「探偵双六って知ってるか?」 唐突な木賊連治の言葉に、カフェのテーブルに居合わせた面々はきょとんとした顔で、あるいは不思議そうな顔で、首を傾げた。「赤いクマ……世界司書ヴァン・A・ルルーの持ち物らしいんだが」 そう言って、彼は知り合いから聞いた話を、目の前の、《暇人か、あるいはミステリー好き》として呼び止められた者たちに向けた。「クローズド・サークル――限定された状況下で起きた殺人事件が目の前に再現される。参加者はそこで『探偵役』になりきり《推理》を展開、謎を解く開かすという趣向だな」 ルールは、聞く分にはひどく単純だ。 どんな登場人物として自分を設定してもかまわず、どんな推理を展開しても構わない。 ただし、すべてはダイス次第。 証言を得られるのか、証拠を得られるのか、犯人を指摘できるのか、そのすべてがダイスに委ねられているのだ。「へぇ、クローズドサークルの実演か。どこにもミステリ好きはいるんだね、面白い」 純粋に心惹かれた様子で、古部利政は馴染みの連治からの説明に何度も頷いていた。「なんか面白そうだな。ゲームって言うけど、リアルRPGみたいなものかなぁ?」 坂上健は、いわゆるロールプレイを楽しむ『なりきり系』のゲームに想いを馳せる。「あ、もしかして、場合によっては始めから死体役の可能性もあるのか?」「それじゃ、推理する間もないだろ? 何もできないのと同じじゃないか」 思わず苦笑して返す連治の隣で、狩野澹は指先で顎をなぞりながら、目を細めた。「その双六、ちょっと興味があるな。俺は探偵ってわけじゃないし、本職の探偵に太刀打ちできるかわからないが」「探偵が探偵を全うできるとも限らねぇが、まあ、誰が探偵役になるかわからねぇってのもこのゲームの醍醐味らしいぜ?」 かくして、事件の起こるクローズド・サークルに自ら閉じ込められることを望んだ者たちが四人、参加者として決定する。 このゲームの結末は、神のみぞ知る。 * 煌びやかな光に満ち、豪奢にして盛大なパーティが催されるここは、海上を優雅に進む豪華客船――アルテミス号だ。 宝飾品やドレスを身につけた人々、芸術的な料理、選び抜かれた調度品、オーケストラの演奏。 ただし、これほどに贅を尽くしていながら、この場所にいることを許された人間は、使用人やスタッフを覗けば、十数名しかいない。 医療や科学の分野で発展目覚ましい大企業、その後継者たる御曹司ロンが、自らの誕生祭にと企画した船旅に招いた客人はわずかに12名。 両親、妹のディアナ、彼女の婚約者、友人の医師、自分の恋人、そしてスクール時代からの友人達にして様々な職業に就いたものたち、といった面々だ。 彼らによって、船の内部はまるで宝石を詰め込んだ夢見心地の箱庭世界を思わせる美しさでもあったのだろう。 ただし、それらはすべて過去形でのみ語られる。 たったひとつの事象――突如ダンスホールのシャンデリアから転がり落ちてきた《もの》によって、あらゆる時間は砕け散ってしまった。 それは、ひとりの男だった。 胸を鋼鉄の矢で射抜かれ、血を振りまいて、落ちてきた男。「いやぁぁああ……!」 悲鳴がほとばしる。 我を失って泣き叫び、死者へと駆け寄るディアナによって、男が、彼女の婚約者だと知れた。 一体、いつ、誰が、なんのためにこんな真似を。 不穏な空気で凍り付いた人々の前に、はらりと白い紙が一枚、死者に続いて落ちてくる。 誰かが思わずそれを拾い上げた。 その文字が読み上げられることで、事態の混乱にさらなる拍車が掛かる。 『すべての苦痛が消えるまで、死は捧げられる』 不吉極まりない集いへと変貌したパーティ。 客船内に不安と恐怖が充満していくなか、事態は静かに動きはじめた――=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>木賊 連治(cfpu6917)古部 利政(cxps1852)坂上 健(czzp3547)狩野 澹(cady6539)=========
◆人物紹介をかねて、現場検証 シャンデリアに人を乗せるという行為は、至難の業ではあるが、けっして不可能ではない。 かつての学友としてではなく、マジシャンとしてこのパーティに招かれた連治は、脚立を用意してもらい、キラキラときらめくスワロフスキーの飾りの合間を覗き込んでいた。 そこには、乾いた血液が付着し、わずかな亀裂も見受けられた。 ソレも一ヶ所や二ヶ所ではない。 角度などから見るに、滑車のようにシャンデリアの一部を基点として遺体を引き上げて乗せたと考えるのが良さそうだ。 やろうと思えばひとりでもできるだろうが、時間はかなり掛かるだろう。 「問題は、いつ、どうやって、ってところか……」 眼下では、ロンの友人という名目で繋がりを持っている友人たちが、検分に当たっていた。 「監視カメラは設置してあるのかな? それからこのダンスホールの使用状況、後は全員のアリバイの確認もさせてもらいたい」 誰よりも慣れた様子で事態を進めているのは青い瞳の現職刑事――スクール時代からの友人であり、ロンとは久しく交流の途絶えていた彼の手並みは鮮やかの一言に尽きる。 戦き、怯える人々の中にあって、彼はむしろ水を得た魚のように動いていた。 現場保存の一言で全員の動きを押しとどめた後、ざっとホールを見渡し、監視カメラはないことや、このホールがパーティの直前までは出入りに関してほとんどチェックされていないことを確認するに至る。 その合間に、彼は健とともに医師と一通りの検死を行っていた。 「死因は……ざっと見たところ外傷は胸部の矢のみだけど、即死というには傷が浅いような気もするね」 「利政の言う通りだよな。一撃死ってのは結構難しいんだぜ。よっぽどの腕がなきゃ、さ」 「つまり……」 古部の視線が、脚立を降りてきた連治にひたりと据えられる。 「きみが犯人じゃないのか、木賊?」 「は? なんでそんな話になるんだよ。その冗談は笑えねぇんだけど」 心底いやそうなカオをして、吹っ掛けられた容疑を払うように手を振った。 「俺にどんな動機があるってんだ?」 「凶器が、きみのマジックで使う予定の小道具だっていうのが一番の要因かな。扱い方も慣れたモノだろう?」 「ふざけんな。わざわざ自分の大事な道具で殺人なんかしねぇよ」 「まあまあ、ふたりとも。というか、相変わらずだよな。ほんと変わんないから安心するぜ」 あはは、と笑う健に仲裁され、一旦ふたりは離れる。 スクール時代、彼らは常に群れていたわけではないが、健だけはよくロンが自分の輪の中に引っ張り込んでいたモノだ。 良家の子息ではあっても彼の現在の職業は新聞記者、それも新米という言葉が頭にやってくる身分である。 「でさ、先生、死体から薬物って検出可能?」 健の言葉に、医師はわずかに頭を振った。 「薬物検出は今すぐにはできないでしょうね。専門の機関に依頼する必要がありますから……ただ」 「ただ? ただ、なに?」 「肌に紅斑が見られていますから、何らかの症状はでているとは思いますよ」 「ロン、この船はどれくらいで港につける?」 無言のままに周囲を見回していた澹が、警戒色を強めながら、ロンへと問いを投げる。 「ここに来るまでと同じか、それ以上の時間だろうな。残念ながら、そう簡単にはいかないんだ」 「そうか」 澹はそっと視線を、遺体から揺れの収まったシャンデリアへと向ける。 「惨状を見せつけ、恐怖心を煽るというのなら、その目的は十分に果たされたことになるだろうな……もしかすると、これからも事件は続くのかもしれない」 一瞬、場の空気がざわりと大きく動揺した。 ロンの両親や恋人のティエ、ディアナ、検死に携わる医師までも、ハッと息を呑む。 「試しに聞くけれど、彼を恨んでいる人物に心当たりは?」 ロンは眉を顰めたまま、むっすりと応える。 「利政、言っておくが、そういう人物に心当たりがあったら、このボクが妹との付き合いを許すはずがないだろう?」 「ディアナにとって害になる相手だと分かっていたら、きみはもっと早くに排除していた?」 「当然だ」 「当然、ね」 相手の言葉尻を捉えながら、古部は口の中で微かに今の台詞も反芻する。 「……でも、だとしたら一体どうして彼でなければならなかったか、だな……」 澹の呟きに、目に見えない不安はさらに広がり、互いに互いの顔を見やる者たちの中、連治は肩を竦め、挙手し、告げる。 「まあ、とにかくまずは犯人にこれ以上殺す隙を与えねぇってのが重要だ。ここから先の単独行動はやめようぜ? どこに何が隠れてるのかも分からねぇし、互いが互いを見張るってのが一番だろ?」 「あ、賛成」 その中で、すかさず健から賛同の声が上がった。 「まあ、これで犯人と組んじゃったらお手上げだけどさ。とりあえず2人1組になって、船内点検した方が建設的ではあるんじゃね? なんもしないでいるよりは精神衛生上もバッチリだし」 それに、と、健は本気なのか冗談なのか分からない笑顔で告げる。 「俺なら間違いなく、エンジンルームか船底に爆弾仕掛けるぜ? 脅迫するなら徹底的に、派手に、ありとあらゆるもの、例えば自分自身をも巻き込む覚悟でやるもんだろ?」 「……連治、健、ボクは父と動く。女性たちは先生と別の場所で休んでもらってもいいな? 他に姿が見えないヤツがいるが、見つけ次第合流してもらう」 ロンの言葉がそこに加わり、かくして、2人1組のチームが3つ編成され、残された3人の女性たちは医師とともに客室のひとつに集まり、施錠してもらうことで決まった。 ◆迷子になる 健と古部コンビは、最上階のパーティ会場からエンジンルームに向かって降りていくルートを選んだ。 アンティーク素材で整えられた船内は一流ホテルか豪邸のようで、ここが海の上であることを一時忘れさせる。 窓の向こうに広がる夜の海の暗さとは対照的な、人工の煌びやかさがここにはあった。 「さて、捜査が開始したわけだけど、きみはどう考える?」 「単純に考えるとさ、グループ犯行の方がいろんな面で簡単なんだよな」 健は一眼レフのデジタルカメラを構え、至る所でシャッターを押しながら告げる。 パーティの間もずっと、彼はカメラマンに徹していた節があった。 「シャンデリアの上に乗せたり、一撃死させるのだって、手分けして協力し合えば難しくなんか全然ないだろ? まあ、事前の打ち合わせは重要だけど」 無邪気とも取れるような屈託のなさと同時にドライさを滲ませ、言葉を続けていく。 「実は一家を恨んでいた船員さんたち、実はロンの事を妬んでいた友人グループ、実はディアナか婚約者が密かに好きだった誰かとそれに共感した医師、とかさ。デイリーネタならそこでバッチリ」 「友人だと、僕たちの犯行って言っていいのかな?」 「友人枠は医者を除けば6人だし、そういうのもアリっちゃアリじゃね?」 たった12人だけの招待客。 だが、容疑者はその中でかなり絞られていくのではないかとは思われる。 「まさかの全員犯人っていうのも捨てがたいけどさ」 「僕としては、何故、今日ここで事件が起きたのか、ということの方が気になるけどね。こんな限定された空間で犯行を行うのは、それなりにリスクが高いわけだし」 「その辺、相互尋問で導き出されてくんないかなとは期待してるけど、どうだろうな」 「きみの写したモノが重大な手掛かりになったりして」 「まあ、そうなったら嬉しいけど……と、アレ? ここ、どこだ?」 2人はいつの間にか、船底の管理区画に入り込んでいたらいい。 「僕たち、エンジンルームに向かっていたはずなんだけどな」 「……変なところに入り込んじまったか?」 厚い扉をいくつか経た後に辿り着いたのは、ガラス戸の棚がひしめきあった、白い空間だった。 「医務室になるのかな?」 「実験室とか研究室って言いたくなるけど、たぶん医務室じゃね? さすが、製薬会社だけあってすごい取り揃えだ」 カメラを構え、立て続けにシャッターを切っていく。 フラッシュが閃くなか、古部はガラス戸の中に並ぶ瓶のラベルに目を引きつけられる。 鍵が掛かっていて開けることは叶わないが、そこに在るのは劇薬の類いに他ならず、その奥に隠されている金庫の中身はおそらく―― 「あれ?」 ふと、健の視界の端に何かが過ぎっていった。 「おい、あんた!」 追いかけるべきではないのかもしれない。 それでも健は声をあげ、走り去った影を咄嗟に追っていた。 「……ん?」 あえて健を追わずにいた古部は、部屋の奥に割れたガラスの欠片を見つけた。 「試験管、か? 何が入っていた?」 ◆秘密を知る 澹は連治とともに、ダンスホールから古部たちとは逆の方向から探索を開始した。 「とりあえずネットや携帯電話は使用できない、か」 人がひとり死んでいる。 船舶公衆電話や船室の通信機能を利用してソレを外に発信することはできても、この場にいるモノ以外には、誰にもどうにもできないのが現状だ。 「情報収集をしようにも、外界とは接点を持てないという点は徹底しているな」 ロンの家は製薬会社だ。 動物実験や人体実験を全面的に否定する気はないが、それが果たして合法的なものであるかどうかには、意識を向ける必要がある。 しかし、ソレを外部に求めてはならないのだ。あくまでもここで情報を得ていくしかない。 「船員たちも、聞いたところでロクに会社の噂話もしねぇし、ロンやロンの家族についても、なんつうか、スッキリした回答が返ってこねぇな」 「ああ。……ただ、敵が多いことは確かだろう」 「そういや、あんたもロンの友人って話だけど、いつの話だ? スクール時代じゃねぇよな?」 不意に、連治がこちらへと踏み込んだ問いを投げてきた。 「彼が仕事をするようになってからの友人、……だ」 「アイツと一緒にいる理由は?」 「……ボディガード」 「でも、その相手と離れちまってるって、妙じゃねぇか?」 「それは俺も不思議に思っている……ボディガードとして雇われたことは知っているはずだが、何故父親と行動したがったのか。信用できないと感じたのかもしれないがな」 護るべきモノを護れないとなれば、自分の矜持に関わる。 果たすべきモノを果たせないとなれば、自身の存在意義に関わる。 「どうにかして、ロンとは早めに合流したいところだが」 バーラウンジを抜けてシアタールームを通り、ホールスタッフや船員たちに聞き込みを行いながら足を踏み入れたのは、地下施設として設置されたカジノルームだった。 いまは従業員の姿もなく、筐体だけがそれぞれに独特の光を放ち、存在を主張している。 「華やかなわりに人の気配はねぇな」 ぽつりと呟く連治の声は、この場に流れるBGMの中に紛れていった。 とりあえず、という名目でこの場も捜査することに決めたふたりは、一番隅に設置されたカウンター奥に扉があることに気づく。 「確認しておくか?」 警戒しながらも澹が扉に身を沿わせ、押し開く。 そこは、ダークな色彩にあふれたカジノとは対照的に、白い光であふれたスタッフルームの光景が広がる。 そして。 そう、そしてなぜかそこには死体がひとつ転がっていた。 「……こいつは」 自分たち同様にパーティに招待されていながら、ずっと姿が見えなかった『ロンの友人』が、無残な有様で息絶えていた。 「……毒殺、だな」 「自殺じゃなければ、他殺しかねぇだろうが……いつ誰がどのタイミングでやったのかって話になるよな」 「アリバイを確認するのか?」 「いや、無意味だろうな」 言いながら、連治が、外傷の有無をはじめ死者の状況をざっと確認していく。 遺体に外傷は見受けられないが、胸や首の辺りに赤黒い色素が広がっているのが気になると言えば気になった。 「それは」 「なんだろうな。薬物反応って考えるのが妥当な気はするが……ん?」 彼の繊細な指先が何かを捉えたらしい。 彼は男のフォーマルスーツの内ポケットから、小さく折りたたまれた紙を引っ張り出した。 連治の手元を覗き込み、紙面に目を走らせ気づくのは、ソレがただの書類ではないと言うことだ。 「……婚約者の素性でも調べていたか?」 「んなことをやるとしたらロン辺りかもしれないが……違うな、これは……身辺調査なんかじゃねぇ」 言いながら、連治はその紙を自身の懐にしまい込む。 「一旦戻るか。ちょっと先に確認しておかなきゃいけないことが出てきた」 ◆死体を発見する 健とはぐれた古部は、ひとり、ロンたちがいるだろう上階をめざしていた。 船内には娯楽を追い求めた施設が数多くあるが、海原を望みながら楽しむ屋上プールは、中でもひときわ贅沢な作りをしている。 植物であふれた温室はさながら森の一角のようで、プールを泉に例えれば、女神の水浴びを覗くゼウスの気分を味わうこともできるかもしれない。 「ギリシャ神話をなぞるなら、もう少し話は単純なんだけど」 古部は自身の中の情報を整理しながら、プールサイドをなぞるように歩く。 ロンに出会うために。 しかし、そこには予想外の先客が居た。 「利政!」 「ディアナ、どうしてここに?」 「先生とみんなを探しに来たの。なんだかすごい悲鳴が聞こえて……」 「悲鳴? それで、彼は?」 「逃げていく誰かを追いかけて言ってしまったの。それで、私、怖くて隠れていたんだけど。あなたが来てくれてよかった」 古部は、ふ…っと微笑みかける。 「僕もきみに会えて良かった。聞きたいことがあるんだが、ディアナ、何か心に引っかかっていることはないかい?」 「……私、……わたしっ」 新たな涙が瞳の縁に盛り上がり、彼女は古部の胸に抱きつき、顔を埋めた。 「怖いの、すごく怖い! どうしてあの人がこんな目に遭うの、どうして、何もワルイコトなんてしていないのに……!」 「彼の様子でおかしな所はなかったかな?」 「ないわ、そんなの全然なかった。いつもどおりに優しくて、誕生会に招待してもらえたってすごく喜んで、今朝は私を迎えにも来てくれたのよ? なのに、どうして……っ」 あり得るはずのない事態が起きているのだと、興奮気味に喋りはじめた彼女の肩をそっと抱き、古部は穏やかに何度も頷く。 「彼とはどんな風に知り合ったか、聞いても?」 「お父様が紹介してくださったの。“古い付き合いのある友人の息子だ、きっとお前にとってもいいだろう”って……お母様にも優しいし、彼、本当に素敵で」 「……きみが辛いと、僕も辛いんだ。必ず犯人は見つけ出すよ」 やさしい声は耳に心地よく、ディアナは何度も頷いた。 「ありがとう、利政。……あの人を奪った相手を、私、絶対に許さない」 「……例えそれが肉親、兄であっても?」 「え?」 不意を突かれたように彼女は反射的に顔を上げた。 「僕はこれからもう少しこの辺りを探索してみることにしよう。きみはどうする?」 「……私、戻るわ。やるべきことができた気がするの」 「分かった。気をつけて」 走り去った彼女を見送り、改めて周囲を見回した時。 「ん?」 プールの中央に何かが浮かんでいる、というのは分かったが、ソレが一体何なのかは咄嗟には判別できなかった。 ゆらゆらと揺れる、アレは―― 「人間……? ロンの父親、か?」 ◆階段から突き落とされる 「あれ?」 人影を見失い、気づけば健はひとり、多目的ホールを見下ろすラウンジにいた。 古部の姿はなく、追いかけてきた相手の姿もなく、しんと静まりかえった場所で、所在なげにかしかしと頭を掻く。 「なんかうまく動けないよな」 何かをしたいのに、いざ行動に移そうとすると空回りする、そんな奇妙な感覚に陥っていた。 やりたいことがやれないもどかしさを振り払うように、健は手にしていた一眼レフカメラをプレビュー画面に切り替える。 このパーティが始まってからずっと撮り続けてきた写真は、既に数百枚を超えていた。 船内の様子、ディアナやロンの華やかな姿、友人たちのチョットした仕草や笑顔、次々と映し出されていく、人、物、場所、時間。 切り取られた空間のなか、ふと、カメラを操作していた健の指が止まる。 小さな画面の中に映し出されているロンの視線は、常にディアナだけを追いかけている。 恋人に微笑みかけられながら、彼は妹に向けてのみ、やわらかな笑みを浮かべ、それ以外の他の誰に対しても妙に威圧的な態度を崩していない。 「妹が気になって、というにはなんか違うような?」 写真で見ていくと、それぞれの視線の向かう先の意味合いについても考えさせられる。 先程自分は、古部と犯人像の可能性について語った。 そのどれかひとつと言うことではなく、いくつもの要素が入り組んだ結果だとしたらどうだろうか。 「ん、あれ、いつのまに」 しかし、思考がまとまりかけたところで、健はふと自分の手首に赤い湿疹ができているのに気づく。 ひとたび意識すると、どうしようもなく気になって、一体いつどこでかぶれたのだろうかと袖をまくり、範囲を確認しはじめたのだが。 「……へっ?」 無防備な背中に何か強い衝撃を受け。 健は、カメラを抱えたまま、ラウンジとホールを繋ぐ長い階段を落ちていった。 ◆死体とともに閉じ込められる 「連治、澹……!」 ロンの恋人であるティエが、捜索にでていた連治と澹ふたりを客室の前で蒼白の顔で迎えた。 「なにかあったのか?」 「……ええ、ちょっと……それよりもふたりはどうしたの?」 「少し気になることがあってきた。ティエ、あんたはロンから今回の誕生祭について何か聞いてねぇのか?」 「……え? いえ、ないわ。ただみんなを集めて自分の幸せを確認するって、それだけで」 わずかな躊躇いに、彼女の中に隠された言葉にならない想いを見出す。 彼女は何かを話したがっている。 なのに、 「……あんたはロンを愛しているのか?」 澹の口をついてでたのは、なぜかそんな問いだった。 ティエは一瞬目を大きく見開き、 「私は愛しているの……ずっとずっと、彼だけを見てきたわ」 そして力なく目を伏せて、呟いた。 「……ロンは優しいの。ちょっと傲慢なところはあるけれど、ソレも魅力。でもね、彼は……本当は誰よりもディアナが好きなのよ」 震える唇を噛みしめて、哀しげに、切なげに、ティエは言葉を落としていく。 「ディアナに婚約者が現れて、私、これでようやくロンは私のものになるって思えたわ」 しかし、彼女はそこでふと笑った。 「でも、ぜんぶまやかしだったの」 「ティエ?」 「ああ、いけないわ。こんなところで立ち話をしてしまうなんて。さあ、一度中へ入って。お義母様にも話を聞かせてあげてほしいの。できるだけ優しいお話を」 「それは構わないが」 請われるままに連治は澹とともに、客室内へと足を踏み入れた。 ロンの母親は心労からか、客室のベッドに身を沈めるようにして横たわり、身じろぎひとつしない。 傍についているはずのディアナの姿は見当たらず、医師の姿もない。 違和感を覚えながら、連治はそっとベッドサイドまで足を運び、彼女の顔を覗き込む。 「……なあ、ところでさ、」 連治が振り返ったのとほぼ同時に、バタン、と扉は閉ざされ、次いでガチャリと鍵の落ちる音が響く。 「ごめんなさい!」 ドア越しにそれだけを叫んで、彼女は、踵を返し、何処かへと走り去っていった。 「……なあ、ところでさ、ご婦人が死んでいるみたいなんだが、ティエ、あんたの仕業か? それともあんたか?」 閉ざされた扉へ向けて、連治は答えの返らない問いを投げた。 沈黙が辺りを支配するが、ソレも長くは続かない。 「この航海の本当の目的は、どこにあったんだろうな」 連治は自身の知識から検死を行い、現場を検証していく。 彼女の肌にもやはり、先程見た遺体と同じ赤黒い痣がわずかだが確認される。しかし、それ以上に問題なのは、彼女が己の枕元に添えていた、白い紙だった。 「……“罪の償いを”……か?」 読み上げた連治の傍らで、澹はそっと己の両手に視線を落とす。 「生きたいと願う命と、殺すことで終わらせたいと泣く誰か、その比重はどちらに傾くべきなのか」 「殺人ってのは結局自己満足に過ぎねえ。誰かに責任を押し付けるのは気にいらねぇんだ」 嫌悪も露わに連治は返す。 「やるからには自分でやり遂げるべきじゃねえか」 そう言って、連治はどこからともなくするりと一本のナイフらしきモノを取り出す。 「なにをする?」 「鍵が掛かってるなら、外せばいい」 長くしなやかな指先はまるでそれ自体が切り離されたひとつの生き物であるかのように、なめらかに、正確に、美しい動きを披露する。 「マジシャンはそういったこともするモノなのか?」 「脱出マジックが、俺の一番の売りなんだ」 カチリ、と微かな手応えに、連治の口元がわずかに吊り上がった。 「開いた。行くぜ」 ◆死は捧げられる 「え、あれ?」 意識を取り戻した健は、自分の首に縄が掛けられているのに気づく。 そうしてそれが、友人であるロンの手によるモノだと知り、慌てふためいた。 「な、なにしてんだよ!?」 「おまえに、ボクの身代わりという栄誉を与えてやるんだ!」 「はぁ? あ、……う、ぐっ」 「妹とボクの幸せのために、おまえに素敵な筋書きを用意してやるから、犯人として死ね……! ボクは妹と幸せになる、ソレを邪魔する奴らはすべて排除してやるさ!」 ロンがロープの端を力強く引く度に、シャンデリアを起点としたソレはギリギリと健の首を締め上げ、身体を天井へと導いていく。 「く、苦し……っ……」 ロープと首の間に指をねじ込んで窒息を免れようとするが、足は既に床を離れ、ひそかにと鍛えた己の筋力を以てしても全体重を支えるには厳しすぎる。 酸欠で目の前が暗くなっていく。 しかし、 「お兄様……!」 現れたのはディアナだった。 「何故、おまえがここに? 母さんたちといたはずじゃ」 「お母様はね、お兄様の犯した罪の重さに耐えきれずに、毒をあおったわ」 涙で濡れた瞳には、哀しみだけではない、ほの暗い憎しみの炎がちらついていた。 「ディアナ?」 「……ねえ、あの人を殺したのは、お兄様なのね? お兄様が、私から彼を奪ったのね?」 「ディアナ、違う。僕はおまえを幸せにするために、その障害を取り除いただけだ。おまえが心を寄せていいのは僕だけなんだから」 「彼は私を愛してくれていたわ」 「あいつが僕以上におまえを愛しているわけがないだろう!?」 「許さない、私、お兄様を許さないから……! 私の傍にいてくれた、私を私のまま愛してくれた、あの人を奪ったお兄様を許さない……!」 激情を迸らせて、彼女は兄の背に体当たりを喰らわる。 その衝撃でロープに繋がれた健の身体も大きく揺れた。 ぐらぐらと、何度も何度も振り子のように揺れて揺れて揺れて―― 怒号と悲鳴と様々な声が飛び交うなか、ついにロープはロンの手を放れ、健はバランスを崩しながらも辛うじて窒息死することなく地に落ちた。 冷たい床に放り出され、叩きつけられた衝撃に、一瞬意識が飛びかける。 だが、激しく噎せ込みながら、それでも何とか顔を上げた健の目に映ったのは、血に塗れて倒れたディアナと、彼女に手を伸ばして伏したロン、そして、ナイフを手にして佇むティエの姿だった。 「……なにが、起きたんだ?」 「何が起きたのかは、明白じゃないか。ロンをディアナが殺し、ディアナをティエが殺した……それ以上でも、それ以下でもないんだよ……そうだよね、ティエ?」 「利政!?」 いつの間にそこに居たのか、彼は艶然と微笑み、立ち尽くす彼女の肩にそっと手を置いた。 「健、きみは知っているかい? 生きている人間はもう、僕たちを含めて5人しかいないんだってことを。そうだよね?」 彼は場違いなほど鮮やかに微笑み、背後を振り返った。 「連治、澹……!」 血に塗れたダンスホールに、連治と澹ふたりの姿が現れる。 「……さっき、全部の遺体を確認してきた。死者は俺たちを除く全員だ、健……ただし、もう間もなく生存者はゼロになっちまうがな」 「何を言ってるんだ、連治?」 「ティエ、あんたが俺の依頼主だったんだな……ロンを殺してほしいと言ったのに、何故俺を待たなかった?」 「……待てなかったのは、あの人の方よ……あの人が、ディアナの婚約者を殺してしまうから」 澹の言葉に、ティエは頭を振って、応える。 「“すべての苦痛が消えるまで、死は捧げられる”……僕がせっかくロンに出した手紙を、まさかあんなふうに使うとは思ってなかったけどね」 不意に、ごく近い場所から次々と火柱が上がり、爆音が響き渡った。 船が軋んだ悲鳴をあげて悶え苦しむ。 「な、なんだ!?」 「悪いな、健。このアルテミス号がどこかに着岸することはないんだ。俺が沈めるからな」 吐き気がするほどの嫌悪感を飲み下し、連治は告げる。 「は?」 「さっき、言ったじゃねぇか。もう間もなくこの船の生存者はゼロになるってな」 「まさか、俺たちも殺し合うのか?」 「殺す殺さないって話じゃない。この船はな、ウィルスに冒されているんだ……古部が医務室で割れた試験官も発見している。俺たちにも既に、発病の兆しが出ているだろ?」 だから、と連治は、困ったように笑ってナイフを構えた。 「コレをそのまま、陸に近づけるわけにはいかねぇじゃねえか」 「発病して死ぬ前に、殺し合うのも悪くない。そういうことで、楽しもうよ、健」 「……遊びじゃない。苦しまないように、終わらせるだけの話だ……」 「なんの話をしてんだよ」 物語が自分の預かり知らぬところで急速に動き出していることに、健は眩暈を覚える。 だが、その声が誰かに届くことはなく。 燃えさかる船の中、最後の惨劇の幕が上がる―― ◆そして… 「まさかの皆殺しENDとか、意味わかんねぇ……」 血塗られた豪華客船から帰還した健は、そのままぐったりとテーブルに伏した。 「まさか、俺と狩野のふたりでソレを引き当てるとは思っていなかったしな」 衝撃の結末へ、連治は口元を緩め、肩を竦めた。 「やっぱり犯人はきみだったじゃないか」 「……やめろ」 くつりと笑んだ古部の瞳がひどく酷薄な光を宿しているのに気付き、連治は思い切り顔をしかめた。 「推理というほどのことはできなかったが、貴重な体験だった」 澹はそっと視線を伏せる。 「しかし、得がたい時間だったのは確かだが、探偵不在だったというのは気になるな」 「僕は連治を追い詰められなかったことが非常に残念だよ」 「俺的には、全然解けない謎が残りまくってるのが消化不良だぜ? しかも散々な目にあってるし!」 「……なんだ、あんたら揃ってこれからリベンジでもするつもりか?」 口々に心残りだと告げる彼らに、半ば冗談交じりに連治は苦笑する。 「それだ、それでいこう!」 「は?」 連治にはたぶんその気はなかったのだ。 しかし、先に半ば反射的に、健は《探偵双六》へと手を伸ばしていた。 「おい……!?」 かくして、探偵の称号を得ることなく、血塗れの豪華客船を海に沈めてしまった面々は、新たなクローズド・サークルの物語へと向かうこととなった。 次なる舞台は、嵐に見舞われた絶海の孤島。 洋館で繰り広げられる惨劇では果たして誰が真相へと辿り着けるのか――ソレはまた別のお話。 END
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