女性が一人、広い部屋の椅子に背を埋めておろおろしていた。 短いポニーテールは陽光を透かす銀色。反して燃えるように赤い瞳。薄化粧ながら美しい顔立ちは女神像を彷彿とさせる。 彼女は名をカヨ、といった。 カヨにとって他人の立場とは自分の立場も同然だった。 他人の立場を奪い取れる能力。生まれた時から二十年間共に過ごしたこの力は、制限こそあれど使い方を誤れば悪にしかならないものである。それを悪いことといえばせいぜい悪戯程度のことにしか使ってこなかったのは、ひとえに両親の教育の賜物だった。「どうしよう、これは……これはまずいわ」 座り慣れない椅子から何度も滑り落ちそうになりながら、カヨは数時間前から今までのことを回想する。それはさながら短な走馬灯のようだ。 この日、カヨは映画を見終えた後、土産でも買って帰ろうと売店を目指した。 しかし途中で尋常ではない眩暈に襲われ、気がつくと外に居たのだ。 見回すと周囲の風景は一変していた。高層ビルがいくつも建ち、車は浮遊し、見慣れない髪色の人間が沢山行き来する場所。この時カヨは一度だけ読んだSFの本を思い出していたが、すぐにフィクションではないと悟り、元居た場所へ帰る方法を探った。 だが成果は芳しくなく、混乱は深まるばかり。 そもそもこんな未知の場所に放り出されて上手く立ち回れるはずがない。しかもお金やその他諸々を入れていたバッグはどこかへいってしまっていた。 そこで「ほんの少しだけ」「緊急時だから」と思い、近くに居た女性の立場を“奪った”のである。 それがいけなかった。「まさかこんな偉い人だったなんて……」 カヨは詳しいことを知らないが、立場を奪った女性はここ、マホロバを統べている政府の地球外生物対策委員会の委員長を務めるリェリエナ・サカキという人物だった。 地球外生物対策委員会は政府に対して地球外生物の調査・対策に関する助力をする目的で作られたもので、宇宙人が現れ始めた頃に比べ、現在はかなりの発言力を有した組織だ。かつてロストナンバー達が遭遇した保護隊のゼタもここに属している。 カヨはちらっと胸を見る。そこには仰々しい紋章が付いていた。 立場を拝借したのはいいものの、「委員長」になったカヨを発見した委員は――「何て格好で出歩いているんですか!」「さっきまで来てたスーツはどこに!?」 ――と、カヨを高級車に突っ込むと即着替えさせ、ここへと連れてきたのだった。 間違われた、という表現は正しくないが、間違われてしまった。 立場を奪っている間、奪われた者はその地での一般的な人間として、その時出来うる限りの模範的な生活を送るようになり、その間の記憶は立場が戻った時には残っていないのが常だ。 リェリエナも恐らくポケットマネーで外泊し、起きれば外出し食事もするだろう。立場はカヨに移動しているため周りの人間は気にも留めないはずだ。「困ったわ……」 頭を抱えていると、扉がノックされスーツ姿の若い男性が入ってきた。「喉の調子はいかがですか? 目を通していただきたい書類があったので持ってきたのですが……」 カヨは目で「無理」と訴える。 それは書類に目を通すことに対してではなく……(この人は何を言っているのかしら?) ……言語が分からない故の、無理、だった。●「マホロバへロストナンバーの保護に向かってほしい。……それと」 いつものようにロストナンバーを集めた世界司書のツギメ・シュタインは、本題は別にあるといった風に言葉を続ける。「マホロバには宇宙人という存在が居るのは知っているな? 中には世界を震わせかねない強大な力や技術を持った者も居るようだ。また、マホロバという世界そのものの情報もまだまだ欲しい。以上のことから、正式にこの世界へ調査や宇宙人鎮圧を目的に行くことになった」 そしてツギメは保護対象の話を始めた。「名はカヨ・ツェアーという。今年二十歳になったばかりの女性だな」 特殊能力は「他人の立場を奪う」こと。 制限として一日一回まで、奪えるのは最長一週間、知識や記憶等は移動しない等がある。 戻った後、奪われていた者はそれまでカヨが取っていた行動を一部分のみおぼろげに記憶し、自分がやったことと思い込むらしい。これはカヨ自身の意思によって調整出来るらしいが、大きな調整をすると代わりに「奪っていた時間分」再度立場を奪うことが出来なくなってしまうという。 その能力を見込み、保護後カヨにやってほしいことがあるのだとツギメは説明した。「現在奪っている立場を利用し、マホロバを訪れる世界図書館のロストナンバーを政府に推してほしい」「政府に?」「そうだ、行動しやすくなるだろう? 今もすでに政府には「謎の超能力集団」として報告が行っているようだ。これを利用しない手はない」 リェリエナ経由でロストナンバーを味方として政府に認識させようというのだ。 上手くいくでしょうか、という問いにツギメは片眉を上げる。「やってみないことには分からないな。だが宇宙人問題はマホロバの人間の大半が頭を抱えていることだ。そして我々はその宇宙人に対抗出来る。……私ならば多少のリスクを覚悟してでも手元に置いておくがな」 それに手元に置いておけば、謎の集団という不安要素が無くなる。 そういった様々な事柄を天秤にかけて政府がどう判断するかは分からないが、試す価値はあるのではないか。「という訳だ。保護に加えてデリケートな仕事だが、頑張ってほしい」 ツギメは人数分のチケットを差し出した。
どうやって来たのかわからない。 皆が何を言っているのかわからない。 どうしてここへ連れてこられたのかわからない。 ――ここが、どこだかわからない。 (……私、帰れるの?) カヨは銀色の髪に指を埋め、ひとり頭を抱えた。 ● ビルに入るには大きく分けて二つの道がある。正面玄関から入るか、ヘリポートのある屋上から入るかだ。ただし多くの場所がそうであるように、屋上の出入り口には鍵がかかっている。 到着してからの対処を考えつつ、一行は委員会のビルへと向かっていた。 人通りの少ない道に入ったところで、前を進んでいたリーリス・キャロンが4人を振り返る。 「リーリスは正面突破組かしら? そういう対応も有りじゃないかなぁって思うの。ところでみんなはどんな予定なの?」 「ゼロも正面から行ってみるのですー」 シーアールシー ゼロが近づくビルを見上げつつ答える。 上手く受付で対応すれば、最短時間でカヨの元へ行ける可能性がある。試してみて損はない。 「僕は一度、転移移動を試してみようと思っているよ。ただ警備員に見つかったらまずいね……」 物好き屋は小さく唸る。 警備員に、監視カメラ。穏便に忍び込もうとするのは難しく感じられた。 遭遇した時のことを考えて委員会の名刺や名札を偽造することも考えたが、本物はICチップが埋め込まれているため、下手をすると更なる混乱を招きかねない。 「リーリスさん、何か私物を借りることは出来るかな」 「私物……? 何に使うの?」 「……報告書を見る限り、魅了のような力を持っているんじゃないかと思っていてね。警備員を黙らせるのに一番最適だから」 物好き屋はほんの少し声を潜めて言った。 どんな理由があるのかはわからないが、リーリスはそういった能力を仲間にさえ隠している節がある。聞かれたくないことを皆の前で話されるのは嫌だろう。 当のリーリスは一瞬彼をじっと見たが、特に気にする素振りを見せる訳でもなく、快く青いリボンを手渡した。 本当に隠すべきは自身が吸精鬼であること。 魅了の力は魔術師の卵が持っていたとしても違和感がないはずだ。 物好き屋はリボンを受け取り、同時にその特殊能力により相手の能力も借り受けた。 「あと、皆にこれを。ノートだけじゃ音声まで届かないから」 人数分の携帯電話を取り出し、ひとりひとりに配ってゆく。 「蜘蛛の魔女さんも、正面からですー?」 ゼロは隣を行く蜘蛛の魔女を見る。見上げた顔は随分と面倒くさそうな表情をしていた。 「随分とまどろっこしい方法とらなきゃならないのねぇ。もうさ、ババっと誘拐してガガガっと拷問でもして言う事聞かせた方が早いんじゃない?」 「ご、ごうもん……?」 蜘蛛の魔女はやはり魔女の思考だった。 「私は屋上から行くわ、誰かに見つかっても自力で黙らせられるし」 蜘蛛の糸に麻痺毒のある爪、そして可愛い子蜘蛛たち。頼もしい要素が揃っている。 それに片手を上げたのは黙々と歩いていたジャック・ハートだった。何か思うところがあるのか、彼の口数はいつもより少なく感じられる。 「あー、俺は20階のヘリポート近辺で控えてるワ。手が必要になったら呼んでくれや」 「サポートに回るのです?」 「あァ。それに相手は二十になったばかりの荒事の経験がないネェチャンなんだろ? 最初に話すのが俺サマじゃ怯えちまうゼ」 首を傾げるゼロにジャックは肩を竦める。 「まッ、推挙の場なり逃走の場なりで必要になったら呼んでくれヨ。そン時ァすぐ登場すッから」 屋上で待機し、精神感応と透視を併用して人の動きを読んで必要ならばサポートする。ジャックはそれを今回の自分の役割だと定めていた。 ビルが近づいてくる。 カヨのことを思う者、仕事のことを思う者、関係のあり方を思う者。 様々な者が様々なことを思いつつ、ロストナンバーたちは各自行動を開始した。 ● 地球外生物対策委員会は宇宙人を駆逐しようとする組織ではない。宇宙人による犯罪やトラブルを取り締まる組織だ。そして必要があれば宇宙人の保護も行う。 初めから宇宙人に非協力的な場所ではない。だからこそ、ゼロは自身を宇宙人と偽り、堂々と正面から入っていく手段を取った。 「……!?」 受付嬢は目を剥いた。 自動ドアから入ってきた金髪の少女と真っ白な少女。こちらへ近づくに連れ、片方の真っ白な少女がどんどん巨大化していくのである。 幸い3階まで吹き抜けになっているおかげで天井に頭がつくということはなかったが、目の前まで来た時には既に3mほどになっていた。金髪の少女との対比で余計に大きく見える。 宇宙人なのか――呆然としたままの受付嬢を見兼ね、隣に居た年配の受付嬢が2人に問いかける。 「何か御用でしょうか」 「委員長のリェリエナさんに会いに来たのです、とっても大事なお話があるのですー」 「アポは……」 「ないのですー」 しかし直接会って話さねばならないことだとゼロは食い下がる。 ポケットに手を突っ込み、取り出したのは指先ほどのきらきらと輝く石。それを見た受付嬢2人は固まる。 この石はマホロバでは稀少なもので、壱番世界で言うならば質が良く珍しい条件下で作られたダイヤモンドに近いだろうか。偽物かもしれない、という気持ちを吹き飛ばすほど美しく澄んでいる。 だがこれはこの世界で入手したものではない。交渉の際に使うため、ゼロが予めナレッジキューブを変換して作ったものだ。 ゼロがまた一回り巨大化する。石もそれに伴い大きくなる。 その現象に目を丸くする2人を前に、ゼロは言った。 「これは、経済を一変させる力……でも、使い方を誤れば世界の環境に大ダメージを与える力なのですー」 だからこそ「偉い人間」に会わなくてはいけない。 重要性を染み渡らせるように言い、じっと見つめる。 戸惑う受付嬢たちに今度はリーリスが声をかけた。 「おねぇさん、リーリス、リェリエナ様にお会いしてお礼を言いたいの。どうやったら安全に会えるか、教えてくれる?」 「お……お礼?」 耳からするすると入ってくるような声だった。 先ほどゼロに感じたような驚きを表情に出すが、それがあっという間に溶けるようになくなる。 「そう、この子の力をマホロバのために使いたいと思ったのも、お礼のため」 にこりと微笑みかけ、リーリスはまるで大人が子供にするように、受付嬢の頬を撫でた。 「私たちが会いたいのはリェリエナ・サカキさんよ。……もう一度聞くわ、教えてくれる?」 素直に頷いた受付嬢は、丁寧にリェリエナ――カヨの居場所を2人に教えた。 蜘蛛の魔女が大きな蜘蛛の足を駆使して屋上まで上ると、そこには既にジャックが腕を組んで待機していた。 「瞬間移動? 便利な能力ね」 「そうでもねェよ、それより鍵は開けておいたぜ」 「監視カメラはあるの?」 ヘリポートはがらんとしていた。出入り口まで障害物になりそうなものはひとつもない。 「力で向いてる方向でも固定してやろうかと思ったンだが――先を越されたな」 監視カメラの問題はあの後リーリスが解消していた。成すのは簡単ではないがプロセスは簡単なことだ、カメラ越しに警備員を魅了し、一時的にカメラを切らせたのである。 あとは巡回している警備員や職員に気をつけるくらいだろうか。 蜘蛛の魔女はジャックにひらひらと手を振り、屋内へと入り込む。 手入れの行き届いた清潔感のある階段と廊下だった。階段の上と下りたところに監視カメラが見えるが、ジャックの言う通り無効化されている。 「さぁて、まずは……」 すっと息を吸い込み、蜘蛛の魔女は――空気の代わりに黒いものを大量に吐き出した。 うぞうぞと蠢くそれをいとおしげに眺め、口元を拭ってから声をかける。 「さぁ、私の可愛い子蜘蛛ちゃんたち。そのカヨっていう女を探し出して私に知らせるのよ」 大量の子蜘蛛たちは蜘蛛の魔女の足元で円を描くように動く。 「なーに、特徴? そうね……胸元にそれっぽい紋章みたいなのがある……のかな?」 曖昧ながら情報を与えられた子蜘蛛はワッと散らばり、壁を伝い床を走り通気口の中へと消えていった。 蜘蛛の魔女ものんびりと歩きながら廊下を進む。 待つだけなのは退屈である。自分からも何かしたいが、さて……。 ぽんと蜘蛛脚を叩き、蜘蛛の魔女は面白いものを見つけて駆ける少女のように走り始めた。 そう、尋問は得意だ。 なんとも面倒な災難に巻き込まれた人だなと、カヨを探す物好き屋は思った。 転移移動は難なく使うことが出来た。今は一階ずつ慎重に調べているところだ。何度か職員に遭遇することはあったが、借りた魅了の力で事なきを得ている。 多くのロストナンバーにとって、覚醒は故郷を離れるトリガーになっている。強制的に起こるそれを災難と言わずに何と言うのだろう。そしてその渦中に居るカヨは、これから更に能力を利用されようとしているのだ。 それを思うと何とかしてやりたい気持ちにならない事もないが、これも仕事、と物好き屋は0世界に居る者として気を引き締める。 (まずは保護で良いんだよね) 何度も反芻してきたことを思い出しつつ、曲がり角からそっと廊下を覗く。誰も居ないようだ。 「その後は説得か……」 それも仕事の内に入るが、どう言葉をかけようかと物好き屋はしばらく悩んだ。 ロストナンバーや消失の運命、そして0世界に関することという基本中の基本を説明した後に説得を試みることになるのだろうが、彼女に理解出来るだろうか。 (まあ……大切な部分は強調して言おうかな) 特に「宇宙人鎮圧」に関してはよく伝えなくてはならない。 このマホロバだけでなく、ファージや旅団の対策にもなるのだから。 ただ、カヨには物好き屋の心情的にも悪いことをしてしまうのが少しだけ気になったが。 窓にそっと近寄って外を見てみる。 美しい町並み……というには仰々しい建物が並んでいるが、文明の発展を感じさせる中にも生活感を見て取れる場所、という印象を受ける。 そうして物好き屋が一瞬の観光気分から顔を背けると、その先に男の顔があった。しかもどアップで。 「っ!?」 驚いて飛び退くが、その男の背後に誰が居るのかを確認し、すぐさま力を抜く。 「いたずらが過ぎるよ」 「キキキ! こーんなところでぼうっと立ってるからよ」 驚かせようと気配を殺して近づいた蜘蛛の魔女。その蜘蛛脚の何本かに糸でぐるぐる巻きにされ、更に麻痺毒で自由を奪われた男……警備員が捕らえられていた。 「さっき捕まえたの。美味しいハンバーグにするって言ったら色々と喋ってくれたわ」 にこにこと笑いながら警備員を撫でる。 その警備員の耳は蜘蛛糸で塞がれていた。尋問の時だけ自由にしていたのだろうが、今はロストナンバー及び宇宙人の仕業と知られる訳にはいかない。 「え~、リリエナ……だっけ? そいつの居」 「リェリエナ」 「リ……リェリエナ。もう、覚えにくいのよ! そいつの居る部屋もわかったわ。来る?」 物好き屋は頷き、そしてちらりと警備員を見る。 その視線が何を言いたいのか察し、蜘蛛の魔女はキキキと笑った。 「後で隠しておくけれど、まだ解放しないわ。だって……後でたっぷりと口止めしないと!」 ロストナンバーにも異能力の濃淡はある。 中には一般の人間とあまり変わらない者も居る中、今回はなかなかの粒揃いだった。 だからこそ今回の仕事で予備戦力はあまり必要ないだろうと頭の中で結論は出ていたが、ジャックは仲間が目的の場所を見つけたであろう動きをする中もジッと待機していた。 (まァ、対宇宙人部隊のような奴らが出てきた時の足止めは必要か) 何かあれば戦力を備えた集団がやって来る。そうなればこちらもそう手は抜いていられない。 それにしても今日のジャックは仕事に乗り気ではなかった。 町並みを見るように一瞬だけ視線を向け、今回の仕事のことを思う。 「どんなモンなんだろうナァ……BIBのように中枢に食い込もうとすンのはヨ」 あの同胞のようで同胞でないツギメからの依頼。その仕事に失敗を発生させる気はないが、引っかかりは消えなかった。 中枢にパイプを作り、ロストナンバーが動きやすい環境を作ることは必要なことなのだろう。そこに対処すべき対象が居る限り、無駄なこととは思えない。 しかし……。 「…………」 ジャックは一度だけ空を見る。 成功すれば、ここにも駅が出来るのだろうか。 扉がノックされる音。 もう何度目になるか……また書類を抱えた男性や困惑した様子で何かを聞きにきた女性が顔を出すのではなかろうか。 そうカヨが身構えていると、予想に反して顔を覗かせたのは白髪の小さな女の子だった。 「……?」 色素が薄い、ということ以外は至って普通の女の子である。 彼女はほんのりと笑みを浮かべると、言った。 「カヨさん、カヨ・ツェアーさんこんにちはなのですー!」 ● 受付嬢は魅了にかかった。そのため巨大化の必要がなくなり、元の大きさに戻ったゼロがそう声をかけると、居場所なさげに座っていたカヨは目を見開いた。 わかるのだ。 言っていることが何なのか。そして―― 「な、なんで私の名前、知って……」 伝えてもいないのにフルネームで呼ばれた。 「こんにちは、リェリエナ様……ううん、カヨ・ツェアーさん」 「あなたまで」 「ディアスポラに巻き込まれて大変だったね。大丈夫、貴女に状況の説明に来たの」 案内させた職員を帰らせ、リーリスもカヨを見る。 「世界は多重であるという真理に目覚めた者は、自分の世界から放逐されて消失の運命に晒されるの。私たちも以前同じ目にあっていて……だからお姉さんを助けようと迎えに来たのよ?」 簡単に、しかし大切なことを伝え、何か質問があればとカヨに呑み込む時間を与える。 カヨにとっては突飛な話だった。 だが今置かれている状態からして普通とは言えないのだ。 「……私は帰れないの?」 ぽつりぽつりと気になることを質問した後、不安げな顔でカヨは訊いた。 「貴女の頑張りと運次第だと思うわ」 「…………」 「ずっと帰れないまま0世界……私たちの本拠地に居る人も居るし、運良く故郷を見つけた人も居る。それに他の世界を第二の故郷にする人も居るわ。これって絶望的かしら?」 リーリスの言葉を何度も頭の中で繰り返し、カヨは視線を揺らす。 すぐに自分の家、自分の部屋に帰れないのが辛い。 家族に会って無事を伝えられないのも辛い。 やりかけの勉強もあった。楽しみにしていた予定もあった。結果を気にしていたこともあった。 しかし、絶対に帰れない訳ではないのだ。 「わかっ……た。わかったわ、一緒に行く」 「よかったのですー」 ゼロは素直に喜び、そしてもうひとつの仕事を思い出す。 「じつは、他にもカヨさんにお願いしたいことがあるのですー」 「お願いしたいこと?」 「はい、とてもとても大切なことなのですー」 その時足音が聞こえ、長い廊下の向こうから物好き屋と蜘蛛の魔女が歩いてくるのが見えた。 「この世界を恐ろしい宇宙人から救うために、貴女の助力が必要なんです」 仲間が居たのを確認し、大体の状況を察した物好き屋がそう継ぐ。 「こ、ここには宇宙人なんて居るの?」 カヨの世界にも概念として存在していたらしい。 なるべくわかりやすく説明すると、カヨはさっきよりも不安げな顔になった。 「私、そんな大役出来るかしら……」 「そんなのパパパッとやっちゃえばすぐ終わるわよ、私だったら1時間もいらないわ」 子蜘蛛を労っていた蜘蛛の魔女は自信ありげに言う。 「ってゆーか、わざわざ助けに来てあげたんだから逆に感謝してくれてもいいんじゃない?」 「へっ!?」 「もし要求に従わないなら……」 両手をわきわきさせ、距離を詰める。 思わずカヨが一歩下がる。距離を詰める。一歩下が――れず、カヨは三分間あろうことか10本の手足によりくすぐりの刑に処されたのだった。 「ちょっとヒヤッとしたのです……」 ロストレイルへ帰還する途中、くすぐりの刑を思い出してゼロがぽつりと言った。 カヨが本心から拒絶していなかったため、打ち解けるきっかけになるだろうかと手を出さなかったのだが、やはりひやひやはするものだ。 その後カヨは二つ目のお願いを承諾し、とりあえず本物のリェリエナに立場を返した後、こうして一度0世界へと戻ることになった。あちらでカヨもギアとパスを貰うことになるだろう。 「そうだ、カヨさん」 これで少しでも落ち着いて……と、リーリスが持ってきた花束をカヨに手渡す。 それを受け取ったカヨはやっと小さく笑い、嬉しげにリーリスの頭を撫でた。 「これから大変なことも多いと思うけれど、大丈夫?」 「あそこで何もわからず座っているだけよりはマシだわ、本当に怖かったのよ、言葉もわからなかったし……」 物好き屋は小さく頷き返して前を見る。どうしても利用しているだけのような気がしてしまう。 せめて今後、カヨにカヨ自身の意思で目標が出来るようにと彼は祈る。 「ジャックさんなのですー!」 ロストレイルの前に立つジャックが片手を上げる。 無事に任務を終えたのを確認した後、皆に連絡を入れて先に戻っていたのだ。 ジャックはカヨを驚かせないようゆっくりと近づき、先ほどまでの低いテンションを拭い、いつもの気さくな笑みを浮かべる。 「イヨォ、カワイ子チャン。今回は大変だったみてェだナ」 「か、かわいこちゃん!?」 「間違ってねェだろ? そうそう、腹が減ったらマナちゅわんに言やぁ何か出して貰えると思うゼ」 ロストレイルの中へと招き入れ、ピンク色の髪をした乗客員を指して説明する。その間にさり気なく背に手を添えているのはさすがと言うべきか。 「そういやァ、世界図書館や消失の運命何なンかについては聞いたか?」 「ええ……ひと通りは。……世界は広いのね」 「広いが……」 ジャックはほんの一瞬だけ黙り、カヨの肩を叩く。 「……アンタの家族や大切に思う人間は、どこかで確実に生きてるゼ」 その言葉が僅かに自分自身へ返ってきた気がして、寄せる眉に力が入る。 しかしすぐに笑顔に戻り、カヨを慰めた。 「さあカヨさん、第二の我が家へ帰るのですー!」 ゼロが明るく言うとカヨは一度だけマホロバを振り返り、そしてこくりと頷いた。 数日後、マホロバの政府に宇宙人以外を名乗る集団から接触有り。 上層部の一部にのみロストナンバーの存在が伝えられ、委員長のリェリエナによる強い推薦もあり、政府お抱えの超能力集団として活動する許可が下りる。 こうして、マホロバにも駅が出来た。
このライターへメールを送る