日和坂綾の懸念事項。 それは、脱KIRINした後に待ち受ける《初デート》という名の関門だ。 みんなでワイワイ遊びに行くことなら、何度もあった。 珍しく2人きりでご飯を食べに行ったこともあったし、コロッセオで手合わせもした。 だが、そのどれもが、二人のお付き合いが始まる前の話であり、綾が相手を意識する前の話でもある。 そこで過ぎる一抹の不安――『初デートの失敗=お付き合い関係の解消』という、トラウマ展開が浮かんでしまった。 一度浮かんでしまったら、この未来予想図を打ち消すことはあまりにも困難だった。 では、いかにソレを回避するか。 綾はひたすら思い悩んだ結果、ある計画を思いつく。 相沢優の懸案事項。 それは、つい最近ようやく自覚するに至った少女への好意と、ソレを受け入れてもらえた彼女との初デートについてだった。 彼女の好きなモノは知っている。 彼女が喜んでくれるだろうコトが何かも、たぶん知っている、とは思う。 けれど、デートという名が付くと、途端に不安が過ぎる。 いかに一日を楽しく過ごしてもらうか。 優は綿密なリサーチを行いながら、計画を詰めていく。 *「コッチは超必死なんです、死活問題です! あっさり振られちゃったら、もうイヤすぎですよ、零世界初デートで振られるとか、もうもう…!」「事情はよく分かりました。デートの掴みが死活問題であるというのなら、協力は惜しみませんよ」 * ターミナルのとあるカフェのテラス席には今、ダークグレイのタキシードを着こなした赤いクマのぬいぐるみが座っている。 めずらしくソーダ水を傍らに置き、もっふりとした手でめくるのは、最近ヴァン・A・ルルーが気に入っているという壱番世界のミステリシリーズの一冊だ。 赤いクマはふと顔を上げた。 待ち合わせの人物が、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>日和坂綾(crvw8100)相沢優(ctcn6216)=========
「え、あれ?」 優はきょとんとした表情で、待ち合わせ場所にいるクマのぬいぐるみを見つめる。 「おや、こんにちは、ユウさん」 ぱたりと本を閉じ、赤いクマはそのまま優にむけて小さく首を傾げながら問いかける。 「ここで待ち合わせですか?」 「あ、はい。綾と……ええと、ヴァンさんもここで?」 「ええ」 テラス席から見上げる視線は、相変わらず黒くつぶらだ。 もっふりとした赤いカールモヘアの、抱きしめたくなるような艶やかさも自分がよく知るものだった。 しかし、何かが違う。 何かがオカシイ。 「おや、どうしましたか?」 「いえ、なんとなくいつものヴァンさんじゃないような気がして……スーツの色やデザインが違うせいなのかもしれないけど」 「では、その違和感の正体を推理してみませんか?」 そうして、もっふりとした手とはアンバランスの鋭い爪を一本立て、 「ユウさんと綾さんの待ち合わせはココですが、しかし、キミが来る前から私はずっとココに居ました」 赤いクマ司書が優を『キミ』と言う、これもまた小さな違和感。 「いま私が読んでいるのは小説ですが、いつもの紫のペーパーバッグ……そう、導きの書は存在していない」 爪は二本に増え、 「そして私は今日、ティーソーダを飲んでいる」 優の感じる微かな齟齬とともに、立てられた爪は三本になった。 それからクマはもう一度、つぶらな瞳をきゅっと細め、首を傾げて問いかける。 「さて、キミの推論は?」 「……」 答えを求めていながらも、何かを話したくてたまらないのだというのが全身から滲み出てしまっている。 この時点で、答えはもう導き出されていた。 でも、まだ信じられない。 信じられないから、優は何度か瞬きをして、 「あのさ、もしかして……」 もしかして、の後の言葉は続かない。 それでも十分だったらしい。 赤いクマはにんまりと笑うと、徐に席を立ち、屈み込み、そして―― 「じゃじゃーん! 私登場!」 背中のファスナーが開いたと思ったその瞬間には、どう見てもぬいぐるみよりも大きい綾が、なんの苦もなく中から姿を現した。 露わになった上半身は、この季節には厳しいキャミソールだ。 「ねぇユウ、ビックリした? ビックリした?」 くったりした着ぐるみを抱きかかえるようにして近づいてきながら、綾は優の顔を覗き込む。 してやったり感あふれる、でも微妙にドキドキしているらしい彼女の行動に、驚きとおかしさと愛しさと、その他もろもろの感情が自分の中でごった返して、収拾が付かない。 それでも優は何度か瞬きと深呼吸を繰り返してから、期待のこもった綾に、今度は自分が問いかける。 「……ビックリした、……けど、綾、ソレどうしたんだ?」 「えっとね、ルルーさん、外側いっぱい持ってるんだって。それでね、それで、一生懸命チカラの限りお願いしたら、ね、貸してくれたの」 頑張ったんだよー、と笑う綾はどこか照れくさそうだ。 物理法則を軽々と無視した着ぐるみを、いそいそと再び着込んでいく。 「え、あれ? 着ちゃうのか」 「あ、うん、寒いし! ほら、着ぐるみってすごい中が暑いって言うしね、ソレで超薄着しちゃったんだよね。幸い中ってば超快適なんだけど、だからって脱いでキャミとホットパンツで歩くとかはムリ! 寒すぎ!」 たたみかけるようなスピードで返しながら、あっという間に綾は、自分のよく知る綾から、自分のよく知るクマ司書へと変わってしまった。 誰かの手を借りることなく、ファスナーがするりと上がっていくのが不思議といえば不思議だった。 「さ、それじゃいこっか、ユウ」 1メートルくらいしかない赤いクマ司書は、今度はルルーの声ではなく綾の声で誘いを掛ける。 一体何がどうなるとそうなるのか、疑問も興味も本気で尽きない。 「すごいな、ヴァンさんの……」 「すごいよねぇ。あ、ユウも《ターミナル・知的好奇心を満たす会》に入る?」 「……ちょっと入りたいかも」 半ば本気でそう返す。 すらりとした優の、スマートだけれどいつもよりもずっとスローペースな歩きを追いかけながら、綾は必死に違和感と戦う。 「ゴメンね、私のペースに合わせると歩きづらいよね…はふ」 「ん? そんなことないよ。綾の方こそ歩きづらくない?」 「んー、思ったほどじゃない、……かな? だけどなんかリーチが全然違うから、ちょっと変」 実際、視界はクリアだし、動きが何かで制限されているといった感覚もない。 だからこそ自分の踏み出した一歩と着ぐるみが踏み出した一歩がイコールにならず、微妙に感覚が噛み合わず、慣れない。 「ルルーさんってホントはあの姿でしょ? 私以上だと思うんだよね、リーチの差。よく平気だなーって、……ひゃっ!?」 「おっと」 物の見事に何もないところで躓いた綾のカラダが、すんでの所で優に支えられる。 支えられた、と思った次の瞬間には浮遊感に包まれた。 「へ?」 「階段、慣れないのに降りたら怪我しちゃうだろ?」 間近に優の顔がある。 抱っこしてほしい、と思うより先に、さりげなく抱き上げられたことに声も出ないほど驚いてしまう。 自分の重さがどこかに行ってしまっているみたいだ。 軽々とクマをお姫様抱っこしてくれる優の首に両手でしがみつきながら、いつもとは違う視界の高さをいつもとは違うリズムで眺める。 「優、モフモフ?」 「うん、モフモフしてる」 くすくすと嬉しそうにしてくれるから、ちょっと調子に乗ってギュッと抱きついた。普段ならできなくても《ルルーとして》なら思い切れる。 「そうだ、綾はどこか行きたいところ、ある?」 「んー、さすがに今日はバトルなしかな、とは思ってる。コロッセオに行くとうずうずしちゃうからやめとくとして、後はね、今日はユウの行きたいトコ巡りがいいなって」 全部をおまかせしてしまうのはどうなのだろう、という想いは一瞬過ぎった。 しかし、優はにっこり笑って、 「それじゃ、今日のプランを発表します」 わざとかしこまった声で続けてくれる。 「まずはランチ。まだ行っていない店でもいいかな? この間偶然見つけたんだけど、なんか気になっちゃって」 「全然オッケーだよ! ユウが気になるお店にハズレはないもん! この間だってすんごい美味しかったし」 期待してると答えれば、優は照れたように笑う。 「その後にショッピング、かな。この前行ったぬいぐるみショップ以外にもさ、いろんなお店がけっこうできてるんだよね」 「あの通りはすごく好き!」 「じゃあ、決まりだな」 間近で見る笑顔は、妙にドキドキさせられた。 優しくて穏やかで紳士な優。 そんな優が自分を好きだと言ってくれる、その理由をつい色々と考えてしまうのは自分の悪いクセ、かもしれない。 綾と手をつないで入った店は、彼女の好奇心をちゃんと刺激してくれたらしい。 黒い瞳が輝き、レンガ調の、シンプルだけれど暖かでやわらかなクリーム色の照明に照らされた店内を興味深げに見回している。 入り口近くに積まれていた薪も気になるけれど、リングノート式のメニューも写真が豊富でどれもこれも美味しそうだった。 「ユウって、どうやってこういうお店見つけんの?」 「なんだろ、アンテナかな?」 「そっかぁ。私のアンテナって全然こーいうの感知してくんないから、ホント、すごい。うらやましい」 厨房の様子や薪窯に出し入れされるピッツァをガラス越しに眺められるふたり掛けの席は、それだけで食欲をそそられた。 ほどなく、自分たちの前に白い大皿がまずは一枚運ばれていく。 「おまたせしました」 ぱりぱりの極薄生地の上で生ハムと半熟卵が絡み合うピッツァ・ビスマルクには、唐辛子オイルとニンニクオイルが別添えで用意される。 「オイルで風味を変えられるっていうのもいいな」 「どうしよう、こんなピザ食べたことないよ! あっという間になくなりそう」 したたり落ちるチーズとトマトソースに絡むタマゴとアスパラの食感は絶妙だ。 「薪窯ほしいね!」 「綾のチェンバーに薪窯が作られる日は近いかな?」 「そしたらさ、ユウ、一緒にピザ焼こうよ」 「いいな、それ。後は、パンにも挑戦したりして」 「パーティやろうよ、パーティ! みんなで薪窯パーティしちゃお!」 続き、今度は温野菜がたっぷりもられたプレートと、半円のチーズの塊が運ばれてきた。 とろりと溶けたラクレットチーズが、店員の手によって折り重なるようにして、温野菜の上にたっぷりと掛けられていく。 ただし、色とりどりの野菜の中に人参の姿はない。自分で好きなものをセレクトして盛り合わせられるシステムは綾のためにもよかったみたいだ。 見慣れた食材の他に、これまでどこでも見たこともないような不思議なカタチのものが彩りに華を添えている。 「なんかすごい、なんかすごいよ、ユウ!」 「よかった」 感激しながらピッツァを頬張り、チーズに絡んだ野菜たちをクチに運ぶ彼女を、優はふんわりとした気持ちで見つめる。 綾に喜んでほしかったから、嬉しそうにしてくれるとこちらまで気持ちがウキウキと弾む。 ただ、傍から見れば、自分はいまルルーと一緒に食事をしているのだ。 綾でアリながら綾ではない人物との対面。 視覚的トリック。 目撃証言。 アリバイ。 そんな文字が、ふと頭に浮かんだ。 最近ミステリー方向に発想が傾くのは誰の影響だろう。 「あれ、ねえ綾、そういえば食事ってどういう感じ?」 「ん?」 フォークに刺したじゃがいもを一旦クチに収めてから、綾は小さく首を傾げた。 「んー、なんか、普通に口に入れてるのと全然カワンナイよ? 味も食感も香りもバッチリ! ……借りといてなんなんだけど、コレ、ホントに着ぐるみだと思う?」 「過ぎた科学を時にヒトは魔法と呼ぶ、……だっけ。ヴァンさんらしい言い回しではあるけど」 ぐいっと身を乗り出した綾につられ、優もまたカオを近づけて、鼻先が触れるほどの距離で見つめ合う。 「……着てみたら、分かるものかな」 「着てるけど、分かんないよ」 「そっか……」 「……うん」 そこでしばしの無言の後、ふたり同時にぷっと吹き出す。 ほしい答えは考えたって得られるはずもなく、謎は謎のまま、ランチタイムは進む。 「そうだ、ハイ、綾。あーん」 「あー…ん!?」 差し出したブロッコリーを反射的に口で受け止め、我に返って声にならない悲鳴をあげた綾を、ついニマニマと眺めるくらいには楽しい時間が過ぎていく。 優のプランにしっかりと乗って、ランチの後には、彼が最近発見したばかりの雑貨屋に足を運ぶ。 見慣れた町並みから見慣れない路地を抜けて、辿り着いたのは石造りの洋館だった。 中に入って更に驚く。 「え、え? ここってナニ?」 何度も瞬きしながら綾は店内を見回す。 間接照明で照らし出された白い石の上に、立方体のガラスのショーケースが乗っかって、不思議な間隔で立ち並んでいる。 アクセサリーショップというよりはむしろ、アートギャラリーを彷彿とさせた。 「壱番世界でもさ、最近ワンボックスショップが増えてるだろ? ココはこうやって匣を並べて、いろんな作家さんのものを取り扱ってるんだ」 「面白い、すごい、キレイ、どうしよう、面白い!」 個性豊かな雑貨が、限られたボックスの中で箱庭の世界を繰り広げている。 中でも目を引いたのが、小さなガラスのオルゴールだった。 見上げていると、優がすっと抱き上げてくれる。 そうして届いたオルゴールを手にして、そっと蓋を上げれば、キラキラとした音色と一緒に、アンティークキーのブレスレットがペアで収まっていた。 中には、二つ折りにされたオルゴールの説明書きも添えられている。 「ええと……へえ、ふたつの鍵を使わないとオルゴールの続きが聞けないし、本来は蓋も開けられないんだって。あ、声も入れられるの?」 「ふたりだけの秘密の宝箱っぽいな」 そう言って笑った優は、オルゴールを持った綾を抱きかかえたまま歩き出す。 「え、あれ、ユウ?」 「今日の《記念》はこれにしよう? それでさ、実はもう一ヶ所行きたい場所があるんだ」 「もう一ヶ所?」 「そう」 クスリと笑うと、優はオルゴールを購入し、ショップの更に奥へと進んでいく。 白く長い通路の先、その行き止まりにはなぜか白いガラスの扉が在った。 「いらっしゃい」 目を細めて、カウンター越しに狐の獣人が綾と自分を出迎えてくれる。 「よろしくお願いします」 チケットを二枚差し出せば、彼はきゅっと笑って、頷き、彼の右手奥にある閉じた扉を示した。 「ごゆっくりどうぞ」 何が起きるのか分からずにいる綾を腕に抱いたまま、優は、自分の手で、青ガラスの扉を押し開いた。 途端―― 「わぁ!」 爽やかな風に頬と髪を撫でられ、豊かな緑あふれる光景に包まれて、綾が歓声を上げた。 「え、なにこれ、すごい!」 「ここではいろんな景色を見ることができるんだ。自分の記憶の中の景色を映してもくれる。たとえばこの緑の迷宮、コレはヴォロスの旅で見た白い遺跡の光景なんだけど」 部屋ごと、扉ごとに、景色は移り変わっていく。 綾と手をつなぎ、想い出をなぞるように《世界》を渡っていく。 「また行きたい所ばっかりだな」 「ユウはいろんなトコ行ってるもんね」 「綾といえばブルーインブルーだな」 「うん。やっぱりね、イイコトもワルイコトも全部ブルーインブルーに詰め込んじゃってる感じ。再帰属したいしね」 「そっか」 胸一杯に吸い込んだ草原の香り。 扉を開ければ、それは漣とともに運ばれてくる潮の香りに変わる。 「海!?」 「ブルーインブルーの景色だって見せてくれるんだ」 扉が導いたのは、孤島に佇む白い石造りの洋館、そのバルコニーだった。 マザーグースのモチーフを随所にちりばめた館から臨む、吸い込まれるほどに深い青の世界。 「ホントにここに来てるみたい!」 永遠に続くブルーの中のブルーに目を奪われて、綾は白いバルコニーから身を乗り出し、潮風を受ける。 気持ちよさそうに風を受けて、黒髪をなびかせて目を閉じる、そんな綾の姿を幻視する。 でもいまは、小さな赤いクマが綾としてここにいる。 不思議な感覚。 不思議な光景。 「……あのさ、綾」 「ん、なに?」 「どうしてルルーさんに外側を借りたのか、聞いてもいい?」 なんとなく、それとなく、答えが知りたくて問いかける。 「ユウが喜んでくれたらいいなって。あとは、えー、っと」 視線を逸らし、頬を掻き、それから俯いてぼそりと、 「……手をつないだりとか、えっと、ギュってしてほしかったりとか……でもほら、ユウはそういうのイヤかもしんないじゃん? でも、ルルーさんの恰好だったらいいかも、とか」 初デートで失敗しちゃったらイヤすぎるし……と、段々と声が小さくなっていく綾に愛しさがつのっていく。 「綾」 「ひゃ!?」 モフモフに包まれた綾をギュッと抱き締める。 「ユ、ユウ!?」 「オレはさ、綾のこと、好きだよ。心から、大事にしたいと思ってる……綾の優しさが大好きだよ」 日和坂綾。 最初に彼女へ持った印象はあまりよくなかった、と思う。 人の話を聞かなくて、一方的で。 でも段々と付き合ううちに、綾の内側が見えてきて、そこにはとても深い愛情とか優しさが秘められていて、猪突猛進なところも綾の良さのひとつだと気づけた。 誤解はされやすいかもしれない。 でも、すべては見方、解釈の仕方次第。 綾と一緒にいると楽しいのは、自分では思いもよらないことをしたり考えたり言ったりするから、というのもきっとある。 太陽みたいに明るくて、眩しくて、真っ直ぐすぎるほど真っ直ぐに突き進む綾と一緒に、色々な景色を見ていきたいと切に願う。 いつかくる、別れの日までは、と。 自分と綾とは、考え方が似ているようで全然違う。 それに、綾には目指すべき場所がある。 だから、きっといつか自分は選択を迫られると思うし、それはもしかすると遠くない未来の話かもしれない。 けれど、でも、それまでは、せめてその瞬間までは綾と共にありたい。 無自覚な想いを自覚した時から秘めた、コレは覚悟。 優はもう一度しっかりと、綾を抱き締める。 「ヴァンさんで現れた時はすごいビックリしたけど、今日一日、綾とデートできてよかった。ありがとう、綾」 「ううん、コッチこそすんごく楽しかった! ありがと、ユウ」 ギュッと、綾が抱き返してくれる。 「……あのさ、今度、ヴァンさんの所に一緒にお礼に行こう?」 「いいね! そんじゃ私、パウンドケーキ作る!」 「じゃあ、俺もキッシュやクッキーを用意するよ。一緒に作る?」 「作る!」 そうと決まれば、初デートの締めくくりは製菓材料も豊富な専門店と珍しいフルーツや野菜を取り扱う八百屋のはしごで決まりだ。 「そうだ、紅茶も選ぼっか」 「いいかも! ルルーさんにうんとめいっぱい楽しんでもらっちゃおーよ」 何を買おうか、どれを使おうか、どんなお菓子にしようか、《世界巡り》をしながらも、綾とのお茶会相談に熱がこもる。 ふたりで何かをする、その瞬間が楽しくて嬉しくて仕方がなかった。 その後。 閉店間近の食材専門店でまさかの小麦粉大量紛失事件、並びにイタズラ好きのロストナンバーによるお菓子の兵隊立て籠もり事件にふたり揃って巻き込まれることとなるのだが。 それはまた別のお話。 END
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