クリエイター玉響(weph3172)
管理番号1351-22591 オファー日2013-03-02(土) 20:48

オファーPC 玖郎(cfmr9797)ツーリスト 男 30歳 天狗(あまきつね)

<ノベル>

 あなたの花を契りとして、
 どうぞ、わたくしを見つけてくださいませ。

 ◇

 夜が明ける。

 群青の帳を払拭するように、東の果てから顔を見せた朝陽が街を朱色に染める。それと共に、静かだった路地は俄かに物音を纏い、街は覚醒を始めた。
 先程まで街を覆っていた朱の霧は最早その匂いすらも消し去って、ただ潤んだ空気だけを青年の周りに残している。――妖の彷徨う時は過ぎ去った。また、一日が無為に過ぎていく。掌を握り締めようとして、ふと力を止めた。
 掌の中で咲き誇る、小振りな朱紫。
 椿の花を柔らかく掌に乗せたまま、青年は当て所もなく脚を進める。
「そこの」
 その背中に、不意に高みから声が掛かった。
 胡乱げに振り返っても、人の影はない。
「椿の香のもの、狐を見てはおらぬか」
 戸惑いに視線を彷徨わせている所へ、再び落ちた声に引き寄せられるまま顔を上げる。
 路地の角、花の彫りが為された瓦斯燈の切先に、赤褐色の鳥が停まっている。――否、鳥にしては巨大に過ぎる。それは翼を持つ人の容をしていた。
 修験者、或いは天狗に似た風体の、異形の物怪。
「――狐?」
 訝しげに眉を顰める青年へ、天狗に似た姿の物怪は無垢な様子で頷いた。
「朱の毛並みの、牝の若狐だ」
 その言葉にはたと目を見開いて、併しすぐに青年は首を横に振った。
「おれも探している。だが、此処には居ない」
「――では、どこにいる」
 異形は二対の翼を大きく広げ、首を傾ける。まるで青年がそれを知っていると、確信しているように。追究の言葉は揺るがない。
「雨、を」
「あめ」
 青年の言葉を繰り返し、異形の物怪は彼を見据えた。鉢金の奥で、黄金の瞳が炯々と輝いている。
「雨を、降らせてくれ」
 真摯で、端的な願い。
 静かに乞い続ける青年を前に、天狗は手甲に覆われた指先を滑らせた。

 山神の指先が雲を呼び、空を覆い、ひとときの雨を落とす。
 青年はただその場に立ち尽くしたまま、赤い街を濡らす雫を身に受ける。
 やがて雨は已み、空を隠した雲も山神の風に依って再び祓われた後で、石畳の地面には大きな雨の名残が遺された。

 水溜りは澄んだ色を湛え、傍らの青年を映し込んで凪いだ表面を曝している。
 水面は朱金の陽光を軽やかに弾き返し、赤煉瓦の街と、花の瓦斯燈をその円の中に描き出す。淡い朱に沈んだ水中に、もうひとつ街が存在しているかのように思わせるほどの精巧さで、光映して揺れている。
 青年は小さく頷くと、足を踏み出し、水面を叩いた。
 跳ねる雫。
 弾けた飛沫が陽光に虹を放ち、青年の姿は忽ち、朝焼けの街から姿を消した。

 ◇

 鏡の水面の境を越えて、逆しまの街へと落ちて行く。

 朝焼けの街を映した水面の向こうには、夕焼けの街が広がっていた。
 紫を帯びた朱はより燃え盛るような紅に変わり、籠る熱気と潤みで視界が僅かに眩む。逢魔ヶ時。妖の領域が、粘るような大気の中で手招きをしている。
 石畳と煉瓦の街の其処彼処に、活動写真のノイズめいた銀色が走り、茅葺屋根と剥き出しの地面が映り込む。
「あれは」
「おれの生家だ。小さな田舎だよ」
 継ぎ接ぎの街を、籠る霧と咲く花を、夕焼けが朱に染める。長く伸びる青年の影に被さるようにして、巨大な鳥影がはためいた。
 人に興味を持たぬような物怪が水鏡の裏までついてきた事に僅かの驚きを覚えながら、青年は小さく頷くと影を追って足を進める。強い花の香が薫る方向へと。
 足を速め、広い街を駆け抜ける。力強く響く翼の音。その隣を同じ速さでついてくる、赤褐色が視界の端に見える。

 ◆

 夢を視るのだと、青年は云った。
 物怪は夢と云う概念を解せぬように首を傾け、併し青年の独白を聞く。

 郷里の小山に建つ社の麓から、夢は始まる。
 鎮守の杜と長い長い鳥居の道を抜けて、幼い少年が参道を登っていく。見覚えのある面差しは、青年が郷里を出た後に出来たと言う弟の姿だろう。

 道標のように中空に燈る火を追い掛けて、少年は鳥居を潜る。
 やがて、社の境内まで上り詰めた少年を、手招きする人影。
 朱と白の、二色の椿が咲いている傍らで、柔らかな聲がいざないかけるのだと。

( わびすけ )

 聲が聴こえて、夢はいつもそこで醒める。

 ◆

「弟がすくいを求むるのか」
「噫。恐らく狐に隠されてしまったんだ」
 夢を視てから暫くの後、郷里の父母から弟の失踪についての連絡があったらしい。
 瓦斯燈に火が点り、薄い朱の霧が大気を覆い隠していく中、低い位置で炎が揺れる。黄昏の光よりも鮮やかな朱紫が。客人を迎え入れるように、嘲笑うように躍り、近付けば軽やかに消え入る。狐の操る火の幻影だろう、と玖郎は茫と見つめ思った。恐らくは、人影まばらな街中で、暮れをも気にかけず輪を描いて遊ぶ子供たちの姿も。
 その輪の中を出たり入ったりしている幼い少女の姿も、玖郎は朴訥とした視線で捉えていた。
「――何故、おまえはあれを追う?」
 青年の訝しげな眼差しを風のように受け流し、天狗はゆるりと、無垢な童のように首を傾げる。
「おれにもわからぬ」
「?」
 渡る風が孕む芳しい花の香に鉢金の奥で目を細め、二対の翼を羽ばたかせる。羽根先が湿るほどでもなく、僅かに潤いを含んだ大気が木行の物怪には心地良い。
「彼の狐が何をしたか、何処でまみえたか、覚えがない」
 己の記憶に空いた小さな虚。それを懼れるでもなく口にして、また、翼を広げる。
「ただ、何かを――とりもどさねばならぬと」
「そうか」
 その言は、朴訥としながら、確かな意志に充ちていた。
「狐は心を盗み、成り変わる。おまえも弟と同じく惑わされたんだろう」
 青年はそれ以上問い質すでもなく、また、長い影の向く方を見つめ、先を急ぐ。


 何処からか、歌が聴こえる。


 手鞠唄にも、祝詞にも似て、無邪気に韻律を踏みながら、神気に充ちた凛冽な響き。
「! あれだ」
「狐か」
 何処か聞き覚えのある聲に耳を傾け、玖郎は二対の翼で強く空を穿つ。清らかで涼しげな聲に、大気に籠っていた熱と、朱の気配が浄化されていくようだ。
 霧が晴れて行く。二人の前に、神域への入り口が姿を顕す。
 朱塗りの鳥居が、山道に長く連なっている。
 青年は一度息を吸い込んで、清らかな花の香で肺を充たすと、再び足を踏み出した。
 りぃん、鈴の音に似た歌声が響き渡る。
「この音は好かぬ」
 翼を畳み、土を踏み締めながら彼の後ろを歩く天狗が僅かに難色を示した。金行に似た音は、木行の物怪には耳に障る。
 鈴が鳴る度、鳥居の外の景色が遠くなる。
 それを懐かしげに眺めながら、青年は長い道を歩いていく。
 深々と冴える鎮守の杜の奥底で、物音が一つ。
 人よりも耳の聡い玖郎がそれに気づいて足を止め、次いで彼をいぶかしんだ青年が少し離れたところで立ち止まった。
 再び、木の枝を踏みしめる音が響く。
「人か」
「否。幻覚であろう」
 人間の気配は感じ取れない。視覚と聴覚を惑わす、妖の業だ。玖郎の苦手とする金行の物怪が得意とするような力。
 音のした側へ目を向ければ、幼い少年が杜の中を駆けていく姿が見える。
「侘助」
 ――椿の咲く鎮守の杜で、彼らはよく遊んでいた。
 そうして時折、仲間たちからはぐれた子供の前に、その妖は姿を見せると言う。
 幼い少女だ。
 少年へ微笑みかける童女の背で、ゆるり、と朱色の尾が揺れている。少年はその動きに魅入られたように立ち止まり、茫とした目で娘の手招くままに足を向ける。――そして、地面に空いていた、水溜りの穴に落ちた。
 水面の世界を行き来する、朱狐。社の神使でありながら、人をかどわかす妖魔ともされているもの。
 人を攫う天狗が豊穣を齎す山神と呼ばれるように、此の世界でもまた、神と魔は紙一重だ。
「……あいつにとっては杜に入る者すべてが遊び相手だ。おれも昔、一晩ほど帰らなかったことがあったらしい」
 苦々しい声でそう呻く青年の言葉を、物怪は静かに聞き届ける。いずれ一緒になろうと、児戯めいた契りを交わしたのだと大人に振れ回っていたと、恥ずかしげに青年は云う。
 とは言え元は、そうやって時折子供たちの遊び相手になる程度の、害のない妖であった。こんなに長い間一人を留めておくのは初めての事だ、と青年は掌の椿花を見下ろす。
「その花は」
「夢で、侘助が助けを求めてきた時から――ずっと、こうして咲いている」
 何者かが呼びかけるように。
 幻影を遮るように、鈴の音が、りぃん、と鳴る。

 ――あの村に雨を降らせないでくださいませ

 聴き慣れた声が、金行の音色を持って玖郎の耳を穿つ。鉢金を被ったままの頭を巡らせてみても、声の主の気配は感じ取れない。なれば、これも幻覚なのだろう。
「おまえはどこにいる」
 問うたところで、いらえが返ってこようはずもなかった。

 ◇

 長い長い鳥居の道は終わりを迎え、朱と白とに咲く花が彼らを手招いている。

 籠る朱の霞。
 社の軒下で、一人の少年と娘とが寄り添って立ち、彼らに背を向けている。
「侘助!」
 少年の名を呼び、駆け寄ろうとする青年から庇うように、娘は少年の前に立つ。その面(おもて)を一瞥し、玖郎ははたと動きを止めた。
 右耳の上に白い一輪椿を差した、虚ろな佇まいの女。
 貌の半分を醜い――玖郎にはその感覚が判らない――痣に覆われ、隠すように僅かに俯いて、所在なげに立ち尽くしている。
 噫、と感嘆めいた声が零れる。
 漸く、思い出した。
 女狐に空けられた魂の虚。取り戻さねばならなかったものの姿を。
「そこにいたのか」
 声をかけても、妻の貌をした娘はただ無言で首を傾げるばかり。
 一時の郷愁を掻き消して、幻影に惑わされることなく玖郎は動いた。
 山神の指先が、滑るように印を截る。
 天が啼く。
 一条の光が雲を走り、空を切り裂いて落ちた。
 鋭い一撃に打ち据えられて、亡き妻の面影が揺らぐ。霧のように薄れ、祓われるその向こうには、玖郎の知らぬ幼い娘の姿だけがあった。背に陽炎のように歪む朱の尾を隠しきれない、年若い狐の姿。
 驚きに目を丸くする狐の前で、玖郎は再びの印を切る。もうひとつの幻覚を断ち切るために。
 轟音。
「侘助!」
 光の行方を見、咄嗟に手を伸ばした青年の前で、少年の姿を稲妻が打ち砕く。伸ばした掌は弟を捉える事叶わず、無情にも空を切った。
「――何を」
「弟ではない」
 振り返った青年へ、詫びるでもなく言葉を添える。
 視覚に頼らぬ物怪の感覚が、人の容をした殻に収められた香だけを嗅ぎ取る。それは生きた命でもなければ、死した魂でもない。何者かの残滓。
 境内の隅に咲く、朱紫の椿の花を、山神の指が指し示す。
「あれはおまえだ」
 茫然と、青年が表情を喪った。その佇まいから匂い立つ、噎せるような椿の香が境内を覆う。
 青年の中で形作られた、“侘助”の記憶が解けていく。

「おまえはとうに、此方側のものなのだろう」

 幼い日、狐に拐かされたときから。
 狐の娘と約束を交わしたときから。

( わびすけ )

 噫。
 夢路の奥から手招きする、優しい少女の声と同じ。その名の主は。
「――呼んで、いたのか」
 狐の娘は無垢な仕草で頷いて、己が手中の白い椿を彼へと差し出した。それに釣られるようにして、青年も己が掌を見遣る。
 花が咲いている。
 青年の手を貫いて、小さな朱紫の侘助椿が。

 差し出された手に応えて、椿咲く掌を差し伸べる。
 二つの花が触れ合う傍から、淡い光が境内を包み込んだ。

 光が已んで、後に残されたのは、寄り添って咲く二色の椿。

「……ずいぶんと面妖な、狐の嫁入りだ」
 淡々とした声音でそうぼやいて、天狗はまるで鳥のする仕種のように、無為に首を傾ける。このような回りくどい手順を踏まずとも、初めから攫っておけばよかったではないか――己もまた人を拐かす側に在る物怪は、不可解そうに唸る。やはり、狐は人に近しい考えを持つ獣なのだろうか。
 振り仰げば、すっかり暗くなってしまった空の天辺で、円い月が光を放っている。まるで群青の空に小さな穴を開けたかのように。青みがかった表面は奇妙に揺れ、水面に描く景色のように、青い空と赤い街が映り込んでいるのが天狗の眼には見えた。
 無言のまま、木の枝を蹴って翼をはばたかせ、高く浮上する。
 満月を装った水鏡を、異界の物怪が潜る。

 水面の街から、再び人の気配が去った。
 たったひとり、境内の石畳を越えて、茂みの向こうへ幼い朱狐が小さく跳ねて行く。

 <了>

クリエイターコメント大変お待たせいたしました。
イメージソング限定オファー、第二弾をお届けいたします。

拝聴してすぐ、「これはお請けしなければならない」と使命感に駆られた一曲でした。判っておいでですね……!
その分ノベルの組み立てに難儀致しましたが、とても楽しい悩みでもありました。

曲の雰囲気に比べ、随分と可愛らしいノベルになってしまった気がします。艶やかで怪しげな歌詞から感じた切なさ、いじらしさをメインに据え、物語を描かせていただきましたが……PLさまの曲へのイメージを損ねていないことを祈るばかりです。

今回もまた、曲名は私の方では伏せる事にいたしますね。
それでは、御縁がありましたら、また違う物語をお聞かせくださいませ。
公開日時2013-07-09(火) 21:50

 

このライターへメールを送る

 

ページトップへ

螺旋特急ロストレイル

ユーザーログイン

これまでのあらすじ

初めての方はこちらから

ゲームマニュアル