!モフトピアでそんな危険な目に合うわけないだろ!」
 取り残された形になった僕と三ツ屋は、しばし顔を見合わせた。すると、虎部の消えた向こうから、この世のものとは思えないぐももった絶叫が聞こえてきた。
 恐れをなした僕たちは「あの先にはだごんがいるはず、大瀧の救出を優先しよう」と、同行する人たちとは出来るだけ一緒に行動する、と当初誓っていたにもかかわらず逆方向に進み出した。

 それからのことはと言うと、二人してぬめりに足を取られ、滑り、井戸の底のような場所に落ちた。幸運だったことは、そこが大瀧のいた穴で、なんとか彼と合流することができたことだ。

  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †

 そこまで話したところで僕はビデオを止めて、エミリエに向かい合った。
「僕たちについては、この後の記録がないんだね。そして、彼らがどうなったかは僕もよくわからない。この呪われたディスクに記録されているはずだよ」

  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †

 画面が切り替わると、海草じみた繊維に覆われた人型が立ち上がるところであった。よく見れば虎部である。先ほどの叫びは、ぬかるみに足を取られたからだろうか
「虎部殿、大丈夫でございますか? だごん殿のところまで後もう少しなのでございます。ええ、後もう少しでございます」
 ルト・キに助け起こされた虎部はあの魚類じみたアニモフ達にずいぶん近しい雰囲気となっていた。

 そこで、ふらつく虎部が来た方向を指さすとカメラもつられて振り返った。暗闇の中を、不思議なスペクトルを発する色とも言えないをした光沢が近づいてきた。

 それは鎧の端々から錆のように光を発するイクシスであった。
「みんなー。待ってー。ひどいよぉ。ボクをおいて行くだなんて、せっかく、カビちゃっていたアニモフたちをきれいにしたのに。ねー」
 イクシスは一人のようである。あれだけ大勢いた汚い毛むくじゃらどもは見当たらない。どうやら洞窟の外に置いてきたようだ。そこで僕は玄が見当たらないことに気づいたが、そのことを感謝した。

 絶望の深奥へと歩みを進める三人、
 カメラのマイクを通して洞窟の奥から蠢きが流れてくる。

ふんぐもふ! もふたぁ! もふたぁ! もふあやく! うがもふなぐる! もふたぐん!
ふんぐもふ! むふぐるうなもふ! くとぅるう! るるいえ! もふたぐん!
インスマウスもふ! インスマウスもふ!

 そして一行は、遥か古代の偉大な大王の墳墓を思わせる巨大な空間へと出た。空間は水銀を含んだ蒸気が充満しており、熱気とともに、先ほどの粒子を拡散させていた。壁には永劫の彼方を描写したと思われる壁画が描かれており、それは見る角度によって姿を変えた。
 その空間の中央にそびえ立っていたのは巨大な人型であった。その人型と頭足類と狂的に組み合わせ、その退廃的な姿は画面越しであったとしても僕を卒倒させるに十分であった。それは冒涜的に蠢き、それでいてなお、咆吼を上げるそれが何かに歓喜していることが恐ろしくも理解できた。
 ルト・キがいっそう高揚するのが画面に映らずとも伝わってくる。

 一方、その巨大な人型の周りを幾重にも囲んでいるのは外でも見た哀れなアニモフの魚じみたなれの果てたちである。
 恐怖が脳を麻痺させる中、虎部が奥の一点を指した。

 だごん、の正面に不思議に光り輝く球体が祀られていた。奇妙なスペクトラムは先ほどのイクシスと全く同じで、それはくるくると回っており、表面には五角形を組み合わせた幻惑されるような模様が刻まれていた。数えたところ五角形は13個であった。この世に存在し得ないものであるという認識が僕の正気をじわじわを食いつぶしてくるのだが、そこで、非ユークリッド幾何学では三角形の内角が180度で無いこともあるという知識にすがることにしたのである。僕はガロア理論について十分な知識を有していないことを感謝した。

 すると、突然その球体は回転を止めると、五角形のうちの一つが目を開いた。不可解な色の束を放出しているそれは、その球体は周囲の思念をかき集め、光とともに増幅し、拡散させたのである。

 洞窟全体がその性質を曖昧にさせ、空間が宇宙へと漂い始めたようであった。模糊な非現実感が強まるなか、だごんと球体だけが、いっそう存在感を増した。尋常でない邪悪な何かが空中を漂い、それらを我々が認識できるのと同じように、それらが我々を認識できているのは明らかであった。
 ただ、幸いなのは、そのゼリー状の何かはだごんとアニモフたちに逆らえないようであったことだ。

 その強大でおぞましい姿を見てルト・キがひれ伏した。
「おお、偉大なる『だごん』殿よ、どうか我々の話をお聞き下さいませ! 貴方様を探して外宇宙の深淵を飛び越えここまでやって参りました! どうか我輩どもと共にお越しください!」

 それに併せて、ついに虎部が黒の本に刻まれていた呪われた文言を絶叫した。

Es ist nicht tot, was ewig zu liegen vermag,
   und in fremden Zeitaltern mag selbst der Tod sterben
Ph'nglui mglw'nafh Cthulhu R'lyeh wgah'nagl fhtagn
Ph'nglui mglw'nafh Cthulhu R'lyeh wgah'nagl fhtagn
Ph'nglui mglw'nafh Cthulhu R'lyeh wgah'nagl fhtagn
―― ルルイエの館にて、死せるクトゥルー夢見るままに待ちいたり

 その言葉は光る球体に吸い込まれていき、何倍にも増幅され、だごんの存在感をもなお超えて響き渡った。すると、光る球体はその表面が砕け散らせ、中から出てきたのはボーリング玉大のつるりとした黒玉 ……玄であった。

 大いなる咆哮が世界を駆け抜けモフトピアに星辰正しき夜が訪れる。
 虚空に嵐のような力が渦巻き、ゆらりとだごんが立ち上がると、頭についた蛸を彷彿させる足のような器官を、電光のような素早さで閃かせた。
 すると、虎部が跡形もなく消え失せていた。
 どこからともなく「ふんぐるイエーイ!」と病的な哄笑が響き渡ると、だごんはアニモフ達と共に踊り狂い、神輿に乗ると深淵の奥底へと消え去っていったのである。

 それを見てルト・キはカメラを投げ捨てると
「おお、偉大なるだごん殿よ。お待ちくだされ! お待ちくだされ!」
 といずことも知れず走り去っていった。


 すると洞窟内は暖かい光と共に色彩を取り戻した。アニモフたちも、赤だったり茶だったり青だったり白だったり元の賑やかで楽しい色に戻り
「なんだったもふ?」
「楽しかったもふ」
「もう終わりもふ?」
 と互いに顔を見合わせ始めた。
 残されたイクシスがカメラを拾い上げると、一瞬立ち止まり頭を振り
「あ、あれ? みんないなくなっちゃったよぉ! ボクどうすればいいの?!」
 とたまらず祭壇のあった場所へと駆けだした。

 と、そこで、けつまずき、穴にはまり、どこまでも落ちていく

  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †

 さて、井戸の底にいた僕たちはと言うと、大瀧さんが朦朧としていてすっかり弱っていたので三ツ屋君が「大瀧さん小説巧いね、あの続き読みたいからトラベラーズノートで連載してよ」とか励ましていたのだ。
 考えあぐねていると、唐突にあれほどあった威圧感が頭痛と共に去っていたことに気づいた。誰かがどうにかしてくれたのかなと希望を持ち直したところで、、悲鳴と共に上から鎧が降ってきたのに驚かされたのである。
 イクシスであった。と、イクシスの鞄から洗剤とお徳用ハーブ包みがこぼれ出し、足下の水。このときにはすっかり清涼になった水に落ちた。

 プールでおなじみの臭いが立ち上り始める。これは……混ぜるな危険……

 ひどく現実的でなじみのある危機は浮遊する僕たちの精神を呼び戻すに十分で、僕はこの幸運に感謝した。
 三ツ屋の探検道具からロープを取り出し、彼のセクタン雲丸にロープを架けさせ、塩素ガスが井戸に充満する前に穴を登り始めた。
 幸い、僕たちの落ちた穴は斜めだったので、滑りやすくはあるものの足がかりはあり、程なく脱出し、無事洞窟から出ることができた。その場で寝っ転がり、すっかり、色彩を取り戻したモフトピアと太陽が疲弊した僕たちを優しく癒してくれるのを待った。

  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †

 話を聞き終わったエミリエはすっかり放心しているようであった。

 僕はビデオを止めて、部屋を見渡した。三ツ屋もイクシスもいる。
「いや~、大変だったね~。奥はあんなことになっていたのか、助かったよ」
「もぅ。びっくりしたんだからぁ」
 二人ともエミリエに報告したいことがまだまだあるようだ。イクシスのハーブティーをおいしく飲みながら、硬直したエミリエの表情が徐々に和らぐのを待った。


 エミリエの部屋は可愛らしい。
 ふと、一つのぬいぐるみが気になった。天井に頭がつくほどの大きさで、幼児番組の子供に人気のある緑の怪獣に羽の生やして、頭からは角のつもりなのかよくわからない腕がたくさん生えている。それが、つるりとした黒玉に腰掛けていた。

「みんなが来るちょっと前にルト・キが持ってきたんだよ~。かわいいよね~」

 沈黙が場を支配した。息を飲む三ツ屋が、恐る恐るファスナーを探そうとする。
 ねっとりとした粒子が足下から這い上がってくる感触がした。じっとしていられず、ディスクを無名祭祀書をラベル代わりに貼ってあるケースに戻した。

 と、ぬいぐるみが突然動き出すと、両腕で頭をつかんで着ぐるみを脱いだ。
「ふんぐるイエーイ!」
 なんだ、虎部か

 エミリエが魚じみたけたたましい笑い声を上げ、場が嘲笑に包まれる。安堵と共に汗をぬぐおうと、首をさすると身に覚えのないひっかかりに指が触れた。

クリエイターコメント お待たせしました。
 この度はこのような出オチノベルに参加していただきまして誠にありがとうございます。

 そして、許して下さい

注:言うまでもありませんがノベル内でキャラに発生した変化は、今後の冒険に影響を与えるものではありませんのであしからず。
公開日時2010-03-06(土) 20:40

 

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