クリエイター藤たくみ(wcrn6728)
管理番号1682-14836 オファー日2012-05-31(木) 18:52

オファーPC 玖郎(cfmr9797)ツーリスト 男 30歳 天狗(あまきつね)

<ノベル>

 然る者の末期だったように想う。

 女は武士の放った突きを掌で受けたばかりか、貫かれる侭尚も前へ押し遣り、刀も鍔も武士の右手も柄も一緒くたに握り締め、猥雑で血に塗れた塊と為した。
 砕けて散った刃が宵に暗む廊下をごとりがたりと打ち鳴らす。
『ああはアァ!? ……くっくく来るなっ来るなあぁあああああああ!』
 膝の着く音が加わり、無様な尻餅が後を追い、衣擦れが後退る。
 常より威を保とうと厳格に振舞う大の男が、聴くに堪えぬ裏返った悲鳴をあげてのたうち畏れる様は滑稽と云う外無く、私は股を湿らせて憐れに狼狽する其れが嘗て父上と喚び倣わした事すら忘れ、只眺めて居た。男女の血と腐った汗と小水の匂いが鼻を衝いたのが、女が跳んで起きた気の流れの所為だと気付いたのは、その素足がどちゃりと床板を叩いて女が男に馬乗りに覆い被さった時の事。
 夜這いとは斯うした物だろうか。娘の仇と、女は云って居たけれど。
『ひぎゃっ』
 女が馬の胎を毟り取って、勢い余った鋭い細腕が障子を木枠ごと引き裂いた。又同じ処、或いは胸、或いは脇、肩、腿、股、眼を抉られ腸を引き摺り出され、都度耳障りに呻き嗚咽を漏らした男は終いに喉を噛み千切られ。がふっと聲にならぬ噫気と血を吐いてびくんと寝た侭仰け反ると、如何やら其れ迄。
 果てた、らしかった。
 片や女は哭く。どす黒く染めた顎を、返り血を拭いもせず。暗がりにも手入れを怠り荒れ果てたと窺える髪の隙間から、其の所業を想えば小振りな二本のつのを覗かせて。赤い涙を流して、慟哭する――。

 むごたらしい夢は、いつも其処で終わる。

 格子窓から斑にさす薄明かりが夜明けを教えてくれた。頬にはりついた髪が寝汗を教えてくれた。私は身を起こし、みだれた頭と着物を正す。ろうそくを灯せば、藍に染まった座敷がふわりと和らいだ。
 そろそろ帰るころ。そうは云っても何もない座敷は手持ち無沙汰で、壁ばかりみてすごしていた。やがて半刻もしないうち、どこか高い場所で建てつけの悪そうな木戸が乱暴にひらかれる。程なく木造格子の向うで、あの夜のまま茶色に汚れた白い衣でぞんざいに身を包む女の姿が浮かぶ。
 明け方、私は彼女を迎え入れる。
 彼女は宵の口に出掛けては何方よりか糧を得て、空が白む頃帰参して、私に与えて床に就く。それが私が此処に来てからの、日々の営みの総てだった。
 彼女は眠る前に云う。
「お願いだからここにいておくれ」
 伸びるが侭の髪と一緒に垂れて縋って哀願した。
「決して誰も入れてはならぬ」
 何を其処迄案ずるものかと思いはしても問わぬ私に、幾度も繰り返してばかり。
「外には危険なものが数多いる。私はお前を守りたい」
 外では生きてゆけぬと、不憫をわかっておくれと、情けない程必死な彼女に何処へも往きはしないと宥め、漸く彼女は安堵に眠る。すっかり寝入る迄、枕元にて爪の長い手を握り、息が穏やかに保たれて。
 そうしてやっと私の一日が始まる。木と鉄と土と藺草、埃と汗と麻と角に囲まれながら、何ひとつない、いまの私のすべて。

 日が高まれば、窓の明かりは壁に規則正しい縦縞模様を大きくうつす。

 それを観ていたくて火を吹き消した。蝉の聲が遠いのは牢の周囲に樹が少ない為か。でも、小さな獣は多いらしかった。時折何かが窓辺を過れば、影絵を描いてくれることがある。彼らの、外の息遣いが感じられる時、すこしだけ愉しかった。幸い今日は好く晴れているようだ。影も色濃く、獣の絵図も克明だろう。
 膝を崩して窓辺に凭れ、向かいの壁を眺めながら時が訪れるのを待つ。ねばついた腿が僅か離れて幾分楽になる。光はいよいよ伸びて、横たわる彼女の身体を撫でる簾の形となった。やがて頭上からかさりと微かに草を撫でる音がすると、向かいの影格子に影の兎が飛び込んで来る。
 長い耳をひくつかせ乍ら、身を丸めて忙しなく辺りを窺っている。脅威に抗う術を持たぬ者は、逃げるか潔く座すかのふたつにひとつしかない。誰かが私をそう蔑んだのを思い出す。意図は違えども彼女と同じ云い分なのが少し可笑しく思えた。この影兎は逃げ果せることができるのだろうか。
 刹那。耳にまぎれたのは、風切りの高鳴り、みちりと潰れる程強く握る響き。
 兎を踏み拉く肢、その鈎爪鳥のものだ。憐れに哀れに伏した震える影兎は彼女に重なる。そして耳がへたりこときれたのだとみたか、鳥は蔵から離れて行ったらしい。懼らくは遠退く程に影は肢から胴、やがて五体と翼をも描き。
 まるで彼女を踏み拉いているかの図が、私の前に広がって――きえた。

「それはっ――」
 それを話すと彼女は血相を変えた。蝉はもう啼いていない。
「それは人を攫う怖ろしい化物、掴まれば忽ち子を孕ませられてしまう!」
 私を攫った怖ろしい化物は、血走った眼に尚も必死な色を浮かべ乍ら、私の肩を握り締めた。これでも手心を加えているのだと想うと、食い込む爪の痛みも遣り過ごせる。それに、
「お前を狙ってきたに違いない……」
 それに彼女は真実、じぶんのむすめの身を案じているのだから。
 痛みが和らいだかと思えば、彼女は、おお、と女にしては大きくみえる手で面を覆い、暫くの間肩を震わせて、わがこに忍び寄る危機を嘆き哀しんだ。
「でも、ここにいる限りは大丈夫。……よいか、誰も入れてはならぬぞ。ゆめ」
 彼女は落ち着きを取り戻してから、ゆめと何度も繰り返した。

 彼女が何方かへ出掛けたのは、巷が黄昏に落ちた時分のことだった。

 幾分遅めに感じられたように想うが、それが日も長じていると云うのに牢の影がいつもより深かったからなのか、何か外の由があるのか私にはわからなかった。
 することがあるのでもないけれど取り敢えず灯火をと、おぼろげに考えていると、未だ幾許かは座敷に滲んでいた朱の明かりが、ふと、喪われた。
 熊でも通ったのだろうか。振り向くより先に、がちり。鉄格子に鎖を巻いたような音がする。たとえば、昼間兎を捕らえた、あの、鋭い肢の。
「これをあけろ」
 これ程無色に乾いた聲を、私はしらない。ひとならば、必ずや何某かの色を、つやを帯びる。彼女とて同じだ。彼女とて、ひとだ。では、これは、なに。
「これをあけろ」
 再度がちっと鳴った。鳥が淡々と啼いた。私の前には格子に絡みついた鉤爪の怖ろしい影が伸びる。否、肢ばかりかその五体、翼迄が影兎と同じようにすっぽりと格子へ収まっていた。ぎっと格子が軋む。言葉が話せるからと云って心を通わせられるとはきまらないのに。鳥は私を味気なく急かす。
「おれを受け入れるなら、おまえはそこを出られる」
「――!」
 おどろいたし、その感慨が久しくて意外だった。鳥が籠からひとを出すなど聞いたことがない。逢魔時に顕れて不思議な話を持ちかける妖しき者へ、不覚にも私は興味を抱き、つい振り向いてしまった。彼女に後ろめたくて、腰が固い。
「…………」
 陰になっていてよくみえはしないが、赤褐色の散切り頭は口を真一文字に結んで、(鳥にそう云うのは可笑しいけれど)鳥のように首を傾げている。翼は毛髪と同じ色だが豊かで雄々しく、験者に似たみなりの包む体躯は猛々しく、見知った殿方より頑健で、ひとに似通い乍らひととは思えぬ隔たりすら感じた。
 目許より額を覆う分厚い鉢金のせいもあって、その胸中ははかりしれない。只、じっとこちらを窺っている。向き合った以上、応えなければならないのだろう。だから問うた者は待つ。それだけのようにも思えた。
 はじめから決まりきっていることを云うため、私は口を開いた。
「――いいえそれは適わない」
「何故だ」
「彼女は私と共にいる事を望んだ。だから私は彼女と共にいなければ」
「おまえの望みはどこだ。おまえはどうしたい」
「……私は外の世界では生きてゆけないと」
「それは誰のかたった理屈だ」
 たそがれどきに啼く鳥はひとたび言葉を交えた途端、考える間を与えてはくれなかった。私をかどわかそうとしているのだろうか。彼女の云う通りに。それともこれは、何かもっと別の。はじめから決まりきっている、筈の。鴉が遠く、高らかに啼いた。今の私には、何故かその意味がわかるような気がした。
「おまえの判断はどこにある」

 また夜が明ける。

 格子戸が耳障りに開き、赤い染みの増えた着物をぶらさげた彼女を、私は迎え入れた。いつもより小さくみえたのは、いつにも況して怯えていたから。そして私より彼女の身の丈が低いことに、私は今更気がついた。
「……。……?」
 彼女も気付いているらしかった。何に? 座敷には燭台と昨日食べ残した塩鯖。いかずちに似たひび割れが走るだけの壁と、私も彼女も高くて手がやっと届くだけの鉄格子窓と。藍にいろづく朝の気が、牢全体を染めるのみ。
「……?」
 きょろきょろと見回す彼女に背を向けて、私は木造格子の戸をぎいいと閉めた。
「おま、えっ――――」
 彼女に喚ばれた時私の後ろ髪が舞い上がったのが梁に潜んでいた鳥が雷の如く舞い降りた所為だと気付いたのは、振り向いた途端眼に飛び込んだ彼女の面が鉤爪に掴まれて其の侭組み伏せられた時の事。鳥は彼女を倒すとぶちぶちと肢を引き、代わりに既に抉れて血塗れの顔を無骨な手で敲き付けるように抑え込んだ。
「ひ、あっ、あああ天アァアきツ狗えええぇぇえええ!?」
 恐慌。否、狂慌をきたした彼女は救いを求めて私の方へ手を伸ばす。むすめに痴態をみられて恥る母のように弱々しく、わがこへ向けて手を伸ばす。
「えう、うっ何故――」
 鳥は物云わず彼女の胎を逆手で毟り取って、勢い余り布の混ざった肉がぼたりと落ちた。彼女の着物が瞬く間もなく眞紅に染まるも構わず、鳥は又胎、或いは胸、或いは脇、肩、腿、眼を次々と抉り、千切り、裂いては口に運ぶ。
「何故――、何故――。な、ぜ――」
 何故。彼女の悲鳴に疑問が混ざる。なぜ、なぜ、なぜ――ナゼ。常より私に誰かを重ね、身を案じていた女が聴くに堪えぬ裏返った悲鳴をあげて悶える様はみるも忍びなかったが、私は目を逸らさず、けれど応えず。昼間の影を重ねて、只眺めていた。
 いつしか鳥は――布を喰わぬ為なのか――彼女の着衣をはだけさせ、身を屈めると直に齧り付いて貪った。狗鷲が鳩の胸を啄ばむ様子を目にした事がある。鳥の仕草は、其れに酷似していて、故に甚だしく異様だった。嘗て同じ所業に手を染めた彼女の方が遥か親しき存在に想える程、鳥の其れはひとを逸していた。
 女は哭く。どす黒く染めた面も、臓物さえ顕わになろうと為す術なく。暗がりにも手入れを怠り荒れ果てたと窺える髪の隙間から、其の顛末を想えば哀れな二本のつのを覗かせて。赤い涙を流して、慟哭する。何故、何故、と――。

 然る者の末期だったように想う。

 未だ鼻腔に遺る生臭みを青々とした野の香りが幾分和らげる。日差しが目に痛かったけれど、清清しい気は支えの取れぬ胸に優しい。蝉が、啼いていた。
 鳥は私を外へ連れ出した。それが代価らしい。
「どこへなりともゆけ」
 着衣の汚れに頓着がないのか、生前を想えば妙に延びた血塗れの塊を軽々と肩に抱えた侭、鳥は云った。はじめから決まっていたのだろう。だから私は目の前の怖ろしい化物が私をどう扱うのか、惧れはしても不安はなかった。
 そして、私の胸もはじめから決まっている。
「私は寺へ入り、生涯この方の菩提を弔うつもりです」
 彼女は私と共にいる事を望んだ。だから私は彼女と共にいようと、そう想った。
 理解を得るのは諦めていたが案の定、鳥――天狗の男は不可解とばかり首を傾げると、きっと彼なりの素直な感想を無味に零した。
「死者へ身をささぐは不毛とおもうが」

 彼は、食べ残した彼女を私に寄越した。

クリエイターコメントお待たせ致しました。


人と妖との契約と交換条件、人から見た妖怪といった基本にして王道たる要素(個人的意見)を描く機会をくださり、ありがとうございます。
そして獰猛な脅威、描けていますでしょうか。上手く表現できていれば良いのですが……何かやっちまった感が。シチュエーション、人物共々ツボ過ぎて調子に乗ったかも知れません。

なにはともあれお気に召しましたら幸いです。


この度のご依頼、まことにありがとうございました。
公開日時2012-07-30(月) 21:20

 

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