「卵が先かその親が先か。これは鶏に限ったことじゃありません」 まあ、そんなことはこの卵に興味を持ってくだされば何の問題でもありませんが、と言って店長は仄かに笑った。 赤いレンガ造りの二階建て。 一階では店長の室崎(むろさき)という二十代の男性が店を経営しており、二階は物置兼居住スペースとして使用されている。墨のような色の看板には白い文字で『竜卵屋』と書かれていた。看板の右下には穴が開けられ、そこに細い鎖を通して小さなランプを吊るしてある。 出入り口の脇に立てられた質素な看板には「あいています」とだけ書かれ、あとは何の飾り気もなかった。 扉は見た目よりも重い。「ああ、お客さんですか。いらっしゃいませ」 室崎は表情の変化に乏しい。 それでも歓迎し接客しようという声色で声をかけた。「ここがどういったお店か説明は必要でしょうか? ……あぁ、これは要りそうですね」 木の椅子を勧め、自分も向かい側に座る。「私の母親は竜と呼ばれるものでしてね、その影響かここへ来る前から不思議な力があったんですよ。まあ簡単に言うと、小さな竜を生み出せるのです」 ちょいちょい、と人差し指で何かを呼ぶような仕草をすると、どこからともなく小さな半透明の竜が飛んできて指にとまった。「これが私の竜です。私にとって心のあるものはすべて彼らの卵なのですよ。心……精神より生み出した竜は精神体のようなもので、食事も何も必要ありませんが、我が心の一部を竜という形にして対面したい人も居るのではないか――そう思い、この店を開きました」 心があるならば何でもいい。人でも獣でもそれ以外でも。 長年愛用したものには魂が宿るという。また、使用者の心がこもるともいう。もしかしたら無機物でも、今に至るまでの経緯に何かきっかけがあれば、竜を生み出せるかもしれない。「ただし竜は喋りません。そして依頼者以外は触れません。そして何より存在が安定していない。異世界に連れて行くのは好ましくはないですね」 ものは試しと連れて行くのも良いかもしれないが、出来ることは少ない。 他人は触れないとはいえ、悪意を以て攻撃を加えられればその衝撃で消滅してしまうだろう。「見て愛でるものとして接するのをお勧めしますよ。せっかく生み出したもの、肉体を持たないとはいえ粗末にするのは可哀想でしょう」 さて、と室崎はテーブルの上で両手を組む。「竜の姿は卵たる心によって変わります。……あなたの竜はどんな姿形をしているのか、見せてもらえますか?」
店は外からでも分かるほどシンとしていたが、開店中だということは例の看板のおかげで分かった。 「邪魔するのう」 ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノが扉を開けると、真っ先に木の匂いが彼女を出迎えた。レンガ造りの家だが家具に木製のものが多く、床や壁の一部にも使われているせいか外観から想像する香りとはちょっと違った匂いがする。きっと店長の趣味なのだろう。 「いらっしゃいませ、久し振りのお客さんですね」 「ふむ、ここで竜を生み出すことが出来るのじゃな……」 そうですよ、と頷いて、室崎はジュリエッタのために椅子を引いた。 向かい側に座り、さて、と話を切り出す。 「その様子だと店の説明は必要なさそうですね。本日は何からの孵化をお望みで?」 「わたくしじゃ」 ジュリエッタは背筋をぴんと伸ばしたまま答えた。 「自分から一体どんな竜が生まれ出るのか……考えたら気になってのう、善は急げとここへ足を運んだ訳じゃ」 「なるほど……それでは早速生み出してみましょうか。ああ、緊張なさらずに。しばらくじっとしていれば問題ありません、その間これでもお召し上がりください」 立ち上がった室崎は店の奥から黒いロールケーキを皿にのせて戻ってきた。 「これは……」 「黒糖を使ったものです、お茶も置いておきましょうか。――では失礼」 再度真正面に座り、室崎はぎりぎり触れない位置でジュリエッタを撫でるような動作を繰り返した。 奇妙な感覚だ。それに集中力を奪われながらも、ジュリエッタは溶けるような甘さを持ったケーキを口に運んだ。 「殻をね、払っているんですよ」 「殻を?」 「ええ、あとちょっとです」 室崎は両手で何かを掴むような動作をし、子犬を抱き上げる時のようにそれを目の前に持ってきた。 瞬きすらしていない。 そんな一瞬の間に、目の前に見たこともない半透明の竜が姿を現していた。 「なんと……こんなにも簡単に生み出せるのか」 感嘆の声を漏らしながら、ジュリエッタはその竜を凝視した。 大きさは15cmほど。まず目に入ったのは剣と、しっかりと体を覆う鱗よりも丈夫そうな鎧だった。胴体と手足は西洋竜のそれで、胴からは頭が五つも生えていた。それぞれ意思を持っているらしいそれは真ん中にメインとなる頭を据え、左右に二つずつ小振りな頭を添えている。 気になったのはメインの頭だ。他の特徴が西洋を指す中、その頭だけは長い首をもたげ、立派な二本の髭を有していた。まるでアジア圏の竜である。 「綺麗な色じゃな。白、いや白金か」 「雷光を思わせる良い色ですね。他の頭は青、緑、赤、茶……四元素でしょうか」 「火でも噴くのかのう?」 ジュリエッタが試しに赤い竜の頭をつついてみると、竜は『キュッ、キュルルルッ』と存外可愛らしい声で鳴いた。 それに答えるように緑色の頭が、そして青と茶色の頭も鳴き始める。生まれた事を喜ぶためにというよりは、これから沢山遊べることに期待を隠せない子供のように。 『キュッキュキュ!』 『キャウッキャルルルル』 『キュルルルッキュッ』 『ヒュッヒュゥン!』 『――ゴゴゴゴゴ……』 突然聞こえた低い低い音……鳴き声に四つの頭は一斉に黙った。 漫画の効果音ならば確実に筆ペンの太い字で書かれていたであろうその声は、メインである雷竜から発せられていた。粗相を窘めるように唸り、左右を見、長い髭を重力とは関係なくうねらせる。 「さすがじゃ、強そうなだけあるのう! ……しかしこれがわたくしの何を表しているのかは、深く考えぬ方がよいな」 ぼそりと言い、ジュリエッタは大人しくなった竜を室崎から受け取った。 半透明で小さいながらも迫力のあるその姿に目を細めていると、ふわっ、としたものが指先に当たる。背を向けさせてみると、そこには何故か天使の羽根が生えていた。 「おや、竜の翼の代わりに美しいものが生えていますね」 「ふむ……悪くはないのう」 羽根を撫でると気持ちが良いのか、竜は目を瞑って髭を揺らした。 その姿を見ながらジュリエッタはぽつりと言う。 「そういえば、以前一度竜の幻を出したことがあったが、それとはまったく違った姿じゃのう。和洋折衷なのは、わたくしがハーフだからじゃろうか?」 「竜は生みの親の影響を強く受けることが多いです。十分ありえると思いますよ」 「そうか。嘘偽りなくわたくしから生み出されたものだと思うと、何やら嬉しいのう」 異世界で知り合った老人と、そこで作り出した竜を思い返しながらジュリエッタは笑う。 あの時も竜は竜だったが、やはり今回のものとは性質からして違うようだ。 「ご満足いただけました?」 「うむ、もちろんじゃ」 ジュリエッタは竜を抱えて座り直し、ふと思ったことを口にする。 「西洋では竜は倒さねばならぬ悪しきものとして伝わっておることが多いのじゃが、日本では神と同等の扱いとしておる良きものも多い。まこと世界が無数にあるように、人の解釈は様々じゃのう」 「私もそう思いますよ。特に、この場所で異文化交流どころではない触れ合いをするようになってからは」 竜を邪悪の化身として見ている者、またはそれに近い者も少なくはなかった。 近しいものを通してその差を感じてしまうとショックは大きかったが、今は良い思い出だ。悪きものと考える者が居るのなら、その逆も居るのだから。それを分かっていれば考え方の差を楽しむ余裕すら出来る。 「ところで……」 ジュリエッタは不思議そうな顔をする。 「雷竜が中心なのは何故じゃろう?」 「気になりますか?」 「些細なことかもしれぬが、気にはかかるのう」 その言葉を受けて室崎は少し黙り、そして口を再度開けた。 「雷は風を呼びます。そして雨を降らせ、火をもたらし、大地を振るわせる。四つの首を従わせた雄雄しい姿なのはそのせいじゃないでしょうか」 まあ、中心に居るのは貴女に雷の才能があるからでしょうね、と言って室崎は少し笑う。 「これからこの子をどうしますか」 「……可愛がろう。うむ、可愛がるぞ、ここで出会わねばこの先ずっと会うことはなかったじゃろう」 ジュリエッタはそっと指の腹で竜の頭を順番に撫でていった。 「この出会い、大切にしよう」 竜は嬉しそうに自らの親を見上げる。 ……ジュリエッタと同じ、明るい緑色をした澄んだ瞳で。
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